九谷焼についてイロイロみてきましたが・・・
じつは、呆れたことに本物というやつを一度も見たことがないのです。
しかも、歩いて10分ほどのところに九谷焼美術館があるというのにです。
ってなことを師匠に咎められ、「 わははは・・・(汗) 」 と笑って誤魔化していたのですが、
やっぱ、これじゃイカンということで、行ってきました。
展示品は古九谷から現代の九谷焼まであって、大きくもない館内ですが、見ごたえのある内容です。
そのなかに 本善寺(大聖寺)所蔵の「古九谷色絵孔雀図平鉢」 がありました。本書4頁の実物(下図右の器・クリックで拡大)
写真では分かりにくいのですが、○印をつけたところが、表面が剥がれ磁器と思えないような茶色い部分が見えていました。
これは、九谷古窯の発掘品に多くあったという半磁胎というやつでしょうか?
また、こういう欠陥はいつ出来たものでしょうか? 色絵付けでは焼成温度が低いので起こりようもないことから、本焼きのときに既にあったのかもしれません。 とすれば、物原に捨てられていた発掘品というのは、完全に割れたものや、誤魔化しようもなくヒドイ状態のもので、多少の欠陥があっても可としていたということになります。 たぶん伊万里では許されないんじゃないでしょうか。
さて、本書5ページ(上図左)は石川県美術館所蔵の「古九谷青手松竹梅文平鉢」です。 解説には「九谷古窯発掘陶磁片と素地が全く一致する貴重な作品である」としています。
「え~っ?」
ってことは、古九谷は九谷でやかれていたという厳然とした証拠があるということではありませんか。
にもかかわらず、古九谷=伊万里焼古九谷様式 なんて論争が起きるとは、何とも不可解です。
ところで、古九谷には藍古九谷というのがあるそうです。 藍色の絵が染め付けられた中小の器なんですが、思うにそれらの図柄が古九谷風であることから、「伊万里焼も含めて藍古九谷にしちゃえ」というわけで、 もともと伊万里焼であったものを骨董商の都合で古九谷にしてしまったことが、間違いの始まりなんじゃないでしょうか。 なにしろ何時何処で誰が焼いたものか器に記されていないので、発言力の大きな人の主観で決められてしまう世界なんですから。
学者はそれを真に受けて、「科学分析の結果、古九谷はぜ~んぶ伊万里で焼かれた」 と、他の証拠を無視して結論付けたのでしょう。
バカですね。
きっと学者の方々も本物の古九谷ってやつを見ずに研究されてるのかもしれません。
素人のわたしと同レベル・・・なんちゃって、はははは