お遍路 K 秋ちゃん・・・きのうの晩ごはん、 おやじの田舎家庭料理・・・

素朴でシンプルな健康晩ごはんです。田舎のおやじが、頑張って毎日作っています。

秋の旧米沢街道…会津の街道

2016年10月22日 | 会津ぶらり散策

秋の旧米沢街道・・・

一句、秋晴れの裏磐梯に紅葉を・・・

今の裏磐梯は秋の観光真っ盛り県外ナンバーが続々、渋滞・・・

 

○ 紅葉の裏磐梯と檜原湖・・・

 

観光道路から離れ旧米沢街道へ・・・

旧米沢街道は、会津より出羽の国へ通ずる唯一の街道であり、

大塩温泉(北塩原温泉)より萱峠(大塩峠)、蘭(あららぎ)峠、桧原峠の三峠を通り

米沢領の綱木宿へ向かう路線である。しかし、

桧原峠から綱木まではけもの道となって近づけない・・・

会津若松から米沢まで約100㌔・・・いろいろな歴史が埋まっている。

 

旧米沢街道に入ると時折車は通るが静かだ・・・

 

 今も残っている旧街道

雄藩伊達、上杉、松平の武士たちにとっても痛恨と哀切の街道である。

 

 

伊達は念願だった会津の地を奪ったが

秀吉の命によって無念の思いで出羽永井庄(米沢)へ・・・

 

また直江兼続は米沢と会津を往来している。

そして、後に米沢に減封移動する上杉家臣団がこの街道を埋めた。

外人も、イスパニア人・セバスチャンスピカノス、伊達と密約 ? ・・・

 

会津藩祖保科正之も出羽から・・・

山形より多くのお寺が会津に僧とともにこの街道を・・・

会津藩悲劇の幕末には、

吉田松陰や会津藩の要人の往来が激しくなる・・・

 

 

中の七里の一里塚跡・・・若松から7里、米沢まで7里・・・

 

萱峠の松並木…伐採されて今は・・・500年前から街道を見ている・・・

冬でも桧原から大塩へ歩いて買い出しに行っていた。

豪雪の中、松並木はその目印にもなっていた。

 

 

萱峠、蘭峠を越えて下がれば桧原村・・・

 

昔の村は湖の中・・・

明治の磐梯山の大噴火で水没・・・

湖底から現れた樹林、今は朽ち果てている・・・

 

今、何もなく静御前・・・まもなく雪が降ってきて湖は凍る・・・

 

 

次回会津の街道は・・・

 


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