赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(4)
戦後70年の改憲問題 明日の日本をつくるために
9条改正の機運は中国がつくった
戦後70年、そして今年(2015)5月には、日本国憲法が施行されて68年が経過しようとしていますが、やっと憲法改正への機運が高まってきました。いまでは、国民世論の大多数が憲法9条の規定がある限り日本および日本人の生命と財産は守れないと思うようになりました。そのきっかけをつくったのが「日本の軍国主義復活阻止」と叫ぶ中国です。また、それに弾みをつけたのが「尖閣諸島中国漁船衝突事件」などで中国に宥和的対応をした民主党などの護憲勢力です。実に不思議な感覚に襲われます。
さて、9条に関しては、改正が急務であると万人の共通認識ですから、もはや論ずる必要はないと思います。ここでは、戦後70年問題とあわせて、日本国憲法の最大の問題点とは何かを中心に述べながら、この憲法をどうすべきなのかを論じていきたいと思います。
憲法第一条が最大の問題である
憲法は、国のかたちや政治制度を法律として定めたものです。したがって、条文に書かれている意味は極めて重いものがありますが、なかでも、第1条は、日本国家の根幹を表現したものですから、なによりも重要視せねばなりません。日本国憲法の第1条はこのような規定になっています。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」。
戦後教育を受けた私たちにとっては極めて当たり前に感ずる文言なのですが、2000年以上も続いてきた日本にとっては、革命が起きたのかとも思えるほどの問題の条文なのです。後段の「この(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という部分に最大の問題があります。
ここを、裏側から読みますと「国民の総意がなければ天皇制は廃止できる」となるのです。これは、深読みではありません。日本革命を扇動していた人たちがもっとも目をつけた部分です。革命には天皇のご存在が一番邪魔でしたが、天皇をなくすには天皇廃位をめざせばいいということで、戦後の一時期、「反天皇」の世論形成がなされようとしたことがあるのです。幸い、大事には至りませんでしたが、日本国憲法にはこのような「革命性」が潜んでいるので注意が必要なのです。
日本国憲法の天皇観は間違っている
さて、この重大な問題である「天皇の地位」ですが、これは、国民が決めるものではありません。ここは日本人の歴史認識がしっかり定まっていないと理解しがたいところでもあります。
日本は建国以来、中心に天皇を戴き、天皇のもとに、さまざまな人々が「日本人」としてまとまってきた集団です。したがって、天皇のご存在がなければ日本人という集団は存在できません。そのようなシステムを日本建国のときにつくったのです。
父祖たちはその思いを受け継いできましたので、日本は2000年以上にわたる歴史が築かれてきました。その間、歴史を見渡しても、国民の側から、天皇の地位を勝手に変えたり、気分や感情で天皇のご存在を排除しようという動きはありませんでした。これが、天皇家の血脈が代々受け継がれてきた理由にほかなりません。「万世一系」とは国民の側から望んだことでもあるのです。
しかも、天皇のご存在があるからこそ、日本が日本であり続け、日本人が日本人として生きることができるのです。もし、天皇というご存在がなくなったら、その瞬間に日本は日本でなくなります。
天皇のご本質
ところで、天皇のご存在を「天皇制」という言葉で表現されることがありますが、これは日本共産党が生み出した造語です。天皇のご存在は、日本革命に最大の障壁となりますから、かれらは、天皇のご存在を西欧の封建君主と錯覚させて、人民を搾取する頂点に位置づけて、「天皇制」という言葉を用いたのです。日本の歴史を紐解けば、かれらの言っていることは全て捏造だとわかります。
日本の長い歴史の中で、天皇が政治制度の上で直接「統治」された時間はそれほど長くありませんが、その「統治」された時代でも、西欧概念でいう「統治」とは大きく異なりますので注意が必要です。
西欧概念での「統治」は、「主権者がその国土・人民を支配する」ということです。しかし、天皇の「統治」の場合は、「しろしめす」という言葉の通り「天皇はご存知である」、「日本の国土と国民のことをよくご存知である」という意味になります。人々の心を知るのが天皇の統治の真実なのです。
また、天皇のおつとめの第一は祭祀です。「国安かれ、民安かれ」とお祈りです。今上陛下も毎日のお祈りをなさっておられます。この国家安泰、国民の幸福を常に願う歴代天皇のお心があるからこそ、国民は天皇のご存在を敬愛し、信頼し、2000年以上の歴史を守ってきたわけです。
立憲君主制となった明治以降の日本を振り返っても、明治天皇、大正天皇、昭和天皇、今上天皇と日本の平和と国民の幸福を願うお気持ちは受け継がれています。
私たちがいま、日本人として生きていられるのも、昭和天皇の戦争終結のご聖断のおかげです。もし、ご聖断がなければ、日本も私たちも存在しなかったのかもしれません。また、敗戦直後の国民を励ますために、昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られました。その行程は3 万3千km。このご巡幸で、日本人は敗戦の悲しみから立ち上がることができたのです。
今上天皇におかれても、震災被災者に接するお姿を拝するとき、多くの被災者の心を癒すこの上ない慈悲深さを感じます。
このような高潔なお人柄は、世界中を見渡しても、天皇以上の元首、大統領、首相はいません。万人が絶賛します。「天皇の人格が日本の精神そのもの」であると思えるのです。
これを知れば、日本国憲法の天皇観は倒錯しているとお分かりいただけると思います。その原因は、もちろん占領政策を行ったGHQによるものです。かれらにしてみれば、天皇のご存在を西欧の専制君主程度の認識でしかなかったわけです。「天皇制解体」の意思を日本国憲法に織り込んでいたのです。
自民党の日本国憲法改正草案は再考すべし
現在、改憲について、さまざまな動きがでてきています。2014年10月には、櫻井よしこ氏を共同代表とする「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が結成されています。政党では、次世代の党が綱領の中で「国民の手による新しい憲法(自主憲法)の制定」を明記しています。
また、それらに先駆けて、平成24(2012)年4月には、自民党が『日本国憲法改正草案』を発表しています。日本国憲法改正案とはなっていますが、実質的には、自民党の党是である「自主憲法」案だと思います。概してよくまとまっているとは思いますが、根本的なところが間違っていました。草案の第一条です。
「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」
すでにおわかりのように、後段が大問題です。日本国憲法の枠組みである「反天皇」から一歩も逃れられていないのです。ここの精神が間違っていれば、本草案は殆ど意味のないものになります。もう一度、抜本的に考え直す必要がありそうです。
憲法に何を描くべきなのか それは建国の理念と明日への希望
天皇観の歪んでいる日本国憲法については改正ではいくら修正しても日本の本当の国のあり方を示すことはできません。取り急ぎ9条を改正した後は、至急、新しい憲法を制定する必要があります。
とくに根幹部分である第一条では、「天皇の地位」について明確な位置づけが必要です。まず、第一が、天皇のご存在は日本の中心ですから「元首」としなければならないこと、第二が、国民の総意に基づくものではなく、「日本の建国の精神とその歴史性に由来する」という明記することです。日本が日本たる所以の部分です。
次に、憲法の意味、位置づけを解説する前文には、日本が2000年前の建国の理想と歴史を受け継いできた誇りと喜びに満ち溢れた国であることを高らかに謳う。その上で、日本が明日に向かって、世界の平和と安定、相互の経済発展、地球環境の調和をもたらす役割を担っていくという決意を示すことが大切になると考えます。
そのためには、過去の歴史的教訓を踏まえて、日本が将来に向けても平和国家であり、紛争解決のためには一切の暴力行為は用いないということを明らかにしなければなりません。ただし、国土に対する侵略行為やテロ行為には断固排撃するという強い意思を示しておくことは当然のことです。
新しい憲法では、日本の国のありかたを定めながら、単に日本、一国のことで満足するのではありません。日本の誠実さや毅然たる精神を貫く中で、世界の国々の模範となるような国にするとの宣言をするべきものだと考えます。そのために、条文は専門家におまかせするとして、新しい憲法の精神的規範だけは、私たちの叡智を結集しながら作り上げていかねばならないと思います。
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