岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「今年の大沢の雪渓」/ 25日放映NHK「赤倉登山道」への感想など(その3)

2009-06-30 05:27:47 | Weblog
 (今日の写真は1999年4月に大沢上部で発生した底雪崩の残骸である。この年の「底雪崩(全層雪崩)」はこれまで類を見ないほどに「大規模」なもので、その破壊力とエネルギーの大きさは並のものではなかった。これはその年の6月中旬に撮影したものだ。昨年も底雪崩は発生した。
 しかし、今年は「少雪」の所為で「底雪崩」の発生はなかった。「少雪」と書いたが、今年は雪崩発生の起点となる場所、つまり、亀裂が入って崩落する場所が少雪だったということであって、大沢の雪渓はいまだに、写真のような汚い「デブリ」のないまま、美しく、厚く長く急峻で、厳然として存在している。)

         ◇◇「今年の大沢の雪渓」◇◇

 27日にNHK弘前文化センター講座「岩木山の花をたずねて」の受講者Iさんたちと百沢登山道を登った。そして、赤倉登山道を下山した。
 色々なことがあった。色々な人と出会った。多くの花々にも会うことが出来た。時系列で、順を追って書くことが順当な書き方なのだろうが、それを抑えようとする力が私を捉えている。最も書きたいことが決まっているのに、時系列でいくといつ、その書きたいことが登場するのか分からないからだ。
 そのような逡巡も、簡単に表現してしまうと「何から書けばいいのか迷っている」ということになる。だが、「迷い」は捨てた。
 登り始めて2時間を過ぎた場所である「大沢」のこと、「大沢の雪渓」のことから、いきなり、書き出すことにする。

 「山」とは不思議なところだ。同じ場所、同じ時季でも毎年違う。特に「雪渓」はそうだ。
 昨年は4月に中央火口丘外輪南面で「底雪崩」が発生した。それが錫杖清水の下部から大沢に流れ込んで、沢の途中に何カ所も大きな「デブリ」を造り、それを避けながら登らなければいけなかった。何故ならば、雪解けに合わせて、それら「デブリ」はいつ流下し始めるか分からず、巻き込まれたら大怪我か最悪の場合は「圧死」に至るからである。
 また、流れ込んだ部分は「根曲がり竹の藪」が剥離して、そこがあたかも、「登山ルート」のように見えるところから、霧に巻かれた多くの登山者が「そこ」を辿って、藪こぎの果て、火口丘外輪の岩壁の阻まれて、「登頂」断念に追い込まれていた。
 この人たちに共通することは「地図も磁石」も持っていないことであり、「持っていても使えない」ことである。
 「デブリ」はあったが「昨年」は積雪量は少なかった。今季は積雪量が昨年よりさらに少なかったし、さらに「暖かい冬」だった。底雪崩を発生させる場所には「積雪」が少なく、亀裂が入ってそこから崩落していくという物理的なメカニズムが生じない前の消えてしまった。だから、「底雪崩」の発生はなかったのである。
 ところが、今季の大沢にはまだ大量の積雪があり、それが長大な雪渓を造っている。幅には沢の広狭のそった違いはあるが、雪渓は長い。
 「大沢」に入り直登して、次に右折して、さらに直登、右岸に沿って滝を巻く。その上部から雪渓は始まっている。そして、「坊主ころばし」と呼ばれている急登付近では、厚さと固さを増して、延々と「種蒔苗代」の直ぐ下まで続いているのだ。
 もちろん、「錫杖清水」は雪渓の下に埋まっていて「美味しい水」を飲むことは出来ない。

 暖冬であり、少雪だったのにどうして、今季はこのように「完全な形」で雪渓が残っているのだろう。雪が解けずに残っている現象は、何も岩木山だけではなさそうである。

 6月29日の朝日新聞電子版には「富士山への道、残雪との闘い / 登山規制の恐れも」という見出しで次のような写真付きの記事があった。
 写真は「富士山(山梨県側)の登山道、本8合目付近で雪かきをする人たち」であった。
 …富士山が例年にない残雪に覆われている。7月1日の山開きを控え、山小屋の従業員ら約100人が28日も、登山道の雪かき作業に追われた。
 作業は22日から始まり、山頂まで終わった。標高約3400メートルの本8合目付近でさえ、多いところで約2メートルの積雪があり難航した。「登山道以外、山頂は同じくらいの残雪がある」と山小屋関係者。
 登山道を管理する山梨県は29日に現地調査の予定。場合によっては、登山規制の可能性もある。…
 ところで、昨晩の民放ニュースでは「富士山登山は8合目より上はアイスバーンで一般登山者は登ることが出来ないので、8合目までしか登ることが出来ない」と規制したというのテロップを流していた。(明日に続く)

  ◇◇ 25日放映NHK「赤倉登山道」を見た人の感想など(その3)◇◇

 今日、紹介するものは「感想」というよりも「質問や意見」である。Mさんは森林の生態に詳しい方であり、ブナの生態を研究しておられる方でもある。私のようなど素人の軽口や思い込み的な見解に対して「これは少し変だな」と思われたところもあるのだろう。
 このMさんの質問や意見には、私個人というよりも「岩木山を考える会」として、回答や意見を別な機会にしたいと考えている。
 だから、今日はMさんの「メール」をちょっとだけ字句に訂正を加えた形(ただし、文意は変更していない)で紹介するに留めたい。このような視点で、今回の放映を視聴された方は少ないだろうし、また、非常に少ない例ではないかと思う。それ故に「感謝」の気持ちは大きい。

 …あっぷるワイド「岩木山赤倉登山道を登る」を見ました。米山カメラマンとは、昨年の紅葉に続いて二回目ですね。興味深く拝見いたしました。
 種々の解説の中で、「ブナ」更新については、「実生・萌芽」の二種類をあげておられ注目いたしました。70年?前の伐採とあり、戦後の拡大造林の伐採より早くこの点でも興味深く感じましたが、伯母石下部のブナ林も代々伐採を繰り返された林分ではないかと想像したのですが実際はどうなのでしょう。
 ブナは本来ミズナラ等に較べると萌芽力が弱く、小径木を除いては萌芽は期待できないとされてきましたが、案内の地区ではどの様な伐採が行われ二次林再生として萌芽更新がなされたのでしょうか。
 「岩木山を考える会」としていろいろ調査されての結果と思いますがご教示頂ければ幸甚です。…(M)(明日に続く)

「ガンベ長根」のミズナラ林を辿って蘭に会う/25日放映NHK「赤倉登山道」への感想など

2009-06-29 05:15:27 | Weblog
 (今日の写真はラン科クモキリソウ属の多年草「クモキリソウ(雲切り草)」だ。昨日辿った「ガンベ長根」のミズナラ林の中で出会った。だが、まだ蕾で花を咲かせてはいなかった。
 ところで、どう見ても、花の形や様子が「花名」と一致しないのだ。「雲を切る」とは一体どのようなこと指すのか。広辞苑にも「雲を切る」という用例は見あたらない。
 花名の中にはこのように「由来」が不適当で、曖昧なものが結構多い。最初から系統立てて作られたものでないから、そのようになるのもやむを得ないことなのだろうが、特に、日本のものは「感情移入」が濃いものもあり、非常に特殊的であって難解なものが多いのだ。
 その点、西洋のギリシャ語等による学名は、体系的で「そのもの」に即した外形的なところから名付けられているので「由来」は、ある程度の分かりやすさを保持しているように思える。
 この「花名の由来」ははっきりしないが「拙著」では、一応「雲」の字を当ている。そして、矛盾だが、花の姿が「蜘蛛」に似ているからという説をとっている。
 これは日本各地に分布し、平地から亜高山帯までの、山地の樹林下に自生する多年草だ。学名は「Liparis kumokiri」で、「kumokiri(クモキリ)」という日本語が横文字で使用されている。これは世界的に相当珍しい花であることを意味していることだろう。
花が咲くのは、例年ならば6月なのだが、今年はこの花も咲き出しが遅れている。草丈は15~20 cm程度だ。
 根元から2枚の長楕円形の葉が出る。これは同じ時季に見られる「ギンラン」や「ジガバチソウ」などと共通するものだが、その葉の縁が細かく縮れ込んで、しかも「鋸歯」のように見えることが、「葉」を見ての同定の決め手となる。
 長さ5cmほどの花序に、数個の「淡緑色の花」を穂状につける。細長い「側花弁」が2枚、それにやや幅広い「萼片」が3枚という構成だ。唇弁は幅広く、中ほどで急に曲がっているのも特徴の一つだ。
 この「ガンベ長根」のミズナラ林内では、この他に前述した「ギンラン(銀蘭)」や「ジガバチソウ(似我蜂草)」、それに「コケイラン(小蘭)」など「ラン科」の花に出会った。ただし、咲いていたのは「コケイラン」だけであり、しかも中にはすでに咲き終えていたものもあった。
花期に、「コケイラン」は根元から葉を出すことはない。真っ直ぐ伸びた茎に、まるで竿燈のような風情で淡い橙色の花を沢山つけるのだ。) 

    ◇◇ 25日放映NHK「赤倉登山道」を見た人の感想など(その2)◇◇

 25日の夜に2人から電話があった。その1人は言う。
…「見たよ。それにしても短かった。せめて15分ぐらいだとよかった。」
 そして、もう1人は「頂上までたった7分だ。あの登山道を7分で片付けるとは心外だ。登って降りるだけでも8時間は必要だ。登るのには4時間以上かかるだろう。ひどいよ。」
と言った。この人は私と一緒に残雪期を含めて数回赤倉登山道を登っている人である。

 そして、昨日、月に一度の「NHK弘前文化センター」講座「津軽富士・岩木山」で実施している野外観察の日だった。もちろん、「ガンベ長根」のミズナラの純林帯を踏み跡を辿って歩くというものだった。
 嬉しいことに、受講者全員が「25日放映NHK「赤倉登山道」」をしっかりと見てくれていた。
 この講座は「月1回」だが、回を重ねて昨日で51回目である。受講者の入れ替わりはあるが、それは少数で大半は初回からの「受講者」である。
 これまで、数回この赤倉登山道沿いにある「赤倉講」の社屋や石仏1番辺りまでは出かけていた。今年の3月にも、樹木の冬芽やアニマルトラッキングなどの観察のために出かけていた。だから、「受講者」にとって「赤倉登山道」はお馴染みなのである。
 映像の中に「自分が行った場所」や「見たもの」を発見すると「あそこだ」とか「あれだ」ということで、その映像に引き込まれるのであろう。
 そして、その分だけ、「放映が短時間で終わってしまったこと」への不満となるのだ。共通した感想は、言を違えず「短い」であった。「もっと見たかった」である。
 受講者の中に、今は退職して弘前に住んでいる元朝日新聞の記者がいる。在職中は「パリ支局」の特派員を勤めたこともある人だ。
 この人も「初回からの受講者」だ。この人が訊いた。「あの取材にどのくらいの時間がかかったのですか」
「朝7時に家を出まして、帰宅したのは17時でしたから正味8時間ほどですかね」
「そうでしょう。そんなもんですよ。編集するといくらでも短くなります。それにしても短かったですね。」
 「そんなもんですよ」という一言は、長いことマスコミの世界に身を置いた「人」のものゆえに妙に説得力があった。
 だが、他のみんなは「もっと見たい」という不満のはけ口を見いだせずにいるようだった。
 そして、Oさんを中心に「せめて30分番組ぐらいに編集し直して放映してくれるようにNHK青森放送局に投書の形でお願いする」というようなことを言い出す始末であった。
 Oさんだったら案外、実行に移すかも知れない。 
 そこで、私は「先週の金曜日、夕方6時台のお知らせの時間に、その背景動画として赤倉登山道で撮影した花々が使われていましたよ。明日からも使われるかも知れません。見て下さい。」と言ったのだ。
 少しでも、彼女たちの不満が「解消」されるといいなあと考えたからである。
                             (明日に続く)

「ガンベ長根」とは?/ 25日放映NHK「赤倉登山道」を見た人の感想など 

2009-06-28 05:17:20 | Weblog
(今日の写真は昨日に引き続いて「ガンベ長根」のミズナラの森だ。県道30号岩木山環状線から柴柄沢右岸に沿って林道を徒歩で20分ほど辿ると、柴柄沢の渡渉点に達する。そこは堰堤を兼ねた「橋」になっている。「堰堤を兼ねた橋」とは「堰堤」なのだが、そこを自動車が通れるほどの広さに造って、水は流れているが「自動車」は通れるようにしてあるものだ。
 その「妙な」堰堤を渡らないで左に折れて道なりに入っていくと今日の写真の森に向かうことになる。この道を辿ると、「柴柄沢」からはどんどんと離れてしまう。)

 「柴柄沢」の源頭部は少なくとも、今から40年ほど前は、その「アルパイン」的な景観と地質から「クライミング」好きの「登山者」からは「愛されていたマニアックなルート」であった。だが、昭和50(1975)年8月6日未明に発生した「百沢土石流」の時に、この沢も豪雨により、源頭部は崩落して、それまでの景観とルートは変貌した。いや、なくなってしまったといっていい。
 岩稜を辿り、鳥海の山頂の手前に辿り着くと、今の季節には「ミチノクコザクラ」の大群落が迎えてくれたものだ。今はどうなっているのだろう。私が最後にこのルートを辿ったのはかれこれ20年も前のことで、それ以降は足を踏み入れていない。

            ◇◇「ガンベ長根」とは?◇◇

 …このミズナラ林のある尾根を「ガンベ長根」と呼んでいる。だが、一般的ではないので、それを知っている人は少ないはずである。
 さて、「ガンベ」とはどのような意味でどのような場所を指すのだろうか。私はもちろん「ガンベ」という「正式な意味」は知らない。ただ、昔から「ガンベになったらモチを食わすな」という言い伝えのあることは何かで知っていた。しかし、それと「ガンベ長根」の「ガンベ」と関連があるものかどうかは知らないのである。
 「ガンベ」は「広辞苑」にも「国語大辞典(小学館)」にも載っていない。そこで、松木明の「弘前語彙」を当たってみた。だが、これにも「ガンクラ」という語はあったが「ガンベ」の記載はなかった。因みに「弘前語彙」には『「ガンクラ」とは「岩クラの意」。「ガン」はごつごつして出っ張ったところ。クラは谷の古語で、深く凹んでいるところ。赤倉などの「クラ」も谷の意』とあった。
 これから、類推すると「ガンベ」の「ガン」は「岩などが出ていて、ごつごつして出っ張った」という意味にとることも出来る。「ガンベ」の「ベ」には「辺や部」を当てたらどうだろう。文字通り「辺り」とか「その部分」という意味になる。「正解はこれだ」と言いたいのだが、あくまでも私の勝手な「類推」に過ぎない。
 しょうがないので、また、「ガンベになったらモチを食わすな」という言い伝えに戻ることにした。「ガンベ」とは「幼児や子供の頭や皮膚にできる吹き出物」のことである。
 その「ガンベ」になった子供にモチを食べさせるとその症状が重くなるからだ。体内に溜まった毒素が皮膚を通して排出しようとして、幼児や子供の頭や皮膚にできる吹き出物を「ガンベ」というのだ。「モチ」を食べると、アトピー性皮膚炎の症状として、頭に脂濡が出て、悪化することがあるそうだ。
 また、「かぼちゃ」の果皮のコルク化(瘡蓋のような)症状を「ガンベ」ともいうのだそうである。私には確認出来ないが、この尾根にはそのような「吹き出物」や「瘡蓋(かさぶた)」に似た形状のものがあったのかも知れない。
 さて、「ガンベ」に続く「長根」の方はどうであろうか。「長根」という地名は、岩木山には「後長根沢」というのがあるし、山麓の小丘陵の一つに「高長根」というものもある。五所川原市にも「…長根」という地名を持つ場所があったように思う。また「長峰」が転訛して「ながね」となったものだろうかと思い、「長峰」を検索しても大鰐町の「長峰」しか見あたらない。
 結局、この「長根(ナガネ)」と「長峰」は、広辞苑にも国語大辞典(小学館)にも記載がないのである。
 だから、この際は「長」を「長くて大きくて広い」と解釈し、「根」は「高き根に雲の付く」という用例から「山のいただき」とか、「歯の根」という使い方などから「立ち、または生えている物が他の物に付く部分。もと。ねもと。」と解釈することにする。
 そうすると、「岩木山という高くて大きな頂を支えている根元」の場所(部分)とすることは可能ではないだろうか。いずれにしても、はっきりしたことは分からない。
 すべて、私の根拠希薄な「推量の域」を出ていないものである。戯言(ざれごと)として、斜め読みにしてもらえると有り難い。

    ◇◇ 25日放映NHK「赤倉登山道」を見た人の感想など◇◇

 25日放映NHK「赤倉登山道」を見た数名の方から電話、ハガキ、メールで感想やら意見やら疑問やらが寄せられている。今日はこれを紹介したい。

・ありがとうございます。NHKの番組、見させていただきました!
28日の日曜日に知人を連れて赤倉から登る約束をしていたので、とても参考になりました。また何かある時はぜひ事前に連絡を下さい。(U)

・楽しんで見せていただきました。最初、足音だけが聞こえ、それから先生が石仏をぬぐって、という辺り、なかなかしぶい映像で、良かったです。這松と赤倉御殿があり、そこからさらに続く山道の光景や、頂上から下るときの様子や雪渓など、少し遠くからの引いたカメラアングルに、やはり山は雄大だなあと思いました。花や石像もふくめ、もっと長く見たかったです。(H)

・昨夕、NHKの赤倉からの岩木山見ました。ゆったり、くつろいだ春山、自然と一体、同化した三浦さんでした。ふるさとの自然の豊かさが新鮮でした。(F)
(この稿は明日に続く)

ミズナラの純林帯、ガンベ長根の踏み跡…は?

2009-06-27 04:46:31 | Weblog
 (今日の写真はミズナラの純林帯とその中を辿っている踏み跡である。これは岩木山南面中腹下部にある「ガンベ長根」と呼ばれている尾根にある。
 県道30号岩木山環状線から、柴柄沢右岸を辿り、標高500m付近から左折して、砥上沢を渡って、その右岸をまた県道30号岩木山環状線に向かって下るという「踏み跡」である。)

 私はこれまで、数回この踏み跡を歩いたことがあった。時季もそのうちの1回ぐらいは同じであったようだ。出会った花で印象深いものが「イチヤクソウ」であり、「ウメガサソウ」であったことも一致している。
 たが、これまで気づかなかったことの発見があった。それは「ヒバ」の群落との出会いであった。
 「ガンベ長根」は広い尾根である。そこを「横に辿る」のがこの踏み跡なのだ。ガンベ長根については明日書くことにしよう。

 「ミズナラ」はブナ科コナラ属の落葉高木だ。漢字で書くと「水楢」であり、樹名の由来を表している。それは材に水分が多く、燃えにくいことによる。「水の木」なのである。別名を「コナラ」に対して「オオナラ」という。
 「ナラ(楢)」についての由来はいくつか説があるらしいが、次のものを掲げておこう。
①葉が広く平らなさまを「ならす(均す)」としたこと。「地均し」の「ナラ」である。
②冬、枝に残った葉を、風が吹き鳴らす木としたこと。「吹き鳴らして」の「ナラ」である。
③若葉の軟らかいさまを「なよらか」としたこと。「なよらか」が転訛して「なよら」「ならか」が「ナラ」になったのである。

 「ミズナラ」は北海道、本州、四国、九州の山地に普通に生え、混交林または純林を作る。大きいものでは樹高が30m以上になる。「ブナ」や「イヌブナ(太平洋側に自生)と同じような分布を示している。
 簡単に言うと「ミズナラ」は、あの「どんぐりころころどんぶりこ」という童謡に歌われている「ドングリ(団栗)」をつける樹木である。説明するまでもないが、「堅果(堅い果実)」つまり、「ドングリ」は、やや大きめの卵状楕円形で、「殻斗(かくと):帽子に見える部分」がある。これは「包(包葉)」が融合して果実を抱くようになった「お椀」状のものをいうのである。それがきっちりと瓦状に並んでいるのだ。
 野ネズミやリスなどは、この「ドングリ」を食べるのだが、これには「タンニン」が含まれていて渋みが強いのだ。彼らが集めたドングリを土中に埋めるのは、「食料保存」という目的と「あく抜き」をすることを兼ねているのだそうだ。何とすごいことをやっているのだろう。

 実は「今日の写真」に見える「踏み跡」を今月23日に辿った。このミズナラ林の奥からは絶えず「杜鵑(ホトトギス)」の鳴き声が聞こえていた。ミズナラの葉は濃い緑になりかかっていてそれは「夏緑」の季節の始まりを教えてくれていた。そして、両側に移り過ぎて行くミズナラの幹は、明瞭な縦縞模様の裂け目を見せていた。
 何の変哲もない見慣れた「樹皮模様」であるが、夏緑を映し込んで陰影に紛れて輝くその裂け目は流れる水墨文字のように「妖しく」美しかったのである。
 実際、樹皮は灰褐色で、縦に不規則な裂け目があり、薄片状のものが重なっていて、剥がれやすいのだ。そこで出来たのが次の歌である。

       ・夏緑遠く聞こゆる杜鵑ミズナラの幹縦文字美し(三浦奨)・

 ところで、ミズナラの若樹の幹にはこの縦縞模様の裂け目が目立たないのだ。樹皮自体がつるりとして光沢がある。

 葉は互生し、やや枝の先に集まる。葉身は倒卵状長楕円形で、縁には大きい鋸歯があり、基部はくさび形に狭くなり、葉柄は無いか、ごく短いのが「ミズナラの特徴」で、仲間のブナ科コナラ属の「コナラ」の葉柄はある程度の長さがある。この葉は「ナラ」の仲間では最も小さい。名前は「小さい葉の楢(なら)」の意味である。
 「ミズナラ」と言えば「マイタケ」たけだ。友人で本会の幹事KTさんは岩木山や白神山地に多くの「舞茸畑」を持っているが、いずれもそれは「ミズナラの純林帯」を指している。「ミズナラの巨木の下に、大量のマイタケを発見」が秋になると彼の口癖となる。
 「マイタケ」は、数年ごとに発生すると言われているから、彼は「畑のミズナラ林」を順繰りと巡っているらしい。
 「ミズナラの材」は堅く、やや赤みを帯びた淡褐色だ。磨くと美しい艶が出るので、ヨーロッパでは、「コナラ属」を「オーク」と呼んで、良質の建築材としている。「ミズナラ」は、ヨーロッパの「オーク」より良質で、かつては輸出されていたということだ。用途はさまざまで「建築や器具、船舶、樽の材料、また、キノコの原木」として利用されている。(明日に続く)

 今日はIさん夫妻同行で、岩木山百沢登山道を登り、赤倉口に降りるつもりだ。
心配なことは先ずは「天気」である。「雷」が心配だ。
 弘前など遠方からはうかがい知ることは出来ないが、気温が高い日には山頂部で「局地的」に「雷」が発生するのである。「落雷」までいかずとも「誘雷」的な「雷」現象にはこれまでたびたび遭ってきた。
 次の心配は「大沢雪渓」の登りである。まだ、大沢にはかなりの雪渓があるので「登下行」には「滑落」しないように十分気をつけなければいけない。もちろん、そのために「ザイル」、「ピッケル」を持参して、雪渓ではアンザイレンする。
 念のために、私は12本爪の軽量アイゼンを持ったし、夫妻にはカラビナ付き安全ベルトと「簡易アイゼン」を持たせた。
 「案内同行」とは「ただ先に立って連れて行けば」いいというものではない。「ガイド」と呼ばれる人の中には「ただ先を歩いて道の案内をする」だけのものが多い。これでガイド料として、なにがしかの料金を取っているというのだから、開いた口がふさがらない。

赤倉登山道ガイドマップができるまで…いろいろなことがあった(5 最終回)

2009-06-26 05:16:48 | Weblog
 『昨日のNHKテレビで放映!「岩木山赤倉登山道を登る」はどうでしたか』

 (今日の写真はサクラソウ科オカトラノオ属の多年草「コナスビ(小茄子)」だ。
 「コナスビ」は日本全国にのみならず、中国、台湾、インドシナ、マレーシアなどにも広く分布している。日本各地の平地から山地の道端や畑、道ばたや草丈の低い草地に普通に生育している。
 葉は対生して広卵型で、茎には軟毛が生え、地面を這う。背丈は5~20cmとばらつきがある。全体にまばらに毛がある。葉腋から短い柄を伸ばし、葉陰に隠れるように黄色の5弁花をつける。雄しべは5本だ。花冠は径5~6mmであり、花期は5~6 月だが、秋まで咲くものもある。
 「コナスビ」は「小」+「茄子」であって、「小さい茄子」なのだが、どうしても、「ナス」の花と「ナス」の「実」というイメージがこの「草本」からは思い浮かばない。花名の由来は、この花後の「種子」の付き方が「茄子」の格好に似ていることに因るらしい。かなり無理な「こじつけ」のような気もする。

 これには、岩木山南面標高500mのミズナラ林の林縁で出会った。岩木山の場合、山麓ではどこでも出会える花である。
 何と、百沢登山道では標高1060mにある「焼け止り小屋」の直ぐ下まで生えている。彼女たちは長い時間をかけて、その高みまで「登って」行ったのである。どのくらい長い時間をかけたのであろうか。可愛く健気な花の内奥にある、その生命力には感服するしかない。
 この時季、百沢登山道では可愛いこの「コナスビ」がガイド役を務めてくれる。この花を辿っていくと、知らないうちに「焼け止り小屋」に着いているのだ。

◇◇赤倉登山道ガイドマップができるまで…いろいろなことがあった(5)最終回◇◇
(承前)
 私が提供した写真やそれに関した情報、文章で作成された「マップ」の最終校正の段階で、突然「岩木山XXXクラブ」という営利企業の宣伝が、その「マップ」に掲載されたのである。私にとってこれは、承知出来ないことであった。

『お世話になっております。さきほど、電話でお話させて頂きまして、三浦先生には本当に申し訳ないことをしてしまったと痛切に感じております。
 今後、県と検討しまして、再度ご連絡(校正含)させて頂きたいと存じますので、明日(2/21)の三浦先生のご予定をお知らせいただければと思います。ご都合が良い時間にご連絡させて頂きます。』

『メール頂きました件、了解致しました。責任校了で進めさせいただきますので、どうぞよろしく御願い致します。』

【 左側最下段 岩木山ガイド情報  [岩木山XXXクラブ 案内コース/嶽・百沢・大石赤倉・弥生・長平  費用/岩木山登山(往復約8時間)¥7.000~  連絡先/TEL 0172-xx-xxxx/HPhttp:// www/clindex.html]を削除し、以前の校正の…
[このページは、「岩木山を考える会」(http:// www.iwaiksan.jp/)三浦章男さんからの写真・情報提供により制作いたしました。]だけにしてほしいのです。

 この件についてはあなたと電話で話しをしてますます譲れないと考えました。理由は電話でも話しました。前のメールにも書きました。あなたが「自分ですべて」という責任の取り方をしていますが、話の端はしから類推すれば発注者である観光推進課の意向であることは確実でしょう。
 受注者のあなた方はその意向にそわなければならないことは承知しています。となれば「削除すること」を望む以上、その意向をした者と私が直接交渉するしかありません。
 私が直接、貴社に迷惑がかからないように言い含めながら交渉・申し入れをしますので担当者名とその電話番号、メールアドレス等を教えて下さい。】
 …だが、残念ながら「担当者名とその電話番号、メールアドレス」等については教えてもらえなかったのだ。プリント会社のAさんが、私と青森県観光推進課の「間」に入って、苦労に苦労を重ねて、「自分」の責任として処理をしたのである。これは、何ということはない。「発注者」の横暴によって引き起こされたことなのである。

『たびたびお手数をおかけしてしまい、申し訳ございません。どうぞよろしく御願い申し上げます。このたびは本当に申し訳ございませんでした。
 私の説明不足から三浦さんに、大変ご迷惑をおかけし、また不快な気分にさせてしまった事を深く反省しております。これに懲りずに今後ともどうぞよろしく御願い致します。』

『冊子が刷り上がりましたら、ぜひ、再度お邪魔させて頂きたいと思っております。最終校正があがりましたので、送信致します。
22日(水)の朝に印刷に入ります。
 このたびは本当にありがとうございました。多くの方に、岩木山のすばらしさを知って頂き、より多くの方々が岩木山を訪れたいと思っていただける冊子となりますように…』

 …というような「メール」と「電話」、それに対面を重ねて、この「赤倉登山道ガイドマップ」は作られたのである。
 このような経緯があったことを「岩木山XXXクラブ」は知っていたのであろうか。いまだに「何のコンタクトもない」ところを見ると、知らなかったのであろう。そういうことにしておこう。
 その後、「観光パンフレット」等の片隅に、この「岩木山XXXクラブ」という名前を見ることがある。今でも、「案内1人あたり、7.000円~」で「案内」を続けているのだろうか。どのような「サポート」をしているのだろう。(この稿は今日で終了)

赤倉登山道ガイドマップができるまで…いろいろなことがあった(4)

2009-06-25 05:25:43 | Weblog
  『今日の午後6時台、NHKテレビで放映!「岩木山赤倉登山道を登る」』

(今日の写真はイチヤクソウ科イチヤクソウ属の常緑多年草「イチヤクソウ(一薬草)」だ。23日に観察会の下見に出かけて、ミズナラの純林帯で出会ったものだ。
 北海道、本州、四国、九州のやや明るい林内に生える。6~7月に長い花茎を出し、上部に白い花を数個から10個ほどつける。草丈は20cm前後だ。少し厚くて、葉柄のある数枚の葉が根元に集まってついている。
 花名の由来は、「一つの薬草で多くの病気に効くこと」による。強心、降圧、抗菌などの作用のあることが知られている。
 岩木山では、この他に林内に自生する「コバノイチヤクソウ」、「ジンヨウイチヤクソウ」と高山帯に自生する「ベニバナイチヤクソウ」が見られる。
 今年は全般的に、すべての開花が遅れている。「ベニバナイチヤクソウ」もその類だ。リフト終点から「鳥の海噴火口」外輪に降りる途中にも、この「ベニバナイチヤクソウ」が小群落をなしているが、19日に見た限りではまだ、固い蕾だった。だが、これは「蕾」の時から「紅色を注して」いるので、誰の目にもつくはずである。
 これから、「ハクサンチドリ」などと競うように咲き出すはずだ。歩く人はくれぐれも「ベニバナイチヤクソウ」のみならず、周りの樹木や草本をも「踏みつけない」ようにしてもらいたい。
「イチヤクソウ」は地中の菌根から養分をもらうことにより成長する「腐生植物(地中の菌と共生する半寄生植物)」と呼ばれるものだ。「イチヤクソウ」自身は光合成をするが、それだけでは足りないので、菌根を作って、地中の他の樹木や草の栄養分を吸収している。)

◇◇赤倉登山道ガイドマップができるまで…いろいろなことがあった(4)◇◇
(承前)
私が提供した写真やそれに関した情報、文章で作成された「マップ」の最終校正の段階で突然「岩木山XXXクラブ」という営利企業の宣伝が、その「マップ」に掲載されたのである。

 そこで、私は次のメールを送った。
【 校正2.左側最下段 岩木山ガイド情報  [岩木山XXXクラブ 案内コース/嶽・百沢・大石赤倉・弥生・長平  費用/岩木山登山(往復約8時間)¥7.000~  連絡先/TEL 0172-xx-xxxx/HPhttp:// www/clindex.html]を削除し、以前の校正の…
[このページは、「岩木山を考える会」(http:// www.iwaiksan.jp/)三浦章男さんからの写真・情報提供により制作いたしました。]だけにしてほしいところです。

このことに関して、質問をします。
1.岩木山XXXクラブとは何ですか。
2.貴社とどのような関係がありますか。
3.貴社との関係で「突然」この欄に登場(掲載)したのですか。
4.それとも貴社とは無関係だが県観光推進課が一方的に掲載を求めてきたのですか。
5.そうであれば県観光推進課と岩木山XXXクラブとの関係はどのようなものですか。
6.貴社とは無関係だが県観光推進課が一方的に掲載を求めてきたのであり、県観光推進課と岩木山XXXクラブとの関係について知り得ないのであれば、私が直接に聞きますので担当者名とその電話番号、メールアドレスを教えて下さい。

「削除」することと「上記1.~6.に関わる理由は次の通りです。

1.私からの情報(写真・コメント・岩木山についての体験的「約40年間1000回ほど岩木山登山る・その間34年連続年末年始山頂登山・植生、気象、雪崩などの調査活動」や知識をもとにして、あなたが立派に創ってくれた『青森の春を歩く「岩木山編」』の完成間際に突然このような営利を目的とする「ガイド業」がこの紙面に登場したことに強い違和感を覚えます。
 事前に「載せること」を私に話していただけたら、私はこの『青森の春を歩く「岩木山編」』編集と協力を断っていたはずです。私たち「岩木山を考える会」は「純粋に岩木山の自然を調査し保護することを目的としている自然保護団体」です。営利事業とは一切関係ありません。このような営利を目的とする業者と同列には扱ってもらいたくはありません。

2.県観光推進課が一方的に差し込み入れ替えを要求したのであれば、これまたひどい話しです。実際、作成に関わった者に対して何の断りもなく、押しつけてくることは、一方的に過ぎます。関わった者への了解を事前に求めることは「社会通念」でしょう。

3.また、「岩木山XXXクラブ」は何の苦労もなく、最高の宣伝場所を手に入れることになります。まさに「人の尻馬に乗る」であり「他人のふんどしで相撲」を取っているということです。社会通念的には、当然この「岩木山XXXクラブ」からも事前に何らかのコンタクトがあってしかるべきです。私はこの「組織」に対して、「礼儀をわきまえないこと」を感じ、腹立たしい思いでいます。

4.このようなことをきわめて「当たり前に」行えるところに、「県観光推進課」と「岩木山XXXクラブ」との深いつながり、「癒着」のようなものを感じています。
 貴社と県観光推進課とは入札等で「受発注」がなされるのでしょうから、この欄に掲載する・しない等も厳しい感覚で臨まなければいけないものであるはずです。

5.「岩木山XXXクラブ」に私が提供した多くの、しかも体験から知り得た情報を勝手に利用されることは不本意です。ただし、社会通念的な手だてを踏んだ上で、それぞれの責任者が正式に利用を私に依頼をされるのであれば、その限りではありません。】(明日に続く)

赤倉登山道ガイドマップができるまで…いろいろなことがあった(3)

2009-06-24 05:15:04 | Weblog
   『明日の午後6時台、NHKテレビで放映!「岩木山赤倉登山道を登る」』

 (今日の写真はユズリハ科ユズリハ属の常緑小低木である「エゾユズリハ(蝦夷譲葉・楪)」だ。かつては、「トウダイグサ科ユズリハ属」とされていたことがある。花期は5月から6月で、北海道、東北、山口県にかけての日本海側に分布している。雪の多いところでは、幹が地を這うように立ち上がるのが見られる。
 弘前公園にある植物園には、関東以西に分布する「ユズリハ(楪)」が1本、「大木」然として生えている。
「エゾユズリハ」は山地の林内や林縁などに生え、茎の高さが1.5mほどになる。これは赤倉登山道の石仏9番のあるブナ林内で「雨に濡れたもの」を撮ったものだ。
 葉腋から伸びる総状花序に、直径1mmほどの「緑黄色の花」を多数つける。だが、この写真ではまだ花は開いていない。この写真からは、開花寸前の花は紅色を帯びていることがよく分かる。花弁も萼もない。
 葉は互生(枝先は輪生)し、楕円形~長楕円形で、厚く光沢があり、先は鋭く尖る。果実は藍色になる。雌雄異株だ。
 新しい葉が大きくなると、古い葉が「譲って落ちること」から「ユズリハ」という名がある。このように「世代交代が絶えることなく続くこと」から、縁起がいいとされ、葉は正月の飾りに用いられることがあるのだ。
 だが、葉、樹皮には「アルカロイドやダフニマクリン」という毒があり、口にすると心臓マヒや呼吸困難に陥るそうだ。
 別名を「ヒナユズリハ(雛譲葉)」や「ヒメユズリハ(姫譲葉)」ともいう。)

◇◇赤倉登山道ガイドマップができるまで…いろいろなことがあった(3)◇◇

文中『 』部はプリント会社の担当者からのものであり、【 】部は私からの「メール」である。
 (承前)…次のことは「ある赤倉講」信者が勝手に無許可(許可にはなり得ないことを知った上)で「赤倉登山道」を不法に整備したこと、加えて、新しい「道」を伯母石上部の岩稜帯に造ったことと「そこ」通らないということを告知するための「コメント」をマップに挿入するための理由である。…

【 5、本来(旧来)の道があるにもかかわらず、付け替え道を造った。これは伯母石から左に入り岩稜帯をたどるものである。以前から信者たちが20mほど上部にある祠にお参りをするために使っていた道はあったが、その祠で行き止まりとなっていた。
 その信者はそこから岩稜帯をたどる形で上部の旧来の道と合流するところまで約200m渡り、付け替え道路としてしまったのである。
 この付け替え道敷設にも…
①自然石を掘り出してそれを既存の道に並べたり、石にも加工をする。
②既存の道を拡幅する。
③登山道が流水路にならないように道の脇に水はけ用流水溝を造る。 
④竹や樹木の刈り払い・伐採をする。
…がはっきりと見られ、自然を著しく損壊しているのである。
 この岩稜帯は標高が低い割には、特徴として風衝地を形成しているので高山性の植物が生育している貴重な場所である。これまで人が踏み入らなかったので「コケモモ」など多かったが、最近は通路上邪魔になる樹木の伐採等にあわせて減少している。
 また、岩稜の特徴である…
「鋭角状の岩が多く、接触することで裂傷・擦過傷を負う」
「岩と岩の裂け目・繋ぎ目が深く落ちると這い上がれない」
「不安定な岩が多く人の体重をかけることで動くものもある」
「岩の壁に張り付いた木の根や幹をたどらねばならい箇所もある」
「場所によっては崩落しているところもある」
…など通常鎖場(登山者の通行安全をはかるためにくさりを張り渡す場所)とされる場所であるがそれもない。
 きわめて危険な道であり、新道ということで総体的に「踏み固められていない」ため、非常に危険なのである。
 もともと、この付け替え道は「不法」に造られたものだ。
 以上の理由から、伯母石から右に立派な旧来の道があるのだから、伯母石上部岩稜帯に付け替えられた登山道は使用禁止(通行禁止)の措置をとるように管轄の青森県自然保護課には文書と口頭でお願いしている。私は「環境省自然公園指導員」として、登山者や赤倉講の信者たちに、そのように指導している。】

 …それから間もなくして、
『お世話様です。また冬に逆戻りですね。早く春にならないかな~。春もみじの校正の件なのですが、「青森県観光推進課」から多少修正が入りまして、本日の午後あたりに修正したものを三浦さん宛に送信させて頂く予定で考えております。たびたびで申し訳ございません。どうぞよろしく御願い致します。』

 この「青森県観光推進課からの多少の修正」ということは、私にとっては「多少」でなく「大問題」だったのである。
 それは「マップ」左側下欄にそれまで印刷されてあった[このページは、「岩木山を考える会」(http:// www.iwaiksan.jp/)三浦章男さんからの写真・情報提供により制作いたしました。]が削除されて、[岩木山XXXクラブ 案内コース/嶽・百沢・大石赤倉・弥生・長平  費用/岩木山登山(往復約8時間)¥7.000~ 連絡先/TEL 0172-xx-xxxx/HPhttp:// www/・・・・・.html]という項目が印刷されていたことだった。

 私は直ぐに担当者に電話をして、[このページは、「岩木山を考える」会(http:// www.iwaiksan.jp/)三浦章男さんからの写真・情報提供により制作いたしました。]を入れてくれるよう頼んだのだ。
 しかし、送られてきた「校正刷り」には[このページは、「岩木山を考える会」(http:// www.iwaiksan.jp/)三浦章男さんからの写真・情報提供により制作いたしました]と[岩木山XXXクラブ 案内コース/嶽・百沢・大石赤倉・弥生・長平  費用/岩木山登山(往復約8時間)¥7.000~ 連絡先/TEL 0172-xx-xxxx/HPhttp:// www/・・・・・.html]が併記されていたのである。
私はまた、直ぐに電話をして、何故唐突に「岩木山XXXクラブ」のことが出てきたのか、どうして併記する必要があるのかを訊いたが、このことに関わる理由は「プリント会社」では知るよしもなかったのである。(明日に続く)

赤倉登山道ガイドマップができるまで…いろいろなことがあった(2)

2009-06-23 05:26:00 | Weblog
 (今日の写真はアカバナ科マツヨイグサ属の多年草「ヒナマツヨイグサ(雛待宵草)」だ。初めて見た時は何であるかは分からなかった。ただ、花と葉の格好から「アカバナ」の仲間であることは理解出来た。だが、岩木山では初めて出会う花であった。
 これは、赤倉登山道の入り口、白い大きな鳥居のある場所に小群落をなして咲いていたものである。岩木山のどこでも見られない花、しかも、人の出入りの多いこの場所ということで、外から運び込まれた「種類」だろうと考えたが、本物の「外来種」だとは考えなかった。
 狙いをつけて図鑑で「アカバナ科」を調べてみたが、どの図鑑にも掲載されていない。そこで、「日本帰化植物写真図鑑(全国農村教育協会版)」を調べた。やはり、あった。
北アメリカ原産の2年草、または多年草であるという。1949年に群馬県で発見されたともある。花や葉は写真を見れば分かるだろうから、詳細な説明は省くが、大きさは直径が1.5cmほどで、種子は1cmほどの棍棒状で、他のアカバナ類と同じように4枚の毛のような翼がついている。
 はてさて、この「ヒナマツヨイグサ」、どのような経路でここに運ばれてきたものだろう。時間があれば、その謎解きをするのも「楽しいなあ」と思った。)

    ◇◇赤倉登山道ガイドマップができるまで…いろいろなことがあった(2)◇◇
『  』はプリント会社の担当者からのものであり、【  】は私からのものである。
 次のことはある「赤倉講」信者が勝手に無許可(許可にはなり得ないことを知った上)で「赤倉登山道」を不法に整備したこと、加えて、新しい「道」を伯母石上部の岩稜帯に造ったことと「そこ」通らない「コメント」をマップに挿入するための理由である。

(承前)
…【私はそれまでその信者と次のような会話を交わしている。
私 :「どこ(どのくらいの高さ)まで整備するのか。」
信者:「神のお告げに関わることなので言えない。」
私 :「植生の回復が進まない森林限界より上部はできるだけ手を入れないでほしい。」
私 :「そこを掘り起こすとどうなるか考えて下さい。」
私 :「その木を切る必要はないでしょう。」
私 :「コメツガは切らないで下さい。」
私 :「道は広げないで下さい。」
私 :「石を掘り出さないで下さい。」
私 :「付け替え道路は造らないでください。」
 …などを何回も言ってきた。しかし、すべて「無視」である。ある時などは、登山道脇のミヤマハンショウヅルを鎌できれいに刈り取っていたので「それは高山性の植物でミヤマハンショウヅルといって貴重なものです。この登山道でしか見られません。刈り取らないで下さい。」と注意したら…、
「これは草だ。いつでも生えてくる。」と言いながら「お前は何者だ。神様のお告げでやっていることに文句をつけるとは罰当たりめ。」と怒鳴り散らすのであった。

 その信者の登山道「整備」は基本的に次の四つの仕事から成り立っていた。
①自然石を掘り出してそれを既存の道に並べたり、石にも加工をする。
②既存の道を拡幅する。
③登山道が流水路にならないように道の脇に水はけ用流水溝を造る。 
④竹や樹木の刈り払い・伐採をする。
 この信者の「四つの仕事」に共通していることは、「あるがままの自然に対して、人為的に加工を施していること。」である。
 彼の「四つの仕事」に見られる「自然への配慮」の欠如は次ぎのようなことだ。

1.石組の階段を造るために自然石を掘り起こす。それを移動し加工する。そのことが石の回りや地中の植物や動物にそれなりの影響を与えることは必至だろう。草や木の根が切られる。枯れてしまう。穴があく。水が溜まる。流れる。そこから崩落が始まる。
 ここを利用する信者たちへの配慮はあついが、自然への配慮は感じられない。
2.道の拡幅も自然に手を加えることに外ならない。幅の広い登山道。広い道、横並び4人は可能だ。道脇に深い穴。使われている石はすべて掘り起こしたもの。石を掘りだした穴だが排水溝の役割をする。このような穴は登山口から大開までの間に約500はある。
 特に石仏の前の道は祈りの場となることが多い。そこに座して祈るために、広くして、しかも均して平らにする必要があった。先人たちはそのような場所を求めたが、それは「自然そのままの地形」に頼ったのである。
 それは地名にも現れている。鬼の土俵や大開がそうだ。土俵は丸く広いし、大開は読んで字のごとく「大きく開けて対岸と谷底」がみえる場所である。先人は自然に手をつけることはしなかった。
3.山から見ると、登山道は山肌に傷つけられた切れ込みでしかない。当然、そこは尾根にあれば尾根ぞいの人工的な通水路(人為的な沢)の役割を果たす。ところが、その役割を許すとせっかく整備した道は、土石が流されたり崩れたりして台なしになってしまう。そこで整備した登山道を保護するために、自然石を掘り起こした穴を利用したり、それ以外の穴や切れ込みを掘って、沢や谷に向けて排水溝を設置しているのである。
この小さな「排水溝」が時を重ね、尾根を穿って崩落し山全体を崩していくのである。斜面に沿って、すでに穿たれているのが解る。
4.登山道の刈り払いも同じである。何のためらいもなく立木を伐採して道を広げる。このような伐採は、標高1500m以上の地点まで続いている。
 鬼の土俵から赤倉沢に降りる取りつき付近と大鳴沢の源頭よりやや上までを念入りにやったのである。特に山頂への道は、拡幅にも力を入れた。広いところは3~4人が横列で歩けるくらいだ。ダケカンバ、ミヤマハンノキ、ミヤマナラなどの樹木もかなり伐られていて、登りや下りの支点となる手がかりまでが、すっかり伐られるという始末である。
そして、2001年の夏には、そこから先ずベニバナイチヤクソウが姿を消した。
 大鳴沢の源頭から上の部分は、山仲間が「あそこは冬に登れない。雪崩が起こりそうだ。」と言うくらいダケカンバ等が、きれいに伐られてしまったのである。】
(明日に続く)

赤倉登山道ガイドマップができるまで…いろいろなことがあった(1)

2009-06-22 05:20:10 | Weblog
 (今日の写真はツツジ科スノキ属の落葉低木「マルバウスゴ(丸葉臼子)」だ。本州、中部地方以北の日本海側に分布している。岩木山では高山部の沢の縁で比較的水気のあるところに生えている。これは赤倉登山道の大鳴沢源頭付近で撮影したものだ。
 葉は広卵形から卵円形で互生し、縁には細かい鋸歯がある。6月から7月にかけて、葉腋に赤みがかった「淡黄緑色」の微妙な色の花を下垂して咲かせる。果実は紫黒色に熟し、食べることが出来る。
 私はこれまで何回かこの花に出会っていたのだが、仲間である「クロウスゴ」と同一視していた。果実になると、本当に似ているのだ。花も「クロウスゴ」の方がいくらか扁平で、上からつぶされた格好をしている程度で、あまり違いがない。
 その様なわけで、拙著「岩木山・花の山旅」には掲載されていない。)

 ◇◇赤倉登山道ガイドマップができるまで…いろいろなことがあった(1)◇◇

 今日は、昨日掲載した「赤倉登山道・ガイドマップ」のことについて書くことにする。
この「A3」1枚の「ガイドマップ」を作成するには、さまざまなことがあった。初めは順調に進んでいた。だが、発注者である「青森県観光推進課」の「ある動き」が、その順調具合を、妙なものにしていくのであった。その辺りをメールのやりとりで少し見てみよう。

『  』はプリント会社の担当者からのものであり、【  】は私からのものである。出来るなら、マップを印刷して、それを見ながら読んで戴けるとよく分かるのではないかと思う。マップに使われている写真や「コメント」などの訂正部分がよく分かるし、どのように作られていったのかその「プロセス」も分かるはずだ。

『メールのご返信ありがとうございます。頂いた校正のように、修正いたしまして、上がり次第再送させて頂きます。
(花の名前をたくさん間違えてしまって、すみませんっ!)
追記:先日は岩木山についての貴重なお話を聞けたことを嬉しく思っております。
穏やかな山だと思っていたので、びっくりしました…!』
『こんにちは。校正、ありがとうございました。修正しましたら、再度送信致しますので、どうぞよろしく御願い申し上げます。お手数をおかけいたします。』
『お世話になっております。昨日まですごい雪でしたね。今日からは若干暖かくなるそうですが。岩木山の版下校正お送りします。1箇所質問があります。
●岩木山MAP内に載せている野鳥の写真はシジュウカラで良いでしょうか。
念のため元の写真も貼付致します。』
『こんにちは。お世話になっております。修正したものを送信致します。どうぞよろしく御願い致します。
●ミチノクコザクラギャラリーに「白花」を入れました。
●第1校で白花の写真を配置したところに「アラゲヒョウタンボク」を移し、吹き出しでコメントを入れました。
●エゾアオイスミレの写真に差し替えて、吹き出しでコメントを入れました。せっかくなのでアオイスミレの写真も丸窓で入れました。
●左頁の写真群、右下に新規写真(前回頂いていた木花)を入れました。お手数ですが、名称をお知らせ下さい。』

【ところで、FAXは来ましたが添付ファイルが「添付」されていません。もう一度ファイルを送って下さい。なお、聖観音とその傍に建っている赤倉大権現の石柱(碑・イシブミ)の写真。それに春を代表する花、ミヤマキンバイを忘れていましたので送付致します。】
【さっき送ったものがもし不都合で開けない場合があるかも知れませんのでもう一度送ります。右上から見て校正箇所と校正文を表記します。それから提案を少ししてあります。
1.ミチノクコザクラギャラリーに左ページ花の欄左から2つめの(ミチノクコザクラ「白花」)を入れたらどうでしょうか。
2.右側「赤倉コース」の右側薄緑部分について()内を付加。
上から、一番(如意輪)観音とする。下段部の
・ダケカンバ(とコメツガ)帯の…
…抜けると(展望が開け)…
・巌鬼山の西斜面についた「巻き」道の「巻き」を削除。
・「巌鬼山の巻き道が終わったところ」を削除して「その途中」とする。
「…を目指しダケカンバ帯」を「ダケカンバとミヤマナラ帯」とする。
左下段の写真は「ダケカンバ」でなく「ナナカマドに寄生したヤドリギ」とする。
3.左側花の写真欄の部分について
・上段のものはエゾアオイスミレではなく、アオイスミレです。私としてはエゾアオイスミレを使ってほしいです。
・中段の不明のものは左がササバギンラン、右がツバメオモトです。
・下段の不明のものは前述したとおり「ミチノクコザクラ(白花)」で非常に貴重なものです。一生に1回も出会えないというものです。
・同じく下段ウキンウツギとあるのはウコンウツギです。訂正をして下さい。
・下段最左部の不明のものは「アラゲヒョウタンボク」で、日本海側豪雪帯高山部でしか見られません。
4.左左端の「岩木山(いわきさん)」の解説文について
・「孤立山」は「独立峰」として下さい。これは山岳用語として定着しています。
・…山頂が「巌鬼山」「鳥海山」「岩木山」と三峰に…の部分を「巌鬼山」「岩木山」「鳥海山」として下さい。
5.最下段【車でお越しの方】のところについて
バスの便はありませんので、自家用車利用になります。
・弘前方面からは岩木町賀田から環状線に入り、弥生を経由して大石神社、または赤倉神社に駐車。または高杉、大森経由で赤倉神社へ。
・五所川原方面からは森田、大森経由で赤倉神社へ。
…などでいかがでしょうか。
とりあえず、第一校正分を送ります。よろしくお願いします。】
【本題ですが、シジュウカラで間違いはありません。全体的に非常によく出来上がったと思います。ありがとうございました。これから出かけます。帰りは夕方になります。もし連絡回答などがありましても今夕以降のこととなります。よろしく。】
【長い文章になりましたが真意を読み取って戴きたいと思います。
校正1.
 右側下欄の「●伯母石」のそばにある「・巨岩が集合する伯母石には巻き道がついてあり、観音石像もある。途中、七里長浜と日本海が見える。大きな岩がごろごろして歩きにくい。」を「・巨岩が林立する伯母石から左側の道は不法に造られた新道で、風衝地の岩稜帯で鋭角の岩や深い亀裂など多く危険である。右側の本道をたどろう。」として下さい。
その理由を次に掲げます。特に最後の5、に注目して下さい。
 現在の赤倉登山道は、津軽国定公園内のあるにもかかわらず、自然公園法や森林法に対して不法(無届け・無許可)に整備されたものである。届けを出しても許可されることはない。
 この「整備」は、赤倉神社様の信者が「神のお告げ」と言って1998年から個人的に始めたもので、2005年まで続けられたが、青森県自然保護課と津軽森林管理署の中止命令でようやくやめたのである。(明日に続く)

「赤倉登山道」ガイドマップ・岩木山登山と花々、25日夕方6時台にNHKテレビで放映!

2009-06-21 05:36:52 | Weblog
 (今日の写真、いや写真ではなかった。図版である。正式には「赤倉登山道」ガイドマップだ。)

 19日にNHK青森放送局の報道カメラマンYさんと助手のS君、それに私と3人で岩木山赤倉登山道を登った。恐らく、この「赤倉登山道」に報道機関のクルーが入るのは初めてのことではないだろうか。
 Yさんと一緒に岩木山を「紹介」するために登ることはこれで2回目である。初回は昨年の10月、「岩木山の紅葉」を撮影するためだった。
その時は長平登山道を登った。
 標高1200m付近から大鳴沢を挟んだ対岸の烏帽子岳や1396mピークに沿って生える濃緑のコメツガ林とその下部に広がる、いわゆる「紅葉」や「黄葉」との対比の美しさをテレビで紹介したいと思い、この登山道を推薦して、実際の登山となったものだ。
 何しろ初めてなので、どのような形で撮影するのかもまったく知らなかった。そして、その撮影の仕方には驚いたし戸惑った。
 つまり、こうなのだ。「登山者の私が主人公であり、私の目を通しての被写体を撮影する」ということなのであった。
 小型マイクを襟元に付けられもした。これでますます「当惑」した。映像に「私の話す、説明する、感想を述べる」ことが音声となって付加されるのである。
 当然、「紅葉」が撮影の主題ではあるが、その撮影を、そして、その映像を確乎たるものにするための中心には「私」がいたのであった。
 今回の撮影の主題は「青森・夏の山」とかである。Yさんから聞いたのだが思い出せない。何だかそのようなテーマだったような気がする。
 今回の撮影も前回と同じだった。私が登りながら、「道々に咲いている花の科名と名前やその特性」、「地名の謂われ」、「石仏の名前やその謂われ」、「赤倉登山道の歴史」などについて語っていくというのが撮影の流れであった。
 Yさんから、この撮影の案内「依頼」があった時、真っ先に思いついたのが、この「赤倉登山道」であった。
 赤倉登山道は岩木山にある他の登山道に比べると「特異」な性格を持っている。
1つには「もっとも古い登山道」であることだ。百沢登山道よりも古い。今から1300年も前から存在していたと言われている。
 2つには歴史的に最初の「岩木山遙拝道」であることだ。「百沢登山道」も「遙拝道」とされるが、それよりも以前から人々は「遙拝」のために登っていたのだ。
 3つには「修験道に裏打ちされた修験者たちの道」であることだ。伯母石岩稜帯に続く道は険しく、まさに「修験者」道である。
 4つには「赤倉大権現信仰」に基づいて33体の石仏「観音像」が標高500m地点から1450m地点まで、その間隔はまちまちであるが、並んでいることである。この観音像に手を合わせながら、登っていくと1450mの高みに知らないうちに到達しているのである。
 5つには登山口周辺には「赤倉講」の社屋が数軒建っていて、非常に信仰的かつ宗教的な雰囲気を漂わせていることである。
 この2つから5つまでを総ずると「赤倉登山道」は「山岳信仰の道」と言えるのである。
 6つには「旧岩木山」の尾根を登るということである、これによって百沢や岳から登る道では見られない「植生」に出会えるのである。「コメツガのトンネル」などがそれである。
 7つには「夏の花、ミチノクコザクラ」にもっとも長い期間出会えるということである。
 因みに、赤倉御殿の付近の風衝地では5月の上旬に咲きだして、遅いものは大鳴沢の源頭部で、これは8月の中旬まで咲いている。何と、3ヶ月間も継続して「ミチノクコザクラ」に出会えるのだ。
8つには総じて「花々」の多い登山道であるということだ。

 以上の特異性を持っているのが、「赤倉登山道」である。私はこの「赤倉登山道」を是非、映像で紹介したいと思ったのである。いや、これは思いつきではない。ずっと以前から、このようなチャンスがあれば、まず「赤倉登山道」を取り上げたい考え続けていたのである。

 今日、提示した「赤倉登山道・ガイドマップ」も『チャンスがあれば、まず「赤倉登山道」を取り上げたい考え続けていた』ことの現れに他ならない。
これは3年前に青森県の観光課が「青森の観光地を紹介」するために、全国向けに配布したものである。
 青森県観光課から委託されたあるプリント会社が、私に依頼してきて出来たものである。最初は「岩木山の紹介」ということであったのだが、私は恣意的に「信仰の道」である「赤倉登山道」に絞って、構成を考えたのである。そして、プリント会社から快諾を得たのであった。
 この「赤倉登山道・ガイドマップ」で使用されている写真や資料、それに文章はすべて、私が提供したものである。だが、これが完成するまでにはさまざまな、行政的な「不都合」なことがり、それクリアするために、間に入った「プリント会社」の編集社員には大変辛い思いをかけなければならなかった。このことについては、そのうちに書くことにしよう。
 この「赤倉登山道・ガイドマップ」は、「赤倉登山道」を知る上では大いに役立つものだろうと自負している。しかし、このままでは小さくて、細部まで見ることは不可能だ。
大きくして細部まで見たい人は「ホームページ」左欄の「登山道情報」をクリックして、画面にある「あおもりの春を歩く 其の3 岩木山編より(赤倉コース) pdfファイル603kb」をクリックすると2ページ構成の図版を見ることが出来る。これを使うと「家庭用のA4プリンタ」で2枚印刷が可能であるだろう。

 題にも書いたが、25日夕方6時台にNHKテレビで、私が案内する「岩木山赤倉登山道」その花々と石仏、植生や歴史の名残が放映される。興味のある方は、どうぞ「ご覧になって」下さい。

能郷苺「ノウゴウイチゴ」の花開く(その3)

2009-06-20 05:27:26 | Weblog
 (今日の写真も、バラ科オランダイチゴ属の多年草「ノウゴウイチゴ(能郷苺)」だ。昨日も赤倉登山道を登った。14日にも登ったから5日後ということになる。
 登山道沿いはまさに、「花盛り」であった。だが、今日の写真の「ノウゴウイチゴ」との出会いは少なかった。山頂の直ぐ下には雪渓があって、それを越えた辺り、つまり、頂上に手が届くというところで出会ったのだ。登山口からまさに、長い「登山道」では姿を見せないで、殆ど「山頂」という場所で数株が花をつけていただけであった。
 別にノウゴウイチゴは岩木山で数が少ないという草花ではない。恐らく、赤倉登山道沿いでは「これから」咲き始める場所もあるのだろう。
 昨日は赤倉登山道を登り、岳口に降りた。リフト乗り場近くややスカイラインターミナル付近では「ハクサンチドリ」がまさに満開であったが、赤倉登山道では、赤倉御殿の近くで「たった1本」だけ咲いていた「ハクサンチドリ」に出会った。同じ岩木山でも「場所」が違うと同じ花でも「咲く時期」は微妙に違う。
 「ショウジョウバカマ(猩々袴)」もそうだ。赤倉御殿の下部、石仏26番付近ではまだ花をつけていたし、山頂直下の雪渓近くでは、ようやく背丈が10cmに伸びて、初々しい紫の花をつけていた。だが、山頂から、岳への登山道では1本も見ることが出来なかった。
 「ミチノクコザクラ」は石仏26番辺りから点々と咲いているが、赤倉御殿から石仏30番辺りまでは、すっかり花は終わっている。この場所が岩木山で一番早く咲き出す場所なのである。早い年は5月3日に咲き出したこともあるくらいだ。「風衝地」のなせる業である。
 「正観音」の周囲もすでに花は終わっているが、そこから「ダケカンバ」の疎林までの道沿いにはまだ咲いている。だが、大鳴沢源頭部ではまったくその影がない。しかし、大鳴沢源頭の大雪渓が消えるのに従って、その雪渓の周囲にも咲き出すのである。
石仏32番、33番近くの岩稜では「コメバツガザクラ」や「イワウメ」も咲き出していた。やはり、岩木山では「夏」が始まっているのだ。)

(承前)  昨日に続けて今日も「イチゴの話し」を書こう。

 「イチゴ」の方言には、グイミ(広島)、イチリゴ(和歌山)、イショビ(鹿児島)などのあることが知られているが、ご当地「津軽」にはあるのだろうか。不勉強の所為で「あるのか、ないのか」すら知らない私にとって、この問いは難問である。
 「イチゴ」のことを、漢名では「覆盆子(ふくぼんし)」または「覆盆」をあてる。枕草子の「一五三段」には「見るにことなきものの、 文字に書きてことごとしきもの」(見た目に格別のことはないもので文字に書くと仰山なもの)として「覆盆子」という記載が見える。
「覆盆子」の由来は、「キイチゴ」の実は熟すと食用になる部分がすっぽりとれ、跡にすり鉢状のくぼみが残る。その様子がひっくり返した盆(元々の意味は壷)に見立てられたことによるとされている。「漢方」では、「イチゴ」の未熟果実を「覆盆子」と呼んで、「眼精疲労をとり、肌つやをよくし、気力の衰えを回復する」強壮剤として用いるのだそうだ。「肌つや」が気になる人は、完熟して甘く美味しい「イチゴ」を食べてはいけないようだ。まずい「未熟果実」を食べなければいけないのである。美しくなるためには、古今東西やはり、「耐える」ことが要求されるのである。
 古典ではっきりと「いちご」とあるのは「枕草子」である。「枕草子」には 「あてなる (上品な) ものとして 「いみじくうつくしき稚子 (たいへんかわいらしい幼児) の、覆盆子(いちご)食いたる」 と出ている。
 また、同じ「あてなるもの」として、直前に「水晶の数珠、藤の花、梅の花に雪のふりかかりたる」というのがあげられている。これらと同列の上品なものとして清少納言はとらえていたのだ。
 「万葉集」では、「いちご」とはっきり書いているものはないが「いちし」をイチゴとする説がある。白い花のイメージとしては合うだろう。「万葉集」には次の一首だけが登場する。
 万葉集巻十一
・道の辺の壱師(いちし)の花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は(柿本人麻呂)

訳は簡単に「道端のいちしの花が目立つように、私の恋しい妻をみんなに知られてしまいました」とでもなるだろうか。
「いちしろく」とは「はっきりと」とか「目立って」というような意味。「いちし」と「いちしろく」を掛けて詠んでいる。
 これらは現代栽培などされているイチゴではなく、日本古来から自生している野生の「キイチゴ」のことを指しているのである。
 純白で美しく清楚な花、しかも美味な果実なのに、万葉人も王朝歌人も、殆ど「歌には詠まなかった」ことが不思議でならない。
 「壱師(いちし)」は具体的に何をさすのかは、いまだに確定していないそうだ。ギシギシ、イタドリ、イチゴ、エゴノキなどの説があるが、彼岸花(ひがんばな)が最有力候補といわれているそうだが、どうも「まゆつば」くさい。

 和歌を紹介したので序でに、短歌と俳句を紹介しよう。

・赤き苺庭に熟らせて見たき夢吾子も持つらしわが幼日のごと(コスモス短歌会歌集より)
「私もその幼かった時に赤いいちごを庭で育てて熟らせてみたいと思ったように、私の子供もまたそうような夢を持っているようだ」とでも訳せばいいだろう。

 次は俳句だ…。
・忍び来て摘むは誰が子ぞ紅苺(杉田久女)
『そっと忍んで来て真っ赤に熟れたいちごを摘み取っていくのはどこの子供だろう。ふっくらとした小さな手が優しく、これまたふっくらと熟れているいちごの実とゆったりと融合している風情は許されてもいい。』と私は解釈した。久女の優しさ滲み出ている秀句だ。
・太陽のひかりこまかく苺摘み(鷹羽狩行)
『たくさんのいちごが今年も赤い実をつけた。その一つ一つを太陽の光が細やかに優しく照らしている。その中で楽しい苺摘みが始まった。』これも、いい俳句だ。

 ご存じだろうか。イチゴの食用になる部分は花托が肥大化したものだ。本当の果実はその表面についた、「粒々」である。

能郷苺「ノウゴウイチゴ」の花開く(その2)

2009-06-19 05:17:04 | Weblog
 (今日の写真は昨日同様、バラ科オランダイチゴ属の多年草「ノウゴウイチゴ(能郷苺)」だ。バラ科の植物は種類が多い。果実をつけるリンゴやナシもそうだし、秋に「ひっつき虫のような種」をつける「キンミズヒキ」もそうだ。至る所でバラ科の草花はその命を謳歌している。弘前公園に併設してある植物園でも、今多くの種類の「バラ」が最盛期を迎えているそうだ。
 オランダイチゴ属は日本では、この他に「シロバナノヘビイチゴ(別名:モリイチゴ)」の二種だけ自生する。
 北海道と本州の伯耆大山以北の日本海側に分布し、亜高山帯の湿った草地や林縁に生える。高さは5cmから10cmである。花の咲く時期は5~7月だ。花弁は6~7枚で、「シロバナノヘビイチゴ」との大きな違いはこれだ。「シロバナノヘビイチゴ」は花弁は5枚である。
 学名に「nipponica」という語があるところを見ると日本の特産種であるらしいが、その日本固有種が「オランダイチゴ属の多年草」というのが何とも面白い。きっとこれは「どいつんだ。おらんだ」という駄洒落の「オランダ(俺のものだ・我が国のものだ)」を地でいったものかも知れない。そう考えると何だかすごく楽しくなる。
 カタカナ書きで「ノウゴウイチゴ」と言われても、今一ぴんとこない。どこで区切ればいいのかが分からない。漢字書きにすると何とか分かるが、今度は「能郷」が分からない。
 これは地名だ。最初に発見された岐阜県能郷白山に由来した名前である。別名はノウゴイチゴである。
 「ノウゴウイチゴ」も「シロバナノヘビイチゴ」も草本である。私たちが「果物」として食べたり、ケーキの上に載せたりするイチゴは殆どが草本、つまり「草になる」イチゴだ。現代では大体「イチゴ」というとこれを指している。だが、昔は木本のイチゴ、つまり、「キイチゴ(木苺)」のことを専ら「イチゴ」と言っていたらしい。現にイチゴの仲間では圧倒的に「キイチゴ」類が多いのである。

 「ノウゴウイチゴ」唯一の「同属」の仲間、「シロバナノヘビイチゴ(白花の蛇苺)」は、北海道、本州、九州(屋久島)に分布して、低山帯~高山帯の日当たりのよい草原や礫地に生える高さ10㎝ほどになる多年草だ。
 葉は3小葉で平行脈がよく目立つ。花茎の先に径1.5~2.5㎝の白色の花を数個つけ、花弁は5枚だ。「ノウゴウイチゴ」は花弁が7~8枚あるので区別は簡単だ。花期は5~7月である。
 私は早くこの「簡単な区別」をして「同定」したいのであるが、岩木山ではまだ出会っていない。出会った人がいるならば教えてほしいものだ。
 「ヘビイチゴ」という名を持っているが、果実は赤く熟し、食べることが出来る。ノウゴウイチゴの果実も美味しい。汗をかき、疲れた時に、この実を頬ばると「甘さと酸味」が爽やかな気分となり、疲れをほぐしてくれるのだ。
 数年前に「子供会」の小学生グループと一緒に登山をした時、標高1200mを過ぎた辺りで「疲れと倦怠」から、「もうこれ以上は登りたくない」という意味のことを「ぶつぶつ」と言いだしたのだ。私は近くにこの「イチゴ畑」のあることを知っていたので、とにかくそこまでは何とか登らせたのである。
 小学生は正直だ。「甘い」「美味しい」を連発しながら、「採って」「食べて」元気になり、その後は「登りはじめ」のような元気さで登山を続けたのである。
 「ノウゴウイチゴ」の味は本当にいいのである。ところが、この「シロバナノヘビイチゴ」の味はその上をいくという。実際食べてみたいと思い、「岩木山中」を彷徨ってはいるのだが、「さもしい」根性の持ち主の眼には、なかなか見えないのである。別名を「モリイチゴ(森苺)」という。

 まあ、この2種類を「草本」のイチゴと言っていいのだ。ところが、「キイチゴ属」でありながら「クサイチゴ(草苺 )」という名前を持っているものがあるのだ。だからややっこしい。

 バラ科キイチゴ属の「クサイチゴ」は本州の岩手県以南に生育する落葉の小低木だ。高さは数10cmしかなく、葉も草質であり、見た目には「草本」である。
 気温の低い地域では落葉するが、暖地では常緑であり、背丈も低いことから、「クサイチゴ」の名が付いたようだ。
 生育地は明るい林縁や草地であり、もっとも一般的な「キイチゴ」であるといわれている。早春に地下茎から新しい茎を出し、純白のくっきりした5弁花を咲かせる。果実が稔るのは6月始めであり、あっさりとした甘みで食べることが出来る。
 また、よく田圃の畦や道路端、それに原野の縁で見かける「ナワシロイチゴ(苗代苺))」も、バラ科キイチゴ属の落葉小低木だ。
 茎は蔓状で短毛を密生し、棘がある。葉は3葉または5葉の複葉。初夏、淡紅色の五弁花を開き、6月、濃赤色の実を結ぶ。
 実は酸味があり、食用とすることが出来る。別名を「皐月(さつき)苺」という。名前の由来は「田植の頃に熟す」ということによる。

 「イチゴ」は英語名で「ストロベリー」だ。これは「イチゴ畑」にストロー(麦藁、むぎわら)を敷いたことによる。
「イチゴ」の「ゴ」は食べられる実という意味の接尾語だという。これは英語の「イチゴ」類に付く 「ベリー」 と同じだ。ラズベリー(Raspberry) やブラックベリー(Blackberry)などがそれだ。
 日本でも英語の「…」+ 「berry」と同じように、 苺は古名を「いちび」+「こ」といった。それが転訛して「いちご」となった。「日本書紀」には「いちびこ(伊致寐姑)」という記載があり、平安時代に入って「いちご」が現れる。
「いちご」は「いちびこ」の略かららしい。「いちび」は「一位樫(いちいがし)」のことで、「こ」は実を指し、「イチゴ」の実が「一位樫」の実に似ていることからのようだ。(明日に続く)
 
 NHK青森放送局報道カメラマンYさん、それから助手の方と岩木山の花の撮影のために赤倉登山道を登ることが延期になっていたが、今日実施することになった。過日、報告したい。

能郷苺「ノウゴウイチゴ」の花開く

2009-06-18 05:27:38 | Weblog
(今日の写真はバラ科オランダイチゴ属の多年草「ノウゴウイチゴ(能郷苺)」だ。14日に赤倉登山道の「大開」少し手前で出会った。)

 このノウゴウイチゴに混じってイネ科以外の草本が2種類見えるが何だろう。一種類の方はすでに黄色っぽい花をつけているものもある。
 これはミズキ科の多年草であり、本州中部以北と北海道に分布し、奈良県と愛媛県などに隔離分布しているといわれているものだ。
 葉には明瞭な脈が見られることも「ミズキ」の葉と共通性がある。花弁のように見えるのは、「ミズキ科」の「ヤマボウシ」と同じように「総苞片」であり、中心に小さな花が集まって付いているのだ。この写真からは分からないが、直近で見ると、花弁は4枚、雄しべは4本、雌しべは黒紫色であることが分かる。
 亜高山帯の樹林下に、特に針葉樹林内に、赤倉登山道では「コメツガ」林内に生育し、登山道沿いでもよく目につく植物の一つでもある。
 茎の高さは通常は5cm程度である。その所為なのか上から見ると、「敷き詰められている」ように見える。
 花の咲く時季は岩木山では6月から8月にかけてである。雪渓の消え方次第なのだ。花は葉が6枚に成った株だけに咲く。2枚や4枚のものには咲かない。輪生している6枚の葉の中心から花茎を直立させて、白い花序をつける。白い花弁に見える部分は「萼片」で、花は中心に20個ほど集まっている。
 葉は先の尖った楕円形であり、花が終わった後には、直径5mm程の実を多数つけて、熟すと赤くなる。
 この「ミズキ科」の草花の和名には、何故かしら日本特産種である「ミカン科の常緑小高木」の名前が付けられているのだ。この「ミカン科」の果実は扁球形で直径2~3cmで果皮は黄色く熟するが、酸味が強く生食には適さないといわれている。
 私は最初にこの花に出会った時に、低い背丈で敷き詰められたように咲いているので、上から見たのだが、ある「紋所」と「その名」をイメージしたのだ。それは古典などに出てくる花であり、高貴な「家紋」でもあった。だが、私のこのイメージは、この花名の由来とはまったく関係がなかった。
 ところで、この草花の名前の由来は、花や葉とは無縁である。「発見された地名」と「果実の形状と色が似ているミカン科の植物名」という二部構成で成り立っている。「ミカン科」のものを「ミズキ科」の植物に付けてしまうのだから、本当におかしな話しだし、いい加減と言えばいい加減な話しだ。
 まず、地名だが「加賀白山の最高峰」の名前が当てられている。次に果実が「ヤブコウジ」などミカン科のものに似ているということで付けられている。
「ヤブコウジ」は古名で「ヤマタチバナ(山橘)」という。さて、この草花の名前は何であろうか。

 もう一種は、ユリ科の多年草で、高山植物の図鑑にも載っているが、北海道から九州まで、低山帯の林地から亜高山帯の針葉樹林の中まで、広範な場所でごく普通に生えている。決して「高山に行かなければ会えない花」ではない。しかも、花が小さく地味だから、興味のない人には見えないかも知れない。
 この赤倉登山道でも、ずっと低い石仏1番辺りから生えていて花も終わったり、まだ咲いていたりと生息範囲が垂直分布でも水平分布でも実に広いものだ。それだけ適応力と繁殖力が強いのだろう。
 花名にはこの葉の様子と格好のイメージが取り入れられている。この葉の格好が、「ある鳥が羽を広げている」のに似ていることからつけられている。
 だから、茎を真っ直ぐに伸ばして、大きな4本の雄しべと1個の雌しべ、それに反り返った4枚の花被片をつけた白くて小さい花のイメージは「花名」には決して結びつかない。しかも、花は総状で1本の茎に20個ほどつけるのだ。よって、花は小さいが「よく目立つ」のである。
 「こんなのないよ」と言いたくなるが、「花名」を命名するには、少なくとも和名にあっては「ルール」などない。それでいいのだ。花など植物をはじめ自然は「みんなのもの」だから、それぞれ「自由勝手」に付ければいいのである。
 吾こそは「専門家という意味合い」がありありな花名ほど、花は嫌らしくないが、嫌らしいものはない。
 これは前述したように全国に分布しているが、地方によって、この「葉の大きさ」が違うというのだ。北海道のものの葉は長さが10cmほどと大きいそうだが、南に行くほど小さくなり、「屋久島のもの」は1cmに満たないといわれている。

 このように、花も葉も美しいのだが、果実もまた美しい。この果実は最初は「まだら模様」を見せているが、季節が秋へと進むにつれて、赤く熟して美しく、可愛らしくなる。
 花の小ささとはうって変わって、径が6mmほどと果実は大きめなので、特にきれいでよく目立つのだ。これを「ルビー」に譬える人もいるが、当を得て妙と言うしかない。
 秋が深まっても、枯れた茎の上に、この赤い宝石、「ルビー」は残り、「漿果」のような透明な紅い輝きを見せるのである。それは過ぎ行く秋の「はかなさ」や生命の最後の輝きを体現しているかのように見えるのだ。しかも、雪が積もり出した頃、その雪上に輝く「ルビーの残照」は帰り来る春の息吹を迎えるための灯火のように見えるのである。
 この草花の名前には、このように可愛らしく美しい白い小花も、その果実もまったく関係がないのだ。ただ、葉の開き具合や付き方が、ある「鳥の舞う姿」に似ているとか、それを連想させるということで付けられたのだ。
 だが、私には、どうしても「ある鳥」が舞をしているように見えない。さて、この草は何だろう。 

岩木山、春の花は終わり、夏の花の季節になった

2009-06-17 05:15:27 | Weblog
 (今日の写真はアブラナ科ヤマガラシ属の多年草「ミヤマガラシ」だ。これは標高1550m辺りから上部に生えているのだが、山頂部に一番多く、しかも、山頂で一番早く咲き出す花なのである。
 赤倉登山道に限って言えば、赤倉御殿から大鳴沢源頭、そして山頂までの間では、まだ花をつけてはいなかった。
 大鳴沢源頭とその上部にはまだ「幅50m長さ150m」ほどの雪渓があり、表面が硬く、登山靴でのキックステップをしなければ登ることが出来ない。長靴などでは無理である。また初心者も単独では登るべきではない。
 14日に同行したNさんは初心者もいいとこで「岩木山に初めて登る」という人であった。実は昨年の11月に「大鳴沢源頭」の少し上までは登ったのであるが、吹雪と積雪に阻まれて、山頂に行くことを断念していた。14日は「季節」を替えての「リベンジ」登山であり、「ミチノクコザクラ」に会うための登山でもあった。当然「ミチノクコザクラ」も初めて見ることになった。
 そのような訳で、同行案内者としては、「山頂まで行く」ことを既定の条件としていた。だから、この急な「雪渓」を安全に登下行する手立てを「熟慮」し「準備」していた。それは、「カラビナ付き簡易安全ベルト」と「ザイル」、「ピッケル」であり、私とNさんがアンザイレンしながら、登り降りることであった。
 そのような登り方だから、確かに時間はかかった。もちろん降りるのにも時間はかかった。だが、「6月14日」である。間もなく夏至だ。日照時間が1年の内でもっとも長くなる日に近づいている。いくら時間がかかっても「日が暮れて暗くなる」ことはないと判断して行動をしたのである。
  ようやく、雪渓を登り切って「夏道」に入ったが、雪解けが終わったばかりで、花の影は全くない。標高1600m近くになって、やっと、昨日紹介した「コヨウラクツツジ」の森が出てきた。山頂下部にも、この時季だとミチノクコザクラやミヤマキンバイが咲いているのだが今季はまだである。
 それもそのはずである。山頂本体の東面下部にはまだ、長さが15mほどで幅が10mほどの雪渓が残っていたのである。これが解けない限り、ミチノクコザクラも花のつけようがない。
 しかし、その上部ではアイヌタチツボスミレが咲いていたし、山頂では今を盛りと「ミヤマガラシ」が吹き渡る風に茎葉を震わせ、渡る霧に黄花を映して群立していたのだ。今、「群立」という言葉を使ったが、今年の「ミヤマガラシ」にこの言葉は当てはまらない。何故か例年に比べると数が少ない。ある図鑑では「数の上では全国で岩木山が一番多い」と紹介されているほど、山頂に咲くミヤマガラシは多いのである。今年はまさに、ミヤマガラシの疎林と言っていいほど「疎ら」なのであった。

 私たちの前をいくつかのグループが登っていたが、そのいずれも、この雪渓を登らないで、つまり「山頂」に行かないで引き返していた。そのグループの一つは「赤倉講」の信者十人近くであった。彼らは「大鳴沢源頭の雪渓」の手前の「正観音(注)」にお参りをして引き返したし、もう一つのグループは女性を一人交えた4人であった。
 このグループは正観音のところで、昼食をとっていた。山頂に行くのかと訊いたところ「初めての人がいるので山頂には行きません」との答えが返ってきた。
 そうこうしているうちに、その中の一人から「ひょっとして三浦先生ですよね」と声をかけられた。それに応答はしたものの、その人には失礼なことだが、私はその人が誰なのか未だに思い出せないのである。
 その応答を聞いていた、その中の別の男性が「そうするとあの三浦先生ですか。その節は大変失礼なことをしました。あのXです。」というのである。この経緯は、簡単に言うと「2月11日に追子森登山をした時に一緒に行きたい」という意向を持ちながらも同行出来なかったということである。だから、私はこのXさんとは、その日が初対面となった。もちろん、Xさんも同じである。岩木山は「狭い」のである。女性はXさんの奥さんだという。
 私は石仏9番近くで「握りの部分にピンクのラバー」引きされた「軍手」を拾っていた。その「色」から女性用であろうと判断していたので、降りてきた「赤倉講」の信者たちにも、「この軍手忘れませんでしたか」と訊いた。しかし、誰もが、「ノン」であった。私はXさんの奥さんにも訊いた。
 果たして、私の予想は的中した。その「軍手」は奥さんのものだった。よかった。「軍手」は登る時よりも「降りる」時の方が重要なものとなる。これで、降りる時安心して「手がかり」を握りしめることが出来るだろう。
 その時の奥さんとXさんの言ったことに対して「ああ、そうですか。ありがとうございます」と簡単に答えたが、内心「うきうきと地に足がつかないほどに上気した喜び」に浸っていたのである。それは「先生の書かれた本を毎日バイブルのように読んで見ています」という一言だったのだ。書き手にとってこのように言われることが「至福の時とこと」でないはずはないだろう。本当に嬉しい。お会い出来たことも嬉しい。

 その日、赤倉登山道沿いで出会った花を書いておこう。
*鬼の土俵まで:ササバギンラン、チゴユリ、コケイラン、マイヅルソウ、エゾタケシマラン、ヤマツツジ、タムシバ、ムシカリ、ナナカマド、ウラジロヨウラク、カラマツソウ、ミヤマスミレなど
*山頂まで:ベニバナイチゴ、ミヤマカラマツ、ムラサキヤシオツツジ、ゴゼンタチバナ、ツバメオモト、ウコンウツギ、ミヤマキンバイ、ツマトリソウ、ミツバオウレン、ノウゴウイチゴ、ミヤマガラシ、ミチノクコザクラ、ミヤマツボスミレ、アイヌタチツボスミレ、ツリバナなど  

注:しょう‐かんのん(聖観音・正観音):六観音・七観音の一つ。変化(へんげ)観音の基本としての、一面二臂の通形の観音。宝冠中に阿弥陀の化仏をつけ、蓮華を持つ。聖観世音。聖観自在菩薩。→観世音。「広辞苑」

14日出会った「コヨウラクツツジ」の森、標高1600m付近、赤倉登山道

2009-06-16 05:33:53 | Weblog
 (今日の写真はツツジ科ヨウラクツツジ属の落葉低木「コヨウラクツツジ(小瓔珞躑躅)」だ。というよりも「コヨウラクツツジ」の森といってもいいかも知れない。
 「コヨウラクツツジ」は、岩木山の場合一応標高の高い場所に生えている樹木である。だが、その「高い」場所よりも、かなり低山帯から生えているのが、赤倉登山道沿いのもので、それが明らかに顕著である。
 標高800m付近の伯母石岩稜帯に始まり、標高1600m付近の岩稜帯でピークに達する。今日の写真はその到達点に生えている「コヨウラクツツジ」であり、その森なのだ。この写真はその「森」を写したものだから、果実は小さくて、この写真からは実像は窺えないだろう。
 とにかく花は小さくて可愛らしい。緑の若葉の間から、赤い「果実のような花」が見える。実際、傍によって「花」を見ると、外側は黄色を帯びた紅赤色で、裏側はやや薄く、「歪んだ」壺形をしていることが分かる。それが枝先に長い花柄で垂れ下がってつくのだ。花の大きさは5mm程度だ。葉は表面に荒い毛のあることもよく見える。

 この時季、この登山道では標高500mを越えた辺りから先ず朱色の「ヤマツツジ」が登場する。間もなくそれに混じって「ウラジロヨウラクツツジ」が出てくる。そして、伯母石岩稜帯から「コヨウラクツツジ」が出てきて「ヤマツツジ」や「ウラジロヨウラクツツジ」は姿を消す。標高1000m近くになると、今度は「ムラサキヤシオツツジ」が登場する。しばらくはこれと「コヨウラクツツジ」が競うようにその花影を見せるが、いつの間にか「ムラサキヤシオツツジ」は山の霧に紛れるかのようにその姿を消す。
 岩木山では「ツツジ科」の花は多い。標高1000mよりも高いところで、真っ先に咲き出すのは「コメバツガザクラ」だ。これは5月の中旬というと花をつける。だから、この時季は花期は終わっている。
 低山帯では「イワナシ」の花が早い。イワナシはすでに、「梨色」で「梨形」の実をつけている。
「ヤマツツジ」や「ムラサキヤシオツツジ」はツツジ属だが、「コヨウラクツツジ」は属が違って「ヨウラクツツジ」属だ。「ヨウラク」は漢字で「瓔珞」と書く。
 これは、簡単に言うと「宝石」のことだ。昔、インドの貴族男女が珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具のことであり、仏像などの装飾ともなったものである。また、仏像の天蓋や建築物の破風(はふ)などに付ける垂れ飾りのことをいうのだ。
 この「ヨウラク属」の「ツツジ」に共通する花の特徴は「筒型」であるということと「垂下」するということである。

 最初に出会ったのが石仏4番辺り「ヤマツツジ」だった。これは「ツツジ科ツツジ属」の半常緑低木だ。北海道南部から本州、四国、九州の暖温帯域全域に分布し、丘陵帯から山地帯下部に生育している。岩地を好むようで、人に知られていないようだが、毒蛇沢上部の左岸崖頭には大群落地がある。その花の色から、別名を「丹(に)ツツジ」という。

 「ツツジ科」の花は、万葉集でも「細領巾(たくひれ)の鷺坂山の白つつじわれににほはね妹に示さむ(読み人しらず)」と歌われるなど、古来から親しまれてきた花である。
 この和歌は「恋の歌」である。その気持ちになって読解してほしい。
 「盛りなる春曼荼羅の躑躅かな(高浜虚子)」という俳句もある。だが、岩木山の「ヤマツツジ」にしろ、「ムラサキヤシロツツジ」にしろ、「春」というよりは「初夏」、夏の花だ。
 「ムラサキヤシオツツジ」はツツジ科ツツジ属の落葉低木だ。北海道、本州の近畿以北に分布する。山地帯上部から亜高山帯の林縁や雪渓の縁などの湿り気の多いところに生える。
 高さ1~3mの落葉低木で、直径3~4cmの濃紅紫色の花を葉が出る前か、出ると同時に小枝に2~6個咲かせる。
 雄しべは10本もあり、上の5本は短くて基部に白毛が密生し、下の5本は長くて無毛であることが特徴だ。
 長たらしい花名だが「ヤシオとは8回も染料で染める意。紫色の染料に何度も浸して染め上げたような美しいツツジである」ということが由来だ。

 別名は「ミヤマツツジ」だ。だが、この「別名」で呼ぶ人は少ない。それどころか、長たらしい故の省略か「ムラサキヤシオ」と呼ぶ人が多い。
 ところが、俳人の中には「別名」を知っている人もいるようで、「阿波野青畝」には「みよしののみやまつつじの中の滝」という俳句がある。
 この風情と句題を岩木山で味わうことの出来るところも、この「赤倉登山道」沿いである。
 その場所は標高1200mを越えている「大開」だ。ここには石仏22番、23番、24番が並んで立っており、眼下に深い赤倉の谷を望むことが出来るのである。
 そして、その周囲や眼下、対岸の崖や崩落地の上部にミヤマツツジの咲いているのが見えるのだ。
 赤倉沢の源頭にはまだ深い残雪があり、そこから解けだした流水は「滝」をなし、深淵からごうごうという音を運んでくれる。ときおり、沢からは雲が登ってくるが、その音は消えることもない。雲が霧消すると、艶やかな薄紫の花の乱舞がそこにあるのである。
 「阿波野青畝」の句を借りて「岩木峰のみやまつつじの中の滝」とすると、この「大開」で味わえる風情を一挙に「俳句」にしてしまうことが出来るのである。

 ところで、「ツツジ(躑躅)」の語源だが…
①連なって花が咲く・続き咲きということ。
②花が筒状になっている・筒咲きということ。
③躑躅は足踏みをして佇むの意から「美しさに見とれて佇んでしまう」こと。
…だと言われている。

 昨日はNHK青森放送局のY報道カメラマンと助手に同行して、「赤倉登山道」を登る予定だった。しかし、朝の5時に「延期」の知らせがあった。数日前から「風邪気味」で「今日は登山の出来る体調ではない」が延期の理由である。
 14日の登山は、後付けの理由だが、そのための「下調べ」という要素もあった。19日に変更になった。花の撮影のためなのだが、「赤倉登山道」にテレビクルーが入るということは最初かも知れない。
 来週の夕方6時台に放映される予定だから、どのような視点で「撮られる」ものかと今から楽しみである。