昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

いってみんとわからんけん! 忽那(くつな)諸島 渡り歩き4日間 48回目

2010-06-06 04:30:00 | 43瀬戸内海・愛媛県・忽那諸島
興居島の泊漁港へ戻り、そこから高浜港へ向かいました。泊漁港の辺りでもお祭りの幟旗が建てられていました。全島でお祭りが行われているようです。


(泊漁港)


(お祭りの幟旗)

時間があるということで、道後温泉へ向かいました。坊っちゃん列車やレトロなバスが走っていました。


(坊っちゃん列車)


(レトロなバス)

カラクリ時計が丁度、動作するところでした。しばらく眺めていました。



その後、道後温泉本館に行き、温泉に入り、今回の島旅の疲れを取りました。




(道後温泉本館)

松山空港から、夕日を見ながら帰ってきました。楽しい3泊4日の島旅でした。


(松山空港からの夕日)

明日からは、上五島の小値賀島近辺の平戸諸島を投稿します。
お楽しみに。
(写真撮影:2005.9)
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いってみんとわからんけん! 忽那(くつな)諸島 渡り歩き4日間 47回目

2010-06-05 04:30:00 | 43瀬戸内海・愛媛県・忽那諸島
港へ戻ってきたところ、先ほど止まっていた面白い形の車を運転している人に出会いました。


(面白い形の車を運転)

海産物の処理作業をされている方にも会いました。


(海産物の処理作業)

タコ壺がたくさん置かれていました。ここは周辺にタコが多くいて、タコ壺漁が盛んとのことでした。タコ料理も絶品とのことでした。食べたかったです。


(タコ壺)

タコ壺漁は、この船で出かけるのでしょうか。


(タコ壺漁への船?)

海岸線に沿って進むと神社がありました。五十鈴神社と書かれていました。


(五十鈴神社)

さらに先へ進むと海岸線に岩がありました。特に何も書いたものがありませんでしたが、馬に似ていると思いました。後で調べると馬石とのことでした。謂れでは、「戦争の時に赤い服を着た人がこの石にまたがって出兵したところ弾に当たらなかった。」とのことでしたが、真偽のほどは分かりません。




(馬石)

港へ戻り、待機していたチャーター船に乗り、興居島へ戻りました。


(待機していたチャーター船)
(写真撮影:2005.9)
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いってみんとわからんけん! 忽那(くつな)諸島 渡り歩き4日間 46回目

2010-06-04 04:30:00 | 43瀬戸内海・愛媛県・忽那諸島
釣島灯台へ向かうために、坂を登りました。段々と景色が変わってきました。集落は、島のある部分に密集していました。


(密集した家)

さすがに瀬戸内海ですね。たくさんの貨物船やコンテナー船が行きかっていました。


(行きかう貨物船やコンテナー船)

釣島灯台に着きました。この灯台は、設計者はイギリス人で、御影石造りの洋式建築で、明治6年に竣工されたとのことでした。


(釣島灯台)

その横には、昭和38年の灯台無人化まで使用されていた旧官舎(職員官舎)がありました。松山市の文化財に指定されていました。


(旧官舎(職員官舎))

灯台からの眺望は、天気も良く、遠くまで見えました。


(灯台からの眺望)

下を見ると先ほどの小学校が見えました。その脇に池のようなものが見えました。ここは、明神池といわれていて、半分以上は、埋め立てられて、運動場になってしまったようです。かつてはここに鶴が飛来する場所で、「つるしま」の名はそこに由来するといわれています。


(灯台からの眺望)


(明神池)
(写真撮影:2005.9)
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いってみんとわからんけん! 忽那(くつな)諸島 渡り歩き4日間 45回目

2010-06-03 04:30:00 | 43瀬戸内海・愛媛県・忽那諸島
港にベンチ式の椅子が置かれていました。船を待つためでしょうか。それとも夕涼みやお話をするためでしょうか。


(ベンチ式の椅子)

色々な乗り物も置かれていました。通勤に乗ってきて、船で本土の方へ行っているのでしょうか。面白い形の車もありますね。


(色々な乗り物)

どこの島でも見られるテングサ干しです。だいぶ白くなってきていますね。もう少しで完成でしょうか。


(テングサ干し)

この島も集落は、路地でつながっていました。


(集落の路地)

鳥居がありました。神社のようですが、お寺かも。社はコンクリートで作られているようで、少し違和感がありました。


(お宮さん?)

小学校がありましたが、何人が通学しているのでしょうか。ここも他の島と同じく中学校はないようです。


(釣島分校)
(写真撮影:2005.9)
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いってみんとわからんけん! 忽那(くつな)諸島 渡り歩き4日間 44回目

2010-06-02 04:30:00 | 43瀬戸内海・愛媛県・忽那諸島
翌日、宿の周りを見るとお祭りの幟旗が立てられていました。出発までの時間がなく、見に行くことができませんでした。残念でした。


(祭りの幟旗)

チャーター船に乗り、釣島へ向かいました。


(チャーター船)


(釣島)

釣島漁港に着き、上陸しました。


(釣島漁港)

海岸にゴザを敷いて、何かが干されていました。これは、干したてのものと思います。その先には、茶色になったものがありました。




(ゴザに干されていたもの)
(写真撮影:2005.9)
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いってみんとわからんけん! 忽那(くつな)諸島 渡り歩き4日間 43回目

2010-06-01 04:30:00 | 43瀬戸内海・愛媛県・忽那諸島
宿に着き、荷物を降ろして、宿の周りを散策しようと皆が集まって寛いでいたところ、宿のご主人から夕日を見に行こうとの声がかかり、出かけることにしました。


(宿で寛ぐ)

最初の夕日ポイントへ着きました。まだ、少し早いようでした。しかし、その下には雲があり、これ以上見ていても駄目ということで、次のポイントへ向かいました。




(最初の夕日ポイント)

次のポイントでは、雲間から夕陽を見ることができました。


(雲間から夕日)

少し待っていると雲間が切れて見えてきましたが、今度は、下の雲にかかってしまいました。


(下の雲にかかる)

そこで、最後に夕日が消えるまで、眺めていました。こういう夕日も趣がありますね。



宿に戻り、夕食となりましたが、今夜も大いに盛り上がり、夜中に体調を壊す人が出て、大騒ぎになったことも1つの思い出ですね。


(三日目の夕食)
(写真撮影:2005.9)
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いってみんとわからんけん! 忽那(くつな)諸島 渡り歩き4日間 42回目

2010-05-31 04:30:00 | 43瀬戸内海・愛媛県・忽那諸島
睦月島がどんどん離れていきます。瀬戸内海は、色々な船が航行していますね。それらを縫うようにして、フェリーは進み、高浜港に着きました。


(高浜港へ)


(色々な船が航行)


(高浜港)

その先には、松山観光港フェリーターミナル(大阪、広島、小倉、別府へ)が見えました。


(松山観光港フェリーターミナル)

高浜港から今度は、興居(ごご)島へ向かいました。興居島の由良港へ到着し、上陸しました。


(興居島へ)


(由良港)


(興居島へ上陸)
(写真撮影:2005.9)
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いってみんとわからんけん! 忽那(くつな)諸島 渡り歩き4日間 41回目

2010-05-30 04:30:00 | 43瀬戸内海・愛媛県・忽那諸島
その先には、平成3年の台風で姿を現した岩風呂跡があるようでしたが、時間の関係で戻ることにしました。


(岩風呂跡がある半島)

狭い路地を入っていくと郵便局がありましたが、旗日でお休みでした。


(睦月郵便局)

港へ帰る途中で、単車に乗られている方が声をかけてこられました。ツアーの話をしたところ、昔のこの島には、映画館やバーなどがあったというお話をうかがうことができました。この方は、村の役をされている方でした。


(村の役をされている方)

きれいな船の待合所で少し待っているとフェリーが近づいてきました。それに乗船して、初日、船に乗った高浜港へ向かいました。


(きれいな船の待合所)


(近づくフェリー)


(さようなら睦月島)
(写真撮影:2005.9)
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いってみんとわからんけん! 忽那(くつな)諸島 渡り歩き4日間 40回目

2010-05-29 04:30:00 | 43瀬戸内海・愛媛県・忽那諸島
そこから眺めると周りは、ミカン山でした。


(ミカン山)

今度は、港へ戻り、反対側へ歩くことにしました。長いトタン壁の建物が出てきました。何に使っているのでしょうか。


(長いトタン壁の建物)

家には、お飾りが飾られていました。島へ行くと一年中、飾られているところが多いです。


(お飾り)

その先の家には、大きな石灯篭が2つもありました。かつてはこの島は、行商の島として「伊予かすり」を売り歩く縞売りが盛んだったようで、縞売りの全盛期は、大正時代から昭和の初期にかけてで、睦月島の行商の足跡は、全国に及び、海岸沿いには豪邸が建ち並んだようで、今でも睦月島の家は、立派な長屋門を持つ家が多いようです。大いに栄えていた証ですね。その先にも大きな屋敷が続いていました。


(大きな石灯篭)




(大きな屋敷)
(写真撮影:2005.9)
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いってみんとわからんけん! 忽那(くつな)諸島 渡り歩き4日間 39回目

2010-05-28 04:30:00 | 43瀬戸内海・愛媛県・忽那諸島
社殿の中をのぞくと立派な絵馬が飾られていました。


(社殿内)




(立派な絵馬)

當田八幡神社を後にして、散策を続けましたら、前方に大きな楠が見えてきました。夫婦楠ということで、幹が二股に分かれていることからこの名があるようです。




(夫婦楠)

その木は、玉善寺の境内にありました。やはり、そこには、弘法大師の像がありました。四国ですね。


(玉善寺)


(弘法大師の像)
(写真撮影:2005.9)
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