岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

ヤグルマソウのこと / 色々なことでの問い合わせがあるものだ…(1)

2009-06-05 05:29:57 | Weblog
(今日の写真はユキノシタ科ヤグルマソウ属の多年草「ヤグルマソウ」である。そろそろ咲き始める時季も近い。これは北海道の西南部から本州、朝鮮に分布している。)

 観賞用の園芸種である「ヤグルマソウ」を見たことのある人にとっては「今日の写真」をみて「えっ、ウソ!」と思うだろう。だが、これが「本物」の「ヤグルマソウ」なのだ。 観賞用としてポピュラーな「ヤグルマソウ」はまったく「別科別属(キク科ケンタウレア属)」の「ヤグルマギク(矢車菊)」の別名である。
 こちらの方は、観賞用として明治中期に日本に持ち込まれたらしい。花の色は青、白、鮮紅、桃、紫紅などと非常に多い。
 だが、「花名の由来」から推してとらえると、その「矢車」という形は、「深山に自生しているヤグルマソウ」がまさに適うのである。
 「ヤグルマソウ」は花よりも葉が目立つ植物だ。この葉の並び方が、5月端午の節句に揚げられる「鯉のぼり」の竿の一番上でくるくる回っている「矢車」に似ていることが花名の由来である。花名の由来を知り、一度見ると二度と忘れることが出来ない草花になる。 ブナ林などの広葉樹林域の谷筋に生育し、地下茎があるので群落を形成することが多い。初夏、深山の樹下など日のあまり当たらない湿り気のあるややうす暗いところに生える。
 特に日本海側の多雪地では一面に群生することもある。岩木山で見られるものは、この「類」が多い。「花より葉」の植物でもある。
 葉は上方向からの光をしっかりと受け止める葉の構造で、5枚の小葉からなる掌状複葉だ。1枚の葉が進化して複数の小葉となり、小葉が平面的に付くものを複葉という。小葉は長さ30cmほど、先が3~5裂し、葉の基部は「くさび形」である。根葉長は40cm、小葉の葉縁には鋸歯ある。
 このような先端に切れこみの入った大きな小葉を放射状に広げているのだ。
 「今日の写真」からも分かるように、このような先端に切れこみの入った「大きな緑色小葉」を放射状に広げているのだ。
 ところが、この「大きな緑色小葉」は、場所によっては「紫色をおびる葉」もあるのである。しかも、部分部分で混在しながら映えている場所もあるので、「群生している」中にいると、一体どこにいるのかという錯覚を起こしそうな気分になることもある。何故なのだろう。この葉の色の違いは…、「同属」として扱うべきなのか。生えている土壌の「質」の違いからくるものか、成長するに従い葉色が変化するのか、いや、これはない。とにかく、毎年、この時季になると「悩む」ことの一つになっている。
 何と、この「葉」、60数年前の戦争中、煙草の代用品としていたというから、これも驚きである。
 開花期の6~7月には、大きな5小葉を放射状に広げ、その中心から長い花茎を伸ばして茎頂に大型の「円錐状の集散花序」に白い小花を密につける。花の色は緑白色から白色に変化する。小花には花弁がなく、多数の萼からなる泡立ち草状だ。花茎の長さは100cm、花の径は6~8mmである。

     ◇◇色々なことでの問い合わせがあるものだ…(1)◇◇

 かなり前のことだが、「小説」を書いているというN氏から、今書いている小説の背景として「岩木山」を取り入れるつもりなので、「朔日山(ついたちやま)」御山参詣に関することと「石清水」について教えてほしいとの依頼があった。
 この手の「依頼や問い合わせ」は1年に数件はある。昨晩も東京のある自然保護団体からも問い合わせがあった。お門違いのことだったので「丁重」にお断りしたことは言うまでもない。
 このN氏の依頼も、本当を言えば「自分で実際御山参詣時に岩木山に来て、参加して石清水(?)に詣でる」ことが筋だろう。だけれども、そのように言って「断ること」はなかなか出来ないものだ。
 というわけで、「取り急ぎ、お尋ねの件ににつきまして、解っている範囲でお答えする」という但し書きをつけて回答することになるのである。

さて、N氏への回答である。
 Nさんへ、岩木山に関心を持っていただきまして有り難うございます。

…朔日山(ついたちやま)について
 津軽の人たちにとって岩木山は、先祖の霊が暮らし(居て)、春になると田の神や水神として里に降り、収穫が終わるとまた帰る(往来する)という「お居往来(いゆき)山」である。畏敬の念を込めて「お山」とか「お岩木山」と呼び、成人式の通過儀礼登山を含めたお山参詣が千年以上も前から続けられている。懺悔懺悔(ざんげざんげ)‥‥南無帰命頂礼(なむきみょうちょうらい)と唱和しながら旧暦8月1日(新暦の九月はじめ)に行われる「ついたち山」には前日の晩から、ご来光時間に間に合うように夜の10時頃から、近郷の村々から百沢の岩木山神社に集結していた人々は山頂をめざし、五穀豊穣、家内安全を祈願してカンナガラの大きな御幣をかざして集団で登拝する。
 この「お山参詣」(ついたち山)は、最近はスカイラインという山岳自動車道路(岩木山南面の尾根にあり標高1250mまで)を利用する登山者が全登山者の99%を占めるようになり、山麓から自力で登らなくなったという登山形態の変化と農民たちの農政による減反等の稲作農業の不振と農業全般への不信から、岩木山への古来からの信仰そのものが衰退し廃れているが、岩木山山岳信仰の一大行事である。
岩木山信仰の発祥地は、北麓の十腰内(とこしない)にある巖鬼山神社であった。下居宮(おりいのみや)と呼ばれる遥拝所から登る人たちがよく遭難するので、後にこれが百沢の岩木山神社に移され、そこが遥拝登山の中心となった。しかし、これは津軽藩の政策である。岩木山神社はいわば、公的(権力が実行・支配した)な信仰の象徴である。山頂奥宮は宝亀十一年(780)に建立されたと記されている。
                              (明日に続く)