会長の計らいで臨時役員会議が開かれ、退任の挨拶を述べる機会を頂きました。
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◎ 挨拶要旨
まずは、任期途中での退任についてお詫びするとともに、誰もが何らかの病気や体調不良等を抱えながら頑張っている中、自分だけが我儘を通すことに至った経過について説明し理解を求めた。
正月明けから不整脈が現れ、循環器内科医の当初の診たてでは「心房細動」とのことだったが、念のため検査を進めていくうちに、MRIの冠状動脈造影検査で「狭心症」が見つかり、心臓血管外科医から『あなたの心臓は風前の灯で、すぐ手術しないと危ない!』とダメ出しを喰らったこと。
環状動脈の狭窄が広範囲にわたるため、最低でも4本のバイパスを創る必要があり、両脚と背中から計4本の血管を採取して移植する大掛かりな手術になること。成功率は高いが術後の生活は一定程度の制約を受けることに加え、バイパスの耐用年数は凡そ10年が限度とのこと。
その後再発しても再手術は不可とのことで、限られた10年を不自由な身体で生きるか、いつまで持つか解らないが薬で行けるところまで行くか、究極の選択を迫られたこと。
最初は手術も考えたが、エンジンだけ快調でもボディや足回りがガタガタでは生きた心地はしないだろうし、限られた10年を生きる覚悟を持つことは自分には無理だった。
今は循環器内科医にすがって投薬療法を続けているが、爆弾を抱えたままで何時不全を来してもおかしくないと言われており、周りへの迷惑を最小限に抑えるため引継ぎの出来るうちにと早目の退任を決意した次第である。
妻から『家で静かに暮らすよう!』言われ続けるも、元来それが苦手な性分で息子たちも先刻承知で、ついに『もう放っておけない!』とカミナリが落ちる始末。『俺が監視してやる!』と二世帯同居を突き付けられ、最初は抵抗したものの、寄る年波には勝てず親父としての威厳もいつしか失墜し「老いては子に従え」で監視下に置かれるハメになったこと。
息子の二世帯住宅探しは藻南地区から中島公園界隈、小樽方面へと広範囲にわたり、自分にとってはいい時間稼ぎになったが、意外にも近くに完全分離型の二世帯の格好の中古物件が見つかり、ついに観念した次第。
6年間福祉部を与かり、特にこれと言った成果は挙げらなかったが、まがりなりにも「見守り活動」や「災害時の支え合い活動」については一応の形は整ったと思っている。今後は町内会が一々音頭を取らなくても、地域住民が日常生活の中で当たり前のように自然に振舞えるよう定着させて貰いたい。
地域福祉は、何もしないからと言って今日・明日すぐ何か不都合が生じるものではないが、やればやったで課題は山ほどあり、これで100点ということはなく到達点のないエンドレスの取り組みである。
町内会において何処までやれるかは、それぞれの町内会の力量にかかっており、それが町内会の存在価値や評価に直結するとの覚悟を以て6年間取り組んできたつもりである。
とりわけ本年度は、区社協が市の受託事業として進める「日常生活支援事業」において、中央地区がモデル地区に指定され、福まちが旗振り役を務めながら各町内会をリードすることになるかと思う。退任する者が偉そうに言える立場にないが、どうか会長はじめ後任の副会長や福祉部長を盛り上げ心を合わせて同じ方向を向き、手稲区一、いや札幌一温かく住みよい町内会になるよう邁進して頂きたい。
最後に、千代ヶ丘北町内会のますますのご発展と、会員皆様のご健勝を祈念して退任の挨拶に代えさせて頂きます。
6年間本当にありがとうございました。