鳥居をくぐり、境内を進んでいくと本殿に出てきました。


(塩竃神社境内)

(塩竃神社本殿)
境内を鮮やかに彩る天然記念物の「塩竃桜」を見ることができました。


(天然記念物の「塩竃桜」)
桜の木の下に牛さんの石像がありました。何のためか分かりませんでした。

(牛さんの石像)
色々な燈篭が置かれていました。

(燈篭)

(文治の燈篭)
珍しい「タラヨウ(多羅葉)」の木がありました。

(タラヨウ)
(写真撮影:2004.4)


(塩竃神社境内)

(塩竃神社本殿)
境内を鮮やかに彩る天然記念物の「塩竃桜」を見ることができました。


(天然記念物の「塩竃桜」)
桜の木の下に牛さんの石像がありました。何のためか分かりませんでした。

(牛さんの石像)
色々な燈篭が置かれていました。

(燈篭)

(文治の燈篭)
珍しい「タラヨウ(多羅葉)」の木がありました。

(タラヨウ)
(写真撮影:2004.4)
また、松島四大観のひとつ多聞山が見えました。下には、コイノボリが元気に泳いでいました。

(多聞山)

(元気なコイノボリ)
ノリの養殖場がたくさんありました。お土産に、寒風沢島の民宿でノリを買ってきました。

(ノリの養殖場)
いよいよ、嵯峨渓観光の遊覧船も塩釜港に着きました。

(遊覧船内部)
ここから、奥州一宮として1200年の歴史を誇り、航海安全・国土開発・安産の神様として信仰され全国各地から参拝者が訪れている塩竃神社へ向いました。

(塩竃神社)
境内には、ツツジが綺麗に咲いていました。

(ツツジ)
昔、馬放島へ老いると放たれたというご神馬がいました。皆さん、ご神馬に長いヘラのようなものにエサをのせてやっていました。

(ご神馬)
(写真撮影:2004.4)

(多聞山)

(元気なコイノボリ)
ノリの養殖場がたくさんありました。お土産に、寒風沢島の民宿でノリを買ってきました。

(ノリの養殖場)
いよいよ、嵯峨渓観光の遊覧船も塩釜港に着きました。

(遊覧船内部)
ここから、奥州一宮として1200年の歴史を誇り、航海安全・国土開発・安産の神様として信仰され全国各地から参拝者が訪れている塩竃神社へ向いました。

(塩竃神社)
境内には、ツツジが綺麗に咲いていました。

(ツツジ)
昔、馬放島へ老いると放たれたというご神馬がいました。皆さん、ご神馬に長いヘラのようなものにエサをのせてやっていました。

(ご神馬)
(写真撮影:2004.4)
沖ノ高遠島と高遠島を合わせて、夫婦島といわれています。

(沖ノ高遠島)

(高遠島)

(夫婦島)
東北電力仙台火力発電所の大きい建物が見えてきました。

(東北電力仙台火力発電所)
地蔵島には、波除地蔵が祀ってありました。

(地蔵島)

(波除地蔵)
馬放島(まはなしじま)は、昔、塩竃神社の御神馬が老いるとこの島に放って天寿を全うさせたことから、この島名になったといわれています。現在、そこには船舶保安信号所がありました。

(馬放島)

(船舶保安信号所)
(写真撮影:2004.4)

(沖ノ高遠島)

(高遠島)

(夫婦島)
東北電力仙台火力発電所の大きい建物が見えてきました。

(東北電力仙台火力発電所)
地蔵島には、波除地蔵が祀ってありました。

(地蔵島)

(波除地蔵)
馬放島(まはなしじま)は、昔、塩竃神社の御神馬が老いるとこの島に放って天寿を全うさせたことから、この島名になったといわれています。現在、そこには船舶保安信号所がありました。

(馬放島)

(船舶保安信号所)
(写真撮影:2004.4)
寒風沢島と野々島の間の寒風沢水道を通りながら、日和山展望台を海から確認することができました。

(寒風沢水道)

(日和山展望台)
寒風沢水道を通り抜けるころになると、また、カモメが群がってきました。

(カモメの群がり)
陰田島(花魁島)、水島を沖に見ながら、進むと桂島が見えてきました。

(陰田島(花魁島))

(水島)

(桂島)
更に、進んでいくと沖ノ二子島、鍋島が見え、再び、海からの仁王島も見えてきました。

(沖ノ二子島)

(鍋島)

(海からの仁王島)
(写真撮影:2004.4)

(寒風沢水道)

(日和山展望台)
寒風沢水道を通り抜けるころになると、また、カモメが群がってきました。

(カモメの群がり)
陰田島(花魁島)、水島を沖に見ながら、進むと桂島が見えてきました。

(陰田島(花魁島))

(水島)

(桂島)
更に、進んでいくと沖ノ二子島、鍋島が見え、再び、海からの仁王島も見えてきました。

(沖ノ二子島)

(鍋島)

(海からの仁王島)
(写真撮影:2004.4)
帰りの途中から昨日通った鰐ケ淵水道に入りました。

(鰐ケ淵水道)
宮戸島の大高森が見えました。ここは、松島四大観随一の景観と呼ばれ、頂上の展望台からは蔵王や栗駒山、
石巻湾などがパノラマのように広がってみえます。

(大高森)
寒風沢島の美女浦、寺崎を回ると前方にツク島列島、大夜鳥島が見え、朴島へ近づいて行きました。

(美女浦)

(寺崎)

(ツク島列島)

(大夜鳥島)

(朴島)
(写真撮影:2004.4)

(鰐ケ淵水道)
宮戸島の大高森が見えました。ここは、松島四大観随一の景観と呼ばれ、頂上の展望台からは蔵王や栗駒山、
石巻湾などがパノラマのように広がってみえます。

(大高森)
寒風沢島の美女浦、寺崎を回ると前方にツク島列島、大夜鳥島が見え、朴島へ近づいて行きました。

(美女浦)

(寺崎)

(ツク島列島)

(大夜鳥島)

(朴島)
(写真撮影:2004.4)
更に、進むと源田が浜、ササラ浜と続き、東海林島、朝夕の太陽で岩肌が茜色に見えるところから付けられた茜島を見ながら、

(源田が浜)

(ササラ浜)

(東海林島)

(茜島)
亀がたくさん棲んでいたといわれている亀が崎洞をみて、

(亀が崎洞)
いよいよ嵯峨渓のメーンの風景である屏風岩へ出てきました。


(屏風岩)
馬の背島、小屏風岩が見えてくるといよいよ嵯峨渓の終点である室浜が見えてきました。ここから、観光船はUターンして戻っていきました。

(馬の背島)

(小屏風岩)

(室浜)
(写真撮影:2004.4)

(源田が浜)

(ササラ浜)

(東海林島)

(茜島)
亀がたくさん棲んでいたといわれている亀が崎洞をみて、

(亀が崎洞)
いよいよ嵯峨渓のメーンの風景である屏風岩へ出てきました。


(屏風岩)
馬の背島、小屏風岩が見えてくるといよいよ嵯峨渓の終点である室浜が見えてきました。ここから、観光船はUターンして戻っていきました。

(馬の背島)

(小屏風岩)

(室浜)
(写真撮影:2004.4)
月浜、大浜、乙女ガ浜を見ながら進むと

(月浜)

(大浜)

(乙女ガ浜)
萱野崎が見えてきました。これを回るといよいよ嵯峨渓でした。

(萱野崎)


(嵯峨渓)
波が寄せると潮を噴出しているように見えるところから「潮だし洞」と言われているところが見えました。

(潮だし洞)
海岸線に沿って進んだり、定置網を避けて、沖に出たりして進むうちに、朝日島、みさご島、アシカ島が見えてきました。

(朝日島、みさご島、アシカ島)
アシカ島はアシカに似ていました。

(アシカ島)
(写真撮影:2004.4)

(月浜)

(大浜)

(乙女ガ浜)
萱野崎が見えてきました。これを回るといよいよ嵯峨渓でした。

(萱野崎)


(嵯峨渓)
波が寄せると潮を噴出しているように見えるところから「潮だし洞」と言われているところが見えました。

(潮だし洞)
海岸線に沿って進んだり、定置網を避けて、沖に出たりして進むうちに、朝日島、みさご島、アシカ島が見えてきました。

(朝日島、みさご島、アシカ島)
アシカ島はアシカに似ていました。

(アシカ島)
(写真撮影:2004.4)
宿へ戻る途中に日本タンポポが咲いていました。最近、西洋タンポポにおされて、見ることが少なくなっています。

(日本タンポポ)
桂島漁港から「嵯峨渓観光」へ大型観光船で出かけました。

(大型観光船で嵯峨渓観光へ)
嵯峨渓は、岩手県の猊鼻渓、大分県の耶馬溪と並んで日本三大渓のひとつに数えられる男性的な景観で、室浜から萱野崎に至る約2kmの海岸線は、荒波と浸食された崖と奇島が続いています。

(嵯峨渓マップ)
桂島漁港を出ると直ぐにカモメがエサを取りに、飛んできて、船の周りを飛び回っていました。

(カモメがエサを取り)
外洋に出てくると風が強くなり、波が高くなりました。直ぐに宮戸島が見えてきました。嵯峨渓は宮戸島の裏側に位置しています。

(宮戸島)
中ノ島、唐戸島、木ノ島、波島を通過して、嵯峨渓へ向いました。

(中ノ島)

(唐戸島)

(木ノ島)

(波島)
(写真撮影:2004.4)

(日本タンポポ)
桂島漁港から「嵯峨渓観光」へ大型観光船で出かけました。

(大型観光船で嵯峨渓観光へ)
嵯峨渓は、岩手県の猊鼻渓、大分県の耶馬溪と並んで日本三大渓のひとつに数えられる男性的な景観で、室浜から萱野崎に至る約2kmの海岸線は、荒波と浸食された崖と奇島が続いています。

(嵯峨渓マップ)
桂島漁港を出ると直ぐにカモメがエサを取りに、飛んできて、船の周りを飛び回っていました。

(カモメがエサを取り)
外洋に出てくると風が強くなり、波が高くなりました。直ぐに宮戸島が見えてきました。嵯峨渓は宮戸島の裏側に位置しています。

(宮戸島)
中ノ島、唐戸島、木ノ島、波島を通過して、嵯峨渓へ向いました。

(中ノ島)

(唐戸島)

(木ノ島)

(波島)
(写真撮影:2004.4)
今度は、「白石広造邸跡」を目指しました。途中で郵便屋さんに出会いました。

(途中で出会った郵便屋さん)
白石広造氏は、埼玉県幸手の出身で、明治4年にこの地に海運会社・白石商会を設立し、北海道や三陸の港との航路を開き、また、オットセイやラッコなどの狩猟、近代塩竃港の築港への尽力など実業家として幅広く活躍したようでした。現在は、邸宅の礎石と蔵が往時の姿をしのばせていました。



(白石広造邸跡)
邸跡には、白や赤の椿の花が咲いていました。

(白椿)

(赤椿)
近くでは、地元の老人達がゲートボールに興じていましたので、島旅の仲間が飛び入りでやらせてもらっていました。また、岩壁に人工的な洞穴が作られていました。何に使われたのでしょうか。

(人工的な洞穴)
(写真撮影:2004.4)

(途中で出会った郵便屋さん)
白石広造氏は、埼玉県幸手の出身で、明治4年にこの地に海運会社・白石商会を設立し、北海道や三陸の港との航路を開き、また、オットセイやラッコなどの狩猟、近代塩竃港の築港への尽力など実業家として幅広く活躍したようでした。現在は、邸宅の礎石と蔵が往時の姿をしのばせていました。



(白石広造邸跡)
邸跡には、白や赤の椿の花が咲いていました。

(白椿)

(赤椿)
近くでは、地元の老人達がゲートボールに興じていましたので、島旅の仲間が飛び入りでやらせてもらっていました。また、岩壁に人工的な洞穴が作られていました。何に使われたのでしょうか。

(人工的な洞穴)
(写真撮影:2004.4)