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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 30回目

2011-02-06 04:30:00 | 45瀬戸内海・山口県・柱島群島
歩いて行くと高台には、新しい家も見受けられました。


(新しい家)

大きな建物がありました。柱島診療所と柱島供用会館でした。この診療所には、常駐の医者はおられないようです。


(大きな建物)

港へ戻ってくると木の船にたくさんのミカン箱が積まれていました。さすが、ミカンの産地ですね。そういえば、最近、木造船はあまり見ないですね。


(木の船にたくさんのミカン箱)


(ミカン箱)

到着したときに、水揚げをしていた魚船は、水揚げを終わっていました。皆さんがそろい、時間になったので、柱島を後にして、次の島へ向かいました。


(水揚げを終わった漁船)


(さようなら柱島)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 29回目

2011-02-05 04:30:00 | 45瀬戸内海・山口県・柱島群島
その横で、何か作業をされている人がおられました。お話を聞いたところ、レンコンを掘っておられました。関東のレンコンと関西のレンコンは、歯ごたえが違います。最近は、私は慣れたのか、シャキシャキ感がある関東のレンコンが好きになりました。


(レンコン抜きの作業)

アロエの花が咲いていました。暖かいのでしょうか。


(アロエの花)

港に近くに戻ってくると網が張られて、何か、魚が干されていました。よく見ると「デベラ」でした。干されると非常に硬い干物になり、金槌で柔らかくなるまでたたき、ちょっとあぶると簡単に身がはがれるので、マヨネーズ・七味唐辛子・醤油をつけたりして食べます。私は、醤油で食べるのが好きです。しかし、関東ではあまり見かけませんね。皆さんは、食べたことがありますか。




(デベラ)

建物に標語が掲げられていました。土地の名前を頭にした標語でした。面白いと思いました。「いわくに運動」です。


(土地の名前を頭にした標語)

港へ戻ってきましたが、集合時間までに少しあったので、反対側へ向かってみました。


(港へ戻ってきました)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 28回目

2011-02-04 04:30:00 | 45瀬戸内海・山口県・柱島群島
もう1つのお寺へ向かいました。蔵がある大きな家々がありますね。


(蔵がある大きな家)

善立寺の甍が見えてきました。しかし、近づいていく道が分かりませんでした。


(善立寺の甍)

そのまま歩いて行くと急に前が見通し良くなりました。港がよく見えます。


(急に開けて、港が見える)

先から登れるかと思いましたが、どうも違うようで、引き返しました。行くときには、気が付きませんでしたが、朽ちた青年会館と書かれた家がありました。青年はほとんどいなくて、だいぶ使われていないようですね。


(朽ちた青年会館)

やっとお寺への細い道が見つかり、登って行きました。善立寺です。赤禰武人が潜伏し捕らえられた寺とのことでした。


(善立寺)

港へ戻ろうと坂道を下っていると面白い形の車がありました。島では、よく見る車です。

(面白い形の車)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 27回目

2011-02-03 04:30:00 | 45瀬戸内海・山口県・柱島群島
お寺へ向かうべく、細い道を登り始めましたが、なかなかお寺が見えてきませんでした。この道でよかったか少し心配しましたが、お寺が見えてきました。


(お寺が見えてきました)

そこは、西栄寺というお寺でした。後で、「赤禰武人の墓」があると聞きました。赤禰武人(あかねたけと)とは幕末に高杉晋作らと奇兵隊を結成し、奇兵隊総督にまでなった人で、この島の出身のようです。その後、高杉ら倒幕急進派と対立、幕府のスパイとの嫌疑をかけられ長州藩によって斬首処刑された方のようです。したがって、実際には、見ませんでした。




(西栄寺)

本堂は、立派なものでした。


(本堂)

西栄寺を後にして、集落散策へ向かいました。


(集落散策へ)

道路沿いの鉄作にダイコンが干されていました。あちらこちらでこの風景を見ることができました。日が当たるところに干せるので便利ですね。


(ダイコン干し)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 26回目

2011-02-02 04:30:00 | 45瀬戸内海・山口県・柱島群島
柱島へ早速、上陸しました。


(柱島へ早速、上陸)

ここでも、岸壁に接岸した船から水揚げ作業が行われていました。何を獲ってきたのでしょうか。


(水揚げ作業)

上陸すると添乗員さんが示す時間までに帰って来ないとならないので、各自、バラバラに行動を開始します。まず、よく行くのが、郵便局です。珍しく港の近くにありました。


(まず、郵便局へ)

その他の人は、戦艦陸奥英霊之墓へ向かう人やお寺へ向かう人や小中学校へ向かう人など、皆さん、好きに行動しています。港の近くにJAの建物がありました。ここの集落は港に集約されているようです。


(JAの建物)

私は、戦艦陸奥英霊之墓へは非常に遠いと聞いていましたので、お寺へ向かうことにしました。昭和18年6月8日に、戦艦陸奥が柱島南西沖約2kmの地点で謎の爆沈を遂げ、死者・行方不明者は合わせて1,121人にも及んだ。その後原因究明がなされたが、未だ真相は不明とのことでした。後で聞いた話ですが、戦艦陸奥英霊之墓へ行った方たちは、ダラダラ坂が長く続き、遠く、帰りが上り坂で大変だったと言われていました。こんなときには、事前に調査して、車を旅行会社は、準備しておくべきだとの要望も出ていました。


(戦艦陸奥英霊之墓への方向)


(お寺へ向かうべく、山の方へ)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 25回目

2011-02-01 04:30:00 | 45瀬戸内海・山口県・柱島群島
定期船が近づいてきました。桟橋に接岸し、下船客と荷物を降ろして、乗船客を乗せるとすぐに出発していきました。非常に機敏な動作ですね。島での関係者が見送っていました。


(定期船が接近)


(すぐに出航、見送る関係者)

集合時間が近づくと皆さん、チャーター船の周りに集まってきました。


(皆さん、集まってきました)

チャーター船に乗り、端島を離れました。どんどん島影は遠ざかって行きました。




(さようなら端島)

そう時間がかからないで、柱島へ到着しました。今日の5島目です。


(柱島へ到着)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 24回目

2011-01-31 04:30:00 | 45瀬戸内海・山口県・柱島群島
がさ藪の中を戻りました。そして、山の上の方から「蛇の池」を見ることにしました。登り始めるときれいな紅葉を見ることができました。こちらは遅いですね。


(がさ藪の中を)


(きれいな紅葉)

どんどん登って行きましたが、池は全然見えず、見えてきたら、池かと思いましたが、先ほど見た裏側の海が見えるところまで来てしまいました。


(裏側の海が見えるところ)

戻る途中から小中学校の裏にある小さな池を見ることができましたが、「蛇の池」とは思えませんでした。


(小中学校の裏にある小さな池)

集落へ戻ってきました。仲間でその後ろの山へ向かっている人もいました。しかし。何もないと帰ってきました。


(集落へ戻ってきました)


(その後ろの山へ)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 23回目

2011-01-30 04:30:00 | 45瀬戸内海・山口県・柱島群島
学校で突当たりとなっていましたので、戻ることにしました。遅い人たちとすれ違いました。


(来た道を戻る)

島には、いつもネコがたくさんいますが、近づくと逃げていくネコが多いのですが、この人は、動物に好かれている方で、このネコは、近づいてきました。


(近づいてきたネコ)

色々な伝説がある「蛇の池」へ行こうということで、帰る途中から、左に曲がりました。「蛇の池」は島のほぼ中央部のくびれた個所にある池で、周囲には木立と湿地が広がり、神秘的な雰囲気を漂わせていて、その昔、島民が、この池のほとりで大蛇を退治したという伝説が残されているようです。また、平郡島の「蛇の池」と底がつながっているという伝説もあるようです。途中に地元の方がおられて、「蛇の池」についてお聞きしたところ、このまま行ってもがさ藪になっていて、見られないと言われました。裏山へ行くようにと言われました。


(「蛇の池」へ)

そこに、仲間が一人の人とやってきました。「蛇の池」へ案内してもらうとのことでした。私は、付いていくことにしました。しかし、最初の方が言われたようにがさ藪の中から池らしいものが見えましたが、本当かどうかは定かではありません。


(がさ藪の中から「蛇の池」?)

そのまま歩いて行くと、裏側の海に出てきました。


(裏側の海)

そこから少し前に渡島した前島が見えました。


(少し前に渡島した前島)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 22回目

2011-01-29 04:30:00 | 45瀬戸内海・山口県・柱島群島
海沿いの道を港の西側へ向かうと端島神社がありました。市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命の三女神が祭られ、海上安全などの守護神として信仰を集めていて、境内脇には、戦時中の砲弾が置かれていました。戦争中、だいぶ、砲撃を受けたようです。




(端島神社)


(戦時中の砲弾が)

その先に、大きな建物がありました。端島小中学校です。一時、再校されていたようですが、現在は、休校になっているようです。




(端島小中学校)

校庭内には、小さいですが、二宮金次郎の石像がありました。学校の校庭には、似合いますね。


(二宮金次郎の石像)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 21回目

2011-01-28 04:30:00 | 45瀬戸内海・山口県・柱島群島
船は、途中から波が荒くなり、外にいると波飛沫をかぶるような状態になってきました。そこで皆さん、船内に入ってきましたが、狭くてギュウギュウ詰めになってしまいました。


(ギュウギュウ詰めの船内)

端島に到着して、全員下船しました。添乗員さんが集合時間の張り紙を持っていた。あまり時間がありませんでしたので、皆さん三々五々にあちらこちらへ向かって出発していきました。


(端島に到着)


(あちらこちらへ向かって出発)

足早にドンドン先へ向かって行く人もいました。


(足早にドンドン先へ)

港では、タコ壺を準備して、船に積み込んでいました。特産物のようです。


(タコ壺を準備)


(船に積み込み)
(写真撮影:2010.12)
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