岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

秋、西目屋からの岩木山 / 「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」

2010-10-09 06:41:13 | Weblog
 (今日の写真は、「青森県中津軽郡西目屋村」から見える岩木山である。西目屋村は「中津軽郡」という行政区割で唯一の「自治体」である。かつては、相馬村と岩木町が中津軽郡であった。岩木山と西目屋村は地縁的につながっている。岩木山の南西山麓が「境界線」となっている。私は、岩木山に出かけて、知らないままに「西目屋村」に入っていることがたびたびある。

 岳温泉から湯段にかけての山麓は緩やかな湿地が続く。だが、湿原ではない。最近は別荘地などが出来て「私有地」化しているので、どこでも歩けるという自由はなくなったが、それでも辿れないわけではない。
 湿地性の植物が特別多く人手が殆ど入っていない場所は「陸上自衛隊弘前駐屯地」の演習場である。日常的に「入ることは禁止」されていることが、「盗掘」を防いでいるようで「ミズチドリ」など「ラン科」の植物も多い。「侵入禁止」だが、踏み跡を辿っていると、知らないうちに入り込んでいることがある。また、演習地内の舗装されていない道を辿っていくと、西目屋村の大秋地区上部に出る。この辺りは岩木山の下端だ。「コアニチドリ」に出会ったのはそのような時だった。)

◇◇「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」◇◇

 私は9月8日のブログ「余録:『65年後』の昔と今」に思うの中で、NHK大河ドラマ「龍馬伝」について、つぎのように言及した。

 …そして、明治維新から歩んだ65年間の歴史を問い直す戦後の65年目にNHKは、その「龍馬」を美化するようなドラマを作った。「富国強兵」と「覇権を握るための国策」の先駆者である「龍馬」は1945年の日本を「零敗」に導いた先駆者でもある。歴史的に見ると「龍馬」の考え方は「間違い」だったのである。
 (龍馬はあの時代で消えた人物である。それを覇権主義者や軍国主義者たちの中には巧みに利用した者もいた。NHKが龍馬伝というドラマを描くにあたって、登場人物の「龍馬」に、「このままでは日本は外国に食い物にされる」、「外国の植民地にならないよう、強い国家を作らねばならない」というセリフを何回も何回も言わせる。
 明治維新から65間年の歴史は、将にこの路線を突っ走ってきた。そして、日本は「零敗」という辛酸を浴びて舐めた。1945年から2010年までの65年間は、いってみれば、この「65年間」に反省を加える歴史であり、2010年はその集大成、1つの帰結点を見いだす年であるはずだった。
 だが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」は、その逆なのであった。一足飛びに110年前に逆戻りをしているのである。
 「NHK」は民間の放送メデアとは「違う」役目や目的があるはずである。何よりも公正さが求められるはずだろう。とりわけ、歴史的な公正さは重要だ。これが、「龍馬伝」には欠けているし、歴史に対しての反省的な「謙虚さ」がない。
 作る側、つまり、デレクターだけの責任ではあるまい。「視聴率」という妖怪にすっかり「正気」を抜かれている「NHK」のピンからキリまでの姿勢がここに現れているのではないか。)()は補足した部分である。
 歴史の中の「1人の人物に焦点を当てる描き方」では、大きな過ちは国民に見えないものだ。戦後65年、反省すべき時なのにその姿勢に欠けるという点では、「龍馬」をCGと鳴り物入りで美化しているNHKには、重大な責任があると言えるのではないか。ただ、ドラマとしてだけ見ている国民が多い場合には、その責任を問われることはないだろうが…。と書いた。

 このようなことを、連れあいに話したら、「そんなことどうでもいいでしょう。みんな面白く観ているのだから…」と言われた。私は、黙りこくってしまった。このように捉えるのは私だけなのだろうかと考えたからである。

 ところで、朝日新聞10月5日の「オピニオン 異議あり」に登場したのは高知出身の精神科医・評論家 野田正彰さん(66)だった。
 表題は「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」であり、副題は「軍国主義に利用された過去も。勝手な使い方はもうやめよ」である。
 これを読んで、私は凄く嬉しかった。私と考え方を同じにする人がいたということ、さらに、私が知っていなかったこともあり、それを知ることで、私の考え方が間違いでなかったということを確認出来たからである。

 客観的にみると「竜馬」という人物は魅力的である。だが、それは、自己帰結のない、いわばプロセス途上にある人物の魅力である。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」は、そこにだけ注力すべきであった。そして、それらは「個人的な立身出世欲や金銭欲が無い人物」、「時代を読む先見性ある人物」、「行動力のある人物」、「相手の懐に単身飛び込んで、信頼を得る力ある人物」、「その力で人と人、組織と組織を結びつける調整力ある人物」として描かれてはいる。(明日に続く)

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