昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(三日目(1)) 13回/21回

2007-01-19 04:48:14 | 48瀬戸内海・山口県・周南諸島
今日で三日目である。何か最近の旅行では、三泊四日しないと短い気がする。いよいよ最終日である。天気は良い。ホテルの窓から笠戸島とはなぐり海水浴場を展望し、


(宿泊した笠戸島ハイツ)


(はなぐり海水浴場と笠戸島)

一日目と同じジャンボタクシーに分乗し、島内散策に出掛けた。最初の下車地は「笠戸島家族旅行村」である。
運転手さんにそこからの風景の説明を受けた。昨日宿泊した笠戸島ハイツと笠戸大橋も見ることができた。


(展望できた笠戸島ハイツと笠戸大橋)

また、新笠戸ドックから寄贈された大きなプロペラと錨が展示されてあった。


(新笠戸ドックから寄贈された大きなプロペラ)

空を見上げると面白い模様の雲が見えた。


(面白い模様の雲)

更に、島の奥へと進むと新笠戸ドックが見えてきた。


(新笠戸ドック)

周りを半周して戻ってきた。途中の郵便局に寄って、いつものように風景印をもらう人がいた。
その時、我々は「にっぽんの島をあるいている」と言うと郵便局長が中国新聞に書かれている「笠戸島の歴史」のコピーをいただいた。国民宿舎大城リゾートでトイレ休憩をし、笠戸大橋を渡り、一路、宮島へ向かった。


(笠戸島郵便局)


(国民宿舎大城リゾート)


(笠戸大橋)
(写真撮影:2006.11)

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(二日目(6)) 12回/21回

2007-01-18 05:27:26 | 48瀬戸内海・山口県・周南諸島
昨夜遅く五島列島福江島の「へとまと祭り」から帰ってきました。
2日間の携帯からの投稿の文章、写真を訂正しました。

では、また、周南諸島の続きを投稿します。

また、石丸好助翁の銅像があった。この人は、明治末期からカムチャツカ半島沖の北洋漁場を開拓し、のちに小瀬戸橋など郷土の発展に尽力したこととのこと。


(石丸好助翁の銅像)

粭島小学校、粭大島漁港を見ながら行くと「ふくのモニュメント」があった。


(粭島小学校の先生と生徒 全員?)


(粭島小学校)


(粭大島漁港)


(ふくのモニュメント)

その時に、小瀬戸橋があり、本土とつながっていたが、雨が降りそうになったので、橋を渡らずに港へ戻った。粭島を出て、徳山港へ向かう途中にたくさんの備蓄タンクが見られた。昨日まで出光丸が停泊していたとのこと。見られず、残念であった。


(たくさんの備蓄タンク)

徳山港に着くと今夜の宿「笠戸島ハイツ」のマイクロバスが迎えに来ていた。マイクロバスに乗車して、笠戸大橋を渡り、「笠戸島ハイツ」に着いた。
早速、大きな風呂に入り、ノンビリと過ごし、夕食となったが、昼食を食べ過ぎてお腹が空かない。しかし、夕食会場に出向くと外には木にイルミネーションが点灯されており、12月という情緒が感じられた。


(木に点灯されたイルミネーション)

座り、飲み始めると出される「ヒラメづくしの夕食」をドンドンと皆食べ始めた。人間という者は食べることに対して飽きないようである。


(ヒラメづくしの夕食の一部 まだまだ出ました)
(写真撮影:2006.11)


海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(二日目(5)) 11回/21回

2007-01-15 03:40:48 | 48瀬戸内海・山口県・周南諸島
大津島の表側を回り、灯台がある島を見ながら、次に、粭(すくも)島へ上陸した。


(灯台がある島)




(粭島へ上陸)

上陸したら、丁度、小学校の校外マラソンが行われていた。


(小学校の校外マラソン)

公民館、貴船神社などの島内散策をしていると板張りの立派な家やレンガ塀や土塀が見られた。


(貴船神社)


(板張りの立派な家)


(レンガ塀)
(写真撮影:2006.11)

なお、今日から2泊3日で長崎県五島列島の福江島へ「へとまと祭り」を見に行ってきます。
現地からの投稿になります。ご期待ください。

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(二日目(4)) 10回/21回

2007-01-14 04:27:14 | 48瀬戸内海・山口県・周南諸島
昼食後、大笑い観音、津久見浜海水浴場へと出向いた。なお、大笑い観音の笑い顔は、昼食を食べた旅館の女将さんの笑い顔に似ていた。


(大笑い観音)


(津久見浜海水浴場)

その海岸からは昨年訪ねた祝島を見ることができた。


(昨年訪れた祝島)

港の近くにある野島小中学校は、ユニークな学校で、本土の小中学生が渡船で島へ学区外通学する制度が開始されていて、島の自然や知恵を教育の場に生かす試みがされているとのこと。


(野島小中学校)

チャーター船に乗り込もうとしていたら、案内いただいた西山商店の奥さんが見送りに来られた。定期船が着いたので、郵便物の配達をしている途中とのことであった。


(案内いただいた西山商店の奥さんのが見送り)

色々とやっておられるようだ。また、漁港を出掛けた時、昼食を食べた旅館の女将さんも見送ってくださった。


(昼食を食べた旅館の女将さんも見送り)
(写真撮影:2006.11)

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(二日目(3)) 9回/21回

2007-01-13 03:38:43 | 48瀬戸内海・山口県・周南諸島
その後、万巧寺へ出向き、そこからの景色は素晴らしかったし、家並みを見ても昔の繁栄が偲ばれた。




(万巧寺)


(昔の繁栄が偲ばれる家並み)

昼食前に、昔懐かしい路地を抜けながら、島内散策を続けた。矢立神社、中学校跡地、野島漁港などを回って、昼食場所の松本旅館に着いた。


(昔懐かしい路地)


(野島漁港)


(矢立神社)

ここの昼食はフルコースの夕食のようなボリュームが出てきた。さすがに完食できなかった。また、ここの女将さんは後で行った大笑い観音さんのように笑顔の人だった。


(夕食のようなフルコースの昼食)
(写真撮影:2006.11)

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(二日目(2)) 8回/21回

2007-01-12 04:26:20 | 48瀬戸内海・山口県・周南諸島
大津島の裏側、昨日、出向いた本浦の方を見ながら、チャーター船は、野島へ向かった。途中、昨日見た人間魚雷「回天」発射基地跡も沖から眺めることができた。


(海上から見た人間魚雷「回天」発射基地跡)

野島へ上陸したが、人口220人くらいの島なのに、珍しく多くの人とすれ違った。


(野島上陸)

野島歴史文化資料館に行くことになり、連絡を取ると西山商店の方へきてくれということで、島に1軒しかない店に出掛けた。そこの奥さんが資料館の管理をされていて、案内いただくことになった。


(案内いただいた西山商店の奥さん)

しかし、商売をされているので、どうするのかと心配したが、店を閉めて案内いただき恐縮した。その資料館は、奥さんの実家で、空家になっていた古い木造家屋を利用して、民具や漁具をはじめ、野島の風物を記録した昔の写真などが展示されていた。


(野島歴史文化資料館)




(館内の展示品)


(昔の島の風景)

昨年の7月頃に「田舎に泊まろう」という番組で間寛平さんが来たとのこと。いつも見ているのに、残念ながらその番組だけは見ていなかった。丁度、粟島・飛島へ出掛けたときか?
(写真撮影:2006.11)

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(二日目(1)) 7回/21回

2007-01-11 04:44:26 | 48瀬戸内海・山口県・周南諸島
翌日は、朝から快晴で、空が黄金色になる中、太陽が出てくるのを久しぶりに見た。


(黄金色の空から出てくる太陽)

また、黒髪島との間の海峡に潜水艦のような形をした岩を見ることができた。


(潜水艦のような形をした岩)

食後、出発までの間、近くを散策したが、神社や市役所の支所や診療所などがあった。今日一日、チャーター船での移動である。フェリーが出港した後に、接岸された。


(地元の厳島神社)


(出港するフェリー)


(今日一日乗るチャーター船)

出港すると直ぐに黒髪島に着いたが、ここは、採石会社の社有地と言うことで、昨日まで、責任者が不在で、上陸が心配されたが、会社の許可をもらっての上陸であった。


(黒髪島)

黒髪御影石は、青みがかった灰白色で磨くと光沢が出るとのことで、墓石や灯篭などに使用されている。


(黒髪御影石)
(写真撮影:2006.11)

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(一日目(6)) 6回/21回

2007-01-10 04:59:15 | 48瀬戸内海・山口県・周南諸島
また、道端には、産出された御影石が積み上げられていた。


(積み上げられた御影石)

1時間ほど歩いて宿に到着した。


(宿泊した民宿すえひろ荘)

島旅仲間と郵便局を探しに出掛けることにし、宿の車を借りて、峠を越え、島の裏側にある本浦地区へ出掛けた。お宮さんの鳥居の横に郵便局があり、切手に風景印をもらう人もいた。


(本浦郵便局)

その前に立派な校舎があったが、元は中学校であったが、馬島地区に統合され、現在は、デイケアセンターとして活用されていた。


(元は中学校の校舎、現状はデイケアセンター)

光満寺やお宮さんもあった。


(光満寺)

その後、瀬戸浜地区へ出向き、大阪城築城の際、毛利氏が運んだ石垣材の残石や十人墓(1748年大津島沖で遭難死した黒田藩御用船の10人を住民が手厚く葬った墓)を見て、宿に帰ってきた。


(大阪城築城の際の残石)


(十人墓)

夕食は、地元で獲れた魚介類がたくさん出てきて、食べ切れなかった。


(民宿で出された夕食)
(写真撮影:2006.11)

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(一日目(5)) 5回/21回

2007-01-09 04:27:21 | 48瀬戸内海・山口県・周南諸島
次に、人間魚雷「回天」の発射訓練基地跡へ向かったが、まだ雨は降り続いていた。トンネルに入ると道路面に2本のコンクリートで固められたものを見た。これが回天を発射基地に運搬するための線路跡であった。


(回天運搬用のトンネル)


(回天を運搬する線路跡)

トンネルを出ると海上に突き出た人間魚雷「回天」の発射訓練基地跡のコンクリートの建物が見えてきた。


(人間魚雷「回天」の発射訓練基地跡)

行ってみると金網越しではあるが、当時のまま残されている発射台を見ることができた。ここで色々な訓練がされたとのこと。回天による戦没者は、搭乗員、整備員他145名、平均年齢は21.1歳とのこと。


(回天発射台跡)

人間魚雷「回天」の発射訓練基地跡を見た後は、定期船で馬島港から大津島の別の港である刈尾港へ行く予定であったが、雨も止んできたので、歩くことにした。大津島小学校を横に見ながら、海岸線を歩くと生徒が植えた花壇が各所にあった。また、板塀、瓦葺の家が点在していた。


(板塀、瓦葺の家)

途中に「椿の巨樹」という看板があったので、少し山道に入って見に行ったが、付近にはそれ以上の看板もなく、多分、これだろうと言う事にして帰ってきた。


(ヤブツバキの巨樹?)
(写真撮影:2006.11)

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(一日目(4)) 4回/21回

2007-01-08 04:46:30 | 48瀬戸内海・山口県・周南諸島
我々は、祖国と愛する者たちのために自らの命をかけた彼らの想いを後世に語り継いでいく必要性を痛感した。更に、坂道を登っていくと「回天記念館」に着いた。門を入ると道の両側に烈士の石碑が並んであった。


(両側に烈士の石碑が並んであった)


(烈士の石碑)

回天記念館の入口の右側には、回天の原寸模型が展示してあった。




(回天記念館の入口の右側に展示されている回天の原寸模型)

また、館内では、回天の開発経緯や訓練の話を聞き、そのことを纏められたビデオ「時代の証人 ~伝え語らん回天の心~」を見た。


(見たビデオ「時代の証人 ~伝え語らん回天の心~」)

その後、館内で遺品などの説明を受け、烈士の遺影や回天に関する色々な資料を見た。


(館内で遺品などの説明を受ける)




(展示されている烈士の遺影や回天に関する色々な資料)
(写真撮影2006.11)