昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 54回目

2011-10-13 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
時間となり、岡村島をさようならしました。


(さようなら岡村島)

港を出るとすぐにお汐・亀松の壁画が見えてきました。


(お汐・亀松の壁画)

先ほど、出向いた観音崎の常夜燈も見えてきました。


(観音崎の常夜燈)

大崎下島の御手洗が見えてきました。


(大崎下島の御手洗)

そのまま進み、朝、出発した小長桟橋に戻ってきました。


(朝、出発した小長桟橋)

昨夜の宿泊場所で、昼食を食べました。


(昨夜の宿泊場所で、昼食)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 53回目

2011-10-12 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
観音崎を一周して、戻ってきました。向かいに島が見えます。大崎下島です。道路がありましたが、そちら方向には、特に見るものがないと仲間たちが言うので、港へ戻ることにしました。


(大崎下島)

支所の奥にお寺があるということで、向かいました。善照寺です。


(善照寺)

鐘楼もありました。


(鐘楼)

本堂に皆さんと入ってみました。


(本堂)

中は、立派な作りで、ご本尊も輝いていました。


(本堂の中)


(ご本尊)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 52回目

2011-10-11 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
散策を続けると色々な石仏が飾られていました。


(色々な石仏)

これは良寛さんの辞世の句碑がありました。何故、ここにあるのかは分かりませんでした。


(良寛さんの辞世の句碑)

一願地蔵と書かれた祠がありました。多くのことは願わず、ただ一つのことだけ願う、そうしたら願いが叶う。願いが叶ったら、また次の一つを願うという、そういうお地蔵さんのようです。


(一願地蔵)

色々なところに石仏が飾られていました。信仰心の熱い土地柄ですね。


(色々なところに石仏)

「首なし地蔵」と書かれた祠がありました。大きな地蔵さんでしたが、首はありました。何故かと思い、周りを見ると小さな首がない地蔵さんがありました。掲示板には、子供が石をぶつけたことによって首がとれたようなことが書かれていました。




(首なし地蔵)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 51回目

2011-10-10 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
その先に向かうと「歯痛地蔵」と書かれた看板がありました。「左手を頬に当て、歯の痛みに耐え治療している姿。痛みの原因をよく祈願すれば、苦を抑え痛みが無くなるといわれている」と書かれていました。祠をのぞくとそういうお姿をされていました。




(歯痛地蔵)

その先には、救世観音堂がありました。約1200年前、釘を使わずくさびだけで止めて建立された建物であるようです。




(救世観音堂)

向かいの島、大崎下島には、御手洗という繁華街がありました。遊女が多くいて、なかには、身投げする者もいました。遊女の仲間らは、自ら石仏を彫刻し、観音崎の老木の岩屋に安置して、色々なことを祈ったようです。その1つとして、お不動さんがありました。




(お不動さん)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 50回目

2011-10-09 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
案内図を見ると色々なところがありそうですね。


(観音崎の案内図)

登り口は、2つありました。右側から階段を登って行きました。


(右側の階段を)

階段を登ると常夜燈がありました。江戸時代からあったようで、明治27年に大下灯台が造られたことにより、役目を終えたようです。


(常夜燈)

その横に何かの記念碑がありました。内容はよく分かりませんでした。


(何かの記念碑)

坂を登った時に、釈迦堂がありました。



(釈迦堂)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 49回目

2011-10-08 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
振り返ると港がありました。漁船が係留されていました。


(漁船が係留)

その先に、神社の鳥居が見えてきました。創建が宝亀10年(779)といわれる「姫子(ひめこじま)神社」です。釘を使わず一切を楔で留め建立され、中には大同年間(806~810年)に弘法大師が一刀彫りをしたといわれる救世観音像が安置されている「救世観音堂」などがあるようです。


(姫子神社の鳥居)


(姫子神社)

今回は、マンホールを趣味にしている仲間は、来ていませんでしたが、ここのマンホールを見ると「ミカンと鯛と蝶々」が書かれていました。


(岡村島のマンホール)

山の法面に大きい壁画がありました。説明文を読むと「古くから伝わるお汐・亀松の悲哀物語をモチーフにした幅25m高さ10mの大壁画」と書かれていました。


(お汐・亀松の大壁画)

観音崎に着きました。


(観音崎に到着)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 48回目

2011-10-07 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
まず、岡村島の概略を書きます。
岡村島は、愛媛県最北西端、芸予諸島のほぼ中央に位置する島。今治から17km、広島から37kmの距離にある。古くから斎灘の交通の要衝にあたり、古くは平安時代から空海や菅原道真などが立ち寄っている。戦国期には村上水軍の城砦が築かれていた。江戸時代中期には隣島大崎下島の御手洗港とともに潮待ち港として栄え、天文5年(1740)には島南端の観音崎に灯明台が置かれている。明治の中ごろから柑橘栽培が始まり、大正期にはミカンの島として名を知られるようになった。その後も「ミカンと魚の島」として発展をつづけ、ミカン狩り、ハイキングと四季のレクリエーションに最適な瀬戸内海国立公園の景勝地となっている。近年、「蝶の島」として蝶のサンクチュアリをつくろうという動きもある。

向かったのは、船から眺めた観音崎です。ここが、メインストリートのようでした。最初に、JAバンクがありました。


(JAバンク)

次にあったのは、郵便局です。今回には、趣味にしていることがおられず、素通りです。


(郵便局)

次は、今治市役所の関前支所です。


(今治市役所の関前支所)

玄関に松が植えられている立派なお宅もありました。


(立派なお宅)

海岸線沿いに立派なお宅が並んでいました。港町として、栄えた町なのでしょう。


(海岸線沿いに立派なお宅が)

ここで造られているわけではないでしょうが、大きな地酒の看板がかかっていました。しかし、昔のもののようです。最近は、このような看板をあまり見ませんね。


(大きな地酒の看板)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 47回目

2011-10-06 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
高齢者生活福祉センターの立派な建物が見えました。


(高齢者生活福祉センター)

チャーター船は、岡村港へ近づいてきました。


(岡村港へ)

岡村島へ上陸しました。いつも私は、一番先に上陸して、ビデオを撮っています。ワンパターンで申し訳ありません。


(岡村島へ上陸)

早速、島内散策へ向かいました。


(島内散策へ)

定期船の待合所を過ぎて、十字路に差し掛かりました。集会所がありました。高齢者生活福祉センターやこの集会所も鉄筋コンクリートで、立派なものですね。


(集会所)

その横に、島内案内板がありました。島の左下の方に色々な文字が集まっていました。皆さん、そちらへ向かうことにしました。


(島内案内板)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 46回目

2011-10-05 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
戻るときに、鳥居の柱の裏を見ると往時の会社名が書かれていました。


(鳥居の柱の裏に往時の会社名が)

港へ戻ってくるとたくさんなビールケースが積まれている建物がありました。酒屋さんでしょうか。今も商売をやっておられるのでしょうか。店らしいところが見られませんでした。


(酒屋さんでしょうか。)

全員がそろったので、小大下島を出発しました。


(小大下島を出発)

小大下島の山肌を見ると石灰岩がゴロゴロしているのが見られました。


(石灰岩がゴロゴロ)

岡村島へ近づいてきました。


(岡村島)

大きな看板が見えてきました。よく見ると「チョウの島」と書かれていました。ツミレンゲに来る珍しいチョウ、「クロツバメシジミ」と「ウスイロコノマチョウ」の生息が確認されて、現在、注目を浴びている。


(「チョウの島」と書かれた看板)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 45回目

2011-10-04 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
そのまま坂を登って行っても反対側の海に出るだけで、特に何もないということで戻ることにしました。朽ちた家々が見られました。


(朽ちた家々が)

行くときには、気が付かなかったユリの花が色々と咲いていました。


(色々なユリの花)

どこの島でもある消防車庫がありました。重要な設備ですね。


(消防車庫)

その先に階段があり、鳥居がありました。


(神社の鳥居)

階段を登りきると社殿がありました。山神社です。この神社は、鉱山の安全と繁栄を祈願して建てられたもので、地元では、「さんじんさん」と呼ばれているようです。


(山神社)


(社殿内)
(写真撮影:2011.06)