ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

20151024 正義のミカタ 「イギリス経済と中国マネー」 日本の外交姿勢は非常に危うい

2015-11-01 16:07:43 | 国際・外交(日米関係)

前半がそれです。

正義のミカタ 10月24日 FULL


先日掲載していたものが削除されましたので再掲載します。

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【私のコメント】

イギリスからアヘン戦争を仕掛けられ半植民地化された中国が、
イギリスに出向いて日本が中国を侵略した日中戦争を非難する。

矛先は日本に向いているが、言葉の裏にはイギリス批判もあるのではないか。
中国が抗日姿勢を崩さないのは、その裏に19世紀のイギリスなど列強の植民地支配への批判が含まれているのではないか。
そこに一線を引くために日中戦争をあえて取り上げた面もありそうだ。
しかし今はまだそのことを批判する段階ではない。

近年の状況は、
ドイツがアメリカから離れて中国に接近し、
イギリスがアメリカから離れ、
中国がイギリスに接近しているということ。

中国の目的は単に7兆円の商売だけではなかろう。

そんな中で日本だけがアメリカに接近している。
日本の外交姿勢は非常に危うい。


野党は共闘!!  大正の護憲運動との比較

2015-11-01 07:48:52 | 政局

今の日本の政治の動きは大正期、1912年の第1次憲政擁護(護憲)運動に似ている。

1911(明治44)年、時の西園寺公望内閣に対して陸軍は軍備拡張要求を提出した。
西園寺内閣がそれを拒否すると、
現役の軍人しか陸軍大臣になれないという当時の制度(軍部大臣現役武官制)を利用して、
軍部は陸軍大臣を辞職させ、その後任を陸軍は出そうとしなかった。
そのことによって西園寺内閣は内閣を組閣することができずに総辞職した。

それに代わったのが1912(大正元)年12月成立の桂太郎内閣である。
(その5か月前の1912.7月に明治天皇は亡くなり、年号は大正に変わった)
桂太郎は陸軍出身で3度目の組閣であった。
当時は、『陸軍←→政党』の対立があった。
政党側は2大政党に分かれ、相互に対立していたが、
この時ばかりは政党は対立を解消し、手を組みあって、陸軍出身の桂太郎内閣に対して倒閣運動を始めた。
これが第1次護憲運動である。
護憲の意味は『憲法を護る』という意味である。
当時の二大政党、立憲政友会立憲国民党が手を組みあって、桂太郎内閣の前に立ちはだかった。
桂太郎側も簡単には折れなかった。
立憲国民党の切り崩しを狙って、立憲同志会という内閣寄りの政党を新たに誕生させた。この新政党に流れた政党政治家もいる。

ではこの第1次護憲運動の勝利を決定したのは何だったのか。
それは民衆が圧倒的にこの第1次護憲運動を支持したからである。
民衆は桂太郎内閣の動きに腹を立て、暴動を起こした。

桂太郎内閣はこの民衆の怒りのすさまじさを見て、内閣総辞職を決定した。


私がこの夏見た光景は、今まで文字でしか知らなかったこのような光景を目の当たりにしたことだ。

違ったのは、国会前のすさまじい反対運動にもかかわらず、アベシンゾーは退陣しないどころか、戦争法案を通してしまったことだ。
そして野党5党の臨時国会開催の要求を無視して、外遊と称して中央アジアあたりに逃げていったことだ。
これは『憲政の常道』(常識)に反するばかりか、明確な憲法違反である。

明治末から大正にかけて、日本にはこのような民衆のエネルギーが充満していた。
これは一つの日本の伝統である。
イザというときには、民衆は立ち上がってきた。
そして実際に政治を動かす力を持っていたのである。