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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

広島県・山口県への島旅 61回目

2016-01-27 04:30:00 | 36瀬戸内海・広島県・安芸群島
次は、石船で造られた防波堤を見に行きました。


(石船で作られた防波堤へ)

石船で造られた防波堤です。有効活用されていますね。


(石船で造られた防波堤)

その後、呉経由で広島へ戻りましたが、呉の軍港では複数の潜水艦が見られました。壮観ですね。


(呉の軍港では複数の潜水艦)

広島からは広島空港まで、リムジンバスで向かいました。


(リムジンバス)

広島空港を早目の飛行機で戻ってきました。




(広島空港)
(写真撮影:2015.09)

これで、長々と書きました広島県・山口県への島旅の投稿が終わります。
明日からは、与論島と沖縄県で唯一残っている前島への島旅について投稿しますので、お楽しみに。

広島県・山口県への島旅 60回目

2016-01-26 04:30:00 | 36瀬戸内海・広島県・安芸群島
倉橋島に戻ってきました。鳥居と神社が見えてきました。


(鳥居と神社)

新宮神社です。


(新宮神社)

拝殿は、オープンになっていました。こんな神社は珍しいですね。奉納された絵馬がたくさん飾られていました。


(奉納された絵馬がたくさん)

帰っていくと沖合に島影が見えました。先ほど出向いた鹿島です。


(鹿島)

戻っていくと早瀬大橋が再び見られました。


(早瀬大橋)

ここで少し寄り道をしました。島旅の先生から情報を得たところへ向かいました。塩の島です。三ツ子島という無人島で、メキシコ産の工業塩を輸入し貯蔵するための場所として利用されています。


(三ツ子島)
(写真撮影:2015.09)

広島県・山口県への島旅 59回目

2016-01-25 04:30:00 | 36瀬戸内海・広島県・安芸群島
郵便局がありました。鹿島郵便局です。


(鹿島郵便局)

小さな漁船がたくさん係留されていました。


(小さな漁船が)

もう1つ祠がありました。


(もう1つ祠が)

鹿島大橋に戻ってきました。これで鹿島を離れます。


(鹿島大橋)

鹿島大橋を渡り終えて、振り返りました。


(鹿島の集落)

道端にたくさんのプラウキが飾られていました。


(たくさんのプラウキ)
(写真撮影:2015.09)

広島県・山口県への島旅 58回目

2016-01-24 04:30:00 | 36瀬戸内海・広島県・安芸群島
集落に車を置いて、歩いて散策をしました。


(島内散策)

大きな漁船が係留されていました。


(大きな漁船が係留)

小さな祠もありました。


(小さな祠)

石の鳥居が見えました。神社は大分上にありそうなので、神社には行きませんでした。


(石の鳥居)

先までと思いましたが、特に何もありそうでないので、行きませんでした。


(先には行かず)

戻ることにしました。


(戻ることに)
(写真撮影:2015.09)

広島県・山口県への島旅 57回目

2016-01-23 04:30:00 | 36瀬戸内海・広島県・安芸群島
近くから呉に向かい高速道路へ入りました。


(呉に向かい高速道路)

呉から海岸線に沿って車を走らせ、第二音戸大橋の駐車場で休憩しました。


(第二音戸大橋)

第二音戸大橋を戻り、音戸大橋を通って、鹿島へ向かいました。


(音戸大橋)

海岸沿いを走っていると上に橋が見えてきました。能美島につながっている早瀬大橋です。


(早瀬大橋)

道路をしばらく走っていると橋が出てきました。鹿島大橋です。


(鹿島大橋)

鹿島に入りました。
ここで、鹿島の概況を書きます。鹿島は、倉橋島の南端、江戸時代風待ち・潮待ちの港として栄えた鹿老渡の沖合に浮かび、山口・愛媛両県に面し、人の住む島としては広島県最南端にあたる。住民の定住は幕末の文久年間(1861~64)頃のことで、それまでは倉橋島室尾・本浦・尾立地区の採草地や出作りの場だった。明治に入り、イワシ網漁とタコツボ漁の隆盛で一気に人口が増加した。昭和50年に鹿島大橋が架かり、倉橋島を経て本土呉市と通じている。丘陵が起伏し、平地が少ないが、美しい自然に恵まれている。
さらに走ると漁港がありました。


(漁港)
(写真撮影:2015.09)

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(三日目(6)) 21回/21回

2007-01-27 04:24:23 | 36瀬戸内海・広島県・安芸群島
伽藍配置は、八角万福堂などがあった。


(八角万福堂)


(願掛け)


(色々な地蔵)


(仏足跡)

参拝後は、上卿(しょうけい)屋敷、清盛神社、大鳥居などを見て、


(上卿屋敷)


(清盛神社)


(大鳥居)

土産物屋に全員集合し、帰途に着いた。
広島空港では、恒例の広島風のお好み焼きとビールを飲み、ユッタリとした気分で帰って来た。


(お好み焼き)


(広島空港)
(写真撮影:2006.11)

今回で、周南諸島の投稿は終わりです。明日からは、2006.10.7~10に出掛けた高知県の沖の島のお祭り(2006.11.8~26に投稿)の動画を3回ほど投稿します。
その後は、舳倉島を予定しています。ご期待ください。

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(三日目(6)) 20回/21回

2007-01-26 04:44:01 | 36瀬戸内海・広島県・安芸群島
伽藍配置は、薬師堂、八角万福堂、阿弥陀堂、大師堂、遍照窟他地蔵尊などがあった。


(薬師堂)


(水掛地蔵)


(阿弥陀堂)


(十二支地蔵)


(大師堂)


(大師堂裏)


(大日如来)


(遍照窟内)


(遍照窟内天井)
(写真撮影:2006.11)

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(三日目(6)) 19回/21回

2007-01-25 05:20:56 | 36瀬戸内海・広島県・安芸群島
伽藍配置は、勅願堂、愛染堂、摩尼殿などがあった。


(勅願堂)


(勅願堂の波切不動明王)


(勅願堂内)


(勅願堂内)


(観世音菩薩)


(愛染堂)


(摩尼殿への階段)


(摩尼殿)


(包丁塚)
(写真撮影:2006.11)

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(三日目(6)) 18回/21回

2007-01-24 05:49:04 | 36瀬戸内海・広島県・安芸群島
次に、大聖院に出向いた。宮島へは何度も来ているが、行くのは初めてである。大聖院は、真言宗御室派の大本山。宮島の寺院の中でもっとも歴史が古く、鳥羽天皇が祈祷堂を建立し、平家をはじめ足利の歴代将軍、豊臣秀吉らもこの寺を篤く信仰している。明治21年の火災で大師堂以外は全焼、現在の建物は復元されたもので、色々なお堂があり、大変大きい寺院であった。皆さんもあまり行かれていないと思うので、少し詳細に報告する。

伽藍配置は、次のようになっていて、仁王門、鐘楼堂、御成門、観音堂などがあった。


(伽藍配置図)


(大聖院仁王門)


(経文が設置されている階段)


(鐘楼堂)


(御成門)


(御成門からの宮島の眺望)


(観音堂)
(写真撮影:2006.11)

海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間(三日目(5)) 17回/21回

2007-01-23 05:16:01 | 36瀬戸内海・広島県・安芸群島
銀杏が黄色く色づく道を辿り、黄色く彩られた屋根を見ながら、


(色づいた銀杏)


(銀杏の落ち葉で黄色い屋根に)

土産物屋に行き、あなごの昼食を食べた。


(あなごの昼食)

その後は、3時間ほどの自由行動となった。弥山(みせん)に登ろうということになり、数名で出掛けた。無料バス停で待っていたが、バスが止まらずに通過してしまったので、ロープウェーまで歩くことにした。しかし、ロープウェー乗り場に着いたら、ゴンドラの故障で運転休止中であった。


(運転中止の張り紙)

ところが、ゴンドラが動いていたので、確認すると登った人を下ろすために動かしているとのこと。諦めて、もみじ谷公園を散策することにした。紅葉は少し遅かったが、少しずつではあるが、紅葉が残っていたし、落ち葉が絨毯のようになっていて、かえって趣があった。


(もみじだに公園)








(残念ながら少し遅かった紅葉)




(落ち葉の絨毯)
(写真撮影:2006.11)