元気なうちに、階段やトイレに手すりをつけたり、段差を低くしたりするのは、必ず老化する我が身の身体能力の衰えを補って、少しでも人の手を借りずに、自己意思で動けるように考えているからだが、いいか悪いかは不明だ。
私はなるべく、身の回りから「重いもの」は軽いものに切り替えるように心がけている。出来ないものには、台座をつけて台座にローラーをつけておくと、移動に便利だ。石油ストーブや扇風機だって、軽くて小型がいい。出し入れに不自由しない。身の回りには、何だってあるし、動かしたり持ち上げたりする必要のあるものがいっぱい。
自分の筋力の衰えを考えると、簡単で便利な道具さえ必要になる。
ただ、それが進むと、楽だから、逆に筋力の衰えが進む、とも考えられる。バリアフリーの家にしたから安心なのではなくて、意外に元気な老人は家の中、危険だらけ。それを苦労して生活しているので、元気でいる、とも考えられる。バリアフリーは車椅子生活になって、値打ちがある、という面も有り得る。
便利な世の中になればなるほど、それが当たり前で育つ子供たちが「やわ」になるのは、極めて簡単な算数に他ならない。
その意味では、簡単な手順を、逆に複雑にして、一手間もふた手間もかけて日常を過ごす方が、脳細胞は衰えずに済むのかもしれない、というのが、最近の私の命題だ。
いや、簡単な話なんだ。5枚の皿を拭く時、一枚拭いて棚に運び、を5回繰り返す。普通、5枚拭き終えて、重ねて一度に棚に戻すだろう? 面倒臭いし時間がかかるから、より合理的な方法を選ぶ。で、老人に時短は必要ないし、同じ動作を繰り返すことで、作業は確実で、しかも軽い運動にもなる。違う?