安倍狙撃事件の犯行動機や当時の状況が次第に明らかになってきた。
犯人は個人的な理由で20~30年前から恨みを抱き、当初は宗教団体幹部を爆弾で殺害しようと考えたが、不特定多数を巻き込む恐れがあることから、確実にターゲットだけを殺害できる拳銃作戦に計画を変更して周到に準備をしてきたようである。
いわゆる霊感商法により、悩みをかかえている人の不安に付け込み、たたり・悪いカルマ・因縁から逃れるにはこれを買えば救われると高額な商品を売りつけたり、また祈祷料や除霊料などの名目でお金を要求する悪徳商法が横行し社会問題化したにもかかわらず、安倍がバックにいるので誰も糾弾できないと思い込み、社会全体がそれを黙認している雰囲気に嫌気がさし、そうした社会悪は『絶対に成敗しなければならない』と、あたかも自分が社会正義かのように思い込んで実行に移したふしがある。
事件後、岸田首相をはじめ多くの政治家やマスコミがこぞって叫んだ『民主主義の根幹たる選挙活動中に言論が暴力によって封殺される行為は民主主義に対する挑戦であり絶対に許しがたい』は全くナンセンス。
要人警護に関しても、犯人は安倍の背後から易々と近づき至近距離から発砲しており、1発目は外れたが2発目までの3秒間にSPが盾になって守ることが出来たはず。
安倍本人も1発目に振り向いただけで、頭を抱えてしゃがみ込むなどの基本的な防御姿勢を取っておらず、ピストルの『パン』という乾いた銃声よりも遥かに大きい『ドーン』という衝撃波を伴う程の爆発音にも無防備で演説を続けたのは単なる強がりだったのか、今となっては知る由もないが、むざむざと犯人の餌食になってしまった。
評論家の八幡和郎がサイトに「安倍狙撃事件の犯人は反アベ無罪を煽った空気だ」という文章を載せている。「狙撃事件の犯人がいかなる人物かはあまり重要でない」とした上で、「安倍については、特定のマスコミや有識者といわれる人々が、テロ教唆と言われても仕方ないような言動、報道を繰り返し、暗殺されても仕方ないという空気をつくりだしたことが事件を引き起こした」と解説している。さらに「安倍をたたき切れ、といったものもいた」「国会で狂ったように憎悪を煽った議員もいた」と具体例を挙げている。
また、フジテレビ説委員の平井文夫は、「闘う政治家だった安倍に対しては攻撃もまた激しかったが、中には “許さない” とか “死ね” とか明らかに常軌を逸したものもあった。そしてそうした言動に対して私たちは “ダメだ” とはっきり言ってこなかったのではないか。岸田首相は “卑劣な蛮行は許せるものではない” “決して暴力には屈しない” と言ったがそんなことは言われなくてもわかっている。私たちが苦しんでいるのは、日本という国が、この社会の空気が、安倍を殺してしまったのではないかということなのだ。」と結んでいる。
こうしてみると今回の真犯人は「国内に漂う得体の知れない空気感」、すなわち私たち一人ひとりが張本人なのかもしれない。