赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

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2015-03-21 22:43:44 | 政治見解

所要のため、3月末までお休みします。申し訳ありません。

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戦後70年の歴史認識をめぐって(4)  「アメリカの正義」とどう向き合うのか

2015-03-18 00:00:00 | 政治見解
赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(10)

戦後70年の歴史認識をめぐって(4) 
「アメリカの正義」とどう向き合うのか





拡張主義にみる「アメリカの正義」

アメリカの国旗は、The Stars and Stripesと呼ばれるように、建国時の13州から現在の50州まで領土を拡大してきた歴史を示しています。

アメリカは1776年イギリスから独立したのち、その領土を西に西へと広げてきたのです。フランスからルイジアナを、スペインからはフロリダを購入。インディアンの居住地を奪い、さらにテキサスを併合。1846年の米墨戦争で、カリフォルニアとニューメキシコを獲得しています。その後ハワイ併合を行っています。

第二次世界大戦後にはイギリスに代わって「覇権国家」となり、ソ連崩壊後は唯一の超大国として国際社会に君臨しています。

アメリカは帝国主義と非難されるほどの徹底した拡張主義で、現在では領土の拡張よりも、経済面での間接支配をするようになりました。自国の利益のために、軍事力を背景にして他国に圧力をかけ、その手法は、意図的に対立を煽り、対立を解決することを理由に武力を用い「アメリカの正義」を示します。第二次世界大戦時の日本との戦争やイラクとの湾岸戦争でも、「アメリカの正義」が強調されました。

現在でも、国際社会での「正義」は、「アメリカの正義」を意味することが多いようです。


「アメリカの正義」は力の正義

日本は、「アメリカの正義」を補完する立場をとっていますが、これは敗戦後、アメリカの占領を受けたことによるものです。占領政策の主眼(※1)は「アメリカに歯向かわない日本」をつくることでした。

※1 3R原則;復讐(Revenge)、改組(Reform)、復活(Revive)。5D政策;武装解除(Disarmament)、非軍事化(Demilitarization)、工業生産力の破壊(Deindustrialization)、中心勢力の解体(Decentralization)、民主化(Democratization)

この影響で、日本は「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と呼称変更され、「アメリカの正義」の前に、日本の戦争責任を断罪され贖罪意識(※2)を植え付けられました。しかも、勝者のアメリカに対しては、東京大空襲(※3)(※4)や広島・長崎への原爆投下は不問(※5)にされたのです。

※2 日本国民は軍部に欺かれて侵略戦争に誘導された。日本は戦争中にこんな残酷なことをした。日本を救うため、100万のアメリカ兵を救うためアメリカは原爆を落とした。日本国民は過ちを反省すべきである・・・、

※3 ハーグ陸戦条約及びジュネーブ傷病者条約において、非戦闘員の殺傷、非軍事目標、無防備都市への攻撃は禁止されている。

※4 これらの問題は、いまさらアメリカに抗議する問題ではないが事実として認識しておかなければならない。なぜなら、民主党の細野氏のような「東京大空襲は国策の誤りの結果である」という「アメリカの正義」に依拠する発言が横行するからである。

※5 アメリカ政府は、原爆投下について正当化はしても、これまでに国際法違反と認めて謝罪したことはない。


このように、現代の国際間での「正義」とは「力(軍事力)」によって体現され、戦争の勝者が常に「正義」となる力の論理に過ぎないのです。

しかし、いかなる戦争においても「正義の戦い」などは存在するものではありません。

人間を殺戮しあう悲惨な戦争に「正義」が付与されるはずはないのです。



アメリカと相似形の中国

現在、西に西にと領土を拡大しつづけたアメリカと同じようなことをしている国があります。覇権国家をめざす中国です。そんな相似形の中国にアメリカは親近感を抱いているようです。

第二次世界大戦前の中国(中華民国)に肩入れしたのも、アジアにおける「姉妹共和国(※5)」とみなしていたからだと言われています。また、戦後、共産主義化した中国に対しても、「ソ連の脅威に対してバランスを取ること」と、「巨大なマーケットであること」を見越して、米中国交正常化が図られました。人権問題を重視するアメリカが、中国の「人権問題」には言及しません。

※5「中国人はいまや世界で一番民主的な共和国である」、「アジアにおいて最も西洋的な国は、もはや日本ではなく中国である」とかいった言論が花盛りとなった。

ただしアメリカは、中国が軍事的に太平洋に進出することだけは許しません。アメリカは「アメリカの正義」を実現するために戦略を使いわけているのです。


「アメリカの正義」が中心の日米関係 

このようにアメリカの正義は、アメリカの都合次第で内実が次々に変わります。

日本の占領初期には、日本を「従属国家」にしようと考えていたようです。東西冷戦がはじまると「反共の防波堤」にと位置づけを変え、日本をアメリカの核の傘のもとに保護する政策に変更しました。

他方、日本が高度経済成長をはじめると一転して、日本バッシングを行っています。繊維産業や自動車産業を叩き、日米構造協議で市場開放を要求、さらには現在のTPP交渉と、アメリカの国内事情で日本は振り回されていると言っても過言ではありません。

戦後70年、常に日本の前には「アメリカの正義」が立ちはだかり、アメリカの枠組みの中から一歩も抜け出せない状態であったということなのです。


国際社会を力で支配する時代の終わり

「国益最優先がアメリカの正義」という前提で国際社会を眺めると、現在の紛争地域、国際的な問題を抱えている地域は、何らかの形でアメリカの利害が関わっているということがわかります。ウクライナ紛争、イランの核軍縮、中東和平、北朝鮮の核開発、そして、中南米の反米政権の存在・・・。これらは、アメリカの国益優先主義によって、その地域の国々と衝突しているのです。

もし、アメリカの軍事力を背景した「正義の押し付け」が無ければ、これほど事態は深刻にはならなかったのではないでしょうか。国際社会における正義の数は国の数だけ存在しますが、アメリカが他国の正義と協調できたなら、国際社会はもっと平穏であったはずなのです。

しかし、アメリカの「力による正義」の時代は終わりつつあります。戦後70年かけてもアメリカによる「力の正義」では、国際社会を平和にすることができなかったからです。

ここに、一つの文明実験の答えが出たということです。


期待される日本の「和の原理」

国際社会の発展と人類の調和を考えるとき、もはや、アメリカの正義によって実現することは不可能です。これからの時代は、覇権主義的な力による支配や、現在のアメリカのような自国の利益優先の正義の押し付けでは国際社会はまとまらず、二国間の協調さえ不可能にしてしまいます。

国際社会には200近くの国がありますが、文明や文化、人種や宗教、伝統や習慣などの違いがある中で、それらを対立させることなく、互いに調和と発展をもたらすこと、全ての国々、人びとが幸福になっていこうという姿勢を積極的に示すことができなければ、真実の意味での平和は達成できません。

現在の国際社会を見まわした時、このような考えができるのは日本だけではないでしょうか。

日本は世界の紛争に加担せず、経済的にも安定し、なによりも穏やかな国民性を持っています。今から1300年もの前に、聖徳太子が17条の憲法の最初に掲げられた「和を以て貴しとなす」の精神、また、日本の国号の別称である「大和」の精神を前面に打ち出してこそ、万人が希求する絶対的平和が訪れるのではないでしょうか。

「和」とは互いの立場を理解し、尊重するようになってはじめて達成される調和の状態です。


日本はこの精神を人類普遍の原理として、新しい共通の「言語」として提唱し、国際社会を調和的に発展させる方向にリードしていかなければならないと思います。

この考えに立ったとき、世界中が「戦後70年の縛り」から解放されるのではないのでしょうか。



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戦後70年の歴史認識をめぐって(3)  日本は韓国とどう向き合うのか

2015-03-15 00:00:00 | 政治見解
赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(9)

日本は韓国とどう向き合うのか






リッパート駐韓アメリカ大使の姿勢

マーク・リッパート駐韓アメリカ大使への襲撃事件が発生しました。米韓同盟が微妙な中で、取り返しのつかない問題に発展する可能性も報じられていました。ところが、当のリッパート大使は「今回の事件で、韓国への愛情が深まり、米韓の絆は切り離すことができないという確信をさらに強めた」また、「米韓同盟をより強固なものにするべきだ」と語ったと言われています。韓国側からは「気丈にふるまうリッパート大使の姿に感動」「米韓同盟は一番大切なもの、みんなで守らないと…」という世論が沸き立ってきたようです。

このリッパート大使の言動に膠着している日韓関係を改善するヒントがあると思います。殺害されかねなかった大使自身が自分のことよりも「米韓関係を優先させた」という高い精神性は、韓国民の心を寛容にさせる力を持っていたようです。

かつて、日本でもライシャワー駐日大使に対する襲撃事件がありました。ライシャワー大使は日米間に大きな亀裂を残した安保闘争直後の1961年(昭和36年)4月、ジョン・F・ケネディ大統領からの就任要請で特命全権大使として着任し、日本人の妻とともに日本国民から親しまれた人物です。1964年(昭和39年)3月、暴漢によってナイフで大腿を刺され重傷を負いましたが、この時に輸血を受け「これで私の体の中に日本人の血が流れることになりました」と発言し多くの日本人に感動を与えました。当時のアメリカからすると国威に関わる重大事件でしたが、ライシャワー大使の言動は逆に日米間の友好関係を深める結果となりました。

時代は違えど、二人の大使の行動は、人びとの心に大いなる感動を与え、両国の対立や排斥し合う関係を和らげ、国家間の友好の礎石と変えたのです。


韓国を理解する手掛かり

ところで、韓国の特有の反日感情はどこに由来するのかを考えてみたいと思います。

地政学上、半島国家は常に大陸国家によって干渉され続け、属国化されるという悲劇が繰り返されます。朝鮮半島も例外ではなく、歴代中国王朝の簒奪と陵辱の歴史があります。そのため朝鮮半島の諸国家は、中国王朝に対する恐怖心が深く刻まれたようです。

女性や献上品を朝貢し、中国王朝から冊封(さくほう)を受けて、従属国家として存在してきた歴史が続きます。このような屈辱感が深い怨みや、負い目、劣等意識になり、その裏返しとして極度のプライドの高さにつながったのではないかと思われます。

また、拓殖大学教授の呉善花氏によれば、「韓国には歴史的『侮日観』があり、それを改竄・捏造した歴史教育の中で説いている(※1)」と指摘しています。
※1 「生来の野蛮で侵略的な資質を持つ日本民族」に、「古代のわれわれの祖先たちは儒教・仏教・技術をはじめとする高度な文化を教え伝えてあげた。にもかかわらず、日本はその恩を忘れ・・・」。

これらの感情を統合させ、繰り返す事で、度をこえた反日民族主義、愛国主義へと変質していったのが韓国の現状ではないかと思います。


韓国を不幸な歴史に戻らせてはならない

韓国の首脳たちは挙国一致の国民国家を形成するために「反日政策」を前面に打ち出してきました。この手法は効果をもたらした面もあったようですが、国民の中に「犯罪行為であっても反日を唱えれば罪に問われない」という行きすぎた風潮が出てきました。こうした内部矛盾は社会規範の崩壊につながる可能性さえあります。

一方で、韓国が世界に誇ってきた企業の衰退による経済危機、脆弱な国家体制の露呈、さらには昨年(2014)の旅客船「セウォル号」沈没事故をきっかけとして国内では政治不信など混迷の度合いを深めていると言えます。

この状況に、韓国の国民は行き場の無い屈辱感、膨らむ劣等意識を身をもって感じていると思われます。

こんな中、韓国政府は、米韓の同盟関係があるにもかかわらず中国に依存し従属する道を選択しようとしています。

国家や国民の存続を他国に委ねようとする姿は、まさに朝鮮半島の歴史の繰り返しに過ぎず、国民の屈辱感を増幅させるだけで、国民の幸せには程遠いことになります。


正常な日韓関係を築くために

そこのような韓国の置かれている現状を見たとき、傍観するだけではなく、その苦しみを理解することからはじめたいと思います。彼らの苦しみに寄り添い深く理解することが日韓の正常な関係が築かれる第一歩だと思います。

条件をつけたり、駆け引きなどは無用です。

このままでは、韓国は、苦悩の歴史を繰り返し、屈辱的な隷属の道を選択せざるを得ないのです。それを冷淡に見過ごすわけにはいきません。

聖徳太子の時代、大化の改新の時代もそうでした。また、日韓併合の時代もそうでした。貧しかった日本であっても、朝鮮半島の人びとの苦しみを救おうとして立ち上がった先人たちの歴史を思い出したいと思います。その先人たちの行動の歴史を知ることこそ、日本人にとっての「正しい歴史認識」と言えるのではないでしょうか。


国際貢献への試金石

日本は、戦後の70年近くを通して、隣国の韓国と距離は近いが、大きく異なる価値観に直面してきました。しかし、これからは「違う」ということを認識した上で、双方が尊重し合うという方向に進まねばならないと思います。

日本が国際社会に積極的に貢献しようとする際、韓国以上に「違う」国が、国の数だけあるということを知らなければなりません。違う相手を尊重することが国際社会に調和をもたらす原理になるはずです。

これまでの日本の国際援助の仕方は、「金で解決する」という姿勢だったように思われます。しかし、これからの国際支援のあり方には、「その国の発展と国民の幸福」という価値を付与しなければ、意味がないのです。国際貢献のあり方の中にも「日本の精神性」が試されているのです。

隣国である韓国との関係を改善した時、日本は「真の国際貢献への道」が開かれてくるのではないでしょうか。




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戦後70年の歴史認識をめぐって(2)  中国の歴史認識とどう向き合うのか(2)

2015-03-11 00:00:00 | 政治見解
赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(8)

戦後70年の歴史認識をめぐって(2)



<中国の歴史認識とどう向き合うのか その2>


(続き)

中国の歴史認識の中には朝日新聞発のものがある

中国の狙いは、日本人を動揺させ、贖罪意識を植え付けるためです。これまでは、中国が日本攻撃をすれば、マスコミなどが率先して騒ぎ立てた歴史があります。日本で騒ぎが大きくなれば、中国の作戦に日本人が見事にはまったということになります。軽率なマスコミの行動が中国を増長させてしまったと言えます。

しかし、日本で騒ぎにならなければ、中国の思惑ははずれます。日本人が動揺しなければ中国は日本を揺さぶることはできないのです。

ただし、ここで重要な問題に気がつかなければなりません。現在、中国が日本に対して突きつける歴史認識問題の多くは、実は日本側から発せられたものであるということです。中国が声を大にして叫ぶ「南京大虐殺(※1)」も、「靖国神社(※2)」問題も、さらには、韓国の主張する「従軍慰安婦」もすべては日本のマスコミ、それも朝日新聞がその発端となっているという問題です。

※1 1971年か8月から掲載された朝日新聞本多勝一記者の「中国の旅」は、毎回、残虐で非人道的な日本軍が語られたものである。取材源は中国政府によってあらかじめ用意されていた。この記述は教科書にも採用され、後に「南京大虐殺」という虚構の物語の原典となった。

※2 1985年、朝日新聞加藤千洋記者(現同志社代教授)が、「中国『日本的愛国心を問題視』」という記事を書いて当時の中曽根首相の靖国神社参拝問題に火をつけた。それまで、中国は靖国神社参拝については何も問題視していなかったが、これを契機に中国の外交カード化された。


朝日新聞は最初から積極的に中国に肩入れしていました。かれらには、社会主義の中国とイデオロギーを共有する仲間として扱っていたからです。

その代表例が、文化大革命の最中殆どのマスコミが中国から追放される中で、朝日新聞だけが北京支局をおいていたことでしょう。「中国の嫌がる報道はするな」という広岡社長の命を忠実に実行し文化大革命礼賛を報道し続けました。また、現在でも、朝日新聞は中国共産党機関紙『人民日報』と「友好覚書」を交わしていますので、朝日新聞に掲載された記事は、すぐに人民日報にも取り上げられています。

このような行動が、どれほど日本の国益を損なってきたのかということをしっかりと認識せねばなりません。


迎合と軽挙妄動を戒める

一方、中国に過剰な期待を抱く一部の集団が存在することも騒ぎを大きくする要因となっています。政・官・財の中に、中国に阿諛追従し、迎合主義に陥っている人がいます。かれらには、中国に対する屈折した贖罪意識と経済的利益の追求のための目的の二つの側面があるようが、いずれにせよ、日本の国益よりは中国の国益の方が重たい人たちばかりです。

たとえば、中国を宗主国であるととらえている鳩山由紀夫氏や小沢一郎氏などの政治家、中国の利益の代弁者として振る舞うチャイナスクール出身の外務官僚、伊藤忠など一部財界の経済活動。このような行動は、中国の立場を補強し、増長させる原因ともなっています。


結局、歴史認識問題を解決する鍵は、実は日本の中にもあるのです。日本側から中国を煽るような言動をしたり、また、中国の言い分を日本国内で代弁するということがいかに問題であるのかを認識せねばなりません。とくに、マッチポンプとして存在した朝日新聞をはじめとするマスコミの責任は極めて重いと考えます。その意味で、マスコミは、これから繰り広げられるであろう中国の歴史認識のプロパガンダに対して軽挙妄動を慎んでいただきたいと思います。


国際社会に何を発信するのか

日本は戦後70年間の歩みを静かに語ることから始めねばなりません。過去の悲惨な戦争の教訓をふまえ、「戦争を一度も起こさない平和国家として存在し続けた」という厳然たる事実を示すことです。

また、平和国家として経済発展をしながら、世界の貧困の撲滅、教育水準の向上、環境保全の取り組み、インフラ整備などで、大きな国際貢献をしてきました。ここに日本の真実の姿を示すことです。その上で、これからも、国際社会に対して、平和の維持、人権を尊重する民主化の支援、発展途上国への協力を果たし、人々の幸福を実現していくという決意を示すことです。


これまでの歴史の歩みと実績、そして明日への決意を示すことで、国際社会に、日本を意図的に矮小化させようとするプロパガンダが正当なものであるのかを、判断してもらうことが大切だと思います。いたずらに声を荒げて反論するのではなく、冷静に穏やかに日本の考えを訴えること、これが国際舞台での主張のあり方だと考えています。

明日の国際社会を見据えてなすべきことは何か

言葉は、お互いにコミュニケーションを取るためにあるものです。まずは、言葉を使って、お互いの立場の違いを認識しましょう。さらに、多様性も認識しましょう。この多様性の認識こそが世界各地で起きている内戦や国際紛争を解決に導く鍵になるものと言えます。こうした多様性を認め合う対話が東アジアから発せられたなら、調和のとれた世界が実現するのもそんなに遠いことではないと思います。




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戦後70年の歴史認識をめぐって(1)  中国の歴史認識とどう向き合うのか

2015-03-08 00:00:00 | 政治見解

赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(7)

戦後70年の歴史認識をめぐって(1)




「国策」の歴史認識に「真実」の照射を

戦後70年」を巡る日本の「歴史認識問題」に対する中国と韓国のプロパガンダがはじまりました。日本人に贖罪感を植え付け、国際社会での孤立化を図ろうとする意図によるものです。また、一部のマスコミがこの動きに連動し、「歴史の真実」が「捏造の歴史観」の中に押し込まれる危険性があります。

そこで、この歴史認識問題にどう対処すべきなのかを考えたいと思います。

中国や韓国の対日プロパガンダは「国策」です。彼らは国際社会を巻き込んだ情報戦で対日圧力をかけ、自国に有利な立場を築いていこうとしています。このような動きにどう対応してくのかということが重要になってきます。

日本としては戦後70年の節目を好機と捉え、問題の解決を図らねばならないと思います。正面から向き合って「正しいことは正しい、間違いは間違い」と認めることから、明日のよりよい国際社会を作れるのではないかと思います。

ただし、これはかつてのように妥協や迎合をせよということではありません。本気で日本の考えを表明していかねばなりません。それが理解されるかどうかは問題ではありません。「それぞれの立場が違うということを理解する」ことが、国際社会においての多様性を認めあうことであり、国際平和の基礎となるのです。違うことばかり言い合い、立場を認めない態度こそ紛争の火種となるからです。


歴史認識問題は冷静な対応と事実の表明を

さて、この歴史認識を巡る問題について、結論から先に申しますと、第一に、「対日プロパガンダには大騒ぎして反応はしない。あくまでも冷静な目で論点を見る」、第二に「歴史の真実を一切の脚色なく、ありのままに情報として発信する」、という二点に尽きると思います。冷静に対処して、真実の光を照射することで、捏造の闇は消えざるを得なくなるからです。

それではなぜ、中国や韓国は執拗なほどに歴史認識問題を持ち出してきているのか、その歴史的背景や裏に隠された意図を最初に知っておく必要があります。また、それに対して日本はどう反応し、どう対応してきたのかも確認していく必要もあります。ここを理解し、本質を見抜いた先に、問題解決の糸口がみつかるのではないでしょうか。



<中国の歴史認識とどう向き合うのか>

「反日政策」が効かなくなった!

中国による「反日路線」の始まりは、一般的に江沢民氏の日本に対する強烈な対抗意識に基づくものだといわれています。江沢民氏の日本敵視路線は、結果として中国をまとめるのに役立ったようで、その後も胡錦濤政権、現在の習近平政権下でも継続されています。しかし、これは「国策」としての反日で、民衆レベルまでの反日ではないといわれています。中国の人にとっては、その大多数が反日感情を抱いているわけではなく、中国共産党の号令のもとに行動しているにすぎないようです。現に、反日デモは、「中国政府への転覆活動に転化する可能性」が大きくなっていますので、行われなくなりました。すでに、反日というだけでは中国を統合する効果が薄れているようです。


恥辱の歴史に対する「中国の苦悩」
「中国の苦悩」は、単に、日本が中国大陸に進出した「満州事変」や「日支事変」にようものではないようです。中国出身の政治学者の汪錚 (ワン・ジョン)氏によると、中国人の歴史に対する悲しみは「勿忘国恥(国の受けた恥辱を忘れるな)」にあると指摘しています。19世紀なかば以降100年間にわたっての侵略、領土の割譲、賠償金の支払い、国権の喪失 (不平等条約)を強いられ、辱められてきたという 「歴史的記憶(※1)」に基づくもののようです。
(※1)1840年アヘン戦争:イギリス、香港島を割譲。1856年アロー戦争:イギリス、九龍を割譲、ロシアは外満州を割譲。1884年清仏戦争勃発:フランス、ベトナム全土を植民地化。1894年日清戦争:清、朝鮮の独立を承認、台湾と澎湖諸島が日本に割譲。

なお、当時の中国人の苦しみは、かつての日本人も共有していました。とくにアヘン戦争で清国が敗北したとの衝撃は幕末の日本にも伝えられ、維新の志士たちに西欧列強への大きな危機感を抱かせるものとなりました。

したがって、中国にとって恥辱を晴らしたいという思いは、本来的には日本だけに向けられるべきものではないのですが、中国は強い姿勢で臨んで来る国には反発ができない(※2)という精神的な弱さがあります。
※2 中国の国家主席胡錦濤氏が訪米時、ホワイトハウスの歓迎式典で国旗が逆さまに掲げられ、中華民国(台湾)の国歌が演奏されたが、胡錦濤氏は抗議もせす、ニコニコとしていたと伝えられている。

そのために、第二次世界大戦で敗戦国であり、しかも外交的な圧力に極めて弱い日本に対して、全ての「恨み」を集中してぶつけている可能性も高いと考えられます。しかも、日本の戦後の急速な経済的繁栄に対する強い嫉妬心も加わり「怒り」を増幅させていたのではないでしょうか。


覇権をめざす中国のもうひとつの狙い

また、中国にはアメリカの後継者としての地位を築きたいという野望があります。そのためには、まず、アメリカと太平洋の東西を二分化したいという意思をもっていました。アメリカに簡単に退けられましたが、それでも外洋進出を諦めているわけではありません。

中国が外洋に進出するには東シナ海から太平洋に出ざるを得ません。しかし、そこには日本が存在し、沖縄には最強の米軍が控えています。
沖縄は東アジアの主要都市に航空機で4時間以内で到達できる戦略的な要衝です。中国にとっても沖縄は喉から手が出るほど欲しい戦略地点でもあるのです。



沖縄を中国の意のままにするには、沖縄を日本から分離させること、そして米軍基地を沖縄から排除させることが必要になります。そのために、中国は日本に「軍国主義復活阻止」を叫び、集団的自衛権の行使をさせないように、しかも、日米同盟に亀裂が入るように工作活動をしています。沖縄の反米基地闘争はその一環です。

また、沖縄には、「琉球独立」という幻想をあたえて沖縄を日本から分断しようとしています。その工作のために、沖縄はかつては中国の支配下にあったのだという嘘の主張(※3)や、かつての沖縄戦の惨禍を日本のせいにして、中国の主張には抵抗しづらい心理環境を作ろうとしています。
※3 日本書紀に、「和銅8年(715年)正月、立太子礼をすませた首皇子(おびとのみこ、後の聖武天皇)の朝賀の儀が執り行われた際、大極殿の前には北は陸奥、出羽の蝦夷たちが25人、南は奄美大島をはじめ、屋久島、徳之島、そして、沖縄の石垣島や久米島から、それぞれの代表52名が参列した」と書かれている。


国策としての歴史戦にのぞむ中国

2月23日の国連安全保障理事会の討論会合(※4)で、中国の王毅外相は「(第2次大戦について)いまだに真実を認めたがらず、侵略の犯罪をごまかそうとする者がいる」と語っています。直接の名指しを避けていますが、これは日本を念頭に置いているのは明らかです。
※4 これに対して日本は、吉川元偉国連大使が「日本は戦後、大戦の深い反省に立ち、平和国家としての道を歩んできた」と強調した。その姿勢は「日本人の誇りであり、決して変わらない」とも言明した。菅義偉官房長官は2月24日の記者会見で「国益を懸けてしのぎを削る場面だ。日本として主張すべき点は、主張していく」と強調した。

また、5月には対ドイツ、9月には対日戦勝記念日に合わせ、習近平国家主席とプーチン大統領が、モスクワと北京を相互訪問することになっています。9月の式典については、共産党の機関紙『人民日報』で「パレードで中国の軍事力を示し、日本を震え上がらせる」と報じています。また12月13日を南京事件の「国家哀悼日」として、大規模な反日キャンペーンを展開する予定のようです。

今年の春から1年間は、歴史認識問題の言及が吹き荒れそうです。すでに、NHKのニュース番組の中でも歪んだ見解が出始めているようです。中国や韓国が声高に主張を展開し始めると、一部の新聞、歴史学者、政治家が便乗して、積極的に彼らをバックアップすると思われます。この影響で、真実の声はかき消されがちになり、国内では悲観論が漂い始めるかもしれません。

その時、私たちは、冷静に一つ一つの歴史的真実を伝えていくべきです。歴史的事実を検証したとき、必ずしも日本が全て正しいわけではないはずです。評価すべきは評価し、反省すべきは素直に反省しながら、「真実の歴史」に向き合わねばなりません。

遠回りかも知れませんが、それが問題を解決する王道であろうと思います。

(つづく)


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国会議員にのぞむもの それは、国民のため、国益のための議論 !

2015-03-04 00:00:00 | 政治見解

赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(6)

国会議員にのぞむもの それは、国民のため、国益のための議論 !





「この国の明日をどうするのか」の論議が消えてしまった

1月26日に召集された第189国会は、ISILテロ事件の影響で、「国民が安心して安全で暮らせる国防問題や経済対策の話」がどこかにいってしまったように思います。特に、民主党をはじめとする野党は、「ISILによる身代金要求事件」問題をすりかえ、日本政府の失策のような印象操作で政府批判を展開しました。

どこの国でも国家国民に対するテロが起きた時は、立場を乗り越えて団結して対処するものです。フランスでは、連続銃撃テロ事件後の国会(※1)で、犠牲者を追悼する黙とうの最中に、議員らの一部が国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌い始め、全員が斉唱する一幕があったそうです。

※1 フランス国会(国民議会):下院は577名が定数で、政党も右から左まで存在し、左翼急進党という過激な政治的信条をもつ政党も16議席獲得している。現オランド政権は社会党である

ところが、日本の野党にとっては、「ISILによる事件」を政府批判のチャンスと捉えたようでした。しかし、このような野党の姿勢とは逆に、世論調査結果では、圧倒的多数の国民が政府の対応を評価し、肯定したのです。


繰り返される政府批判

そこに、「政治と金」の問題が出てきました。予算委員会での西川公也農林水産大臣(辞任)に端を発して、いまは、他の大臣の政治資金問題が次々に取りざたされるようになりました。これらの問題、違法性の有無が微妙なところなのですが、野党は、「(違法性はなくとも)政治倫理としておかしい」と言い始めているようです。

しかし、「政治倫理の問題」は「政治倫理審査会」で論議すべきことです。また、「資金の集め方に問題がある」ということなら、「政治資金規正法」の問題点を論ずればよいことなのです。国家予算の審議の場で時間を費やすことは、日本の国益に何もプラスにはなりません。


戦後70年たった今でも変わらない国会の姿

国会における政治手法は、1955年の自民党と社会党による「55年体制」の時代から一歩も進歩していません。これは今日までも継続されている「法案審議」の模様をみれば分ります。以下は現在の国会運営の概略です。

・法案は事前に与党審査を終了しており、草案の段階で野党が関与することはない

・与野党間の協議が始まるのは国会での採決を巡る段階である。その時点で国会対策委員(国対)による根回しがはじまる。
(なお、この国対による根回しは接待などが伴うものであったが、現政権下ではなくなっている)

・野党は与党批判に徹し、政府案に反対の立場を取ることで、建設的な修正案や具体的な対案をつくろうとはせず、その行動の中で安住してきた

・野党の修正案は採決の直前出すもので、実質的なものとは言えない


この55年体制下では、自民党と社会党のイデオロギー的対立が根底にあるため、政策協議がなされることはありませんでした。また、日本は議員内閣制を採用しているため、所属議員の投票行動においては拘束力が強く、法案の議事日程が出た段階で賛否はすでに決まっています。そのため、国会における討論は法案の審議よりも支持者や有権者へのアピールに重点が置かれることになりました。

したがって、国会は政治的な主義主張の場ではなく、「国民の目にとまらないところで国会の筋書きが決まる」という談合が繰り返されてきたわけです。さらに、野党側は「少数派の主張は多数派以上に尊重されるべきだ」という議会制民主主義に反する主張をし、マスコミもそれを支持した結果、日本の政治体制は何も変わらぬまま70年もの歳月を費やしてしまいました。このように振り返ると、今でも国会では、過去の手法から一歩も脱却できていないことに驚かれると思います。


総選挙の得票数にみる国民の政治離れ

このような政治の流れでは国民は政治に深く失望するだけです。近年の国政選挙で投票率が低下傾向にあるのは、「国民の政治に対する不信」が拡大してきているからではないでしょうか。ちなみに、2012年総選挙と2014年総選挙の得票数の比較をみれば、政治離れの現状がよくわかります。



批判ではなく具体的な対案を!

投票率の低落傾向にありながら自民党の得票数が伸びたのは、政策に対する安心感によるものでしょう。国民の最大の関心事は「国家と国民の安全と安心」にあります。そして、「これから日本という国がどこに向かって進もうとしているか」を知りたいのです。緊迫するアジア周辺の動向、国際的なテロ問題への対処、そして国内にあっては、経済対策や雇用対策、さらには、少子高齢化社会での福祉政策などの問題について解決策を示していたのは自民党だけでした。要は、政治離れが進む中でも、「国民の選択肢は自民党しかなかった」ということなのです。

野党第一党であり、かつては政権を担ったこともある民主党はこの事実を認識すべきです。

先日の3月1日、民主党の党大会で来賓として挨拶された方もこのように発言されていました。
「民主党のホームページを拝見したが、どんな日本にしたいのかが、ちょっと伝わりづらいかも…」
この発言に、会場は大きくどよめいたそうです。


新しい国会のあり方をのぞむ

国民は、予算委員会での野党パフォーマンスにうんざりしています。政府批判ばかりしても日本はよくなりません。

与野党ともに、この国の明日を拓くための智恵を出し合って協力していこうという姿勢は示せないのでしょうか。政府の良いところは良いとし、悪いと思ったところは悪いと主張していくのが政党としての本来のあり方ではないでしょうか。また、政府案の政策が国民のためにならないというのであれば、明確な対案を提示すべきでしょう。それこそが国民が期待している民主的な国会の姿であろうと思います。例えば、次世代の党の平沼赳夫党首の「是は是、非は非」とする態度は、これからの国会の議論にとって大切なことだと思います。


国会は国権の最高機関です。であるならば、国会議員は、日本の国益のため、国民の安心、安全のためにあるということをしっかりと意識して、選挙で選ばれた「選良」として活躍していただきたい。そして、互いに切磋琢磨しながら、明日の日本をよりよくしていくとの姿勢をもっと積極的に示していただきたいのです。そこをしっかりとしていただければ、国際社会に堂々と発言できる日本になれると思います。


次の更新は3月8日を予定しています。

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ジャーナリズムのあり方を問う

2015-03-01 00:00:00 | 政治見解

赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(5)

ジャーナリズムのあり方を問う





「ペンは剣よりも強し(※1)」といわれたジャーナリズムも、いまや、第四権力(※2)とまで言われるようになりました。
>※1 文章で表現される思想は世論を動かし、武力以上に強い力を発揮するということ
※2 「マスコミには立法・行政・司法の三権を監視する使命がある」というのが本来の意味


でも最近では、本来の意味以上の「ジャーナリズムとは反権力の立場で体制批判をすることである」と拡大解釈したり、さらには、「反権力の立場で、政府や巨大資本の不正を追及するのがジャーナリズムの使命」と主張するジャーナリストも出てきています。

ジャーナリズムが主張するこの権利は誰に認定されたものなのでしょうか?

ジャーナリズム自身が勝手に唱えて、あたかも自分の特権であるかのように振舞っているにすぎないはずです。ここにジャーナリズムの尊大性が潜んでいます。このようなジャーナリズムの奢りが、今日の社会のゆがみをつくった元凶であることを、ジャーナリズム自らが自覚すべきではないでしょうか。


シャルリー・エブド襲撃事件の本質とは何か

今年(2015年)1月7日にフランスでシャルリー・エブド(※3)襲撃事件が発生しました。警官2人や編集長、風刺漫画の担当者やコラム執筆者ら合わせて、12人を殺害した事件です。
※3 政治や宗教などさまざまなジャンルの有名人を攻撃する風刺画を数多く掲載してきている。中でも一番注目を集めたのは、イスラム教ならびに預言者ムハンマドに関する表現だった。

この事件は、イスラム過激派の犯行だといわれており、フランスのオランド大統領は「言論の自由に対する野蛮な行為であり、断じて受け入れられない」と非難声明を出しています。また、日本のマスコミも、「言論の自由や表現の自由を重んずるフランスに対する挑戦だ」と主張しています。

しかし、この問題について、ジャーナリズムを含む殆どの人が本末転倒な考え方に陥っているように思います。事件が「イスラムの過激派による犯行」ということだけが前面に押し出され、その奥にあるイスラム教世界の信仰問題、宗教の尊厳性の問題が殆ど語られていないのです。

イスラム教諸国はこのテロ行為について批判はしていますが、自分たちの宗教的指導者であるムハンマドを風刺画で侮辱されたという点については心底から怒りを感じているということを見逃してはなりません。イスラム教世界の人びとにとっては、神聖で尊厳なる存在を傷つけられていることに我慢がならないということを先に認識し、理解しておかなければならないのです。


「表現の自由」で人間の尊厳性をおとしめてはならない

今回のテロの直接の引き金は、シャルリー・エブドによるイスラム教世界全体への侮蔑表現であり、ヘイト・スピーチに当たります。差別と偏見に基づいて、イスラム世界を徹底的に蔑んだのです。ですから、イスラム諸国は、テロ行為は非難しても、西欧社会とともにテロと戦うということに躊躇しているのです。

したがって、今回のフランスの事件は、ISILのテロ事件とは全く本質の違う事件であると認識されねばなりません。むしろ、「表現の自由、言論の自由とは何か」、「それが地球規模での普遍的原理となるのか」を問われた事件である考えるべきです。問題の本質を単にテロ事件としてすり替えてはなりません。

シャルリー・エブドのようなジャーナリズムの尊大性、独善主義が、今日の世界全体を混乱に陥れている元凶であると言えるのです。なぜなら、彼らの言う表現の自由、言論の自由という言葉の奥に潜む、恨み心やあざけりに基づく情報発信が、受け手の憎悪の感情を拡大再生産させ、煽るだけになっているのです。それが紛争をもたらす元凶になっているのです。

シャルリー・エブドの事件は、イスラム教社会への風刺や揶揄などをすることで、国際社会まで巻き込んだ宗教的反目に至らしめてしまいました。ジャーナリズムの軽率な表現が世界を絶望の淵に追い込んだのです。実はこれこそが「ジャーナリズムによるテロ行為であり暴力行為」であるのです。


日本のジャーナリズムの最大の問題点

この問題は、日本のジャーナリズムにも言えます。ISIL側が「広報用」に制作し公開したプロモーション映像を流し続けたテレビ朝日。外務省が退避要請したシリアに取材に向かった朝日新聞。国民は、身の危険をおかしたり、国家を危機に陥れてまで報道して欲しいとは望んではいません。

また、さまざまなところでジャーナリズムの横暴さを目にします。テロや事件などにより殺害された被害者の家族や、さらには、災害で被災した人たちに「今どんな気持ちですか?」と質問している報道関係者の多いこと。そんなことを聞いてどうするのでしょうか。テレビの視聴者はそんなインタビューを聞きたくもありません。人の不幸に同情するふりをして、人の不幸を喜んでいるとしか思えないような品格のなさです。これこそ、被害者の人権を踏みにじっている行為なのではないでしょうか。

ジャーナリズムは事実をありのまま伝えるだけで結構です。解説も不要です。物事の本質を正確に理解していない記者や、偏った考えの解説者のフィルターを通すので真実が曲がって伝わるのです。日本のジャーナリズムは抜本的な反省が必要です。


真実の情報が発信できるネット媒体

幸いなことに、インターネットの普及とともに、個人で情報を発信し、それが世界に拡散するだけでなく、世の中に影響を与える時代が到来しました。いまでは、ジャーナリズムの論調よりも、個人の方が影響を与えているという事例も見ることができます。

昨年(2014)8月に朝日新聞の慰安婦記事取消事件がありましたが、これはネット社会に対して、朝日新聞が白旗を掲げた事件であったと言えるでしょう。朝日新聞はネットでの真実の拡散の力に敗北したのです。一人ひとりの力は小さくても、その総和の力は、巨大な朝日新聞でさえ揺るがしました。専門家筋からは朝日新聞は記事取消以降、実売部数が300万部を下回り、「世論形成する能力を喪失した」といわれるまでになりました。

また、最近では、ネットの力によりこれまでは考えられなかったことが起き始めています。朝日新聞に反省を求める訴訟が続発していることです。「朝日新聞を糺す国民会議」による訴訟(原告団2万人以上の集団訴訟)、「朝日新聞を正す会」による訴訟(原告400名、最終的に2000名以上)、さらには、米カリフォルニア州グレンデール市近隣に住む作家や僧侶らによる訴訟(2000名規模)が起きています。

このような一連の動きを見ると、自分たちに都合の悪い報道をしなかったり、偏った報道のジャーナリズムに対し多くの国民は、「既存のジャーナリズムを当てにせず、真実を発信し世論を正していかなければならない」との思いが、ネットを通し言葉となり行動となってきたということがよくわかります。

この動きがさらに加速し、「真実の情報発信」が増えることで世界は大きく変わるはずです。


あらゆるジャーナリズムは、「ジャーナリズムの正義とは何か」を改めて問うときが来たはずです。また、思想の自由、言論の自由が果たして人類の普遍の原理であるのか自問自答すべきでしょう。思想の自由、言論の自由のもとに発信される情報に権利の濫用はないのか、人びとの思想、行動、信仰について、侮辱したり、嘲笑したり、また挑発して、人間としての尊厳性をおとしめるものはないのかを点検する時が来ているのではないでしょうか。




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