岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「東北自然保護の集い」講演・報告を考える / 風力発電事業も環境アセスの対象

2009-11-30 05:27:50 | Weblog
 (今日の写真は福島県猪苗代町で開催された第30回東北自然保護の集いの「開会行事の一コマ」である。挨拶しているのは福島県自然保護協会会長星さんだ。
 この挨拶の後、写真の右側に見える「垂れ幕」表記の「八千メートル峰に見る温暖化」という演題で保坂さんが記念講演をした。
 それから、現地報告ということで、「尾瀬における保護対策と課題」、「風力発電の諸問題」、「猪苗代湖の水質悪化と改善の取り組み」、「深刻化するブナ・ナラ枯れの現状」、「日本の天然林を守る活動」という「盛り沢山」の報告が続いた。しかも、「オーバーヘッドプロジェクター」を使った「パワーポイント」による画像を使ってのものだった。まるで、「画像のラッシュアワー」であった。)

◇◇「東北自然保護の集い」講演・報告を考える ◇◇

 「八千メートル峰に見る温暖化」という講演は「看板倒れ」であったと思う。私も、7500mの高峰に登った経験があるので、「高所登山」という観点で、「登山者」という視点で見る限り、聴く限りでは、それなりの内容で「面白くもあり、ためにもなる」ものではあった。
 だが、視聴してくれる対象者を誤ったのではないかと思うのだ。ここで示された画像や内容は、あくまでも「高所登山」に関心のある「登山者」にとっては興味のあるものだったのではないか。
 だが、目の前にいる人たちは「自然保護に関心があり、実際、自然保護活動をしている人たち」である。中には、私のように「高所登山」の経験がある者もいよう。しかし、その数は非常に少ないはずである。
 
 私はこの「講演(?)」を聴いて、見て、これは「山行報告会」向けに作られたものではないかと思った。実は私も山行(登山)報告会をした経験があるが、このようなものであった。当時は「オーバーヘッドプロジェクター」も「パワーポイント」もなかったので、スライドを交えたものであったが、その構成や内容は保坂さんのそれとそっくりであったような気がする。
 だから、「演題」は「八千メートル峰に見る温暖化」でなく、「八千メートル峰K2登山の報告」か「八千メートル峰K2登山敗退を語る」というものでよかったのだ。もっと正直に率直な「演題」とすれば、それなりに理解して聴くことが出来たはずなのだ。
 だが、「…見る温暖化」とするから「温暖化」に、とりわけ、敏感な「自然保護に関わっている人たち」なのだから、講演内容の中心や基本に「温暖化」を置いてしまい、それを聞き取ろう、確かめようとするのだ。
 しかし、一向に「八千メートル峰」における「温暖化」の話しや画像は出てこない。このルートを辿ったとか、このようなアクシデントが起きたとか、このような花が咲いていたとかという「ことがら」が延々と続くのである。
 確かに、登山報告会で高所登山に興味のある者にとっては「有意義」であり、有益な内容ではある。特に、後々「登頂」を目指す者にとっては「たまらないほどいい」話しであるにはちがいない。
しかし、「自然保護」とは結びつかない。結びつくとすれば「八千メートル峰」という高所に残置された「登山者のゴミ」であろうか。

 物足りない思いで「八千メートル峰に見る温暖化」を聴いた参加者には次の本を読むことを勧めたい。
 少し古いが「温暖化」は「局所」ほど早くその影響を受けるので、古くても大丈夫だろう。それは、岩波新書版で小野有五著の「ヒマラヤで考えたこと」である。きっと「物足りなさ」を十分補ってくれるものであるはずだ。

◇◇ 風力発電事業も環境アセスの対象 ◇◇

 昨日、帰宅してから、NHKテレビでニュースを見ていたら「風力発電事業も環境アセスの対象にする」ということが放映されていた。
 前日に浅田正文さんの「風力発電の諸問題」を聴いていたので、特別このニュースには関心がいった。
 浅田さんの話しは、まさに「風力発電の諸問題」であり、その問題点を「現地・現場」に即して的確に指摘していたのである。
 私は自分の不勉強と不明を深く恥じた。そして、深い悔恨の情に囚われた。それは、これら「諸問題」をもっと早く知っていたら、岩木山の「風力発電所」計画への対応がもっと違っていただろう、もっと厳格に対応出来たのではないかということであった。私は深く、浅田さんに感謝した。浅田さんが提起した「諸問題」をさらに学習して、それらを踏まえて、これから設置計画を持っている会社と交渉等への対策を考えたいと、強く思ったのである。

 ニュースを見た後で、朝日新聞電子版にアクセスしたら、「風力発電事業も環境アセスの対象にする」という記事が載っていた。しかも、2009年11月27日である。
 私は、この掲載に気づかなかった。これに気づき読んでいたら、28日と29日の討論もかなり、弾みがついて方向性や見通しが見えてきたであろう。実に残念なことであった。
 それでは、次にその記事を掲げてみよう。

「風力発電事業も環境アセスの対象に専門委が中間報告」

 …環境影響評価(アセスメント)法の見直しを進めている中央環境審議会の専門委員会は27日、アセス対象事業として風力発電所の追加などを求める中間報告を提示した。早ければ年明けにもまとめる最終報告を受け、小沢鋭仁環境相は通常国会で改正法案の提出をめざす考えだ。

 環境省によると、風力発電所は1990年代以降に建設が本格化し、2008年度末現在で計1517基(総設備容量185万キロワット)が設置されている。最近では9割近くが1千キロワット級以上と大型化が進んでおり、一部の地域で騒音や低周波音への苦情が出ている。

 こうした現状を受け専門委の中間報告は、自治体が条例でアセスを義務づけたり、事業者が自主的に実施したりしている場合もあるものの、規模や評価項目にばらつきがあると指摘。環境影響評価法の対象事業として国がアセスの方法を統一する必要があると判断した。

 中間報告はこのほか、公有水面埋め立て事業のように自治体が許認可権を持つ事業のアセスにも環境相が意見を表明する仕組みや、評価書類の電子データ化による公開などの必要性も指摘した。…

第30回東北自然保護の集いがはじまる(2)

2009-11-29 04:19:58 | Weblog
 (今日の写真は「もみじ」の紅葉である。黒石市中野のもみじである。今年写したものだ。
 福島県耶麻郡猪苗代町中の沢温泉では、まだ、このような紅葉に出会えるかも知れない。ひょっとした落ちてしまっているかも知れない。そんな思いを胸に秘めて、私は出かけるのである。)

◇◇ 第30回東北自然保護の集いがはじまる(2) ◇◇

 私が本会の事務局長になってから、毎年この「東北自然保護の集い」に参加している。特に2005年には本会が主宰して岩木山の麓で「岩木山大会」を開催した。
 参加する度に「青森県からの報告」ということで、文書を作って報告してきた。だが、今回はそのようなことをしなくて済んだ。
 私は討論に参加し、他県の情報に耳を傾ければいいだけなのである。この28~29日に、もし私も「報告」することになっていたら、大変だった。
 今回は、一緒に参加する竹浪純さんの「報告文書」に目はとおしたものの、原稿作りから印刷まで、すべて「任せきり」で、つまり「他人」に任せきりで「東北自然保護の集い」に参加することになった。
 このようなことは初めてのことである。ずいぶんと楽をさせてもらった。しかも、竹浪さんの自動車に便乗ということで、「運転手付き」で参加という贅沢なものになった。
 報告もし、運転して「私」を運ぶ役割の彼には、本当に申し訳のないことだと思っている。
 さて、竹浪さんが報告する「ぶなふれあいの径」伐採木に関する報告だが、参加出来ない人に、このブログで紹介したいと思う。次に掲げるが「経過」の部分は割愛してある。
 
        「利用者の安全を理由とした伐採行為を考える」

 概要
 津軽森林管理署が管理地内の巨木ぶな10本を危険木として伐採した。自然保護関係者から、伐採に対する疑問の声が出され、請願書を提出し対応を求めた。その結果、処理に当たっては事前に情報を公開し意見を聴取することとなった。
 その後、行政の危険木処理方針に対して市民が意見を述べることで、当初の計画を修正させるという具体的事例を得た。
 自然の保護と利用の間には、きめ細かな調整作業が必要である。今後のあるべき方向性を考えてみたい。

まとめ
 津軽森林管理署が行った巨木ぶなの伐採は、現場を見ればだれもが、なぜこれほどの木を切らなければならなかったのか、と憤りを示した。
 しかし、それではどうすればよかったのか、今後どうすればこういう事態は解消されるのか、ということでは、我々自身が、行政=お上のやり方には口を出せない、愚痴は言うが、主張する者に対してはその足を引っ張る、という風潮を克服する必要があると感じた。必要なのは建設的な意見と行動だ。
 伐採する側にはそれなりの論理や事情がある。とりわけ昨年の十和田湖での落枝事故問題で国が敗訴した結果、歩行者の安全を確保することが森林の管理者にとって大きな圧力になっていることは容易に想像できる。
 しかし一方、自然を守ろうとする我々にも、保護の思想があり保護するための知見が蓄積されている。これらの相反する思想、理屈をお互いに闘わせながら、一定の折り合いをつけ保護と利用が共存できるしくみが行政に欠如していること、これが、今回発生した問題の根源であろう。今回のぶな伐採問題でも、ことは自然保護区域でもなんでもない津軽森林管理署の管理区域での出来事であり、当然ながら環境省や県自然保護課の出る幕はなかった。
 しかし、市民の一人が声を上げ、請願という手段に及んだことでマスコミがそれを取り上げ、津軽森林管理署も一定市民の感覚に沿った対応をせざるを得なくなった。
 保護する場所を自然公園や世界遺産などとして空間的に区切り、場所に応じて担当する行政を割り当てるだけでは、自然破壊による生物多様性の減退を食い止めることはできない。

 今求められているのは、保護されている場所であるかどうかにかかわらず、保護する側と利用する側が日常的に意見を交換し、調整しあう、きめ細かな行政能力だと考える。
 これにより、保護する側は経済的な側面も含めて利用する側の意識や意図をより深いところで理解できるだろう。また利用する側は、道路の設置や刈り払いなど、自然に与えるインパクトがどれほど、自然の多様性を奪う結果となっているのかその影響をマクロ的な立場から見直すことができ、保護するものが持っている豊かな知見を活用することができるだろう。
 このような仕組み~保護する側と利用する側が日常的に意見を交換し調整しあう、きめ細かな行政~づくりをめざす者にとって、今回の津軽森林管理署の対応は、多くの現実的な制約がある中で、ごく小さい一歩ではあるが保護と利用が協調しあった事例であった。
 もちろん課題は山積している。我々が主張した伐採すべきでない、あるいはこのようにすれば伐採は避けられ安全も確保される、という意見に対する津軽森林管理署の公式の見解はない。
 意見はあくまでも意見であり協議ではないからだろう。協議の場となりえないことはそうしたしくみがないことからも当然とは言える。しかしこうした制約の中で、我々の意見を行政措置に取り入れた津軽森林管理署の姿勢は評価でき、我々の活動の中に小さな灯りがともった思いがする。
 行政が縦割りに作られている現実があり、利用、安全、保護の名のもとで行われている不当、過剰な自然破壊を少しでも食い止めるためには、市民自身が主権者として法に基づき意見を述べ、述べた分行動することがきわめて大事であろう。
 このような市民の草の根の活動がいずれは縦割り行政の壁を突き崩す。政治が変わり、より柔軟な相互浸透型、市民参画型の行政組織がつくりだされる中で、日本の自然保護運動はさらに前進するものと信じる。

第30回東北自然保護の集いがはじまる(1)

2009-11-28 03:21:30 | Weblog
 (今日の写真は、印刷物をコピーしたものだ。東北自然保護の集いが開かれる福島県耶麻郡猪苗代町中の沢温泉「中の沢花見屋」のパンフレットの一部分である。私は福島の「猪苗代町」に行くのは初めてである。
 かなり、山深いところであるらしい。それがまた魅力でもあろう。しかし、掲載されている道路地図を見ると、結構アクセスが簡単らしい。青森からは遠隔地で、自動車で高速道を使っても7時間も必要だと言われているが、首都圏からは距離的には「山深いところ」ではないのだろう。
 昨年は宮城県の鳴子温泉で開催された。この時も「自動車」で行ったが、これでもずいぶんと遠かった。今回は宮城を越えて、山形を越えて、ということになるのだから大変な旅になるだろう。
 集いの案内と開催要項には「関東森林管理局」からの参加が明記されていた。去年も管理局からの参加があったが、これは「東北森林管理局」からであった。
 森林行政区分では、福島県猪苗代町は「関東」に入るのだろうか。そう考えたらますます、「遠い地」での開催という思いが強くなってしまった。)

◇◇ 第30回東北自然保護の集いがはじまる(1)◇◇

今日から「第30回東北自然保護の集い」が、明日の29日(日曜日)までの2日間、福島県耶麻郡猪苗代町中の沢温泉「中の沢花見屋」で開かれる。本会からは竹浪純、三浦章男の2人が参加する。
 テーマは「温暖化対策と里山の保全を考える」だ。次に参加の要請文を掲げる。
『 東北地方における自然保護運動は、「尾瀬」をめぐる諸問題に端を発し、白神山地に代表されるブナ林や優れた自然景観を伐採や開発から守ることを目的に活動を継続してきました。時に困難な状況にあっても、東北人らしい粘り強い取組みと、諸団体の連携によって克服し、一定の成果を上げることができました。特に「東北自然保護の集い」に代表される東北独自の連携は高く評価されています。 他方、温暖化に代表される世界的な環境の変化は深刻化し、その対策が緊急の課題となる中、原子力や自然エネルギー開発による新たな問題も浮上してきました。また、山村の高齢化と過疎化は「日本の原風景」とも呼べる里山の荒廃を加速させています。さらに生物多様性の危機が迫っています。このことは、私達の生き方が問われているといっても過言でありません。このような背景の中、記念すべき第30回「」福島大会において、大いに議論を深め、よりよき方向に進んでいくこと目指したいと思っております。どうか 多くの皆様の参加をお願いします。』

 序でだから「第30回東北自然保護の集い福島大会・大会アピール」も掲げる。

 人口増加と経済発展は繁栄と貧困を生み、富める国では際限無き欲望が渦巻き、貧しき国は飢餓の連鎖に苦しんでいる。そして、人間たちの営みを支える地球は、温暖化に代表される気候変動が顕著になるばかりか、大地や大気そして河川、海洋の汚染が進行、危機に瀕している。
 東北地方においても、かつての電源開発や森林乱伐そしてリゾート開発等から逃れた森や海岸で温暖化対策としての美名による開発等、新たな問題が顕在化している。そして着実に進行しているのである。
 それは人間の直接的な経済活動から起因するものばかりか、「ナラ枯れ」を始めとする自然生態系の異常である。人間による適度の管理によって独自の生態系を維持してきた「里山」の危機と呼んでもよい。
 これらの結果は私達の生き方が問われていると言っても過言ではない。解決するためへのラストチャンスは正に今なのである。

 私達は福島県耶麻郡猪苗代町に集い、これらの問題を真剣に議論しました。そして豊かな自然環境を未来へ伝えるために次の宣言を行ないます。

※温暖化等、環境悪化を食い止めなければならない。誰かがやる。誰かがやってくれるではない。私がやらなければならない。

※風力発電や水力発電などの自然エネルギー開発は、温暖化対策としての美名を免罪符に無秩序に行なうべきではない。新たな破壊による環境影響調査や投資効果の分析を行い、地域住民を始め、国民的合意が得られない場合は計画の撤回や見直しを積極的に行なうこと。また、これらの調査情報はすべて開示すること。

※東北で深刻化する「ナラ枯れ」等の全容解明とその対策に向け、官民挙げて取組む体制を早急に整備すること。また、自然保護団体も積極的な協力を行なうこと。

※特定外来種による在来種の駆逐等、自然生態系の異常は各地で深刻化している。生物多様性を向上させる上でも、特定外来種の指定を拡充し対策を強化するとともに流通段階における厳格な管理体制を整備すること。

※山村の過疎化は森林の荒廃を招いている。「林業=人工林」が山村の基幹産業として自立できる社会環境(消費サイクル)を充実させ、山村の活性化を推進すること。

以上のようなことを念頭に、しっかりと討論に参加し、考えを深めて、事後の活動にいかしていきたいと考えている。
 往復の交通手段は「高速道路利用」だ。竹浪さんが1人で運転していく。本当にご苦労なことである。だが、代わることは出来ない。何たって私は運転免許を持たない身なのだ。とにかく、長距離運転、安全運転でということで行こう。

 時間があれば、ゆっくりと「汽車」で行きたかったのだ。「エネルギーの消費」も少なくて済むし、「CO2」の排出も抑制出来る。だが、それでは前日から「旅」にでなければいけない。それは、到底無理なことなのである。

踏み跡を辿る楽しみ /「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(9)

2009-11-27 05:20:46 | Weblog
 (今日の写真は、Tさんが「旧い林道は、姥人沢にぶつかると南に折れて下がっていました。たどっていくと、100メートルほどで、直角に左に折れ、80メートルほどの場所」で出会った「石切沢火山砂防ダム用地に伴う立ち木調査」と書かれた見出し標識だ。)

◇◇ 踏み跡を辿る楽しみ ◇◇

 Tさんが1人で辿ったところを「彼のメール」に従って、辿ってみることにする。読者で25.000:1地図を持っている人はそれを見ながら、読み進めるといいだろう。

…百沢の県道から右に入って、毒蛇沢の堰堤に行く途中、右に枝分かれしている林道を再び歩いてきた。
 林道は二股地点から約100メートルで行き止まりとなっている。そこから70メートルほどやぶ漕ぎをして北に向かうと、東西に走っている昔の林道にぶつかる。
 この林道には「農」という印のついた15センチ角のコンクリートの杭が、一定間隔に穿たれていた。10月25日にはその林道を西に向かったところ、毒蛇沢の堰堤に出た。 沢の左岸沿いに踏み跡がついており、以前、我々が歩いた径につながっていることを確認した。
 今回はぶつかった地点から東に向かった。少し、下だり気味に200メートルほど進むと大きな沢に出た。姥人(うばびと)沢だろうか、それとも石切沢だろうか。
 この沢の右岸を山頂方向に向かったところ、我々が百沢石切沢の下方から林道を登り、杉の植林が途切れたところを左斜めに入って、沢を二つ跨いで毒蛇沢左岸に向かった径にぶつかった。位置を確認することが出来たが、この部分には径はついていなかった。…
☆Tさんの文意に従い、です・ます調を「である調」に変え、接続語などを加えてある。

 「初めての道」を、しかも探しながら歩くことは楽しい。Tさんは十分楽しんでいる。地図に載っていない道を発見して、そこに踏み込んでいく時、「ここを行くとどこに出るのだろう」とか「どこにつながっているのだろう」という思いを持つものだ。これは「不安」を綯い交ぜている複雑な心境だ。だが、「未知の発見」というようなものへの期待も十分備えている。これらが、Tさんに「今日の写真」を発見させているのである。)

◇◇「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(9)◇◇
(承前)

 とにかく、基本的に「物品の購入は地元」からを徹底しようではないか。これは、農産物にも言えることだ。「地産地消」に徹することだ。
 遠い外国からの「輸入農産物」や「輸入物品」は輸送時に「エネルギーの消費量を増やし、排出される『CO2』を増やす」のである。「いいじゃないか、それ分お金を払えば」という問題ではない。これだと、「排出量の売買」と同じになる。
 京都議定書は国連の気候変動枠組み条約に基づき、2005年2月に発効した。そこでは、先進国全体で2008年から2012年の間に、「温室効果ガスの排出量」を 1990年に比べて約5%減らすことを義務づけた。
 具体的には、日本は6%である。欧州連合(EU)は8%などと、国・地域別に削減の目標を決めている。これが、単なる「口約束」であってはいけない。

 電気エネルギーの消費量を減らす対策には、個人的には「小まめな節電」である。パソコンを例にとると…
 使用していない時は「主電源」を切ることが効果的だ。この「主電源」にモニターや外部ストレイジを一緒に接続しておくと、さらにいい。パソコンやそれに接続している機器の殆どはメインスイッチを切っても「通電」されている。つまり、使っていない時でも「電気エネルギー」を消費しているのである。
 マイクロソフトの新しいOS「Windows 7」は四六時中、通電されていることを前提にプログラミングされている。私にはこれが気にくわない。まあ、「スリーピング」機能というものを使わなければ不都合はないので、使用していない時は「主電源」を切っている。併せてすべての機器がオフになるようにしている。
 これから、新しいパソコンを買おうと思っている人は、「すべてのパーツ」の消費電力を調べて、最も少ないものを選ぶことを進める。最近ではCPU等の部品メーカーもコンピュータメーカーも「省電力と小電力」に傾注しているので選択はある程度容易だろう。
 身近なところにある電気器具への対応は以上のような配慮が必要なのである。私たちが「配慮をしないで」、すべて「省電力」などという「技術の革新」に頼り、それを待つというのでは、「現状の維持」に胡座をかいているだけの「横柄さと無知」でしかないだろう。これでは「エネルギー消費と『CO2』の排出」を抑えることにならない。
 これまで慣れ親しんで来た生活パターンに「鉄槌を打ち込む」という行動がなければ、「エネルギー消費と『CO2』の排出」を抑えることは出来ないのである。
 「電気エネルギー」に関しては「『CO2』を排出しない原子力発電」に任せておけばいいではないかとうそぶき、現状維持に満足したい人には、次のように言っておこう。
 「使えなくなった原子力発電所の処理技術を世界のどこの国も、どのような人もまだ持っていない。原子力発電所が出すさまざまな物質は、地球の全生物の生死に関わる影響を与え、かつ未来永劫になくならないものなのである。『CO2』は排出しない限り、増えることはない。森を増やし、植物を護っていくといつかは減るのである」と…。

 一方で、「電気エネルギーの消費」を減らすには、24時間営業の「コンビニ」と「自動販売機」を減らす必要がある。これらのことについては、別に稿を起こしてそのうちに書く予定だ。(この稿は今日で終わりとする)

今日は「弥生跡地」説明会 / 「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(8)

2009-11-26 05:03:24 | Weblog
(今日の写真は、山頂から見た「弥生跡地」だ。時季は9月中旬である。数年前に撮ったものである。写真のほぼ中央に赤い屋根が見えるだろう。これが「弥生いこいの広場」の建物である。その左斜め下部に、広い楕円形で広がっている場所が、通称「弥生跡地」である。
 左下に見えるのが「上弥生」の集落である。その「集落」よりも遙かに広いことが分かるはずだ。
 「跡地」は周りの緑に比べて「赤茶けて黄色い」のが分かる。黄色い部分は「ススキ原」だ。まだ、樹木の回復がされていない証拠でもある。遷移が進んでいないのだ。それにしても、見事に「剥いだ」ものである。スキー場予定地にする前は、周囲と同じ「ミズナラ」や「カエデ」の生える森だった。跡地の下部の極めて一部には、リンゴ園地があったという情報もあるが、私はその当時のことは知らない。

 手前の大きく窪んでいる沢は「壁倉沢」だ。名前の通り壁のように急峻に落ち込んでいる。倉とは「岩崖」を意味する。このような垂直に近い断崖絶壁を持つ沢の下部は「扇状地」となっている。
 「弥生跡地」はその典型的な「扇状地形」なのだ。そして、「扇状地」に付き物なのが「土石流」である。森を剥いでしまっては…土石流を呼び込むようなものなのである。
 私たちは、その意味も含めて「スキー場」、「自然体験型拠点施設」、「大型児童館」などの建設・設営に反対したのである。)

◇◇ 今日は弥生リゾート跡地に係る弘前大学との共同研究報告書市民説明会 ◇◇

 15日発行の市広報でも案内されたが、今日表記のことが開かれる。私も「跡地の自然など」について報告する機会が与えられている。そのために、パワーポイント用の画像を25枚も用意した。

      ~弥生リゾート跡地について一緒に考えてみませんか~
        「弘前大学との共同研究報告書市民説明会」

◆日時 平成21年11月26日(木曜日) 午後6時30分~午後8時
◆場所 中央公民館岩木館2階大ホール(弘前市大字賀田1丁目)
◆内容 共同研究を総括した弘前大学人文学部 山下祐介准教授による研究成果となる報告書の説明と、その内容について市民の皆さんとの意見交換。

     ◆お問い合わせ先 企画課 電話35―1123

 「弥生リゾート跡地(現市有地)の今後の方向性を検討するにあたって、当地を巡るこれまでの経緯や現況などの事実の整理と、広く市民等の意見を集約する透明性の高い手法の開発を目的として、弘前大学人文学部と共同研究を行ってきました。
 このたび、その研究成果となる報告書が完成しましたので、市民の皆さんを対象に説明会を開催します。」と参加を呼びかけている。

 このブログを読んでいる方々はもちろんのこと、他の人も誘って、今日の説明会に参加しよう。

◇◇「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(8)◇◇
(承前)

 私が「通販」で注文した単行本「ザ・リンク」の定価は1.800円、消費税込みで1.890円だ。これを市内の書店で買うと1.890円で済む。
 「通販」だと代引手数料が248円、税が102円と加算されて2.150円となる。この税「102円」というのも何だかよく分からないが、何と260円も高くなるのだ。代引手数料を運送料とみなしてもいいだろう。
 宅配便が、私のところに、この「本」を東京から運んできた。もし、市内の書店が20冊を注文したら1回の輸送で「弘前」に20冊の本が届く。仮に、弘前市内の20人が別々に「通販」で注文すると「1冊ずつパッケージ」された単行本「ザ・リンク」が20回の輸送で20人に配送されるのである。
 「1冊ずつパッケージ」するための材料費やそのための手間(人件費)は、一度に20冊まとめて梱包するのに比べると、単純に20倍となる。
 そして、それは「輸送時」のエネルギーの消費量をも、排出される「CO2」の量をも、単純計算では20倍にするのである。
 私が支払った「運送料」は、輸送や配送時に使用され、消費される「化石燃料」からのエネルギーや、そして、排出される「CO2」の量の「代価」となっているのである。
 私はお金を払って「エネルギーの消費」と「CO2の排出」に協力しているわけなのだ。「通販価格」の中には「運送料」が組み込まれている。私のみならず、「通販」で買う人たちは「運送料」を払った上で、自動車が「排気ガス」を出し、「CO2」を排出することに協力していることになる。
 「流通機構」に知らずに組み込まれて、二重、三重の「無駄」をしているわけだ。お金の無駄なら個人の責任で処理出来るが「エネルギーの消費」と「CO2の排出」に関しては、そうはいかない。「人を含めた全生物的」で「全地球的」なことだからである。
 この無駄は何も「通販」で本を購入する時にだけ起こるものではない。必要とする、あるいは欲しい商品を「通販」で購入しようとすれば必ず起こるのである。特に、「専門店」で扱う物品であれば大概そうだろう。
 一ヶ月ほど前に、試用版の「Windows 7」からDSP版64bit「Windows 7」にクリーンインストールする際に、システムデスクを「SSD」にしようと、PhotoFast社の「GM-25M128GSSDV5」(MLC(Multi Level Cell) 型最大読込270MB/s・最大書込270MB/s)の在庫確認に、とあるパソコンショップに行った。
 だが、在庫はないし、取引もないので「注文には応じられない」ということだった。こうなれば、「通販」に頼るしかないのだが…、という訳で「HDD」にインストールして現在に至っている。これで、東京の秋葉原から弘前までの輸送に関わるエネルギー消費と「CO2の排出」を少しは抑えたことになるのである。(明日に続く)

まだ、堰堤「砂防ダム」は必要か /「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(7)

2009-11-25 05:28:20 | Weblog
(今日の写真は、この23日に岩木山の踏み跡道を辿ったTさんが撮ったものだ。杉の伐採地である。
 このように、伐採をしてそのままにしておく場所はここだけではない。いくらでもある。今年の残雪期から、Tさんと始めた「踏み跡探し」でも見かけたし、最近では小森山から入って北に登り、東に迂回して降りてくる姥人沢の右岸でも、かなりの伐採されたままの杉を見た。だが、それは今日の写真の現場ではない。
 「山の中」の伐採現場は麓からは見えない。また見えるようになると、それは当然伐採後であり、その面積も広大なものであるのだ。
 問題なのは、「いつも発見が伐採後」ということだ。私たちは、「伐採の理由」や「伐採して何をするのか」について知らされないまま、その「伐採現場」の前で立ち尽くすのである。「後の祭り」、空しい。伐採を止められなかったことの無力感を持ちながらである。
 それは、「死体累々という現場」に立ち尽くす心情に似ているものだろう。)

◇◇岩木山に、これ以上の堰堤「砂防ダム」は必要か ◇◇

 Tさんは10月25日、そして今月の23日と2回にわたって、「踏み跡探し」をしている。4月から始めた「踏み跡探し」で、これも踏み跡だなあと思えるようなものが数本あった。だが、まだ「踏査」していないものもかなりあるのだ。
 それをTさんは「辿って」いたのである。その「山行報告(?)」が彼から長文のメールで届いた。
 その中に、…旧い林道は、姥人沢にぶつかると南に折れて下がっていました。たどっていくと、100メートルほどで、直角に左に折れ、80メートルほどのところで、「石切沢火山砂防ダム用地に伴う立ち木調査」と書かれた見出し標識にぶつかりました。
 その場の下で音がするので振り向くと、下方南西側70メートルほどのところで工作機械が入り、木を切り道路を作っていました。
 何の工事だろうと沢の左岸沿いに70メートルほど下がると、伐採現場の光景が現れました。沢の周りの木を切っており、工事のために広く道路を作っていました。
 工事関係者が歩いてきたので聞くと、砂防ダムを作るのだといいます。来年になるだろうと言ってました。
 つまり、県道から右に入る道路に工事車両が入っていたのは、この工事だったのです。工事用道路は幅15メートルほども広くとり、伐採した材木をユンボで片付けていました。 様子からすると、まだダム本体工事は行われていません。取り付け道路の整備をしている最中です。
 この砂防ダム工事は税金の無駄遣いではないでしょうか。自然の保護と経済的な側面の二つから、この問題に関心を持ちましたが、三浦さんはどう思われますか?一度ご一緒できれば幸いです。
 必要なら、この砂防ダム工事の資料を情報公開で求め手に入れ、世論に問うこともありかな?と思っています。…とあった。(お断り、文意にそって接続語など一部訂正しています)

 まったくそのとおりである。この問題は是非、公開開示とか、くだんの「申請」で明らかな情報を得て、「密かに進められている堰堤工事」の必要性を明らかにし、「不要不急」で「緊急性」がないものであれば凍結させる方向で取り組まねばならい。
 開示や申請など事務的なことはTさんにお願いしよう。先ずは、近々、その現場を確認に出かけねばならない。
 もしこれが「林野庁」の事業であるとしたら「危険木伐採」を公開していることに比べると、あまりにも「非公開」に過ぎるのではないか。堰堤は見えないだけで、ずいぶんある。もういらないと「岩木山」は言っているに違いない。

◇◇「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(7)◇◇
(承前)

 そういう私も、実は一昨日、本を「通販」で注文してしまった。
それは、「『ザ・リンク』-ヒトとサルをつなぐ最古の生物の発見」コリン・タッジ著である。2009年11月15日の朝日新聞電子版で、江上剛が書いた「書評」を読んで、欲しくなったのだ。
 「書評」にはこうあった。 …人類進化の謎解く「失われた環」
 ドイツのフランクフルト郊外で80年代、ほぼ完璧(かんぺき)な姿で4700万年前の小さな霊長類の化石が発見された。それはイーダと名付けられ、人類の進化の謎を解くミッシング・リンク(失われた環〈わ〉)ではないかと、研究者たちの追究が始まった。
 生物学者でもある著者はイーダの秘密を解き明かしつつ、同時代に生きた多くの古代生物たちの姿を生き生きと描き出す。
 本書を読むまで、私は、現在こそ進化の頂点にある時代だと思っていた。ところがそれは全くの思いあがりだった。実は、古代には、ものすごく豊かな種が生息していたのだ。例えば現在はアジアなどに2種しかいないゾウは、過去5千万年ほどの間には、なんと150種もいた。
 「ある動物が現在棲息している土地というのは、たまたまそれがたどり着いた場所にすぎない」と著者は言う。私たち人類は、たまたま地球を支配しているにすぎないのだ。そう思うと、謙虚な気持ちにならざるを得ない。…

 私は、これを読んで「謙虚な気持ちにならざるを得ない」自分を確認したかったのである。そこで、市内の書店に問い合わせたら「まだ入荷していない」というし、図書館に問い合わせたら、こちらも「まだ…、今は…」という返事だった。

 そこで、せっかちな私は「通販」で注文してしまったのだ。そして、驚くことに昨日「宅配便」で届いたのである。何という速さだろう。待たせることをしないサービス、…だが、ここにこそ、「エネルギー消費」と「CO2の排出を増やす」仕組みが潜んでいるのである。(明日に続く)

岩木文化祭に思うこと(2) /「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(6)

2009-11-24 05:24:32 | Weblog
 (今日の写真「岩木文化祭」岩木山を考える会展示場である。右端から入って「コ」の字型に仕切られたパネルが4列並んでいる。
 一応、この右端から入場して、写真を番号順に見て回ってから、出てくると「ミニ講演の場所」と「違法コマクサ」の「出現と抜き取り」までを示す写真コーナーにぶつかるように「設定」したのである。
 「入り口」の左側には、帰りに「目にとめて貰えばいい」というくらいの発想で、私の陸奥新報連載の切り抜き「岩木山の花々」3冊と東奥日報連載の切り抜き「岩木山の花」と「厳冬の岩木山」を机上に置いておいた。
 だが、その場所が「通路」となっていることもあったのだろうか。椅子を3脚置いたが座ってじっくりと眺める人は先ずいなかった。
 そのスクラップブックの横に拙著「岩木山・花の山旅」を10冊平積みにして置いたら、驚くことに、6冊も購入して貰えた。
 購入してくれる時にそれぞれ次のようなことを言ってくれた。嬉しいことである。
 「新聞で発行されたことを知り、欲しいと思っていたが、なかなか書店に買いに行く機会がなかった。ここで買えるのは嬉しい」とか「ずっと欲しかった」とか「今日はお財布を持っていないので、明日来る」とか言ってくれて購入してくれた。「明日来る」といった人は翌日、友人連れで来て、友人にも勧めて購入してくれた。
 この写真は「来場者の98%」がお年寄りであることを示してもいる。若い人は本当に少なかった。)

◇◇ 岩木文化祭に思うこと(2)◇◇
(承前)

 私たちの展示場「大ホール」は「文化祭会場」全体の一番奥、しかも階上の一番の奥である。各展示場を見ながら順路に従いやって来ると、無意識のうちにここに辿り着くのである。
 だが、「大ホール」までやって来た人がすべて、私たちの「展示場」に入って来るとは限らない。中には意識的にやって来る人もいた。だが、それは私たちの「展示」を見たくて来た者ではない。
 「文化祭」では「スタンプラリー」ということをやっていた。その「スタンプ」欲しさだけにやって来る人たちである。
 そもそも、これは和製英語の「stamp rally」のことだ。英語圏には、このような「英語」はない。
 それぞれの「催事」や「場所」、または「ブース」に立ち寄って、そこで演じられていることや展示物をじっくり味わって、鑑賞して、その記念に、その「各所に設置されたスタンプを用紙に捺(お)して集めて回る」ということが本来の目的であろう。
 だが、今回の「文化祭」における「スタンプラリー」は、用紙に決められた「数」のスタンプを捺して完成させることが「目的」になっていた。「スタンプ」を捺すことは、あくまでも「付随的」であり、「二次的」な行為である。
 つまり、「主客転倒」しているのである。入り口に入りかかって「スタンプあるか」と訊いて「ない」と答えると「くるりと背を向けて」帰る人が多くいた。
 岩木地区の「文化」を享受して貰うことが「文化祭」の目的ならば、この「スタンプラリー」は止めた方がいいと思うがどうだろう。祭りだから「遊びやゲーム的な要素」は必要だろうが、これは止めた方がいいように思う。

 私たちは初めての参加であった。毎年この「文化祭」にやって来ている人は、プログラムや会場案内図を見て、これは「何だ」と訝しがったに違いない。初めて「岩木山を考える会」という名称に接した人も多かっただろう。
 2日間の来場者数は200人程度だったと思う。この数は、本会が毎年開催している写真展「私の岩木山」がここ数年、3日間で400~500名の来場者で推移していることを考えると、決して少ないとは言えない。
 1日目が10時30分から始まり15時で終了。2日目が9時30分から始まり、15時で終了という公開時間の絶対的な少なさを勘案すると、むしろ多いとするべきであろう。
 岩木地区の人たちに「おらほの山」である岩木山について少しでも知って貰えた奈良、それでいいと考えている。岩木山を、その麓で暮らす人たちと一緒になって、護っていけると、それ以上の喜びはない。
 今回の「岩木文化祭」に参加したことが、その切っ掛けの一つになってくれることを信じている。

◇◇「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(6)◇◇
(承前)

 街路樹の幹や枝を「明るく点灯する」電飾、これには、「電気」が使われている。街が眠り、街路樹も眠る時間帯に、ピカピカと輝きながら「電気エネルギー」を、毎夜朝まで垂れ流しているのだ。
 この街路樹に設置されている「イルミネーション」は、本来ならば、その場になくてもいい物である。なくても、別に不都合はない。不都合のないものは、この際すべて止めようではないか。先ずは「不要不急」なものへの「エネルギーの消費」を止めよう。
 これは、国家予算の使い方にも通じることだ。政権が民主党になって、「無駄な予算の仕分け」が懸命に行われている。これは、無駄を省く何ものでもない。
 この「精神」を「無駄なエネルギーを消費しない」という行動に、私たちも具体化していかなければいけない。それをしない以上は、絶対的な「CO2の排出量は減らない」のである。

 物を購入するのに「通販」という便利な方法がある。便利ではあるが、これがすごく「無駄なエネルギーの消費」と「CO2の排出量」を増やしていることにつながっている。 …というのは、注文主、買い手が住む「地方や地域」にある販売店から購入すると「通販」に関わる分散的、距離的な輸送が縮小するということなのだ。これは、結果的には「無駄なエネルギーの消費」と「CO2の排出量」を減らすことになることでもある。
 「通販」で、つまり、地域の店にない物でも「インターネット」で注文すると、速い物は翌日、遅くとも翌々日には配達される。そのすべては、「自動車による」輸送である。
 個々人が別々に多くの販売店に「通販」依頼をすると、多くの店は注文が多くなり、潤うであろう。それに関連して、注文品を運搬する「運送業」や「宅配業者」も潤うのだ。 だが、地方の販売店は注文も少なくなり、物も売れない。見捨てられて「倒産」だ。
 「通販」価格の中には「運送料」が組み込まれている。通販で買う人たちは「運送料」を払った上で、自動車が「排気ガス」を出し、「CO2」を排出することに協力していることになる。二重の「無駄」をしているわけだ。(明日に続く)

岩木文化祭に思うこと(1)

2009-11-23 06:05:22 | Weblog
◇◇ 岩木文化祭に思うこと(1)◇◇

 今日の写真は、21~22日に開かれた岩木文化祭の本会のブースである。入り口に掲示された案内の部分を写したものだ。
 実は、ここは舞台や演台のある「大ホール」と呼ばれるところで、300~400座席の椅子が並べられるほどの広さがあるのだ。
 その広い大ホールを横に二つに仕切り、その一方を本会が使用することになったのである。かなりの広さである。この広さをカバーするためには、それなりの「写真枚数」が必要だった。
 そして、その「写真枚数」に応じて、それを飾り付ける「パネル」とそれを建てるための「脚」が必要だったし、額縁を提げる「フック」も必要だった。
 写真展示用に最初から出来ている、例えば「NHK弘前ギャラリー」のような場所であれば、あらかじめ、展示枚数はある程度限定されて、決まってくるので準備はいくらか楽になる。だが、ここの場合は、それが出来なかった。
 その上、展示場の一切を、自分たちで造らなければいけなかった。「パネル」を運び、「脚」を運び、組み立てて、フックを付けて写真を飾る。しかも、これら「パネル」などはすべて、細くて急な階段を昇降する階下の奥に収納されていた。70歳を越えた者、または70歳に手が届くという会員にとって、この作業は事実、「大変」だった。撤収も同じだ。すべて「私たち」でしなければいけなかった。
 もともと、舞台付きのホールなのだから、展示用のものは一切ない。窓には暗幕が張られているが、天井には縦に4条の蛍光灯が点けられ、真上からは光が当たる。
 だから、これは、写真展示上、採光の点では不都合なことだった。だが、これはしようがないことだ。もともと「展示場」としての設計になっていないのだからである。
 もっとも、この「採光」の点で困ったのは「ミニ講演会」で、オーバーヘッドプロジェクターを使う時であった。それは、明るすぎて、スクリーンに映る画像が見えないということだった。
 ミニ講演会は、展示場の左隅に椅子を20個ほど並べて、私が持ち込んだ「プロジェクター」、「スクリーン」、「パソコン」を使って開いた。
 4回開く予定であったが、実質的には22日の2回、「ミチノクコザクラを詳しく知ろう」と「岩木山の巨石信仰」の2回となってしまった。
 その理由は1つは、文化祭開催時間が午後3時までと短かったこと、2つには「採光」上まともに「プロジェクター」が使用出来なかったこと、3つには「希望者」がいなかったことである。
 「明日また来るから」と言ってくれた人がいた。そのような人たちに答えなければいけない。私は必死だった。
 翌日、早々と「ミニ講演場所」の配置換えをした。スクリーンの位置、プロジェクターの位置、高さ、暗幕の一部閉鎖、採光の出来るだけの遮断などを考えてのことだった。これで、何とか「見える」ようになった。2日目の22日には、前日聴けなかった人で「約束をしてくれた人」を含めて何人かが、がわざわざ来てくれた。こういうことあって何とかミニ講演会は「その体」をなした格好になったのである。
 今回の展示写真には岩木山を代表する「エゾノツガザクラ」や「ナガバツガザクラ」など、高山性ツツジ科の花が含まれていなかった。
 その不備を補うために「470種」を納めたファイルの入っている「デスクトップ」パソコンも、モニターと一緒に持ち込んでいた。
 だが、この「パソコン」の出番は殆どなかった。来場者から、「展示されているほかに花はないのですか」という「お尋ね」はなかったのである。
 持ち込んだ朝は濡れ雪、濡らさないように気をつけて運び込んだのに、と思うと悔しい気がした。

 20日の午後1時から「設営と展示」作業をした。一応終わったのが4時過ぎであった。70歳前後の「老人」たちにとってこの作業は辛いものであっただろう。
 だが、写真額縁110枚とコメント票を展示したら、コメント票の不備や「スペース」があちこちに出来てしまった。そのスペースを埋めるための「展示物」が必要になったのである。さらに、「パネル」2枚分の空白も生じてしまった。
 その日、帰宅してから、「コメント」票を書いて、プリントし、ほかの「展示物」も書いてプリントし、さらに「パネル」2枚分の展示用掲示物の整理と準備をしたら、翌朝になっていた。
 その「パネル」2枚分には「岩木山のコマクサとその抜き取り」を36枚の写真で埋めた。これは21日の朝に、大急ぎで会長と幹事Tさん、それに私があたった。

 私は約100枚の額縁入り写真を提供した。写真を「額縁」に入れて、人さまに見て貰うため「展示」するまでにはかなりの時間と労力が必要なのである。
 大きく分けると「写真を額縁に入れて固定する」ことと「その写真の説明文を書いてプリントする」ことになる。1枚と2枚であれば、苦にならないだろうが、これが100枚単位となると簡単にはいかない。18日に搬入したが、それまでに何日間もかけて準備したのである。

「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(6)は休載します。

11月20日前後のブナ林 / 「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(5)

2009-11-22 05:15:34 | Weblog
 (今日の写真は、いつの年かは思い出せないが、11月の20日前後の岩木山である。場所は追子森の尾根であるらしい。だが、かなり「白沢」に寄ったところだ。この辺りは「ブナ」が出てきて、次は「カラマツ」の植林地ということを繰り返す。
 ブナの太さと樹高、それに、奥に見える「カラマツ」の背丈の低さから、かなり、標高が上がっている場所のようである。
 奥に見える「カラマツ」はブナを伐採して、当時の営林署が植えたものだ。だが、標高があるので、植林してから、すでに、40年以上経つというのに、成長が遅く、見て分かるとおり「細くて低い」のだ。この植林した「カラマツ」林には、実生から成長したブナや曾孫生えのブナが育っており、植えられた「カラマツ」よりも、大きくなっているものがあるのだ。
 何という馬鹿さ加減だろう。ブナを伐採せずに残しておれば、この辺りは一面ブナの林立する森なのであった。
 「伐採するための林道敷設」「伐採のための費用」「植林の費用」などがすべて「無駄」になったのである。
 この無駄にされた「お金の出所」は、すべて私たちが納めた税金なのだ。会社ならば倒産だよ。林野庁は見通しのない事業に税金を湯水のように使ってきたのである。その体質は今でもあるようだ。
 昨日の朝日新聞の記事に「補助申請自治体に催促 林野庁総選挙前に再三」というのがあった。
  自民党から民主党に政権が交代しそうな情勢の中で、「何とか予算を使い切るため」に、自治体に速く申請せよと圧力をかけていたというのである。
 「予算は使い切るためのものではなく、出来るだけ使わないで済ませる方法を考えること」が「国民の税金」を使う側に求められていることに気づかない為体(ていたらく)なのである。本当に呆れてしまう話しだ。)

◇◇ 11月20日前後のブナ林 ◇◇

 やはり、今年も「11月20日前後」に降雪があった。昨日の朝は、3cmほど積もっていた。「岩木文化祭」の会場に向かう頃には「ぬれ雪」に変わってい。
 コンピュータ、書籍、印刷物など「濡れる」と困るものを運ばねばならなかったので、「濡らさない」工夫が一仕事になってしまった。
 まさに、ここ10数年、この時季に「判子を押したように」雪が降るのだ。私は「春夏秋冬」岩木山に登っている。特に、雪の季節は「難しい登山」になるので、「降雪」に関しては敏感になる。
 初雪はいつなのか、初冠雪はいつだったか、足首までの積雪は、膝までの積雪があったのはいつだったかなど、しっかりと記憶に留めているし、記録もしている。
 それによると、何回も言うが、ここ数年「11月20日前後」に、岩木山では、大雪となっているのである。
 私は50年近く岩木山に登っている。11月に岩木山に入り山頂までは行けなかったことも含めると、これも50年以上になる。私の若い頃には、この時期に、このような「降雪」はなかった。
 温暖化とは、異常な気象を道連れにしてやって来るのである。

◇◇「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(5)◇◇
(承前)

 要するに、CO2の国同士だろうが会社同士だろうが「排出量取り引き」では「CO2」の絶対的な総量は減ることはないのである。増える一方だろう。
 また、利害関係である以上、そこには対等な取引ではなく「値切りやごまかし、詐称」など、人間的な弱点も生ずるだろう。利潤を上げることにのみ価値を見いだす「国」や「企業」も当然出てくるだろう。
 この際は、私的な「利潤」は論外のものとしよう。とにかく、「温室効果ガス」の絶対量を減らさなければいけないのである。そのことだけを「大事」にする「論理」で進んでいかねばならないのである。産業界にある「排出枠を公平に割り当てられるのか」という意見そのものに「不公平」を是としてきた産業界の逆の「本音」が見える。
 このような業界に「絶対的な温室効果ガス削減」への取り組みは望めそうにもない。

 昨日の朝日新聞、(これは私の連れ合いが購読している)の「声」欄に、次のような投書があった。

「Xマスの巨大電飾浪費では」
 
…今世紀末に海面が90年比で2m上昇するとの記事(10月20日)がありました。C02排出量の増加や氷河の消失速度などから予測したそうです。
 わが国は戦後、大量生産と大量消費でC02の排出量を大幅に増やしました。その結果もあって温暖化を促し、地球はすっかり汚れてしまいました。さっそく頭に浮かぶのは、私の住む丹後の名勝天橋立の松並木に海水面が迫り、歩けなくなる光景です。
 鳩山政権は、温室効果ガスの「25%削減」を打ち出しています。私たち国民にできることは、電化製品に囲まれた生活の中でなんとか節電に努めることでしょう。
 ところが、大阪市内のビルの谷間で、巨大なクリスマスのイルミネーションが始まりました。32万個の電球が来年1月まで点灯されるそうです。日本の夜空は地球上でひときわ明るいと聞いたことがあります。温暖化防止の観点からも度の過ぎた電飾はいかがと思います。…

 昨日、「岩木文化祭」から帰る途中、弘前市役所の前を通った。市役所前の街路樹の並木で「仕事」をしている人を見た。
 別に雪除け用の囲いをしているわけでもない。囲いだったら、この時季では遅すぎるだろう。そのとおりだ。囲いに使われる丸太も板も筵も荒縄も何も見えない。ただ、細いコードのようなものが見える。そして、そのコードには透明で尖ったプラスチックのようなものが付いていた。
 脚立に登った人が、街路樹の幹から枝へと、そのコードを伸ばし、這わせて、固定しているのだった。
 何と、街路樹に小さな電球の付いたコードを巻き付けているのだった。これは、「イルミネーション(電飾)」用のコードを幹や枝に固定しているのであった。これから、春までである。夕方から翌朝まで「街路樹」でピカピカと輝くのである。クリスマス用の電飾は、セオリーどおりならば、12月24日の前後数日であろうが、市役所前通りの街路樹の電飾は春までである。これは、明らかに「クリスマス」や「キリスト教徒」とは無縁な「明かり」である。その通りには「街灯」がついている。それ以外の明かりがなくても、歩行者も自動車にとっても何ら不都合なことはない。
 前述の投書にある「32万個の電球」にはその数で遙かに及ばないが、「明るく点灯する」には、電気エネルギーが必要なのである。(明日に続く)

庭の枇杷の木(2)/ 「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(4)

2009-11-21 05:25:16 | Weblog
      ●● 今日から「岩木文化祭」が始まります。●●

 本会では11月21~22日に、弘前中央公民館岩木館で開催される「岩木文化祭」に要請を受けて、次のことを出展しています。

 内容は…

▼1.写真展 厳冬の岩木山 56点 岩木山の花  60点

▼2.写真で見るコマクサ問題(発見から調査、抜き取りまで)

▼3.ミニ講演会

◇第1回目21日午後1時から 主題 ミチノクコザクラを詳しく知ろう

 ◇第2回目 21日午後3時から 主題 高山植物と温暖化

 ◇第3回目 22日午前11時から 主題 岩木山のスミレについて

 ◇第4回目 22日午後2時から  主題 岩木山の巨石信仰

 ▼ なお、大ホール会場では岩木山の花470種をコンピュータで解説しながら紹介しております。▼ どうぞお出で下さい。


 (今日の写真は、我が家の庭に生えている「枇杷の木」だ。昨日、撮ったものだ。今朝は、この大きな葉の上に雪が載っていて、とても、重そうである。
 葉は全体が薄い毛に覆われているのだ。これが、「耐寒性を持ち、寒冷地でも」育つという理由なのかも知れない。
 葉は互生し、葉柄は短い。形は20cm前後の長楕円形で厚くて堅く、表面が葉脈ごとに波打っている。縁には波状の粗い鋸歯がある。見えるだろうか。
 枝葉は春、夏、秋と1年に3回伸びるとされているが、この木からは、それは覗えない。
だが、この「枇杷の木」が庭にあることで、その成長と観葉を楽しむことが出来ていることは間違いない事実なのである。
 「自家結実するから、他の種を混植する必要もないし、殖やし方は実生でも、接木でも、挿し木でも可能」と言われているが、そのようなことは、この「枇杷の木」を見ていると、どうでもいいことのように思えるのである。)

◇◇ 庭の枇杷の木 ◇◇
(承前)

 さらに、加えて、枇杷の木は「常緑樹で一年中濃い大きな葉を繁らせてくれる」ということが悪い意味で受け取られている木でもある。
 「構わない」でおくと、どんどんと「蔓延(はびこ)る」というのだ。この特性は、実に「私好み」である。物臭な私にとっては、この上ない「頼もしい」木ということになるのだ。
 だが、「真面目で働き者で、しかも不公平を許し難い人」にとっては、その土地の栄養分を自分だけが吸収してしまう「不届き者」のように映るらしいのだ。他の草や樹木に栄養がいかないというのである。そこで、「枇杷は縁起の悪い木」という評価がまた登場するのである。
 だが、今日の写真の枇杷を見ると、健気というか哀れというか、そんな感情に囚われてしまうのである。
 私は、この「痩せた枇杷の木」を無性に弁護したくなってしまった。弁護するぞ。お前の不名誉を挽回してやるぞ。
 …知っているか。家を買ったら、土地を買ってそこに家を建てるなら、「敷地の東南に必ず枇杷の木を植える」という地方のあることを…。
 どんどんと蔓延り「成長」する木なので「縁起」がいいのである。そのことが逆に「縁起担ぎ」になっているのだ。
 また、釈尊はこの枇杷の木を「大薬王樹」と呼んだのである。「大薬王樹」だぞ。説明不要だろう。とにかく、「薬の樹」なのだ。さらに、枇杷の葉を「無憂扇」と言った。「無憂」も読んで字のごとし「憂いがなくなる」ということである。
 枇杷の葉の「効能」は沢山ある。まさに無数だ。「乳癌のしこりが消えた」とか、「子宮筋腫がなくなった」とか、枚挙にいとまがないほどなんだ。
だから、我が庭の「痩せた枇杷」よ、元気を出し、自信を持って花を咲かせて、実をつけてくれ。

 ところが、これは、出来ない相談だった。何故かというと、純正花芽を春に枝の先端に着けるものの、花の開く時季は11月から2月なのである。
 今朝は、一昨年、昨年と同じく雪降りだ。2月までは雪の季節だ。いくら、耐寒性があって、寒冷地でも冬期の最低気温マイナス10℃程度であれば、生育が可能であるとされても、無理なことなのである。
 白い地味な花弁5枚の花は「幻」の花か。初夏には卵形をした黄橙色の実をつけるというが、それも無理なことであった。だが、私は、この「枇杷の木」と同じようにじっと待とう。「実生苗の結実には7~8年が必要だ」と言われていることを信じながら。…

◇◇「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(4)◇◇
(承前)

 「排出量取り引き」には次の2つがある。
 その1つは、「国同士で取り引き」だ。
 京都議定書では、先進国とロシアなど旧社会主義国の計41カ国・地域が削減の約束をしたのだが、排出超大国のアメリカはその後、脱退している。如何にも「アメリカ」らしい。国益にならないと思うと「情け容赦」がない。
 これらの国の間で排出枠の売買が出来るのである。日本は2007年12月、約束より多く減らせる「ハンガリー」から排出枠を買うことで、基本的に合意している。また、ロシア、ポーランド、チェコなどと購入を話し合っている段階である。

 その2つめは「会社同士で取り引き」だ。

 これは、欧州連合(EU)が2005年から取り入れ、アメリカなども検討している。
EUでは、約1万2000の会社に、それぞれ排出枠を定め、06年には「2兆8000億円の取り引き」があったといわれている。
 日本政府も世界の動きに合わせて、導入の検討を始めたが、産業界には「排出枠を公平に割り当てられるのか」という意見もあって、反対の声が強いと言われている。(明日に続く)     

庭の枇杷の木 / 「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(3)

2009-11-20 05:23:23 | Weblog
(今日の写真は、昨日の朝に写した岩木山だ。例によって、私の家の玄関先からである。昨日の早朝は、今冬一番の冷え込みだった。私の「デジタル」屋外気温計は氷点下1.4℃を示していた。
 南向きの窓から庭を覗いた。狭い露地は、一面が真っ白で、霜柱で「盛り上がって」いた。何故このように冷え込んだのか。それは、「放射冷却」のなせる業である。
 因みに、今朝の外気温は2.9℃だ。昨日は午後遅くから「雨がち」の天気となった。だが、今朝は一応「晴れ」ている。雨が降っていないから晴れというのではない。雲量は多いものの、この程度の「雲」の比率からはやはり「晴れ」である。
 岩木山は一部雲に覆われて、山頂は見えないものの「見えて」いる。恐らく「からり」と晴れ上がったならば、気温は氷点下だっただろう。)

◇◇ 庭の枇杷の木 ◇◇

 霜柱で盛り上がった部分に、枇杷の木が一本生えている。その大きな葉も霜を置いて白く光っていた。
 この枇杷は植えたものだ。連れ合いが何かの「贈り物」で鉢植えを貰ったものだ。貰ってから数年経っても、樹高も葉の数も一向に変わらない。そのような時に、どこから仕入れてきた知識なのかは知らないが「地植え」にすると大きく育つと言いだしたのだ。
 そこで、ここに植えたのである。だが、葉の数が2、3枚増えたものの背丈は変わらないのである。
 バラ科ビワ属の常緑木で、我が国には「古代に渡来し野生化した自生木」もあるのだそうだが、種が大きくて果肉が薄いため、「果樹」としての価値はほとんどないといわれている。
 ただ、栽培種は江戸時代末期に導入され、明治時代から品種改良が行われて、果樹としての品種がいくつかあるのだそうだ。もともとは「温暖」な地域に育つものであるらしい。栽培種は長崎県、千葉県、鹿児島県などの温暖な地域が多い。
 ただ、いくらかは、「耐寒性」があり、寒冷地でも「冬期の最低気温マイナス10℃程度」であれば生育し、実をつけることが可能なのだそうだ。

 …だが、我が庭の枇杷は一向に大きくならないし、花をつける気配はない。ただ、鉢植えだった頃よりは「葉」が丈夫になった。大きくなり、つやが出て、肉厚になった。盛んに「光合成」を行って、樹木に栄養を送ってはいるのだろうが、太くもならないし、背丈も伸びないのだ。
 ふと、思った。ひょっとしたら「我が家の枇杷」は、世に言う「枇杷は縁起の悪い木」ということを知って「身を縮ませ」ているのではないかと…。
 …こういうことだ。昔の中国の話しだ。すべての病気治療を枇杷の葉に頼っていた時代があった。枇杷の木があると、病人たちが「その葉が欲しい」と集まってきて、長い行列が出来る。そのことから枇杷の木があると「病人ばかりがやって来て、縁起が悪い」ことから「枇杷の木を植えることを嫌い、縁起の悪い木」となったというのである。              (明日はこの枇杷の木の写真とこの続きを掲載する)

◇◇「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は一向に減らない(3) ◇◇

「温室効果ガス6%削減を守れるのか・『排出量取り引き』で減らす?」
「取り引き」を貸借対照表的に考えると、貸し方と借り方はバランスのととれたものとなり、絶対量は減ることはないのではないかと、私は考えている。

 地球温暖化をまねく温室効果ガスを減らすために、日本は京都議定書で「排出量を6%減らす」という約束をした。2012年までに達成しなければならないが、約束を守るのは難しいという声もある。
 そんな中、温室効果ガスを減らす“切り札”として、「排出量取り引き」などの方法が注目されているというのだ。
 だが、私はこれに疑問を持つし、実質的には「プラス(増加)-マイナス(減少)=ゼロ」、または「=プラス(増加)」にしかならないだろうと考えるのである。

 「排出量取り引き」とは…国や会社ごとに、排出できる温室効果ガスの量(排出枠)を割り当て、排出枠をやり取りすることだ。「排出」した温室効果ガスを実質「受け取って」それを「温室効果」のないガスにして処理するということではないのである。
 あくまでも、帳簿上のことであって、数字のやりとり、「金銭」のやりとり、「売買」に過ぎないのである。
 つまり、排出量を枠より減らすことができたところは、余った分を排出量が枠を上回ってしまったところに売ることが出来る。排出枠を守れなかったところは、お金をはらって枠を買えば自分で減らしたものと「みなされる」ということなのである。
 あくまでも、それは「みなし(見做し)」なのである。「見てそれと仮定すること」なのである。実質や実態、それに「絶対量」などからは遠く乖離した「仮定」の話しなのだ。はたして、「仮定」で「温室効果ガス」の絶対量を減らすことは出来るだろうか。それは「絶対」に出来ないことだ。

 だが、京都議定書は、「国同士の売買」を目標達成のための方法として認めているのである。私はどうしても、このやり方は「叡智ある人間」のするべきことではないと考えるのである。
 これは、あくまでも、資本主義に胡座をかいた「商取引」に過ぎないし、「帳尻合わせ」に過ぎない。
 しかも、これは地球の生物を「人間」に限定した、非常に勝手で自己中心的な発想からの所産であるだろう。
「温室効果ガスの悪影響」を受けるのは、人間だけではないのである。この地球上に住んでいるあらゆる動物、そして植物までが、「急速で、急激な温暖化」の影響を受けているのだ。
 標高1625mという低山、岩木山でも、年々「急激な温暖化」の影響が顕著になっている。それは、花の開花期と生える場所の「異同」によく現れてきている。
 「商取引」をしても、「キリマンジャロの雪」が消え、氷河は後退し、北極の氷河は、一刻一刻と消えて行くのである。
 ここでいう「温室効果ガス」とは…太陽の熱を地球の大気にとじこめて、地表を温める効果をもつガスのことだ。…
 「京都議定書」では二酸化炭素(CO2)、メタンガス、代替フロンガスなど6種類のガスを削減の対象としている。

ここ数年、今月20日前後は大雪 / 「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(2)

2009-11-19 05:12:32 | Weblog
(今日の写真は、数年前のちょうど今頃の岩木山である。今週末に岩木山に登ると、このような景色に出会えるだろう。雲が湧いてぼやけているので、はっきり見えないのが残念である。
 撮った場所は、赤倉登山道の大開よりも少し上部だ。右手前の雪を被った緑の樹木は「コメツガ」だ。正面まっすぐ奥に見えるのは赤倉沢の源頭部奥壁である。ここは雪崩発生の常習地帯で「見ている間」にも、小さな雪崩が「走って」いた。
 その頂部のV字に切れ込んでいるところが「赤倉沢源頭のキレット(鞍部)」だ。その右側の岩陵が1396mのピークである。
 雪が降ると、景色は一変する。樹木の少ない場所を先ず、白く染める。山麓からは、降雪後、とりわけスキー場ゲレンデが白くはっきり見えるのは、その所為である。
 昨日、弘前市中央公民館岩木館へ「岩木文化祭」に出展する「写真(額縁入り)」を100枚ほど運んだ。そこへ向かう途中、百沢スキー場だけが、やたらによく見えた。すべて「真っ白」である。
 運転していたスキー場事情に疎い私の娘は「もうスキー場始まっているの」と訊いたぐらいにである。)

◇◇ ここ数年、今月20日前後は大雪だ ◇◇

 一昨年も、昨年は「帯状疱疹(帯状ヘルペス)」を患い行けなかったが、ここ数年必ず11月20日前後の「土曜日」か「日曜日」には、岩木山に登っている。このブログにも、そのことは書いている。
 一昨年はTさんと一緒に、「11月23日」に、この「松代登山道尾根」を登った。「異常」なほどに多くて深い「新雪」であったということである。
 松代登山口近くの標高は600mほどだ。樹高が2m近くまでになるヒメモチが雪面すれすれに、実を見せていた。積雪は1.5mを越えていた。まだ、11月23日だというのにである。大変な「積雪」であった。

 昨年は相棒のTさんが1人で登り、私は家で「鬱になりそうな気分」で、「帯状疱疹(帯状ヘルペス)」の痛さと悔し涙に暮れていた。
 その私を慰めようとであろう、Tさんは画像付きメールを「登りながら送って」くるのだった。
 そのTさんの単独行を再掲にはなるが、載せよう。
 …(途中)シールの留め金が千切れてなくなるというトラブルが発生した。応急処置をして無事下山できた。目的地「大白沢左岸稜線」まで行ってきた。途中シールの留め金部分、無事だった片方も、ゴムの劣化でとれてしまった。紐でゆわえて処置は万全。
 雪は結構(積もって)降っており、しかもこの数日の天候で、幾分しまっていたため、歩く「登行」は楽だった。ただし、スキーを外して休むと、たちまち「腰まで抜かるような状態」で、スキーを持って行ったことは正解。
 追子森側の斜面には取り付かず、そのまままっすぐ登って、断崖まで出て戻ってきた。山頂は残念ながら見えなかったが、海岸線が望めて、絶景を楽しむことが出来た。…
 昨年も「スキーを外して休むと、たちまち『腰まで抜かるような状態』」であったのだ。
 さて、今年は、その日に「岩木文化祭」が入っていて、私は全日、会場に詰めることになっている。去年に続けて、岩木山には「行けない」のである。だが、昨年と同じように、この時季だけは「積雪」は多いであろうと想像はしている。

◇◇「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は一向に減らない(2) ◇◇

 二酸化炭素排出量は京都議定書の基準年の90年度と比べると7.4%増で、「100年に1度」の経済活動低迷であっても、削減目標の達成は依然厳しいことが明らかになったそうだ。経済産業省は10月30日に、08年度のエネルギー需給実績の速報値を発表し、そのことを明らかにしたのである。
 だが、「最終エネルギー消費量」は原油換算で、前年度比6.8%減の3億7952万キロリットルであり、「消費量」は減っている。景気の悪化を受けて、1965年度以降、最大の「落ち込み」となったそうだ。

 これらは、CO2の排出量削減にとってはいいいことであるのだ。つまり、温室効果ガス排出の約9割を占める「エネルギー消費による二酸化炭素(CO2)排出量」も、6.7%減の11億3800万トンと急減したのである。
 しかし、部門別では、90年度比で、オフィスや商業施設など業務部門は2億3200万トン(41.3%増)、運輸部門は2億3600万トン(8.4%増)、製造業など産業部門は4億2000万トン(13%減)、家庭部門は1億7200万トン(34.7%増)などと、製造業を除いては増えているのである。さらに、産業部門は工場の稼働率低下でエネルギー効率が7年ぶりに悪化したともいわれている。
 驚くのは、家庭部門の34.7%の増大である。如何に、一般家庭の私たちが電気等を使い、それが多量の「二酸化炭素(CO2)排出量」を生み出しているかが分かろうというものだ。
 そこから見えてくる、「石油や石炭、天然ガス」など化石燃料への依存度は84.6%で、03年度に次ぐ高い水準となっている。
 原子力比率は「地震」などによる稼働率低迷で依存度は9.7%であり、「太陽光や水力など再生可能エネルギー」は5.8%に減っている。これで、エネルギーの自給率は6.6%に減る結果となっている。
 なお、「二酸化炭素(CO2)排出量」削減対象の温室効果ガスは、他にセメント製造時に発生するCO2やメタンガスやフロンガスなどがある。

 経済成長が落ちて排出量が一時的に減ったものもある。だが、「みんな」が、今の生活を維持しながら「二酸化炭素(CO2)排出量」削減を希求すると、どうなるのか。
 景気が良くなれば、確実に増えるだろう。これだと、倍増であり、「二酸化炭素(CO2)排出量」削減は夢のまた夢に過ぎなくなる。
 まさに、「絵に描いた餅」だ。私は、パソコンの電源、それに周辺機器の電源を「使っていない時」は、すべて「抜く」ことにしている。(明日に続く)

「くろくまの滝」危険木処理方針の回答 / 「キリマンジャロの雪」は消え、CO2は一向に減らない

2009-11-18 05:16:28 | Weblog
(今日の写真は、11月1日に「くろくまの滝」遊歩道沿いで写した「危険木」とされたものだ。樹種はミズナラである。森林管理署は「隣木へつる絡み」ということで、危険僕とし「伐採」することにしていたものだ。
 私たちは「該当木⑮の主幹は、立派なイワガラミなどのツル性植物(根元は直径30cm以上はある)が貴重であり、伐採はすべきではありません。ツルは上方でブナに絡んでいるため、当面倒木の恐れはないと考えます。
 一方、遊歩道の上方に伸びている太い枝がありますが、これは腐朽が進み、茸のサルノコシカケなどが生えており、落下する恐れがあるので危険です。この太い枝のみを切り落とすべきでしょう。」と主張した。
 その木である。だが、森林管理署は右側のものを伐るという。) 

◇◇「くろくまの滝」危険木処理方針の回答 ◇◇

 昨日、Tさんから 「『くろくまの滝』危険木処理方針をキャッチ」というメールが届いた。11月2日に提出した意見書に対する回答らしい。だが文書でなく、「電話」によるものである。
 その全文を次に掲げる。 

…津軽森林管理署と電話のやりとりで、くろくまの滝の危険木処理方針について、以下のような回答がありました。とりあえず連絡まで。これで東北自然保護の集いへの報告文書を完成させることが出来そうです。

1.11月17日から通行止めにはいるので、来春再度調査をした上で処理方針を決めたい。処理方針案は、来春今回と同じ方法でホームページに掲載し意見を募る。
2.11月8日の時点で、提出された意見を受け、改めて調査し決めた処理方針は以下の通り。
 我々が提出した「伐採すべきでない」との意見が通ったのが6本、通らなかったのが3本だった。

① 伐採処理する。
② 歩道から6m離れているが、樹高が10mあり歩道側に傾斜しているので伐採処理する。(意見通らず)
③ 歩道から離れており、直立して地盤もしっかりしているので、危険木表示とする。 (意見が通った)
④ 歩道から離れており、直立して地盤もしっかりしているので、危険木表示とする。 (意見が通った)
⑤ 歩道から2mしか離れておらず、傾斜しているので伐採処理する。
  (意見通らず)
⑥ 歩道から樹高の2倍ほど離れているので、危険木表示とする。(意見が通った)
⑦ 伐採処理する。
⑧ 伐採処理する。
⑨ 直立しているが、立枯状態で主幹から伸びている枝が落下する恐れがあり、伐採処理する。(意見通らず)
⑩ 危険木表示とする。 (意見が通った)
⑪ 伐採処理する。
⑫ 伐採処理する。
⑬ 基本的には危険木表示とする。但し、⑫の処理状況によっては伐採もあり得る。 (意見が通った)
⑭ 伐採処理する。
⑮ 主幹は残し、歩道側に伸びている枯れた太い幹を伐採する。 (意見が通った)

 以前作って、今使わなくなった歩道の危険指摘に対しては、当面歩道立ち入り禁止の表示をする予定だそうです。
 土留めの残骸については、どのように処理をするか検討中だそうです。人力になるだろうし、予算が…と言ってました。
 施工時の業者への指示の仕方が不十分だったのではとの私の指摘に対して、そうですね。と。…

 今回の回答にも、森林管理署の基本姿勢に変化はなかった。「生物の多様性」という観点からの思想はない。あるのは次のようなものだけである。
 …「伐採という形」で「森」を壊し、「コンクリート製の土留め」を無数に使用した「歩道」を新たに敷設して「植生破壊」しているのだ。勾配のきつい「木製土留め」の歩道はうち捨てられ、ジグザグの道を付け替える。付け替えたところに朽ち木がある。それを称して「危険木」という。「歩道」を新しく付け替えなければ「新たな危険木」は存在しないはずだ。
 「木製土留め」は年を経る中で「腐食」して自然に返る。キノコがつくかも知れないし、やがては、その「場所」の土壌の一部になるのである。
 だが、人工物である「コンクリート製」の土留めはほぼ腐らない。自然の中で人工物は腐ることもなく、土壌生物を養うこともなくいつまでも「異物」として残るのである。このような「整備」の中には、「生物の多様性」や「多様な生態系」という現代人に与えられた概念はない。あるのは旧態依然とした「スケールメリット」だけである。…

◇◇「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は一向に減らない(2) ◇◇

 08年度にコンビニエンスストアから排出された二酸化炭素(CO2)は90年度比で3.4倍に増えたという。
 その理由は「エネルギー効率は向上したが店舗数の急増と施設の大型化」であるそうだ。コンビニエンスストアや家電量販店など他の流通・サービス業界団体との10団体の排出量は日本全体の1.4%に当たる。
 コンビニの店舗数は90年度比で2.6倍、店舗の床面積が1.4倍に拡大した。それに伴い、90年度に87万トンだったCO2は08年度に296万トンに増えた。業界は「現金自動受払機(ATM)設置や店内調理の拡大など、新しいサービスで排出量が増えた」と説明し、3年後をめどに太陽光発電や発光ダイオード(LED)照明の導入などの対策を進めるとしているといわれている。
 また、エコポイント制度の恩恵を受ける家電量販店業界は、06年度と比べ約2割増の80万トンになった。
 排出総量を対策初年度に比べて減らしたのは、ショッピングセンター業界など3団体で、百貨店など他業界では床面積や営業時間当たりの排出量を減らしても、営業時間の延長や店舗の大型化が、その効果を打ち消した格好になっているのだ。
                                          (明日に続く)

今年の初雪は11月3日、だが「初冠雪」は翌日だ / 「キリマンジャロの雪」は消える

2009-11-17 05:11:32 | Weblog
(今日の写真は11月3日の朝に撮ったものだ。場所は私の家の「猫の額」ほどもない庭である。今年の初雪だった。実は、今朝もひょっとしたら雪が降って、積もっているのではないかと期待して、起き出してきて、庭を覗いたら「真っ暗」であった。
 雪が積もっていると、外は明るい。いわゆる、「雪明り」というやつだ。「純白」というものは、少しの光をも反射する。窓辺から漏れる室内の明かりを受けて、ぼんやりと柔らかく全体を照らす。
 「蛍の光、窓の雪」という、あの雪である。蝋燭を買えない貧しい者が「雪明り」を頼りに勉強をしたという言い伝えにある雪だ。だが、その期待は、あえなく潰えた。殆ど何も見えない。
 昨日は雨交じりの寒い日だった。午後からは北風も吹き、気温は下がった。だから、岩木山は雪を被っているだろう。今朝のように「里」では降雪、積雪なく、だが、岩木山では降雪や積雪が観測されると、これは時間的な推移からも「初冠雪」と呼んでいい。そこには論理的にも、何も矛盾がないからである。)

◇◇ 今年の初雪は11月3日、だが「初冠雪」は翌日だった ◇◇ 

 …ところで、岩木山の「初冠雪」が発表されたのは翌日の4日である。弘前の平地で3日に、衆目のすべてが「初雪」を確認しているのに、「岩木山が今年初めて雪を被った(冠した)」日が翌日であるという。
 これは、論理的には大変な矛盾である。「里よりも山の方が早く雪が降る」という論理と事実を私たちは常識的に知っている。だから、里に3日に雪が降って、今日の写真のように10cmほど積もったというのに、岩木山の「初冠雪」が4日だということは、明らかに辻褄の合わないことであり、「事実誤認」である。
 私はこの謎めいた「事実誤認」の理由や意味を知っているが、それでもやはり、「言葉の意味」からいうと許せない側面はある。
  子供たちはどうだろう。恐らく「初冠雪」という語句の持つ意味を知った子供は、首をかしげ、「どうして」を自問し、挙げ句の果ては「親」や「先生」などに質問するだろう。特に今年のように、「一日違い」となれば、納得いかずに悩み続けるだろう。
 だが、大人の方は、「地方気象台」がそのように発表したのだから、そうなのだろうと、その矛盾を意に介さない。むしろ、「初冠雪」が発表された当日、すっかり路面の積雪が消えてしまったことの方に関心がいって、喜んでいるのが実情だろう。
 4日以降、数回、自動車に便乗する機会があった。その時の運転者に共通する話題は、「昨年は雪が少なくて運転が楽だった」とか「今年も雪が少ないのだろうか」とか「出来れば少ない状態であってほしい」ということだった。
 そして、「どうでしょうか」と私に訊くのである。「今年も暖冬傾向は続くでしょう。雪は少ないと思います。ただし、3月頃には多くなるはずです。でも3月の雪は消え方が速いですから」と、期待に応える要素もない交ぜながら答えるのであった。
 暖冬と少雪傾向は「地球の温暖化」が示す気候事象の何ものでもない。それを知っているから、私は少しも、「雪が少ない」ことを喜んではいないのだ。

 「初冠雪」とは現場での事実ではなく、ある場所から「初めて、雪に覆われていることが確認される」ことを指す言葉なのだ。見えるということが大前提であり、極めて「感覚的」な言葉なのである。

◇◇「キリマンジャロの雪」は消える◇◇

 毎日新聞電子版、11月7日の「余録」は「キリマンジャロの雪」であった。
その中に…ヘミングウェーの短編「キリマンジャロの雪」の冒頭からの引用として「その西側の頂上の近くに、ひからびて凍りついた豹(ひょう)の屍(しかばね)がある。豹がそのような高いところで何を求めていたのか、だれも説明した者はいない」…とある。

「キリマンジャロ」は標高5896mの山である。アフリカのタンザニア北東部、ケニア国境付近、南緯3度5分に位置する。
 主峰はキボ峰で5896m、ほかにマウェンジ峰5149mとシラー峰4002mなどがある。また、世界で最も高い「独立火山峰」でもあり、「アフリカ」の最高峰でもある。
 ところで、ヘミングウェーの短編「キリマンジャロの雪」に出てきた「ひからびて凍りついた豹の屍」は現在は残っていないのだそうだ。 
 しかし、キリマンジャロに近いアフリカ第2の高峰、「ケニア山」の氷河からは12年前にヒョウの死骸が見つかった。発見したのは京都大学の水野一晴さんだ。この死骸は約900年前のものと分かったというのだ。
 900年前は「地球の温暖期」だったという。その後の「寒冷期に氷河の中で凍りついていた死骸」が20世紀の温暖化で再び姿を現したのだと水野さんは考えているという。
 この「ヒョウ」は地球温暖化で急激な氷河の後退が起こっていることを人類に知らせてくれたのだ。
 キリマンジャロ山頂付近の氷河は、早ければ2022年にも完全消滅するという予測がある。約100年前に12平方㎞あった氷河は2000年には約80%が消滅し、07年には1.85平方㎞にまでやせ細ったという。発表したのはオハイオ州立大学だ。
 地球は温暖期と寒冷期を繰り返してきた。だから、「温暖化」ということは、気象の歴史からは別に「特殊」でおかしいことではない。だが、今世紀の「温暖化」はあまりにも急激なのである。今すぐにでも「CO2」の排出を少なくしないといけない。技術に頼る前に、私たちがエネルギー消費の抑制をしなければいけない。氷河の減少率はここ20年で加速しているのだ。

「キリマンジャロの雪」の終わりに近い一節には…
「見れば、視野いっぱいに、全世界のように幅広く、大きく、高く、日をうけて信じられないくらい白く、四角い頂があった」とある。
 近い将来、岩木山は「初冠雪」だけで、「冬季」を終えてしまうかも知れない。冬という季節が、日本からなくなってしまうかも知れない。

昨日は雨降り、雷まで鳴った。天気予報は私のも気象庁のも当たった

2009-11-16 05:26:16 | Weblog
(今日の写真は11月4日、今年の初冠雪の岩木山だ。だが、13日の好天までに、すっかり消えてしまい、岩木山の窪地である特定の沢や岩陵の亀裂にしか僅かに残っているだけとなっていた。
 昨日からの雨が上がって岩木山が見えると、またこのような雪に覆われた姿を現すだろう。だが、12月の初め頃までは何回か消えては積もり、いつの間にか全体が真っ白くなるのだ。
 私の家からはこのように岩木山が見える。初めて拙宅を訪れる人は、帰りがけに必ず「岩木山が真っ正面に見えるんですね」と言う。
 このように言う人は圧倒的に「県外」から来た人が多いが、生まれた時から、この津軽に住んでいる人でもそのように言う人もいる。
 やはり、津軽、弘前、岩木山というのは一つのセット的な景観的な概念としてあるのかも知れない。
 5、6年前に右側に見える建造物が出来たものだから、巌鬼山からの稜線、つまり「山の端」が塞がれてしまって、現実的な視界からは秀麗さは消えたが、私の瞼には、その美しい稜線がはっきりと映っている。
 この「稜線」を塞いでいる建物は母屋ではない。倉庫か何かである。恐らく、この建て主にとっては「岩木山」という観念が薄かったのだろう。「岩木山が見える」とか「岩木山を日常的に眺めたい」と考えている人がいるということに考えが及ばなかったのだろう。だから、自分の建物の「後背」から「岩木山を眺めている」人がいて、眺めることを前提にして「西側」に窓を、わざわざ「設置」してあるということなどは、いわば、範疇の外であったのだろう。

 私がここに住み始めた頃には、周りには左て奥に人家が2軒だけだった。拙宅の直ぐ裏は「田んぼ」だった。そして、前の西壕から流れてくる用水堰にはホタルがいた。夏7月、夜な夜な「カエル」の合掌を聴き、堰に「飛びちがいたる」ホタルの点滅を見たものである。岩木山も前面の民家が「平屋」だったこともあって、すっきりと稜線を見せていたのである。
 冬、賑やかなのはヒヨドリだ。それにも増して、木管楽器のソロ、アカゲラのドラミングは魅力的だ。
 春、早い時は3月の末からウグイスが鳴き出す。初鳴きは「短く」一般的な「聴きなし」の「ホーホケキョ」ではない。
 そのうちに若葉が出る頃になると、カワラヒワやホオジロなどがやってくる。夏になるとトラフズクがやって来て、子育てを始める。
 宵から翌朝の3時頃までは確実に鳴く。梟の仲間だから、親鳥は、雄が木筒を吹く鷹揚さで「ホーホー」と、雌が静かに優しく「ミャーミャー」と鳴く。
 ところが子が巣立ちをすると、夜に鳴き続ける声はそんな鷹揚なものではない。「キーイッー」ときて、数秒後に「ピィーッ」とくる。決して音感を満足させる魅惑的な声ではないし、木管的で森を静かに震わせるような声でもない。これは巣立ちをした幼鳥が親に餌をねだっている声なのだ。
 見ていると、親鳥は音もなく忽然と現れる。彼等は餌場をいくつか持っていて、その一つがこの境内の杜なのだ。そして、夜な夜な「キーイッー」「ピィーッ」が続く。トラフズクは「虎斑(虎模様)木菟」と書く。ミミズクなどこの木菟類の脚は、兎の後脚に似ている。しかも、頭部に兎の耳のような羽毛を持っている。そこで木の兎(菟)と呼んだらしい。
 秋になってもヒヨドリは居続けるし、初冬になると時には「レンジャク」の群れがやって来ることもあった。)

 「岩木山が見えて、周囲に田んぼがあり、野鳥の棲む森があり、堰や小川にはホタルが舞い、トンボが飛び交う」という場所が弘前市田町4丁目、「熊野神社の裏」だったのである。 

◇◇ 昨日は雨降り、雷まで鳴った ◇◇

 結局、昨日の「初冬の尾根踏み跡道を辿って、標高700m辺りまで登って降りてくる」というNHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」野外「観察」は中止にした。
 それは、気象庁発表の「レーダー画像」を解析してみたら、かなりの「雷雲」の発生が確認出来たからである。しかも、それは、西から東へと「岩木山付近」を通り、移動しているのであった。「寒冷前線」特有の雷雲なのである。
 このような気象条件の下で、標高700mという高さであるが「登山行為」をすることは「無謀」である。
 午前7時に、私は「中止」を決めた。それからが大変だった。室内で行われる「座学講座」の準備だ。その日の集合時間は9時である。それまでに準備をしなければいけない。家を出る時間を8時45分に設定して、取りかかった。
 「座学講座」の分はすでに、このような事情もあると考えて「作成済み」なのである。レジメ2ページもプリント済み、90分用の「パワーポイント画像」はMac Bookに取り込んである。だから、それだけでも十分「準備」は完了なのである。
 だが、私は「その日に行こうとしていた場所」や「観察のポイント」なども、この「座学講座」でやろうと考えたのである。
もちろん、これも配布用のパンフレットを使うことで出来ないわけではない。だが、それに使われている画像は少ない。もっと多くの「種々」の画像を提示することで、受講者の理解が深まり広がるのではないか、と考えたら、どうしても、新規に「パワーポイント」を使い「画像」を映し出すための「ファイル」を作らなければいけないと思ったのである。
 「パワーポイント」は便利なソフトである。だが、作成にすごく時間がかかるし、注意力散漫であっては出来ないものだ。
 作り始めたが、なかなか完成しない。8時15分になった。NHK弘前文化センターに「貸し切りバス」配車中止の依頼と野外観察中止を連絡。急いで朝飯を掻き込んで、「登山」の服装から「教室用」の服装に着替え、また「ファイル」作りの取り組む。
 完成したのが8時40分である。オーバーヘッドプロジェクター一式、Mac Book、レジメやパンフレットを小型ザックに入れて背負い、自転車で出かけたのが8時45分、何とか間に合った。分刻みの慌ただしさである。
 つくづくと思う。天気がいいということは本当に「いい」ものだと…。