22年前の今日、マグニチュード7.3を記録する「阪神淡路大震災」が発生し、死者6千人超、負傷者42万人、倒壊家屋40万棟という未曽有の被害をもたらしました。
この災害では行政の対応の遅れが批判された一方で、ボランティアが活躍したため「日本のボランティア元年」といわれ、これをきっかけにボランティア活動への認識を深め災害への備えの充実を図る目的で『防災とボランティアの日』が制定されました。
その2年前、釧路単身赴任中に「釧路沖地震」と「東方沖地震」の二大地震に遭遇。
たまたま札幌へ帰省していた時で、交通網が寸断されたため釧路に戻れたのは発生から3日経ってからのことでした。
釧路支店管内の電話網が甚大な被害を受け、ライフライン確保のため不眠不休で復旧作業に当たる職員の後方支援に奔走する日が続いた。
総務・広報担当を与かっていたことから、新聞・テレビ・通信社の13社が入れ替わり立ち替わり『電話不通の範囲は?』『復旧の見込みは?』と何度も会見を迫られ、その対応に忙殺された。
支店長が早稲田の理工学系だったことから、全国から人脈を伝手に地震学者や都市防災研究者などが視察に訪れ、中でもNHK解説委員で火山・地震防災の第一人者「伊藤和明」氏には空港への送迎や液状化現象の現場案内など、寝食を忘れてお供した。
極めつけは社会党議員視察団で、電話輻輳のメカニズムを説明するも理解せず、逆に「なぜ非常時に備えて予備回線を措置しておかないのか?」など稚拙な質問を浴びせられた苦い思い出がある。
さらにこんなエピソードも…
釧路支店は前を警察署に左側を消防署に、そして後方を市役所にガードされる難攻不落の要衝であったが、隣の釧路消防署の望楼が倒壊して消防無線が使えなくなり、我が社にパラボナアンテナの鉄塔を借用できないか打診があった。
警察署同様、消防署も隣同士で普段からお付き合いがあったことと、電波干渉などの技術上の問題がないことが確認できたので、緊急非難措置として鉄塔への消防無線アンテナの仮設を許可した。これを嗅ぎ付けた新聞記者から取材の申込みがあり、信頼できる記者だったので単独で取材に応じることにした。
翌日の朝刊に『NTTが粋な計らい!』の大見出しに、親切にも『ただ同然…』の詳細記事まで付けてくれた。記者にしてみれば美談として好意的に書いてくれたのだろうが、こっちとしては決して無償契約にした訳でなく、とても積算根拠など捜している暇がなかったので、とりあえず「そんな高額にはならないと思うよ」と答えたまでで、たまたま会計検査院の受検期間中だったことから冷や汗をかく場面があった。
しかし、それもこれも今になってみれば良い経験であった。
マグニチュード7.5という地震規模のわりには、死者2人、負傷者900人強、火災9件と被害が最小限に留まったのは、この地域が地震慣れしていて住民の防災意識が高く、家屋の耐震強度も高かかったうえに消防隊の質の高さも奏功して、阪神大震災後の神戸市復興のモデルケースにもなった。
我が町内会でも、昨年から「災害時における支え合い活動」の取り組みを進めており、このたび一定の準備が整い本格的な取り組み段階を迎える運びとなったことから、明日にも札幌市へ要配慮者名簿情報の提供申請を行うこととします。
キーワードは「物の備え」から「心の備え」へ!!!