赤毛のアンちゃん

赤毛の柴犬アンちゃんは2014年11月、14年5カ月の生涯を閉じました。『決してリードは放しま宣言』発信中のブログです♪

69年目の祈り

2014-08-15 14:52:02 | 祈念日


2014年8月15日―
69回目の終戦記念日を迎えました。

世界中から戦争と核兵器そして原発が
なくなる日が来ることを祈念し
黙祷を捧げます。



平和への誓い新たに=69回目の終戦記念日
―東京で戦没者追悼式
時事通信 8月15日(金)12時2分配信

69回目の終戦記念日を迎えた15日、
政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
天皇、皇后両陛下と安倍晋三首相、遺族ら約6000人が参列。
戦争の犠牲となった約310万人(軍人・軍属約230万人、民間人約80万人)の冥福を祈り、
平和への誓いを新たにした。

式典は正午前に開始。
安倍首相は式辞で「戦没者の貴い犠牲の上に、
私たちが享受する平和と繁栄がある」と追悼した。
その上で、「歳月が流れても変えてはならない道がある」とし、
「世界の恒久平和にあたうる限り貢献」すると宣言した。



2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
ぜひもう一度ごらんください。


(2007年撮影)

特集●62年目の夏
特集●62年目の夏[1]ヒロシマへ
特集●62年目の夏[2] この地に立って その1
特集●62年目の夏[3] この地に立って その2
特集●62年目の夏[4] この地に立って その3
特集●62年目の夏[5] ヒロシマからナガサキへ
特集●62年目の夏[最終回] 平和への礎



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69年目の祈り

2014-08-09 14:14:50 | 祈念日


2014年8月9日―
69回目の長崎原爆の日を迎えました。

世界中から戦争と核兵器そして原発が
なくなる日が来ることを祈念し
黙祷を捧げます。



「核兵器ない世界」次世代に=平和宣言、集団的自衛権言及
―69回目、長崎原爆の日
時事通信 8月9日(土)11時22分配信

長崎は9日、69回目の原爆の日を迎えた。
爆心地に近い長崎市松山町の平和公園で、
市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。

被爆者や遺族、安倍晋三首相らが参列し、原爆死没者の冥福を祈った。
田上富久市長は平和宣言で、「核兵器のない世界」を次世代に
引き継ごうと世界に向けて呼び掛けた。
集団的自衛権をめぐる議論にも言及し、政府に対し、
不安や懸念の声に耳を傾けるよう要請した。

式典には、核保有国では、米仏ロ中のほか、インドが出席。
米国のケネディ駐日大使も6日の広島に続き参列した。
参列国は過去最多の48カ国となった。

犠牲者に水と花輪をささげた後、原爆投下時刻の午前11時2分、
鐘の音などに合わせて1分間の黙とう。
7月末までの1年間に死亡が確認された3355人の名前を記した
原爆死没者名簿3冊を奉納した。死没者数は16万5409人となった。

平和宣言で田上市長は、
核兵器保有国や日本を含む「核の傘」の下にいる国に対して、
核廃絶を目指す国々との協議の場をつくるよう呼び掛け、
日本政府には唯一の被爆国として先頭に立つよう求めた。
さらに、憲法に込められた不戦の誓いは、日本と長崎の原点と強調。
集団的自衛権の議論の中で、被爆者が伝え続けた平和の原点が揺らいでいるとの
不安や懸念の声に耳を傾けるよう政府に求めた。
世界には「次の世代に『核兵器のない世界』を引き継ぎましょう」と呼び掛けた。

安倍首相は「被爆の辛酸をなめた私たちは立ち上がり、
祖国を再建し、長崎を美しい街としてよみがえらせた」とあいさつ。
被爆70年目となる来年は「核兵器のない世界」を実現するための取り組みを
さらに進める決意を表明した。

平和宣言



2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
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(2007年撮影)

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69年目の祈り

2014-08-06 10:24:10 | 祈念日


2014年8月6日―
69回目の原爆の日を迎えました。

世界中から戦争と核兵器そして原発が
なくなる日が来ることを祈念し
黙祷を捧げます。


未来志向の対話訴え=「平和国家の道を」
―69回目の原爆の日・広島
時事通信 8月6日(水)8時40分配信

広島市は6日、69回目の原爆の日を迎えた。
広島市中区の平和記念公園では、
市主催の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が行われ、
被爆者や遺族、安倍晋三首相ら約4万5000人が参列。

松井一実市長は平和宣言で、「絶対悪」である核兵器廃絶に向け、
「憎しみの連鎖を生み出す武力ではなく、人と人とのつながりを大切に
未来志向の対話ができる世界を築かなければならない」と訴えた。

式典には68カ国の政府代表や欧州連合(EU)代表部が参列した。
昨年着任した米国のケネディ駐日大使のほか、
核保有国では英仏ロの代表者も出席した。
原爆が投下された午前8時15分に、遺族代表らが「平和の鐘」を打ち鳴らし
参列者は1分間の黙とうをささげた。

平和宣言で松井市長は、政府に対して、69年間戦争をしなかった事実を
重く受け止め、「名実ともに平和国家の道」を歩み続けるよう訴えた。
また、オバマ米大統領や核保有国の為政者に被爆地訪問を求め、
「信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに
全力で取り組んでほしい」と述べた。

安倍首相は「人類史上唯一の戦争被爆国として、
核兵器の惨禍を体験したわが国には、
確実に、『核兵器のない世界』を実現していく責務がある。
その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがある」とあいさつした。
来年が被爆70年目の節目の年であり、
5年に1度の核拡散防止条約(NPT)運用検討会議が開催されることにも言及。
「『核兵器のない世界』を実現するための取り組みをさらに前に進める」と述べた。

式典では松井市長と遺族代表が、
この1年間に死亡が確認された5507人の名前を記した原爆死没者名簿を
慰霊碑に納めた。
原爆死没者は29万2325人となった。

平和宣言



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東日本大震災から3年

2014-03-11 14:46:00 | 祈念日


今年もわが家のミモザが見頃を迎えはじめました。

”友情”の黄色い花が、青空に揺れています。

”3月11日を 忘れない”

あの日から3年の月日が流れました。

今なお、26万7千名もの方が避難生活の中にいます。

生きるために、ふるさとに残る人がいます。

生きるために、ふるさとを離れる人がいます。

どちらも考え抜いて、悩み抜いて出した決断だったはずです。

絆で結ばれたどちらもが、誰よりも幸せになってくれますように。

”こころの復興”を願い祈ります。

3月11日午後2時46分・・・黙祷



画房 母子草は3月11日、開設2周年を迎えました。

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阪神淡路大震災から19年

2014-01-17 18:54:20 | 祈念日


1月17日
阪神淡路大震災から19年
祈りの朝を迎えました。
5時46分―黙祷

うすれゆく記憶の多い中で
決して忘れることのないこの日ですが
流れゆく歳月とともに
この日を知らない世代にどう受け継がれるのか・・・

2011年の東日本大震災から2年10カ月のいま
今まで経験したことのない、この2つの大震災を通して
”何が起きても当たり前の時代”に
立ち向かわなければなりません。
人としてのありようが問われる時代に
私たちは生きています。



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いのりの夏

2013-08-15 16:18:57 | 祈念日


2013年8月15日―
68回目の終戦の日を迎えました。

世界中から戦争と核兵器そして原発が
なくなる日が来ることを祈念し
黙祷を捧げます。



終戦の日 平和への誓い胸に
「教訓刻み希望満ちた国を」
産経新聞 8月15日(木)15時9分配信
 
68回目の終戦の日を迎えた15日
政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
昭和38年8月15日の初開催から今回で51回目となる追悼式には
天皇、皇后両陛下のご臨席のもと
安倍晋三首相や全国各地の遺族ら6091人が参列。
戦争の犠牲となった軍人・軍属約230万人および一般市民約80万人
あわせて約310万人の冥福を祈るとともに、平和への誓いを新たにした。
式典では、両陛下のご入場後、参列者全員で国歌を斉唱。
安倍首相は式辞で戦没者に哀悼の意を表し
「私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ
希望に満ちた、国の未来を切り拓(ひら)いてまいります」と決意を述べた。

その後、正午の時報とともに、1分間の黙祷(もくとう)をささげ
天皇陛下が「終戦以来既に68年、国民のたゆみない努力により
今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが
苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません」と
お言葉を述べられた。

また、夫が奄美大島古仁屋沖で戦死した東京都練馬区の遠矢みち子さん(92)が
遺族代表として「私たちが体験した悲しみや苦しみは
誰にも味わわせたくはありません。
すべての人々が平和で心豊かな世界となりますよう
たゆまぬ努力をいたします」と追悼の辞を述べた。

厚生労働省によると、参列予定遺族4813人のうち
戦没者の父母は3年連続でゼロ。
妻も昨年(24人)の3分の2の16人
兄弟姉妹も昨年(588人)より減って508人となった。



2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
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いのりの夏

2013-08-09 14:39:13 | 祈念日


2013年8月9日―
68回目の長崎原爆の日を迎えました。

世界中から戦争と核兵器そして原発が
なくなる日が来ることを祈念し
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被爆68年、長崎原爆の日 平和宣言「原点に返れ」
朝日新聞デジタル 8月9日(金)11時21分配信

【斎藤靖史】被爆68年となる長崎原爆の日の9日、
長崎市で平和祈念式典が開かれた。
原爆投下時刻の午前11時2分、参列者は目を閉じて犠牲者を悼んだ。
田上富久市長は平和宣言で
政府が核兵器の非人道性を訴える共同声明に賛同しなかったことを
「被爆国としての原点に反する」と強く批判。
核廃絶にリーダーシップを発揮するよう求めた。

政府は4月
スイス・ジュネーブでの核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会で
核兵器の非人道性を訴える共同声明に賛同しなかった。
田上市長は平和宣言で「世界の期待を裏切った」
「核兵器の使用を状況によっては認める姿勢を示した」と指摘。
政府に「被爆国としての原点に返ること」を求めた。

原発の技術を輸出するため、NPT未加盟のインドと原子力協定の
交渉を再開したことも、
「NPTを形骸化し、NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを
正当化する口実を与える」と批判した。

一方、世界に1万7千発余りある核弾頭の9割以上が米ロ両国のものだと指摘し
両国の大統領に「大胆な削減」に取り組むよう求めた。

そのうえで、
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」という
憲法前文を引用。
そこには国民の決意がこめられているとして
平和を求める原点を忘れないよう
戦争や被爆の体験を語り継ぐことの大切さを訴えた。

反核運動を引っ張った長崎の被爆者、山口仙二さんが7月に亡くなったことを挙げ
減り続ける被爆者の平均年齢が78歳を超えたと指摘。
「ノーモア・ヒバクシャ」という山口さんの演説を引き
若い世代に「被爆者の声に耳を傾けて」と呼びかけた。

式典に出席した安倍晋三首相は「核兵器の惨禍が再現されることのないよう
非核三原則を堅持しつつ、
核兵器廃絶、世界恒久平和の実現に力を惜しまぬことを誓う」とあいさつした。

式典には約5800人が参列し、初参加のインドを含め
過去最多に並ぶ44カ国の代表が集まった。
米国は昨年に続いてジョン・ルース駐日大使が出席し
2011年の初参列から3年連続で代表が出席した。

式典では、この1年間に死亡が確認された3404人の名簿が奉安され
長崎原爆による死者は計16万2083人になった。

長崎平和宣言



2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
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いのりの夏

2013-08-06 10:16:54 | 祈念日


2013年8月6日―
68回目の原爆の日を迎えました。

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68回目の広島原爆忌…首相、米大使ら式典出席
2013年8月6日(火)08:57(読売新聞)

広島は6日、68回目の原爆忌を迎えた。

広島市中区の平和記念公園では
平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が開かれ、
被爆者や各都道府県の遺族代表、安倍首相、市民ら約5万人が犠牲者を悼み、
平和への誓いを新たにした。
松井一実市長は平和宣言で、「絶対悪」である核兵器の廃絶と
平和な世界の実現に力を尽くすと述べた。

午前8時からの式典には、海外から70か国と欧州連合(EU)代表部の代表も出席。
核保有大国では米、英、仏、露が大使らを送り、米国のルース大使は2010年以来、
3度目の参列となった。

この1年の間に死亡が確認された被爆者5859人の名前を書き加えた
死没者名簿が原爆死没者慰霊碑に納められ、
名簿は計104冊、死没者数は28万6818人となった。

原爆投下時刻の同8時15分、遺族代表らが「平和の鐘」を鳴らすなか、
参列者は1分間、黙とう。

平和宣言で松井市長は、原爆による心身の傷や
差別、偏見を乗り越えてきた被爆者5人の体験談を紹介。
無差別に命を奪い、終生にわたり心身を苦しめる原爆を
「非人道兵器の極みであり、絶対悪です」と非難した。
日本政府には、核兵器廃絶を訴える国々との連携強化や、
被爆者の実態に応じた支援策の充実を求めた。

3月末現在の被爆者は全国で20万1779人。
前年同期から9051人減った。
平均年齢は78.8歳となり、前年より0.7歳上がった。



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東日本大震災から2年

2013-03-11 14:46:00 | 祈念日


今年もわが家のミモザが開きはじめました。

”3月11日を 忘れない”

あの日から2年の歳月は流れましたが
被災地の多くでは復興の入口に入ったばかりかもしれません。
一日も早く家族揃ってふるさとで暮らせることを
ひたすら願います。



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阪神大震災18年

2013-01-17 10:55:13 | 祈念日


1月17日
阪神淡路大震災から18年
祈りの朝を迎えました。
5時46分―黙祷

18年前のこの日を思い出して
誰かといちど語り合ってみませんか?
忘れ去ってしまった大切なことに出合えるかもしれません。


震災犠牲者と同じ数の6434本のロウソクに火をともし、
祈りをささげる人たち(兵庫県伊丹市の昆陽池公園で)
前田尚紀撮影(読売新聞)



<阪神大震災18年>震災知らぬ市民4割超す…神戸市
毎日新聞 1月16日(水)18時59分配信

6434人が犠牲となった阪神大震災は、17日で発生から18年になる。
神戸市では昨年、震災を知らない市民が初めて人口の4割を超え、
街並みにも傷痕はほとんど見られなくなった。
一方、家を失った人たちが移り住んだ復興公営住宅は1人暮らしの高齢者が増え、
一層の見守りが必要になっている。
被災地の経済も低迷から脱し切れず、経済的に立ち直れない被災者の姿も垣間見える。

兵庫県内の災害復興公営住宅では、入居者の高齢化率(65歳以上の割合)が
昨年11月時点で48.2%と過去最高を更新した。
1人暮らしの高齢世帯は10年前に比べて9ポイント増の44.2%を占め、
昨年1年間の孤独死は高齢者を中心に61人に上った。
自治体が民間などから借り上げた復興住宅では20年間の契約期限が迫り、
お年寄りが転居の不安を抱えている。

震災で落ち込んだ被災地の地域経済も低迷が続く。
日本政策投資銀行の分析によると、97年に復興需要が一段落して以降、
兵庫県の県内総生産(GRP)の成長率は、データが公表されている09年まで
一貫して国内総生産(GDP)の成長率を下回っている。

最大350万円を被災者に貸し付けた国の災害援護資金は、
約2割にあたる約1万2000人分が未返済。
資金は小規模商店主らが当面の生活資金にあてたケースが多く、
今も震災の影響から脱し切れない被災者の存在が浮かび上がる。

復興事業のうち、土地区画整理事業は全て終了したが、
市街地再開発事業ではJR新長田駅南地区(20.1ヘクタール)が今も続く。
空き店舗が目立ち、活性化策が大きな課題だ。

被災地の最大都市・神戸市では、震災後に誕生、
転入した市民が昨年11月現在で人口の約41%となり、
震災の風化も懸念されている。
一方、東日本大震災を受け、阪神大震災の経験に学ぶ機運は高まっており、
教訓を次代に伝えるために02年にオープンした「人と防災未来センター」(同市)は
昨年、入館者が500万人を超えた。【阪神大震災取材班】



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