ちくわブログ

ちくわの夜明け

紳士たれ

2016-10-10 20:35:38 | しゅみ道
長いことひとつの趣味を続けていると色々なものが見えてくる。
見えてくるし分かったような気になってくる。


そうするといわゆる老害化し、新参者や若い者に眉をひそめることが多くなる。
時代と共にその趣味の文化やあり方が変容し、質や層にも格差が見え始める。

格差の端から端までには、追いつけないほどの隔たりがある。すると理解が及ばない層が出現し、理解ができないことに腹を立て、孤立感を深める。
年寄りが「近頃の若いやつらは」と言うのと同じだ。

だからできるだけ言わない。



言わないけど。言いたい。

例えば、これは例えばの話。

様々な作品のキャラクター、映画でもアニメでも。それらは実際には存在しない。
役者さんが演じたり、描かれた絵に声優さんが声を宛てて、「存在しない何か」というキャラが目の前に生まれる。
そこに魂を吹き込むのは他でもない自分で、自分が好きになったキャラに対する一方通行の思いだけが、魂みたいな歪な錯覚を醸成する。

一度、キャラクターを好きになったならちゃんと好きでい続けるべきだ。
もしそのキャラに飽きた時はちゃんとお別れをするべきだ。

キャラクターを作品と言い換えることもできる。


ちなみに俺は「推し」という言葉の感覚が分からない。
分からないし、理解できないので嫌いだ。


SNSが発達したからだろう。世間やネットで騒いでるものにちょっとのっかってあれは面白い、これは面白いと言っている、ここ最近の速度に追いつけなくなった。
みんな評論家か。


消費するなってことじゃない。
作る側も基本は商売でやってるんだから消費するものだと思う。
でも消費をドラマチックにするのは、誰でもない受け手である自分なのだ。
ドラマチックとは深めることだ。作り手と受け手の真剣なお付き合い。


趣味にはそういう個的な決意が必要だ。
だから面白い。
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