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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 50回目

2013-11-06 04:30:00 | 22瀬戸内海・岡山県・日生諸島
今度は、反対側の海岸線に沿って散策をしました。


(反対側の海岸線を散策)

プレジャーボートが係留されていました。別荘へ来るのに使っているのでしょうか。


(プレジャーボートが係留)

少し進むと壁に「宿」と書かれた建物がありました。民宿でしょうか。


(民宿)

玄関には、色々なものが飾られていました。


(玄関には)

その先には、特に、建物もなく、戻ることにしました。


(戻ることに)

桟橋には、先ほど見た「面白い形の船」が接岸していました。車専用のフェリーでした。


(面白い形の船)
(写真撮影:2013.07)
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岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 49回目

2013-11-05 04:30:00 | 22瀬戸内海・岡山県・日生諸島
道路脇に車が駐車していましたが、たぶん、廃車ではないと思いますが、ナンバープレートがありませんでした。お巡りさんがおられない島では、見られる光景ですね。


(ナンバープレートない車)

少し島内散策をしました。海岸線に沿って歩いてみました。近くには、建物がありましたが、先に行くと少なくなりました。


(海岸沿いに島内散策)

先の方に、分別回収用の大きなごみ箱がありました。ここまで、皆さん、捨てに来るのでしょうか。それとも別荘に来た帰りに立ち寄るのでしょうか。


(分別回収用の大きなごみ箱)

その横にも車が置かれていました。よく見ると「青空駐車禁止」と書かれていましたが、守られないようですね。


(車が放置)

また、港の桟橋へ戻ることにしました。


(港の桟橋へ)

港に戻ると桟橋に車が、後ろ向きに駐車していました。そこへ向かって、船が近づいてきていました。車専用のフェリーのようです。


(車専用のフェリー)
(写真撮影:2013.07)
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岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 48回目

2013-11-04 04:30:00 | 22瀬戸内海・岡山県・日生諸島
チャーター船は、岸壁に接岸して、下船するとすぐに離れていきました。


(チャーター船はすぐに離岸)

上陸して、歩き始めると「ようこそ鴻島へ」という看板がありました。ここで、鴻島の概要を書きます。鴻島は、日生の南4kmにある島。急峻な山地が海岸に迫り、平地は少ない。延宝7年(1679)に岡山藩の馬牧となり、元禄11年(1697)には流刑地に指定されて永く無人になっていたが、昭和5年に頭島から18世帯が入植、開拓が始まり、葉タバコ栽培などが営まれた。ゆるやかな丘陵地にはミカン園が広がっており、秋にはミカン狩りの客でにぎわう。また数件の民宿、驚くほどの数の別荘地がみられ、春から夏にかけては京阪神地方から家族づれや若者たちが来島する。古くは甲島とも香島とも表され、鴻がよく飛来したといわれている。


(案内板)

海を眺めると午前中に渡島した頭島と鹿久居島に架かる頭島大橋が見えました。


(頭島大橋)

定期船の待合所がすぐにありました。


(定期船の待合所)

周りを歩いてみるとよく島ではみられる「ナンバープレートのない車」がありました。放置車でしょうか、使われているのでしょうか。


(ナンバープレートのない車)

沖合を見ると面白い形の船が航行していました。何の船でしょうか。


(面白い形の船が)
(写真撮影:2013.07)
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岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 47回目

2013-11-03 04:30:00 | 22瀬戸内海・岡山県・日生諸島
少し奥に向かいましたが、竹やぶの中にタヌキの置物がありました。


(タヌキの置物)

ここには、「キリシタン記念碑」があると聞いていたので、先に進もうと思いましたが、段々と竹やぶが深くなっていき、道がわからなくなったので、戻ることにしました。


(さらに奥へ)

戻ってくるのにも道がわからなくなりそうで、心配でしたが、海が見えて、一安心しました。


(海が見えて)

岸壁に戻る途中に、設備跡がありました。どうも酸素ボンベのための設備跡のようですね。


(酸素ボンベのための設備跡)

チャーター船に乗り込み、次の島、鴻島に向かいました。


(さようなら鶴島)

鴻島が見えてきました。たくさんの別荘が見られます。


(鴻島)
(写真撮影:2013.07)
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岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 46回目

2013-11-02 04:30:00 | 22瀬戸内海・岡山県・日生諸島
島の奥へ向かうことにしましたが、道には、笹が覆いかぶさっていて、這うようにして向かいました。


(道に覆いかぶさる笹)

小屋が見えてきました。


(小屋が)

石垣で囲まれた井戸がありました。


(石垣で囲まれた井戸)

運搬用に使われたと思われるトラクターがありました。


(運搬用機器)

先ほどの小屋の中を見ると色々なものが残されていました。




(小屋の内部には色々なもの)
(写真撮影:2013.07)
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岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 45回目

2013-11-01 04:30:00 | 22瀬戸内海・岡山県・日生諸島
鶴島に到着して、壊れかけている船着場から上陸しました。


(鶴島へ上陸)

上陸すると1軒の家がありました。ここで、いつものように、鶴島の概要を記載します。鶴島は、日生の南東約6km、鹿久居島の南500mにある島。丘陵状の小島で高台からは小豆島、兵庫県家島群島が眺望できる。江戸時代までは無人島だった。明治2年、わが国最後のキリシタン大弾圧「浦上四番崩れ」により長崎浦上村のキリシタン117人が流され、禁教令廃止までの2年半この島の開墾に従事、改宗を迫られた「キリシタン流刑地」として知られ、キリシタン迫害史上、決して忘れてはならない島の一つである。現在は地元のカトリック教会によって殉教者碑や十字架が建立されている。太平洋戦争開始前後に個人の所有となり、入植によってミカン畑などが拓かれ、民宿が1軒だけ営まれていたが、平成2年に島を離れ、現在では無人島になっている。


(1軒の家が)

その家に向かう前に、反対側の海岸線を歩いてみました。白い三角形の目印がありました。海底を使っての電気か、水の送水でしょうか。人が住んでいた証ですね。


(白い三角形の目印)

その先は、特に、見るものが内容で、海岸線が続いていましたので、1軒屋に向かうことにしました。


(海岸線が続く)

1軒屋を支えているコンクリートの柱には、崩落する恐れがあるので、「危険」という注意書きがされていました。


(危険という注意書き)

家の中をのぞいてみましたが、本当に床が落ちそうでした。


(家の中)
(写真撮影:2013.07)
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岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 44回目

2013-10-31 04:30:00 | 22瀬戸内海・岡山県・日生諸島
チャーター船の約束時間になったので、桟橋で待っていましたが、チャーター船はやってきません。電話で確認したら、少し遅れて、申し訳ないが、今、向かっているとのことでした。急ぐたびでもないので、10分ほど待ちました。


(大多府島の桟橋)

待つ間、桟橋から海を見ていると「クラゲ」がノンビリと浮かんでいました。のどかですね。


(クラゲ)

チャーター船が到着しました。クルーザーです。これに一人で乗ります。


(チャーター船が到着)

早速、乗り込みました。


(乗り込み)

チャーター船は速いスピードで大多府島を離れていきました。


(さようなら大多府島)

向かったのは「鶴島」です。その鶴島と大多府島の間に何か工事がされていて、大きな建造物が海にありました。船長の話では、この施設は、潮の流れを妨がずに波だけを消すために、細長い長方形の大きな鉄の箱をいくつか繋げて海底に係留したものとのこと。これによって、ここに「海の牧場」を作るとのことでした。


(海に大きな建造物)
(写真撮影:2013.07)
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岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 43回目

2013-10-30 04:30:00 | 22瀬戸内海・岡山県・日生諸島
振り返ると大多府燈籠堂が大きく見えました。


(大多府燈籠堂)

自然研究路を進んで行きましたが、道がよく分からなくなりました。時間的なこともあり、戻り途中から集落の方へ向かうことにして、来た道を戻りました。しかし、中々、集落への道がわからず、大分戻って、やっと、下る道がわかりました。下の方に集落が見えて、ホッとしました。


(下の方に集落が)

戻ってきて、狭い道を歩いていきました。


(狭い道を)

鉄筋2階建ての建物がありました。なんの建物でしょうか。その横に火の見櫓のようなものもありました。


(鉄筋2階建ての建物)

港の近くに戻ってくると消防団の倉庫がありました。


(消防団の倉庫)

チャーター船を予約していて、待っていると「元禄防波堤」が見えました。この防波堤は、元禄年間、岡山藩主池田綱政の命で津田永忠が閑谷学校の石塀の技術をもって造ったもので、諸藩の参勤交代の寄港地として賑わったようです。


(元禄防波堤)
(写真撮影:2013.07)
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岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 42回目

2013-10-29 04:30:00 | 22瀬戸内海・岡山県・日生諸島
「大多府島より瀬戸内展望」と書かれた案内板がありましたが、そこからは、展望はききませんでした。


(「大多府島より瀬戸内展望」と書かれた案内板)

自然研究路を進みました。


(自然研究路を)

3つも並んだ石仏もありました。


(3つも並んだ石仏)

少し展望がきき、海が見えるところもありました。


(少し展望が)

海を背にする石仏もありました。


(海を背にする石仏)

「勘三郎洞窟」と書かれた看板もあり、少し下りかけましたが、時間的なこともあり、戻って、自然研究路を進みました。


(下に勘三郎洞窟が)
(写真撮影:2013.07)
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岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 41回目

2013-10-28 04:30:00 | 22瀬戸内海・岡山県・日生諸島
今度は、海が見えてきました。海が見られるのは、島に来ていることを感じますね。


(海が)

歩いていると新しい石仏がいくつも出てきました。


(新しい石仏)

道端には、小さな花が見られました。


(小さな花)

視界が開けて、海が広く見ることができました。


(海が広く)

大きな建物が出てきました。こんなところにと思いましたが、自然研究路を整備するために作られたトイレでした。


(トイレ)

いくつも石仏がありました。


(石仏)
(写真撮影:2013.07)
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