goo blog サービス終了のお知らせ 

馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

「おくのほそ道」を読み、描きしてみよう。(4) 白河の関・須賀川・あさか山・しのぶの里

2014年10月03日 | 奥の細道
白河の関  元禄二年四月二一日 陽暦六月八日

卯の花をかざしに関の晴着かな 曾良
都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白川の関 能因法師

須賀川 元禄二年四月二二日 ~ 元禄二年四月二九日 陽暦六月九~六月一六日


風流の初やおくの田植うた


世の人の見附ぬ花や軒の栗


福島・しのぶの里 元禄二年五月一日 陽暦六月一七日


早苗とる手もとや昔しのぶ摺


佐藤庄司が旧跡 元禄二年五月二日 陽暦六月一八日

笈も太刀も五月にかざれ帋幟


「おくのほそ道」を読み、描きしてみよう。(3) 那須・黒羽・雲巌寺・殺生石・遊行柳

2014年09月25日 | 奥の細道
那須の黒羽・雲巌寺 光明寺  元禄二年四月三日(陽暦五月二一日)~


修験光明寺・行者堂 元禄二年四月九日(陽暦五月二十七日)

 夏山に 足駄(あしだ)をおがむ かどでかな


雲巌寺 元禄二年四月五日(陽暦五月二十三日)

木啄も 庵(いお)はやぶらず 夏木立


殺生石 元禄二年四月一九日 陽暦六月六日

野を横に馬牽むけよほととぎす


遊行柳 元禄二年四月二〇日 陽暦六月七日

田一枚植て立去る柳かな




「おくのほそ道」を読み、描きしてみよう。(2) 千住~草加・粕壁~室の八島~日光

2014年09月22日 | 奥の細道
日光 元禄二年卯月朔日 二荒山

 
あらたうと青葉若葉の日の光
ああなんと尊いことだろう、「日光」という名の通り、青葉若葉に日の光が照り映えているよ。卯月四月一日(陽暦五月一九日)


日光・黒髪山 裏見の滝

しばらくは滝にこもるや夏の初
滝の裏の岩屋に入ったこの状況を夏行(げぎょう)の修行と見立ててしばらくはこもっていようよ。
(つづく)


 今高15期・8組だったご婦人から案内を頂き観覧に行きました。もう10年以上も行くことがなかったリーガロイヤルホテルの1Fフロアにあるギャラリーで、武蔵野美大同窓会大阪支部の方々の作品展のようです。展示作品は大きさの規定があるのでしょうか小品ばかりですが「さすが!」と感心するものばかりでした。写真撮影禁止の張り紙も退室の時に気付いたのでご無礼・・・・・。
藤田女史の作品です。


「おくのほそ道」を読み、描きしてみよう。(1) 序章・旅立(深川~千住)

2014年09月20日 | 奥の細道
 「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。 予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず、・・・・・」奥の細道の書き出しの部分です。受験勉強で丸暗記した人も多いのでは・・・・・?。ストレスの多い生活を送っていると「片雲のの風に誘われて、漂白の思ひやまず」俗世間を離れてふらりと旅に出たい願望が募るのも無理からぬことなのでしょう。しかし、当ブログのような悟りきれない卑俗な人間にはトテモじゃないけれど芭蕉翁の心境に共感などできません。
与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」に「あゝ我われダンテの 詩し才さいなく バイロン、ハイネの 熱なきも 石を抱いだきて 野のに歌う 芭蕉のさびを 歓よろこばず」と・・・。
 「あの人は枯れて飄々としている」などと言うと、なにか「褒め言葉」のようになりますが、当ブログはどうも賛同しかねるのです。

 とは言え多くの人達が共感し賛辞を送るにはそれなりの良さがあり普遍性があるのだろうから、ここは一番、秋の夜長、虚心坦懐に「奥の細道」を読んでみようと思います。そして、イメージを高めるため芭蕉翁の俳句も描いてみます。
 画仙紙寸松庵色紙(12×13.5cm)を使用します。= 色紙(24.2 × 27.3 cm)の約1/4の大きさです。= 前もって言い訳をしておくと、画面が小さいほど描くのは難しいのですが、机の上に画材道具を並べ立てるのも面倒なので寸松庵に描くことにしました。
  


序章 元禄二年 江戸・深川・芭蕉庵

草の戸も住替る代ぞひなの家
=現代語訳=戸口が草で覆われたこのみすぼらしい深川の宿も、私にかわって新しい住人が住み、綺麗な雛人形が飾られるようなはなやかな家になるのだろう
旅立 元禄二年弥生二十七日 千住
行く春や鳥啼魚の目は泪
=現代語訳=春が過ぎ去るのを惜しんで鳥も魚も目に涙を浮かべているようだ。(※弥生三月二十七日は陽暦五月一六日)
(つづく)



「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の蝉は?

2012年08月31日 | 奥の細道
「NHK夏休みこども科学電話相談」と言うラジオの番組があります。自動車に乗った時しか聞きませんが面白い番組です。質問の冒頭部分を聞けなかったので質問の内容はわかりませんが「昆虫のセミ」についての質問だったようです。回答の先生は「芭蕉の(しずけさや いわにしみいる せみのこえ)」の「セミ」が「何ゼミか?」と言うことを説明していました。
 この句は、芭蕉が山形県の立石寺で読んだものですが、山形出身の歌人・斉藤茂吉が「アブラゼミ」だと言う説を唱えると文芸評論家・小宮豊隆は「ニイニイゼミ」説を唱え、セミ論争が文学界で起こりました。岩波書店の社長・岩波茂雄がこの論争に決着をつけようと当時の名立たる文人を集めて議論をしたそうです。小宮豊隆は「ニイニイゼミ」説は「閑さ、岩にしみ入るという語はアブラゼミに合わないこと」、「元禄2年5月末は太陽暦に直すと7月上旬となり、アブラゼミはまだ鳴いていないこと」を理由にしていました。そこで、斉藤茂吉は翌年、芭蕉が句を詠んだのと同じ時期に立石寺に行くと、確かに「ニイニイゼミ」しか鳴いていなかったことから、この論争は「ニイニイゼミ」で決着したそうです。また、この句で鳴いているセミの数が論争の対象になっているようなことも聞いたことがあります。
 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
この句は、セミ論争以外にも「閑さや」の読み方にも論争があるそうです。「閑さや」=しずさや OR しずさや、「しすけさや」か「しすかさや」皆さんはどちらだと思われますか・・・・?

 山形のセミと言えば西沢周平の名作「蝉しぐれ」があります。文四郎と福が聞いた「蝉しぐれ」は「何ゼミ」だったのでしょうか?

「中国のセミ考」(ゲインズ・カンチー・リュウ)と言う本があります。著者のリュウ博士については詳しいことは分からないそうですが、中華人民共和国建国当時には既にハーヴァード大学に在籍する中国系アメリカ人のようです。この本は欧米では非常に高い評価を得ているそうです。欧米人は勿論日本人でも、しかも自然科学分野の人には「漢文・古文」また「中国の民俗・歴史」に疎く近寄りがたいものがありますが、この本(原本は英語で書かれており・Cicadas in Chinese Culture)で得難い情報を多く提供されたためです。著者自身も「一般の昆虫学者にとってはさして興味のわくものではないかもしれない。しかし、中国の科学史や中国文明に興味を持っている人にとっては、おおいに役立つであろうと自負している。これは本来中国の昆虫の歴史であるが、中国の人々を研究するには、この昆虫史は中国皇帝史よりはるかに有用であろう」と述べています。

 この本は発行部数も少なく入手は非常に困難な希少本です。Book Offで100円で売られているのを発見して購入した時は「宝くじ」に当たった喜びがありました。大変面白い本です。全文を紹介したいのですがせめて「目次」だけでも紹介しておきます。