すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。
コラム(336):政治のあるべき姿
読者投稿でいつも鋭い意見を披歴されているタゴリヒメさんから、当ブログ宛に緊急メールを寄せられました。
どの政治的立場にも属さないタゴリヒメさんという一般女性の方からいただいたご意見は、日本の政治の現状を憂い、切々とその思いのたけを述べておられます。しかも、その迫力ある言葉には、重大な示唆に富むご意見であると感じられ、政治的な立場を異にする人でも客観的に読めば極めて新鮮に感じられると思います。筆者も目からうろこが落ちる思いでした。
そこで、当ブログでは、タゴリヒメさんのご意見を、ご本人のご許可をいただいて公開させていただき、読者のご参考に供したいと考えます。
政治のあるべき姿
① 「菅義偉」氏は総理大臣たる器か
今回、自民党総裁選が開催されるにあたり、菅義偉という人物を改めて観照してみた。
安倍政権の7年間を官房長官として実直に(時には愚直に)総理を支え、政治家として時間と労力を政権運営に捧げてきたことに対しては感謝の意を表したい。けれども、その内容は如何なものであったろうか?
安倍総理が掲げてきた政策、「アベノミクス」は本当に国民にとって幸福な政策であっただろうか。
アベノミクスで利益を得たのは、大企業や富豪、そして利権に群がる一部の政治家だけで、結果、金持ちはさらに富み、貧しいものはさらに貧しくなるという貧富の差が広がった。この格差の拡大を起こしただけの経済運営には、血も涙も魂のかけらさえも感じられない。
近々の新型コロナへの対応では、企業の利益を優先するあまり国民の意に沿わない愚策ばかりを打ち出して最悪だった。そんな政府の中枢で官房長官として、これまでの政策を推し進めてきた菅氏の責任は重いと言わざるを得ない。
同志社大学大学院教授の浜矩子氏は、今回の総裁選を「アホ(安倍)のミクス」を継ぐ「スカ(菅)のミクス」と言って揶揄し、いま必要なのは「豊かさの中の貧困問題への対策だ」と訴えているが、果たして菅氏に総理大臣としての資質があるのか。疑問だ。
安倍総理が辞任する少し前に、あるテレビ番組に彼が出演した時、もし安倍さんが辞任されたら、総理大臣に立候補されるかと問われ、こう答えている「立候補は考えていない。私は豊臣秀吉の弟の秀長を、崇敬していて彼のような生き方がしたい。」と言い切った。秀長はナンバー2として秀吉を支えた人物だが、安倍総理を長年支えてきた自分に合い通ずるものがあり満足していたのだろう。
ところが、その数日後、その信念は一変して崩れた。安倍総理の辞任後に、自民党総裁選に立候補する意思を示したのだ。寝耳に水とはこのことだ。しかも、今回の総裁選は、全国の自民党員の投票権はなく立候補者は派閥の力(数)でほぼ確定されるというのだから。こんな馬鹿げた話はない。
今まで派閥を批判してきた菅氏が派閥の力を得て立候補し総理大臣になる姿を想像したときに、実直で素朴、謙虚で筋の通った仕事をする真面目な政治家「菅義偉」の顔は崩れ去った。この一件で政治家は国民の前で平気で嘘をつき、本音と建て前は全く違うものなのだと改めて気づかされた。
余談だが、菅氏は、野党時代、国会議員だけで代表を決めた旧民主党の選出方法を批判しており、2011年旧民主党が党員のサポーターを参加させずに、国会議員だけの投票で代表を選出すると決めた際、自らのブログで「与党の代表を選ぶことは、日本の総理大臣を選ぶこと」と指摘。「本来なら、候補者が自らの考え政策を広く国民にも示し、議論を深めるべきものだ。」と旧民主党の対応を批判していたが、そんな菅氏に、信念に基づいて政策を議論する力はあるのだろうか。
総裁選候補者の3人がテレビ討論する席で、コメンテータに振られた質問に、菅氏が言葉に詰まり感情的になるのを何度も見てきた。また、失言も多い。消費税増税についての発言は、テレビ局側の追及に耐えきれず、つい本音が出てしまったのだろうが、この発言は多くの国民に反発と不信を植え付け、野党に反撃材料を与えてしまった。
本人もあまりの反応に危機感を抱き、翌日、改めた発表をしたようだが、仮にも一国の総理大臣になろうとする者が、国の重要な政策を自分の範疇で発表してしまうという軽率さを、その発言を一日にして変えてしまうという信用に欠ける行為を国民の前で平然と行ってしまうことを信じられないし全く容認できない。
また、菅氏は自分の中に考えのないことを質問されるとむきになり言葉を強め、質問とは関係ない言い訳を言ったりすることも数々あった。見ていてこの人は議論ができないと思った。
けれども総理になれば外交に出る機会が増え、他国のトップとの会談や交渉ごともある。国と国が主張を戦わせる場で、相手国に詰め寄られて答えに詰まって焦って本音がでてしまうようでは困るし、そんな人に安心して国のかじ取りを任せられないのだ。
今回の総裁選候補者3名の中で、きちんと自分の考えを整理して議論ができるのは石破氏だと思うが、彼は正論を言い相手を負かすので、議員の中には敵が多く嫌われているようだから、たぶん今回総裁に選ばれないだろう。
岸田氏は、他派閥に遠慮している節があり、当たり障りのないことを言っているのだが、抽象的で具体性がないので、何をしたいのか何を考えているのかまったく伝わってこない。もしかしたら何も考えがないのかもしれない。しかし、現在、岸田派には40数人もの仲間がいる。この人の下に、なぜこんなに人が集まるのか不思議だ。
派閥は烏合のあつまりといえるのかも。菅氏は自らに集う人の群れを派閥ではなく菅グループと呼んでいるようだが、結局は、政治家は一人では何もできないということなのだろう。議員の間には派閥だ、礼節だ、当選回数だ、資金だ、血筋だ、と言って上下関係をつけて、党内を仕切る人がいるようだが、まるでやくざの世界を想像させる。
表では、国家のため、国民のためと言い政治家を気取っているが、裏では自分の名誉と財産を増やすためにせっせと仕事をしているのが現在の国会議員ではないだろうか。だから、森友・加計問題を始めとする利権がらみの事件が絶えないのだ。
「アベ(アホ)のマスク」の件でも、入札もしないで、業者が決まるなんてありえないでしょう。しかも国民の税金9億円も投資して作成して。国民を馬鹿にするのもいい加減にしろ!と言いたいね。
② 近未来の政党作り
一体この国は、いつになったら、救世主が表れてくれるのだろうか。「私利私欲抜きに、国を繁栄させて、国民の暮らしを豊かにしたい。」という信念のもとに、自らの人生をかけて仕事をしてくれる真の政治家はいないのか。先日、未来に見通しのきくある人に「今の国会議員の中に真の政治家は何人いるか。」と問いかけたら「一人もいない」という答えがかえってきた。驚きだ。
しかし、近未来に、そういう政治家の出現があることを強く信じたい。
理想はこうだ。まずは、若手の政治家が古い考えのもとにある派閥から脱却し、現自民党より分かれて新党を作る。野党の中で考えを一にする党、例えば維新の党や国民民主党等と協力し連合を作り自民党に対抗する巨大連合を作るのだ。
右派でも左派でもない。新党を。誰にも遠慮なく顔色をみることもなく自由闊達に意見を交換しあえる集団、歳も当選回数も血筋も財産も全く関係ない、純粋に国のため、民のために、何が必要かをとことん考えて、それを達成するための政策や知恵を出しあって作成し力強く推し進めてくれる政治家達がいま求められているのだ。
③総理大臣は、国民投票で
総理大臣は政権与党の中にいる人ならだれでも立候補することができるようにしたい。立候補者には、全員、国民の前で政治理念政策を訴えて議論してもらい、最後に国民投票で代表(総理大臣)を選ぶのだ。
この方法は、今のアメリカの大統領選挙に近い。「自分の国の総理大臣は、自分で選びたい」と国民の誰もが思っているはず。派閥が大手を振って国会という不透明な箱の中で勝手に決める時代はもう終わりにするのだ。
新しい価値観と理想の元に、強い信念を持つ人が一人でも出てくれば時代は動き出す。その思いが純粋ならば人は自然に集ってくる。幕末の坂本龍馬がそうだったように彼の「日本を今一度洗濯したく候」の思いや明治維新の改革者たちの志を胸に、新しい日本を創成してくれる新時代のリーダーが近未来に現れることを期待する。
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社会問題を自由に発言する読者投稿 その19
当ブログにはさまざまなご意見が寄せられています。読者の様々なご意見を尊重して投稿を掲載しております。
ただし、プロパガンダ、差別目的のコメント、陰謀論にもとづくコメントは掲載しておりませんのでご了承ください。また、投稿文についての加除増減はしておりません。
本日はその第19回目です。
① 「人を貶めるための言葉は言論ではない」に対して
日本人さん
日本は昔から言霊の幸はふ国ですから、日本語を正しく理解し、正しく使うようにしたいと思います。
一人一人の発する言葉が国全体のイメージを形成するようにも思います。
② 「既存の常識を改めることで政治は変わる」に対して
「談合総理」 タゴリヒメさん
今回の自民党の総裁選ほど、馬鹿ばかしい選挙はない。
立候補者が決まる前から、派閥の数合わせで総裁がほぼ確定されているのだから。これが、民主国家の中枢にいる人間のすることか。本当に情けない。自民党の総裁選びの歴史は党員投票を含め派閥の数合わせで決まることがそのほとんどで、組織の方針には誰も逆らえず、暗黙の了解で進めてきた経緯がある。
しかし、ある時代のこと、派閥の談合で森喜朗氏が総裁に選ばれたことがあった。その時、加藤紘一衆議院議員(立候補者だった?)がこれに反発し「加藤の乱」を起こしたことは今も記憶している。
時代が変わっても派閥・派閥とその勢力をちらつかせ、力と権力で押し切る戦法は、まったく時代遅れで進歩がない。国民はもううんざりしているのだが、それがわからないのだろうか。多くの政治家が集まれば、その考えや信念を同じくする者が出てきて塊(かたまり)ができるのは自然なことで、それまで一蹴するつもりはないが、自分たちの利権のために派閥を利用し議員一人一人の心を縛り行動をコントロールするのはやり過ぎだ。
そうした派閥の支援で総裁に選ばれた者は、そこに遠慮もあるし機嫌を取る必要も生じてくるだろうから、まず、自分の信念に沿った政治を進められない。結果、国民のための政治ではなく、彼らの名誉と利権のための政治に変わっていくことになる。
国会議員は国民の代表でその職に就任するのだから、自分の金儲けのために政治を利用することは許されない。まして給料は国民の税金なのだ。そのことを意識して仕事をするべきだ。
最近の利権問題では、森友・加計問題、桜を見る会、河井夫婦議員へ1億5千万円の政治資金投入問題、IR汚職事件で秋元議員逮捕等々…が記憶に新しいが、今後、こうしたことを絶対に許さないと思う国民が増えることを期待する。
今後、我々ができる唯一の政治改革は、①選挙には必ず行くこと。そして②このような「悪徳政治家」・「政党」を絶対に選ばないことだ。次の衆議院選挙には、各政党や政治家が過去、何を訴え、何をしてきたかを振り返り、吟味し、しっかりと判断して1票を投じること。これに限る。
一般人さん
世界各国では、コロナの影響でマスク不着用者への罰金と罰則が強化されています。英国では「コロナのジョーク」を言っただけで学生を退学処分にする学校まで出てきました。夜警国家のようになってきました。
日本では旧態依然とした勢力が利権を争っていますが、間接民主主義の弊害は大きいと思います。あらゆる法律が利権を手にした人に有利に働くように制定され、正論を唱えてもなかなか現状を変えるのが難しいのです。
コロナ禍の影響で、人と人との接触が減っていますが、若い人の交流や出会いがなくなると少子高齢化に拍車がかかります。人口減少と超高齢化、自然災害が激甚化するなかで、どのように国家を運営するのかが今後の政治家に問われています。もはや、小手先の経済政策でどうにかなる問題ではないと思います。
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コラム(335):既存の常識を改めることで政治は変わる
広がる政治への絶望感
環境破壊による自然災害と新型コロナウイルスによって世界は様々な問題に直面しています。それにもかかわらず、政治の世界はどの国でも旧態依然の利害打算の駆け引きと言論の暴力が横行しています。彼らには国民の暮らしを向上させることよりも、自分の利益を守ることが何よりも大事なようです。
わが国も例外ではなく、安倍首相の辞任表明を受けて自民党内は相変わらず派閥の損得勘定で次の総裁を選ぼうとしています。一方、野党の立憲・国民の合流も金と選挙目当ての離合集散にすぎません。彼らの行動には、国民や国家のためという気持ちは微塵もありません。
そのため、一連の政治の動きとそれを報じるメディアに対する国民の嫌悪感は増幅するばかりです。
国民が頼んでもいないことを実行する政治家たち
政治から人心が離れるのは、政治家不信が極まっているからです。国民の幸福のために良い政治をやってほしいと人びとが願いを託した政治家がやっていることといえば、国民が頼んでもいないことを「国民のためだ」と称して、自分たちに都合のいい法律をつくり、行政を恣意的に運用しているからです。
例えば、カジノ法案(統合型リゾート(IR)整備推進法案)などはその典型例です。国民の殆どが拒絶反応を示しているにもかかわらず、特定の人物や業者の利益のためにごり押しをしました。また、最近でも、コロナ禍にあってほとんどの人が疑問に思っていたGoToキャンペーンを実施したというのも行政を恣意的に運用させた結果にほかなりません。
安全保障、原子力発電を含め政治家が力を入れて何かの施設をつくったり、新たな政策を実行するために予算をつけるなどした事業の大半は、政治家が自分の利益や都合のための施策で占められています。国民が不信を抱くのは当然のことなのです。
政治改革は国民一人一人の意識の向上から
この現状を改めるには、政治家だけでなく国民全体が政治に関する考え方を一変させることが必要だと思います。なぜなら私たちが生きている社会はすべての人の想念で出来上がり、それが社会通念を形成しているからです。
まずは、私たち一人一人の心に「寛容さ」を再構築しなければなりません。
現代社会では、意見が違う相手を激しく攻撃する、それも人格攻撃を加えることによって相手より優位に立とうとする傾向が多く見受けられます。不寛容が社会全体に蔓延しつつある傾向を改めなければなりません。
人びとの間に寛容さが失われていく理由はすべて「利益の獲得」という問題に帰着します。
暴力や内戦、あるいは戦争に明け暮れる国の人びとは、悲しみや怒りに満ちた社会に住み疲れ果てています。為政者を含めて多くの人が富と資源の争奪に血眼になり、他人を押しのけてでも自分の利益を得ようとしています。またその富を守ろうとし、互いを排斥しあい憎悪するからです。
「独占」から「分かち合い」へ
富と資源は分かち合うことを前提とし、それを実現するためにプロセスを透明化させることで、苦悩と対立が解消されます。
それには、政策決定のプロセスから実行行為、そして成果までの一連の流れや資金の動きを誰の目にもわかるように透明化することが大切です。また、これからの政治で求められるのは偉大なる政治的指導者ではなく、人々が相互に寛容の精神をもった共同行動や一致した努力、そして社会集団としての価値の再創造にあります。
直接民主主義という考え方
政治の前提が変わることで政治システムが変わらざるを得なくなります。
前述の「政治家は国民が頼んでもいないことを実行する」原因は、間接民主主義の機能不全にあります。
民主主義は「国民が主権を持ち自分達のために政治を行う」ことを目的としていますが、現行は、国民が選挙で選んだ代表者に一定の期間自らの権力の行使を信託し政治を委託する間接民主主義であるため、「政治家個人の欲望が入る」と言う大きな欠陥があります。
これを解決するためには、間接民主主義から直接民主主義に移行させればいいのです。
IT技術が大きく発展してきた現在、大勢の人が集まって話をする必要はなく、IT技術を利用して国民の意思を正確に表現することが可能です。国家の方針や施策について必要に応じ国民の意見を反映させることができるのです。
行政運営は、直接選挙で選ばれた少人数の者が業務と実務を管理する政治システムを実現させることができるため、既存の選挙制度も議員も必要のないシステムをつくることができます。
膨大な無駄が省け税金も安くなるなどのメリットは大きいはずです。
首相を決めるのに大騒ぎをしている作今の姿を見るにつけ、「政治は永田町で決まる」と言う言葉が過去の遺物になることを願ってやみません。
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