赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

current topics(80) 野党とマスコミは空回り

2015-08-05 11:08:47 | 政治見解
国会審議では野党が盛んに反対を唱え、マスコミはテレビや新聞がこぞって反対の論調を繰り広げています。

しかし野党とマスコミの連携で反対の世論を形成するはずが、

国民は冷ややかに見ているだけで、反対の機運が高まる気配はありません。

野党とマスコミ関係者の間に焦燥感が漂い始めています。

朝日新聞社からの話しでは、

慰安婦問題の植村記者のインタビュー記事がサンケイ新聞に掲載されたことも重なり苛立ちが高まっているようです。

某幹部は「民主党議員の追及が甘すぎる、能無しか」とか「植村が余計なことを喋った」など口汚く罵っているそうです。




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コラム(21) ジャーナリズムのあり方を問う

2015-08-05 00:00:00 | 政治見解



コラム(21):ジャーナリズムのあり方を問う 

ジャーナリスト達の誤解

ジャーナリスト、マスコミ関係者の本質的な勘違い部分に次のような風潮があります。

「政権の批判をしなければジャーナリストではない」、「政権におもねる言動をするのはジャーナリストの名折れ」、「優れたジャーナリストは政権批判のできる人」・・・。

しかし、これは前提から間違っているのではないかと思います。批判ばかりでは世の中に貢献しているとは言えません。世の中を良くしていきたいという意欲に欠けているからです。政治の世界も同じで、批判しているだけの政党に魅力を感じないのです。


傲慢な姿勢

かつて政治権力が大きな力を持っていた時代には「ペンは剣よりも強し」としてジャーナリズムが尊重されることがありました。強大な権力を抑制するために、ジャーナリズムの思想の力が求められていたからです。しかし、今はジャーナリズムが、行政・立法・司法を超える権力や影響力を行使するまでになっています。

記者会見の席において、質問している記者を見て不快感を感じることがあります。自分が正義の代表のような態度で相手を詰問しています。このように人を見下す風潮がジャーナリズム全体に蔓延しているのです。

この歪んだ精神が、「自分が世の中を動かしている」との錯覚を生み出します。これは、社会正義を振りかざすことと、権力者を引きずり下ろすことを同一視しているからです。この思い上がりが、読者の誘導や、世論操作につながるのです。


無責任な姿勢が信用を失う

ジャーナリズムは自らの過ちに対しては一切の責任を取らないという特徴があります。一方、社会の不正を見つけると激しく指弾し、その相手が個人であれば辞任や辞職を迫り、場合によっては自殺するまで追い込み、企業であれば存続不能まで追いつめることがあります。自分たちには権限があるかのようにふるまうのです。その行動原理のもとに、権力者や金持ち、地位のある人への嫉妬心や劣等感があります。

つまり、社会正義を隠れ蓑に、自分たちの心の底にある劣等感の裏返しである優越感を満足させているだけなのです。


新しいジャーナリズムのあり方

こうしたジャーナリズムもそろそろ発想を根本から変える時期が到来したと思います。現在はインターネットを通し、情報が一瞬に世界を駆け巡ることで時間の競争に負け、世論操作の力も失いかけています。インターネットに対抗するには、ジャーナリズムは新しい価値を持たなくてはならないのです。

「新しい価値」とは「世の中をよくしていきたい」との思いから発せられる情報で「感化する力」です。単に、政治や社会悪を裁くのではなく、良いことは正当に評価し、不正に対しては批判する。そして、「このように改善すべきだ」と提言できる創造的情報発信力が求められているのです。

近い将来、ジャーナリズムが世の中の幸福に寄与するために存在している時代が来ると信じています。



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