『私のエッ!?日記』(暇爺の“ボヤ記”) 

 ~平凡な日常を画像で綴る Photo diary ~

一姫二太郎    2015.8.30(日)

2015年08月31日 04時45分30秒 | 日記


 また咲いた。 お前はダリヤ? 私はダリア!



     学名は「Dahlia」:キク科ダリア属の多年性草本植物。
     和名は「天竺牡丹」で原産地は中米。メキシコの国花。
     花言葉は赤色:栄華・華麗、白色:感謝・豊かな愛情。
     初夏に開花し、夏はあまり咲かず秋口にまた咲きだす。


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秋を迎えに    2015.8.29(土) 

2015年08月30日 05時56分01秒 | 日記
 

 友人からコクワのおすそ分け。
今年は山の恵みが豊富のようで、ヒグマの出没もあまり心配なさそうです。








 一周5Kmの My散策路もスマホ片手に安心して出かけられます。

       

 






 森林浴 : 軽川の瀬音とエゾゼミの鳴き声のコラボに癒されました。





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福まち運営委員会    2015.8.28(金)

2015年08月29日 05時21分30秒 | 日記


 定例議題に引き続き、手稲区社会福祉協議会の滝谷事務局次長より、高齢者見守り活動について講話を頂きました。
手稲中央地区の高齢化率が高い現状を踏まえ、高齢者見守り活動の重要性がますます高まっているとして、取り組み事例の紹介と活動の基本的スタンスや留意点等について、あらためて意識合わせを行いました。









 また、見守り活動に有用なツールとしての福祉マップの作成方法や活用方法等についてもアドバイス頂きました。










 <嬉しいニュース>

 3月発行の広報誌「あんだんて」が、H27活動写真・広報誌コンクールで、審査員特別賞の受賞が決まったとの吉報が飛び込んきた!
 ひとえに、運営委員および関係皆様方の日頃の地道な活動の積み重ねが、20周年という節目に一定の評価を頂いた結果であり、市内90ある福祉のまち推進センター中第3位はとても光栄なこと。この喜びを皆と分かち合い、これを励みに心を一つにして住みよい地域づくりのためにさらに邁進して行ければと思う。
 ちなみに表彰式は来る9日16日札幌市民ホールで開かれる『福祉のまち推進事業20周年記念・市民活動フォーラム』の式典で行われる予定。





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手稲区防災訓練    2015.8.27(木)

2015年08月28日 05時21分26秒 | 日記
 9月1日の防災の日を前に防災訓練が行われました。
 今回の訓練は、災害時における地域の災害対応力の向上と、地域住民や各防災関係機関・団体との連携強化などを目的に、地域住民や小学校の児童、手稲渓仁会病院、北海道科学大学、各防災関係機関・団体など約500人が参加して行われました。

 まず小学校体育館での開会式に引き続き、避難所の設営・運営そして避難所生活の体験をしました。
 避難者名簿を作成し、これに基づき飲料水と非常食の配給を受けた後、災害用寝袋や簡易トイレの組立て方・使用方法、手稲消防団からはAEDを使用した心肺蘇生法の実技指導を受けました。



 屋外訓練では、命を繋ぐために不可欠な非常用飲料水の給水の受け方を学びました。給水車から水を受け取るための給水袋は、特殊注入口が採用されていて、ホースなどで水を注入することができ、注水後は横にしても積み重ねても水は洩れません。紐を引き出せばリュックのように背負うことができ、今どきの防災用具の出来の良さに感心しました。



 さらには、定番の初期消火訓練や火災現場からの避難を想定した煙を充満させたテントの中を通る煙道通過訓練のほか、初体験だった土嚢作りと積上げ訓練は新鮮でとても有意義でした。



 レスキュー隊からは、防災資機材の説明を受けた後、担架の組み立て方やジャッキを利用した倒壊家屋からの負傷者救出救護訓練を受け、救護所では骨折に対する三角巾による応急処置も学びました。



 最後に、倒壊した家屋から出火して重症者が出たことを想定し、放水消火&負傷者の救出・搬送訓練を見学しました。
 レスキュー隊によって救出された負傷者を災害派遣医療チームの医師や看護師が治療の優先順位を判定するトリアージを行い、重症者をドクターヘリで緊急搬送する訓練で、消防、レスキュー隊、医療チーム、救急隊、ドクターヘリの連携の素晴らしさに感銘を受けました。



 帰りに自衛隊の装甲車を見せてもらいました。
 有事の際の輸送用車両だそうで、まるで鋼鉄の塊のようなボディの頑丈さと、1台1億円という値段に驚きました。定員はフル装備の隊員で8人が限度とのことですが車内は結構広く、走行性はタイヤ8本のため安定感があり振動・騒音も少なく乗り心地は良いそうです。 ただ、ボルトが多過ぎてタイヤ交換が大変だと嘆いていました(笑) 


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稲苑大学キャンパスライフ ⑭    2015.8.26(水)

2015年08月27日 05時51分55秒 | 日記


 今回は北海道科学大学の市民公開講座を受講









 第一部は看護学科の山本道代先生による『地域包括ケアシステム』をテーマに、第二部は理学療法学科の田中敏明先生から『転倒予防のためのバランストレーニング』について学びました。









 『北海道科学大学』 前身の北海道工業大学を経て、2014年4月に医療系3学科を新設して現在、工学・医療・社会科学の3学部12学科を擁し、学生・教職員合わせて5,000人規模を誇る道内最大規模の大学として名称を北海道科学大学に変更。


手稲前田キャンパス










デジブック 『稲苑大学(前期)』



デジブック 『稲苑大学(後期)』



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今日は何の日?    2015.8.25(火)

2015年08月26日 06時17分52秒 | 日記


 朝、エンジンキーを回すとナビから『今日は 8月25日、火曜日です。即席ラーメン記念日です!』といつもの合成音声アナウンス。 そうか、今日が日清食品のあの安藤百福さんが世界で初めて開発したチキンラーメンの発売記念日だったのか。 Hさんに これを使わない手はない!と、とっさにプランが浮び、たくさんの幸せが訪れるように、百福さんの名前にあやかろうという作戦です。



 Hさん御用達の「マルちゃん正麺 醤油味」と、持参した「元祖 鶏ガラ チキンラーメン」の両方を作って半分ずつ分け合って味比べする算段も、お腹を空かせて待っていたHさんに、百福さんのエピソードを講釈しすぎてしまい、麺は伸びるし機嫌は損なうし作戦は見事に失敗!? 教訓 : 『人はお腹が空くとイライラするものである』 (笑)








 
<開発エピソード>

 麺を長期保存するにはどうやって乾燥させればよいのか。また、お湯を注いですぐ食べられるようにするにはどうすればよいのか。この保存性と簡便性の実現こそが、インスタントラーメンの開発における最も高い壁でした。ある日のこと台所へ行くと妻がてんぷらを揚げていました。熱い油の中に入れられた小麦粉の衣は、てんぷら鍋の中で泡を立てながら水分をはじき出していました。「これだ! 天ぷらの原理を応用すればいいんだ! 」早速、麺を油で揚げてみると、麺の水分が高温の油ではじき出されました。ほぼ完全に乾燥した状態となった麺は、半年間置いても変質したり腐敗したりしない保存性を獲得。加えて簡便性についての問題も、この製法で解決することがわかりました。注いだお湯が水分の抜けた穴から吸収されて麺全体に浸透し、元のやわらかい状態に戻ったのです。

 こうして、インスタントラーメンの基本となる製造技術〈瞬間油熱乾燥法〉のヒントが発見され、1958年8月25日に世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が発売されました。お湯を注ぐとたった2分で食べられる「チキンラーメン」は、当時の常識では考えられない大発見でした。

(安藤百福回顧録より)


 


経営者の落とし穴は賛辞の中にある。
偉くなればなるほど身の回りに甘い言葉が集まり、
英雄的気分にひたっていると必ずつまずく。
苦言に耳を貸さない経営者は、必ず会社に危機を招く。


私は医者や弁護士であっても、専門家の言うことを鵜呑みにはしない。
ときには素人の発想が正しいこともある。
素人だからこそ常識を超えた発想ができる。
人間はなまじ知識があるから本質がわからなくなる。


高い山の後ろには必ず深い谷が待ち受けている。
順調な時ほど危機が訪れる。
問題ないと考えること自体が問題である。


上に立つ者の姿勢が良ければ下の者も自然にその姿勢を見習うだろう。
厳しいだけではいけない。
これからは社員の心をいやす経営も大事である。


統治して治めず。
力で動かそうとするから人の心が離れていく。
器にあらざるものを器に据えると本人も周囲も不幸になる。
真のリーダーの資格は人としての徳を持っているかどうかだ。


                                          (安藤百福名言集より)

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秋の味覚    2015.8.23(日)

2015年08月24日 09時03分08秒 | 日記


 埼玉の従弟から梨を頂きました

開けてビックリ、豊水の倍以上の大玉! 食べてまたビックリ、甘くてみずみずしいこと!! 



 栞によると新高と豊水を交配した新品種「彩玉」(サイタマならぬサイギョクと読む)のだそうで、埼玉特産のブランド品として幸水の収穫が終わり豊水の収穫が始まる前のこの時期のみに収穫される逸品。
 ちなみに糖度は13~14度、酸味が少なく果汁が豊富で、最大果重は1Kg超のものもあり南瓜なみだそうです(笑)

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福まち ミニ・サロン    2015.8.21(金)

2015年08月22日 17時00分00秒 | 日記


 午後はミニ・サロン
いつものようにセンターを飾る「手稲山の野草をモチーフにした活花」は、もうすっかり秋の装い。
そんな雰囲気の中、簡単なゲーム等で盛り上がった後は、ひたすらお喋りタイムで楽しんで、文字通りミニ・サロンとなりました。









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民生委員3年目懇談会    2015.8.21(金)

2015年08月22日 04時55分50秒 | 日記
 

 3年目を迎えて、一民生委員としての活動には自ずと限界があり、地域との連携が不可欠であることを痛感している。
 地域における福祉課題のうち今や認知症対策が最大のテーマとなり、単位町内会や福祉のまち推進センターでは地域包括支援センターの協力を得て「認知症サポーター養成講座」を開催するなど、超高齢化社会の到来に備えている。
 一方、連合町内会と言えば、これまで一体的に運営してきた地区社会福祉協議会を分離し、役員を引き揚げてパイプを切るなどの愚かな行動に出ている。福祉問題を切り捨てるような連合町内会に一体どれほどの存在価値があるのか、誰のための連町活動なのか、もし考えがあるのなら一度訊いてみたいものである。

 そんな当てにならない連町などかまっている暇はなく、区保健福祉部、まちづくりセンター、区社会福祉協議会、地域包括支援センター、介護予防センターなどと連携して日夜奔走しているが、問題を抱える高齢者が後を絶たず対応に苦慮している。また、連携が密になればなるほど見えてくるのは、専門職の彼ら彼女たちも イッパイ・イッパイ になっている姿で、この広い地域を限られたスタッフだけでカバーするのはもはや限界であろう。









 地域包括ケアシステムの構築が叫ばれて久しいが、社会福祉士や保健師、介護支援専門員などが中心となって開いている地域ケア会議も、地域課題の把握などに務めていくためには会議構成のあり方として、民生委員や自治会役員など多職種間の連携が望ましいと言われながらも、我々民生委員に一向に声がかからないのは何故か。答えは明白で民生委員の社会的評価がまだまだ低いからであり、3年目研修も結構だが全体のレベルアップを図る抜本的な手立てを早急に講じなければ、民生委員の自殺行為につながりかねない。
 少なくとも地域包括ケアシステム構築の要ともいえる地域ケア会議のメンバーとして会議をリードできる位の存在でありたいものである。ただ、研修も受けて終りではなく、これを刺激材料として自己研鑽に励む覚悟があるか否か、最後は民生委員一人一人の自覚にかかっていることは言うまでもない。

 厚労省の推計では、2025年に認知症は700万人に達し65歳以上の5人に1人が罹ると言われており、我々民生委員だけが認知症にならない保障などある筈もなく、確実に高齢化している訳で、経験年数に着目した研修ではなく、もっと現実に即した研修制度であって欲しいものである。


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稲苑大学キャンパスライフ ⑬    2015.8.19(水)

2015年08月20日 05時05分05秒 | 日記


 半月余りの夏休みが終わって、今日から後期の始まりです。

 今回はHR 『同窓会活動について』

 同窓会会長、副会長、総務部長が来られて、同窓会活動について紹介がありました。これまで第1期から第29期までの全期において同期会を立ち上げ、自主的な同好会やサークル活動を通して交流を図りながら、同窓会にも加入して幅広い交流を行っているそうです。
 我々30期生が加入できるのは来年の4月以降となりますが、当面のイベントとして 11月に「演芸会」があり、会場の最前列に招待してくださるそうで、先輩達の出し物や美味しい食事とお酒で楽しい一時が過ごせそうで、また一つ楽しみが増えました。




 同窓会役員退席の後、第30期において同期会を立ち上げるどうかについて話し合った結果「全会一致で結成に賛成」。会長をはじめとする役員の選出については、9月9日に各班の代表者による選考委員会を開いて決めることになりました。

 「稲苑大学運営要領」第5条(自治会役員)
  ① 班ごとに役員を選出し、その役員の中から互選で代表1名を選出する。(自治会長)
  ② 自治会長は他の役員と協力して次のことを処理する。
   ア 稲苑大学事務局(手稲区市民部地域振興課)との連携。
   イ 学生の親睦に関すること。
   ウ その他、必要な事項。

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台湾の雲    2015.8.18(火)

2015年08月19日 08時07分53秒 | 日記
 

 友人の友人が台湾の人で、先日こんな写メを送ってきたそうな…
それにしても出来すぎてないかい? 本当に自然の雲なの!?





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お前はダリヤ?    2015.8.17(月)

2015年08月18日 06時00分13秒 | 日記

 お前はダリヤ? 私はダリア!


 元々は5年前のウォーキング大会で参加賞として貰った種子。
最初の年は球根と種子の両方をバックアップしましたが、球根は貯蔵方法が間違っていたのか腐らせてしまいました。

 以来、霜が降りる前に莢を切って吊るし、乾燥させてから莢を剥いて種子を採り出していますが、昨年は新聞紙に包む際に品種を書くのを忘れてしまい、春になって誰がダリアやら分からなくなってしまいました。(笑) 半信半疑で植えたところ一週間ほどで発芽しましたが、成長が遅くてダリアと分かるまでは1か月近くもかかりました。なかなか蕾も付けず今年は駄目かと諦め掛けていたところ、やっと一輪咲いてくれました! お前はダリヤ? 私はダリア! 


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送り火    2015.8.16(日)

2015年08月17日 05時00分40秒 | 日記

      お気を付けて、また来年!


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恐山霊場    2015.8.16(日)

2015年08月16日 20時33分13秒 | 日記


 東京の友人宛に、地元“関東一高”のサヨナラ勝ちの祝福メッセージを送ったら、こんな写メが返って来た。先週は大島に居たが今度は青森のようである。お盆にマグロでもあるまいが、まさに「変幻自在?」 「神出鬼没!」 「 疾風迅雷!」 「 電光石火!」・・・彼女の行動力には驚かされるばかりである




 写メは「大間崎の一本釣りモニュメント」 「恐山菩提寺」 「恐山霊場と宇曽利湖」のようである。
旅先のどちらが本命かは分からないが、恐山は今から千二百年前、自覚大師円仁によって開かれた霊場で、高野山、比叡山と共に日本三大霊場の一つと言われている。 信心深い彼女ならではの旅程である。

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終戦の日に思う    2015.8.15(土)

2015年08月16日 04時30分45秒 | 日記



 戦争のことは何一つ語ることなく逝ってしまった父。
晩年、病をおしてまで何度も出かけた戦友会は、父にとって何だったのだろう!? 終戦の日にあたり父の資料を紐解いてみた。



軍歴


 農家の長男として育った父秀雄の許へ昭和14年5月1日赤紙が届き充員召集された。(25歳)


(出征記念)







 歩兵第27連隊に入隊後、第2野戦建築輸卒隊幹部要員として砲兵第7連隊に転属。
昭和14年8月15日に南京に上陸して第2野戦建築輸卒隊本部に入隊。主に兵舎や野戦病院用の建築資材の調達や輸送に携わり、南京を拠点に揚州への分派や上海への駐屯を繰り返していた模様。


(当時はまだ陸軍伍長か?)





 一家の働き頭を戦場へ送った祖母コトは秀雄の弟妹と田畑を守り、昭和16年の農地解放により3町歩ほどの耕地を手に入れ自作農になった。
 しかし、戦時体制の強化とともに食糧増産を強いられ、せっかく収穫した農作物は強制的に供出させられ、暮らし向きは一向に楽にはならなかったようである。


(農地解放記念)





 丸3年間に及ぶ兵役を無事勤め上げ、昭和17年4月23日に召集解除され復員。しかし、その年にいわゆる「食管法」が公布され、米の自由な売買が統制されたため農家の必需品購入も困難な時代になって行った。
 そんな中、昭和18年2月20日に父秀雄と母ミサオは温根湯で結婚式を挙げた。


(秀雄 29 歳)


 復員から僅か1年後の昭和18年5月21日、新婚3か月で再び召集された。母のお腹には長男洋史が宿っていたことになる。




 再召集された秀雄は第7師団歩兵第27連隊に再入隊し、千島防備強化、道南沿岸警備、九州南岸警備へと目まぐるしく命が変わり北から南へ駆け回っており、戦況悪化に伴う当時の軍の混乱ぶりが伺える。そんな中、昭和19年1月10日に長男洋史が誕生するが、当時の戦況からして手紙で写真などを送ることが出来たのだろうか?


(長男洋史出生記念)





 再召集後、最初に向かった地は千島列島の最北端の占守島で、カムチャツカ半島と国境を接する対ソ連の要衝地であった。(昭和18年7月15日上陸)
 しかし戦況悪化のため次々と命が変わり、昭和18年10月31日砲兵第27連隊留守部隊に帰属、昭和18年11月21日稚内特警教育のため北部第9503部隊に配属、昭和19年3月3日旭川に帰着、昭和19年6月16日道南沿岸警備のため浦河着、そして最後の命は昭和20年5月23日九州南岸警備のため鹿児島へ。
 
 3か月後の昭和20年8月15日終戦を迎え無事帰還を果たす。その翌年8月3日この世に生を受けました。


(生家の前で父と兄と一緒に)






 『生死を分けた運命

 ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の8月18日、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が占守島に突如侵攻、武装解除中であった日本軍守備隊と戦闘となった。3日間に及ぶ戦闘で日本軍600名以上の戦死者、ソ連軍3,000名以上の死傷者を出し、日本軍優勢に推移するものの軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。
 捕虜となった日本兵はその後大勢がシベリアへ抑留された。




 もしも父が占守島に留まっていたら、その後の運命は如何に?
戦況悪化により父の任務が次々と変わり、占守島を離れたことが結果として無事の帰還に繋がり、今の私が存在する訳で、ただただ感謝するばかりである。
 ただ、なぜ父が戦争を背負ったまま逝ってしまったのか、何一つ読み解くことはできなかった。


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