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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 71回目

2013-11-27 04:30:00 | 19瀬戸内海・兵庫県
木造の懐かしい建物ですね。しかし、戸閉の感じですね。


(木造の懐かしい建物)

対岸にきれいな建物がありました。宿のような感じですが、調べると浄化センターでした。


(浄化センター)

沼島ターミナルセンターに戻ってきて、センター内を見てみると壁面に「国生み神話」と「神々の系図」と書かれたビラが貼られていました。


(「国生み神話」と「神々の系図」)

他にも「沼島を知っていますか!」と書かれた中学生の学習成果がたくさん貼られていました。




(沼島の情報発信)

沼島ターミナルセンターの入り口には、ツバメの雛が大きな口をあけて、餌を待っていました。


(ツバメの雛)
(写真撮影:2013.07)

岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 70回目

2013-11-26 04:30:00 | 19瀬戸内海・兵庫県
その掲示に「大日如来」と書かれていたので、そちらへ向かいました。階段を登っていくとお堂が見えました。


(お堂が)

ここが大日如来のようです。


(大日如来)

いつものようにお堂内をのぞいてみました。


(お堂内)

ここを改修された方の石碑もありました。


(改修された方の石碑)

奥には、古い石仏や墓石のようなものが置かれていました。


(古い石仏や墓石)

帰りの時間も近くなったので、港へ向かいましたが、また、井戸がありました。


(井戸)
(写真撮影:2013.07)

岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 69回目

2013-11-25 04:30:00 | 19瀬戸内海・兵庫県
高さ約30mの矛先のような形をした岩が沼島のシンボルの上立神岩。国生み神話ゆかりの場所であり、イザナギノミコトとイザナミノミコトがおのころ島に降り立ち、巨大な柱の周囲をまわって婚姻をおこなったという、「天の御柱」だともいわれています。




(上立神岩)

島の裏側の散策を終え、来た道を戻ってきました。途中に何かが敷き詰められていました。何でしょうか。太陽光発電でしょうか。


(何かが)

また、井戸を見ることができました。


(井戸)

小さな祠もありました。島ではよく見かけますね。


(小さな祠)

最近、どこの島に行ってもこのような津波に対する掲示がされています。


(津波対応)
(写真撮影:2013.07)

岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 68回目

2013-11-24 04:30:00 | 19瀬戸内海・兵庫県
少し上り坂になり始めました。その道路脇に太い煙突がありました。沼島リサイクルセンターです。


(沼島リサイクルセンター)

さらに歩いていくと道が2つに分かれていました。左側は、沼島灯台への道で、右側は、上立神岩へとなっていましたので、右側へ向かいました。


(道の分岐点)

坂を上りきり、島の裏側に来ました。「南淡自然八景」と書かれた石碑がありました。


(「南淡自然八景」と書かれた石碑)

そこから坂を下って行きました。


(下り坂)

岩がゴロゴロとしていました。平バエのようです。


(平バエ)

バエについての案内板もありました。毎年、旧暦の3月3日に漁師が漁船にて沼島の岩礁「平バエ」を3回まわり、海上安全と大漁を祈願する平バエ祭りが行われるようです。


(バエについての案内板)
(写真撮影:2013.07)

岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 67回目

2013-11-23 04:30:00 | 19瀬戸内海・兵庫県
おのころ神社から戻って、島の反対側へ向かうことにしました。途中に、消防団の倉庫やたぶん、山車が入っていると思われる大きな建物がありました。


(消防団の倉庫と山車の倉庫)

沼島中学校屋内運動場の横を通って、向かいました。この道は、一度、通った道です。


(沼島中学校屋内運動場)

大きな建物が見えてきました。


(大きな建物)

沼島の小中学校でした。


(沼島の小中学校)

小中学校の前に公園がありました。「おのころ公園」と書かれていました。


(おのころ公園)

その先にも、大きな建物がありました。建設作業場のようです。


(建設作業場)
(写真撮影:2013.07)

岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 66回目

2013-11-22 04:30:00 | 19瀬戸内海・兵庫県
小高い山の上にあるこの「おのころ神社」には、天地創造の神であるイザナギ、イザナミの二神を祀っています。この山全体が「おのころさん」と呼ばれる神体山です。


(イザナギ、イザナミの二神)

境内には、イザナギ、イザナミの像もありました。


(イザナギ、イザナミの像)

おのころ神社の全体風景です。


(おのころ神社の全体風景)

境内には、、「忠魂碑」がありました。沼島地区で戦死した人の霊を葬るために建立されました。


(忠魂碑)

「沼島地区戦没者芳名碑」と書かれた石碑もあり、100名以上の名前が刻まれていました。小さな島なのに、たくさんの人が亡くなられていたのですね。


(沼島地区戦没者芳名碑)

おのころ神社から戻ろうとしましたが、急な階段を登ってくるときには、気が付きませんでしたが、展望が開けていて、街内がよく見えました。


(おのころ神社からの展望)
(写真撮影:2013.07)

岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 65回目

2013-11-21 04:30:00 | 19瀬戸内海・兵庫県
海岸線に沿って、「おのころ神社」に向かいました。歩いていてもおのころ神社へのは入り口がよく分かりませんでしたが、道端におのころ神社への小さな掲示がありました。よく見ないとわかりませんね。


(おのころ神社への掲示)

細い山道を登って行きましたが、本当に行けるのか少し不安になってきました。


(細い山道を)

登っていくとやっと「自凝神社」と書かれた石柱がありました。この字で「おのこめ神社」と読むのですね。


(「自凝神社」と書かれた石柱)

目の前に急な階段がありました。


(目の前に急な階段)

階段の途中にある鳥居をくぐって、登りました。


(鳥居をくぐって)

やっと、おのころ神社に着きました。


(おのころ神社に)
(写真撮影:2013.07)

岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 64回目

2013-11-20 04:30:00 | 19瀬戸内海・兵庫県
五輪塔があるということで、少し戻りました。祠と墓石が並んでいました。


(祠と墓石)

少し階段を登るとコケにおおわれている五輪塔がありました。松香石という特殊な石でつくられているとのこと。これが梶原景時の墓と伝えられています。隣の五輪塔は、室町時代の建立といわれているようです。


(梶原景時の墓)

周りには、古い墓が並んでいました。




(古い墓が)

「おのころ神社」に向かうべく海岸線へ向かいました。鳴門の渦潮と海峡大橋が描かれたマンホールがありました。


(鳴門の渦潮と海峡大橋が描かれたマンホール)

海岸線に出てきました。


(海岸線に)
(写真撮影:2013.07)

岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 63回目

2013-11-19 04:30:00 | 19瀬戸内海・兵庫県
境内には、保育園がありました。


(保育園)

その入り口には、小さな像がありました。その台座には、菊の御紋がありました。どういうことでしょう。


(小さな像)

西光寺を後にして、歩いているとハマユウの花が咲いていました。


(ハマユウ)

体育館のような建物がありました。


(体育館)

プレートには、「沼島中学校屋内運動場」と書かれていました。体育館との違いは何でしょう。


(沼島中学校屋内運動場)

歩いていくと井戸がありました。掲示板には、「八角井戸」と書かれていました。八角形の井戸の形は、たいへん珍しいものですね。八角の形は、中国の占いによると、縁起のよい形といわれています。沼島は、地下水が豊富で、数多くの井戸が掘られていたようで、この八角井戸は、今も現役で、大切な飲み水としても使っているようです。


(八角井戸)
(写真撮影:2013.07)

岡山県・兵庫県・徳島県への島旅 62回目

2013-11-18 04:30:00 | 19瀬戸内海・兵庫県
少し歩くと朱色に塗られたお寺が見えてきました。


(朱色に塗られたお寺)

門と鐘楼が朱色に塗られていました。西光寺です。この朱塗りについても曰くがあるようです。


(西光寺)

朱塗りの鐘楼は、あまり見たことがないですね。


(朱塗りの鐘楼)

西光寺についての縁起が書かれていましたが、風雨の影響でよく読めませんでした。このお寺は、かつては、南区の王寺の森、現在のちょうど沼島庭園があるところにあったようです。今の場所に移ったのは、大永年間(1521~1527)ごろと言われています。浄土宗です。総本山は、京都にある知恩院です。本尊は、阿弥陀如来です。この仏様は、海中から現れた阿弥陀さまとして、海上安全、大漁祈願、家内安全の願いが叶うといわれています。


(西光寺についての縁起)

本堂は、朱塗りにはされていませんでした。


(本堂)

本堂内です。


(本堂内)
(写真撮影:2013.07)