昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

勇壮な秋の大祭 坊勢島(一日目(1)) 1回/23回

2006-12-13 04:57:55 | 20瀬戸内海・兵庫県・家島群島
2006.11.03~05までクラブツーリズム(株)主催の「加藤庸二氏の島歩きの学校2006 勇壮な秋の大祭 坊勢島」に出掛けた。
今回は、23回の連載となる。

今回出掛けた家島群島は、家島、男鹿島(たんがしま)、坊勢島、西島の4つの有人島と無人島からなる群島である。

今回行った島々の概況は、次のようになっている。

家島は、姫路市の南西18kmの播磨灘にある家島群島の中心島。六甲山地の隆起に伴う播磨灘西部の沈降によって残った山頂部で、溺れ谷によって海岸線は変化に富み、奥深く湾入しているため、天然の良港となっている。古くは『播磨国風土記』に「人民家を作りて居りき。かれ、家と号く」とあり、島名の由来といわれている。また、「伊刀島」とも記されていた。『万葉集』にも詠まれている。明治の終わりから男鹿島・西島で切り出される石材の運搬業・造船業が盛んになり、今では数多くの499トンクラスのガット船・貨物船が停泊する基地となっている。島の周囲は絶好の釣り場として多数の太公望でにぎわう。

男鹿島も姫路市の南西18kmの播磨灘に浮かぶ。家島群島の主産業である採石業の作業所が多く所在する島。島全体が花崗岩質のため古くから採石業が盛んで、就業者のほとんどが採石業に従事している。夏季には京阪神からの海水浴客でにぎわう。昔、雄鹿と雌鹿海を泳いでいて雄鹿が泳ぎ渡った島ということで男鹿になったといい伝えられている。

坊勢島は家島の南西1.5kmにある。人口は家島に次ぎ、群島では唯一、人口の増加を示している。天然の好魚場に恵まれ漁業が盛んだ。島内からは2億年前の漣痕化石が発見されている。883年、比叡山のお寺から覚円という僧侶が配流され、弟子数十人が師の覚円を慕って島に来住したことから島名がつけられたという。全国でも屈指の漁業集落で、漁業協同組合の方針もあって若い後継者がたくさんUターンしている。集落内は家の屋根の上に道路が走っていると見紛うほど密集しているが、これが逆にこの島の魅力となっている。

西島は姫路市の南西18kmの播磨灘に浮かぶ、家島群島の中で最大面積を持つ島。縄文・弥生時代の遺跡も出土している。明治末期には旧陸軍の火薬貯蔵庫がおかれた。今は男鹿島と同じく採石の島で、作業場の周辺に採石業者の家屋が点在する。県の野外活動施設(母と子の島)がある。

出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から