赤毛のアンちゃん

赤毛の柴犬アンちゃんは2014年11月、14年5カ月の生涯を閉じました。『決してリードは放しま宣言』発信中のブログです♪

とまれ

2007-08-26 11:42:07 | (1)アンちゃん


まだまだ猛暑日に歯止めがかかりません。
ここしばらくアンちゃんも夏バテ気味で
元気がありませんでした。

8月25日の土曜日
気分転換に自転車に乗って中央公園へ。


久しぶりにのんびりした時間を過ごして
いいストレス解消になったようです。



公園からの帰り道
小さな踏切を渡ったところに


『風船葛(フウセンカズラ)』が風に・・・


まだ小さな花やふくらんだ緑の実も
揺れていましたが
茶色に枯れた実も数多く見られました。

おかしくなっているのは異常気象だけ?
踏切の「とまれ」の標識は
なんとも象徴的に目に飛び込んできました。

こんな記事もありました。
季節がみごろ[39]『種がタネだね―風船葛(ふうせんかずら)』
季節がみごろ[52]『バレンタイン―風船葛(ふうせんかずら)の種』



この日の夜、またひとつ【天描の華】が咲きました。
次のテーマも決まりましたが
週明けからは東京出張で、小休止です。



「はやく涼しくなって~」



人気blogランキング参加中です。
『決してリードは放しま宣言』に賛成の方は
クリックしてください。

猛暑日はいつまで

2007-08-20 07:45:06 | (1)アンちゃん


連日の猛暑で、しばらくは
ゆっくり散歩もままなりません。
ここ岸和田の地は
大阪市内と比べると2~3℃は低いのですが
それでも今年の残暑は異常です。

おそらく、この異常気象は今後も
エスカレートするのでしょうが
短期間に自然を破壊し続けた代償と考えれば
当然のことなのかもしれません。



朝顔も向日葵も
まだまだ目を楽しませてくれそうですが
アンちゃんにはまったく興味はなく
こんな言葉が聞こえてきそうです。

「早くお家に入ろうよ」





人気blogランキング参加中です。
『決してリードは放しま宣言』に賛成の方は
クリックしてください。

那須の風は・・・今も

2007-08-16 00:11:45 | (1)アンちゃん


昨日お知らせしましたが
ブログのお友だちでもあった
那須のウィンちゃんの訃報に対して
改めて追悼の記事を記します。

トップ画像は
完成したばかりの「那須岳の竜胆(りんどう)」ですが
『那須の風』と名づけました。
もうひとつのブログ『天描の華』でも
ごらんいただけます。



那須の風は、いつまでもどこまでも
やさしく吹き続けています。


8月15日、アンちゃんのいつもの公園から眺める
岸和田港に沈む夕日です。

肌を刺すような猛暑の日々が続いていますが
こんな自然の光景も見せてくれます。
陽は沈んでも、また明日昇ります。
そして、那須の風はきっとこの地にも吹いている。
そう思っています。

思えば昨年の12月4日の
お散歩がてら・・・の柴犬・来楽(クラ)ちゃんに続いて
ますます寂しくなりました。
正直な気持ちです。



「アンちゃんガンバル!」



人気blogランキング参加中です。
『決してリードは放しま宣言』に賛成の方は
クリックしてください。

特集●62年目の夏[最終回] 平和への礎

2007-08-15 09:43:23 | 祈念日


2007年8月15日
私たちは62回目の終戦記念日を迎えました。

歳月とともにこの記憶は風化されていきます。
いみじくも、にわかに高まった憲法改正論議が
一瞬歯止めをかけたようにも見えます。
それでも、世相は我関せずと無関心を装っています。
わが身に降り注いでこなければそれでいい・・・

今日この日が、その見失った”こころ”を
いま一度思い起こす日となることを願います。

ブログをはじめて以来4年間、この日の記事は
欠かすことはありませんでした。
昨年の記事もぜひごらんください。
8月15日は『平和祈念日』



今年、初めてのヒロシマを歩きました。


平和記念公園で合掌するたくさんの人々の姿に出会い
世界中から戦争と核兵器がなくなる日を願う
その想いは、さらに強くなりました。

【特集●62年目の夏を終えて】

ここに残された『平和の礎(いしずえ)』を
永くこころに携えて
『平和大国 日本』の姿を形づくる
時代がやってきていることに
私たちは、もうそろそろ気付いても
いいはずです。



8月15日は、新暦のお盆(盂蘭盆)にもあたります。


前日の8月14日、1通の訃報が届きました。

このブログのお友だちでもある
ウィンのねんねんころりん♪
ウィンディちゃんが7月28日永眠されました。
13歳4カ月と1日の天寿でした。

ねんころファミリーのみなさんに愛され
一途に家族のみなさんを愛し続けた
ウィンちゃんのやさしい笑顔を
決して忘れることはありません。

楽しい思い出をいっぱいありがとう!

ご冥福をお祈りいたします。



この報を受け取ったこの日、今描き続けている
天描の華の1作が、完成したばかりでした。
これは、昨年那須にお邪魔したした折に
那須岳で出会った『リンドウ』の花。
明日、このブログでごらんいただきます。



寂しくなりました。
ウィンちゃんの分まで元気にガンバリます。



人気blogランキング参加中です。
『決してリードは放しま宣言』に賛成の方は
クリックしてください。

特集●62年目の夏[5] ヒロシマからナガサキへ

2007-08-09 21:16:32 | 祈念日


今日8月9日、日本は62回目の原爆の日を迎えました。
ヒロシマからナガサキへ・・・



長崎で62回目の原爆忌、市長が被爆国の自覚訴え
8月9日12時32分配信 読売新聞

長崎は9日、被爆から62回目の原爆忌を迎えた。

爆心地に近い長崎市松山町の平和公園では、
市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開かれ、
被爆者や遺族ら約5500人が参列した。
田上富久市長は、久間章生前防衛相の原爆投下を巡る発言や
閣僚らによる核保有論議の容認発言などを踏まえ、
「平和宣言」で「被爆国のわが国においてさえも、
原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られる」
と憂慮を表明。
日本政府に対して、被爆国であることを自覚し、
国際社会で核兵器廃絶に向けた
強いリーダーシップを発揮するよう求めた。

式典は高校生が打ち鳴らす「長崎の鐘」を合図に
午前10時40分から始まった。
この1年間に亡くなったり、新たに死亡が確認されたりした
3069人の「原爆死没者名簿」3冊が
平和祈念像前の奉安箱に納められた。
名簿の累計は14万3124人となった。

長崎平和宣言



トップ画像は、8月5日に撮ったヒロシマの空です。
夏の雲を携えたこの真っ青な空は
ナガサキへも繋がっています。
そして、もちろん世界の空とも・・・

こんな想いで撮った一枚の写真です。



この旅で見つけた”華”も
来年の個展で必ずごらんいただきます。
その華が、この旅の答えです。


62年目の夏は、もう1編を残しています。
もちろん8月15日です。

つづく





人気blogランキング参加中です。
『決してリードは放しま宣言』に賛成の方は
クリックしてください。

特集●62年目の夏[4] この地に立って その3

2007-08-08 23:38:05 | 祈念日


今も路面電車が行き交う街―広島
あの2冊の本に導かれるように訪れたはじめての街―広島
もっと早く来ていても何の不思議のない街―広島
なぜ、今年だったのか・・・
今もよくわかりません。

広電を降り、そこで眺めたはじめての光景に
背筋が伸びる思いがしました。
そこには、62年の時間をとどめる風景がありました。



【平和記念公園の風景】



『世界遺産 原爆ドーム』
人類史上最初の原子爆弾による被爆の惨禍を伝えた
歴史の証人として また 核兵器廃絶と恒久平和を求める
誓いのシンボルとして「世界の文化遺産及び
自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」に基づき
世界遺産一覧表に記載された

平成8年(1996)12月7日 広島市




人類がめざすべき理想の姿が「平和」なら
その礎は・・・ここにあります。





『被爆したアオギリ』
中国郵政局(旧広島逓信局)の
中庭(爆心地から約1.3km)で被爆し
爆心地側の幹半分が熱線と爆風で焼けてえぐられましたが
その傷跡を包むようにして成長を続けています。
昭和48年(1973)5月に現在地に移植されました。





緑にあふれ、四季の花々が咲き、野鳥が飛び交う
「生きる」ことの原点に満ちた平和記念公園。
千羽鶴が見守る『原爆の子の像』や『平和の鐘』など
数多くの慰霊碑とモニュメントには
平和を願う人々の祈りが込められています。



どうか、一度は訪ねてみてください。
ここが「平和」の象徴の地であるということではなく
ここを訪れる人に目覚める「平和のこころ」を
ぜひ体感してほしいからです。

「平和」とは
”あなたの心”の中にあるものだからです。



この追悼の旅ではなぜか
異様なほどの疲れを感じました。


安らかに眠って下さい
過ちは
繰り返しませぬから

この言葉こそ人類の誓いでもあります。

明日につづく





人気blogランキング参加中です。
『決してリードは放しま宣言』に賛成の方は
クリックしてください。

特集●62年目の夏[3] この地に立って その2

2007-08-07 00:07:35 | 祈念日


平成19年(2007)8月4日
広島平和記念資料館を尋ねます。

昭和24年(1949年)8月6日
日本ではじめての住民投票で9割以上の支持を得て
「広島平和記念都市建設法」が公布されました。
6年の時を経て、昭和30年(1955年)
資料館は開館されました。
その後改修を重ねて、現在の施設が整ったのは
平成6年(1994年)6月。
廃墟の日から実に49年の後のことです。


この扉の向こうには、人類が犯した史実の数々が
収められています。

詳しくは、ぜひこちらをごらんください。
広島平和記念資料館



館内は多国籍の人々が集う
無言の交流の場のようです。


誰もが展示物に集中し
もちろん雑音などは聞こえてはきません。



館内の時間は、8時15分で止まっているようです。




爆心地周辺の廃墟と化した広島の街。
中央の写真:残骸となった原爆ドーム



鳥瞰図に見る



被爆前後の様子がよくわかります。
この地形も、周辺を一日歩いて
しっかり理解できます。



【原爆ドーム/旧広島県産業奨励館】
大正4年(1915)完成の
レンガ造りのモダンなヨーロッパ建築は
衝撃をほぼ真上から受けたことで
倒壊は免れたが、外壁は崩れ落ち
屋根は鉄骨だけが残る姿で
原爆投下の史実を物語ります。


被爆後の中島地区(平和記念公園)周辺


赤い玉は爆発地点を示しています。
爆心地は、原爆ドームのすぐ近くに位置する
島外科病院の上空約600mでした。


原爆投下直後の写真はたったこれだけ。
「きのこ雲」の写真の横に記された
この言葉は、子供の頃によく聞いた記憶があります。
「水をください」



地球上に配備される核爆弾はますます拡散しています。
人類の進化の歴史は、核爆弾を持つことではありません。



投下したアメリカという国は
「戦争を終結させるため」を理由に
今もなお、正当化しています。
人間の言葉とは思えません。
初めての原爆投下に心をはずませていたように
思えてなりません。
その実験のために尊い市民の生命を奪い去りました。
それは、ヒロシマ型、ナガサキ型と呼ばれる
原爆の種類が異なることからも明快です。



祈りの折鶴


小さな小さな折鶴が展示されています。



2歳の時に被爆し、12歳で短い命を閉じた
佐々木禎子さんの物語は
世界中で語り継がれています。
公園の中に建つ「原爆の子の像」は
同級生の呼びかけがあって、全国から集まった募金で
2年後のこどもの日に誕生しました。

「平和」という言葉を、どれほど目にしたことでしょう。
言葉だけで終わらせない勇気を、私たちは持ちたいものです。



私たちは、悲惨な歴史を背負いました。
ただ、21世紀にこの歴史を繰り返してはいけません。
繰り返させてはいけません。


追悼の日を待つ平和記念公園(8/4撮影)

世代が受け継がれて、当たり前のように
時代は変わります。
未来に「希望」や「夢」が描ける世界を
創るために、八月六日は語り継いでいきたいものです。

そのために、この地に立ったようです。
そして今、この歴史の事実を綴っています。

明日につづく





人気blogランキング参加中です。
『決してリードは放しま宣言』に賛成の方は
クリックしてください。

特集●62年目の夏[2] この地に立って その1

2007-08-06 12:24:03 | 祈念日


昭和20年8月6日午前8時15分
この地に、原子爆弾がアメリカ軍によって投下された
あの日から62年目の夏を迎えました。



広島、62回目の原爆忌…首相ら4万人参列し平和記念式典
8月6日9時19分配信 読売新聞

広島は6日、被爆から62回目の原爆忌を迎えた。
広島市中区の平和記念公園では
平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が行われ
各都道府県の遺族代表や安倍首相、市民ら約4万人が参列した。

昨年10月の北朝鮮による核実験強行など
核拡散に歯止めがかからない世界情勢の中
秋葉忠利市長は平和宣言
「21世紀は市民の力で問題を解決できる時代。
人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛ける」との決意を表明。
被爆地・ヒロシマは原爆犠牲者への鎮魂の祈りと
核のない世界への誓いに包まれた。

午前8時から始まった式典では「慰霊の曲」が流れ
この1年間で亡くなったり、死亡が確認されたりした
5221人の原爆死没者名簿が慰霊碑に奉納された。
名簿は計91冊、死没者数は25万3008人となった。
遺族代表や安倍首相、今年4月に凶弾に倒れた
長崎市の伊藤一長・前市長の遺志を継いだ田上富久市長
過去最多の42か国の駐日大使らが次々と献花した。



この日を前に、8月4日、5日の両日
初めての広島を訪ねました。
JR広島駅到着後、路面を走る広島電鉄に乗り換えて
「原爆ドーム前」で下車します。

前編で書いた「想い」を尋ねる
短い「ヒロシマ」の旅のはじまりです。


原爆死没者慰霊碑の前で手を合わせます。


原爆忌を前に献花された花々に
安らぎを覚えます。


ゆらめく平和の灯の向こうには
慰霊碑の屋根と平和記念資料館が臨めます。

この慰霊碑を眺めているのか見守っているのか・・・
「日の丸」がはためきます。
複雑な想いがふとよぎります。

このあと、資料館でその日の記録と
未来をこの目に焼きつけます。



昨今では、人としての誇りを失った政治家の
本音とも思える言葉に、愕然とし怒りを覚えます。

今年の平和宣言にも明確に記されていますが
核廃絶は、人類が生存していくための
永い永い道のりともいえます。

明日につづく





人気blogランキング参加中です。
『決してリードは放しま宣言』に賛成の方は
クリックしてください。

特集●62年目の夏[1]ヒロシマへ

2007-08-03 21:06:32 | 祈念日


台風5号は勢力を弱めながら
九州、中国地方を北上し日本海にぬけましたが
進路周辺の地方では
しばらくは荒れた一日になるかもしれません。
ご注意ください。



さて、今年の夏
ある2冊の本にめぐり会いました。

あの終戦から62年目の夏です。

人生55年の半ばを超えて
心の片隅にある痞(つか)えが
日に日に強くなってきていた時に出会った2冊。

1冊目は

今年3月に岩波書店から発行された
『図録 原爆の絵~ヒロシマを伝える』
広島平和記念資料館編集



そして、もう1冊は

今上映されている映画の原作
『夕凪の街 桜の国』
こうの史代著


『夕凪の街 桜の国』の巻頭に綴られた
作者の想いが、この物語のすべて
かもしれません。



事実の証ともいえる画集から
そして、広島を故郷にもつ作者の
複雑に揺れ動くその想いは
一直線に伝わってきました。



早くその地に立ってみたい・・・

この逸(はや)る想いが、心の痞えであったに
違いありません。

明日から「ヒロシマ」を尋ねます。
そして
その想いに答があるのかどうかは?ですが
「八月六日」の日に
書き記したいと思います。





人気blogランキング参加中です。
『決してリードは放しま宣言』に賛成の方は
クリックしてください。

今日から八月

2007-08-01 07:21:11 | (1)アンちゃん


いよいよ今日から八月です。
真夏日の続く中、騒がしいセミの鳴き声と
台風も気になる季節です。



いつものお散歩公園のベイサイドが増設されました。
潮騒は穏やかですが、吹く風は


「気持ちいいんです・・・が」


「ちょっと・・・コワイかも」


「やっぱり、ベンチがいいもんね」




「日陰のベンチは、けっこうお気に入りかも」

もうすぐ、このすぐ近くに
大きなホームセンターも完成します。
ちょっと楽しみなベイエリアになりそうです。
「アンちゃんも入れるやろか?」



夏八月を代表する花は
もちろん『向日葵(ヒマワリ)』ですが


今もわが家では、いくつもの蕾が
順番待ちしながら
太陽に向かって咲き続けています。

次回の更新は、【62年目の夏】を特集しますが
この花の登場するシーンがあるかもしれません。





人気blogランキング参加中です。
『決してリードは放しま宣言』に賛成の方は
クリックしてください。