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「土佐へ」 お遍路記 17日目 神峯寺(27番)

2021-09-27 20:02:00 | お遍路記 「土佐へ」

【17日目】 晴れのち曇り
 【札所】神峯寺(27番)
 【地域】安田町(唐浜) → 安芸市 → 防波堤歩道
    【宿】 民宿「とうの浜」 → ホテルタマイ

 昨夜は、夜8時から夜中3時まで約7時間ほど眠ることができました。
 6時半から朝食を取りました。
 午前7時20分、荷物は宿に預けて、民宿「とうの浜」を出ました。神峯寺を打ったあと、またここに戻って荷物を受け取る予定です。
 今日は神峯寺を打って、そのあと安芸市のホテルタマイまで行きます。距離数は約20キロですが、神峯寺が標高約450mあることの登り降りを考えると、実質的にはそれ以上あると思います。足のマメの具合は少し良くなりました。


●写真 7時28分  神峯寺のある山の遠景




 宿に泊まった男性2人と若い女性は、昨日のうちに神峯寺を打ち終えているので、次の札所に向かわれました。宿を出るとすぐ、60前後の静岡からの女性が、私とは違ったひとつ東の道を歩いているのが見えました。すぐに同じ道に合流して私の前を歩かれていました。するとまた違う道に行かれようとしたので、道を間違われているのではないかと思って、後ろから「道はこっちですよ」と私が言うと、「飲み物を買ってきます」と言って近くの唐浜駅に行かれました。そのあと私の後ろから来られているようです。

 山に登る途中、4人の男性グループのお遍路さんに追い越されました。学生の時の同級生だと言われてました。
 まだ遍路ころがしになる前の舗装道路で車が通れる道を歩いています。今のところ非常になだらかないい道が続いています。


●写真 7時35分  神峯寺に登る途中の聖域

何の聖域なのかは分かりません。


●写真 8時1分  神峯寺の中腹の景色




●写真 8時52分  神峯寺の山門


さほどきつくなかったのは、荷物を宿に預けていたことと、道が整備されていたことが大きいようです。今はだいぶ楽になりました。


●写真 8時55分  神峯寺の境内




●写真 8時56分  神峯寺の階段




●写真 8時58分  神峯寺の本堂




●写真 9時9分  神峯寺の太師堂



 午前9時20分頃、神峯寺を打ち終わり、そのあと納経を済ませました。
 山からの下り道で、同宿していた静岡の60代の女性といっしょになり、話ながら下りました。静岡県の浜松の女性で、私が「太平洋を見るのは珍しい」というと、彼女は静岡ですから日常的に目にされているようです。浜松は静岡県の西部なので、東にある富士山は遠くて登ったことがないとのことでした。



●写真 9時41分  神峯寺の下り




 午前10時20分、山を下りて荷物を預けていた民宿「とうの浜」に戻りました。荷物を預けていたせいか、神峯寺の遍路ころがしはそれほどでもありませんでした。女性は、ここから先は、11時4分発の唐浜駅発の土佐くろしお鉄道で、高知まで行くそうです。8日間のお遍路の日程の3日目で、あと5日間のお遍路だということでした。
 宿で荷物を受け取ったあと、その女性は「電車の時間までここで休んでいきます」と言われました。今回のお遍路で愛媛県の43番の明石寺まで行く予定だそうです。JRやバス、それから歩きを交えてお遍路をされていました。
 別れ際に、「ご一緒させていただき、ありがとうございました」と私が言うと、「こちらこそ」と言われ、「座ったままで失礼します」と言いながら丁寧にお辞儀をされました。
 名前も知らず、お遍路に来た理由にも触れず、ただ他愛もない世間話をしただけですが、道すがら話ができたことは、とてもありがたいものでした。この先は一人で歩かねばなりません。


 荷物を受け取って、民宿「とうの浜」を出発しました。天気が曇ってきました。

 早朝7時20分に民宿を出て、今10時20分ですので、山の登り降りでちょうど3時間かかったことになります。


●写真 10時21分  民宿「とうの浜」をあとにする




●写真 11時1分  コンビニで休憩


足に巻いているのはマメ対策のテーピングです。


 11時頃、国道沿いのローソンでコーヒーを買い、その店の隅の喫煙場所でタバコを吸いながら、腰を下ろして休憩しました。
 しばらくすると北側の鉄道路線を電車が通り過ぎました。さっき民宿「とうの浜」で別れた女性はその列車に乗っているはずです。
 そこに40代の女性が喫煙所にタバコを吸いに来ました。ちょっと派手な化粧の女性でした。そのときちょうど12時の町内放送のチャイムが拡声器から流れるのが聞こえました。ここはまだ高知県の安田町です。
 その女性はタバコに火をつけると「歩きでお遍路されているんですか」と尋ねられました。「はい、歩いています。もう2週間になります」と私が答えると、女性は「私たちも車でお遍路しているんですよ」と言われました。
 横浜から、80歳過ぎの車椅子の母親を連れて車でお遍路をしているということです。2~3日前に四国に来て、さっき神峯寺にお参りしてきた、ということでした。
 横浜から車で8時間かけてやって来て、それからお遍路をはじめたそうです。車椅子の母親を連れているのでゆっくり回っているのだそうです。年老いた母親を連れてわざわざ横浜から来られているのですから、いろいろな思いがあるのでしょう。タバコを消すと「道中、お気をつけて」と挨拶されて、車に向かわれました。

 妻にメールを打ちながらふと、むかし大岡越前の母が黙って火鉢の灰をつついて、男女の交わりが死ぬまで可能なことを教えたという話を思い出しました。
 還暦を過ぎると自分の老いのことが気になります。数日前には、近所の人が60代で亡くなりました。また同年代の友人の入退院の話をよく聞くようになりました。
 私の周りにもチラホラと老いの影が近づいています。
 また国道を歩きだしました。



●写真 12時14分  安芸市に入る




●写真 12時31分  安芸市の海岸




●写真 12時47分  安芸市の国道




●写真 12時49分  安芸市の海




●写真 12時56分  安芸市の漁港1


右側の山が切れたあたりに今日の宿があります


●写真 12時57分  安芸市の漁港2




 安芸市に入って土佐くろしお鉄道の下山駅を過ぎると、国道をはずれて、海岸沿いの防波堤歩道に入り、そこを1時間ぐらい歩きました。



●写真 13時2分  防波堤歩道沿いの海岸




●写真 13時2分  防波堤歩道沿いの海岸




●写真 13時8分  防波堤歩道沿いの海岸




●写真 13時11分  防波堤歩道沿いの海岸




●写真 13時18分  防波堤歩道沿いの海岸(後ろを振り返る)




●写真 13時18分  防波堤歩道沿いの海岸




●写真 13時23分  防波堤横の花




●写真 13時24分  防波堤横の花


道脇の花が目につきます。室戸岬までは花どころではありませんでしたが、ここ数日、花を見てキレイだと思うようになりました。

行き行きて 浜ひるがおの 青さかな



●写真 13時33分  防波堤歩道沿いの海岸(前方)





●写真 13時33分  防波堤歩道沿いの海岸(後ろを振り返る)




 妻からメールがあり、私の妹が家に遊びに来て、母を連れて食事に行ったそうです。妹はまだ私が四国にいることに驚いていたようです。いつまで四国にいるつもりなのかと。
 母が若い頃、門付けのお坊さんに米一皿を渡していたのを思い出します。私に門付けができるだろうか。



●写真 14時7分  伊尾木川の橋(前方)




●写真 14時8分  伊尾木川の橋(北方)




 伊尾木川を渡るとすぐに安芸川があり、その二つの川を渡って安芸市の市街地に入りました。


●写真 14時18分  安芸川の橋(前方)




●写真 14時19分  安芸川の河口(南方)




●写真 14時19分  安芸川の上流(北方)




●写真 14時30分  ホテルタマイ


中央の看板の人物は、三菱創始者の岩崎弥太郎。ここ安芸市の出身です。


 午後2時半、安芸市のホテルタマイに着きました。ホテルタマイは安芸市役所のすぐ東隣で、国道55号線沿いにありました。安芸市役所には三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の大きな看板がありました。
 電話でチェックインの時間は午後3時からと聞いていたので、荷物だけ置かせてもらおうと思って入ったら、入室オーケーということでした。
 チェックインをしながら「岩崎弥太郎の住居跡にはどう行ったらいいですか」とフロントの男性に尋ねると、「ローカルバスがありますが、どこが停留所なのかわかりません」と言いながら、パンフレットを持ってきてくれました。ここから5キロ北に行ったところで、タクシーで行くしかないようです。そこは北にある山の麓の集落で狭い田舎道を入っていくようです。

 このホテルは素泊まりだったので、チェックインを済ませて、ホテルの横のコンビニに今日の夕食と明日の朝飯を買いに行きました。それから洗濯物を1階のコインランドリーに入れました。洗濯と脱水が同時できる洗濯機で600円でした。いつもよりちょっと高かったです。

 けっこう大きなホテルで、部屋は8階で安芸市がかなり見渡せるました。西の方だけが壁にふさがれて見渡せません。安芸市は南が太平洋で、三方を山にいる囲まれていますが、けっこう広いくて豊かな平野のようです。

 ホテルのすぐ北側には土佐くろしお鉄道の安芸駅があります。駅とホテルの間は住宅地です。所々にまだ畑が残っています。その先の駅の北側は畑と水田が広がっています。北の山の奥行きは、ここから5~6キロぐらいで、岩崎弥太郎の住居跡はその山の麓の奥まったところにあるようです。

 ここ安芸市には武家屋敷跡もあるようですが、一度ホテルの部屋に入ると疲れて外出する気になれませんでした。部屋で久しぶりにゆっくりとテレビを見ました。

 室戸岬を過ぎてからは歩く景色がやや違って見えます。室戸岬まで人の住まない海岸道を歩いたからか、町中が人一倍懐かしく感じます。人の温もりというのはあるんだと思いました。

 人がつくる町の空気は、人のいない無人の場所とは違います。室戸岬への海岸道を歩いた緊張感に比べると、どこかホッとしながら歩くことができます。足のマメが痛くて疲れるのは同じですが、安堵感が違います。マメはそれ以上悪化することはなく、かといって完治することもなく、痛みが続いていますが、歩けないほどではありません。
 今日は眠れるだろうか、そのことが気にかかります。まだ頭の芯のどこかが冷めているのが分かります。不思議と眠くなりません。眠っても、起きているような浅い眠りです。
 疲れているのに眠りに落ちるのを何かが邪魔しています。眠ってもすぐ目覚めます。眠りながら、眠れ、眠れと言っている自分が分かります。熟睡できず疲れがたまっていますが、それでも歩けてしまうのです。
 何か変です。1日20キロ歩いた経験など、今まで数えるほどしかありません。1日歩いただけでもヘトヘトでした。それを毎日続けています。眠ることができず、体調も悪く、足も重いのに、それでも何とか歩けてしまいます。別に自分の体力が強くなったわけでもないのに、どうもいつもと違うようです。



●写真 14時30分  安芸市の町




●写真 15時22分  ホテルから北




●写真 15時22分  ホテルから北東




●写真 15時23分  ホテルから東南


右側は太平洋


●写真 15時23分  ホテルから東




●写真 15時23分  ホテルから南




●写真 6時47分  ホテルから北


この奥まったところに岩崎弥太郎の生家があるようです。



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