赤毛のアンちゃん

赤毛の柴犬アンちゃんは2014年11月、14年5カ月の生涯を閉じました。『決してリードは放しま宣言』発信中のブログです♪

66年目の夏

2011-08-15 14:09:15 | 祈念日


今年もまた8月15日を迎えました。
66回目の終戦記念日です。

またひとつ悲しみを重ねた66回目の夏も
大空に向かい、こう綴ります。
世界中から戦争と核兵器がなくなる日が来ることを
そして日本という国が『平和大国』への道を
ひた走ることを願ってやみません。



終戦から66年、戦没者追悼式に6100人
産経新聞 8月15日(月)12時23分配信

66回目の終戦の日を迎えた15日、
政府が主催する全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
天皇、皇后両陛下のご臨席のもと、
菅直人首相や全国各地の遺族ら約6100人が参列。
戦争の犠牲となった軍人・軍属約230万人および一般市民約80万人、
あわせて計約310万人の冥福を祈るとともに、
平和への誓いを新たにした。

式典は正午前に始まり、両陛下のご入場後、参列者全員で国歌を斉唱。
菅首相は式辞で東日本大震災について触れ、
「我が国は国民一人一人の努力によって戦後の廃墟から立ち上がり、
今日まで幾多の困難を乗り越えてきました」と述べ、
震災から日本を再生させることが
先人の尊い犠牲や労苦に応えることだとした。

その後、正午の時報とともに1分間の黙祷がささげられ、
天皇陛下が「かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、
深い悲しみを新たにいたします」とお言葉を述べられた。

遺族代表で父をフィリピン沖で失った甲府市の河西佐智子さん(67)は
「この悲しい歴史を二度と繰り返さないことをお誓いします」と
追悼の辞を述べた。
参列予定だった西岡武夫参院議長は体調不良で出席を取り止めた。

厚生労働省によると、戦没者遺族の出席者は4817人。
最年長は、夫が中国雲南省で戦死した東京都の馬場宮子さん(97)。
曽祖父が沖縄戦で戦死した沖縄県の宮城海皇ちゃん(5)は、
平成21年に続き2回目の最年少者となった。




2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
ぜひもう一度ごらんください。

特集●62年目の夏
特集●62年目の夏[1]ヒロシマへ
特集●62年目の夏[2] この地に立って その1
特集●62年目の夏[3] この地に立って その2
特集●62年目の夏[4] この地に立って その3
特集●62年目の夏[5] ヒロシマからナガサキへ
特集●62年目の夏[最終回] 平和への礎



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残暑お見舞い申し上げます

2011-08-10 14:56:37 | 歳月



残暑お見舞い申し上げます


猛暑の夏は今年も・・・
まだまだ厳しい日々が続きますが
年配の方は節電もほどほどに
水分もしっかりとって無理せず
どうぞお元気でお過ごしください



アンちゃんも11歳を過ぎて
この夏はややバテ気味のようです。


夏場の自転車散歩はグンと少なくなりますが
たまには保冷剤入りのタオルも巻いて
しっかりガードしています。



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原爆と原発を問う―ナガサキの夏

2011-08-09 14:16:48 | 祈念日


1945年8月9日午前11時2分、長崎
あの日から66年目の夏です。

<長崎原爆の日>
「原子力に代わるエネルギーを」平和宣言
毎日新聞 8月9日(火)10時53分配信

長崎は9日、66回目の「原爆の日」を迎えた。
長崎市松山町の平和公園では、長崎原爆犠牲者を慰霊する
平和祈念式典が開かれ、被爆者や遺族、
初出席の米国を含む各国政府代表ら約6000人が、
平和への思いを新たにした。
東日本大震災や福島第1原発事故を受けた今年の平和宣言で、
田上富久長崎市長は被爆国が再び放射線の恐怖に脅かされる現状を指摘し、
今後の社会づくりに向けた深い議論を呼びかけると共に
「原子力に代わる再生可能エネルギーの開発を」と訴えた。
また、長崎が廃虚から復興したことに触れ「希望を失わないで」
「世界が応援している」と被災地にエールを送った。

田上市長は「『ノーモア・ヒバクシャ』を訴えてきた被爆国が
どうして再び、放射線の恐怖におびえることになったのか」と述べ、
「自然への畏れを忘れていなかったか、
人間の制御力を過信していなかったか、
未来への責任から目をそらしていなかったか……」と問い、
「根底からの議論」を呼びかけた。
そのうえで「より安全なエネルギーを基盤とする社会への転換」を訴え、
48年に始まった長崎平和宣言で初めてエネルギー政策転換に言及した。

また、「1カ所の原発事故による放射線が
これほど大きな混乱を引き起こしている今、核攻撃がいかに非人道的か、
はっきりと理解できるはず」と述べ、改めて核兵器廃絶を世界に訴えた。

一方、「核兵器のない世界」を掲げる米国が臨界前核実験などを
継続していることにも触れ、
オバマ大統領に「被爆地や世界の人々を失望させないよう
リーダーシップの発揮を」と求め、
核保有国をはじめ国際社会に核兵器禁止条約の締結を呼びかけた。
さらに日本政府には、非核三原則の法制化と、
「北東アジア非核兵器地帯」の創設を訴えた。

そして、被災地の復興と原発事故の収束、
原爆と東日本大震災の犠牲者の冥福を祈り、
核兵器廃絶に取り組むと結んだ。

平和宣言の起草過程では、被爆者などから「脱原発」のアピールを
求める声が強かったが、市長は「議論することが大切だ」と繰り返し、
文言としては盛り込まれなかった。

一方、菅直人首相もあいさつで原発事故に言及。
「事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を
講じるとともに『原発に依存しない社会』を目指す」と述べた。

被爆者代表として「平和への誓い」を読んだ松尾久夫さん(83)は
「原爆を使用し、無残な悲劇が長崎を襲った。
尊い命を無差別に奪い去ることは人道的に許されない。
この悲劇が二度と繰り返されぬよう世界の指導者に訴える」と述べた。

式典には昨年より12カ国多い過去最多の44カ国の代表が参加。
米国からジェームス・ズムワルト臨時代理大使が初めて出席するなど、
初参加国は15カ国。
震災被災地の福島市長や福島県いわき市の中学生も出席した。
式典は、今年初めて世界にインターネット中継された。
この1年間に死亡が確認された原爆死没者3288人の名簿3冊が奉安され、
死没者数は計15万5546人になった。【下原知広】


平成23年長崎平和宣言



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原爆と原発を問う―66年目の夏

2011-08-06 08:24:43 | 祈念日


2011年8月6日
あの日から、66回目の原爆の日を迎えました。

世界中から戦争と核兵器がなくなる日が来ることを
祈念し黙祷を捧げます。

<広島原爆の日>
66回目 平和宣言で「放射線の脅威続く」
毎日新聞 8月6日(土)10時43分配信

広島は6日、米国による原爆投下から66回目の原爆の日を迎えた。
東日本大震災と福島第1原発事故を受け、んばくと
松井一実・広島市長(58)は平和宣言で「今なお続いている放射線の脅威は、
原発に対する国民の信頼を根底から崩した」と指摘、
早急にエネルギー政策を見直し、具体策を講じるよう日本政府に求めた。
菅直人首相は平和記念式典のあいさつで
「原発に依存しない社会を目指す」との考えを改めて示した。
平和記念式典で広島市長と首相が、
核兵器廃絶だけでなく原発に言及するのは異例で、
核と人類のあり方を問う「8・6」となった。

広島市中区の平和記念公園には未明から多くの人が訪れ、祈りをささげた。
午前8時から平和記念式典があり、過去2番目に多い66カ国の代表ら
約5万人が出席した。
昨年初出席した米英仏の代表は2年連続で出席した。

平和宣言では核の軍事・平和利用の両方に反対した
故森滝市郎・広島大名誉教授の言葉「核と人類は共存できない」に触れたが、
「脱原発」を自らの考えとしては述べずに
「主張する人々がいる」との表現にとどめた。

今年4月就任の松井市長は広島市長として初の戦後生まれで、
母親が被爆者。初めての平和宣言に被爆体験談を公募し、
寄せられた73人の文章から2人の体験を引用した。
平穏な日常が一瞬にして奪われた様子や、
助けを求められたのに自らも重傷を負って応えられなかった体験談を
盛り込み、「被爆者から体験や平和への思いを学び、
次世代に、世界に伝えていかねばならない」と誓った。

臨界前核実験を繰り返す米国を名指ししたうえで
「すべての核保有国には、核兵器廃絶に向けた取り組みを
強力に進めてほしい」と訴えた。
15年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議を念頭に
核不拡散をテーマにした国際会議の誘致を目指すとし、
「黒い雨」の援護対象地域の拡大なども政府に求めた。

菅首相はあいさつで東京電力福島第1原発事故に触れ、
「これまでの『安全神話』を深く反省し、
原因の徹底検証と安全性確保の抜本対策を講じ、
原発への依存度を引き下げ、原発に依存しない社会を目指す」と表明。
「今回の事故を人類にとっての新たな教訓と受け止め、
世界や将来の世代に伝えることが責務だ」と強調した。

昨年参列した潘基文(バン・キムン)国連事務総長からは
「核兵器のない世界を追求することを改めて決意する」との
メッセージが寄せられた。

式典では、松井市長と遺族代表2人が、
この1年に亡くなった被爆者ら5785人を登載した原爆死没者名簿を、
原爆慰霊碑下の奉安箱に収めた。
名簿は3冊増えて100冊となり、名簿登載者は計27万5230人になった。
原爆投下時刻の午前8時15分には、参列者は1分間の黙とうをささげた。
「こども代表」として小学6年の福原真拓(まさひろ)君(11)と
藤田菜乃歌(なのか)さん(11)が「夢と希望があふれる未来をつくるために、
行動していく」とする「平和への誓い」を読み上げた。
【樋口岳大】


平和宣言



2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
ぜひもう一度ごらんください。


(2007年撮影)

特集●62年目の夏
特集●62年目の夏[1]ヒロシマへ
特集●62年目の夏[2] この地に立って その1
特集●62年目の夏[3] この地に立って その2
特集●62年目の夏[4] この地に立って その3
特集●62年目の夏[5] ヒロシマからナガサキへ
特集●62年目の夏[最終回] 平和への礎



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