その昔、2度目の東京転勤時の社宅が小田急沿線にあり、最寄り駅の新百合ヶ丘から「痛勤ラッシュ」に揉まれながら、都営新宿線を乗り継いで日本橋まで通った日々が懐かしい 。
駅前を世田谷通りが走り、社宅への途中に竹林があるのどかな風景。
飛行機に乗ったことがない母が初めて遊びに来たり、東京生まれの子供たちも2度目の首都圏暮らしを謳歌し、育児から解放され新宿でパートを始めた妻の溌剌とした表情など、思い出一杯の麻生区だった。
そんな小田急沿線を舞台に忌まわしい事件が起き、現場となった登戸は沿線近くの駅で、しかも犯人は社宅と同じ麻生区に住む無職の男だった。時代は遡るものの少なくとも3年間は同じ地域に住んでいたことになる。
来年のオリンピック観戦の機会に、久しぶりに沿線を訪れてみようと計画していたが後味の悪いものになってしまった。
多数の被害者のうちの何人かが新百合ヶ丘総合病院に搬送されたが、命に別条はなく比較的軽症だったことがせめてもの救いではある。
ちなみに妻の職場は、新宿東口のステーションビル「MYCITY」(現LUMINE)のテナント『竹茗堂』という天明元年創業の静岡茶の老舗茶商で、販売だけでなく色々なことをやらされたそうです。
制服を貸与されネクタイを締めての接客で、先ずはお客様にお勧めする前に最高級のお茶から普通のものまで、全ての味を覚えることから始まり、お客様に試飲して頂くための美味しい淹れ方は必須科目だったそうです。
そのせいか、今はコーヒー党のくせに、お茶に関してはちょっと煩い存在です。少し前になりますが私が「稲苑大学で」美味しいお茶の淹れ方を習って帰り得意げに話したら、「それは間違い!」と一刀両断にやられてしまいました。(笑)
東京では羽田と八重洲、池袋西武のみの出店で、新宿店は副都心の超高層ビル群が次々に建っていく中で、お得意様からの注文に迅速に対応するのが使命だったようで、よく三角ビルとかにも届けに行ったそうです。
店長気取りで『あんなんでペイするのかな~?』なんてぼやいたりしていましたが、元来事務系より接客や営業系が好きな妻は、札幌に帰ってからも幾つかパートに出ましたが、ノルマがきつくて長続きしませんでした。
『やっぱり竹茗堂が一番だったなぁ。あんなお店ないかな~』などと、今でも思い出しては懐かしんでいるようです。