(今日の写真は1月9日に百沢尾根で出会った角榛「ツノハシバミ」(?)の雄花である。(?)マークをつけたのは「定かでない」ということだ。私はそう思っているが間違いかも知れない。雪のない時季に「生えている場所」を確認していたので、恐らくあっているとは思うのだが、「絶対」そうだとは言い切れない。これは「姥石」の近くで撮ったものだ。)
これはカバノキ科の低木で2mほどになる。標高700m辺りまで生えている。樹下に積雪を置いて雌花をつける。雄花は夏から芽を出して長くなって下垂して冬を越す。
「ツノハシバミ」は北海道、本州、四国、九州に分布している。夏緑広葉樹林やアカマツ林などの「明るい二次林の林床や林縁」や通称「ヤブ山」の日当たりのいい場所に生育している。
雌花は4月、残雪がところどころにある時季に、葉が出る前に開く。雌花序は、鱗片の間から「濃い紅色の柱頭」だけが出ていて鮮やかだが可憐である。
それとは対照的なのが雄花や雄花序であり、まったく地味な褐色をしている。
果実は10月に熟し、「くちばし状」に長く伸びた特徴ある形となり、これが名前の由来にもなっている。
殻には全体に刺毛が密生しているので、素手で採取すると「チカチカ」と刺さる痛みを感じる。
世界には約20種あるという。日本には榛(ハシバミ)と角榛(ツノハシバミ)の2種がある。この2種は「日本の特産種」といってもいいそうだ。
4、50年前には榛が里山でもよく見られたが最近は滅多に見られなくなった。目にすることが出来るのは、かろうじて角榛である。
ツノハシバミの雌花は、まるで「生命をいっぱい貯えているものが示す恥じらいと慎み深さにはにかむ山里の乙女」である。
その実際はこうなのだ…。花の足許はまだ積雪で覆われれている。小さい花だが生命をいっぱい貯えているものが示す恥じらいと慎み深さにはにかむ山里の乙女と言えるかも知れない。懐かしさと忘れえぬ味を運ぶ昔日に、豊穣の命がびっしりと詰まっているような実、これが未来へと永遠の命をつないでいくのである。
少年の頃、食べた記憶にはもう一種の「ハシバミ」がある。これはカバノキ科ハシバミ属の落葉低木「榛」である。「オオハシバミ」のことだ。
残念ながら「岩木山」ではまだ出会っていない。決して「自生」していないわけではないのだ。ただ単純に「出会う」機会がないだけだろう。
私は小学校の高学年や中学生の頃に、よく「野遊び」に出かけたものだ。
その行き先は久渡寺山の北東麓や旧陸軍が使用していた「水源地」周辺のヤブ山だった。そこには、高さが2~3mほどで、ほぼ円形で先端が急にとがって、紫色の斑(ふ)が入った葉をつけた雌雄同株の「ハシバミ」が沢山自生していたのである。
春になると小花が穂状につき、雄花は黄褐色、雌花は紅色だった。ツノハシバミの花に似ている。
秋が待ち遠しかった。そして、秋になると勇んで出かけたものである。お目当ては「ハシバミ」の実である。ツノハシバミと同じように堅い果実であった。
だが、ハシバミの堅果は「葉のような総苞(そうほう)」で下部が包まれていた。そして3cmほどと大きく、形も扁平であり、円錐形の小さな栗を思わせるようなツノハシバミの実とは違っていた。
とにかく食べると美味しかった。この美味しさは今でも、記憶の底に残っていて、いつでも思い出すことが出来るのだ。ハシバミは、ヘーゼルナッツの近縁で堅果は食用となるのだ。
別名を、葉が「オヒョウ」に似ていることから「オヒョウハシバミ」という。
これは北海道から本州、九州に分布している。「オヒョウ」はニレ科ニレ属の落葉高木で、日本列島から東北アジアの山地に分布する。北海道に多いと言われている。
西洋では、「ヘーゼルナッツ」というと童話や物語に出てくる懐かしい素材であり、「ハシバミ」は愛と豊穣のシンボルである。
ヨーロッパでは「ハシバミ」の枝は「占い棒に適している」と考えられてきたそうだ。そして、「ハシバミ」は「魔法の杖」として昇華したのである。
ギリシャ神話ではヘルメスがアポロから授かった「ハシバミの杖」で人々の心や体の病を癒やしたのである。医学の象徴が「ハシバミの魔法の杖と2匹の蛇」からなっているのはそのことに因るのである。蛇が絡みついている杖が「ハシバミ」なのだ。
グリム童話の「灰かぶり」では、この「ハシバミの若枝」が不幸な末娘の運命を変える。
イソップ童話には「少年とハシバミの実」というのがある。ある欲張りな少年が、ハシバミの実がたくさん入った壷に手を突っ込んで、ハシバミの実をつかめるだけつかんだ。
しかし、壷から手を抜こうとして途中で手が引っかかり、抜けなくなってしまった。
「どうしよう。手がぬけないよー」困った少年が涙を流しながら泣いていると、側にいた人が言った。
「半分で我慢しなさい。そうすれば、すぐに抜けるよ」
さて、その昔、私が少年の頃にあれほどあった「ハシバミ」がどうしてなくなってしまったのだろう。
その理由は簡単だ。それは「ハシバミ」の木がなくなったことだ。ハシバミの生えていた場所があるものに「奪われ」てしまったからである。
「奪った」ものは「リンゴ」である。かつてのヤブ山や里山は、すっかり「リンゴ園地」となってしまった。私が少年期に通い続けた里山はすべて「リンゴ園地」となってしまった。
西洋では「ハシバミ」は愛と豊穣のシンボルであり、医学の象徴として「ハシバミの魔法の杖と2匹の蛇」を形取る。
「愛と豊穣、医学」を示す「ハシバミ」を伐採し尽くして、リンゴ園に変えてしまうことが、どれほど罰当たりなことなのかと考えた人たちが一人もいなかったとすれば、それはやはり、民度として文化や精神風土的に貧しい地域と言わざるを得ない。
また、「ハシバミ」の人為的な絶滅は「精神風土」の消滅の一形態でもあろう。最近では、住宅地の拡大による里山の減少も、「ハシバミ」絶滅に拍車をかけている。
「ハシバミ」の花言葉は実にいい。「仲直り・真実・調和・直感・和解・一致」である。これを知ったら「伐採」しつくすことなぞ、私にはとても出来ない。
これはカバノキ科の低木で2mほどになる。標高700m辺りまで生えている。樹下に積雪を置いて雌花をつける。雄花は夏から芽を出して長くなって下垂して冬を越す。
「ツノハシバミ」は北海道、本州、四国、九州に分布している。夏緑広葉樹林やアカマツ林などの「明るい二次林の林床や林縁」や通称「ヤブ山」の日当たりのいい場所に生育している。
雌花は4月、残雪がところどころにある時季に、葉が出る前に開く。雌花序は、鱗片の間から「濃い紅色の柱頭」だけが出ていて鮮やかだが可憐である。
それとは対照的なのが雄花や雄花序であり、まったく地味な褐色をしている。
果実は10月に熟し、「くちばし状」に長く伸びた特徴ある形となり、これが名前の由来にもなっている。
殻には全体に刺毛が密生しているので、素手で採取すると「チカチカ」と刺さる痛みを感じる。
世界には約20種あるという。日本には榛(ハシバミ)と角榛(ツノハシバミ)の2種がある。この2種は「日本の特産種」といってもいいそうだ。
4、50年前には榛が里山でもよく見られたが最近は滅多に見られなくなった。目にすることが出来るのは、かろうじて角榛である。
ツノハシバミの雌花は、まるで「生命をいっぱい貯えているものが示す恥じらいと慎み深さにはにかむ山里の乙女」である。
その実際はこうなのだ…。花の足許はまだ積雪で覆われれている。小さい花だが生命をいっぱい貯えているものが示す恥じらいと慎み深さにはにかむ山里の乙女と言えるかも知れない。懐かしさと忘れえぬ味を運ぶ昔日に、豊穣の命がびっしりと詰まっているような実、これが未来へと永遠の命をつないでいくのである。
少年の頃、食べた記憶にはもう一種の「ハシバミ」がある。これはカバノキ科ハシバミ属の落葉低木「榛」である。「オオハシバミ」のことだ。
残念ながら「岩木山」ではまだ出会っていない。決して「自生」していないわけではないのだ。ただ単純に「出会う」機会がないだけだろう。
私は小学校の高学年や中学生の頃に、よく「野遊び」に出かけたものだ。
その行き先は久渡寺山の北東麓や旧陸軍が使用していた「水源地」周辺のヤブ山だった。そこには、高さが2~3mほどで、ほぼ円形で先端が急にとがって、紫色の斑(ふ)が入った葉をつけた雌雄同株の「ハシバミ」が沢山自生していたのである。
春になると小花が穂状につき、雄花は黄褐色、雌花は紅色だった。ツノハシバミの花に似ている。
秋が待ち遠しかった。そして、秋になると勇んで出かけたものである。お目当ては「ハシバミ」の実である。ツノハシバミと同じように堅い果実であった。
だが、ハシバミの堅果は「葉のような総苞(そうほう)」で下部が包まれていた。そして3cmほどと大きく、形も扁平であり、円錐形の小さな栗を思わせるようなツノハシバミの実とは違っていた。
とにかく食べると美味しかった。この美味しさは今でも、記憶の底に残っていて、いつでも思い出すことが出来るのだ。ハシバミは、ヘーゼルナッツの近縁で堅果は食用となるのだ。
別名を、葉が「オヒョウ」に似ていることから「オヒョウハシバミ」という。
これは北海道から本州、九州に分布している。「オヒョウ」はニレ科ニレ属の落葉高木で、日本列島から東北アジアの山地に分布する。北海道に多いと言われている。
西洋では、「ヘーゼルナッツ」というと童話や物語に出てくる懐かしい素材であり、「ハシバミ」は愛と豊穣のシンボルである。
ヨーロッパでは「ハシバミ」の枝は「占い棒に適している」と考えられてきたそうだ。そして、「ハシバミ」は「魔法の杖」として昇華したのである。
ギリシャ神話ではヘルメスがアポロから授かった「ハシバミの杖」で人々の心や体の病を癒やしたのである。医学の象徴が「ハシバミの魔法の杖と2匹の蛇」からなっているのはそのことに因るのである。蛇が絡みついている杖が「ハシバミ」なのだ。
グリム童話の「灰かぶり」では、この「ハシバミの若枝」が不幸な末娘の運命を変える。
イソップ童話には「少年とハシバミの実」というのがある。ある欲張りな少年が、ハシバミの実がたくさん入った壷に手を突っ込んで、ハシバミの実をつかめるだけつかんだ。
しかし、壷から手を抜こうとして途中で手が引っかかり、抜けなくなってしまった。
「どうしよう。手がぬけないよー」困った少年が涙を流しながら泣いていると、側にいた人が言った。
「半分で我慢しなさい。そうすれば、すぐに抜けるよ」
さて、その昔、私が少年の頃にあれほどあった「ハシバミ」がどうしてなくなってしまったのだろう。
その理由は簡単だ。それは「ハシバミ」の木がなくなったことだ。ハシバミの生えていた場所があるものに「奪われ」てしまったからである。
「奪った」ものは「リンゴ」である。かつてのヤブ山や里山は、すっかり「リンゴ園地」となってしまった。私が少年期に通い続けた里山はすべて「リンゴ園地」となってしまった。
西洋では「ハシバミ」は愛と豊穣のシンボルであり、医学の象徴として「ハシバミの魔法の杖と2匹の蛇」を形取る。
「愛と豊穣、医学」を示す「ハシバミ」を伐採し尽くして、リンゴ園に変えてしまうことが、どれほど罰当たりなことなのかと考えた人たちが一人もいなかったとすれば、それはやはり、民度として文化や精神風土的に貧しい地域と言わざるを得ない。
また、「ハシバミ」の人為的な絶滅は「精神風土」の消滅の一形態でもあろう。最近では、住宅地の拡大による里山の減少も、「ハシバミ」絶滅に拍車をかけている。
「ハシバミ」の花言葉は実にいい。「仲直り・真実・調和・直感・和解・一致」である。これを知ったら「伐採」しつくすことなぞ、私にはとても出来ない。