ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

新「授業でいえない世界史」 9話の3 古代オリエント 初期王朝~アッカド王国

2020-04-29 07:10:56 | 新世界史4 古代オリエント

※【初期王朝時代】(前2900~前2335)
※ (ウルク第一王朝の5代王の)ギルガメシュは、ほぼ、うたがいなく実在した。・・・・・・ギルガメシュが生きたのは、前三千年紀(前3000~前2001)の前半、初期王朝Ⅰ期(前2900~前2750)の終わりないしⅡ期(前2750~前2600)であろう。(世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント 大貫良夫他 中央公論社 P169)
 ギルガメシュは、初期王朝Ⅲ期(前2600~前2335)には、すでに神格化されていた。(世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント 大貫良夫他 中央公論社 P171)

※ 前2900年頃に始まる初期王朝時代(前2900~前2335)は先サルゴン時代ともいわれ、シュメルの有力な都市国家が分立していて、覇権、交易路や領土問題で争った。
 古代ギリシアのポリス社会(前8~4世紀頃)や中国の春秋戦国時代(前770~403年、前403~221年)の都市国家と同様に、シュメルでも都市国家が抗争を繰り返した。(シュメル 小林登志子 中公新書 P18)

※ 最古の粘土板記録が成立したウルク後期の最末期(おそらく前3100年ころ)から初期王朝期Ⅲ期の終わり(前24世紀中ごろ)までが、シュメール人による都市国家時代である。(世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント 大貫良夫他 中央公論社 P165)

※ 古代メソポタミアは都市社会であったが、それは農業に支えられていた。都市には、農業とはかかわりない職業をもつ人びとだけが住んでいたのではないであろう。大土地所有者はもちろんのこと、都市の周囲にひろがる耕地を耕す農民たちも、多く都市で生活していたはずである。(世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント 大貫良夫他 中央公論社 P240)



 有名な都市国家として、ユーフラテス川下流のウルがあります。紀元前2700年頃には、そこにウル第一王朝ができます。今は砂漠ですが、当時は河口が近く水があったようです。まだこの時代には都市国家を併合した領域国家はできません。バラバラの都市国家同士が覇を争っています。それはまだ小さな都市国家です。
 国ができる時には必ず神様が発生します。まず「神様によって守られる都市」、これが国家です。守ってくれる神がいない都市は恐くて恐くてとても住めない。国家と神は深いつながりがあります。

※ 初期王朝時代第Ⅰ期(前2900~前2750)には、都市国家間の戦争が頻繁にあったことから城壁の内側に人々が住むようになり、 
  初期王朝時代第Ⅱ期(前2750~前2600)も戦争が続く状態は変わらなかった。
  初期王朝時代第ⅢA期(前2600~前2500)にはキシュ市(現代名ウハイミル)のメシリム王がラガシュウンマ(現代名テル・ジョハ)両市間の争いを調停するほどの勢力を示し、
  初期王朝時代第ⅢB期(前2500~前2335)においては両市の約100年にわたる争いがラガシュの王碑文に詳細に書かれている。(シュメル 小林登志子 中公新書 P22)


※ 王朝表によれば、シュメールを支配する王権はウルクからウルへうつった。このウル第一王朝で最初の王として言及されているのはメスアンネパダである。・・・・・・メスアンネパダはほぼ前三千年紀の中ごろ、初期王朝Ⅲ期(前2600~前2335)の人物かもしれない。
 とすれば、彼の時代(前三千年紀の中頃)と、(ウルク王の)ギルガメッシュや(キシュ王の)アガが生きた時代(前三千年紀の前半)とは、かなりの年数のひらきがあると思われるが、その間の歴史については、まだわからない。(世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント 大貫良夫他 中央公論社 P171)

※ 都市ラガシュでは、初期王朝Ⅲ期(前2600~前2335)の中ごろにウル・ナンシェなる人物が王位についた。・・・・・・ラガシュは、境界をなす土地をめぐって隣のウンマと抗争をくりかえしていた。・・・・・・
 人びとにとって、この世の出来事は、神々の意図のあらわれであった。支配者は神々によって庇護され、神によって支配権を与えられる。彼は都市神の代理として対立都市と戦争を行うのである。・・・・・・
 全土の神たるエンリル神が、ラガシュの都市神ニンギルスとウンマのシャラ神のあいだの境界を画定し、そしてキシュ王が彼の都市神イシュタラン神の命によって土地を測り、国境を示す石碑をおいたという。(世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント 大貫良夫他 中央公論社 P176)

※ (都市ラガシュの最後の王ウルイニムギナは)、おそらくクーデタで支配権を奪った約1年後、「ニンギルス神が36000人の(ラガシュ市民の)なかからウルイニムギナ(を選びだし、彼)にラガシュの王権を与えたとき」、
ウルイニムギナは、このような状況を打ちやぶるべく、「支配者の家、耕地の主人にニンギルス神をおいた。支配者妃の家、耕地の女主人にバウ神をおいた」。
 また、各種の税を軽減し、強者から弱者を守り、ラガシュに自由をもたらした。(世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント 大貫良夫他 中央公論社 P180)

※【遊牧民】

 シュメル人はアッカド人とともにカラム(国土)に住んで農業を営み、都市生活を謳歌した。カラムは豊饒な世界であったが、周辺地域はクルと呼ばれた荒れ地であって、農業はままならず、遊牧しながら天幕(テント)に住み、貧しかった。そのためにシュメル人はここに住む人々を蔑視していた。(シュメル 小林登志子 中公新書 P184)
 シュメル人もまた自分たちと生活習慣のちがう周辺諸民族を獣並みに貶め、自らを文明に浴した人間として高めていた。(シュメル 小林登志子 中公新書 P187)
 古くから共存していたアッカド人は別として、シュメル人にとって、ほかの人々は蛮族であり、追い払うべき勢力でしかなく、共存はありえなかった。(シュメル 小林登志子 中公新書 P194)



【文字の発生】 こういう都市国家が文明をつくります。その一つの重要な条件が文字の発生です。
 中国はかなり早くから文字を発明し、さらに文字を書く紙を発明した。でもこのあたりは乾燥地帯だから木がなく紙が発明されません。だから文字は粘土に書く。書くというより、粘土板に刻むんですね。ギザギザをつけて。こうやって書かれた文字を楔形文字といいます。楔はくさびと読みます。粘土を板状にして、それに△□みたいな模様を押す。これが文字になる。



【週7日制】 1年は人間が決めたわけじゃない。これは太陽の運行だから。1ヶ月も人間が決めたわけではない。これは月が地球の周りを回る周期だから。
 でも1週間は人間が決めたものです。7日である必要はない。6日でも、10日でも本当はいいんです。
 では誰が決めたか。はっきり歴史に現れてくるのは、彼らです。7日区切りの人間の生活をリズムとして採用する。1週間はここから発生して、それがキリスト教の母体である旧約聖書に取り込まれます。

 明治になるまで日本には1週間の制度はありません。だから日曜休みもありません。代わりに多くの祭日がありました。日本に1週間ができたのは、明治政府がヨーロッパの制度の多くをマネしていったからです。ヨーロッパが1週間は7日としていたから、明治政府がそれをマネしたのです。
 ヨーロッパの核には宗教があります。それがキリスト教です。キリスト教の聖典である旧約聖書に1週間7日の観念が組み込まれるのは、ここにルーツがあります。

※ 前24世紀の中ごろに、(都市国家ウンマの支配者)ルガルザゲシによってシュメール諸都市が軍事占領された。1000年近く続いた都市国家体制が終わったのである。
 (メソポタミア南部のシュメールにある都市国家)ラガシュでは、(そのラガシュ王の)ウルイニムギナの治世5年目には人びとが戦闘にかりだされている。ウンマの支配者ルガルザゲシが、対ラガシュ戦争を再開したのである。その数年のち、彼(ルガルザゲシ)の軍勢はラガシュに侵入した。ある碑文は、ラガシュが敗北し、大掠奪を受けたことを驚くほど率直に認めている。
 王朝表は、ルガルザゲシウルクの王であり、25年治世したと述べている。彼はウンマの支配者として出発して、のちウルクウル、ラルサなどを征服したのである。彼の碑文には、全土の神たるエンリル神の委任によって広大な領土を支配するというイデオロギーが明確に表現されている。(世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント 大貫良夫他 中央公論社 P181)



【アッカド王国】(前2334~前2154)
 こういうシュメール人の国家は、500~600年で別の民族に滅ぼされます。日本のように四方を海で囲まれた国とは違い、陸づたいに山からはAという民族、川の向こうからはBという民族、海からはCという民族が次々にやってくる。言葉も違うアッカド人という人々が侵入する。シュメールの場合と同じように、アッカドという言葉も地域名です。シュメールの北側の地域をアッカド地方といいます。
 シュメール人はどういう人だったか全くわからない謎の民族ですが、アッカド人はセム系だといわれます。セム系・ハム系は聖書でよく出てきます。セム系は大まかにいうとアラビア人です。昔はハム系がエジプト人とされていましたが、今では大きくセム系の中に入れられます。

 このアッカド王国の征服は紀元前2400年頃です。このセム系アッカド人の王サルゴン1世によって、シュメール人の都市国家の分立状態は終わり、メソポタミア地方がはじめて統一されます。

 セム語族の源郷はアラビア半島南端の地、現在のイエメン共和国といわれている。この地からバビロニアに東方セム語族に属すアッカド人が入ってきた。(シュメル 小林登志子 中公新書 P171)

 バビロニアにおいては、シュメール人は南方、アッカド人は北方に住み分けていたようだが、両者は二分されていたのではなく、混在もしていた。シュメール人とアッカド人の間には民族対立はなかったのであろうか。・・・・・・どうやら深刻な民族対立はなかったようだ。シュメルの都市国家はアッカド人サルゴン王に切りしたがえられたが、これも民族対立に起因するものではなかった。シュメール人とアッカド人はともに都市生活をし、神を崇拝し、文化を持つ民であって、共存していた。(シュメル 小林登志子 中公新書 P183)

 (シュメール地域のウルク王の)ルガルザゲシは、北方アガデ(アッカド)の支配者サルゴンに倒される。ここにアッカド王朝がはじまる。セム人による統一王朝であった。・・・・・・
 伝承によれば、キシュ王に仕えていたサルゴンが独立して、アガデ(アッカド)を建設したという。アガデ(アッカド)がキシュ近くにあったことはたしかであるが、正確な位置はまだわかっていない。(世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント 大貫良夫 中央公論社 P182)

 シュメルの都市国家の分立状態を終わらせ、メソポタミア南部にはじめて統一をもたらしたのはアッカド王朝前2334~2154年頃)の初代サルゴン王(前2334~2279年頃)であった。・・・・・・東方セム語族に属すアッカド人がいつメソポタミアに入ったかは不明だが、シュメル人とは民族的な対立はなかったようだ。(シュメル 小林登志子 中公新書 P25)

 「サルゴン王伝説」に語られているところでは、サルゴンの母は子供を産んではいけない女神官であったようだ。母はひそかにサルゴンを産み、籠に入れてユーフラテス河に流したという。祝福されない赤子の運命は河の神の「神明裁判」に委ねられ、その結果は「吉」と出、赤子の運命は好転した。アッキという名前の庭師に拾われ、その後キシュ市のウルザババ王の酒杯官となり、やがてサルゴンは王権を簒奪した。ウルザババはそうなることを見越していたようで、サルゴンを暗殺しようと企てたが失敗した。
 河に流されたサルゴンの話は、アケメネス朝ペルシアの初代王キュロス2世(前559~530年)、イスラエル人の「出エジプト」を指導したという伝説の人モーセ、そして「ローマ建国伝説」の双生児ロムルスとレムスなどにまつわる「捨て子伝説」の最古の例である。(シュメル 小林登志子 中公新書 P173)

※【王の聖婚】
※ ウルクの守護神イナンナは羊飼いドゥムジと結婚し、ドゥムジは、それによってウルクの支配者となる。・・・・・・シュメール王は、のちにアッカド王がそうであったように、イナンナと聖婚するドゥムジの化身である。(世界宗教史1 ミルチア・エリアーデ ちくま学芸文庫 P104)

 最古の文学者エンヘドゥアンナ王女はアッカド王朝(前2334~2154年頃)初代サルゴン王(前2334~2279年頃)の娘であった。・・・・・・
 エンヘドゥアンナ王女はアッカド人であるが、・・・・・・ウル市の月神ナンナ神に仕えるエン女神官であった。エン女神官の最も重要な役割の一つは「聖婚儀礼」への参入であって、ウル市の新年祭ではナンナ神の配偶神ニンガル女神の名代であった。・・・・・・
 古来我が国で未婚の内親王が斎宮(いつきのみや)として伊勢神宮に仕えたように、王家の女性が神に仕えることは、時の王権の安泰を願うことでほかにもありえた。(シュメル 小林登志子 中公新書 P196)

※(●筆者注) 女性にとって、結婚は神に食べられに行くことと似ています。しかも結婚相手の男性を「白馬にのった王子様」に見立てたりします。貧しいシンデレラは白馬にのった王子様に見初められて結婚し、幸せに暮らしました。女性は自らそのことを待ち望みます。女性にとって、結婚の最高の形は国家との結婚だったのです。国家も神秘性をもつ女性を手に入れることによって成立します。このようにして国家は女性を取り込んでいきます。
 性行為と似た農耕という行為によって成り立つ国家は、王の結婚は国家の繁栄をもたらす象徴でした。王の性行為と王子の誕生は、豊かな農産物の実りと同じ意味をもっていました
 でも日本には「かぐや姫」のように白馬にのった王子様と結婚したがらない女性もいます。このことはもっと深い問題でしょう。
 このように農耕は国家の発生と深く結びついています。
 農耕により、それまで食い止められていた王の発生と国家の誕生が促進されます。その前提には性行為が特別な意味をもちはじめ、急速にクローズアップされてきたことがあります。性行為は繁栄の象徴であり、王と国家は女性を通じて、その性行為という繁栄の象徴を取り込むことにより、国家として認められたのです。
 いまでも女性を「畑」、男性を「種」として性行為を比喩的に語ることは、普通に行われています。そのことの意味は実は国家にまで通じるものです。
 人間が本能としての発情期を失い、精神作用によって性行為を行うようになって以来、男性にとって女性は神秘性を帯び、神がかり的なものになっていきます。そこにエロティシズムとオーガズムが発生します。
 そのことは国家の成立まで通じています。そのような神秘性の連鎖が国家をつくりあげるのです。

※(●筆者注) エロティシズムの興奮は、宗教的法悦感と似たものをもっていますが、そのことをまともに取り上げて論ずることには、何か不謹慎なことでもしているかのような、居心地の悪さがあります。しかしこの両者は人間に特徴的な感情であり、非常に似た精神作用です。そのメカニズムも似かよっています。
 そのことは人間が発情期を失い、性的興奮を本能によってではなく、知的な精神作用によって生みださねばならなくなったことと関係しています。さらにそのことは、人間社会における国家の発生とも関係しています。国家は、神とも女性とも関係しているのです。建国神話に必ず出てくるものは、この二つ、神と美女です。変形してこれが一つになると、女神になります。
 エロティシズムは、性的欲求の源であるだけではなく、宗教を生みだし、国家を生みだす源泉です。英雄、色を好む」ことも、これと関係があります。英雄は、色を好み、神仏を奉じ、女性と結婚することによって国家をつくります。
 そこにはありとあらゆる感情が注がれます。女性の色気は、国家の崇高さと同じです。少なくともその作り方は同じです。女性の色気は、見た目もありますが、本当は見た目と知性との調和、あるいはその乱調にあります。乱調の美は、調和がなければ生まれません。国家も人を異次元へと導くものをもっています。それは祭りとも関係していますし、戦争とも関係しています。祭りと戦争が似たものであることは、昔から気づかれていました。そして祭りは「まつりごと」となり、「政りごと」を生みます。「政りごと」とは政治のことです。
 政治にカリスマが登場するのは、その宗教性によります。国家の発生は、男性よりも、女性のオーガズムの発生に似ています。男性のオーガズムは多分に肉体的なものですが、女性のオーガズムは多分に精神的なものであり、しかも男性のそれよりも格段に強烈なものです。このことの意味は、多くの人間は肉体的快楽よりも、精神的快楽が格段に優れていることを知っているということです。この精神的な快楽こそが、人間を突き動かしてきました。
 宗教は精神的なものです。それと同じように、国家も精神的なものです。そこに注がれる人間のエネルギーにはすさまじいものがあります。宗教家と政治家はまったく別のように見えますが、この二つはたやすく結びつきます。古来、宗教性のない国家は短命でした。女性がどうやってオーガズムに達するか。そのことは国民がどうやって国家の建国に歓喜するかに似ています。このオーガズムには、あらゆる感情が動員されます。そしてそれがすべて知的なものと結びついています。だからオーガズムは、知的で健康な女性ほど深くなります。国民が国家に関心を示さないとき、それはオーガズムに関心のない女性と同じです。また女性のオーガズムに関係なくセックスを続ける男性と同じです。そこに人間のセックスの味わい深さはありません。
 もし人間がオーガズムの快楽を見失えば、国家は成立しません。国家の成立には、性的な結合が不可欠です。王の娘は、伊勢神宮の斎宮のように、神の配偶者として巫女となりました。このことは日本だけではなく、古代オリエント社会など多くの地域で見られることです。神との結合の手段として、一番強烈なものは、性的交わりです。性的交わりのあと、食べられることもあります。いまでも「食べる」ことは、「セックスする」ことと同じ意味で使われます。年に一度のお祭りの日は、フリーセックスの時でした。そこでできた子は神の子として育てられました。その日は女性がすべて巫女となり、神に捧げられる日だったからです。誰が父親であろうと、その子は神の子だと信じられました。
 そういう宗教儀礼をとおして、王自身が神の化身として宗教性をもつこともあれば(神王・ゴッドキング)、神官が神の声の受取手として宗教性をもつこともあります(神官王・プリーストキング)。王の娘や妹が、神との結合の相手として巫女として差しだされることもあれば、王自身が神と同じ布団をかぶって一夜を過ごす真床襲衾(まどこおぶすま)を行い、神と同衾(どうきん)することもあります。もし古式に則っているのであれば、昨年の新天皇の即位儀礼でもおこなわれたはずです。このようにして人々のもつエロティシズムに触れたものだけが、本物の王として認められました。そうであってこそ、人々はオーガスムの疑似体験を、国家を通しておこなうことができたのです。
 国家とはエロティシズムに満ちた、おどろおどろしいものでした。だから国家には、悪魔や邪気などの人間に害を及ぼすものが同時に内在していました。それを国家が封じ込めてくれるから、国家が必要なのです。悪魔や邪気の一つに戦争があります。神の命令がなければ戦争は成り立ちません。もっと正確にいえば、人々から本物の神だと認められた神の命令がなければ戦争は成り立ちません。そういう精神作用をおよぼす神をもっている国家だけが、戦争で勝利をえることができました。
 このような国家を造りあげる作業と、色気のある女性を造りあげる作業とは、その中身は違っても、その精神作用は同じです。だから男は、魅力ある女性を手に入れるために、血眼になって戦います。それは、理性を越えた宗教的な感情をどこかから持ってこなければ、成立しないものです。

※【サルゴンのあと】

 サルゴンに続いて息子リムシュがおそらく9年、リムシュの兄マニシュトゥシュが15年治世するが、彼らの碑文は戦争の記事であふれている。(世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント 大貫良夫 中央公論社 P186)

※【王の神格化】
 (サルゴンの孫で4代王ナラム・シン)が、反乱を鎮圧したのち、碑文や行政・経済文書でナラム・シンの名前は神をあらわすサインとともに表記されるようになる。王が神格化されたのである。この習慣は、ウル第三王朝やイシン・ラルサ時代にもうけつがれた。(世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント 大貫良夫 中央公論社 P187)

※ 古代エジプトでは王は現人神(あらひとがみ)つまり神王(ゴッド・キング)であったが、メソポタミアの王は神官王(プリースト・キング)であり、王は神とはみなされなかった。
 だが、メソポタミアでも、例はきわめて少ないが王が神格化された。(のちのアッカド王朝の)ナラム・シンも神格化された数少ない王である。ただし、神格化といっても、エジプトの神王のように最高神と王とが合一されることはなく、人間社会の運命を大神にとりなす神、つまり個人神(個人の神で大きな神との仲介役)のような立場の神に神格化された。・・・・・・
 メソポタミアの王の神格化は(アッカド王朝の)ナラム・シンが最初で、その後、ウル第三王朝(前2112~2004年頃)の王たちにも見られる。(シュメル 小林登志子 中公新書 P180)


※ (旧石器時代には)神々とは、人間の意志に従うよう威嚇され強要される存在であった。(初版金枝篇 上 J.G.フレイザー ちくま学芸文庫 P61)


 個人神は特定の個人を守護する神である。特定の個人を守護する神がいるという考え方が存在したのは古代メソポタミアだけではない。・・・・・・
 我が国では、藤原氏の氏神である春日神や源氏の氏神である八幡神のように、個人ではないが一族を守護する氏神が知られている。シュメル人は、人間は神々のために働く存在と考えていた。大いなる神々は恐れ多く、王といえども人間は大神に願い事をするときには、個人神の紹介を必要とした。個人神は大神ではなく、低い位の神で普通は名前を知られていない。(シュメル 小林登志子 中公新書 P227)
(●筆者注) 「人間は神々のために働く存在」、こういう宗教観念は中国の祖先崇拝には見られないものです。祖先崇拝に見られるのは、祖先神への親しみです。祖先神はもっと人間の近くにいる存在であって、人間は決して「祖先神のために働く存在」ではありません。祖先崇拝が新石器時代の人類にひろく行き渡っていたものだとすれば、シュメールの神観念はここですでに以前と大きく異なったものに変貌しているといえます。


続く。


コメントを投稿