会場の入口に到着しました。美術展のいつもの、どこにでもある光景がこの扉の向こう側に広がっています。長い時代を生きてきた建物の中では、また同じ時代を歩き続けてきた美術展が開催されています。(写真④)
【日展の歴史】
江戸時代の長い鎖国の後、国を開いて外国との交流を始めると、欧米諸国の文化の高さは日本の人々を驚かせました。欧米の国々に肩を並べるために、我が国は産業の育成に努めなくてはいけないのと同時に芸術文化のレベルアップの必要性も強く感じていたのです。
明治33年、当時オーストリア公使だった牧野伸顕は海外の文化事情に肌で触れ、ウィーンを訪れた文部官僚に公設展覧会を開催することの大切さを情熱的に語っています。フランスでは、ルイ14世時代の1667年からサロンで開かれていた鑑賞会が公設展に発展しており、それがフランスの芸術面の高さに大きく貢献していました。
「我が国も公設の展覧会を開き、文明国として世界に誇れるような芸術文化を育成しようではないか」牧野は日本の美術の水準をもっと高めたいという夢を抱いていました。
この夢が実現するのが明治39年です。文部大臣になった牧野はかねてより念願の公設展開催を決め、明治40年に第1回文部省美術展覧会(略して文展)が盛大に開催されたのです。
この文展を礎とし、以来、時代の流れに沿って「帝展」「新文展」「日展」と名称を変えつつ、常に日本の美術界をリードし続けてきた日展は96年の長きに渡る歴史を刻んできました。
最初は日本画と西洋画、彫刻の3部制で始まりましたが、昭和2年の第8回帝展から美術工芸分野を加え、昭和23年の第4回日展からは書が参加して、文字通りの総合美術展となったのです。
昭和33年からは、民間団体として社団法人日展を設立して第1回日展を開催し、さらに昭和44年に改組が行われて今日にいたっています。
★今回の日展の概要は今夜に続きます。