昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

勇壮な秋の大祭 坊勢(ぼうぜ)島(三日目(3)) 23回/23回

2007-01-04 04:32:01 | 20瀬戸内海・兵庫県・家島群島
境内の出口にお茶の花が咲いていた。初めて見た。


(お茶の花)

ドンドン行く人、ユックリと行く人とに別れた。ユックリの人は、途中から宿の車に乗って帰ったが、私は、途中、小学校やそこの生徒が描いた防波堤への絵を見ながら宿まで歩いた。


(家島小学校)


(防波堤に描かれた絵)

宿で昼食の弁当を食べ、港の近くの「どんがめっさん」を見て、真浦港から姫路へ高速船で戻った。


(どんがめっさん)

姫路駅で時間があったので、姫路城へ出向く人もいたが、私は何度か行っているので、駅近くから姫路城の写真を撮り、


(姫路城)

姫路の名物である温かい「御座候(ござそうろう)(回転焼き)」を買った。


(名物 「御座候」)
関東ではあまり知られていないが、関西では有名で、大阪の実家の近くに住んでいた叔父さんが好物で、よく食べさせてもらっていた。大変懐かしく思った。

姫路駅からのぞみ94号に乗り、帰って来た。今回も3日間良く晴れた楽しい島旅であった。
(写真撮影:2006.11)

明日からは、山口県の瀬戸内海にある周南諸島の島々を投稿します。戦時中は、海軍の秘密基地であり、人間魚雷「回天」で知られている島もあります。ご期待ください。

勇壮な秋の大祭 坊勢(ぼうぜ)島(三日目(2)) 22回/23回

2007-01-03 04:53:00 | 20瀬戸内海・兵庫県・家島群島
展望所からの眺めは、家島港を一望でき、格別であった。一同で集合写真も撮った。


(監館眺望からの眺め)

なだらかな坂道を登っていくと万体地蔵苑に着いた。丁度、檀家の奉仕作業の方々が来ていて、地蔵さんの衣服をきれいにされていた。




(万体地蔵)

本堂を見たりしていると「ぜんざい」をどうぞと接待を受けた。


(本堂)


(魚藍観世音)


(ぜんざいの接待を受ける)

何もしていないのにと言いながら、おいしくぜんざいを食べた。厚かましくみかんまで食べてしまった。お礼をいい、宿に向かって歩き始めた。
(写真撮影:2006.11)


勇壮な秋の大祭 坊勢(ぼうぜ)島(三日目(1)) 21回/23回

2007-01-02 04:23:27 | 20瀬戸内海・兵庫県・家島群島
翌日は、旅館の車に2台に分乗して、家島神社に向かった。


(分乗して島内散策へ)

急な階段があり、送ってもらった人から150段と聞いた。しかし、勘定しながら登ったが、172段あった。何故違うのか。踊り場を勘定しないのか。


(急な階段、勘定した段数が合わない)


(家島神社)

お参りし、帰りに加藤先生からムクロジの実を見せてもらった。


(ムクロジの実)

今はあまり見ないが、お正月の遊びであった羽子板の羽根つきの羽根の錘に使われているもので、羽子板をつくとカチンカチンとよく響いた。次に家島十景の監館眺望へ出向くため、遊歩道を歩いていたら、桜の木が色づいていた。


(色付いてきた桜の葉)
(写真撮影:2006.11)


勇壮な秋の大祭 坊勢(ぼうぜ)島(二日目(8)) 20回/23回

2007-01-01 04:55:17 | 20瀬戸内海・兵庫県・家島群島
明けましたおめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。


男鹿島港に入り、上陸した。歩き始めると島の名に因んだ「しか公園」があり、雄鹿しかいない岩場の公園があった。雄鹿十数頭が放し飼いされていた。


(雄鹿が放し飼いにされている「しか公園」)

大きい石がゴロゴロした中を採石現場に近づくと巨大なフォークリフトや運搬車が動いていた。


(大きい石がゴロゴロとしていた)


(巨大な運搬車)

日も陰ってきたので、今日の宿泊予定の家島へ向かった。


(家島へ向かった)

家島の真浦港の入り口には、ガット船がたくさん停泊しており、近くには、多くの造船所があった。


(停泊中のガット船)


(立ち並ぶ造船所)

上陸し、宿へ向かうところに大きい駐車所があった。姫路へ勤めている人が多いようである。


(多くのバイクが駐車していた)

夕食時、添乗員さんが島旅初添乗だったので、歓迎会をした。


(島旅初添乗の添乗員さんの歓迎会)
(写真撮影:2006.11)


勇壮な秋の大祭 坊勢(ぼうぜ)島(二日目(7)) 19回/23回

2006-12-31 04:13:36 | 20瀬戸内海・兵庫県・家島群島
坊勢島を右に見ながら、進むとこれも山頂付近から山が削られている島が見えてきた。建築用の良質の石材が産出されていて、ガット船で京阪神に運ばれていく。これらで関西空港。神戸空港が作られたとのこと。殆ど人がすまない採石の島これが男鹿(たんが)島である。


(男鹿島)

田ノ浜に上陸したが、


(男鹿島へ上陸)

加藤先生が前に来た時は、小学校があったはずなのに見当たらないと言うことになり、方向が分からず、歩き始めたら、砕石用の大きな機械が見え、事務所があったので、尋ねると学校は壊されてないとのこと。


(砕石用の大きな機械が見えた)

山の神神社への道を聞いて、進みだすと小山の上に男鹿島灯台が見えてきた。


(男鹿島灯台)

少し中に入っていくと山の神神社が見えてきた。最近、この島を所有している会社が建て替えたようで、新しい神社があった。


(山の神神社)

しばらく散策して戻り、チャーター船で裏にある男鹿島港へ向かった。途中の山は殆ど切り出されていて、丸裸であった。大きい機械や採石運搬船も見られた。


(切り出されていて、丸裸の山)


(大きな機械)


(採石船)
(写真撮影:2006.11)

2006年もいよいよ最後の日になりました。ブログを開始して、5ヶ月になります。毎日ご覧いただきありがとうございました。
来年も頑張って、投稿を続けたいと思っていますので。よろしくお願いいたします。
良い年をお迎えください。

勇壮な秋の大祭 坊勢(ぼうぜ)島(二日目(6)) 18回/23回

2006-12-30 04:05:41 | 20瀬戸内海・兵庫県・家島群島
船は、坊勢島の由来となった坊勢島と西島との狭い水路を通過した。ここは、昔はもっと浅く、干潮時には歩いて渡れたそうである。


(坊勢島と西島との間の一番狭いところ)

その後、西島の野外活動施設「県立母と子の島」の見ながら、


(「県立母と子の島」)

西島は、採石の島で山肌が削られている痛々しい風景とその頂上にポツンと残された「頂上石」を見ながら、


(山肌が削られている痛々しい風景)


(頂上石」)

しばらく行くと「海の釣堀」が見えてきた。これは姫路港からの送迎料込みで、13000円で、マダイ、カンパチ、イシダイなどが釣り放題で、ビギナーや女性も楽しめるとのこと。


(「海の釣堀」)

更に、進んでいくと船の操舵室が前にあり、胴体の長い白い船を見かけた。これは、生簀(いけす)船と言い、沖で獲れた小魚を生きたまま運んできて、サバの蓄養のための生きた飼料にするようである。


(生簀船)

島の裏側にある「県立母と子の島」船着場に着き、上陸した。しかし、「県立母と子の島」の施設までは、峠を越えて、30分掛かるとのことで、周りを散策だけして、次の島の男鹿島(たんがしま)へ向かうことにした。


(西島散策)
(写真撮影:2006.11)


勇壮な秋の大祭 坊勢(ぼうぜ)島(二日目(5)) 17回/23回

2006-12-29 04:24:20 | 20瀬戸内海・兵庫県・家島群島
待つほどに、神社の下に屋台が到着し、連続7回屋台の差し上げが行われて、往路の屋台練りが終わった。








(神社下の屋台練り)

ただし、鳥居を中腰で支えながら潜る体力はすごいものが必要だと思った。さすがの力自慢もバテていた。


(鳥居を潜る屋台)

神社では、お釜で熱湯が沸かされていた。


(神事で使う熱湯を沸かしているお釜)

これは、最後に、お払いに使うもので、笹の葉で熱湯を掻き回せてお払いをするとのこと。しかし、時間がなく、その後の神事は見ないで、家島諸島の他の島々へ向かうことにした。荷物は宿の車で港まで持ってきてもらい、港の近くの土産物屋で味付け海苔やちりめんじゃこ(シラス干し)などを買い、チャーター船に乗った。港には色々と案内いただいた竹中さんが見送りに来られていた。


(チャーター船)


(お世話になった竹中さんのお見送り)
(写真撮影:2006.11)


勇壮な秋の大祭 坊勢(ぼうぜ)島(二日目(4)) 16回/23回

2006-12-28 04:24:36 | 20瀬戸内海・兵庫県・家島群島
その後を付いて回った。青年団は、屋台を各辻で揺すり、うつくしく差し上げる。






(青年団が差し上げる屋台)

その前を青年団の女性がオニギリやビールを持ち、世話をしていた。


(世話を焼く青年団女子)

途中で、奉納を終わらせた子供神輿が帰ってくるのとすれ違った。


(奉納を終わって変える子供神輿)

我々は、少し早く神社に出向き、昼食を摂り、屋台の来るのを待った。しかし、その昼食の多さには閉口した。2~3人で一つの弁当を食べるのが精一杯で、半分以上残すことになるので、皆で分け合い、残りは青年団に食べてもらった。


(一人前の昼食 多すぎた)
(写真撮影:2006.11)