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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

天草諸島の6島(熊本県全島制覇)へ島旅 67回目

2015-02-01 04:30:00 | 70天草・熊本県・天草諸島
熊本城を後にして、熊本空港へ向かいました。


(熊本城を)

熊本市内は、路面電車が走っているのですね。


(路面電車)

熊本空港に帰ってきました。


(熊本空港)

17:20発といつもよりは早い便で帰途に着きました。


(早い便で)

最近は、いつでも写真を撮影できるようになり、離陸時の撮影です。


(離陸時の撮影)

暗くてうまく撮れませんでしたが、富士山も見ることができました。


(富士山)
(写真撮影:2014.09)

今回の島旅で、熊本県の島を全島制覇することができました。
明日からは、少し違った方向をしたいと思っています。

天草諸島の6島(熊本県全島制覇)へ島旅 66回目

2015-01-31 04:30:00 | 70天草・熊本県・天草諸島
天守閣へ入っていきました。


(天守閣)

鯱や熊本城の模型が置かれていました。


(鯱)


(熊本城の模型)

城内を見物しましたが、撮影禁止のため、写真はありません。天守閣の最上階へ上りました。


(天守閣の最上階)

熊本市の中央区(水前寺公園や県庁などがある)方面が見えます。左手前の変わった建物は、県立美術館分館です。


(熊本市の中央区方面)

左端は西大手門と南大手門、正面には二の丸広場、遠方には熊本市の西方(西区)にある金峰山(標高665m)などの山々も見えます。


(正面には二の丸広場、遠方には熊本市の西方)
(写真撮影:2014.09)

天草諸島の6島(熊本県全島制覇)へ島旅 65回目

2015-01-30 04:30:00 | 70天草・熊本県・天草諸島
昭君之間の壁や襖などには中国の前漢の時代の話で、匈奴(現在のモンゴル)に嫁がされた悲劇の美女、王昭君の物語が描かれています。


(昭君之間の壁や襖)

王昭君の絵です。


(王昭君の絵)

昭君之間を出て、裏側へ向かいました。そこには、幕末から明治初期の本丸御殿の案内が書かれていました。


(幕末から明治初期の本丸御殿の案内)

ピストルなどの展示もありました。


(ピストルなどの展示)

襖絵なども展示されていました。


(襖絵なども展示)

本丸御殿の見学を終え、天守閣へ向かいました。


(天守閣へ)
(写真撮影:2014.09)

天草諸島の6島(熊本県全島制覇)へ島旅 64回目

2015-01-29 04:30:00 | 70天草・熊本県・天草諸島
2双の屏風が飾られていました。


(2双の屏風)

庭もきれいに整えられていました。


(庭もきれいに)

昭君之間(しょうくんのま)です。藩主の会見の場で、本丸御殿の中で最も格式の高い部屋です。


(昭君之間)

慶長期の特色である鉤上段を設け、室内は床の間や違棚、付書院などを持つ書院造りとなっています。






(昭君之間)
(写真撮影:2014.09)

天草諸島の6島(熊本県全島制覇)へ島旅 63回目

2015-01-28 04:30:00 | 70天草・熊本県・天草諸島
色々な展示物がありました。






(色々な展示物)

巨大な丸太を使った小屋組みの「大御台所」です。


(巨大な丸太を使った小屋組み)

4連の竈で一度に72Kgのご飯が炊けたとのことです。


(4連の竈)

大広間です。広さには圧巻ですね。


(大広間)
(写真撮影:2014.09)

天草諸島の6島(熊本県全島制覇)へ島旅 62回目

2015-01-27 04:30:00 | 70天草・熊本県・天草諸島
まず、目に入ったのは、芝生に囲いがされていました。「御裏台所跡」と書かれていました。


(御裏台所跡)

その次には、「御風呂屋跡」と書かれていました。


(御風呂屋跡)

その奥に井戸もありました。城内に120以上もあったといわれる井戸のひとつがあり、その深さは水面まで約40mもあると説明されています。


(井戸)

天守閣に登る前に、本丸御殿に向かいました。その前に大銀杏がありました。清正公が築城の際にお手植えになったと伝えられ、現在の木は、西南戦争で燃えたあとに、芽吹いた脇芽が成長したものと言われています。


(大銀杏)

その傍にあったのが、「高熱で溶けて固まった瓦や壁土」です。


(高熱で溶けて固まった瓦や壁土)

本丸御殿内に入りました。


(本丸御殿内)
(写真撮影:2014.09)

天草諸島の6島(熊本県全島制覇)へ島旅 61回目

2015-01-26 04:30:00 | 70天草・熊本県・天草諸島
田子櫓の見学を終わり、城内散策を続けました。隣の「七間櫓」です。


(七間櫓)

次に行ったのは、不開門(あかずのもん)です。この門は、城の鬼門である北東に位置し、昔の陰陽道ではこの方角は塞いでも、開け放してもいけないとされ、門は造るが普段は閉ざし、不浄なものを運ぶときだけこの門を開いたと言われています。


(不開門)

五間櫓と北十八間櫓です。


(五間櫓と北十八間櫓)

東十八間櫓です。


(東十八間櫓)

闇り通路に戻り、今度は、天守閣へ向かいました。


(天守閣へ)

天守閣に着きました。


(天守閣)
(写真撮影:2014.09)

天草諸島の6島(熊本県全島制覇)へ島旅 60回目

2015-01-25 04:30:00 | 70天草・熊本県・天草諸島
ここから見ると石垣の傾斜の違いがありますね。積み方が違うようです。


(石垣の傾斜の違い)

特別公開中の田子櫓です。櫓は古くは「矢倉」と書き、武器庫から発展したもののようです。熊本城の櫓の名称は単に大きさによって呼ばれるものや建っている方角により呼ばれるものや中には「田子櫓」のように収納していた木製の容器の名前がついた櫓もあるようです。


(田子櫓)

田子櫓の中を見学しました。「石落し」です。


(石落し)

「狭間」です。


(狭間)

お城の屋根の付け根の部分(破風飾り)が飾られていました。


(屋根の付け根の部分(破風飾り))

その説明が書かれていました。


(その説明板)
(写真撮影:2014.09)

天草諸島の6島(熊本県全島制覇)へ島旅 59回目

2015-01-24 04:30:00 | 70天草・熊本県・天草諸島
ここから本丸御殿に入っていきました。


(本丸御殿に)

地下通路になっていました。闇り通路と言われていています。


(闇り通路)

太い柱で組み立てられていますね。


(太い柱)

分かれ道のところに来ると「田子櫓 特別公開中」と書かれた看板があり、そちらへ向かいました。


(「田子櫓 特別公開中」)

両側に石垣が続いていました。


(両側に石垣)

重要文化財の櫓群が見えてきました。手前の櫓が、源乃進櫓です。


(重要文化財の櫓群)
(写真撮影:2014.09)

天草諸島の6島(熊本県全島制覇)へ島旅 58回目

2015-01-23 04:30:00 | 70天草・熊本県・天草諸島
白い壁の長い建物がありました。数寄屋丸です。主に接客用として茶会、歌会、能などを楽しんだ建物です。


(数寄屋丸)

井戸です。清正が朝鮮出兵の苦しい体験が産んだ、清正の籠城戦への備えとして城内に120以上掘られたとのこと。




(井戸)

五郎の首掛け石と言われています。熊本城築城の折、横手の五郎という怪力無双の若者が花岡山から首にかけて運んできた石と伝えられ、重さは1800kgあるようです。


(五郎の首掛け石)

宇土櫓です。宇土櫓の名前の由来は宇土の小西行長が関ヶ原で滅んだ後、小西の家臣の一部を清正が召し抱えて、櫓をこの一団に管理させたことから、こう呼ばれたのではないかと言われています。


(宇土櫓)

天守閣を横に見て、本丸御殿へ向かいました。


(城内散策)
(写真撮影:2014.09)