よろずよもやまよろずたび

地元の写真と日々の雑感、写真日記です.
最近は陶芸三昧の日々ですが・・・

「古九谷新論」

2012-10-08 | 陶芸

・・・新論といっても、古九谷が伊万里焼の一様式であると公にされる前、昭和46年発行の本です。

著者は「世界陶磁全集」を著すなど、当時としてはその道の一人者の一人だったのではないでしょうか。

で、話しの内容としては、過去の文献や名款、そして器形、色釉、絵柄などの様式を観察した結果として、伊万里焼とは違う独自のものであると結論付けています。 

また焼成された時期については、オランダ東インド会社を通じた色釉の原料輸入の状況などから、1655-1661年間が、伊万里も仁清も古九谷も重要な年次だったといっています。

すなわち、似たような時期に興きたのだろうと思われます。

しかしながら、いま現在では、初期伊万里→伊万里古九谷様式→柿右衛門様式→古伊万里の順で造られたそうです。(下図参照)

ところで、その様式というのを言葉で説明されてもなかなかピンとくるものではありません。そこでネットで画像を探って並べてみると・・・・

初期伊万里→

初期というだけあって地味な感じです。

古九谷 → 

それが古九谷様式になって突然華麗な変身を遂げたものが・・・

柿右衛門 → 

あの一世を風靡した柿右衛門になって、路線を戻し青が基調の優美な姿になって・・・

古伊万里 → 

古伊万里でも、そのまま様式を引き継いで発展しているように見えます。

どこかでみた説明によれば、『 国内の嗜好向けに古九谷様式が作られていたが、海外の需要にあわせた柿右衛門様式が主流になったので、古九谷様式は衰退した 』 とのことです。

しかし!

一目瞭然! 忘れ去られるには、あまりに華美な古九谷じゃぁありませんか。

『 日本の焼物のなかでもっとも力強く美しい 』 といわれるのも当然のように思われます。

その古九谷様式を本当に捨てたのだとしたら、大きな声じゃいえませんが 「欲に眼がくらんだ」 のかもしれません。

で、それを拾ったのが、加賀の地で再興した九谷ってことになるのでしょうか?

再興九谷 → 

で、こうして見ていくと、なんだかとっても無理があるような、伊万里古九谷様式です。

様式って地域に根ざしたもので、そうそう簡単に変えられるものじゃないと思います。 初期伊万里→柿右衛門→古伊万里には脈絡と続く、その様式らしきものが伺えますし、同じく九谷にもいえるのではないでしょうか。

たとえ物的証拠が九谷の窯跡から出てこないからといって、状況証拠を見聞きする限り、古九谷=伊万里焼の一様式と断定するには、無理がありそうですね。