よろずよもやまよろずたび

地元の写真と日々の雑感、写真日記です.
最近は陶芸三昧の日々ですが・・・

九谷焼の地

2012-10-10 | 陶芸



先日、九谷の地へ行ってきました。 窯跡は大聖寺川とその支流に挟まれた山の斜面に3基あります。 向かって右側には古九谷焼の水平全長13mの2号窯跡、中央に33m余りの1号窯跡、そして左には14mあまりの再興九谷のひとつ吉田屋窯跡があります。 もし古九谷の全てが有田で焼かれていたのであれば、大規模な1号窯は何のためにあったのでしょうか? 

吉田屋窯というのは、古九谷2号窯が閉じた後、100年余り経った1824年、大聖寺の豪商 豊田伝右衛門によって築窯されたものだそうです。

わざわざ九谷の地で九谷焼と称して再興を図ったのは、そこが古九谷焼発祥の地と信じて疑わなかったからでしょうね。 古九谷から100年余り経っているとはいえ、伝承や記録などは現在より確かなものが残っていたでしょうし、1、2号窯跡にも、吉田屋窯を造るにあったて参考になるものがあったに違いありません。

そういう疑問は専門家の中にも当然あって、いまも発掘が続けられているみたいです。

また、馳浩議員による国会質疑 ↓ などもあって、産地問題というのはなかなか大変なことでありますね。

http://www.incl.ne.jp/hase/seijikatudou3/monnka/h230727.html

というわけで、古九谷は有田で焼かれたものだと決め付けられるのは、当地にとって「竹島が韓国に実効支配されてるようなもの」かもしれません。

ってなことをいうと、「 『尖閣諸島は我々の領土だ。返せ』 と煩い中国みたいだ」 なんて言い返されそうですが・・・