(今日の写真はミズキ科アオキ属の常緑低木である「ヒメアオキ(姫青木)」である。果実成熟期が11~12月とされているから「積雪」がないと、今頃、その美しい光沢ある赤い実を森の中の至るところで見られるのである。北海道南部から本州の主として日本海側に分布している。青森県では八甲田山系の一部でも見ることが出来る。
幹は下から分かれて出て、いくらか匍匐している。葉は光沢があり、厚い質で対生する。先は鋭く尖り、縁に粗いまばらな鋸歯を持っている。4~5月に枝先に多数の「紫褐色」の花が集まってつく。この「色具合」には非常な高貴さが漂う。花弁は4~5枚。雌株に咲く雌花の中央には大きな雌しべが一つ、雄株の雄花には雄しべが4~5本、雄花の方が可憐に見える。樹林帯の薄暗いところで星形の美しい小さな花を咲かせていることが多い。
「アオキ」に比べ葉は小形で光沢がある。鋸歯も浅くにぶく、「アオキ」よりも小形で全体としても小型だ。これが「ヒメアオキ」の由来である。「アオキ」という名前の由来は「一年中青々としていること」である。若葉の葉柄には微毛がある(アオキは無毛)。枝の先ではやや輪生になる。雌雄異種で枝は青い。)
■■私はもはや「単独行」登山者ではない・2007年11月23日岩木山松代登山道尾根を登る(4)■■
(承前)
「トップ」を交代して、東寄りに移動を始める。間もなく目的とする「登山道兼水源管理施設補修道」の上に出た。やはり、どのような「道」でも「藪のない地面」が最下層の積雪を支えている所が、「埋まり方」が多少は少ない。いくらか「トップ」でも「楽」になってきた。
そのことにいち早く気づき、実感しているのは、さっきまで「トップ」で「苦行難行」のラッセルを続けていた後続するTさんだ。
そのTさんが言う。「トップと2番手では天国と地獄の違いですね。まるで人工的な階段を上っているのと同じです。」
その時登っていた場所は、最下層の積雪を支えている所が堅い「登山道兼水源管理施設補修道」の「路面」である。そういう場所での2番手には確かに「階段」を上っているように感じられるだろう。
しかし、さっきまでの「深雪」「軟雪」「最下層が藪や木の枝」という所では2番手にあっては、とても「階段」とは意識されない。トップとあまり差のない「苦行」を味わうことになる。この場合は、「トップ」が受ける「負荷」を10とすれば2番手は6ぐらいの「負荷」になるだろう。
だが、5人以上のパーティ行動では、最下層の積雪を支えている所が堅く、膝まで埋まる程度の積雪の場合は、「ワカンラッセル」をする「トップ」の「負荷」を10とすれば2番手は3程度の「負荷」、3番手は2程度の「負荷」、4番手は1程度の「負荷」、ラストの5番手に至っては「負荷」は0である。
0ということは「自分の重量(自己体重、服装、装備、ザックなど)」を持ち上げて前進・登高するためだけに「エネルギー」を使えばいいということである。
その意味からも「無雪期」に「自分の重量(自己体重、服装、装備、ザックなど)」を支えるだけで精一杯の登山者や登山客には、冬山での「ワカンラッセル」は出来ない。単独では絶対に「冬山」には入れないということだ。
ただし、10人以上で「パーティ」を組んで、いつもラストやその一つ前のオーダー位置にいることが許されるならば「冬山」登山も可能だろう。まさに「階段を上る感覚」で登高が出来るからである。しかし、これでは「自助努力」が基本姿勢である「登山行為」ではなくなってしまう。「お助け紐」に繋がれて「運ばれている」ことに過ぎない「登山客」である。
30年ほど前に、私が所属する山岳会で冬の「剣岳」に登ったことがある。私は仕事の都合で参加できなかったのだが…
登頂に成功して帰ってきたメンバーに、早速「登頂成功おめでとう。よかったなあ」と「労(ねぎら)いの言葉」をかけたのである。私は「冬剣・登頂成功」の喜びを共有したかったのだ。そして、嬉々とした反応を期待した。
ところが、メンバーの誰にも「満足な面持ち」や「嬉々とした表情」が見えないのである。無言の時間が流れた後で、ようやくメンバーの一人が口を開いた。
そして言う…
「三浦さん、剣岳は岩木山に登るよりも数倍楽だったんですよ」。それに続いて別なメンバーが「登山口から山頂まで途切れることのない一本の踏み跡が付けられていました」と言う。また、別なメンバーが、それを承けて「踏み跡はコンクリートで出来た階段のようでした。私たちはその階段を上っただけです」と言う。
その後は、まるで堰を切ったように数人が…
「誰かが造った階段を、それに従って登って行ったらそこが頂上だったんです」「数十パーティで250人を越える人が登っているんです」「しかも一列で、脇に逸れる人はいない」「あれだと夏山の経験しかない人でも登れます」「ワカンなど着けて登ったことがない人でも大丈夫でしょう」など「気が抜けてしまいました」「がっかりです」「剣に向けてしてきた訓練は一体何だったのでしょう」「訓練が生かされたとは思いません」「あほくさい話しです」「笑い話にもなりません」「自尊心がすっかり傷つけられてしまいました」などと続けた。
憧れの「厳冬期の剣岳」に登ったものの、それは「他人が造った道、階段」に従わせられたものに過ぎなかったのである。メンバーは「お助け紐」に繋がれて「運ばれている」ことに過ぎない「登山客」であると「自分たち」をとらえていたのだ。これだと「登山」の実力はつかない。
そこには「山」を知っているものであればあるほど「満足感や達成感」は存在しない。ただ、どこそこの「山頂」に立ったという実績だけを追い求める「ピークハンター」にとっては「ピーク」だけが大事であり、「ピークに至るプロセスや方法」には意味がないわけだから「満足感や達成感」はあるかも知れない。
達成感の全くない「山行」は忘れ去られるものだ。その後、この「冬の剣岳」登頂は殆ど語られることはなかったのである。
私は常々、「登山とはそのプロセスにあり」と思っている。「山頂」とはその「プロセス」の通過点に過ぎない。「プロセス」を無視すれば「ヘリコプター」で山頂に降り立っても、それは「登頂」したことになるのである。
その日は登れども登れども雪の「積もり方」と「雪質」には殆ど変化がなかった。「水源管理施設」を過ぎた。その施設を取り巻いている鉄製の格子型の柵も殆ど雪に埋もれかかっていた。
登るに従う変化といえば、それはあくまで、気持ち的なものだけれど、若干「最下層」が堅くなってきたかという程度であった。この雪の状態は、その日引き返した「二子沼分岐の少し下部あたり」まで依然として変わらなかったのである。
Tさんは「登山とはそのプロセス」であるということを十分理解しただろう。「ワカンラッセル」の実態を実地で体験もした。
靴の外皮を通して感触される雪質の違いも、積もり方の違いも会得しただろう。時々足をとられて転倒もした。その時は顔を雪に突っ込んだはずだ。そして「雪」の匂いも嗅いだだろう。雪には匂いがあるのである。時には、両手で前にある雪を掻きだして進まねばならないこともあっただろう。
Tさんは「体で覚える」という言葉があることを改めて知っただろう。そして、それを実感し、すべてを体感し、経験したのである。Tさんは「登り始め」てから「下山」するまで「登山というプロセス」に主体的に「自分を置いた」のだ。
結局、その日の登山は、日帰りという時間的な制約から「二子沼分岐の少し下部」あたりで時間切れとなった。悔しいけれど、あまりにも深い積雪のため、「ラッセル」は辛く、登高スピードは遅く、「アルバイト」はきつく、距離が稼げなかったのである。予定の半分を越えた辺りまで登って引き返すことになった。時間は13時をかなりまわった頃だった。
登りの時に、鈴なりのまるで、果樹園のようにたくさんなっていた「ヤマブドウ畑」の下をくぐっていた。私たちは、そこを「潜る」ようにして過ぎた。「登山道」沿いなのにどうして、誰にも採取されないで残っているのだろうと訝しい思いであった。しかし、その「謎」は帰りに直ぐ解けた。
ブドウ蔓はかなりの高い木の枝に絡まっていたのだ。雪がない時は、ハシゴをかけて登るか、ロープを引っかけて手元に寄せない限り、採取は難しい。雪が積もっていてもその二つの方法で採ることは難しいだろう。
今、私たちの直ぐ手元に「ブドウ」の房が垂れ下がっているのは、木の枝やブドウ蔓に堆積した雪の所為である。堆積した雪の重みで圧し下げられたのである。
摘んで食べてみる。果汁は柔らかく凍っていた。口に含んで、解凍してから軽く噛むと、甘酸っぱい漿液が口いっぱいに広がった。Tさんは「採って帰って、今日のお土産にする」と言って、ビニール袋を取り出した。
私も一緒になって採取した。瞬く間にビニール袋はいっぱいになった。
(この稿は今日で終わる。明日は23日の登山と関連づけて23日に北海道十勝連峰・上ホロカメットク山:標高1920mで起きた表層雪崩とその事故のことについて書く。)
幹は下から分かれて出て、いくらか匍匐している。葉は光沢があり、厚い質で対生する。先は鋭く尖り、縁に粗いまばらな鋸歯を持っている。4~5月に枝先に多数の「紫褐色」の花が集まってつく。この「色具合」には非常な高貴さが漂う。花弁は4~5枚。雌株に咲く雌花の中央には大きな雌しべが一つ、雄株の雄花には雄しべが4~5本、雄花の方が可憐に見える。樹林帯の薄暗いところで星形の美しい小さな花を咲かせていることが多い。
「アオキ」に比べ葉は小形で光沢がある。鋸歯も浅くにぶく、「アオキ」よりも小形で全体としても小型だ。これが「ヒメアオキ」の由来である。「アオキ」という名前の由来は「一年中青々としていること」である。若葉の葉柄には微毛がある(アオキは無毛)。枝の先ではやや輪生になる。雌雄異種で枝は青い。)
■■私はもはや「単独行」登山者ではない・2007年11月23日岩木山松代登山道尾根を登る(4)■■
(承前)
「トップ」を交代して、東寄りに移動を始める。間もなく目的とする「登山道兼水源管理施設補修道」の上に出た。やはり、どのような「道」でも「藪のない地面」が最下層の積雪を支えている所が、「埋まり方」が多少は少ない。いくらか「トップ」でも「楽」になってきた。
そのことにいち早く気づき、実感しているのは、さっきまで「トップ」で「苦行難行」のラッセルを続けていた後続するTさんだ。
そのTさんが言う。「トップと2番手では天国と地獄の違いですね。まるで人工的な階段を上っているのと同じです。」
その時登っていた場所は、最下層の積雪を支えている所が堅い「登山道兼水源管理施設補修道」の「路面」である。そういう場所での2番手には確かに「階段」を上っているように感じられるだろう。
しかし、さっきまでの「深雪」「軟雪」「最下層が藪や木の枝」という所では2番手にあっては、とても「階段」とは意識されない。トップとあまり差のない「苦行」を味わうことになる。この場合は、「トップ」が受ける「負荷」を10とすれば2番手は6ぐらいの「負荷」になるだろう。
だが、5人以上のパーティ行動では、最下層の積雪を支えている所が堅く、膝まで埋まる程度の積雪の場合は、「ワカンラッセル」をする「トップ」の「負荷」を10とすれば2番手は3程度の「負荷」、3番手は2程度の「負荷」、4番手は1程度の「負荷」、ラストの5番手に至っては「負荷」は0である。
0ということは「自分の重量(自己体重、服装、装備、ザックなど)」を持ち上げて前進・登高するためだけに「エネルギー」を使えばいいということである。
その意味からも「無雪期」に「自分の重量(自己体重、服装、装備、ザックなど)」を支えるだけで精一杯の登山者や登山客には、冬山での「ワカンラッセル」は出来ない。単独では絶対に「冬山」には入れないということだ。
ただし、10人以上で「パーティ」を組んで、いつもラストやその一つ前のオーダー位置にいることが許されるならば「冬山」登山も可能だろう。まさに「階段を上る感覚」で登高が出来るからである。しかし、これでは「自助努力」が基本姿勢である「登山行為」ではなくなってしまう。「お助け紐」に繋がれて「運ばれている」ことに過ぎない「登山客」である。
30年ほど前に、私が所属する山岳会で冬の「剣岳」に登ったことがある。私は仕事の都合で参加できなかったのだが…
登頂に成功して帰ってきたメンバーに、早速「登頂成功おめでとう。よかったなあ」と「労(ねぎら)いの言葉」をかけたのである。私は「冬剣・登頂成功」の喜びを共有したかったのだ。そして、嬉々とした反応を期待した。
ところが、メンバーの誰にも「満足な面持ち」や「嬉々とした表情」が見えないのである。無言の時間が流れた後で、ようやくメンバーの一人が口を開いた。
そして言う…
「三浦さん、剣岳は岩木山に登るよりも数倍楽だったんですよ」。それに続いて別なメンバーが「登山口から山頂まで途切れることのない一本の踏み跡が付けられていました」と言う。また、別なメンバーが、それを承けて「踏み跡はコンクリートで出来た階段のようでした。私たちはその階段を上っただけです」と言う。
その後は、まるで堰を切ったように数人が…
「誰かが造った階段を、それに従って登って行ったらそこが頂上だったんです」「数十パーティで250人を越える人が登っているんです」「しかも一列で、脇に逸れる人はいない」「あれだと夏山の経験しかない人でも登れます」「ワカンなど着けて登ったことがない人でも大丈夫でしょう」など「気が抜けてしまいました」「がっかりです」「剣に向けてしてきた訓練は一体何だったのでしょう」「訓練が生かされたとは思いません」「あほくさい話しです」「笑い話にもなりません」「自尊心がすっかり傷つけられてしまいました」などと続けた。
憧れの「厳冬期の剣岳」に登ったものの、それは「他人が造った道、階段」に従わせられたものに過ぎなかったのである。メンバーは「お助け紐」に繋がれて「運ばれている」ことに過ぎない「登山客」であると「自分たち」をとらえていたのだ。これだと「登山」の実力はつかない。
そこには「山」を知っているものであればあるほど「満足感や達成感」は存在しない。ただ、どこそこの「山頂」に立ったという実績だけを追い求める「ピークハンター」にとっては「ピーク」だけが大事であり、「ピークに至るプロセスや方法」には意味がないわけだから「満足感や達成感」はあるかも知れない。
達成感の全くない「山行」は忘れ去られるものだ。その後、この「冬の剣岳」登頂は殆ど語られることはなかったのである。
私は常々、「登山とはそのプロセスにあり」と思っている。「山頂」とはその「プロセス」の通過点に過ぎない。「プロセス」を無視すれば「ヘリコプター」で山頂に降り立っても、それは「登頂」したことになるのである。
その日は登れども登れども雪の「積もり方」と「雪質」には殆ど変化がなかった。「水源管理施設」を過ぎた。その施設を取り巻いている鉄製の格子型の柵も殆ど雪に埋もれかかっていた。
登るに従う変化といえば、それはあくまで、気持ち的なものだけれど、若干「最下層」が堅くなってきたかという程度であった。この雪の状態は、その日引き返した「二子沼分岐の少し下部あたり」まで依然として変わらなかったのである。
Tさんは「登山とはそのプロセス」であるということを十分理解しただろう。「ワカンラッセル」の実態を実地で体験もした。
靴の外皮を通して感触される雪質の違いも、積もり方の違いも会得しただろう。時々足をとられて転倒もした。その時は顔を雪に突っ込んだはずだ。そして「雪」の匂いも嗅いだだろう。雪には匂いがあるのである。時には、両手で前にある雪を掻きだして進まねばならないこともあっただろう。
Tさんは「体で覚える」という言葉があることを改めて知っただろう。そして、それを実感し、すべてを体感し、経験したのである。Tさんは「登り始め」てから「下山」するまで「登山というプロセス」に主体的に「自分を置いた」のだ。
結局、その日の登山は、日帰りという時間的な制約から「二子沼分岐の少し下部」あたりで時間切れとなった。悔しいけれど、あまりにも深い積雪のため、「ラッセル」は辛く、登高スピードは遅く、「アルバイト」はきつく、距離が稼げなかったのである。予定の半分を越えた辺りまで登って引き返すことになった。時間は13時をかなりまわった頃だった。
登りの時に、鈴なりのまるで、果樹園のようにたくさんなっていた「ヤマブドウ畑」の下をくぐっていた。私たちは、そこを「潜る」ようにして過ぎた。「登山道」沿いなのにどうして、誰にも採取されないで残っているのだろうと訝しい思いであった。しかし、その「謎」は帰りに直ぐ解けた。
ブドウ蔓はかなりの高い木の枝に絡まっていたのだ。雪がない時は、ハシゴをかけて登るか、ロープを引っかけて手元に寄せない限り、採取は難しい。雪が積もっていてもその二つの方法で採ることは難しいだろう。
今、私たちの直ぐ手元に「ブドウ」の房が垂れ下がっているのは、木の枝やブドウ蔓に堆積した雪の所為である。堆積した雪の重みで圧し下げられたのである。
摘んで食べてみる。果汁は柔らかく凍っていた。口に含んで、解凍してから軽く噛むと、甘酸っぱい漿液が口いっぱいに広がった。Tさんは「採って帰って、今日のお土産にする」と言って、ビニール袋を取り出した。
私も一緒になって採取した。瞬く間にビニール袋はいっぱいになった。
(この稿は今日で終わる。明日は23日の登山と関連づけて23日に北海道十勝連峰・上ホロカメットク山:標高1920mで起きた表層雪崩とその事故のことについて書く。)