ひょうきちの疑問

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「土佐へ」 お遍路記 18日目 札所なし

2021-09-26 20:48:56 | お遍路記 「土佐へ」

【18日目】 晴れ
 【札所】なし
 【地域】安芸市 → 自転車道 → 芸西村(琴ヶ浜) → 
     香南市(旧夜須町 → 旧香我美町 → 旧赤岡町 → 旧吉川村)
    【宿】 ホテルタマイ → 民宿かとり

 昨夜はやはり眠れませんでした。眠りがおかしいです。
 朝8時、安芸市のホテルタマイを出ました。近くのコンビニに寄って、タバコ一箱、カロリーメイト一箱を買いました。今日は民宿かとりまで約20キロ歩きます。その間に札所のお寺はありません。

 ホテルタマイを出て、安芸市の旧道、国道と海岸線の間にある町中の旧道を歩きました。昨日行きませんでしたが、国道の北側、約4キロ山手の方には三菱の創始者、岩崎弥太郎の生家があります。その付近に武家屋敷があったようです。
 ここは高知城の城下から約40キロはなれたところにあります。有名な坂本龍馬は高知城下の下級武士ですが、岩崎弥太郎はこの安芸市で生まれました。高知城下から見れば、さらに田舎の城下町です。岩崎弥太郎は、そこの下級武士。山の麓の今でも車の離合も難しいような所に生家があるようです。
 そのことを考えると、明治維新の功労者たちは下級武士出身と言われますが、その下級武士の「下級」の度合いが、この土佐の場合には特に大きいような気がします。


 前にも言いましたが、坂本龍馬の朋友であった中岡慎太郎(室戸岬に銅像が建っていた人)の出身地は、高知城下から見るとこの岩崎弥太郎の生まれた安芸市よりもさらに遠くにあります。2日前に通った奈半利町からさらに北の山に入った山あいです。

 そういうことを考えると、下級武士たちの革命である明治維新は、この土佐藩では群を抜いて最下級の武士が用いられているような気がします。当時の身分社会からすれば、本当にかなり底辺の下級武士たちが、まるで狙いうちされたように、国家を動かす人物としての役割を担わされています。

  そういえば長州の伊藤博文も萩城下の出身ではなく、萩から遠く離れた広島県との県境に近い村の出身です。その隣に、戦後の首相、岸信介と佐藤栄作兄弟の出身地の田布施村があります。一度訪れたことがありますが、本当に山口県の奥まったところで、そんな所から首相や大臣クラスの政治家が続々と登場しているのも、不思議な気がしました。

 岩崎弥太郎の安芸市や、さらに遠く離れた中岡慎太郎の北川村は、それと似た雰囲気を持っていると思いました。
 そのことと、このお遍路道がどう関係しているのか、または関係していないのか、分かりません。ただ道すがら、そんなことが思い浮かびました。

 午前9時、安芸市のホテルタマイを出て、安芸市の市街を歩いていると、「元気バス」という黄色い小さいバスが通っていました。昨日、ホテルのフロントの人に「ちょっと乗りたい」と言うと、「市がこじんまりと経営しているので、どこがバス停なのか分からない」という答えでしたが、歩いている途中でたまたまそのバスを見かけました。


●写真 8時11分  元気バス


黄色い車です。


 安芸市の国道から海側の旧道に入ると、おばあさんが私に声をかけてくれました。満面の笑みで「いってらっしゃい、お気をつけて」と声をかけてもらいました。2~3分歩くと、今度は70前後の男性に「おはようございます」と声をかけてもらいました。



●写真 8時32分  安芸市の漁港




●写真 8時42分  安芸市の国道


さっき、この道を自転車でお遍路をしている人が通り抜けていきました。


 安芸市には漁港がありました。その漁港を抜けると防波堤沿いに自転車道がありました。その自転車道の入り口は工事中でしたが、その工事現場の交通整理の人も、私を見て丁寧に「おはようございます」と挨拶して通してくれました。何かありがたい気分です。



●写真 8時49分  防波堤自転車道


道の左側は防波堤の壁です。


 安芸市の中心部を抜けると、防波堤沿いに10キロ以上続く自転車道に入りました。

 昨日も眠れなかったため、今日は足取りが重くてきついですが、そういう周囲の人の声で気分が明るくなります。やはり人の温かさというものはいいものです。なんとか次の宿のまでたどり着こうと思います。今日の宿は、江南市の民宿かとりになります。そこまで約20キロあります。昨日の朝一番に神峯寺を打ち、そこから明日の札所の大日寺まで約40キロです。今日はお参りする札所はありません。この3日間で参拝したお寺は昨日の神峯寺のひとつだけになります。



●写真 9時17分  防波堤自転車道沿いの祠




●写真 9時25分  安芸市の海岸




 琴ヶ浜の手前あたりで、旧友のM君から携帯に電話がありました。彼は高校時代の友人で、今は高知に住んでいます。私は室戸に着いた日に連絡をとっていました。会いたいとは思っていましたが、それまではどこまで歩けるのかまったく分からす、途中で挫折するかも知れないと思うと、彼に連絡できずにいました。しかし室戸岬に着いたとき、やっと土佐までの道が見えてきました。彼と会うのは約10年ぶりです。
 「いまどこらへんを歩いてるんだ?」という電話でした。

 明日5時と言っていたのを6時に変更しました。遍路時間は世間より約2時間早く、夕方5時にはほぼ一日を終えています。その感覚で思わず、夕方5時の約束をしていましたが、考えてみると、5時と言えば普通の人はまだ働いている時間です。私の感覚はだいぶ麻痺しているようです。そういう理由を言って、詫びを入れて、明日、夕方6時前後に会うことにしました。

 いま琴ケ浜の手前の赤野川というところを渡っています。赤野というのが地名です。集落名です。今日は自転車道を歩いてます。



●写真 9時52分  琴ヶ浜が見えた




●写真 9時52分  琴ヶ浜の遠景




●写真 9時54分  赤野の遍路接待所入り口




●写真 9時56分  琴ヶ浜の遠景




 M君が「琴ヶ浜はいい海岸だ」と言ったので、海岸に下りて琴ヶ浜の海岸を約1時間ぐらい歩きました。


●写真 10時21分  琴ヶ浜を歩く




●写真 10時22分  琴ヶ浜




●写真 10時25分  琴ヶ浜




●写真 10時46分  琴ヶ浜 後方




 琴ヶ浜の海岸は、海岸寄りに石ころがいっぱいあって、海岸から離れて砂地になってます。その砂が普通の海水浴場のようなキメの細かい砂ではなく、粒が2~3ミリぐらいあり、手に取ってみるとサラサラではなくザラザラとした大粒の砂で、そういう砂だと砂が締まらず、歩くと足がめり込んでしまいます。とくに一歩踏み出そうとして後ろ足に体重がかかったときにズルッと砂の中に足がはいってしまいます。踏ん張れず、お遍路には歩きにくいところでした。
 道が整備されない時代に、お遍路はどうやって旅を続けたのでしょうか。岩海岸も、砂海岸も、とても歩きにくいのです。


●写真 10時48分  琴ヶ浜の釣り人


砂浜海岸で竿を振って、釣りをする人を初めて見ました。「なにか釣れるんだろうか」と思いましたが、釣れても釣れなくても関係ないようにも見えました。頭にかぶった菅笠がとても似合ってました。にわか仕立てではないような気がします。


●写真 10時59分  琴ヶ浜


タイヤの跡もありました。誰かが乗り回したのでしょう。


●写真 10時59分  琴ヶ浜 後方




 海岸の中ほどに行くと少し砂がきめ細かくなって歩きやすいところもありすが、またしばらく進むと砂が大きくなって歩きにくくなります。石ころがあるところに行くと、石ころもその下の土台が砂だから、足で踏むと砂にめり込んでしまいます。
 しかしきれいな海岸でした。でもその時は歩くのが精一杯でした。
 1時間ぐらい、4キロぐらい歩いたと思います。芸西村に入りました。


●写真 11時5分  琴ヶ浜




●写真 11時5分  琴ヶ浜 後方




 まだ海岸は先まで続いていて、岬を回れば海岸はまだ歩けましたが、疲れてもうこれぐらいで道路に上がろうかというところで松林に上がってみたら、日本というのはよくした国で、ちゃんとそこに自動販売機があって、いつも飲んでいる500ミリのコーヒーも売っていました。ベンチもあって、日陰もあって、松林もあって、本当によくしたものだと思います。そう考えて、当たり前のようなこんな景色も、当たり前にあるのではないことが分かりました。

 公園は松林の中にあって、標高10mぐらいあって、10mというとけっこう高いですが、砂が盛り上がって松林になっています。松林の横を土佐くろしお鉄道が並行して走っています。
 そこで約1時間休憩しました。今日は足が疲れて、かなりマッサージをしました。
 足のマメは意外なところにもできはじめています。左足の小指は中の血が固まって赤くなっています。
 階段を上がって、展望台の横の松林、防風林がありますが、その防風林の中に展望台、その周辺が公園みたいになっていて、そこで昼食をとりました。約1時間ぐらい休息を取りました。



●写真 11時35分  琴ヶ浜の松原で休憩




●写真 11時35分  琴ヶ浜の松原




 気温が11月に入って下がりだし、今日はちょっと肌寒いので、ザックから黒のジャンパーを取り出して着ました。約1時間ほどマッサージをし、食事も終わって、横にあった公衆便所に入りました。
 その公衆便所には、よく見る便所の落書きがあって、「洋子の〇〇〇〇サイコー」と卑猥な言葉が書いてありました。そしてその下に、ここでは言えないような、「洋子さん」とおぼしき女性の、ある部分を強調した姿が図案化して描かれてあります。四国の人間も私の地元の九州と、落書きのレベルはあまり変わらないようです。それを見て、なぜかホッとしました。やっと私と同類の人間が住む下界に下りてきたと思いました。


●写真 11時36分  琴ヶ浜の松原




 午後12時15分、琴ヶ浜の展望台の近くにある松林の中の公園のベンチで昼食を終え、そこを出発しました。
 今からまた歩きます。あと宿の香南市のかとりまで9キロです。


●写真 12時22分  琴ヶ浜の自転車道と線路




●写真 12時28分  鍵の閉まった琴ヶ浜の善根宿


鍵がかかっていて中には入れませんでした。荒らす人もいるのでしょう。


 今日は月曜日ですが、振り替え休日で世間は休みです。昼過ぎまでそのことに気づきませんでした。妙に子供が世の中を動き回っているので不思議に思っていたら、あとで振替休日だということに気づきました。

 琴ヶ浜を過ぎると、香南市に入りました。それからまた自転車道に入り海岸沿いを歩きました。



●写真 12時38分 花




●写真 12時38分  花




●写真 12時39分  花




 小さきは 小さきままに 花咲きぬ 野辺の小草の 安けさを見よ(高田保馬)

 ゆっくり歩いていますが、目の前の景色は次々に変わります。車で移動するより、ゆっくり歩いているほうが、よけいに景色が飛び込んできます。とても多くのことが目に飛び込んできます。その都度、いろんなことが頭をよぎります。自分の体で歩いていると、周りの景色と同じリズムで自分が生きていることが分かります。さらにその景色を手で触れることができます。その感触は何でしょうか。なんとも不思議な感じで、うまく言えませんが、「ありがたい」という気持ちに近いものです。立ち止まりたい気持ちを抑えながら、また歩いて行きます。宿にたどり着かねばなりません。まだまだ先があります。


●写真 12時55分  老人施設の遍路休憩所




●写真 12時57分  お遍路さんのために植えた木




●写真 12時59分  香南市の標示


芸西村から香南市にはいりました。


●写真 13時10分  香南市のトンネル


周りの景色と合ったいいトンネルでした。


●写真 13時20分  別のトンネルを振り返る




●写真 13時28分  香南市のヨットハーバー




●写真 13時28分  香南市のヨットハーバー




●写真 13時28分  香南市のマリンスポーツセンター




●写真 13時39分  橋




●写真 14時3分  「おやゆれた あれこれするより まずにげろ」の標識


津波を警戒しています。ミラーの中に私もいました。


●写真 14時18分  川


山がだいぶ遠くなりました。


●写真 14時31分  橋


右に「赤岡橋」と読めます。ここは香南市(旧赤岡町)です。ここは町中の旧道ですが、一本南側に国道55号が通っています。


●写真 14時42分  国道55号と宿かとり やっと宿が見えました




 午後3時ちょっと前に宿についたころには、かなり足を引きずるような姿で歩いていました。やはり20キロ歩き終わるころには足がへたってしまいます。
 足が昨日の寝不足もあって、足のむくみがひどく、足が重くて歩くのに疲れました。
 宿には金剛杖を洗う水桶が用意されていませんでした。ここはお遍路専用の宿とは違うようです。

 洗濯機の洗剤もカラになってましたが、電話をしたらすぐに持ってきてくれました。宿に着いたとき、宿のお姉さんは忙しそうでした。ポットを六つぐらい両手に抱えて、準備の最中でした。この宿にはドライブインが併設されていて、そのレストランは交通の激しい道路の横にあります。そのレストランがメインで、そのついでに民宿をやっているという感じです。この宿はお遍路さん専用ではなく、一般の人たちも利用する民宿のようです。さらに結婚式場もそなえてあります。宴会場では、どこかの高校野球部OBの同窓会か何かの宴会があっています。

 夕食は道路沿いのレストランで食べました。5時半にレストランの一般の夕食が終わるので、夕食は6時からでしたが、宿泊客が夕食を食べている間も、顔なじみらしい人たちが、「オー、久しぶり」というという感じでレストランにはいって来て、7~8席はテーブルが埋まっていました。誰がお遍路さんなのかわからないまま、お酒を一杯飲んで、レストランを出ました。もしかしたら隣で食事をしていた60半ばぐらいの男性がお遍路さんだったかも知れません。宿にはお遍路2人と一般の方が4人泊まっているみたいです。
 明日はM君と会う予定です。



●写真 15時41分  部屋から見た国道55号線





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