ひょうきちの疑問

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お遍路記 衣食足りて

2019-11-21 05:58:18 | お遍路記 「土佐へ」
木曜日
 
先月から3週間、四国のお遍路を歩いてみて感じたのだが、
車というのは、どんな車に乗っているかが大事なのではなくて、車があるかどうかが最も大事なことだ。
どんな車に乗っているかは大したことではない。車に乗れるかどうかが最も大事なことだ。
毎日毎日何十キロも歩く辛さに比べれば、車の乗り心地がいいとか、見た目がいいとか、そんなことはどうでもいいことで、歩かずに済むかどうか、これが決定的に大事なことだ。
車があれば歩かずに済む。このことで車の目的の99%は達成される。後のことは些細なことだ。
3週間歩き続け、途中で久しぶりに旧友の車に乗ったとき、これほど快適なものが世の中にあるのかと驚いた。私が30分かけて歩いた道をほんの3分で通り過ぎた。決して高級車とはいえないその車の快適さに驚いた。
奇しくも私の車と同車種で、自分がこんないい車に乗っていたのかと驚いた。
これ以上、何を望むというのか。
 
しかし多くの人は、99%のものが与えられても、残り1%の不足のために、不毛な努力をしている。
 
毎日毎日カロリーメイトばかり食べていると、人の手で握ったおにぎりが恋しくなる。
室戸岬までの人家の見えない海岸沿いの国道を1人歩いていると、自分の今までの日常が無性に恋しくなる。
歩き疲れて民宿の風呂に入ると、気持ちの良さにアアーッと声が出る。極楽とはこういうことだなと思った。どんなに粗末な狭い風呂であっても、風呂に変わりはない。温かい水があって、湯船があって、それに全身浸かることができれば、それで十分である。
そんな暮らしを長いこと忘れていた。
 
衣食足りて礼節を知る、と昔の人は言ったが、衣食足りてもまだ飽くことを知らないのが現代人だな。
 
何を与えられても満足できない人間は、死んですらも不満を残すだろう。
死ぬときぐらい、何も残さないで死にたい。
色は空なり、色即是空。
札所や名もない祠で、般若心経や御真言を何十回も唱えた。
でもなかなか煩悩は消えてくれない。
それどころかますます現世が恋しくなる。
 
 
阿波の鳴門から歩き、山を歩き、海を歩き、街を抜け、ミカンをもらい、柿をもらい、水をもらい、ポカリまでもらって、土佐の桂浜まで流れ着いた。
また行けるだろうか、お遍路。

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