赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

戦後70年の改憲問題  明日の日本をつくるために

2015-02-20 00:00:00 | 政治見解

赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(4)

戦後70年の改憲問題  明日の日本をつくるために




9条改正の機運は中国がつくった

戦後70年、そして今年(2015)5月には、日本国憲法が施行されて68年が経過しようとしていますが、やっと憲法改正への機運が高まってきました。いまでは、国民世論の大多数が憲法9条の規定がある限り日本および日本人の生命と財産は守れないと思うようになりました。そのきっかけをつくったのが「日本の軍国主義復活阻止」と叫ぶ中国です。また、それに弾みをつけたのが「尖閣諸島中国漁船衝突事件」などで中国に宥和的対応をした民主党などの護憲勢力です。実に不思議な感覚に襲われます。

さて、9条に関しては、改正が急務であると万人の共通認識ですから、もはや論ずる必要はないと思います。ここでは、戦後70年問題とあわせて、日本国憲法の最大の問題点とは何かを中心に述べながら、この憲法をどうすべきなのかを論じていきたいと思います。


憲法第一条が最大の問題である

憲法は、国のかたちや政治制度を法律として定めたものです。したがって、条文に書かれている意味は極めて重いものがありますが、なかでも、第1条は、日本国家の根幹を表現したものですから、なによりも重要視せねばなりません。日本国憲法の第1条はこのような規定になっています。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」。

戦後教育を受けた私たちにとっては極めて当たり前に感ずる文言なのですが、2000年以上も続いてきた日本にとっては、革命が起きたのかとも思えるほどの問題の条文なのです。後段の「この(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という部分に最大の問題があります。

ここを、裏側から読みますと「国民の総意がなければ天皇制は廃止できる」となるのです。これは、深読みではありません。日本革命を扇動していた人たちがもっとも目をつけた部分です。革命には天皇のご存在が一番邪魔でしたが、天皇をなくすには天皇廃位をめざせばいいということで、戦後の一時期、「反天皇」の世論形成がなされようとしたことがあるのです。幸い、大事には至りませんでしたが、日本国憲法にはこのような「革命性」が潜んでいるので注意が必要なのです。


日本国憲法の天皇観は間違っている

さて、この重大な問題である「天皇の地位」ですが、これは、国民が決めるものではありません。ここは日本人の歴史認識がしっかり定まっていないと理解しがたいところでもあります。

日本は建国以来、中心に天皇を戴き、天皇のもとに、さまざまな人々が「日本人」としてまとまってきた集団です。したがって、天皇のご存在がなければ日本人という集団は存在できません。そのようなシステムを日本建国のときにつくったのです。

父祖たちはその思いを受け継いできましたので、日本は2000年以上にわたる歴史が築かれてきました。その間、歴史を見渡しても、国民の側から、天皇の地位を勝手に変えたり、気分や感情で天皇のご存在を排除しようという動きはありませんでした。これが、天皇家の血脈が代々受け継がれてきた理由にほかなりません。「万世一系」とは国民の側から望んだことでもあるのです。

しかも、天皇のご存在があるからこそ、日本が日本であり続け、日本人が日本人として生きることができるのです。もし、天皇というご存在がなくなったら、その瞬間に日本は日本でなくなります。


天皇のご本質

ところで、天皇のご存在を「天皇制」という言葉で表現されることがありますが、これは日本共産党が生み出した造語です。天皇のご存在は、日本革命に最大の障壁となりますから、かれらは、天皇のご存在を西欧の封建君主と錯覚させて、人民を搾取する頂点に位置づけて、「天皇制」という言葉を用いたのです。日本の歴史を紐解けば、かれらの言っていることは全て捏造だとわかります。

日本の長い歴史の中で、天皇が政治制度の上で直接「統治」された時間はそれほど長くありませんが、その「統治」された時代でも、西欧概念でいう「統治」とは大きく異なりますので注意が必要です。

西欧概念での「統治」は、「主権者がその国土・人民を支配する」ということです。しかし、天皇の「統治」の場合は、「しろしめす」という言葉の通り「天皇はご存知である」、「日本の国土と国民のことをよくご存知である」という意味になります。人々の心を知るのが天皇の統治の真実なのです。

また、天皇のおつとめの第一は祭祀です。「国安かれ、民安かれ」とお祈りです。今上陛下も毎日のお祈りをなさっておられます。この国家安泰、国民の幸福を常に願う歴代天皇のお心があるからこそ、国民は天皇のご存在を敬愛し、信頼し、2000年以上の歴史を守ってきたわけです。


立憲君主制となった明治以降の日本を振り返っても、明治天皇、大正天皇、昭和天皇、今上天皇と日本の平和と国民の幸福を願うお気持ちは受け継がれています。

私たちがいま、日本人として生きていられるのも、昭和天皇の戦争終結のご聖断のおかげです。もし、ご聖断がなければ、日本も私たちも存在しなかったのかもしれません。また、敗戦直後の国民を励ますために、昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られました。その行程は3 万3千km。このご巡幸で、日本人は敗戦の悲しみから立ち上がることができたのです。

今上天皇におかれても、震災被災者に接するお姿を拝するとき、多くの被災者の心を癒すこの上ない慈悲深さを感じます。

このような高潔なお人柄は、世界中を見渡しても、天皇以上の元首、大統領、首相はいません。万人が絶賛します。「天皇の人格が日本の精神そのもの」であると思えるのです。


これを知れば、日本国憲法の天皇観は倒錯しているとお分かりいただけると思います。その原因は、もちろん占領政策を行ったGHQによるものです。かれらにしてみれば、天皇のご存在を西欧の専制君主程度の認識でしかなかったわけです。「天皇制解体」の意思を日本国憲法に織り込んでいたのです。


自民党の日本国憲法改正草案は再考すべし

現在、改憲について、さまざまな動きがでてきています。2014年10月には、櫻井よしこ氏を共同代表とする「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が結成されています。政党では、次世代の党が綱領の中で「国民の手による新しい憲法(自主憲法)の制定」を明記しています。

また、それらに先駆けて、平成24(2012)年4月には、自民党が『日本国憲法改正草案』を発表しています。日本国憲法改正案とはなっていますが、実質的には、自民党の党是である「自主憲法」案だと思います。概してよくまとまっているとは思いますが、根本的なところが間違っていました。草案の第一条です。

「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

すでにおわかりのように、後段が大問題です。日本国憲法の枠組みである「反天皇」から一歩も逃れられていないのです。ここの精神が間違っていれば、本草案は殆ど意味のないものになります。もう一度、抜本的に考え直す必要がありそうです。


憲法に何を描くべきなのか それは建国の理念と明日への希望

天皇観の歪んでいる日本国憲法については改正ではいくら修正しても日本の本当の国のあり方を示すことはできません。取り急ぎ9条を改正した後は、至急、新しい憲法を制定する必要があります。

とくに根幹部分である第一条では、「天皇の地位」について明確な位置づけが必要です。まず、第一が、天皇のご存在は日本の中心ですから「元首」としなければならないこと、第二が、国民の総意に基づくものではなく、「日本の建国の精神とその歴史性に由来する」という明記することです。日本が日本たる所以の部分です。

次に、憲法の意味、位置づけを解説する前文には、日本が2000年前の建国の理想と歴史を受け継いできた誇りと喜びに満ち溢れた国であることを高らかに謳う。その上で、日本が明日に向かって、世界の平和と安定、相互の経済発展、地球環境の調和をもたらす役割を担っていくという決意を示すことが大切になると考えます。

そのためには、過去の歴史的教訓を踏まえて、日本が将来に向けても平和国家であり、紛争解決のためには一切の暴力行為は用いないということを明らかにしなければなりません。ただし、国土に対する侵略行為やテロ行為には断固排撃するという強い意思を示しておくことは当然のことです。

新しい憲法では、日本の国のありかたを定めながら、単に日本、一国のことで満足するのではありません。日本の誠実さや毅然たる精神を貫く中で、世界の国々の模範となるような国にするとの宣言をするべきものだと考えます。そのために、条文は専門家におまかせするとして、新しい憲法の精神的規範だけは、私たちの叡智を結集しながら作り上げていかねばならないと思います。



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日本の戦後70年の諸問題

2015-02-17 00:00:00 | 政治見解
赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(3)

日本の戦後70年の諸問題




二度の総選挙で自民党が圧勝した理由

2012年12月に行われた第46回総選挙は、「日本を取戻す」をテーマに掲げた安倍晋三総裁率いる自民党が圧勝劇を演じ政権の座に復帰しました。次の2014年12月の第47回総選挙でも安倍政権は「日本再生はこの道しかありません」として「日本再生」をキーワードに圧勝しました。この二度にわたる安倍自民党の圧勝の理由は、「日本を取戻す」「日本再生」というキーワードが日本人の心の中に共通して存在するアイデンティティに共鳴し、国民の心を強く捉えて離さなかったからだと思います。

このキーワードの上面だけを見た人は「経済大国日本の復活」と捉えたかもしれません。実際に多くの政治家はこれらの言葉を単なる経済政策だと思い、見当違いな批判をしている人もいます。また、一部の政治家は「戦前の政治体制の復活」「軍国主義の復活」とのレッテルを貼るばかりでした。このような政治家の発言を耳にするたびに、失望を禁じ得ませんでした。野党が伸び悩んだ理由はここにあると思います。

筆者は、「日本を取戻す」「日本再生」と言う言葉は、文字通り「本当の素晴らしい日本を取戻す」ことだと受け止めました。経済のみならず、世界で輝き続ける美しい日本の復活を何よりも待ち望んでいたからです。また、多くの国民も日本に一刻でも早く再生してほしいとの思いがあったのだろうと思います。


異質の歴史、戦後70年

長い日本の歴史の視点から戦後の日本を見てみますと、戦後70年は最も異質な時代になることは明らかです。政治的にも、思想的にも、文化的にも、これまでの日本とはまるで異質に見えます。

ただし、筆者を含めて戦後世代の人間(※1)にとっては、戦後の時代を当たり前に生きていましたので異質であるとは断定できません。それでも、国の形を決める憲法が大きく違っていますから、戦前の日本と戦後の日本の間には大きな断層があるというのはわかります。

※1:2013年4月発表の総務省の統計:1945年8月以降の「戦後生まれ」が1億人を超えて総人口の78.7%を占めるようになった。日本人の4分の3が戦後生まれである。

1945(昭和20)年の大東亜戦争の敗北とアメリカによる日本占領統治は、2000有余年の日本の歴史の上でも未曾有の出来事でした。物質万能主義のアメリカの前に、精神主義の日本が屈服した瞬間だったと思います。

アメリカの占領をもって、物事の考え方や歴史観がアメリカの価値基準に変更されました。日本の伝統や文化も過去の遺物として排除され、日本は精神面で骨抜きにされてしまいました。その上、政治制度の改革で、国のあり方を定める憲法を変えられ、西欧型民主主義を与えられました。戦前と戦後の断層はここから始まります。

また、この時期、ソビエトからの社会主義イデオロギーが侵入してきました。この思想の波は、「変節の知識人」たちを「日本革命」へと駆り立てました。そして、かれらは、日本人の保守回帰への風潮に「保守反動」、「軍国主義」というレッテルを貼ってその道筋を妨害しました。

さらに、1970年代頃から、中国による「歴史戦」が始まりました。内政干渉も甚だしいものなのですが、歴史問題を政治カード化してきたのです。執拗なプロパガンダによって日本を萎縮させながら、経済援助を引き出す外交を続けてきました。これに1990年代から韓国が慰安婦問題で騒ぎ立てるようになりました。韓国による「歴史戦」です。

この間、精神的バックボーンを失った日本人は、経済発展のことばかりに目を向けて、歴史問題には向き合いませんでした。これが日本の戦後だったのです。


日本の危機それは「歴史問題」

さて、現下の日本にはさまざまな危機が存在します。内憂外患はいまもなお存在しています。しかし、その危機の真相を検証してみれば、全てが「歴史認識の問題」に帰結するように思えてなりません。

お隣の中国や韓国が騒ぎたてる靖国問題、歴史教科書問題、南京事件、慰安婦問題、領土問題などはすべて歴史問題、歴史認識に帰着します。自国の歴史認識を日本に押し付けて、その歴史認識に、日本が服従するように迫っているだけだからです。しかも、その歴史認識は改竄し捏造したものですから実に不当な要求をしているのです。

一方、同盟国でありながら自国の利益のためには日本に服従を迫るアメリカも同様でしょう。戦後体制の頂点に立つアメリカは、対日占領政策の延長線上でこれまでどおり日本を従属させるのは当然と考えています。度重なる経済摩擦での日本バッシング、繰り返されるアメリカのための市場開放要求、さらにはアメリカの戦略目的で閉鎖させられたイランの油田、等々・・・。これらも「戦後体制」という歴史問題に端を発するものなのです。


このような状況の中で、日本が亡国の最大の危機に直面した時代がありました。2009年からの民主党政権のときです。民主党政権は、中国や韓国のプロパガンダ攻勢に屈して円高誘導と資金援助を行いました。それが結果的に日本経済の首を絞める原因となりました。また、尖閣諸島問題も奇妙な宥和政策を行い、侵略される寸前まできていました。沖縄の米軍基地移転問題では同盟国であるアメリカの信頼も失い、同盟関係に亀裂が入るまでになってしまいました。正しい歴史認識のできない政権は国家を危機の淵に導くということを証明したのです。


「日本を取戻す」ことの意味するもの

幸い、2012年末の第二次安倍政権発足が日本の危機を遠ざけてくれました。中国による侵略の危機は回避され、日本を取り巻く情勢も国内の情勢も変化が生じるようになりました。また、あれほど激しかった中国のプロパガンダ攻勢も次第に色あせつつあります。そして、韓国発の慰安婦問題もその真相を世界が理解するようになって、韓国が騒ぐほどの効果は得られなくなっています。

さらに、日本に常に従属を強いるアメリカもいまや安倍総理の毅然たる外交姿勢に敬意を示さざるをえなくなっています。安倍外交の公平な外交姿勢は国際社会では大変高く評価され、日本の地位が非常に高まってきています。このようなことは戦後70年の中で初めてのことです。

一方、国内においても劇的な変化が生じました。朝日新聞が慰安婦報道の捏造を認めました。これにより、朝日新聞を頂点にした勢力が後退を余儀なくされました。安倍総理の「日本を取戻す」「日本再生」の言葉の力に、世論が呼応して、日本を破壊しようとする勢力を封じ込めているのです。つまり、正しい歴史認識に基づく毅然たる姿勢が、不当なもの、よこしまなものを跳ね返すのです。


この「日本を取戻す」「日本再生」という言葉には、「日本の歴史を取戻し、日本の歴史認識に基づいて日本を再生する」という意味が込められていると思います。

これまでの日本は、外交面でも、国内政治においても、他国の歴史戦に押し込まれてきました。近隣諸国から声高に繰り広げられる理不尽な歴史認識の強制に沈黙し、その脅迫の代償としての多額の資金援助を続けてきました。また、国内においても、基地問題に見られるように多額の補助金を支出することにより、問題の解決をはかっていきました。しかし、これらの小手先の対応では問題は何も解決しませんでした。むしろ、欲望の炎を燃え盛らせるだけで、事態を一層悪化させるものでした。

その負の悪循環を、安倍総理は「日本を取戻す」との決意で断ち切ろうとしていると受け止めたいと思います。


「戦後70年談話」に期待する

さて、本年の8月に発表される安倍総理の「戦後70年談話」は、これからの時代精神を形作る画期的なものになると思われます。

そこには、日本の歴史をありのままに見つめ、反省すべきところは反省し、評価すべきところは評価する。その歴史の観点に立って、世界の模範となるような国づくりをしていくという明日の日本の決意も明らかにされることを願っています。

また、国際社会にあっては、正しい歴史認識に基づいて、日本の公平性・公正性の観点に立って、世界の安定と繁栄に貢献する方針を強く打ち出してほしいと思います。

これにより、これまで70年にもわたって呪縛されてきた「戦後体制」から日本が解放されることを大いに期待したいと思います。



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国際社会の戦後70年を考える

2015-02-14 00:00:00 | 政治見解
赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(2)

国際社会の戦後70年を考える



では、ここから、「戦後70年」を振り返りながら、日本や日本を取り巻く国際社会にどのような問題が生じてきたのかを分析して見たいと思います。まずは、戦後70年の国際社会を概観します。


国連は何のためにあるのか

20世紀は「戦争の世紀」といわれていました。しかし、21世紀は世界大戦のような大規模な戦争こそはありませんが、内戦、民族紛争、宗教間の争い、テロ事件の続発と、無益な戦いが頻発しています。「戦争の世紀」よりも一層悲惨な状態であるといえると思います。

本来であれば「世界平和を実現する」ために存在すべき国連が機能していません。その理由は、紛争地域のすべてにおいて、国連の安保常任理事国が何らかの係わり合いがあるためです。

紛争地域を見ましても、かつて英仏に植民地支配されていたアフリカ諸国の内戦、英米を背景に建国したイスラエルと中東諸国の軋轢、ロシアとソ連時代の衛星国の領土問題、21世紀の覇権主義中国とアジア諸国の紛争、等々すべてに常任理事国が関わっています。また、これにエネルギー資源の争奪、さらに、宗教的・文化的な排他性も加わって紛争を激化させていますが、これにも常任理事国の影が色濃く出ています。これでは 「国連は何も解決できない」のは当然のことのように思えます。


国連はどのようにして出来たのか

第一次世界大戦、第二次世界大戦という世界規模での悲惨な戦争を省みれば、第二次世界大戦以降の国際社会に対して、世界の指導者たちは、「地球規模での平和」を模索しなければならなかったはずです。しかし、歴史を検証してみれば、世界の指導者には、最初からその視点は持っていませんでした。

第二次世界大戦は連合国側の勝利で終結しましたので、連合国(United Nations)が文字通り、国際連合(United Nations)を構築しました。そして、国連は戦勝国である米英仏ソ中(ただし当時は中華民国)が支配をしました。その基本構造は現在でも変わりません。米英仏露中(中華人民共和国)の五カ国だけが国連安保理事会の常任理事国として拒否権を行使できるのです。五カ国だけが他の国々に絶対的な優位な立場に立つのです。

これは、各国の一票が平等に扱わなければならない国際連合憲章第2章の「主権平等の原則」に反するものです。常任理事国がこの特権を保持し続けている限り、国連はなにも機能しえません。

しかも、第二次大戦で枢軸国側であった日独伊(ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランド含む)に対しては、事実上死文化しているとはいえ「敵国条項」があります。国連憲章から未だ削除されていません。国連では、日独伊は未だ「敵国」なのです。これも、「主権平等の原則」に反する差別行為に他なりません。

それにもかかわらず、国連分担金拠出の第二位は日本(約11%)、第三位はドイツ(約7%)、第七位がイタリア(約4%)となっており、「敵国」とされている国の方が、アメリカを除く常任理事国よりも国連に貢献しています。これは、明らかに異常な状態であると思います。

結局は、第二次世界大戦の戦勝国でつくりあげた利益共同体は、70年たったいまでも何も変わっていないということなのです。つまり、「国連中心主義」なる主張は空虚なものなのです。


国連は米ソによる世界分割の追認機関

ソ連という社会主義国家が崩壊する前までの世界は、米ソという異なる政治体制の大国によって大きく二分されていたと言っても過言ではないでしょう。この米ソによる世界分割支配構造は「ヤルタ体制」と呼ばれています。

1945年2月、ヤルタ(クリミア半島の保養地)では、アメリカ、イギリス、ソ連の首脳が集まり、第二次世界大戦後の世界秩序づくりが話し合われました。そこでは、ドイツの東西分割とポーランドの国境策定による東側(社会主義陣営)と西側(自由主義陣営)の線引きが確定しました。この日から、ヨーロッパ諸国は、自らの意思ではなく米ソの意思で否応なく分断されることになったのです。

また、ここでは「密約」も交わされました。ソ連に日ソ不可侵条約の破棄が要請され、ソ連が日本に攻め込むというものです。これが、日本の北方領土がソ連に奪われる原因となりました。


さて、戦後になって米ソ対立による冷戦がはじまりますと、1989年のソ連崩壊までの実に44年もの間、世界中の国々は米ソ冷戦の中に巻き込まれていきました。このときも、国連は世界に平和と安全を供することはできませんでした。米ソという超大国二国のそれぞれの思惑に戸惑いながら、米ソの利益の狭間で揺れ動いていただけでした。

また、戦後は、アジア諸国の独立の機運に呼応するように、アフリカで植民地が独立して新しい国家が続々と誕生しました。第三世界と呼ばれる国々です。

ただ、アフリカ諸国は植民地時代に欧州列強の都合で引かれた国境線をもって独立をしましたので、民族や部族の問題には何も考慮していませんでした。そのために、今日ではそれぞれの利害対立を招き、内戦の一因となっています。これに対しても国連には問題解決能力がありません。国連軍を組織して紛争の鎮圧にはあたっていますが、利害関係を調整して、アフリカの平和を構築するには至っていません。



宗教的対立にも覇権主義にも歯止めをかけられない国連

さて、ソ連が崩壊してからの国際秩序は、キリスト教社会対イスラム教社会という宗教・文化対立と、覇権主義の中国の台頭という深刻な問題が生じてきました。前者はイスラエル建国という英米の傲慢が中東地域に大規模な紛争を生じさる原因です。また、中国は、エネルギー資源の収奪とあくなき領土拡張欲によって、近隣諸国との間に大きな軋轢を生じさせています。両者に共通することは、当事者の一方が国連安保常任理事国ということが問題なのです。

なかでも、中東地域ではイスラエル対イスラム諸国の対立は恒常化し、今日に至るまで一触即発の状況が続いています。また、その延長線上の問題として、キリスト教文化圏の欧米諸国対イスラム教諸国の対立を激化させています。これがいまは宗教間対立にまで広がろうとしています。宗教的寛容さを忘れた「排他主義」が原因であるのは間違いありません。憎悪の連鎖が生み出されています。

一方、イスラム教諸国内部での対立も起きています。西欧社会寄りのイスラム教国家と反西欧のイスラム教国家の軋轢が生じています。さらに、その中にイスラム原理主義者といわれる過激派も加わって対立とテロを煽っていますので、事態を一層複雑化させ、深刻なものにさせています。


戦後70年の呪縛からの解放を

このように改めて歴史を見ていけば、国際社会の戦後70年は、「紛争や戦争、テロの脅威から何も解決できなかった70年」ということになるのではないでしょうか。結局は、国際社会は、米ソといった超大国、あるいは、第二次世界大戦での戦勝国であった連合国によって翻弄されつづけた70年だったのではないでしょうか。その間に起きた紛争や戦争、そしてテロは、「平和の代償」にもなりませんでした。

これからの時代は、戦後70年の反省を踏まえて、世界の国々が調和しながら互いに発展していけるような新しい国際的な枠組みを構築していかなければなりません。具体的な内容は後述することとして、その新しい枠組みをつくる鍵を握るのがおそらく日本になると確信しています。なぜなら、日本は「支配」ではなく、「平和的協調」という外交姿勢で国際社会に貢献してきたのですから・・・。

つづく




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日本を取戻す!!

2015-02-11 00:00:00 | 政治見解
赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(1)

日本を取戻す!!


今年は、戦後70年の節目の年にあたります

日本の戦後は大東亜戦争敗戦とともに始まりました。アメリカによる占領政策で日本人のアイデンティティは相当に破壊されました。また、ソ連による社会主義思想の侵入で戦後知識人は汚染されました。日本の戦後は、思想的文化的混乱の中からはじまったのです。そして、現在は、日本を貶めようとするプロパガンダによって、日本は翻弄されています。戦後の70年は、いわば思想的外圧の中にあって、日本がまるで根無し草にように漂い続けていた時代であったといえると思います。

しかし、同時に70年という長い時間の経過は、善良なる多くの日本人を覚醒させるものでもありました。人びとは次第に、戦後体制が日本への手かせ、足かせになっているのに気づき、ここからの脱却しなければ日本の自立はないと認識しはじめだしたのも事実です。


一方、国際社会にあっての戦後70年は、21世紀が始まると同時に宗教間対立とテロの危機が増大した時代になっています。いまもなお、戦争の世紀といわれた20世紀をも上回る対立と紛争が絶え間なく続いています。世界の警察官であったアメリカもその力の衰えとともに抑えることができなくなっています。戦後につくられた世界秩序は、国際社会が地球規模に広がったことと、そしてソ連の崩壊、さらにはアメリカの衰微とともに機能しなくなったといえるでしょう。

国際社会でもこのままではいけないとは理解しています。しかし、戦後に築き上げられた国際秩序に変わる考え方は未だ出てきていません。この混迷はまだまだ続きそうな様相です。


国際社会で起きている諸問題の根源は二つに集約されます。「違うということをもって排斥する」こと、「限りある地球の資源を奪い合う」という二点です。

「違うということを排斥する」から、また、「奪い合う」から、内戦や戦争、宗教対立やテロの温床となってしまうのです。憎しみの連鎖を止めるには、「排他主義」と「収奪」をやめるしかないのです。違いは違いと認め、互いに分かちあうことでしょう。奪い合えば不足しますが、分かち合えばあまるのです。

とくに、「違うということを排斥する」問題で苦言を呈すれば、キリスト教社会はイスラム教社会を揶揄したり排撃してはなりません。また、イスラム教は各宗派ごとに、「テロリズムを原理主義と正当化して暴力を繰り広げる集団」を「イスラム教ではない」と宣言しなければなりません。本来、宗教は「許し」が根本であり、紛争や戦争、テロリズムの対極に存在しなければなりません。排外主義の先頭に立ってはならないのです。


ところで、国際社会に影響力を及ぼす大国はさまざまな問題を抱えています。国際社会に適切な方針を提言できるような国を見つけるのは至難の業です。大国の実情をみても・・・

国連安保理事会のような一部の特権をもって政治的圧力をかける大国、
軍事的圧力で周辺諸国を侵略・従属させようとする大国、
また、自国の国益のみを世界基準と主張して簒奪していく大国、
さらには、異文化・異宗教を受け入れず排除する大国、
環境破壊によって自国のみならず周辺国にまで悪影響を及ぼす大国、

このような大国が、たとえ美辞麗句を駆使して演説しても、国際社会はタテマエとしか受け止めません。


しかし、上記の国際社会全体が嫌悪する問題を何一つもっていない唯一の例外が存在します。日本です。

日本は、戦後70年間、国際社会に政治的圧力をかけたことも、ましてやさまざまな国に内政干渉、宗教干渉もしたことがありません。軍事行動をも起したこともありません。また、経済外交も互いにwin―winの関係を築いてきました。さらに、経済援助もその国の発展のため行ってきました。その上に、文化や宗教に対しては寛容に満ち溢れ、傲慢なる振る舞いはしていません。また、公害の苦い教訓のために、地球環境保全は最高水準を保っています。

こう考えると、これからの時代、地球規模に広がった国際社会にあって、唯一の希望の光となるのは日本でしかないように思えます。


とくに、日本は大東亜戦争敗北により、異文化・異文明を半ば強制されましたが、それでも、日本人のもつ誠実さと寛容さでそれを乗り越えてきました。その上に新しい文化的な価値をつくりあげました。また、社会主義イデオロギーや反日プロパガンダに一時的影響は受けても、その欺瞞性を認識することもできました。思想の真贋を見分ける力を持ちえたのです。これは、日本人の絶えまざる営為によるものです。

このような普遍的思想の価値の上に、有史以来日本人が培ってきた美しい精神性、寛容性、公平性を加味すれば、国際社会にとって大いなる福音をもたらすものになるのではないかと思えます。


まず、戦後70年の節目である今年から、日本が国際社会のモデルとなる国づくりを始めていくべきだと思います。最初のとりかかりは憲法を変えることからはじめねばなりません。憲法は日本の国をいかに運営していくかの根本を定めるものであるからです。

そのときに必要なことは、大いなる理想主義と徹底したリアリズムの視点を持つことです。理想が高くなければ世界に影響を与えることはできません。しかし、同時に表面的な理想主義だけでは国が滅びます。両者のバランスの上に、国家と国民の絆をいま一度結びなおして、新しい日本、世界のモデルとなる日本を構築していかねばならないと思います。

最初に、国際社会の現実を直視して国民の生命と財産を守るという観点、さらに毅然とした外交姿勢を実現するという観点から、「国防」ということをしっかり入れる必要があります。そのリアリズムを担保した上に、国民がともに富を分かち合い、「違うということを排斥しない」という寛容の精神で和やかな美しい国を作っていく。そのためにも互いに智恵を出し合うことが必要だと思います。


本日は建国記念の佳き日にあたります。まずは、今日のこの日を、日本人として生を受け、生かされてきたことに思いを馳せ、いにしえから美しい日本を育み、守って下さった先人たちの思いと努力に、感謝を捧げたいと思います。そして、先人の叡智と努力に学び、その叡智の中に、これからの国際社会に平和と安定とそして繁栄をもたらす希望の原理を見出していきたいと思います。日本が変われば世界が変わるのですから。


本日からブログを始めます。よろしくお願いいたします。




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緊急掲載 ISILテロについて

2015-02-05 12:40:55 | 政治見解

(当ブログの正式スタートは2月11日ですが、諸情勢を鑑み、本文を掲載することといたしました)


緊急掲載 ISILテロについて

「自己責任」を自ら訴えてISILの地に行って殺害された後藤さんに対して、日本政府は最大限の努力をしたと思います。いかなる理由があろうとも日本人の生命を守ろうとする日本政府の強い意志を高く評価したいと思います。

一方、SILのテロ行為には論及せずに政府批判を展開している人たちの発言は、ISILのテロ行為に加担するものとして逆に非難されるべきものであると思います。

政府批判にはこのようなものがあります。
「政府の責任とは、参加しなくても良い対テロ戦争に参加し、国民と国家を危険に晒したこと」と。

しかし、それは時系列の上でも誤認識であり、単に政府批判にするための発言でしかありません。なぜなら、安倍総理が中東訪問をして「その場で援助を約束したからテロが行われた」のではありません。中東への人道的支援は従来の政府の方針通りものであり、国際社会において高い評価を得ているものです。

ISILは、安倍総理の中東訪問のタイミングに合わせて、以前から拘束していた人質を公開しただけであって、計画的なものであり、金目的の営利誘拐であることを見抜かなければなりません

また、政権批判に利用するために、ISIL側の主張をそのまま受け入れて、「日本政府の(人道的)支援がテロを誘発した」から「(人道)支援をやめよ」と主張する人がいます。これも本末転倒な論理です。

彼らの論理は、ISILのテロの脅しに屈したに等しいものです。もし日本がISILに屈したと見なされた瞬間、中東における日本への信頼が低下するだけではなく、同様の事件の再発を招くことになりかねません。

さて、今回のISILのテロ問題を、後藤さん個人の生命の次元に矮小化させたマスコミの責任は極めて大きいものがあると思います。
イスラム教諸国の間でも問題視されている単なる過激暴力集団を「イスラム国」としてとりあげ、あたかも「国家」のごとく扱う報道ぶりには大きな問題が残ります。

ISILの無謀なテロ行為で罪の無い人びとが虐殺され、また、それから逃れようとする多くの難民の悲惨な実態はあまり報道していません。それよりも、センセーショナルで、「人道問題として報道が出来る」人質個人に焦点をあてた報道ばかりを繰り返しています。ISILのテロ行為、人権問題を人質個人の人道問題に矮小化させているのです。

マスコミは真実の情報を伝えればいいのですが、門外漢の人間まで登場させて、人質問題を悲劇のヒーローに仕立て、政府批判に誘導しようという意図も感じさせます。このようなメディアの歪んだ報道姿勢は大いに反省をすべきではないかと思います。

また、功名心にはやって政府の制止も聞かず、シリアに出向く朝日新聞の行動には疑問が残ります。同社の特別編集委員は「政府広報じゃないんだから、もっとジャーナリズムしませんか」などと発言していますが、分別が無さ過ぎです。

記者が第二の人質になった場合のことすら考えていません。日本政府と国民に「迷惑をかける可能性がある」ということを理解しているのなら、こうした軽挙妄動は慎むべきでしょう。



私たちは今回のISILのテロ行為を教訓として、国際社会に対する支援のあり方、日本国民の生命と財産を守ること、テロに対する再発防止策を自分の問題として考えていかねばならないと思います。

第一に、これを機に、日本の人道援助(経済開発、安定化、テロ対策、難民支援への資金供与)はますます活発に行われると思います。しかも、その方法は、西欧社会と異なるものです。日本の援助には、宗教的な偏見もなく、内政干渉も含まず、さらには、服従や抑圧を伴わない人道的支援です。どの国も安心して受け容れられるものになると思います。

第二に、海外の邦人保護のための積極的政策を打ち出す必要があります。国家は、海外にいる邦人の生命と財産を守るために、自衛隊が派遣できるようにすべきです。これにより、戦後70年経って初めて国家と国民の関係が正常化されることになります。

また、今回の事件で、テロにせよ、戦争にせよ、われわれ日本人がそれを望んでいなくとも、日本を敵視する国あるいは組織が、有無を言わさず攻撃してくるという現実があらわれました。もはや、日本国憲法の9条条文では、国民の生命と財産を守ることはできません。憲法改正が現実のものとして積極的に議論されなければならないと思います。

第三に、今後、国内におけるテロ支援組織や加担する者への監視体制を強化する必要があります。



今回の事件は、安倍政権下で起きたことが不幸中の幸いでした。厳しい局面の中でブレることなく対応してきた安倍内閣には敬意を表したいと思います。

これを機に、日本がより健全な国家として歩み始めるきっかけになることを願っています。




  akaminekaz@gmail.com 

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