岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日の写真が語ること…(真冬なのに明るい) / Windows7自作が簡単、何でもOSが… (10)

2010-01-31 05:11:27 | Weblog
(今日の写真は、真冬の岩木山、標高1000m付近の様子だ。これが標高1200mを越えると「視界」が極端に悪くなる。この辺りだと「降雪」によって視界が遮られることで見通し距離が短くなるが、標高1200mを越えると、この状態に「雲」が介在してくる。
 「降雪」と「雲に包まれる」という二重の遮断によって、「視界」はますます悪くなり、その距離が、わずかに数mということにもなるのである。
 その上、雪を降らせる「雪雲」は決して「白く」はない。くすんだ灰色で、黒に近い。だから、雪雲に巻かれると、「暗く」なる。薄い雪雲を通して見える「太陽」は、それだけで、その時に「日食」が始まったとしたら「観測」が出来るというものだ。
 小さい頃に、「日食観測」に透明ガラスの破片にローソクの炎で煤を付着させたものを使ったが、それと同じだ。
 標高1200mよりも上部の世界はまさにこうなのだ。)

◇◇ 今日の写真が語ること…(真冬、厳冬期だというのに外は明るい) ◇◇

 空も、雪面も「白色」である。ブナは幹と枝の一部が黒いだけで、あとは「霧氷」をまとっていて、これらも「白い」。白と黒の世界だ。だが、圧倒的に「白」の割合が多い。とすれば、もっと「明るく」てもいいのではないか。この色彩は暗い。
 これは「白黒」写真ではない。れっきとした「カラー写真」だ。だが、やはり「暗い世界」だ。これが、「真冬、厳冬期」の岩木山が見せる普通の表情なのである。
 昨日も外は明るかった。その明るい中を、2時間ほど外に出て歩いたが、その途中で、岩木山を何回も見た。見ざるを得ないのである。
 私の歩くコースは南から北、そして、その帰路は逆になる。だから、岩木山を眺めるには「横向き」か「首を曲げなければ」いけない。首が痛くなるほど何十回も見た。
 「今は大寒だぜ。雪まみれで暗い空、風は強く、岩木山は雪雲に覆われて見えないのが普通だろう」という思いが、私に、この行為をさせ続けていたのである。
 時々、山頂までが見えていた。普通だったら「見えない」この時季に見えていたのだから「嬉しいこと」にという表現が似合いそうだが、嬉しいことではない。
 季節がやはり、1ヶ月半速く推移している。暗いことよりも明るいことの方がいいに決まっている。だが、「暗さ」があるから「明るさ」が引き立つのであるし、「暗鬱とした」冬の日々があるからこそ、明るい春の日射しを待ちわびるのだろう。
 それゆえに、私たちは「明るい春の日射し」に特別な感情を持ち、深く感謝もするのである。それは、雪の下で「春」を待つ多くの草や花の思いと同じであろう。

 「じっと耐えるという健気さ」が、この明るすぎる異常な季節の推移の中で、次第に失われていくことに深い懸念を持つ日々が続いている。

◇◇ Windows7は自作が簡単、何でもOSがしてくれる (10)◇◇
(承前)
…一昔前は、そのようなことはなかった…

 昨日、「LANアダプター」の交換のことについて書いたが、まさに、そのことと呼応するかのような「SOS」を受けた。今時、考えられないようなことだった。最近、といってもかなりなるが、近頃の既製のPCには、すべて「インターフェース」として「LAN」が内蔵されている。
 また、自作用のマザーボードにも、この「」機能が殆どは「付いて」いる。たとえば私のメイン自作機の「P6T D」ボードには、「1000BASE-T×2(Marvell Yukon 88E8056)」が組み込まれていて、「バックパネル I/Oポート」には「1000BASE-T(RJ45)」が2つもある。
 「SOS」の発信者は「相棒」さんだ。大体の話しはこうだ。

 …職場に古いコンピュータが1台増えた。HDDは50GB。「Windows XP Home」をクリーンインストールした。「バックパネル I/Oポート」のLANケーブル端子に接続してあるが、コントロールパネルから「ネットワーク」画面を開いてみても、何も表示されないし、ネットワークの設定も出来ない。もちろん、ネットワークに接続も出来ない。どうすればいいか。…

 この電話での「SOS」を受けて、私は「Intel(R) PROネットワークアダプター」のことや、「Corega1000M/100M/10M対応「GEtherPCI-T32」LANアダプター」のことなどを思い出していた。「ネットワークアダプター」が組み込まれていないのだろうという「結論」を持って、「相棒」さんの事務所に出かけて行った。
 そのコンピュータはNEC社の古いものだった。縦置き型で、横幅が狭い。「インターフェース」として、何かを「PCI」端子に取り付けるにしても、一般的な「プロファイル」では駄目である。いわゆる「ロープロファイル」を使用するしかない。
 コントロールパネルから開いてみたら、電話内容と同じで、「ネットワーク」画面が「空」である。ハードウエアが付いていないということである。付いていると、「Windows XP Home」をインストールした時に、ドライバーが読み込まれるのだが、それがないので、「LAN」のドライバーも読み込まれていない。
 先ずは、「Windows XP Home」のCDから、その「ドライバー」を手動でインストールした。次は「上蓋(横蓋というべきか)」を開けて中を覗く。このNECのPCマザーボードにLANカード(またはLAN機能)が組み込まれているかどうかの確認である。ちょっとだけ先を急いで、「デバイスマネージャー」からの確認をしないで、機械的な中身の確認をしてしまった。
 「デバイスマネージャー」からネットワークアダプターを開いて確認すると直ぐに分かるにである。変なものが確認されると「削除」して「ドライバーソフトウエアの更新」をすればよかったのだ。だが、まあいいだろう。
 とにかく、「ネットワークアダプター、またはLANカード」は組み込まれていなかったのである。
 これは困った。そのカードがないことにはにっちもさっちもいかない。そのような様子を目敏く見つけた「相棒」さんは「実はこの機械につないで使っていたが、壊れてしまって…」と言って指さすのだ。
 私は、そこに無造作にケースの中身が見えるままに放置されている筐体の残骸を見た。そして、その中に「LANカード」を発見したのだった。
 そのカードはハイプロファイル型であり、このNECのPCには装着できない。だが、ケースを開けたままでの装着は可能である。早速PCIコネクターに差し込んで、電源オンだ。
 結論を急ごう。完璧にネットワーク機能が回復した。細かい設定は「個人や企業」に秘密だろうから、それは「相棒」さんに譲ることにして、コーヒーをごちそうになって一休みである。(明日に続く)

今日の写真が語ること…(春の雪) / Windows7自作が簡単、何でもOSが… (9)

2010-01-30 05:06:45 | Weblog
 (今日の写真は、「春」に相応しい「生け花」だ。何故この写真の登場かというと、一昨日のお天気に由来している。だが、これをいけたご本人は「一昨日」のお天気などとは関係のないところで、つまり、心情的には何の結節点のないままに「いけて」いるのである。
 一昨日(28日朝)の「外気温」は6.2℃であった。それから、雨になった。そして、午前10時ごろから、綿をちぎったような、雪片の大きな雪「綿雪」に変わった。「綿雪」は俳句の世界では「春の季語」だ。
 1月の下旬は、二十四節気の一つである「大寒」であり、一年で最も気温が低い時期である。
「大寒と敵(かたき)のごとく対(むか)ひたり」(富安風生)という俳句はまさに、その寒さを吟じている。「季語」は大寒、「季節」は冬だ。だが、28日は春の季語で俳句が出来そうな日であった。
 「春がそこまで来ている」、いや「すでに春は来ている」というこの暖かい「大寒」に相応しいという思いで、この写真を今朝は載せたのである。)

◇◇ 今日の写真が語ること…(春の雪) ◇◇

 この「綿雪」は別に、「春の雪」、「春雪(しゅんせつ)」「淡雪(あわゆき)」、「沫雪(あわゆき)」、「牡丹雪(ぼたんゆき)」、または「斑雪(はだれゆき)」や「はだら雪(はだらゆき)」などとも呼ばれている。
ただし、「斑雪(はだれゆき)」は「はらはらとまばらに降る雪のこと」だが、「まばらに降り積もった春の雪」、または「解けかけてまだらに残っている雪」のことをも言うので注意が必要だろう。
 何という日本人の「感性」の豊かさだろう。同じ雪をさして、このように何種もの言い方でとらえるということは、微妙な違いを見て取り、感じ取っている証であろう。
 私は28日の「牡丹雪」を見て、その降りしきる中を歩いて、西東三鬼の「垂れ髪に雪をちりばめ卒業す」という句を懐かしく思い出していた。
 長い教員生活だったが、「卒業式」は年1回だ。その30数回の卒業式後に、この西東の俳句のような「風情と心情」を描いてくれたものはたった1回であった。そして、「ああ、春なんだ」と思った。
 「女子生徒が長い髪の毛に、美しい髪飾りのような淡雪を散りばめて卒業していく」という嬉しいような悲しいような感情、それに、別れという寂しさなど一挙に描きあげている句である。
 だが、私は「垂れ髪」を飾る「淡雪」の直ぐに解けて消えゆく短命に、思いがいって、何だかこの少女の行く末に不安を感じたものである。

 次に、「28日に降った雪」の様々な別名で吟じた句を掲げてみよう。
・にわとりの卵あたたか春の雪 (小西昭夫)
・春雪の暫く降るや海の上 (前田普羅)
・淡雪のつもるつもりや砂の上 (久保田万太郎)
・夜の町は紺しぼりつつ牡丹雪 (桂信子)
・文字盤の中も斑雪の花時計 (鷹羽狩行)

 津軽には「雨かえし(あまがえし)」という言葉がある。滅多にないことだが「真冬に雨が降るとその翌日は大荒れだ」という俚諺である。
 だが、昔から使われてきたこの「俚諺」も当たらなくなっている。29日、昨日は太陽が顔を出し晴れで、風は少し強かったが、その風も「春風」を想わせたし、気温も高かった。まさに、春3月のお天気であった。
 そして、今朝、雪は積もっていたものの、わずか数cmであった。日射しがあると直ぐに消えてしまう程度の雪である。今年もと言わずに「今年は暖冬だ」と言おう。

◇◇ Windows7は自作が簡単、何でもOSがしてくれる (9)◇◇
(承前)
…一昔前は、そのようなことはなかった…

 …こんなこともあった。インターネットの話しだ。
 「電話線」につないで、インターネットで、自作機に「ドライバー」や「アプリケーション」をダウンロードすると、スピードが遅いので時間がかかり、それがすべて「通話料」となって請求される。考えてみたら、実にばかばかしい話しなのだった。
 そこで、インターネット回線を光ケーブル(NTT B Flets 100Mbps)にすることにした。
 そのための手数料が1万何千円もする。これもばかばかしいので、電話の切り換えや配線など自分で全部やり、半額ほど安く出来た。
 だが、これとて、「速い」状態が続くわけではない。3ヶ月もすると、速度が、始めた頃より10Mbpsほど遅くなっていた。
 私と同じ外部回線の先の方に、加入者が増えたからだ。何とかしようとレジストリーの書き換えやら、ルータの設定変更、MTUやRWIN値の書き換えなどをして、以前よりも少し速い状態に戻した。自作機ではスピードが出る。
 よくなるとまた「欲」が出てくる。より速くするためにネットワークアダプターの変更も視野に入れながら、あれこれと「いじって」スループットがほぼ常時30Mbpsと安定するようになった。因みに、現在は下りで「80Mbps」は常時出ている。
 「スピード測定」のサイトは沢山あるが、一つに絞ってその変化を調べていくことが重要だ。一つ気づいたことがあった。それは同じIntel(R) PROネットワークアダプターでも、その規格が/1000と/100では速度に若干、違いがあるということであった。
 比べてみた。自作機がIntel(R) PRO/1000。1台持っていた既製品「Dell8300」がIntel(R) PRO/100である。自作機のほうが速い数値を示すのだ。
 そこで/1000規格のCorega1000M/100M/10M対応「GEtherPCI-T32」LANアダプター(価格2000円程度)を買ってきて、Dell8300のBIOSを変更し、デバイスからIntel(R) PRO/100を削除した上で、PCIに取り付けたのだ。
 しかし、電源ONでBIOSのPOST画面が出るなりハングだ。動かない。何回やっても同じ。
 これは、BIOSで変更できないようなマザーボードが組み込まれているためなのである。既製のPCはこのように応用が利かないのである。(明日に続く)

今日の写真が語ること… / Windows7自作が簡単、何でもOSが… (8)

2010-01-29 05:13:55 | Weblog
 (今日の写真は、現在私が使っているASUS製のマザーボード「P6T D」とその内部だ。ほぼ真ん中に見える黒くて丸いものは「水冷」のCPUクーラーだ。
 この水冷クーラーにしたら、筐体内にこのように「スペース」が出来て、排熱処理がしやすくなった。この写真には見えないが、横蓋には「排気用」のフアンを、アルミの「側板」に四角の穴をあけて、そこに設置している。その左横にはメモリーが6枚で12GB。CPUはIntel i7 965 Extrem 3.20Ghzだ。
 「排熱・排気」処理が容易になったので、これは、3.60Ghzまで、オーバークロックして使っている。これでは熱が出るというものだ。CPU Intel i7 965のTDPは130Wattsである。3.60Ghzまで、オーバークロックしていると上限の130Wattsが出ているかも知れない。ASUS製のマザーボードは、ボード自体が放熱する処理が施されているので、それでも余り「熱く」ならない。
 「熱く」なると、CPUやメモリが「熱暴走」というものを起こして、突然動きを停止したりする。これは怖いことだ。)

◇◇ 今日の写真が語ること… ◇◇

 マザーボードの大きさには規格がある。これは、もっとも一般的な「ATX」というものだ。何年経っても、この規格だけは変わっていない。だから、愛着ある古いケースに最新かつハイエンドと言われるボードをつけることが出来るのである。
 パーツを「収容」する「ボード」の大きさが変わらないので、メモリなど装着するパーツの大きさもここ10年ほどは変化がない。
 変わったものは「HDD(ハードデスク)」とグラフィックカード「ビデオカード」だ。「HDD(ハードデスク)」は小さくなっている。2.5インチのものまである。最近は「HDD(ハードデスク)」ではなく「SSD」を使う者もいる。私も、「システムデスク」として、2.5インチの「SSD」を使っている。高速で熱を出さないし、音も出さないことは魅力である。 逆に、「グラフィックカード」はどんどんとその形状を大きくしてきている。さらに、何枚も差すことが出来るように、カードを差し込む「コネクター」の数が増えてきた。
 形が大きくなったということは、機能がプラスされ、「熱」を出す部品が大量に使われているということだ。
 この「グラフィックカード」の排気排熱処理もまた自作する者にとっては課題なのである。

◇◇ Windows7は自作が簡単、何でもOSがしてくれる (8)◇◇
(承前)
…一昔前は、そのようなことはなかった…

 …これを受けて、私は指定された「アドレス」にアクセスを試みた。ところが、アクセス不能なのだ。そこで、再び「○○瑞希」さんへ連絡を入れる。
「http://www.asus.com.tw/support/cpusupport/cpusupport.aspxですが、何度アクセスしても開きません。」と。
 …しばらくすると、返信があった。
 「申し訳ございません。確認したところ、メールをお送りした後、ASUSの台湾のサイトはメンテナンスに入ったようでございます。
 しばらくすれば確認して頂くことが出来るようになるとは思いますが、取り急ぎは次のアメリカのサイトのURLをご案内致します。
ASUS CPU Support List(USA):http://www.asus.com/support/cpusupport/cpusupport.aspx

 結論から申し上げればBIOS 1014の環境でCPU3.2GHzをサポートするという内容になっております。これから最小構成で御確認頂くとのことで、お手数をお掛けして申し訳ございません。何かございましたら再度ご連絡頂ければと思います。」

 私からのメール…
 丁寧なサポートありがとうございます。せっかく教えて頂いた
http://www.asus.com.tw/support/cpusupport/cpusupport.aspxですが、何度アクセスしても開きません。BIOSのリビジョンは、ずばり1014でした。Intel Pentium4 3.2GHzCPUはExtreme EditionやPrescottコアではなく普通の 3.2GHzです。
 ご指導頂いた「最小構成での確認」は時間のとれる時に改めてします。なお電源の持ち合わせはないので出来ません。
私のマザーボード「P4C800-E Deluxe」は03年11月に製造されたもののようです。とり
あえずご連絡とお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 多忙なところ、差そっくサポートして頂きまして大変嬉しく思います。全くの素人なので「情けなく」なっていたところでした。さりとて毎回起動ごとにF2キーをおすのもいやだし、ギーという音を聞くのも耐えられません。
 CMOSクリアしたあとでCPUを2.6GHzにして起動したら、まず異常音はありませんでした。BIOSで時間の設定をするように促され、それを設定してから、いったん電源を
きってもう一度ONにしました。すべて正常に動作しました。
 あとで3.20GHzに換えてもう一度挑戦してみます。とりあえずご報告いたします。お世話になりましてありがとうございました。
 その後CPUを3.20Ghzのものに交換したところ、やはり「電源」をONにしたら、ギーというけたたましい音と何語か分からないが女性の声によるアナウンスが瞬時聞こえた。次いでASUSの起動画面が表示された。次に…The BIOS is not installed....と表示された。「ピー」という音の後、画面が黒くなり次いで…
New CPU installed!Please enter setup to configure your system.Press F1 to Run setup Press F2 to load default values and continue.と表示された。
COMSのクリアをして今度は手持ちの3.00GhzのCPUに交換したところ正常に作動した。2.60Ghzも3.00GhzのCPUでは正常ということです。
 どうも3.00Ghzを超えるとマザーボードが対応できないものと思われます。
マニアルやパンフレットには3.20Ghzまでは使用可能と表記されてあったので購入をしたのですが残念です。

…ということで、結局3.20GhzのCPUはこのマザーボードでは使えなかった。またまた、新しい別のマザーボードを購入して「作り直す」羽目になってしまったのである。

今日の写真が語ること… / Windows7自作が簡単、何でもOSが… (7)

2010-01-28 04:43:40 | Weblog
 (今日の写真は、昨年の1月18日に山頂で「相棒」さんを撮ったものだ。別にその日に登頂したことと「相棒」さんを紹介したくて、この写真を載せたわけではない。
 私はこれまで、「相棒」さんという呼称でブログの中で紹介してきた。堂々と顔写真を使うようになったのは、つい最近からである。
 それは、この「ブログ」に登場する「相棒」さんの実名が新聞で、「世の人々」に紹介されて、どこの誰なのか、多くの人が承知するところとなったからだ。
 事前に「『実名と住所』、それに『顔写真』が掲載されるかもしれないから、いいかと訊いて『OK』という返事」はもらってはいた。一方的に勝手にしたことではない。
 「相棒」さんの左に見える建造物に関することを書きたかったのだが、それだけを写したものがなかったのだ。ということでこの写真の登場ということになった。この建造物は「岩木山神社奥宮」である。)

◇◇ 今日の写真が語ること… ◇◇

 数日間寒い日が続いたが、昨日あたりからまた、暖気になってきた。降雪も殆どない。年末年始のころの「冬日、真冬日」はどこに行ったのだろう。
 このブログを書いている「今、現在(28日朝)」4時23分の「外気温」は6.2℃である。マイナスではない。プラスの6.2℃だ。
 一般的には、1月の末から2月の上旬が1年でもっとも「寒い」時季なのだ。気象庁もこの暖気は「3月中旬」のものだと言っている。季節は1ヶ月半早く進んでいる。この傾向は、昨年と同じだ。
 1月11日に山頂に行った時も、この写真のように「奥宮」はしっかりと「姿」を出していた。今年も「少雪」なのだ。私はここ10数年間、毎年「今年も少雪」と書いてきた。
 「…も何々」という表現は「何かを基準」にして、「何か」を比較する言い方だ。だが、このように「毎年少雪で暖気」が続くと、この比較表現が出来なくなってしまうのではないか。つまり、「少雪で暖冬」という「異常」なことが「基準」になるということだ。異常を正常と見なして本当にいいのだろうか。

◇◇ Windows7は自作が簡単、何でもOSがしてくれる (7)◇◇
(承前)
…一昔前は、そのようなことはなかった…

 本当に懇切丁寧なサポートであった。初心者にでも分かるように解説してくれる。キーボードのキー操作の意味まで教えてくれるのである。
 私は、この「瑞希さん」とメールをやりとりすることが楽しくなった。名前から判断すると女性であるらしい。今でも、ふとこのことを思い出すし、現在使っているマザーボードもASUS製なので、質問をすることもある。宛先はこの「○○瑞希」さんで、メールは「お久しぶりです」ではじまるのだ。

 その「○○瑞希」さんからの回答は続く。
…以下、ご質問頂いた個別の件に関して回答させて頂きます。

1.電源をONにしたらギーというけたたましい音と中国語と思われるアナウンスが聞こえた。
 …マザーボード側で能動的に発生させる音ですとBEEP音になります。その他音を発生する部品等はございません。音の種別と、どこから音が出ているのか確認をお願い致します。
 また、アナウンスの内容についてはデフォルトで英語となっております。中国語版はございません。製品のマニュアル(UserGuide)にアナウンスの一覧表がございますので、御確認下さい。ページは3.2にございますVocal POST Messageになります。
2.次に・・・The BIOS is not installed....と表示された。
 「P4C800-E」が持っているRAID側の機能を提供するRAID-BIOSの表示になります。RAIDコントローラー側にHDDを挿して頂いていない場合は正常です。

 BIOSの以下の項目を変更することで、表示させないよう変更することも可能です。
BIOS > Advanced > Onboard Devices Configuration > Onboard Promise Controller > Disabledに変更して下さい。
「New CPU installed!Please enter setup to configure your system.Press F1 to Run setup Press F2 to load default values and continue.」とは…CPUが変更された場合に表示されるメッセージです。一旦F1キーでBIOSに入って頂き、必要でしたらBIOSのCPU周りに関する設定を行った後、再起動して頂ければ新しいCPUで正常に動作致します。
 とりあえずBOOTさせたいという場合はF2キーでそのまま続行して頂いても通常は問題ございません。

 お手元での確認ありがとうございます。3.0GHzまでは問題無く、3.2GHzではメールにも記載頂いた症状が発生するとのことですが、ご利用頂いております「P4C800-E Deluxe」は3.2GHzに対応しております。よろしければ以下のURLを御確認下さい。

ASUS CPU Support List:
http://www.asus.com.tw/support/cpusupport/cpusupport.aspx
CPU Socket Type of Motherboard : Socket478
Motherboard Model : P4C800-E Deluxe

 以上のように選択頂ければCPUごとの対応が確認出来ます。3.2GHzでもExtreme Editionや3.20E(Prescottコアと呼ばれる物です)で無い、通常のPentium4 3.2GHzであれば、特に問題無く動作致します。逆に、その他の3.2GHzの場合BIOSのリビジョンが1014以降になっているかどうか確認する必要がございます。

 なお、BIOSのバージョンの確認は起動時のPOST画面で行います。人の形をした本マザーボードのロゴマークが起動時すぐに出てくると思いますが、その際TABキーを押して頂ければテキストの画面が確認出来、BIOSのリビジョンもその中に記載がございます。テキスト画面はすぐ消えて次の画面に遷移致します。PAUSEキーを押すことで画面遷移を止めることが出来ますので、タイミング的に間に合わないような場合にご利用下さい。

 また、一般的な話で恐縮ですが、電源等他の環境に起因する問題の場合も考えられるため、一旦HDD.CD-ROMドライブなどを外して頂いて、最小構成での確認と、お手元に有ればで結構ですので他の電源での動作確認をお勧め致します。
 どうしても3.2GHzでの動作に問題が発生し、またお手元では改善されないという場合は、ご面倒で恐縮ですが、ご購入頂いた販売店様までお持ち頂いて症状をお伝え頂いた上で、検証の御相談をして頂くことをお勧め致します。(明日に続く)

今日の写真が語ること…昨日の東奥日報記事 / Windows7自作が簡単、何でもOSが… (6)

2010-01-27 05:17:03 | Weblog
 (今日の写真は、1999年4月20日に発生した雪崩である。昨日の東奥日報に載ったものだ。昨日のものは「白黒写真」だったので、「カラー」で紹介しようと思い、ここに掲載した。
 この雪崩の発生場所が、それまでのものと極端に違っていた。それまでのものは「大沢右岸鳥海斜面中央部」からのものであるのに、99年のものは「大沢左岸中央火口丘外輪南面」からのものである。発生場所が東に移動しているのである。
 その規模は長さ(距離)においては1986年の4月22日に鳥海尾根斜面で発生したものを遙かに凌ぐものであった。
雪崩は標高約1400から1450mの2本の亀裂から、幅300mの底辺をなすデルタ形で大沢下流部に崩落して、それが大沢を下り、蔵助沢に落ち込み標高850mに達していた。)

◇◇ 今日の写真が語ること…昨日の東奥日報記事 ◇◇

 私の調査によると少なくとも1999年以前には大沢上部左岸では全層雪崩の発生はない。
 私はそれまで少なくとも厳冬期に5~6回は登頂していた。この全層(底)雪崩が発生した4月季に、つまり、「春山」シーズンにも何回も登っている。この「春山」の時季を入れると少なくとも、99年までは40年近い「岩木山通い」をしていた。だが、「この場所」で雪崩の発生は1回もなかったのである。
 ここで最初に雪崩が発生したのは1999年4月20日の夜から21日の朝にかけてである。岩木山で4月に入ってから発生する大規模な全層(底)雪崩は、頻繁ではないが人の記憶に留まる範囲の間遠さで起きている。
 私の記憶では1976年と1986年のものが、踏査をしたこともあって鮮明である。この二つの雪崩は天気が悪かった所為もあり、マスコミが映像と記事によって大々的に報ずることはなかった。
 2つとも発生場所は鳥海山南東斜面、「焼け止り小屋」の上部である。76年のものは「焼け止り小屋」を破壊し、デブリは小屋の下部600mに達していた。86年のものは「焼け止り小屋」が東に50mほどのところに移設されたこともあり「崩・倒壊」を免れたが雪崩の左端は「焼け止り小屋」の西数mのところを流下して、デブリは800m下部に達していた。

◇◇ Windows7は自作が簡単、何でもOSがしてくれる (6)◇◇
(承前)
…一昔前は、そのようなことはなかった…

 …今だからああでもない、こうでもないと「知った顔」で語っているが、分からないことだらけで、盛んに「メーカー」のサポート係とやりとりをしていたものだ。
 たとえば次のことも、その1つだろう。
「CPU交換後に異常音と異常画面、Windowsが起動しない」ということでのやりとりだ。
これは、2004 年 2月に「パワーデポ」から購入した「P4C800-E Deluxe」というマザーボードでのことだ。相手は「パワーデポ」ではない。東京のメーカー代理店株式会社ユニティ技術部 サポート担当の「○○みずき」さんである。漢字では「○○瑞希」と書く。

 因みに、その時の自作PCの構成は次のようになっていた。
・使用OS: Windows XP Pro SP1・CPU:Pentium4 3.2 Ghz FSB800
・メモリ容量:2.0GB PC3200・電源出力:350Watts・VGA: ATI Radeon9800Pro128MB DirectX-Version:・HDD: Seagate

トラブル発生時の具体的な症状は次のようである。
 「インテルペンテアム2.60GHのCPUをセットして組み立てトラブルなく使っていた。CPUを3.20GHに交換した。」

1.電源をONにしたらギーというけたたましい音と中国語と思われるアナウンスが聞こえた。
2.ASUSの起動画面が表示された。
3.次に・・・The BIOS is not installed....と表示された。
4.ピーという音の後、画面が黒くなり次いでNew CPU installed!Please enter setup to configure your system.Press F1 to Run setup Press F2 to load default values and continue.と表示された。
5.F2キーをおしたらWindowsが起動した。
6.BIOS画面のconfigure advanced CPU settingsのHyper-Threading Technologyとその上の項目をEnabledに設定した。
7.デバイスマネジャーのプロセッサでは「Intel(R)Pentium(R)4 CPU3.20GHz」が並んで認識されている。システムのプロパテイでも同様に認識されている。
8.元の2.60GhzCPUにしても1.から5.までの症状に変わりはなく、以前の正常な動きはしない。

 CPUの交換前はギーというけたたましい音と中国語のアナウンスもなく、The BIOS is not installed....の後に直ぐWindowsが起動していた。正常な起動パターンに戻すにはBIOS設定をどうすればいいか。

 ユニティサポートセンターからの回答だ。

 …まずはBIOSも含めて設定を初期化するためにCMOSクリアの実行をお勧め致します。手順については以下の弊社サポートサイトに詳しく記載がございますので御確認下さい。

CMOSクリアの手順:
http://www.unitycorp.co.jp/support/faq/detail/cmos_clear.html

 また、以前は正常であったとのことですので、CMOSクリア後はこれまでご利用頂いていた2.6GHzでの確認をお勧め致します。

 改善されない場合は、音が出るという点に関しましても気になりますので、ご購入頂いた販売店様にお持ち頂いて、症状をお伝え頂きマザーボード側の問題かどうか御相談頂ければと思います。(明日に続く)

今日の写真が語ること…今朝の東奥日報記事 / Windows7自作が簡単、何でもOSが… (5)

2010-01-26 05:14:59 | Weblog
(今日の写真は、今朝の「東奥日報」記事、「『きょうのチェック』温暖化の影響か岩木山の雪崩発生場所が変化」(本記事は20面)に関係したものだ。
 この写真は私が撮って、私が「書き込み」をして、本会のHPに載せてあるものだ。そこから転載した。
 私がこの記事を書いたなら、記事に添付する写真はこれであろう。緑の線で形取られた部分が03年4月に発生して、毒蛇沢に落ち込んでいる大きな「全層(底)雪崩」である。)

◇◇ 今日の写真が語ること… ◇◇

 岩木山の雪崩発生場所に変化が起き出したのは99年からである。その詳しいことは今日の「東奥日報記事」に譲ることにして、今日の写真の関したことを書こう。
 99年4月に次いで発生した場所がここだ。この鳥海南東斜面は雪崩の発生が多い場所だ。これまでに、数回大雪崩が発生して、焼け止まり小屋は一度は吹き飛ばされてなくなってしまったほどだ。
 つまり、雪崩の方向は「焼け止まり小屋」を目指していたわけだ。だが、03年のものは「鳥海南東斜面」で発生したが、それまでの東寄りから南寄りに変わった。雪崩による「雪層の剥離跡」は、はっきりと眺められたのである。それは、いびつな心形をしていて末端は毒蛇沢に流れている。幅は3、400mあろうか。長さはよく分からないが7、800m程度であろうと思われる。
 これは、「鳥海南東斜面」に溜まる積雪の量とその積雪の傾きに変化が出てきたためである。つまり、西から冬期間、吹き付ける季節風「西風」が弱く、積もる場所が東から西に移動したことと、溜まった雪の「ヘッド」が南に偏っている所為である。
 この流れ方が99年以降の次に述べる「気象的な特徴」をよく現している。

第1に、季節風の吹き出しが極端に弱く長続きしない。
第2に、雪層が柔らかく締まっていない。
第3に、雪層に何重かのアイスバーン形成があまり見られない。
第4に、冬季を通じて、全体的に暖冬である。
第5に、3月から4月にかけて「降雪」と「高温」が繰り返して続く。

 また、「雪層が密でなく締まっていないこと」、「微小な雪粒同士の粘着性が欠如」、「凍結による固い雪層の成立とその数層構造がなされていないこと」等という特徴もある。

 以上のように、99年以前に比べると、確実に雪崩発生場所は西に偏ってきている。99年のものも、08年のものも、普通に「寒くて季節風の吹き出しが強ければ」、全部「後長根」上部に吹き溜まる「積雪」なのである。

◇◇ Windows7は自作が簡単、何でもOSがしてくれる (5)◇◇
(承前)
…一昔前は、そのようなことはなかった… 

 昨日、「相棒」さんが自作したコンピュータが、突然動かなくなったという。前の晩に電源をオフにしたのに、ランプが点灯したままだったそうだ。そして、朝にスイッチオンでも「電源」が作動しないということなのである。

 新品の「電源」であれば、このようなことはない。ただし、そうとも言えない場合もある。私のPCの電源は、1年も使用しないのにダウンしたのはつい先日だった。
 「Windouws7」のRC版が公開されたときに、早速、それに併せて自作した。主な仕様は、マザーボード「P6T-D」、CPUがCore i7 965 Extreme Edition、メモリが CorsairのCM3X2G1333C9が6枚で12GB である。
 これだと、かなり大きめな「電源」が必要だと判断してピークで「800Watt」を越えても大丈夫だと思われる「電源」を新調した。
 ところが、1年もしないで、ダウン。おかしな兆候は数日前からあった。度々、「息切れするかのように止まっては復活する」という傾向だ。起動できるので「Bios」を開いて、「Hardware moniter」の電源関係の項目を見ると、それぞれ規定値よりもかなり変化している。少なくなっているものもあれば極端に増加している項目もあった。中には「赤」でそれらが示されている。
 この時点で、何らかの対応をとるべきだったのに、「そのまま」の状態で使っていたら、運悪く文書入力中に「休止」してしまい、「バックアップ」のとれないままとなり、2000字ほどの文章が「パー」になってしまった。
既製品PCは、「電源」に見合った「パーツ」を使っている。だから、「電源」に負荷を殆どかけないので、「電源」がダウンするということは、まずない。
 「電源」のダウンということは「電力」を食う「ハイエンド」なパーツを載せすぎる傾向になる。それにしても、1年未満で電源がダウンとは私も初体験であった。
 自作を標榜するものは「Bios」から「Hardware moniter」を時々開いて、確認を怠るべきではない。いくら、「Windows7」だからといってもここまでは「してくれない」からだ。
 「相棒」さんの「電源」は、私が数年使っていた「古い」もので、450Wattsだ。経年変化と高負荷をかけ過ぎた使い方をしていたので、コンデンサー等の劣化が原因なのだろう。調べてみたら完全に「電源」としての機能を果たせない状態だった。これだと、交換するしかない。手持ちの600Wattsのものと交換したら、即「起動」。30分足らずで以前よりも元気に動き出した。
 Biosを開いて点検。正常な規定値となっている。もう心配はない。「他人」のPCは操作もここまでだ。それ以上「開いて」見ることがあってはならない。「他人のPC」は、その人にとっては「秘密の箱」なのである。むやみに「覗く」ものではない。
 ところが、「知らない振りをして」むやみに覗いている者がいるのだ。それは、「Windows7」というOSであり、そのOSを提供しているマイクロソフト社である。
 個人のPCに対して、「何でもOSがしてくれる」ということは、その「OS」が個人のPCを覗いているということに他ならない。言い方をかえると、「Windows7」を使っているPCはすべて「マイクロソフト社」にコントロールされているということだ。
 一例で示そう。たとえば、新しく「ビデオカード」を取り替えたとする。これまでは、「nVidia」のカードであれば、「nVidia」のHPに自分でアクセスして、そこからドライバーをダウンロードしてインストールしなければいけなかったのだ。だが、「Windows7」はそれをしてくれるのである。この時点で「あなたのビデオカード」は「nVidia」の何々ですなということが「マイクロソフト社」に把握されてしまうということだ。このように、「個人のPC」はすべて「マイクロソフト社」によって捕縛されている。
 だが、「このこと」をして、使っている人は「便利」だとか「親切」と言うのである。私に言わせると「余計なお節介」である。
 その内に、「Windows7」と「マイクロソフト社」よって個人が支配され、国家が乗っ取られて、世界が支配されるというのは杞憂に過ぎないことだろうか。ああ、悪い夢をまた見てしまった。(明日に続く)

今日の写真が語ること… / Windows7は自作が簡単、何でもOSがしてくれる (4)

2010-01-25 05:14:28 | Weblog
 (今日の写真は、黄色いバラの「ブーケ」である。「岩木山を考える会」HPブログ事務局長日誌に「バラのブーケ」が登場すること自体、おかしい、整合性がないと訝る人もいよう。だが、これは、私自身に関わることであり、岩木山と深く関係があることなのである。
 これは、あの、「40年連続厳冬期岩木山登頂」のことが、「真冬40回登頂」と間違って東奥日報に掲載された日に、ある人が「おめでとう」という辞とともに、贈ってくれたものだ。)

◇◇ 今日の写真が語ること… ◇◇

 贈ってくれた人は私の講座受講者のTさんである。私は「真冬40回登頂」という誤報を多くの人が「信じてしまう」だろうことを苦慮していた。
 だが、T さんは「それにしてもすごいこと」の一言であまり気にしていない。
 ほかの受講者も、その記事を読んだらしく、Tさんと同じような「言辞」を私に贈ってくれた。私は、「ブーケ」を抱きしめながら、実際は「厳冬期岩木山登頂連続40年、登頂回数は150回を越える」ということを話して、新聞記事を訂正したのであった。

 「花束」を贈られるという機会を得ることは人生にあって、あまり多いことではないだろう。
 最近は「結婚披露宴」とか、「キリスト教信者」でもないのに「教会」で結婚式をあげる人かが増えているので「新郎新婦」が花束を抱きかかえていることをよく見かける。
 まあ、このことを勘案すると「人生で誰もが1回」ほどは花束を贈られる機会はあると考えていいだろう。
 私は「仏前結婚」をしたので「贈られた花束」を抱いたという記憶はない。私が「花束」を贈られたのは「出版記念会」の時だ。これは今まで2回あった。Tさんからの花束を含めてこれで3回目ということになる。
 ところで、これは、私の連れ合いが「活けて」くれたものだ。贈られてから10日あまり過ぎたがまだ「元気」だ。
 バラの色は薄い黄色だ。この花色にはどのような意味があるのだろうか。見るたびにそのことを考えてしまうのだ。
 
◇◇ Windows7は自作が簡単、何でもOSがしてくれる (4)◇◇
(承前)
…一昔前は、そのようなことはなかった…

 …「パンフレットやマニュアルではMSI K8Nマザーボードは4.00GBまでメモリを使用する(挿入する)ことが可能であるとある。
 となれば、プロパティ表示やパフォーマンス表示が実装のメモリ合計より少なくても実際はメモリとして機能しているのだろうか。
 よくわからないことは、ASUSマザーボードでも4.00GBまで使用できるし、3.00GBではちゃんと3.00GBを示し、Dellは4.00GBが3.00GB物理アドレス拡張、そして『MSI K8N』は3.00GBで、32bitの場合は『2.00GB物理アドレス拡張』、64bitの場合は『2.00GB』になるということである。
 パソコンに詳しい人はまったく疑問に思わないことなのだろうが、私のようなド素人には『メモリ4.00GBまで使えます』とありながら、そうではないと『不信』が先に立つ。
 せっかく購入し、これから64bitマシンとして大切に、愛着をもって使っていきたいと考えている。ド素人の不信が払拭されますような回答を待つ。」                           
それに対する「返信」だ。
「早速では御座いますが、お問い合わせの内容にて弊社で検証を行いました結果現象を確認致しました。
 こちらはCPUの仕様でシングルチャンネルとデュアルチャンネルの併用が出来ない為、デュアルチャンネルで動作している場合(メモリー2枚)3枚目のメモリーが認識出来ません。
 1GBメモリーを4枚で使用した場合は全てのメモリーがデュアルチャンネルで動作しますのでWindowsのシステム情報にて4GBと認識しております。
 マニュアルにも記載しておりますようにメモリーは同種の物を1枚、2枚4枚の何れかでご使用下さいませ。
 64Bit OS使用時には、Cell MenuのS/W Memory hole Remappingを有効にしMTRR Mapping ModeをContinuousに設定して下さいませ。」

 次から次へと質問や問い合わせ事項が続く。

 次の操作をしたことの結果についてお訊きしたい。
コントロールパネル-システム-ハードウエア-デバイスマネージャーと展開し、「その他のデバイス-ほかのPCI Bridgeデバイス-ドライバーの更新」のハードウエアの更新ウイザードで…
1.一覧または特定場所からとしてMSIマザーボード付属のCDおよびビデオカード付属のCDから。
2.自動的にインストールからマイクロソフトアップデートから。
 1.2.の両方を実行してみた。結果はいずれも「このハードウエアをインストールできません」であった。
 そこで、質問だ。
1.デバイスマネージャーと展開し、その他のデバイスの「ほかのPCI Bridgeデバイス」とはどのようなことであろうか。素人のあて推量だが、グラフィックカードの「SLI」に関係あることなのか。もしそうならば、グラフィックカード「Win Fast PX6600 GT TDH 128MB SLI」をもう1枚セットするとハードウエアは自動的にインストールされるのであろうか。
2.1.とはまったく関係ないとしたら、「ほかのPCI Bridgeデバイス」ドライバーをどのようにしたらインストール出来か。
 以上、的はずれな質問かも知れないが、何とぞ初心者の戯言として教えて下さい。
            
これに対する「返信」だ。
 「お問い合わせの件ですが、弊社HPのドライバーはベータ版になりますので下記の現象が発生する事を確認いたしました。
 nVidiaのHPの最新Windows XP 64Bitドライバーでは改善されているようですのでそちらをご使用下さいませ。http://www.nvidia.com/page/home.html
(WINDOWS XP 64Bit版の弊社サポートは現在行っておりませんのでご了承下さいませ。)」
 「Windows XP 64Bit版」の出初めの頃は、このようにマザーボード各メーカーでも、未対応のところが多かった。不具合が出ても、「検証はした」、「確認してはいる」という答えにならない回答が多かった。結局は手探り状態で、右往左往しながら「自分」で何とかするか、「諦めるか」であった。 

 それでも、私は「Windows XP 64Bit版」を諦めなかった。不都合な面はあったが、「Windows XP 32Bit版」に比べると、「Windows XP 64Bit版」の方が遙かに「軽快」に動くからであったのだ。(明日に続く)

今日の写真が語ること… / Windows7は自作が簡単、何でもOSがしてくれる (3)

2010-01-24 05:10:16 | Weblog
 (今日の写真は、「2007年、岩木山に咲いていたコマクサ」だ。コマクサはケシ科コマクサ(または、ケマンソウ)属の多年草。種子は約0.5mmであり、艶のある黒い色をしている。7、8月に長さ2cmほどのピンク色の花を咲かせる。)

◇◇ 今日の写真が語ること… ◇◇

 コマクサは本州中部以北の森林限界を越えた高山の、他の草がほとんど生えない砂礫地に生える。大雪山、秋田駒、岩手山、蔵王、北アルプス、乗鞍岳、八ヶ岳等の群落がよく知られていて、特に大雪山のコマクサの花の赤い色は鮮やかであるといわれている。
 南限は甲斐駒ヶ岳であり、世界的には千島列島、サハリン、 カムチャッカ等に分布している。本県では自生していないとされている。
 ということは、この「写真」は何を語っているのだろう。今日のNHK講座ではこのことについて講義をする。

◇◇ Windows7は自作が簡単、何でもOSがしてくれる (3)◇◇
(承前)

 …自分でマザーボードを選び、メーカーの既製品PCに先駆けて使うことは本当に嬉しいのだが、そのプロセスの中で「色々と疑問」が頭をもたげてくる。私自身が「コンピュータ」の基本的なことに理解があれば、難なくクリア出来たであろうことなども、盛んに「マザーボード」製造メーカーに質問している。これも、いってみれば「自作」することの楽しみかも知れない。
 「MSI」という会社のマザーボードを使っていた時のことだ。次のようなことが「MSI」のサポートとやりとりがあった。

 それは3.00GBメモリを搭載しても2.00GB RAMもしくは2.00GB RAM物理アドレス拡張と表記されていることについてだった。

「MSI」のHP、FAQページには次のようにあった。
質問:メモリを4GB以上増設しても512MB~1GB少なく表示されてしまう。
回答:
3GBを超えるメモリ領域にPCシステムの予約領域が存在するため、その領域と重なる部分のメモリは無視される。なお、パソコンが搭載しているVGAカードやデバイスの違いにより、システム領域で予約されるメモリ量は変動する。
 以上のことを踏まえた上で、現況を説明して次のことに訊ねた。

「マザーボードはK8N Diamond。BiosのUpdateはしてある。OSはWindowsXP Pro。ProcessorはAMD Athlon(tm)64 3500+。グラフィックカードはWinfast PX6600GT TDH128MB SLIで、モニターはツインで使用している。
 ハードディスクはSATA120GBが2基、メモリーは1GBを2枚、512MBを2枚で合計3.00GB。
 回答にあるようにControlPanel-システムのプロパテイでは「AMD Athlon(tm)64 Processor 3500+ 2.21GHz, 2.00GB RAM物理アドレス拡張」と表記されている。

1.Biosの書き換えで実装の3.00GB RAMとの表記にならないものか。その書き換え項目および仕方を知らせてください。
 または「パソコンが搭載しているVGAカードやデバイスの違いにより、システム領域で予約されるメモリ量は変動します」ということから、最小限のデバイスにすると限りなく3.00GB に近づくということだろうか。

2.「2.00GB RAM物理アドレス拡張」と表記されているが実装の3.00GBが見えないところで作動しているものなのだろうか。そうだとすればこのままでも別に問題はない。
1GBのメモリーが無駄になっているのではと考えると何とかしたいと思うのである。

それに対する「返信」は…

「お問い合わせの件ですが、BIOSの対応ではメモリーの表記はかえられませんのでご了承下さいませ。
 WINDOWSのプログラム→アクセサリー→システムツール→システム情報にてメモリー搭載量がご確認出来ますので、そちらをご確認下さいませ。
システムのプロパテイのでのメモリー容量はWINDOWSの不具合?で正しく表示されない事があるようです。
 64Bit OSをご使用の場合、BIOSメニューのCell MenuのS/W Memory hole Remappingを有効にするとメモリーの利用域が増加する場合が御座います。
※32Bit OSの場合ご使用頂けません。
 WINDOWSのプログラム→アクセサリー→システムツール→システム情報にてメモリー搭載量がご確認出来ますので、そちらをご確認下さいませ。
システムのプロパテイのでのメモリー容量はWINDOWSの不具合?で正しく表示されない事があるようです。
最小構成での確認との事ですが、変化があるかは実際に試して頂かないとわかりませんので、ご了承下さいませ。」

 だが、この回答でも、納得がいかなかったので、「3.00GBメモリを搭載しても2.00GB RAMもしくは2.00GB RAM物理アドレス拡張と表記されていることについて」再度の質問をした。

『64Bit OSをご使用の場合、BIOSメニューのCell MenuのS/W Memory hole Remappingを有効にするとメモリーの利用域が増加する場合が御座います。』とあったので、64Bit Windows XP Pro x64をインストールしてから、BIOSメニューのCell MenuのS/W Memory hole Remappingを有効にして確認した。
 しかし、システムのプロパティではメモリー3.0GB挿入しているにもかかわらず、あいかわらず「2.00GBRAM」と表記されている。
 ただし、OSを32Bit Windows XP Proにしていた時の「物理アドレス拡張」という表記はなくなっていた。

1.物理アドレス拡張とはどのようなことか。
2.この場合も実装の3.00GBが見えないところで作動しているものなのか。

 私としては1GBのメモリーが無駄になっていなければいいのである。ちなみに、タスクマネージャーのパフォーマンス、物理メモリの合計は2096516KBとなっている。
 ところで、別なマザーボード(メーカーはASUS)にOSを32Bit Windows XP Proにして、3.00GBを挿入した場合は、タスクマネージャーのパフォーマンス、物理メモリの合計は3144428KBとなっている。ちゃんと3.00GBを示している。
 また、Pentium(R)4 CPU 3.80GHzに4.00GBのメモリを挿入したDELLComputerのシステムのプロパティでは「3.00GBRAM 物理アドレス拡張」とあり、タスクマネージャーのパフォーマンス、物理メモリの合計は3144428KBとなっている。(明日に続く)

今日の写真が語ること…米栂(コメツガ)樹霜(3) / Windows7は自作が簡単(2)

2010-01-23 05:15:29 | Weblog
(今日の写真も、「米栂(コメツガ)に着いた樹霜」だ。講座で「コメツガ」の話しをしたら、「それはどのような木だ」と訊いた人がいた。
 「コメツガ」はマツ科ツガ属の常緑針葉樹だ。本州の中部以北や紀伊半島、四国、九州の山地に点々と生育している。亜高山帯の針葉樹林の構成種の一つであり、オオシラビソ(アオモリトドマツ)などとともに、針葉樹林を構成する。
 八甲田山系で見られる「オオシラビソ」は、一般的な通説としては「岩木山には生育していない」ことになっているが、標高1200m付近に生えている場所がある。ただ、その場所には「コメツガ」は見られない。
 「コメツガ」の樹高は20mを越すといわれるが、尾根筋や湿原の周辺などに生育する傾向が高く、そのような場合には樹高も低く、幹も分かれて多幹になっているし、斜面に沿って仰臥している場合も多い。ただし、赤倉沢右岸急斜面には、ほぼ「直立」しているような大木を見ることが出来る。「コメツガ」は亜高山の針葉樹の中では、岩稜帯の痩せ地に生育するタイプだ。)

◇◇ 今日の写真が語ること… ◇◇

 太い幹だ。おそらく、これは樹齢6、700年以上だろう。痩せ地の岩稜帯に生えるから育つための「栄養」が貧しい。その上、1年の半分を「積雪」に覆われて過ごす。さらに、四六時中、強い風、冷たい風に曝されている。
 そのような「環境」では、「目に見えて」大きくなることはない。成長は遅々としている。年輪は1年に1mm以下かも知れない。そうだとすると、1cm太くなるのに10年以上かかるということだ。幹の半径が10cmの太さになるのに100年という時間が必要だということだ。この計算でいくと、赤倉登山道で出合う「寝そべっている太いコメツガ」はやはり、樹齢が1000年から1500年というものもあっておかしくない。
 この樹皮に注目しよう。やはり、「松」に仲間である。これは松の木肌そっくりである。ミズナラの木肌も縦縞に裂けているが、もう少し、裂け方が浅い。
 この深い亀裂に、まろやかな模様を付置しているのが樹霜だ。枝に葉先には「エビの尻尾」も見える。
 正面に見える雪稜は頂部が平らなように見えるが、左は鋭く落ち込み、その奥は切れ込んで、深く降りなければならない。細い稜線が続く。
 山頂までは、このような細い雪稜のアップダウンが延々と続くのだ。

◇◇ Windows7は自作が簡単 (2)◇◇
(承前)

…組み立てが終わったら通電し、Bios画面を開く。初期値のままでもいいが、このままだと「フルスクリーン」の読み込みなどあり、起動に時間がかかるので、これを外したり、自分の好みに合わせてBiosを書き換えるのだ。これは、「Windows7」でもやってくれないから自分でするしかない。
 「Windows XP」の時代はOSをインストールしたあとで、付属のCDから、チップセットを入れる。イーサーネットのドライバー、オーデオドライバーなどをインストールする。
 次は、ビデオカードのドライバーをインストールする。少し古いビデオカードならば、メーカーのHPにアクセスして、新しいドライバーをダウンロードしてからインストールする。さらに、そのマザーボードに関わる種々のユーテリティーを取り込むこともある。
 「Windows7」は、OSが「種々のユーテリティーを取り込むこと」まではしてくれないが、それ以外のことは大概してくれるという念の入れようなのである。
 しかも、その自作機が持っている機能が必要とする様々なドライバーやユーテリティー、インストールしたアプリケーションのバージョンアップドライバーまで、事細かに「陰でこそこそ」としてくれるのである。
 だが、このことを「嬉しい」と思う人は少ないだろう。「Windows7」が組み込まれた既製のPCを使用している人には、「陰でこそこそ」としてくれるのでよく「目に見えない」し、あるいは、この親切で「お節介」な所業に気づかないはずだからである。また、こんなものかと大して「感謝」はしないのではないだろうか。
私にとっては、このの「出しゃばり」と「お節介」がたまらなく嫌なのだ。「そうだったら、なぜ使っているのか」と切り替えされそうだから、言っておくが、この「所業」が嫌いなだけであって、「Windows7」はマイクロソフト社の出したこれまでの、どのOSよりも優れていることは言うまでもないということだ。一口で言うと「軽快」だということである。
 ただ、何故なのかは、よく分からないが、「Windows7 64 bit」ウルティメイトを組み込んだ私のPCは起動に時間がかかるのだ。どうもこれは、「Windows7 64 bit」ウルティメイトというOSの所為ではなく、マザーボードと、組み込んでいるメモリ(12GB )などの初期の読み込みに時間がかかっているらしい。

 自作をしていて、最高のヒットは「64bit版」のOSをより早く使えたということだろうか。
 待ちに待った「Windows XP Pro 64bit版」が発売された。「64bit版」用のマザーボード、それにCPUなどで自作する。その頃の「64bit版」対応CPUは「AMD」社の独壇場だった。「intel」社はまだ、製造できる段階ではなかった。
 だから、「AMD」社の「CPU」は高価だった。「Athlon 64 X2」という「CPU」はDual-Coreで、その中の「FX60」はハイエンドクラスであり「L2 Cache2.6Ghz13.0x」であった。確か10万円を越えていたはずである。ハイエンドの「CPU」は昔も今も非常に高い。
 だが、どのメーカーも「64bit版」対応の既製品PCを発売していない。それに先駆けて「組み立てて使う」ことが出来るという喜びは大きい。(明日に続く)

今日の写真が語ること…米栂(コメツガ)樹霜(2) / Windows7は自作が簡単

2010-01-22 05:19:31 | Weblog
 (今日の写真も、「米栂(コメツガ)に着いた樹霜」である。これも2009年3月27日に、大鳴沢右岸の烏帽子岳山稜で撮ったものだ。
岩木山で、コメツガの生えている場所は、大きく分けていうと西の登山口「松代」と北北東にある登山口「赤倉」を結んだラインの北側である。ただし、赤倉登山道尾根の対岸尾根にもあることはある。しかし、そのラインより、南側には存在しない。
 つまり、弥生登山道尾根、百沢登山道尾根、岳登山道尾根には存在していないのである。これは、岩木山の生成過程に因って決定されたことだ。
 つまり、このラインの北側は「旧い時代」に出来た岩木山であり、昔からの「植生」として「コメツガ」が生えているのだし、南側は生成過程が新しく、中央火口丘などが生成される中で、噴出した溶岩や火山弾などと呼ばれる「硅石」、火山灰などによって覆われて、その際に「死滅」してしまったのであるらしい。
 いずれにしても、「コメツガ」は「貧栄養の岩場」を好む樹木だ。だから、「コメツガ」の生えている場所は、「険しい岩稜」と決まっている。
 岩木山の南面は「火山灰」や「火山礫」を剥ぎ取ると、その下層には「岩」が現れるのである。山麓にも、この岩がたくさん埋没している。)

◇◇ 今日の写真が語ること… ◇◇

 これも、写真展に出したものだ。コメントには「直立してるものは何もない。風によって撓められている。昨晩からの猛烈に強くて冷たい風が幹の右側に樹霜を造る。10年ほど前だと、このコメツガ林内はすべて積雪の中だった。この年も雪が少ない。林内はすけすけではないか」と書いた。
 確かに、「向かって左側に撓められて」いる。これは「西風」の強さを現している。だが、すべてのコメツガは「立って」いる。これに比べると、赤倉登山道尾根に生えているコメツガは立っていない。一様に寝そべっている。斜面に沿って、斜面の下方に梢を向けて倒伏しながら「横たわって」いるのだ。それが10mや15mという樹高であり、年輪が6、700を越える大木でも「仰臥」しているのだ。
 だが、この場所には「斜面に沿って仰臥」させる物理的な原因がないのだ。だから、曲がりなりにも、空間に向かって「立って」いるわけである。
 「斜面に沿って仰臥」させる物理的な原因とは、1つに常時吹き付ける一定の方向からの「強風」だ。もう1つは、「大量の積雪」だ。この2つだが、「大量の積雪」に因ることの方が主因だ。
 積雪は、斜面に沿って「動く」ものだ。「速いスピード」で動くと、それは「雪崩」となる。この「微妙な動き」は雪解けの頃にピークに達する。だが、私たちの目には見えない。
 時には6mを越える積雪が、その重さにスピードを加えたものすごい圧力で「コメツガ」の幹を下方に押し倒す。それは、「幹」を折るような破壊力だ。だが、「コメツガ」は「折られる」よりも、下方に自らを「ねじ伏せる」ことで、その「破壊力」に抗うのである。 この「抗い」を彼らは、長いものでは1000年、短いものでも数10年は続けているのだ。そして、今は、赤倉尾根のどこにも、「立っている」コメツガはない。すべてが「寝そべって」いる。
 それでは、この写真の「コメツガ」が立っている理由を考えよう。「左に撓められている」のは、右からの強風によるものだ。だが、この風は「真横」からのものではない。この右斜面の最下部は「大鳴沢」だ。「大鳴沢」に吹き込んだ風は、斜面に沿って吹き上がってくる。それゆえに、「コメツガ」は真横から風を受けない。つまり、根元から舞い上がるような風を受けるのである。横風ではないのだ。だから、「左への撓め」も、その度合いを少なくしている。  
 もう1つはやはり、積雪だ。この写真を撮ったシーズンは特別雪が少なかった。だが、普通の年は、3~4mの積雪はある。
 ある年の2月に、この山稜を登り、山頂を経て岳に降りたことがあったが、その時もこの「コメツガ林」で雪に阻まれて難儀したことがあった。しかし、強風に巻き上げられて、雪が「吹き溜まる」という度合いは少ない。
 だから、大鳴沢側に落ちて流れていく「雪」も少ない。しかも、稜線央部は少し平らになっているので「積雪」は動かない。「コメツガ」の幹は圧力を受けなくて済むのだ。これだと、斜面に仰臥する必要はまったくないのだ。

◇◇ Windows7は自作が簡単 (1)◇◇

 少し岩木山を離れて、コンピュータの話しにしてみたい。今日のテーマは、別にいうとOS「Windows7」は何でもかんでも、OS自体が勝手にやってくれて、作る者、使用する者の「出番」がとても少ない、ということだ。
 「Windows7」は「他人任せ」、つまり、「他力作善」の人にはベストマッチな「OS」というわけである。
 私は、ここ10年ほど、コンピュータは自作機、と決めてきた。ちょうどその歴史は「Windows XP」と重なる。それ以前の「Windows 98」時代は、勤務先のNECコンピュータを、退職後は一時期、Dell社製のコンピュータを使っていたが、OSが「Windows XP」になった頃から、自分で「コンピュータ」を作るようになった。
 これまでも、何回か「自作」のことを言ってきたし、その都度、「自作は難しくはない、単なる組み立て屋」だとも言ってきた。配線やコネクターの差し込み箇所を間違えないと、誰にでも出来る。
 とにかく、「組み立てる」という行程そのものは、容易なのだ。私が数年前まで「趣味」としていたアマチュア無線の受信機や送信機を自作するのに比べると、実に簡単である。私は小学校5年生の時に「ラジオ」を作ったことがあるが、それよりも簡単である。
 ただ、コンピュータというものは、組み立てたからといって「コンピュータ」になるものではない。組み立てただけでは、単なる「筐体」、つまり「箱」である。
 「本物」のコンピュータにするためには、「組み立て」た後が問題であり、大事なのである。
 「Windows 7」は、マザーボードのBIOS設定を初期化のままでも、インストールしてしまうと「組み立てた後の大事なこと」をすべてやってくれるのだ。まさに、お節介な「OS」である。だが、このことを称して、世の多くの人は「便利」だと言うのだ。(明日に続く)

今日の写真が語ること…米栂(コメツガ)樹霜

2010-01-21 05:02:11 | Weblog
 (今日の写真も、「米栂(コメツガ)に着いた樹霜」である。これも2009年3月27日に、大鳴沢右岸の烏帽子岳山稜で撮ったものだ。
 山も谷も「急峻」な登りや急流、滝があると、そこを登り切るとある程度平らな場所になっているものだ。ここもその「原理」どおりで比較的緩やかな「コメツガ」林になっていた。ここは昨日の写真が示す約45度の「急な登り」の上部なのだ。
 だが、この緩やかな稜線は狭い。西は急激に大鳴沢に落ち込み、東は長前川となる大きな沢の「源頭」へと落ち込んでいる。
 西の大鳴沢からは1年をとおして「季節風」が吹き上がり、そのためにコメツガはどれもこれも撓められている。その撓められた幹には、吹き付けられた「雪」の残り滓が「樹霜」となってこびりついている。どうもこの表現は、この美しさにはそぐわない。写真展を見に来てくれた人たちの数名が、この写真を「白黒」と思って見ていた。だが、これは立派な「カラー写真」だ。)

◇◇ 今日の写真が語ること… ◇◇

 ほっと一息入れて「足」の疲れを癒す。腕の疲れも癒す。山登りをしているのだから「足・脚」が疲れるのは当然だ。だが、読者には「どうして腕が疲れるのか」と怪訝に思う人もいよう。
 この「腕の疲れ」は凍り付いた急斜面を登攀する時に、ブレード部分でカッテングをして「足場」を刻んだことによるものだ。
 「相棒」さんと交替して、その作業をしたが、ラッセルでも他の作業でも「相棒」さんが3分の2で、残り3分の1が私の仕事だ。「他人」に、3分の2を任せているのだから、登山行動の基本「自助努力」という世界からはすでに私は離脱しているといっていい。
 スキーを使う登山でも、「腕」は疲れる。「ワカン」を使う場合も、積雪が「柔らかい」場合は「ストック」を使うことがある。
 それは、「ストック」操作による。最近、夏山でも多くの人が「ストック」を頼りに歩いたり、登ったりしている。本来は、「バランス」確保のために用いられた「ストック」が「3本目」の足や「4本目」の足の役割をしている。
 昔から「老人」は「杖」をつく。「ストック」とは杖のことだ。謎々にも「小さい時は4本足、大きくなると2本足、年を取ると3本足出歩くものは何だ」というものがあった。
 答えは、人間である。昔から人は「年を取ると3本足」というのが「相場」だった。だが、最近の「登山界」には「4本足」の軟弱老人が多すぎる。自分が持つ「生来持っている」2本の足では「自分の身」を支えられないにもかかわらず、整備された都市道を歩く感覚で「足場」の悪い「山道」を歩く。
 このような「ストック」に全面的に「おんぶとだっこ」では、「バランス」感覚は一層減退してしまうだろう。バランス感覚は加齢とともに少なくなっていく。とっさの対応が出来ない。
 山の事故の大半は「足を滑らせて」「手を滑らせて」という「滑落」だ。「ストック」に頼り、「全身」を「ストック」に預けているから、その支えが「外れる」と「つっかえ棒」が外れた時と同じで「倒れて、滑り落ちる」のである。
 しかも、「両手」の「ストック」では、周りの「固定物」に掴まることも出来ない。
登山用品店では「安全のためにストックを」といって売りつけるだろう。しかし、「ストック」は使い方しだいで、危険な用具なのだ。「ストック」の本来的な効用は「支え」にだけあるのではない。上腕の筋肉を使い、歩行速度を速め、より力強い前進力を得るためのものなのだ。「スキー距離競技」のレース展開を見てみるといい。選手たちは、腕を盛んに使いながら、走って、登って、滑っているだろう。だから、私たちはスキー登山や「ワカン」登山でも使うのだ。このように「上腕の筋肉」を酷使するから、当然、腕が痛くなるのである。
 「ストック」は夏山登山の「トータルされた装備」ではない。トータルルックの1つではない。「ストック」がないと、「ストック」を持っていないと「登山者のスタイル」が「演出」出来ないなどと考えていることがあるとすれば、それは、まさに「愚の骨頂」である。「夏山登山にストックは必要ではない」というのが私の長年の主張である。

 私は、この写真のコメントに「おっと、真ん中の幹の間を抜けて、向こうに見える雪稜に取り付こうか。この先が赤倉キレットにつながっているのだ」と書いた。
 「コメツガ林」内はすけすけで風が吹きさらしだ。厳冬期にここには数回来ているが、その時は、この「幹」の部分がすっかり、雪に埋まっていた。少雪傾向は99年からずっと続いている。「厳冬期は雪に埋まる」ということで、このコメツガは長い年月を同じように過ごしてきた。それが、雪に埋まらない「厳冬期」を過ごしているのである。コメツガたちにとっては「異常な状態」が続いているのだ。
 樹木は「ものを言わない」。だが、私たちは、その「樹木の言い分」に耳を傾けなければいけないのだ。

 しばらく、ここで休息をしてから、また、高みを目指して、登りはじめた。吹き溜まりと「氷のような硬い雪面」が次から次へと続く。
 この写真の「真ん中の幹の間を抜けて」見えている白い雪稜は真っ白柔らかそうだが、実は載っている雪は柔らかく10cm程度なのだが、その下層の「雪」はまさに、堅氷であった。「ピッケル」の石突き部分が刺さっていかないほどなのだ。そのような状態が、夏道赤倉登山道「赤倉御殿」出合いまで続くのである。

 この写真を、NHK弘前文化センター講座受講者のT先生が、先日の写真展に来て、いたく気に入って「これが一番いい」と褒めてくれた。
 このシリーズを5点出展したが、その中でも特別これがいいというのである。あまり、普通では見られない「景物」であるということもあろう。私も、「ピント」のあいかた、露出などの点でも「上手く」撮れたものと満足している一点でもある。
 今日はその講座の日である。この写真を「額縁」にいれて、贈ることにしている。その準備は出来ている。

今日の写真が語ること… / 日本原燃への公開質問状、ほか(2)

2010-01-20 04:30:32 | Weblog
 (今日の写真も、「米栂(コメツガ)に着いた粗氷」である。これも2009年3月27日に、大鳴沢右岸の烏帽子岳山稜で撮ったものである。
 それにしても、この急斜面に真っ直ぐ屹立しているコメツガ、しかも、粗氷を身にまとったコメツガが見せる「凛とした美しさ」は何なのだろう。
 その美しさの中に見せる強靱さには頭が下がる。しかも、この急峻な斜面で、真っ直ぐ天を覗っているのだ。)

◇◇ 今日の写真が語ること… ◇◇

 鰺ヶ沢スキー場拡張ゲレンデ上端から取り付いたが、3日間降り続いた「新雪」は深く、トップを行く「相棒」さんは苦労していた。たまに、トップを交替する私も同様に難儀をしていた。
 この写真の「斜面・雪面」に注目してほしい。「3日間降り続いた新雪は深く」と今書いた。しかし、この写真には、どこにもその「深い雪」は見られない。
 「白く見える」部分が新雪であるが、その厚さは、せいぜい1、2cmだ。風が収まってきた「ついさっき」にでも積もったものだろう。この場所は風の通り道で、風のとりわけ強いところである。そのために、「雪が積もることが出来ない」のだ。
 そして、そのような場所の積雪は凍結していて氷のように硬くなっている。はたと困った。ワカンだと登ることが出来ない。いや時間をかけると「登攀」は可能だ。結果的には「ピッケル」で足場を刻んで、階段状にして「時間」をかけて登ったのだが、「アイゼン」を持ってこなかったことがとても悔やまれたことに変わりはなかった。
 ただ、「相棒」さんにとっては、すばらしい学習と実地での訓練になった。「ピッケルていいもんだ」ということを何回も口にしたことが証明しているだろう。
 「登山」とは実際に登ることが、何よりの学習になるものなのである。私は、この現場主義のスタンスを変える気持ちはない。
 それにしても、新雪の白さに比べると「旧い」雪は黒くて汚い。この傾向は年を追うごとに「強く」なっている。雪の殆どない里暮らしでは、この「異様さ」は分からないだろう。この黒さの度合いは、大気汚染の度合いと比例している。
 黒という色彩は、その主成分をタールが占める。石炭や石油製品を使用する工場からの排煙、自動車の排気ガス、アスファルト舗装の剥離した塵粉などだ。
 目に見えないものも、含まれている。それは、酸性雨ならぬ、酸性雪である。「CO2」削減のため、地球に優しい原子力発電を、地球に優しい風力発電、地球に優しい太陽光発電と大騒ぎをしているが、この「黒い雪」も「白い雪」も、そのような人間様のことを「あざ笑っている」としか、私には見えない。
 岩木山では、「春スキーシーズン」に「スキーが滑らない」現象まで起きているのだ。「雪面に浮き出た異物質」のため、滑面に塗ったワックスが化学反応を起こして、「ブレーキ」役を果たしているらしい。恐ろしい「変化」が岩木山を覆うているのだ。

◇◇「日本原燃株式会社」への質問と、それに対する「日本原燃株式会社」の行動…(2)◇◇

 本会の会長、阿部を含めた6人が日本原燃広報課に15日(金)午前11時という約束で、公開質問状の回答を口頭でするというので出かけた。
 ところが、「口頭による回答」はなく、「門前払い」であった。なぜか、それは公開したくないことがあるからだ。「秘匿」しなければいけない何事かを持っているからである。 それにしても、約束反故とは、この「契約社会」にあって、決して許されないことだろう。反社会的な行為であり、人間性に欠けることである。
 この行為が「」の体質であるとするならば「日本の原子力行政」そのものも、「反社会的、非社会的」存在であり、人間性に乏しい組織ということになる。
 どのような行為でも、そこに「人間への慈しみや愛しさ」がなければ、それは空虚で冷たいものになってしまうのだ。

 「猛吹雪のなか六ヶ所まで行った結果」…という題のコメントが「核燃・だまっちゃおられん津軽の会」のブログにあったので、その一部を転載する。「日本原燃株式会社」の対応が詳細に述べられている。

◇折悪しくひどい吹雪で、数メートル先が見えない地吹雪に徐行運転を余儀なくされ、3時間半もかかってたどりついたわけです。そうしたら、「回答は用意できていない。あと1ヶ月はかかるだろう。関係部署にふっている。年末に質問状をいただいたが、そんなに簡単に回答できない」という対応でありました。
事務局では、前もって日程調整の電話のやりとりをしている上、前日にも日本原燃から電話をもらい、何人で来るのですかとか、マスコミが来た場合には同席させて欲しいとかやりとりをしているわけです。回答が準備できないということなら、ひとこと、そう言ってくれればいいのに。
◇原燃が推進しようとしている再処理工場の稼動や核燃料サイクルの実施に反対です、という意思表示をしている団体ですので、親切に対応されると思うほうが間違っているのだ、一昨年の対応が異例であったのだ、と思ったりもしたのですが、しかし、原燃には、反対している市民にこそ、事業の内実をしっかり伝え、その疑問を解き、心配を取り除こうという姿勢を持って欲しいと思います。
わたしたちも、直接話すことでわかることもあります。原燃の側も、市民が何を不安に思っているか知ることができるでしょう。直接話すということは重要です。地域に溶け込み、受け入れられ、地域の発展に寄与する事業体でありたいとは、日本原燃自身も言っていることではありませんか。
◇日本原燃も、反対だと言っている市民が、どうしてそうなのかということを、我々にも聞いて欲しかったです。確かに、質問状を出したのは年末押し迫ってからでしたので、わずか2週間で回答を準備できないというのはわかります。わかりますけれど、そういうことなら、前日電話をいただいたとき、いらっしゃっても回答は出せないと伝えてくださってもよかったと思うし、22項目の質問の中には、単純な、組織的なことを聞いているだけという項目もありましたので、間に合う分だけは先に答えます、という形で対応をしたとしても、別段、何も問題なこともなかったのではないかと思ったりしました。要するに、誠意の問題だと思うのです。

今日の写真は… / 八幡秀彦さんへの思い / 日本原燃への公開質問状、ほか

2010-01-19 05:08:27 | Weblog
(今日の写真は、2009年3月27日に大鳴沢右岸の烏帽子岳山稜で撮った「米栂(コメツガ)粗氷」だ。
 粗氷とは、過冷却した微細な水滴が樹木に凍りつき、無数の氷粒が層をなすものを言う。見た目には、白色透明なのだが、層をなすことで、「白く」見える。これは、割合低山部のコメツガに見られる気象現象だ。
 高山部で気温が低く、風が強い場所だと「祖氷」とはならず、「樹霜」となる。これがよく発達すると「エビのしっぽ」と呼ばれるのだ。
 27日の前々日、前日と大雪だった。そして、気温も低下した。まさにこの天気で山はすっかりと冬に舞い戻った。27日も風が強く、寒く雪降りの続く荒天だった。積雪の踏み抜きも多いところでは「膝下」まで達した。厳しいラッセルが続いた。
 登るに従い、新雪も多くなるが、その新雪は「鏡のように氷化」した斜面に積もっているのである。非常に「動きやすい」状態で、斜面に「載って」いるのである。ショックを与えないように慎重に登る。これがまた、疲れるのである。
 「烏帽子岳」とはどこか、という問いを随分聞いた。この山は弘前からは見えない。鰺ヶ沢から見ると、まさに「烏帽子」のように見えるのだ。
 場所は鰺ヶ沢スキー場、拡張ゲレンデにつらなる「山稜」である。ゲレンデの上部に「ぴょこん」と突き出ている山容がそれだ。登ってしまうとあまり急でない「やせ尾根」が「赤倉キレット」や「赤倉御殿」まで続く。
 積雪期でも、足場が悪く、強風にさらされると、飛ばされる危険のある稜線である。夏場の登りは、やってやれないことはないが、先ず無理だろう。)

◇◇ 長野県から出展してくれた八幡秀彦さんへの思い ◇◇

長野県というと、山国である。山好きの人にとって登る山はたくさんある。それなのに毎年のように「岩木山」を訪れてくれるのだ。何年、弘前で過ごしたかは明らかではないが、その時持った岩木山への思いを、ずっと抱き続けて「岩木山」を訪れてくれるのだ。
 私は正直に、そのような人に「感謝」したい。また、すごく嬉しい。勇気が湧いてくる。地元に住む者として、このように「岩木山」を愛してくれる人のためにも、「永遠不変」の岩木山とするために、「岩木山の自然」を守っていかなければいけないと強く思うのである。
 だが、現実は「自然破壊」に向かって動いている。青森県が行っている「石切沢」砂防堰堤の敷設などが、それだ。耳目に触れない「山中」で、大規模な工事が密かに行われ、自然をことごとく破壊しているのである。

◇◇「日本原燃株式会社」への質問と、それに対する「日本原燃株式会社」の行動…(1)◇◇

 自然保護を標榜する本会としては「核燃のこと」は避けて通れないことなのである。「核汚染」は自然にとって「樹木伐採」などという破壊とその質的な、規模的な意味において比べものにならない「自然破壊」になるのだ。そのような懸念をもって見るだけでも、今回の対応は許されるものではない。
「門前払い」、「見ざる聞かざる言わざる」などという行動を取ること自体、「核燃」が「核燃料サイクル施設立地反対津軽地区連絡会議(津軽の会)」の存在に驚異を持っていること、そして、「秘匿」しなければいけない何事かを持っていることの現れであろう。
 本会は「重大な関心」を寄せて、この問題を見守っている。

「核燃料サイクル施設立地反対津軽地区連絡会議」が「日本原燃株式会社」に次に示す「公開質問状」を送り、回答は、1月15日に口頭で聞くことになっていた。 
 
 …現在、トラブル続きで県民に不安と危惧の念を抱かせている六ヶ所村核燃料再処理施設に対し、私たちは日頃よりその安全性および将来的な存在意義に疑問を持ち、それらの疑問を解決するために自らも学び、教えあい、また様々な方面からのご意見も真摯に聞くという活動を行っています。今回、昨年に引き続き、私たちのいくつかの質問に日本原燃株式会社自身から回答をいただける機会を与えられ感謝しています。下記に質問の内容を記しますので、ご回答のほどよろしくお願いいたします。
 尚、前回は広報部のスタッフの方々が当日私たちに対応していただきました。しかし、質問項目によっては当日回答をいただけないことがあり残念に思いました。つきましては、専門分野の方にもご臨席いただければ幸いです。よろしくお取り計らいください。

A. 再処理全般、技術的問題
(1) ガラス固化体のトラブル(白金族元素の堆積およびノズルの詰まり)に対する改良の進捗状況はどうですか。
(2) 高レベル放射能で汚染されたセル内の洗浄の進捗状況はどうですか?また、洗浄が困難な場合そのセルをあきらめて新築することは選択肢にないのですか。
(3) プルサーマルの営業運転が始まったが、使った後のMOX燃料の処理はどうするのでしょうか。もう本格的に始まるのなら未定では困ると思っています。
(4) NHKの「原発解体」という番組で、(これまで)原発は耐用年数がきて解体する時の事を考えないでつくられてきたとのべられていましたが、県内核燃関連施設に関してはどうでしょうか。
(5) 住民が日常生活で受ける被曝線量は、すべての放射線量(野菜や果物、畜肉、魚介類からの被曝も含む)の合計と考えてよいのでしょうか。

B. トラブルに関する事項

(1) 線量計の誤着用というような、初歩的なミスが起こることは考えられないことですが、その具体的原因は何だと考えますか。
(2) 関連施設の事故やトラブルの中で、作業手順を間違ってのトラブル、あってはならないミス等がみられます。作業員の指導や安全教育はどのように行われているのでしょうか。内容、適用範囲、回数など具体的に教えてください。
(3) 労務上、安全管理上問題の大きい二重派遣は解消されたのでしょうか。

C. 地下断層に関する事項

(1) 地下断層に関するその後の日本原燃の見解は変わりませんか。
(2) 最近見つかった外縁断層について「耐震設計上考慮すべき断層ではない」とする根拠は何でしょうか。
(3) 東洋大学の渡辺教授が指摘した六ヶ所断層説に対して日本原燃独自でボーリング調査を行い、自らの海岸段丘説を立証しないのでしょうか。

D. 会社組織問題

(1) 日本原燃行動憲章の3項に「社会貢献」の必要性について書かれてありますが、立地以来、どのような社会貢献をなさってきたとお考えですか。
(2) 被曝の危険がある業務に従事する労働者に対して、特別に保険をかけたり検診をしたりしていますか。
(3) 長期借入金は、約1兆円もあるそうですが、どこから借りているのですか。
(4) 昨年に比べて、現在の正社員と出向社員の割合、および年齢構成はどうなっていますか。変化を教えてください。
(5) 管理区域内に立ち入ることができる人が、精神的に異常をきたしたときの防護策(リスク管理)はどうなっているのでしょうか。
(6) 社長が交代したことにより会社で変わったところはありますか。
(7) 副社長が4人いるのはなぜでしょうか。各人の担当分野があれば教えてください。
(8) 原発施設を渡り歩いて被曝死した労働者が新聞にのっていましたが(2007朝日)、国の基準以下の被曝線量だったとききます。トラブルがあっても、いつも問題ないとの説明ですが、労災の認定を受けた人はどの位いるのでしょうか。
(9) 労働組合と団体交渉を行なっていますか?最近、労働組合から出された要求に対して回答したことがあったなら、概要で結構ですので回答内容を教えてください。

E. その他

(1) 日本原燃は株式を公開していないようですが、その理由はなんでしょうか。
(2) 作業人が身につけていた作業着等の後始末はどのようになっていますか。汚染(放射能)したものとそうでないものに分けて教えてください。…以上(明日に続く)

「40年連続で冬の岩木山登頂/弘前・三浦さん」と「「厳冬の岩木山登頂40回」」という見出し

2010-01-18 05:56:46 | Weblog
 (今日の写真は「40年連続で極寒期の岩木山登頂に挑んだ三浦さん(左)と同行した竹浪さん」という見出しで陸奥新報に掲載されたものだ。
 これは、当日、私たちの「ラッセル跡」を登って来た一人と二人のグループ、その中の一人に写してもらったのだ。このような使い方があるかも知れないと予想したよりも、「相棒」さんと一緒に山行を何回もしているが、二人並んで「写される」という機会は殆どない。ここで写してもらえるのは千載一遇のチャンスと考え、「シャッター」を押してくれることを頼んだのだ。このような「使い方」をされようとは思いもしなかった。
 昨日「陸奥新報」に掲載されて、それを読んだ人から、「相棒」さんの胸に、私の右手に「ポリ袋」が見えるがあれは何なのだという質問を多数受けた。
 これは、首に提げているカメラを、雪で濡らさないために「覆い」とする「袋」である。提げているカメラは移動中、この「袋」の中に入っているのだ。
 あまり格好のいいものではないが、雪や雨の降る中では、これ以上重宝なものはない。軽いうえに、いくらでも調達が可能であるというメリットがある。
 「カメラケース」などといわれる「既製品」は形状が固定されるので、応用が利かず、「不便」なものだ。「カメラケース」をお望みの方にはただ同然のこの「ポリ袋」の活用をお勧めしたい。)

◇◇ 陸奥新報の記事と東奥日報の記事 ◇◇

 2010年1月17日、昨日の陸奥新報に「40年連続で冬の岩木山登頂/弘前・三浦さん」という見出しで、次の記事が掲載された。全文を紹介しよう。今日の写真は、その記事で使われたものだ。

 …極寒期の岩木山登山を続けている岩木山を考える会事務局長の三浦章男さん(68)=弘前市田町=が今年で、40年連続となる登頂を達成した。三浦さんは「岩木山の冬山は夏山のイメージとはかけ離れており、日常では見られない世界や自分自身との対決の場を与えてくれる」と岩木山への思いを熱く語った。
 三浦さんは29歳から冬の岩木山登頂を150回近く行ってきた。体力の衰えを感じ出した3年前からは同会の会員竹浪純さん(58)=弘前市安原=と一緒に登っている。
 40年目の登頂となった今年は1月10日朝、2人で岳登山口から出発。ひざ上まである湿った重い雪に行く手を阻まれながらも、たどり着いたスカイラインターミナル建物の裏手にテントを張って1泊した。
 翌日の午前には山頂に到達。珍しく見えた晴れ間にこれまでの40年間が頭をよぎり、竹浪さんと互いに記念撮影し合った。竹浪さんに「一緒でなければとても登ってこられなかった。ありがとうという思い」と感謝していた。
 弘前南高校の教諭を長年勤めていた三浦さん。30年目の岩木山登頂時、雪に埋まった岩木山神社の奥院を掘り起こし、生徒の進学を願って「合格祈願奉書」を奉納したことも。
 さらにこれまでの登頂では過去3回、雪崩に遭い、死を覚悟したこともあった。
 冬山登山の魅力について「常に危険と隣り合わせな状況は『生きている』ことを強烈に感じさせてくれる。色がない冬山から生き生きとした春がやって来るなど、巡る季節の中に自分の存在を置くことですべての季節を感じ取ることができる」と強調した。
 40年間続けてきた登山を振り返り、「当時は缶詰やコメをそのまま持参していたのでとても重かったが、今では軽いパック式。いい時代になった」と笑顔を見せた。
 登山は自宅をスタートした時点で始まり、帰宅して終わるというスタンスを貫く。「強さと優しさを両方兼ね備えた岩木山。いつまでもそのままの姿で、360度見詰めている人たちに優しさを振りまいてほしい」とメッセージを寄せた。…

 ところが、同じ地方紙である東奥日報は14日付の朝刊紙上で見出しを「厳冬の岩木山登頂40回」としたのだ。これは明らかに間違いである。
 この記事を読んだ数人から、早速電話や口頭で「冬山登頂、あれくらいではないだろう。40回とは少なすぎる」という疑問的な問い合わせがあった。そう思うのも無理はない。
 40年間1年も欠くことなく登り続けてきたことは事実である。記事はそのことには触れている。しかし、厳冬期の岩木山登頂は40回ではない。これだと、厳冬期の岩木山に1年に1回しか登っていないことになる。明らかに間違いである。
 私は、厳冬期といわれる12月から2月まで平均して3~5回登頂してきた。単純に5回登頂したとしても40年間を乗じると、200回近くなる。
 体調不良とか、天候悪化で、その厳冬期に「山頂」を前にして、撤退したことも確かにあったことはあった。
 だが、それでも、最低でも「厳冬期」には3回は登頂してきた。
ただ、残念ながら、正式な山行記録が今現在手許にはない。だから、確実な回数は分からない。しかし、150回は登頂していると確信している。
ただ、98年11月20日から99年4月までの、記録はあるので、どの程度「冬の岩木山」に登っているのかの「実証」となるだろうから、述べることにしよう。

 11月は20日以降2回、12月には年末登山を含めて3回。1月には4回。2月には2回。3月には4回。4月には20日までに2回登っている。詳しい日付は以下の通りだ。
 11月22日。11月29日。12月12日。12月19日。12月28日。1月7日。1月15日。1月18日。1月23日。2月11日。2月21日。3月7日。3月14日。3月22日。3月31日。4月11日。4月18日。
 厳冬期に限ってみると、11回に及んでいる。

 ところが、前述した東奥日報紙は14日に報じた記事には「見出し」として「厳冬の岩木山登頂40回」とあったのだ。
 私は取材の中で、「40年であって40回ではない。40年と40回を混同しないように」と念を押したのであるが…。
 本当ならば、見出しは「厳冬期の岩木山、40年連続、登頂回数は150回を越える」…となるはずだったのだ。40年間積み重ねてきた自分の歴史が「多くの人」から誤解されるようで、何とも気持ちが落ち着かない悔しい思いでもあった。
 その訂正記事が「昨日の東奥日報」の下欄に小さく出ていた。果たして、これに気づく人は何人いるのだろうか。
 近々、私が40年継続して調査してきた岩木山の雪崩のことが記事になるそうだ。その中で、「厳冬期の岩木山、40年連続、登頂回数は150回を越える」…というような文章をうまく挿入してもらえるように連絡はしてある。それを読むことで多くの人の「誤解」は解けるであろうと考えている。

第17回写真展「私の岩木山」のこと(6)

2010-01-17 05:10:14 | Weblog
(今日の写真は、長野県上伊那地方事務所農地整備課防災係・主査の八幡秀彦さんが写真展に出展したものだ。
 来場者の間でも「わざわざ、岩木山に登に来てくれて、しかも写真まで展示するなんてすごい」などと話題になっていたし、取材に来たM紙も記事の中で「紹介」していた。 早速、この新聞の切り抜きとこの写真を送ってやろうと考えている。)

◇◇ 第17回写真展「私の岩木山」のこと(6) ◇◇

 最終日となった。昨日も悪天で来場者の「足」は鈍かった。来場者数は増えなかったが、このような悪天を圧してでも来てくれる人は、やはり、「岩木山」に対する関心が高い。 関心の高い人は、「張り付いている会員」に色々と質問をする。そして、その確率が高いのだ。
 だが、それに対応する「会員」が少なかった。終日張り付いたのは「会長」「事務局長」それに花田さんだった。
 その数にちょうど見合うほどの来場者だったことが幸いした。来場者に付き添い、解説をするのだから疲れる。しかし、喜ばれることは疑いなしだ。
 昨日のM紙とT紙に、写真展「私の岩木山」の記事が載っていた。その中のM紙は「長野県在住の八幡さん」のことを取り上げてくれた。だが、大きな間違いがあった。何と、私、「三浦章男」が会長となっていたのだ。これは「訂正記事」ものだ。

 それでは、昨日に続けて、出展者名、「作品名」と「コメント」の紹介をしよう。

・藤原竹二
「秋の岩木山・鳳鳴ヒュッテと霧の下山路」(2009年9月30日)
コメント: 霧とヒュッテの赤い屋根。下山の目印です。
「秋の岩木山・種蒔苗代を望む」     (2009年9月30日)  
コメント: 草黄葉はこれからだ。 
「秋の岩木山・錫杖清水で一休み」  (2009年9月30日・錫杖清水)
コメント: 百沢登山口(岩木山神社)までもう一頑張り。 
「秋の岩木山・岩木山頂を望む」    (2009年9月30)日
コメント: 岩木山頂まであとわずか。 
「秋の岩木山・山頂への急登」     (2009年9月30日)
コメント: がんばれ!
「秋の岩木山・山頂からの耳成岩」  (2009年9月30日・岩木山山頂)
コメント: 岩と紅葉が美しい。 
「秋の岩木山・山頂に立つ」     (2009年9月30日・岩木山山頂)
コメント: 弥生登山口から頂上に達する。 
「秋の岩木山・弥生から望む」    (2007年9月30日・岩木山・弥生)
コメント: 弥生から望むリンゴと岩木山。 
「秋の岩木山・弥生から登り黄葉へ」  (2007年9月30日)
コメント: ブナ林を抜けて黄葉が美しい。 
「秋の岩木山・山頂前の耳成岩に続く紅葉」  (2007年9月30日)
コメント: 視界が開け、紅葉が美しい。 

・斎藤真人 
「沢の奥の滝を見上げる」    (2008年5月・岩木山東側中腹)
コメント: この沢の奥壁一帯はアルペン的急峻さを感ずることがあります。 「春雪崩の跡を見る」      (2009年4月・岩木山南側中腹)
コメント: 天空の濃紺と奥壁の断崖が印象的なので出展しました。 
「初冬の沢の合流点」     (2009年12月13日・岩木山東側一本木沢)
コメント: 久しぶりに無雪時のこの山域を訪れました。又、記録性を考えて、年月日を表示しました。 

・工藤健作
「芹葉黄苑(セリバオウレン)」  (2007年4月19日・岩木山)
「白山千鳥(ハクサンチドリ)」  (2009年6月25日・岩木山)
「大山桜(オオヤマザクラ)」   (2008年4月30日・岩木山)
「褄取草(ツマトリソウ)」    (2009年6月25日・岩木山)
「浦島草(ウラシマソウ)」    (2003年5月23日・岩木山)
「岳樺(ダケカンバ)」      (2003年3月9日・岩木山)

・虻川輝夫
「ムラサキミミカキグサ」    (1995年8月31日・岩木山・嶽)
コメント:嶽の自衛隊演習場は高地湿原のせいで珍しい草花が多い。サワラン、コアニチドリ、トガクシソウ、オニシオガマ、ヤナギラン、イヌノヒゲ等。この花は小林勝さんが教えてくれるまで気づかなかった。 
「ニオイタチツボスミレ」    (1999年5月22日・岩木山・百沢)
コメント:タチツボスミレの中で芳香が強いのでこの名がある。道の真ん中やまわりより高いところを好んで生えるのは高いところに光を欲しがるためか、最近見かけにくくなっている気がする。
「メハジキ」        (2003年8月30日・岩木山・百沢)
コメント:かつてはあちこちで生えていたようだ。これは百沢の林道に生えていたが、大きな車が入り道が拡げれて消えた。それ以来見ていない。 
「セリバオウレン」      (2009年4月12日・岩木山・百沢)
コメント:雪解け後、他の草花に先駆けて咲くセリバオウレンの花は満天の星のようだ。 
・飛鳥和弘
「カモシカ」   
コメント:頭胴長70~85cm・低山帯から亜高山帯にかけて生息し、草木などの芽・葉などを採食する。タメ糞をする習性がある。積雪に強く、長距離の季節移動は行わない。特別天然記念物。
「ニホンザル」    
コメント:頭胴長47~60cm・十数頭から百数十頭までの群れで遊動生活をする。昼行性で樹上および地上で生活する。雑食性で果実・種子・葉・芽・昆虫などを食べる。 
「アナグマ」    
コメント:頭胴長52cm・山地帯下部から丘陵部の森林、灌木林に生息する。トンネルを掘り、雌を中心とする家族集団で生活する。土壌動物や小動物を主に捕食する。
「テン」    
コメント:頭胴長45cm・樹上空間を多く利用するため森林を生息地とするが、樹木があれば人家周辺にも棲む。小動物・昆虫・ムカデやヤマグワ・マタタビなどの果実類を採食する。
「オコジョ」    
コメント:頭胴長16~18cm・山地帯上部に生息し、高山帯の岩場の間などでも活動し、小動物を捕食する。冬毛(写真)は全体が白く尾の先だけが黒い。夏毛は背面が濃い褐色で腹面は白い。
「ヒミズ」    
コメント:頭胴長89~104cm・小型のモグラで手の幅が小さいのが特徴。低木林に多く、半地下性の生活をしており、地表にもよく出現する。昆虫・ミミズ・クモ・植物種子などを採食する。

・竹谷清光
「岩髭(ツツジ科)」    
「岩梅(イワウメ科)」   
「長葉栂桜(ツツジ科)」   
「米葉栂桜(ツツジ科)」 
「蝦夷の栂桜(ツツジ科)」 
「赤物(ツツジ科)」    
「白玉の木(ツツジ科)」   
「陸奥小桜(サクラソウ科)」 
「白山千鳥(ラン科)」   
「紅花一薬草(イチヤクソウ科)」

・三浦章男
「米栂(コメツガ)粗氷1」  (2009年3月27日・烏帽子岳山稜・大鳴沢右岸)
コメント:過冷却した微細な水滴が樹木に凍りつき、無数の氷粒が層をなす。白色透明。それが粗氷だ。
「米栂(コメツガ)粗氷2」  (2009年3月27日・烏帽子岳山稜・大鳴沢右岸))
コメント:急斜面に屹立するコメツガ粗氷。凛とした美しさは強さを見せる。 
「米栂(コメツガ)樹霜1」   (2009年3月27日・烏帽子岳山稜・大鳴沢右岸)
コメント:10年ほど前だと、このコメツガ林内はすべて積雪の中だった。この年も雪が少ない。林内はすけすけではないか。 
「米栂(コメツガ)樹霜2」  (2009年3月27日・烏帽子岳山稜・大鳴沢右岸)
コメント: 直立してるものは何もない。風によって撓められている。昨晩からの猛烈に強くて冷たい風が幹の右側に樹霜を造る。 
「米栂(コメツガ)樹霜3」     (2009年3月27日・烏帽子岳山稜・大鳴沢右岸)
コメント: おっと、真ん中の幹の間を抜けて、向こうに見える雪稜に取り付こうか。この先が赤倉キレットにつながっているのだ。 

 今日で、最後です。16時までやっています。是非、会場までおいで下さい。