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2025黄釈子 Blog 「My Days」by 吉住幸則

元石川銀行出資被害者原告団長の「進化」する老人、どん底人生、日々の戯言。

人生初体験

2022年04月29日 | 日記

ご覧の病室は一見、ホテル並だで、これに浴室と洗面所(一度も使用しなかったが)、立派なトイレと流しと、クローゼットが入り口の両脇にある。窓からは、正面玄関を見下ろせ、その前の広い駐車場とそのすぐ向こうに、近い将来走る新幹線用の出来上がった高架が横切っている。

手術直後のおでこには何も貼られていないが、直前には右目の印のシールと、何か横長のシールが貼られていた。大きな日赤マークのCMシールでも貼っておきゃいいのだが、それなら広告料でも頂ける。

人生初は、車椅子。そして、手術台。「黄斑上膜」の手術の都合で、水晶体に手を加えるので、ついでに白内障の手術。2つをしても、1時間少々、と説明した主治医は、先輩格の手慣れた医科大の眼科医に、あれこれおしゃべりしながら、「やってみて」などと言われて、途中で手術に参加。半分は、彼の「訓練」を兼ねている。先輩格が手術するときは実にスムーズ。

目の周り3カ所から、麻酔液を垂れ流すだけの「部分麻酔」だから、二人の会話は全部聞こえるし、不思議なことに、細い手術器具が二本、その先の形状までも、黒く浮かび上がって、液体の中でボウフラか痩せたお玉杓子のような黒い影が蠢くのを挟んだり、切ったりする操作が見えるのだ。

大きな手術室は、片側に透明のビニールカーテンで仕切られているだけのベッドが10台あまり、並んでいる。そこには、一人も患者はいなかったが、私が運ばれたのは、ガラス張りの大きな器具がある、そこも広い手術室の手術台。

まあ、何せ肌寒いし、手術がえらく長い。1時間と少し、と言われながら、その倍以上かかっている。「せんせ、おしっこをこれ以上我慢できない!」「あ、もうすぐ終わりますから、20分ほど我慢できませんか?」「できないなあ、3分か5分だ」と言ったら、周りの看護婦が大慌てて、目のところ以外、全身を覆いかぶせているシーツの下から、手術台のズボンとパンツをずり下ろして、尻の下におむつを敷いて、チンチンを摘んで器具を装着。しかし、腰が上がっているような、おしっこを垂れ流すには、一番無理な体制。漏れれば仕方なし、というわけ。

微妙な目の手術中だから、顕微鏡を覗いているような作業の細かな管が目の周りの3カ所から、突っ込まれている。体が動くのは致命的で、なんとか回復したが、まあ、この辺りでおしまいにしようと、網膜を覆っている邪魔者の除去は、最後を少し手抜きしたと思える。原因は私がおしっこを我慢できなかったせいだが、私に言わせれば、ダラダラと実験道具というか、訓練に私の手術を利用したからに他ならない。先輩格の手術は実にスムースだとわかるし、主治医はもたつく。鼻に近い方の穴が時々痛む。「痛い、痛い!」というと、麻酔液をダラダラ流す。

まあ、お陰で、手術の成功率は良くて70%、悪くて60%だな、と覚悟する。歪んで見えなくなるかどうか、半年先の運次第と覚悟するしかないが、もう、二度はゴメンだぞ。

入院した時の部屋付きのベテラン看護婦は、術後に部屋に戻ると、ご覧の紙切れに目薬を4種類置いて、明日の朝の7時から3時間置きに目薬を差せという。「自分で?」「自分で」

彼女が主治医はK M先生ですけど、手術はKB(超有名)先生です、と言ったので、非常に安心していたのだが、姿形を見なかった。隣のコーチャンの奥さんだって、つい最近、両目の白内障手術して、その日に帰ったのだが、手術はKB先生ではなく「期待外れ」だったという。

最早、ベッドを10台も並べて、短時間で一気に白内障患者の手術をするKB先生の日赤福井の「カリスマ眼科」は、昔話になりつつあるようだ。実態は違っている。そう言えば、地元悪友の金持ちだって、日赤ではなく、別のところで白内障の手術をした。みんな、今年の話なのだ。

そう言えば、入院手続きや、病室案内や担当看護婦や食事を運んだり、夜の夜勤状態や、全てが、大量の書類の上に、二度、三度の同じことを聞かされたりするし、こりゃ、福井日赤など、大勢の老人ボランティアがウヨウヨいるが、肝心な仕事は、誰もしない。術後の目のガーゼを誰も一度も交換しないし、もういいから勝手に自分でしろというばかり。で、目薬だって、「差して見てください」と側で見ていて、「あ、外れました」などという。

「そんなこと、お前に言われなくても、差した自分がわかるわい!」

何のために入院しているんだ?術後は全部自分で紙を読んで、自分でやれというのだから、片目にメガネをかけて、必死で読んで、BSも入らないテレビだし、コーヒーも飲めないし、自由にタバコも飲めない、そんな最悪な「特別室」に金を払って、入院して時間を過ごさなきゃいけない理由は、全くないと、手術後と、夕食直後からずっと眠って、朝方4時に目を覚ました私は、日赤の病室を、出ていくことに決めた。しかも、今日は祭日で、明日は土曜日。

患者を病室に詰め込んで、適当な言い訳をしておくと、平日までに病院は稼げるのだ。逃げ出した私が電話に出ないので、私のワイフに5月2日の平日に、診察に来て下さい、と看護婦が伝えたらしい。連休の合間の、唯一の平日だが、ごめん被る。

手術と術後の目薬を貰ったら、もう、こんなところに用はない。

万が一、術後の経過が悪化して(確率は非常に低い)どうしようもなかったら、他の眼科にかかって、大いに福井日赤眼科の低能ぶりを吹聴しよう。

まあ、それにしても、日赤の他も同様だろうが、入院のシステムや病院の運営は、全体で、かなり問題がありそうだ。だから、あんなに長く待たされ、待合室に大勢が屯しているのだ。

眼科のカリスマ有名先生も、他でアルバイトして、せっせと大金を稼いでいるのかもしれない。私の推測は、かなり当たっているぞ。


日赤逃亡

2022年04月29日 | 気象

2022年4月29日(金曜日)昭和の日:午前11時30分  [  8c/19c/90%  ]{getup0400}  曇りのち雨

雨が降り出したのは、午前11時頃。何せ祭日だから、日赤も静かで人の気配はわずか。5階の5211号室という特別室を後にしたのは、ちょうど午前9時。朝一番にやってきた夜勤病室担当の看護婦に、2度、10時には退院するから段取りして、と言いおいたが、主治医の許可がないと、などと言う。

無論、そんな常識を百も承知だが、1分だって長居したくない私は、着替えて、時間外では入り口から、勝手の飛び出し、たった1台待っていたタクシーに飛び乗って帰宅した。

9時30分から同じ階の処置室で 眼科の主治医の術後の診察があると言われて、一瞬、迷ったが、自分と福井医科大のベテラン先輩と二人で手術したのだから、状況は理解しているし、検査は痛いし面倒だし、それに左右される結果の処置はない。眼科の治療は手術と点眼、それ以外に方法がない。あとは自然治癒。無駄だ。

4種類の目薬は、詳しい点眼表とともに、術後の部屋に用意されて、ベテラン看護婦から説明を受けている。今後は、その点眼患者に徹すればいいのだし、不自由な入院生活など続ける必要がない。

私は信じがたいほど心の弱い、気ままでわがままな老人患者なのだ。たとえ片目になってしまったとは言え、こんな所には、1分も居たくない。逃げ出した!

あっという間に帰宅して、初体験ばかりの入院手術の短期間の出来事の詳しいことは、後で書くが、帰宅すると、バタバタと3組の来客が有って、おしゃべりしっぱなし。あきれ返って怒っていたワイフの携帯に、日赤から連絡が入って、ようやく、ワイフも落ち着いた。

患者のための、病院なのだ。病院のために患者がいるわけではない!

支払い? そんなものは、必ず、請求書が来る。心配ない。