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新「授業でいえない世界史」 9話の7 古代オリエント ヘブライ人、出エジプト

2020-04-29 07:07:34 | 新世界史4 古代オリエント

【ヘブライ人】 それからヘブライ人、彼らは後にユダヤ人と呼ばれるようになりますが、この当時はヘブライ人といわれていた。またのちにつくる国名から、イスラエル民族ともいいます。

※ ユダヤ商人の歴史は、紀元前1500年頃に世界史に登場したヘブライ人にまで溯ります。ヘブライとは、「川向こうから来た人」の意味で、もともとは遊牧民だったユダヤ人の呼び名です。他方で「ユダヤ」というのは「ユダの子孫、一族」の意味で民族の自称になります。古代のヘブライ社会ではアブラハム、イサク、ヤコブと族長が続きましたが、ヤコブの12人の息子のうちの1人がユダです。(ユダヤ商人と貨幣・金融の世界史 宮崎正勝 原書房 P12)

※ イスラエル民族のあいだでは、もっぱら自分たちのパレスティナカナンとよんでいた。だが、イスラエル民族もまた、もとをただせば同じセム系であり、第3次移住団であるアラム族の別派なのである。だから、かれらの母語もアラム語だったが、そのアラム移住団のアラム人たちとわかれてパレスティナに定着してからは、だんだんカナン人のことばをつかうようになった。これがのちのヘブライ語である。(世界の歴史2 古代オリエント 岸本通夫他 河出書房新社 P344)

 

 20世紀でユダヤ人といえば、ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺で有名ですけど、彼らは世界史のヘソです。
 今、彼らは大金持ちです。アメリカのニューヨークのウォール街では10人に2人はユダヤ人だといわれている。お金を持ってる。1兆円、2兆円の金を1日で動かしている。世界金融の中心にいる人たちです。

  でも彼らはこの時は非常に貧しくて、生活の糧を求めて一部はエジプトへ移住して、食うや食わずでどうにか生き延びていた。しかし彼らのエジプトでの生活は苦しくて、ほぼ奴隷化していた。

※ アブラハムはカナンのシケムの地にひとまず落ち着きますが、さらに旅を続け、エジプトに至ったとされます。商人の生活の基本形は「」ですから、アブラハムの生業が商業だったことが理解されます。(ユダヤ商人と貨幣・金融の世界史 宮崎正勝 原書房 P13)


 そうすると「こんな生活はもうイヤだ」と思う。このあたりは、民族の競合が激しくて、強い民族がやってくるたびに弱い民族は叩かれて、下へ下へと落とし込まれていく地域です。
 日本のように島国でほとんど民族が入ってこない地域では、そういうことは起こりませんが、彼らは油断も隙もないようなところで奴隷となって生きている。そしてあらゆるところから異民族が押し寄せてくる。だから生きるのにやっとなんです。生きるためならどんなことでもしていこうとする。

※ ヘブライ人は人種的には雑多で、どの国家にも所属せず、その最もましな生業は砂漠でろばをあやつる隊商であった。時と場合によっては、彼らは砂漠から定住地に侵入する盗賊か掠奪者たち、エジプトのブドウ園の収穫人などと記録されている。また、傭兵隊としても働いた。アマルナ書簡の伝えるところでは、彼らは紀元前14世紀のパレスティナでは、エジプトの支配下にあるエルサレムなどの都市国家を襲う無法者であった。 (世界の歴史4 オリエント世界の発展 小川英雄・山本由美子 中央公論社 P58)



【出エジプト】 ユダヤ人は、エジプトで百年ぐらい暮らしていましたが、全く生活が良くならない。「こんなエジプト抜け出そうぜ」、そういうリーダーに引っ張られて集団でエジプトを逃亡する。
 こういう大脱走が、紀元前1250年頃に起こった。なぜそれがわかるか。ユダヤ教の聖典「旧約聖書」にそう書いてあるからです。旧約聖書は「オレたちの祖先はこんなことをして生き延びたんだ」ということを書いています。この事件を「出エジプト」といいます。これは事実だとされています。

 何万人というユダヤ人・・・・・・このときにはヘブライ人と言いますが・・・・・・そのヘブライ人を率いてエジプトから脱出した。その指導者がモーセです。
 伝説として、目の前の海を渡ろうとして、モーセが呪文を唱えて「海よひらけ」と言うと、海の水が真ん中から割れて、道ができてそこを渡って行った。これが何を意味しているかは分からないけど、そういうシーンが映画の有名なシーンになっている。「そんなもんウソだろう」というと、宗教上のことだからなかなか触れられないところがある。


VTS 01 1  「十戒 神の奇跡」



※ 広い意味でのユダヤ教が成立したのは前13世紀である。このときに「出エジプト」という事件が生じた。当時のエジプト(第19王朝)のもとで奴隷状態にあって苦しんでいた者たちが、モーセという指導者の下、大挙してエジプトから脱走したという事件である。もう一つの重要な事件は「カナンヘの定着」である。エジプトから脱走した者たちの次の世代の者たちがカナンに侵入した。(一神教の誕生 加藤隆著 講談社現代新書  P46) 


※ エジプトの膨大な文字資料の中に出エジプトに対応する出来事への言及はまったく見られないのである。・・・・・・考えられるのは、出エジプトが、旧約聖書が描き出しているような仕方、規模では起こらなかったということである。大エジプトから見れば、それは記録にも残らない些細な出来事、一部の奴隷の逃亡に過ぎず、考古学的な痕跡もほとんど残さないような小規模な事態だったのであろう。(聖書時代史 旧約篇 山我哲雄 岩波書店 P31)

※ イスラエルが(ヨシュア記が描くように)一まとまりの大きな集団として、カナン外部からやって来て、この地を一気に征服したという可能性は、考古学的にも歴史学的にも否定されている。(聖書時代史 旧約篇 山我哲雄 岩波書店 P46)



【十戒】 その途中のシナイ山でモーセは神様ヤハウェから、十の戒めつまり「十戒」を授けられた、となっている。その1番目に何と書いてあるか。これが「オレ以外の神を拝むな」です。これが一神教の発生です。

※ (出エジプトの)想定された時代に相当規模の集団の通過を証言する遺跡は、これまでのところシナイ砂漠のなかに発見されていないし、有名な「シナイ山」の位置もまだ「発見」されていない
(ユダヤ人の起源 シュロモー・サンド ちくま学芸文庫  P247)


※ シナイ山の位置についても多数の仮説があるが、正確なことはわからない。(聖書時代史 旧約篇 山我哲雄 岩波書店 P36)

※ ハンムラビ法典も太陽神シャマシュの名において公布されているように、神によってあたえられた法という観念はイスラエル人に固有のものではない。しかし、律法を守るという点において、イスラエル人はきわだっている。(多神教と一神教 本村凌二 岩波新書 P98)


 この話がホントかどうかは知りません。そういうふうにキリスト教世界では信じられています。根拠はユダヤ教の聖典である旧約聖書にそう書いてあるからです。

 彼らは約100年前のアメンホテプ4世(位 前1379~62)の一神教改革の時にはすでにエジプトに住んでいましたから、その改革の様子を民族としては見ていたはずです。
 アメンホテプ4世の改革は失敗しましたが、その一神教的発想は形を変えてこんなところで復活します。王がめざした改革を奴隷が受け継ぐというのも変な話ですが、アメンホテプ4世という病弱で神経症的な王の発想が、追い詰められた奴隷たちにぴったり当てはまったのでしょう。信じる神は一つだけだとすれば、集団の求心力は強まります。集団で荒野をさまよっているときに必要なのは、集団としての強い団結だったと思われます。

 狩猟・採集の時代には、「神々とは、人間の意志に従うよう威嚇され強要される存在」(初版金枝篇 上 J.G.フレイザー ちくま学芸文庫 P61)と考えられていました。

 しかし、それが農耕が始まって、シュメールの時代になると「人間は、神々のために働く存在」(シュメル 小林登志子 中公新書 P227)と考えられるようになりました。
 彼らはそのようなオリエント世界の中で生きていました。彼らの考えでは、この世をつくったのもこの神なら、この世の未来をつくるのもすべてこの神です。この神は今までの神とは違った、全知全能の神として姿を現します。

 人間は古来、自分の念じる力でこの世の動きに影響を及ぼすことができると考えてきました。「雨よ降れ」と祈れば、雨が降り、「風よ吹け」と祈れば、風が吹くと信じてきました。でも彼らは、この世の動きをつくるのは、自分たちの祈りなどではなく、この世はそれとは別のあるものによって動かされていると感じはじめたのです。そうだとすれば、祈りをしても無駄になります。

 ユダヤ人たちはここで、「今までのような祈りではダメだ」と感じはじめたのです。それは奴隷生活からぬけられない、自分たちの厳しい生活から出てきた発想なのでしょう。厳しいどん底の生活からなかなかぬけられないと、自分の念じる力でこの世を変えることや、呪術やまじないによって自分たちの生活を良くしようとすることが信じれなくなります。ユダヤ人の一神教はそういう彼らの生活のなかから出てきたものです。
 「この世を動かしているのは自分たちではない、自分たちを越えた偉大な神の力だ。だとすればその神の意志さえ知れば、自分たちは救われるはずだ」、そう彼らは考えたのです。

※ 自らがあまりに脆く、か弱いものと感じるとき、人間は、自然の巨大な機構を制御している存在が、いかに大きく力強いものであるか、と考えざるを得ない。かくして、神々との平等という旧来の感覚が徐々に失われて行くにつれ、人間は自然の成り行きを、たとえば呪術のような独自の能力によって動かせるという望みを、諦めることになる。そして神々のことを、かつては自分も共有していると主張できた超自然的な力を、もはや唯一保有する存在とみなすようになるのである。(初版 金枝篇 上  J.G.フレイザー ちくま学芸文庫 P62)

※ なぜ、自分たちが信じていた神々を捨てて、他人のモーセが勧めた神に飛びついたんですか。 

(岸田)なぜかというのは明らかで、自分たちの神々が守ってくれなかったんですよ。助けてくれなかったんですよ。それで他人の神に飛びついたんですよ。・・・・・・彼らだって、エジプトに連れてこられて奴隷にされる前は、生まれ故郷でのんびり暮らし、それぞれの民族神を信じていたかもしれません。しかし、彼らは、異郷の地にあって民族神から引き離され、もはや民族神に愛されても守られてもいないのです。(一神教 VS 多神教 岸田秀 新書館 P17)

※ ユダヤの神、ヤハウェは、ユダヤ民族の祖先ではないんですね。・・・・・・ユダヤ教の神とユダヤ民族は、赤の他人同士なんですね。この神と契約するという思想は中近東独特のものであって、他の地域には見られません。ユダヤ人の独創です。・・・・・・そういう他人同士の関係から出発したということがユダヤ教の根底にあるんじゃないかと思うんです。(一神教 VS 多神教 岸田秀 新書館 P15)

※ ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、中近東に発生し、世界へと広がったわけです。一神教が普遍的現象なら、中近東以外の地域に別の一神教が発生したっていいはずなんですが、発生しませんでした。ということは、一神教というのは、自らの普遍性は主張しますが、本当はきわめて地方的な現象だということです。言ってみれば、中近東の風土病ですね。(一神教 VS 多神教 岸田秀 新書館 P107) 

(●筆者注) 世の中に多神教は数限りなくあるが、一神教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の三つだけである。そしてキリスト教とイスラーム教の双方ともユダヤ教から派生したものである。

※ セム系一神教は、「過酷な環境」と高い親和性を持っている。(勃発!第3次世界大戦 B・フルフォード KKベストセラーズ 2011.4月 P126)

※ モーセはそれまでのイスラエルの人々の考え方とは違って、アブラハム以外の彼らの神ヤハウェを、人間との絶対的な距離で隔絶された非対称性の神として理解し、あわせてほかの多神教宇宙の神々への信仰を徹底的に禁止したのです。・・・・・・出エジプトの体験とモーゼの思想を通過したのち、「高神」は人間との間に絶対的な距離を保ち、ほかの神々の存在を激しい嫉妬心をこめて拒絶する、「唯一神」に変貌をとげたのです。(カイエソバージュ4 神の発明 中沢新一 講談社選書メチエ P166)

※ (ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という)これら世界三大宗教を学術用語では「セム系一神教」と呼ぶ。・・・・・・一神教は、砂漠地帯で発祥した、ある意味、特殊な宗教観なのであろう。実際、自然環境が厳しい砂漠地帯では、セム系一神教の以前も、部族ごとにそれぞれの「神」を信仰してきた。もともと、一神教を信じやすい土地柄なのである。いうなれば緑が多ければ神様が増えていき、緑が少なくなればなるほど、神が減って、最後は一神教へと行きつくようなのだ。理由はこう考えられる。自然が豊かならば、自然から生きる糧を得やすい。だから何でもかんでも神様として感謝したくなる。逆に自然が厳しければ、神様の御機嫌を取るため、神様に優劣をつけてしまうのだろう。つまりその最終形が一神教=絶対神なのだ。・・・・・・過酷な自然環境では、時として食料が不足する。そうなれば他の集団から奪い取るしかない。・・・・・・当然、仲間以外は敵とみなす文化が生まれやすい。仲間か否か。その区別に用いられるのが、どの「神」を信じているか信仰によって敵と味方を分かつ文化ができるのだ。・・・・・・セム系一神教は、部族ごとに存在していた「神」を殺しながら、一つに集約・統一されて絶対神化していった。いうなれば「神殺しの神」なのである。もっとわかりやすく言えば、神様同士の戦い、すべての神を倒してチャンピオンになった神様なのだ。(勃発!第3次世界大戦 B・フルフォード KKベストセラーズ 2011.4月 P122)

※ 温和なエジプト人がファラオという聖化された人物を運命の手に委ねたのに対し、荒々しいセム人は運命をおのれの手に入れ、独裁者を片づけてしまった。 数千年にも及ぶエジプトの歴史の中でファラオの暴力的追放あるいはファラオ殺害という事件がいかに希であることか。(モーセと一神教 フロイト著 ちくま学芸文庫 P85)


 目指すはエジプトを脱出してイスラエル地域です。国でいえばイスラエル、地域でいえばパレスティナです。そこを目指した。そこは日本から見れば砂漠みたいなところですが、砂漠の住人から見ると「蜜のしたたる地域」です。「緑があるじゃないか」と感動ものです。砂漠の民から見れば、こんな所に住めたらいいなと思う。

※ カナンの地(パレスチナ)ではすでに初期青銅器時代(前3300~2200年頃)から、主として平野部を中心に多数の都市が形成されていた。・・・・・・これらの都市はほとんどの場合、城壁に囲まれ王が統治する単独の都市国家をなし、限られた範囲の周辺の農地と村落を支配下に置いた。(聖書時代史 旧約篇 山我哲雄 岩波書店 P7)

※【彷徨】
※ ヘブライ人は指導者モーセにひきいられてエジプトをのがれる。彼らは40年間さまよいながら、やがて次の世代に「約束の地」カナンにたどりつく。だが、そこには諸勢力がひしめきあっており、新来のヘブライ人が定着することを快くうけいれる人だけではなかった。(多神教と一神教 本村凌二 岩波新書 P89)

※ 前1000年前後の東地中海世界はすさまじいほどの激動期であった。安定と秩序をもたらす大きな覇権国家はなく、都市国家や部族集団がはげしくせめぎ合うばかりであった。とりわけメソポタミアとエジプトの狭間にあるカナン地方は弱小勢力が群立し、攻防をくりかえしていたのである。・・・・・・このような危機に戸惑い、迫りくる不安にさいなまれながら、人々は苦悶のなかに生きていた。かれらは虐げられた民であり、自分たちの不幸を嘆かずにはいられなかった。・・・・・・このような危機と抑圧の時代には、人々は神々の喪失を嘆かざるをえない。(多神教と一神教 本村凌二 岩波新書 P178)

※【カナンへの侵入】
※ ヤハウェ崇拝は、出エジプト集団が出エジプトの伝承とともにイスラエルにもたらしたという可能性を考えることができる。したがって、出エジプトと元来関わりを持たなかった諸集団から見れば、ヤハウェ信仰の受容は出エジプト伝承の受容と表裏一体をなしていたことだろう。・・・・・・カナンの地に出現した原イスラエル集団は、先住民や周辺民族との厳しい戦いを強いられていた。このような状況下で、強力な戦いの神、救いの神の観念は積極的に受け入れられていったものと思われる。・・・・・・強烈な神観念が集団を形成、結集する強力な作用を持つことは、後のムハンマドを中心とする数十人の集団から出発しながら、百年を経ずして内紛に明け暮れていたアラビア半島を統一し、さらにインドと地中海世界へも支配を広げていったイスラム共同体に類例を見ることができる。(聖書時代史 旧約篇 山我哲雄 岩波書店 P33)

※ 後のイスラエル民族の中にはエジプトから脱出してきた人々の子孫や、アラム地方から移住してきた人々もいたに違いない。それゆえ、地理的にも文化的にも起源を異にする多様な人々の「るつぼ」の中からイスラエル民族が出現した、とみる研究者も少なくない。・・・・・・それらの居住地は、少なくとも初期の段階では原則的に自給自足であり、相互の間に密接な連絡があったようには思われない。それらの集団は、差し当たっては相互に無関係に並存していた。これらの人々のうち、やがて同じ民族としての強烈な共属意識とアイデンティティーを獲得した部分が、イスラエル民族となったのであり、なかには「イスラエル人」としての意識を持たずに孤立した存在を続けた人々もあったに違いない。この地の住民がすべて「イスラエル人」となるのは、王国時代の政治的統一以降であろう。(聖書時代史 旧約篇 山我哲雄 岩波書店 P55)

※【殲滅の物語】
※ 旧約聖書はある意味で戦争の記録ですね。モーセに連れ出されて約束の地カナンに向かったイスラエル軍は、ヤハウェの守護のもとに都市という都市を全部殲滅していく。(一神教 VS 多神教 岸田秀 新書館 P173)


※ 例えば、イスラエルが角笛を吹きながら周囲を行進すると、堅固な城壁がひとりでに崩れ落ちたとされるエリコの城壁は、考古学的調査の結果、何と初期青銅器時代末の前2300年頃に破壊されたものであり、イスラエルの登場時にはエリコはほとんど人の住まない場所であったことが判明した。・・・・・・したがって、エリコの城壁の崩壊の物語は、その廃墟の由来を説明する起源譚として創作されたものであることは明白である。(聖書時代史 旧約篇 山我哲雄 岩波書店 P37)

※ (ユダヤ教の聖典である旧約聖書の)申命記の28章のなかで、ヤーヴェがおのれの命にしたがわなかった者に徹底的に望んだような恐ろしい破壊によって、人間がおびやかされたことは、これ以前の、そしてこれ以後のどの世界の詩文の記述の中にもけっして見られない。(ユダヤ人と経済生活 ヴェルナー・ゾンバルト 荒地出版社 P295) 

(●筆者注) ヴェルナー・ゾンバルト(1863~1941)はマックス・ウェーバーと並ぶドイツの社会経済学の双璧とされた。マックス・ウェーバーの資本主義プロテスタント説にたいして資本主義ユダヤ教説を唱えた。しかし、その説がナチスドイツに利用されたとして、戦後はなかなか読めなくなった人物である。彼の主著「ユダヤ人と経済生活」は、最近(2015年)、講談社学術文庫から久々に出版された。荒地出版社版は絶版となっている。




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