岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日の写真は「ヒメジソ」/ System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた!(6)

2010-09-30 04:17:41 | Weblog
 (今日の写真は、シソ科イヌコウジュ属の1年草「ヒメジソ(姫紫蘇)」だ。実は、これを「ヒメジソ」とすべきか、「イヌコウジュ(犬香需)」とすべきかで、かなり悩んだのだ。というのは、両方とも同時期に咲く代表的な秋の野草で、どちらも「シソ科イヌコウジュ属」の花であり、非常に似ていて「見分ける事」がとても難しいからである。
 よく言われている「見分け方のポイント」は「ヒメジソの葉は、鋸葉は荒く、4個から6個であるが、イヌコウジュは鋸葉が浅くて6個から12個である」、「ヒメジソは毛が少なく、イヌコウジュは毛深い」、「ヒメジソの萼の先はあまり尖らず、イヌコウジュの萼は鋭く尖る」などである。
しかし、萼の先の尖り方や毛深さは相対的なもので、両方実物を並べて見るとよく分かるが、咲いている時に、別々に見ただけでは殆ど見分けることは出来ない。
 このような場合、私は出来るだけ「単純な方法」を採ることにしている。今回は「鋸葉の数」に拠った。これが、一番比較の上では見分けやすい方法であるからだ。だが、植物の世界は一定の基本的な「ルール」のようなものはあるが、それぞれ相当に「個性的」であって、「イヌコウジュ」にも鋸葉の数が少ない葉があるそうだから、「単純にはいかない」こともある。
 この写真の花の色であっても、「ヒメジソ」ならば、もっと「白っぽ」くてもいいのではないかという人がいるかも知れないが、これは「淡い紫紅色」である、このくらいの変異は許容されてもいいのではないだろうか。
 「ヒメジソ」は、北海道から九州に分布している。山野の湿った林縁や道端に生える草本だ。草丈は50cm前後で、茎は四角形で、稜には下向きに曲がった短毛があり、節にも白い毛が生えている。葉は対生し、長さが2cmから4cmの卵形また広卵形で、粗い鋸歯があり、裏面には腺点がある。
 9月から10月にかけて、枝先に長さ5cmほどの花穂を出して、白または淡紅紫色の小さな唇形花を疎らにつける。花冠は長さが、2mmから4mmですごく小さい。萼は長さが2、3mmで、上唇は3裂、下唇は2裂している。

 「ヒメジソ」は「姫紫蘇」と書くから「小さなシソ」という意味である。しかし、「シソ」とは別属で、食用にも薬用にもならない。同じ属の「イヌコウジュ」も同じである。 漢方の薬の「香需」の原料になる「ナギナタコウジュ」に似ているが、役に立たないので「イヌコウジュ」と呼ばれているのだ。
 だが、「ヒメジソ」も「イヌコウジュ」も「役に立たない雑草」と言い切ってはいけない。秋の野原で可愛い花をつけて、それぞれが自己主張している姿は可愛らしいものだ。

 日本には昔から多くの薬草類があった。その中でも代表的なものが「シソ(紫蘇)」ではないだろうか。これは、「日本のハ-ブ」といってもいいだろう。「ハーブ、ハーブ」といって「外国種」の植物を祭り上げる人も多いが、在来種の「ハーブ」紫蘇だって捨てたものではない。世界的にみると、シソ科には典型的なハーブ類が多く、日本に帰化して野生化している植物も多いのである。
 「シソ」のという名前の由来は、漢名の「紫蘇」の音読みからであり、中国では、花と葉の両面が紫色である事から、「紫が蘇る」という意味が名前である。そして、漢方では葉、種子が薬用とされ、「蘇葉(そよう)」、「蘇子(そし)」と呼ばれている。
 「シソ」古くから薬味として使われ、魚の生臭さを取り、食中毒を防ぐために刺身のつま等と広く頻繁に使われてきた。
 また、葉は酸と反応して赤くなるので、「ウメボシ」の色つけには現在でも使われている。なお、葉にはカロチン、カルシウム、ビタミンC、ミネラルなどが含まれているといわれている。)

◇◇System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた(6)◇◇

(承前)…壊れた原因は「熱暴走」なのだろうか。
 私は「HDD」から「SSD」に換装した時に、「SSD」の冷却ファンを取り外したのだ。これは、「SSD」の自己発熱が非常に少ないことを承けてのことだった。指先の触感における「熱さ」は「SSD」には殆どないからである。
 「冷却ファンの取り外し」に伴って、「筐体の仕様」を改造したのである。すべて、「筐体」内の温度が高温にならないための「改造」である。「羽の多い」ファンに換えたこと、「排気用のシロッコファン」を増設したことなどもそのためである。
 私のコンピュータの筐体は「リアンリ」社製のもであり、外見は「MacPro」と非常に似ている。透け透けで内部が見えるくらいであり、フロントからの吸気、そしてリア面に排気する構造になっている。
 私は「フロント」面についている「防塵」用のフィルターもすべて「取り外して」吸気と通気がスムーズにいくようにしていたのである。
 だから、「SSD」に強制的に「風」を吹き付けて「冷却」する必要はないだろうと考えたのである。
 だが、「密閉されていない」筐体は、作動していない時でも「外気温」と同じ温度になっているのである。しかも、作動すると内部では「GPU」、「メモリー」、「CPU」、「マザーボード」が、それぞれに熱を発するのである。そして、その「熱」が「SSD」を直撃する。だが、「SSD」に使用されている「Flash memory」はそれほど「熱」に弱いものなのだろうか。英文による仕様書にはそのような記載は何1つ書いていなかったはずだ。(明日に続く)

今日の写真は「ヒキオコシ」/ System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた!(5)

2010-09-29 04:23:12 | Weblog
 (今日の写真は、シソ科ヤマハッカ属の多年草「ヒキオコシ(引起)」だ。別名を「エンメイソウ(延命草)」という。
 林道を出たら、そこには秋の柔らかい日射しが満ちていた。そして、静かに秋風も漂っていた。その日射しを浴び、風に揺れて何やら白い「点滅」全体が大きく揺らいだ。傍によって、茎を掴み、花を詳しく見る。花の色以外は、すべてが「クロバナヒオコシ」にそっくりなのである。
 「あれ、どうしてこれが岩木山のここに生えているの」…私は訝しげにそれを眺めた。それは「ヒキオコシ」だったのである。
 「ヒキオコシ」は、北海道(西南部)から本州、四国、九州に分布し、人里や田畑、山地や低山、森林の林縁などに生える。これは、人里に咲く花だと思っていたから、拙著「岩木山・花の山旅」には収載していない。だが、先日、岩木山の山麓上部で「出会って」しまった。この写真はその時に撮ったものだ。これも、確実に岩木山に自生しているので「岩木山の花」として扱うことにしたい。

 「ヒキオコシ」は草丈は50cmから1mになる。茎には下向きの毛が密生している。葉は広卵形で、長さ約10cmで、巾が約5cm、葉柄には小さな翼がある。
9月から10月にかけて、茎の先や上部の葉腋から、長い「円錐花序」を出す。そして、その先に淡紫色または白色の「小さな唇形花」を多数、疎らにつける。花冠は長さが約5mmで上唇は反り返る。
「ヒキオコシ」とは妙な名前である。漢字で「引起」と書いても、その意味がよく分からない。「広辞苑」には「ひきおこし」でこの植物の説明が、「ひきおこす」という動詞としては、「倒れたもののある部分に力をかけ、引き上げて起こす」と「衰えたものを再び起こし立てる」という意味が書かれている。
 さて、その由来であるが「弘法大師が、倒れていた修験者に、この草の絞り汁を飲ませたら元気になったということ」によるとされている。また、別名の「延命草」は、「この草によって、生き長らえさせたということ」よるとされている。
 この花名の由来からも分かるように「ヒキオコシ」類は全草が「薬草」なのだ。その薬効成分は、苦味のある「エンメイン」で、血行促進効果や皮膚の新陳代謝を高め、疲労回復などに効果があると言われている。
 この「ヒキオコシ」や「クロバナヒキオコシ」の葉や茎から造られる「ヒキオコシエキス」は淡青紫色や暗紫色をしているという。そして、現在でも、健康な肌を維持する目的や育毛を目的とした頭髪用化粧品などに配合されて、基礎化粧品・シャンプー・リンス・石鹸として使われている。
「ヒキオコシ」の仲間には、北海道と本州の近畿地方北の比較的寒い地域に自生する「クロバナヒキオコシ(黒花引起)」があり、当然、岩木山にも自生している。ミズナラ林でもよく見られる、さすが「ブナ」林内で見ることはない。花の色が濃い紫なので、こう呼ぶのである。
 また、東北地方南部から中部地方、関東地方の山地の林の中などには「カメバヒキオコシ(亀葉引起)」が自生している。葉の形が「亀」に似ているからこのように呼ばれている。ともに、シソ科ヤマハッカ属の多年草だ。)

◇◇System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた(5)◇◇

(承前)…壊れた原因は「熱暴走」なのだろうか。
 測定したところ、この「SSD」の使用電力はわずかに、「0.14Watts」である。触ってみても、「熱さ」を感ずることはない。つまり、発熱も殆どないということである。
 だが、コンピュータ内部の他のパーツは、それぞれ「発熱」していた。GPU「GeForece GTX 295」は52~54℃に達していた。「System」の温度は48℃、これでは、「筐体」内の温度は40℃を越えていることは明らかであった。
 だから、筐体内部に貯まった「熱気」を外部に効率よく排気するために、メインの「排気ファン」をDC12V- 0.27Aで、羽根の数が9枚のものに換えたりもした。
 だが、「壊れた原因は熱暴走」だと「仮定」した場合、今になって考えると「思いつくこと」が1つだけあった。
 それは、「『SSD』は発熱しない。だから、風を当てて「放熱」する必要はない」と考えたことである。私は、筐体内部か「HDD」用の「ファン」を取り払っていたのである。 だが、「SSD」そのものは「発熱」しなくても、筐体内部の温度が上がってくると「SSD」も熱せられて「SSD」自体の温度も上がるということは極めて自然なことではないだろうか。私の思考回路からは、それこそ「猛暑」のために、そのことが「すっぽり」と欠落していたのである。
 だが、この「SSD」の直ぐ近く、3cmも離れていないところにセットしてある「Samsung」社製の「SSD」は、その状態、その条件でもちゃんと動いているのである。それでは特別、この「Crucial」社製の「SSD」が他からの「熱」に弱いということだろうか。(明日に続く)

今日の写真は「何」という花ですか/ 「マイタケ」の話し / システム用の「SSD」が壊れた!(4)

2010-09-28 04:03:39 | Weblog
 (今日の写真は「何」という花だろうか。26日に岩木山の毒蛇沢工事用道路の終わり近くで出会ったものだ。シソ科の花に似ていると思い、「茎」に触ってみたが、シソ科に共通する「茎が四角い」というものではなかった。葉は「タデ科」のものに似ているが、そうでもなさそうだ。何だか市内の道端でこれによく似た葉の植物を見たような気がするのだ。
 写りは悪いが、よく見ると花の特徴は、先ず「唇形」上唇と下唇弁からなっているようだ。そして、長い柱頭(雄しべか雌しべ)を先端に伸ばしている。
 昨晩から、「何だろう」と悩み、図鑑やらインターネットで調べてはいるのだが、花名が一向に分からない。何だって私にとっては、「初めての出会い」となった花である。
 拙著「岩木山・花の山旅」に掲載されていないものは、「秋の花」が多い。その中でも、シソ科のものが結構あるのだ。「トウバナ」、「イヌコウジュ」、「ヒキオコシ」などがそうである。
 さて、これは何だろう。知っている人がいたら教えて欲しいし、「ヒント」になるようなことでも何でもいい。コメント欄に記入して貰えると非常に有り難い。)

◇◇「マイタケ」の話し ◇◇

 「マイタケ」は独特の香りと歯ごたえが好まれて、日本では1975年頃から食用キノコとして人工栽培されている。そして今や、季節を越えて「スーパー」の食品野菜売り場に行けば「いつでも綺麗なマイタケ」が手に入る。
 まったく、「大自然と乖離された場所」で、味気のない出会いを日本人の多くはしている訳である。食卓から「季節と自然の風味」が逃げ出しているわけで、それでも、それに「違和感」を持たない人たちが沢山いるから「栽培マイタケ」の業者、それを売る業者が「生業」を全うしているのである。
 「山のミズナラ林下に生える」という「生物多様性」を受けて、「自然に生えているマイタケを食べる」という食文化が生まれ、それを日本人は受け継いできた。
 「マイタケ」は、香りもいいし、歯触りまた歯切れという触感もいいので、たとえば、生食以外の「炒め物」、「鍋料理」、「天ぷら」などに利用される。
 これらは、「生物多様文化性」と呼べることだが、それは、これだけではない。日本の食文化を代表する料理に「茶碗蒸し」がある。
 「マイタケ」には、「タンパク質」や「糖質」の他、「カリウムや鉄などのミネラル」、「ビタミンB群やビタミンD」、「食物繊維」など豊富な栄養素が含まれている。今だからこのようなことが言えるのであって、昔の人は「マイタケ」にどのような物質や栄養素が含まれているかは知らなかった。
 だが、「マイタケ」を「茶碗蒸し」に生のまま用いることはしなかった。数分間、熱を加えてから「茶碗蒸し」の具材にしていたのである。最初から「マイタケ」を生のまま入れると、含まれる「タンパク質」のために卵が固まらなくなるのだ。
 また、「マイタケ」に少量の塩を振りかけて、炭火であぶって「熱燗の日本酒」に入れて飲む「マイタケ酒」もある。「日本酒」という伝統的な「食文化」と「天然マイタケ」とのすばらしいコラボレーションである。そして、このようなことを子から孫へと伝えてきたのである。
 これぞ、「生物多様文化性」という。だが、「自然」から切り離された「栽培マイタケ」では、「文化」は育たない。売らんかなという商魂だけが先を行って「商文化」を形成しつつはあるが、「天然のマイタケ」に根ざした「マイタケ料理」に見られる本物の食文化は実態を失っている。

◇◇System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた(4)◇◇

 とにかく起動しないので、修復の手立ても思いつかず、自力で「初期化」するなり、「ファームウエアー」のアップデートをするかを考えたが、「ファームウエアーのアップデート」を自分でしてしまうとそれでうまくいけばいいのだが、そうでない場合は「保証」の対象にはならない。だから、それは止めにした。
 仮に、「ファームバージョン001」を「0002」にアップデートしようとしても、「SSD」をOSが認識してくれないのだから、これも無理なのである。
 新ファームのアップデートには、プログラムをダウンロードし、「DVD」にISO形式で焼き付けて、それを使って「SSD」をファームアップデートすることになるのだが、何とも、「SSD」を認識してくれないのだから埒があかない。止めるとか止めないという以前に問題があったのである。
 ただし、「すべてを一度IDE接続とSATA 3GB/Sから切り替えてファームアップデートを0002に上げることが出来る」という情報もあるが、私は最初からBiosをこのように設定していた。だが、「SSD」を認識しないし、起動しないので「何も」出来ない。 
 結局は「修理」に出すか、または、「新品との交換」などを「販売店」に依頼するしかないと考えたのである。

 ところで、私の頭の中からは「何故、突然起動しなくなったのか」という疑問、つまり、「起動しなくなった原因なり理由の追求」が消えないのである。
 閃いたことがあった。それは「熱暴走」ということだった。このブログでも、外気温の上昇によるコンピュータ本体の温度上昇を「下げるため」の「ファン」設置について書いたことがあるが、この「」を使い始めた8月の上旬からダウンした9月の上旬までは、本当に「猛暑」であった。
 もとより、私の部屋には「エアコン」などはない。午後になると外気温は38℃を越える日もあった。室内でも、34℃を越えていた。それでも、コンピュータ内部の「温度」は「GPU」で、50~54℃を越えていたのだった。(明日に続く)

今日の写真は「マイタケ(舞茸)」/ System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた!(3)

2010-09-27 04:26:42 | Weblog
 (今日の写真は、サルノコシカケ科マイタケ属のキノコ「マイタケ(舞茸)」である。「マイタケ」は、ナラ類といったブナ科樹木の大木の根株で心材に寄生する木材腐朽菌である。
 そして、キノコ本体は塊りを造って成長する。時には、直径50cm以上、重さ10kg以上にもなる大きなものも見られるという。この写真のものは3kgくらいだったろう。
 9月下旬から10月上旬にかけて、宿主樹木の根元に毎年ではないが、数年間、繰り返し生える。形は太い柄から細かく分枝し、その先端に「へら状」の小型の傘を群生させている。このようなキノコを「マイタケ型」と呼ぶそうである。
 名前の由来は、「大きく育ったキノコの姿がまるで人々が舞いをしているようであること」とか、「野生のマイタケを発見した人々が、喜びのあまり舞いあがったこと」によるとされている。これは、昨日、岩木山の「ミズナラ」林で採取したものだ。
 昨日はNHK文化センター講座「津軽富士・岩木山」の野外観察だった。先頭に立って受講者を「森の中」で誘導していた私が見つけた。
 「ミズナラ」の根本を取り囲むように「生えている」その様子を撮影しようとしていると、同行していた本会の会長阿部が「おお、これはラッキー、採りなさい、採りなさい」と言ったものだから、受講者は思い思いに採りにかかってしまったので、自然に「生えている」様子は撮り損ねてしまったのである。
 この写真は、昼食時に何人かのザックから出して貰い「撮影用」にシートの上に並べたものである。出していない人もいるから、本当はもっと多いのである。「マイタケ」以外に見えるのは、「ナラタケ(サモダシ)」であるが、昨日はこれが殆ど見えなかった。事実見えなかったこともあるが、会長が「『マイタケ』を採ったら他のキノコは採らないとうのがキノコ採りだ。今日は他のキノコには目をくれない」と言ったものだから「眼」がそのようにセットされてしまったのかも知れない。

 昨日の講座、野外観察は「初秋のミズナラ林内散策」が主題だった。マイクロバスで、毒蛇沢の古い工事用道路を半ばまで行って、そこで下車、そこから「スリットダム」の前を通り、毒蛇沢の左岸尾根に取り付いた。
 左岸に沿ってミズナラ林の中の緩い踏み跡をたどって進む。ここからは、人工物の「治山ダム」などはない極めて豊かな「自然」が展開している。緩やかなミズナラ林の尾根を、しばらく登ると踏み跡のような「二股分岐」に出る。この「二股分岐」は気をつけないと見落とす。真っ直ぐ行くと、また毒蛇沢に降りることになってしまう。
 そこを右に曲がり、少し下る。「姥人沢」の上流に出るから、そこを渡って「姥人沢」の左岸に登り、尾根を少し横切ると「姥人沢」の支流が出てくるので、そこを渡って登り切ると、「石切沢」からの林道に出る。この2つの沢の徒渉地点の木々や草の繁茂は異常だ。特に今年は異常である。踏み跡は消えていたので、22日の事前調査時にかなりの範囲で刈り払いをして、「赤布」を着けておいたのである。
 その林道を左折して、少し登ると百沢登山道と併行してある林道につながる分岐点に出る。これは、かなり古い林道である。その分岐から「ギャップ」に生えるススキ原をかき分けて、百沢尾根林道に向かい、T字に交差したところから右に曲がってミズナラ林を降りてくる。秋の日射しを浴びながら、この「T字に交差したところ」で、昼食にした。
 あとは、降りるだけである。直線的な斜面、蛇行している踏み跡、「ドングリ」が路面に落ちている。今年は豊作のようだ。これだと「熊」も食糧不足にはならないだろう。
 やがて、「石切沢の堰堤」が左に見えてくると、行程も終わりに近い。最後は「石切沢」左岸沿いに降りて「いわき荘駐車場」に出たのだった。…

 パンフレットには…
「この行程は、沢を渡る以外はすべて林の中の移動である。杉やカラマツ、ヒバなどの植林地もあるが、その大半は『ミズナラ』を中心とした、いわゆる雑木林である。
 猛暑に包まれた今年の『ミズナラ林』はどうなっているのだろうか。厳しい暑さの中で、涼しさを与えてくれた夏緑に覆われた『ミズナラ林』はどのように変貌しているだろうか。 木の実はどうなっているだろう。大きくなり、赤く色づいたものもあるだろう。『ミズナラの実』、ドングリは膨らみ、ぽつりぽつりと樹上から落下している。頭上注意である。 林床にはキノコがいっぱいである。食べられるキノコ、『ナラタケ(サモダシ)』は今が盛りだろう。『ミズナラ林』では、運がよければ『マイタケ』に出会うかも知れない。」と書いた。
 そして、幸運にも「マイタケ」に出会えたのである。)

◇◇System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた(3)◇◇

 (承前)…「販売店」には9月17日に「ゆうパック」で送った。一番送料が安いからである。それでも800円という送料である。18日に着いたというハガキが届いた。だが、今日27日現在、全く音沙汰がない。
 さて、システムデスクとして使っていた「SSD」の症状である。
…何回も書くがこの「SSD」はアメリカの「Crucial」社製で、「Flash memory」は「Micron」社の「34nmプロセス MLC」、名称はRealSSD C300 256GB (CTFDDAC256MAG-1G1)である。
 8月3日に通販でA販売店から購入した。Biosでブートの順序をこの「SSD」を一番に設定して、OS、Windows7 Ultimate 64bitを全く問題なくインストール、マザーボードはSATA3.0(6GB/s)規格の「P6X58D-P」である。
 そして、約1ヶ月間、9月7日まで何のトラブルもなく「速さ」に感動しながら快適に使っていた。
 ところがである。7日の午後に突然、次の症状が出てしまい、全く「いうことをきかなくなって」しまったのだ。

その1.
起動しなくなった。当該の「SSD」を外して、予備用2台のPCにつないでも、いずれも起動しない。いずれかでも起動すると「データファイル」の救出は出来たのだが無駄な努力に終わった。
その2.
Bios設定画面では当該の「SSD」を確実に認識している。そこで、「データファイル」だけでも救出したいと考え、IDE設定でOSの再インストールを試みたが、これは、途中で「インストール出来ません」という表示とともにストップしてしまうのだ。
その3.
Windows7の修復ツールを使ってみた。だがこれもOS同様で、ブート機能があるがゆえに、途中でストップしてしまうのだ。これも役に立たない。(明日に続く)

今日の写真はマルバマンサクの実/ System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた!(2)

2010-09-26 04:59:39 | Weblog
 (今日の写真は、マンサク科マンサク属の落葉小高木「マルバマンサク(円葉満作)」の実である。北海道の西南部から本州東北北部の日本海側及び鳥取県までに分布している。基本種のマンサクは関東以西に分布し、葉の上半部は丸くなく三角形である。
 この実はまだ若い。今月の22日に、ミズナラ林の踏み跡道脇の比較的日当たりのいい場所で撮影した。やがて、葉が落ちて雪が降り出す頃には、この緑色の果実は堅くなり、薄い黄色から褐色へと変わる。そしてそのまま、冬を過ごして早いものは2月にも「花」を咲かせる。
 一昨年、弥生登山口近くで、1月4日に「開きそうな」蕾を見た時は驚いた。降雪が少なくて、例年ならば積雪の下に埋もれて「陽光」など浴びることもない株の数枝が、年末年始の異常な暖かさに「耐えかねて」蕾を開こうとしたものだろう。
 「マルバマンサク」はこの「実」を枝につけたままで「花」を咲かせる。これが、「マンサク」の学名、「Hamamelis japonica…」のハマメリスになっている。ギリシャ語のhama「ともに」とmelon「リンゴ、果樹の実」の2語からなっていて、「花と果実が同時についていること」によるのである。それにしても、ギリシャ語のmelon「メロン?」がリンゴとは奇妙な気分になる。

 岩木山ではまだ、見かけたことはないが、「マンサクの葉枯れ被害」が全国的に広がっているそうである。
 それは、新緑の中で、最初は樹冠の一部の葉の葉柄部分が茶色く枯れ出して、数日間で壊死が広がり、1~2週間で木全体が「茶色い立ち木」になってしまうというものだ。 さらに年追うほどに異変は葉の壊死や立ち枯れだけではなく、虫瘤(虫えい・むしこぶ)が、大量に出るようになっているという。だが、これは、マンサクにつく、一般的な「マンサクメイガフシ」のものとは違っているそうだ。
 この「マンサクの葉枯れ被害」は1998年に愛知県で初めて発見され、02年時点で、新潟、山形、福島県などの日本海側や東北地方などでも、被害が出ているのだそうだ。しかも、山に自生する「マンサク」だけでなく、園芸品種にまで、被害が出ているというのである。だが、その原因はいまだに「不明」であるという。ただ、「フィロスティクタ属の菌」が病原菌ではないかとの疑いはあるが、再現実験ではまだ、確証が持てない段階だとも言われている。
 「マルバマンサク」は、雪国の里山にあって、低木の中の優先種であり、人々の暮らしと共にあった樹木である。材や樹皮が強靱なので、「ワカン」の材料や炭俵を縛るのに用いられた。飛騨地方では「ネソ」と呼んで、今でも合掌造りの軸組みで柱を縛る材料に使ったりしている。また、一方では「燃料」として「柴」として刈りとって使っていたのだ。だから、1年を通して一番の伐り倒される木はこの「マルバマンサク」の木であったのである。
 しかし、昭和30年代の燃料革命による化石燃料の使用で、炭、薪、柴、杉葉などの需要を激減させ、里山の樹木は見捨てられ、「里山」は人によって「放置」されてしまったのである。このような人間によるいい意味における「攪乱」が現在の里山にはないのだ。
 「攪乱」を受けない里山、手入れをして貰えない里山は、現在は「暗い藪の山」となっている。そのような手入れのされない中で、薪炭材として利用されていたミズナラは老齢化し、それらが「カシノナガキクイムシ」に次々に倒されている。
 そして、身近な燃料や生活道具として伐採を繰り返されて来たマルバマンサクも、はびこり過ぎて、暗く風通しの悪い森を造り、その中で喘いでいる。

 岩木山の山麓中高部は、この津軽地方に残された唯一と言っていいほどの「里山」である。幸い、まだ、「マルバマンサク」の「葉枯れ被害」も見られないし、「ミズナラ」の「カシノナガキクイムシによる立ち枯れ」も散見されていない。
 しかし、山麓集落の人たちによって、「手入れ」がされているようには見えない。このままだと、いつ岩木山の「マルバマンサク」や「ミズナラ」が立ち枯れになってしまうか分からない。私はそれを恐れている。)

◇◇System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた(2)◇◇

 コンピュータの自作マニアの間に「人身御供」という言葉がある。これは、「新しい機器や部品」を使い、それが理由も分からないまま「壊れて」しまうことを指している。
 つまり、自分で購入した「新しく開発された機器や部品」を、知らないまま「メーカー」の実験・検証台にされるということである。「メーカー」は、その有償の対価を、ちゃっかりと無償の対価として、そしらぬ顔で改善を加えて「まっとうな機器や部品」にしていくことを指しているのだ。「初めて使う人」からすると、これはまさに、自分を生け贄として差し出しているようなものである。
 だが、これはよくあることで、発売最初の「新品」にはそのような「リスク」はつき物であると考えた方がよさそうである。
 だが、価格が60.000円近くになると、そう言って「諦めること」は出来ない。そこで、販売店に問い合わせたら、何と驚き、「弊社は販売だけを扱っており、修理等の業務はしていない。販売代理店に直接問い合わせてほしい」というのである。物品を買うときは修理という業務と連動している「販売店」からにするべきであることを初めて体験したのである。
 そこで、「販売代理店」に問い合わせたら、今度は「販売店からの修理依頼書がなければ対応出来ない」という答えである。手間のかかることであるが、何とか対応して貰い、修理なり、同種で別な製品との交換なりをして貰わなければいけないので、もう一度「販売店」に「修理依頼書」の発行を依頼した。だが、やはり、それは「出来ない」ということであった。今度は、そのことを「販売代理店」に告げる。
 そのようなやりとりが続いたところで、「販売代理店」から「販売店」に「修理依頼書」の請求があったらしく、「販売店」から「当該製品」を送って欲しいとの連絡がようやくあったのである。(明日に続く)

「今日の写真はクジャクチョウ」/ System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた(1)!

2010-09-25 04:22:13 | Weblog
 (今日の写真は、タテハチョウ科クジャクチョウ属の「クジャクチョウ(孔雀蝶)」だ。これは、岩木山の大鳴沢源頭付近で撮ったものだ。停まっている花は「ミヤマアキノキリンソウ」である。大きさは24mmから35mmだろう。
 実は、昨年の8月19日に「クジャクチョウ、学名は何と、日本の『芸者さん』」という題で、このブログに登場している。今日はその部分と内容がダブらない範囲で書きたいと思う。
ところで、このように何回でも書きたくなる理由は何なのだろう。それはよく目につくということと「美しい」ということに尽きるのではないだろうか。
 目につくには訳がある。それは目立つということ、これにはその形とか色具合が「奇抜」であること、それに、数が多ければ越したことはないが、多くなくても、私たちの目に触れる期間が長ければ、そうなるのではないだろうか。
 そうなのだ。「クジャクチョウ」は4月頃から10月頃まで飛び回っている蝶なのだ。その上、北海道や青森県では標高の高い山から平地にまで出現するから、結構目につくことになるのである。
 こんなことがあった。4月下旬の自然観察会だった。その日は朝からいい天気だ。林道を辿って新緑のミズナラ林へと向かう。その林道脇には「フキノトウ」が、あちらこちらにポコポコと頭を出して、「春ですよ」と歌っていた。
 その時、開いた林道の真上を、「黒い蝶」のようなものがゆっくりと飛んでいた。「ヒョウモンチョウ」や小さな「ベニシジミ」の出現も結構早いのだが、どうもそれらではない。あそこで舞っているものは一体何だろう。
 私は顔をあげて、その「黒い物」を目で追っかけた。私の視界にはこの「黒い物」の下側しか見えないのだ。やがて、その「黒い物」は、緩やかに下降して、春の日射しと柔らかい風によって、すっかり乾ききって、しかも暖められている白っぽい岩角の縁に停まった。やっぱりタテハチョウ科の蝶だ。羽を立てて停まっているので、全体が真っ黒に見える。私は、ついてくる観察会参加者に「ちょっと待っていて」と指示して、それに近づいた。だが、その黒い蝶は逃げない。しかも、ゆっくりと翅(はね)を広げたのである。そして、そのまま開いた状態で、全身で春の陽光から「暖」を貰い始めたのである。
 この鮮やかな色彩、静かに翅を開いて、美しい姿、この目玉のような模様から、これは「クジャクチョウ」に間違いなかった。
 詳しくいうと、「目玉模様」は水色の小さな斑点を含んだ黒い大きな斑紋で、その周囲を黄白色の環、さらに外側を黒の環が囲んでいる。目玉模様以外にも、翅の表側は鮮やかな赤褐色で、褐色の縁取りがあり、何とも「サイケデリック」な妖しい美しさを湛える蝶なのである。
 だが、翅の裏側は褐色で、翅のつけ根を中心とした同心円状の細かいしま模様がたくさん走っており、翅を閉じると真っ黒に見える。樹皮などに止まって翅を閉じると擬態となって、見分けがつきにくくなるのである。

 …これほどに近づいても逃げようともしないでじっとしている。私は観察会参加者を手招いた。
 よく見ると、開いた右の前翅が少し欠けていた。これは越冬蝶であろう。傷んでいるその前翅も厳しい冬を乗り越えてきたという証であるに違いない。
 
 「クジャクチョウ」は色々な花に停まり、吸蜜をする。高い場所から低地にまで生息しているから、当然その数も多くなる。野の花や山の花でも、アザミ、オトコエシ、ハンゴンソウ、ノコンギク、ヤマハハコ、ヒヨドリバナ、オカトラノオ、キンミズヒキ、ツリフネソウ、ノカンゾウ、ヤブカンゾウなどと多いのだ。
 昨日、9月24日である。私の家の南側、側溝の縁にキク科シオン属の「コンギク(紺菊)」が咲いている。別に誰が植えた訳でもないが、自然に生えてきて毎年、秋になると濃青紫色の花弁と黄色い筒状花からなる小花を沢山咲かせてくれるのだ。
 これは、耐寒性の多年草で、「ノコンギク(野紺菊)」の園芸品種だそうだ。確かに、「ノコンギク」より花色が青く、花付きがいいように見える。園芸種としてそのように「改良」されたのだから、そうであって当然だが何だか複雑な気持ちになる。
 この「コンギク」に、「クジャクチョウ」が停まっていたのだ。驚いた。低地や里地にも棲んでいるといわれているが、この市街地の住宅地、しかも道炉端の「コンギク」で吸蜜しているとは…。
 恐らく、他の市内の庭に咲く多くの花にも舞い降りて、花よりも美しい姿をして、花々を圧倒しているのではないだろうか。これでは、やって来る花の数は、天井知らずといってもいい。また、人目につくことも間違いない。
 「クジャクチョウ」を高原の蝶だと思い込んで、「クジャクチョウが翅を広げて吸蜜している姿を見て、高原に来たな」と感動したという人もいるらしいがそれはおかしい。)

◇◇System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた(1)◇◇

 私はメインのコンピュータで、システムデスクとしてRealSSD C300 256GB (CTFDDAC256MAG-1G1)というSSDを使っていた。容量は256GBだから、システムやアプリケーションだけでなく、私自身の大事な「データファイル」も入れて使っていたのである。
 HDDの時はシステムには回転数10.000rpmで150GBのものを使い、データ用のデスクには10.000rpmで300GBのものを使い、仮にシステムデスクがおかしくなっても、大事な「データ」だけは消失しないようにしていたものである。
 だが、接続がSATA3.0、容量が256GB、何といっても、転送速度が読込最大で 355MB/s、書込最大で 215MB/sというSSD、「CTFDDAC256MAG-1G1」、特に、その速さにすっかりと目が眩んで、システムやアプリケーション、「データファイル」をすべて、「ぶち込んで」使っていたのである。
 そして、その「SSD」が壊れたのだ。壊れたということは「どのような手を施しても回復しない」ということである。システムはOSを再インストールすれば、認証という手続きはあるが何回でも取り込める。アプリケーションも再インストールすれば問題はない。しかし、「データ」は永遠に復旧が不可能なのである。ここでいう「データ」とは私の「コンピュータ」の歴史そのものである。または、活動の記録のすべてでもある。(明日に続く)

今日の写真は、「ナラタケ(サモダシ)」

2010-09-24 04:25:44 | Weblog
 (今日の写真は、キシメジ科ナラタケ属の茸、「ナラタケ(楢茸)」だ。杉の葉っぱが落ちているところに生えていたものだ。杉林の中に「楢茸」とは?…と、思うが、この「キノコ」は余り場所を選ばないようだ。これは9月22日に撮ったものだ。
 「ナラタケ」は、広葉樹や針葉樹の切り株や倒木に生える木材腐朽菌とされているから、別に杉林でもおかしくはないが、命名者の視点は、少しく「狭かった」とは言えそうである。なお、「木材腐朽菌」ということで、「林業」にとっては、「立ち木を枯らす」ので、嫌われているという。そして、この「立ち木を枯らす」ものを「ナラタケ病」と呼ぶそうである。立場が代わると、「親しさ溢れるナラタケ」も業病の扱いを受けるのである。
 それはそれとしても、「天然キノコ」の中で、この「ナラタケ」は、とても庶民的で誰もが知っている「メジャー」なキノコではないだろうか。私は、こと「キノコ」に関しては全くの素人、門外漢を任じて憚らないのだ、その「私」でも知っているくらいなのだから、その「メジャー」振りは相当なものだろう。
 そういう訳で「ナラタケ」は、もっとも身近で採ることの出来る「キノコ」だといえそうだし、数多くの愛称や「俗称」からも、古くから多くの人々に愛されてきた「キノコ」だとも言えるだろう。
 また、この「ナラタケ」は、春と秋にも生えるので、年に2回も採ることが出来るのだ。今日の写真では、「ぽつりぽつり」としか生えていないが、秋には倒木などに「大群生」していることもあるのだそうだ。
 ところで、キノコの判別は本当に難しいものだと思う。それは、種類の多さだけではない。その難しさは、「姿」や「形」が成長するに従い「変化」することである。
 「ナラタケ」は比較的、分かりやすいといわれているそうだ。だが、それでも、傘の形が「幼菌では球形」、その後は「丸い山形」、開いからは「平ら」になり、最後は「上に反り返る」という「変化」を見せるという。
 「ナラタケ」の傘の直径は3cmから10cmで、大きい傘のものは15cmにもなるそうだ。
 傘の中央に暗褐色の細かい鱗片があり、周辺には放射状の条線が見られる。色は淡褐色から褐色で、柄は「丈夫な繊維質」で空洞、上部につばがあり下部は少しだけ膨んでいる。
 「今日の写真」の「ナラタケ」の傘の表面には「ヌメリ感」が見られるが、これは、その日、午前10時過ぎまで雨が降っていて濡れているからであり、「ヌメリ感」は、通常はない。
 「ナラタケ」…とは、本当に「キノコ」という格好をしている。食べても舌触りや歯切れの良さ、適度のぬめり感、出汁も味もよく出るのである。
 22日には、小さなビニール袋に3分の1ほど採って帰ってきた。夕食には、それが「味噌汁」として振る舞われた。初物である。具は、この「ナラタケ」の他に「木綿豆腐」を粗めに切ったもの、それに、大根おろしを添えた。山の香りが、秋の香りが口いっぱいに広がった。昨日、知り合いが「マイタケ」を採ってきたといって持って来てくれた。その「マイタケ」はまだ、冷蔵庫に入ったままだ。私は、どちらかというと「マイタケ」よりも「ナラタケ」の方が好きなのである。

 「キノコ」の成長は非常に早いのだそうだ。「今日の写真」の「ナラタケ」は「幼菌」であろうが、これも、2、3日後には、ちょうど採り頃になるはずだ。「マイタケ」を持参した知人は「キノコ採り名人」である。その彼が常々言うことは「採り尽さないのがマナー。来年も採るためには、必要量だけ採り、最低3割は必ず残さねばいけない」である。

 さて、今年は「キノコ」の当たり年なのだろうか。猛暑が9月に入ってからも続いた超異常の気象であった。どうだろう。
「キノコ」や「木の実」には、大発生したり、実を沢山つけたりする「成り年(なりとし)」がある。いわゆる「当たり年」のことだ。
 「ナラタケ」も、「成り年」には、採り切れないほどの大豊作となり、「成り年」の反対の「裏年(うらとし)」には、その姿を全く見ることが出来ないことになるそうだ。だが、今年は「生えている」ことは確実なので、そこそこ「採る」ことは出来るだろう。

「ナラタケ」には、「ナラタケモドキ」などの似た種類が多いのだが、一般的には、区別しないで一様に標準名の「ナラタケ」と呼んでいる。だが、愛称や俗称としては、他に「モダツ」「ポリポリ」「ボッコ」など多くの「別称」がある。何と地方名は200種近くもあるというから驚きである。昔から里山の「雑木林」に入ると沢山採れて、「キノコ鍋」の具材として馴染みの深いものであるから、そういうことになるのも当然なのかも知れない。

 調べたところ、北海道などでは「ボリボリ」「ボリ」と呼ばれているそうだ。青森県の津軽では「サモダシ」、南部では「カックイ」、下北では北海道と同じ「ボリボリ」と呼ばれる。岩手県の中域では「ボリメキ」である。
 秋田県では「モダシ」と呼ばれるが、地方によって色々な呼称があるらしい。また、地面から生えるものを「サモダシ」、朽木に生えるものを「オリミキ」と呼ぶ場合もあるという。秋田県南部の一部では、山や沢地に生えるものを「サワボダシ」、平地に生えるものを「クネボダシ」と呼んでいる地域もあり、鳥海山東麓では「モタツ」の名でも呼ばれているという。
 私たちが「サモダシ」と呼んでいるのは、秋田の「モダシ」や「サワボダシ」の系統かも知れない。ここにも、「生物多様文化性」が見られるのである。)

今日の写真は、「ゴマナ」/ 「刈り払いで痛めた右腹部の「靱帯」、その後…」

2010-09-23 04:37:25 | Weblog
 (今日の写真は、キク科シオン属の多年草「ゴマナ(胡麻菜)」だ。キク科の花なのに「胡麻」とは何と妙な名前なのだろうと、一瞬思ってしまうのだ。「ゴマナ」とはこれまた何ぞやである。
 昨日、藪こぎと簡単な刈り払いをしながら、ミズナラ林内の「踏み跡道」を歩いたが、今年の「草木」の繁茂には驚いた。
 昨年の6月頃にも沢を渡る箇所の刈り払いをかなり綿密にしたのだが、昨日の確認ではその痕跡は殆どなかった。今年は猛暑で、木々や下草、それに根曲がり竹の成長が9月に入っても続いたらしいのだ。平年ならば草木の成長は、「ねぷた」の頃がピークで後は成長を止めるのだが、今季は少なくとも8月いっぱいは「育った」らしいのだ。
 そのような、「緑」濃い「お彼岸」のさなか、しかも「中秋の名月」の候に、山地の林内に続く道なき道、「踏み跡」脇に見られる「花」は限られていた。
 それは、わずかに3つ。果実をつけながらも咲いている「ツルリンドウ」、それに、淡く明るい紫に咲いている「ノコンギク」。数は多くはなかったが、ひときわ目立ったのが、白い花を枝の上にいっぱいつけている「今日の花」の「ゴマナ」であった。
 ミズナラ林にたどり着く前の、山麓の草原では、黄色い花の「ハンゴンソウ」と張り合うほど背丈も伸びているものもあるが、林内の踏み跡道のものは総じて小振りであった。

 「ゴマナ」は北海道、本州に分布し、山地の草原や林縁などの日当たりいい場所に生える。茎の高さは1mから1.5mほどになり、茎と葉に細い毛があって、触ると「ざらついた」感じがする。
 葉は互生し、短い柄があり、長さは13cmから17cmほどの長楕円形で、縁には粗い鋸歯があって、両面に短い毛がある。
 葉や茎など、地上の大部分は11月頃に枯れるが、「小さな芽」が地面の下に枯れないで残って越冬して、春になってから成長する。その頃は「根生(こんせい)」葉で、根のきわの茎に葉がついているが、花の咲く頃には枯れている。その根生葉の地下茎は、太く横に這っている。
 花は咲いている期間が長くて、8月から10月まで咲き続ける。直径が1.5cmほどで密生している。花のつき方は、「頭状花序」で、これはキク科の花の特徴である。茎の先に多数の小枝を分け、小形の頭花を散房状に多数つける。舌状花は白く、筒状花は黄色で、ともに冠毛を持っている。
 ところで、キク科なのに、「胡麻」という名を持つ「名前の由来」であるが、これがまた、びっくりするほどに「単純」なのである。それは「葉が胡麻の葉に似ている」という意味によるというのだ。こんなものだろう。名前の由来というものは…。
 接尾語的に使われている「菜」という語は「野菜」の「菜」である。これは食べられる「野菜」という意味で、「菜」のつく山菜や野草は、大体が「食用」になる。「ツクシ」のことを「杉菜」という。これも食べられる。ゴマナの仲間「ヨメナ」も同じく若芽は食べられる。
 「北海道、東北北部には大型で全体に毛の多い『エゾゴマナ』が分布する」といわれているのだが、私は岩木山で、「エゾゴマナ」に相当するものをまだ確認していない。)

◇◇「刈り払いで痛めた右腹部の「靱帯」、その後…」◇◇

 …痛めた「部位」は右腰骨上部(肋骨の下部の靱帯)である。そもそもの始まりは、7月18日に「赤倉登山道」の刈り払いをした時である。その刈り払いをした時の負傷状況は…
「右手に鉈を持ち、それを右上段から斜めに振り下ろして、『根曲がり竹』を刈ろうとした時に、支え足にしていた左足が、踏みつけていた『竹』を滑り台にして、下方に滑ったのである。私は股裂き状態になったが、振り下ろした鉈を止めることが出来ずにその行動を終えたのである。その瞬間『右腹部と右側胸部』に鋭い痛みを覚えた」…ということだ。
 7月24日から26日までは、2泊3日で「岩手山・八幡平(裏岩手)」縦走登山 をした。焼走登山口から裏岩手縦走口までの約34km、ザックの重さは15kgほどであっただろう。山行中はずっと「貼り薬の鎮痛剤」を使用した。特別、登高や下降に支障はなく、帰宅後も痛みを感ずることなく過ごしていた。その後、7月28日、8月1日、8月17日と岩木山登山もしたが、「部位」の痛みはなくなっていた。
 8月30日である。赤倉登山道を下山中、石仏33番近くで、道の岩角に足を取られて「前のめり」という最悪な格好で転倒したのだ。首から1kg超の重さの「カメラ」を提げていた。この超重い「カメラ」で私はバランスを崩したのである。転んだ瞬間、激痛が7月18日に痛めた部位とは全く違う「胸」に走った。
 その「激痛」に惑わされて、その時は気づかなかったが、「前のめり転倒」は治癒しかかっていた「7月18日の負傷」部位にさらに、負荷をかけて「損傷」を深くし、広げていたのであった。そして、その翌日から、その部分での「ジリジリ、ズキズキ」という痛みが復活したのだった。部位に腫れが出てきた。
 さらに、それに追い打ちをかけるような「自損事故」を起こしてしまった。それは、自転車での転倒だ。「自損事故」というが、外傷もなければ、他の部位に「痛み」もないものなのだ。
 9月7日、自転車で青樹町まで行った。自転車に乗る分には「痛み」がないのだ。坂の下端で方向転換した瞬間、ハンドルが内側に巻き込まれ、上半身が左側に投げ出されたのである。そのままだと左頭部からアスファルト路面に激突するので、両手でそれを遮ろうとした。そして「遮ること」は出来た。
 その体制が「痛みの部分」をまた広げ、深くすることになってしまったのである。9月7日の晩から、腫れの部分は広がり大きくなり、「パソコンに向かってキーボード」を打つこともままならないほどの「痛み」が、10日以上続き、時々「部位」にキリキリと掻きむしられるような痛みがあり、睡眠中もその痛みで目が覚めるほどなのである。まるで慢性的な不眠症を併発しているようなものだった。
 これでは、「自己治癒」に頼ることも限界だろうと考えて、病院の整形外科に行った。担当してくれた医師はちょっとだけ知り合いだった。「登山好き」の人で、時々山で出会ったり、情報が欲しいと電話をかけてくる人だった。「山登りをする人」故だろうか、7月18日の「現況」については、直ぐに理解をしてくれたようだった。
 医師による診断と治療はいいものだ。21日の晩は、外用貼り付け薬と内服薬1錠の所為で、「キリキリ」という痛みもなく、安眠、熟眠が出来た。朝起きても、部位に微かな「鈍痛」はあるものの、まあ「快調」である。
 そうなると、直ぐに山に出かけたくなるのが、「アホ」な私なのだ。「ゴマナ」には22日に出会っている。

今日の写真は、「ナギナタコウジュ」/ 「赤倉沢ルートの件、ホームページ掲載について」

2010-09-22 04:04:24 | Weblog
 (今日の写真は、シソ科ナギナタコウジュ属の1年草「ナギナタコウジュ(長刀香需)」だ。ただし、これはまだ「若い」花で、昨年の9月25日に岩木山小森山の麓の道端に咲いていたものだ。だから花つきも花穂によっては疎らだし、花色も薄いピンクだ。
 「ナギナタコウジュ」は、北海道から九州の山地の道端などに生える。岩木山では、百沢登山道でいうと、その標高は桜林を抜け出た辺りまでである。岩木荘の方から登ると、スキー場駐車場に直進するアスファルト道の、特に山側に向かって右側に多く見られる。 茎の高さは大体、60cm前後で角張っている。開出した後で下向きに屈曲するような白い短くて軟らかい毛が密についている。
 葉は対生し、長さ3cmから9cmの卵形か狭卵形で、先は尖り、縁には鋸歯があるが荒々しさはなく、10対前後であろう。葉は下部の大きなもので葉身部分が7cm程度あるものもあるが、全体的に草丈と比べると小さく見える。葉の表には先端に短毛が少しだけ見られ、葉裏は脈上に長めの毛が密生している。
 花も不思議なものである。茎頂に花穂を出して、淡い紅紫の小さな花を高密度に、片側にだけつける。花冠は長さ約5mmの唇形で、上唇は小さく、2裂のように見える凹形だ。下唇は3裂している。中央の花片は、立体的に丸くなっていて最も大きく、左右の片は小さめである。なお、花冠の先端側では、長い斜上毛が生え、筒部では斜上して曲がった短毛が密生している。毛も花冠と同じ薄赤紫色をしている。
 雄しべは4本あるが、上唇側の2本は短く、花冠の先端と同じくらいで、下唇側の2本は長く突き出ている。花糸は花冠と同様の薄赤紫。ふちは細かく裂け、毛が生えているように見える。花の反対側に苞が並び、縁に短毛があるが、背面は無毛だ。
 花期は9月から10月だが、冷え込みなどの違いによるのであろうか、全草の赤紫が強くなり、花色も場所によっては「濃さ」に違いが見られるようである。10月に入ると、茎や葉裏もかなり濃い紫に染まるようになる。

 名前の由来は、「漢方薬の香需に似て、花序が薙刀の様な形をしている」ことによるが、その通りで、全体に強い香りがあるのだ。
 だが、秋遅く「枯れた全草の香りと種子の臭いが混じり合う」と、これがまた、「香需」などとはとても言えない「匂い」になる。わざわざ嗅ぐまでもないが、この「ナギナタコウジュ」を握ったり、触れた手や指を嗅ぐと、「むっと」噎せ返りそうになること請け合いである。触れたら最後、なかなか匂いは消えない。)

◇◇「赤倉沢ルートの件、ホームページ掲載について」◇◇

 9月7日に「赤倉沢修験者の道は危険」と題して、このブログに書いた。それについての「心温まる」励ましを添えたメールが阿保さんから届いたので紹介したい。

「岩木山を考える会 事務局長 三浦章男様

 赤倉沢ルートの件、ホームページ掲載のご連絡ありがとうございます。
40歳の頃から岩木山に登るようになり十数年、以前は夏冬問わず頻繁に登ったものですが、近頃は年に数回の岩木登山です。
 専ら一人で登るので、岩木山に関する情報源として『考える会のホームページ』はとても役立つとともに、心強く感じています。
 また、三浦さんの著書も拝読しておりますが、普通では知ることのできない興味深い記事もあり、参考とさせていただいております。
 今回の赤倉沢ルートの件は、どなたかに伝える必要があると思い、差し出がましいと感じつつもお知らせしたものです。
 ホームページを拝見しましたが、とても丁寧な取扱に少し驚いています。三浦さんほか考える会のみなさん、ほかの一般登山者の方々のお役に立てたのであれば嬉しく思います。

 今後のさらなる『考える会』の発展と、岩木山の自然が守られていくことを心から願うものです。このたびは誠にありがとうございます。            弘前市 阿保正樹」

今日の写真は、「トチノキ」の実と「ハス(蓮)」の実

2010-09-21 04:55:18 | Weblog
 (今日の写真は、トチノキ科(またはムクロジ科)トチノキ属の落葉広葉樹「トチノキ(栃の木)」の実とスイレン科ハス属の多年生水中植物である「ハス(蓮)」の実である。入れた器は津軽亀が岡焼き「一戸広臣」の手になるものだ。
 「トチノキ」は高木で、高さは25m、太さも1mを越えるものが多い。落葉広葉樹林の重要な構成種の一つである。適度に湿気のある土壌で育つ。谷間では、サワグルミなどとともに姿を見せる。
 葉は大きく、葉柄も長く、その先に倒卵形の小葉を5~7枚、掌状につけ、その長さは50cmを越える。5月から6月にかけて、穂状の花序を出し、高く立ち上がる。
 花は白から薄い紅色で、目立つのだが、「高木」であることと「穂状の花序を出し、高く立ち上がる」という咲き方から、樹下からは、なかなかその姿を見ることは難しい。
 丸い果実が熟すと厚い果皮が割れて、「種子(実)」を弾き落とす。「種子」は「今日の写真」を参考にしてもらえばいい。大きさクリに似ているが形状はクリではないし、色はクリよりも黒っぽい。「今日の写真」のものは非常に光沢があるが、これは乾いた布で表面を磨いたからであり、普通はもっと地味で素朴な色合いをしている。
 「トチ」は東日本を中心に分布して、東北地方により多く見られる。「種子」は、デンプンやタンパク質を多く含んでいる。ただし、「渋抜き」しなければ食用にならない。しかも、「渋抜き」して食用になる「コナラやミズナラ」などの果実よりも、長い期間、「流水に曝し大量の灰汁で煮る」など手間がかかるのだ。
 昔は、飢饉の際の食料として大切にされた。森林の伐採の時にも「トチノキ」は残したり、「トチノキ」を勝手に伐採することを禁じたりしていたという。縄文時代の遺跡からも出土しているそうだから「トチの実」と日本人の付き合いは長いのだ。

 さて、黒っぽい実の方に移ろう。これは「ハス」の実である。学名にも「 堅果を持った」という意味が使われているように、まさに「 堅果」である。
 秋になると、「ハス」の葉は、破れてくる。この葉を「季語」では、「敗荷(やれはす)」または「破れ蓮(やれはちす)」と言う。「敗荷(はいか)」と読んでもいいだろう。
 漢字の「蓮」は、「はちす」とも読む。由来は「果実を入れた花托の姿が、蜂の巣状をしている」ことによる。
 「花托」は倒円錐形で、巣孔中の種子は、熟れると抜け出る。「今日の写真」のように果皮が黒いが、中身は「白くて肉厚」である。もちろん食べられる。
 食べられるのは「種子」だけではない。花も、葉も、茎なども食用になるのだそうだ。私が知っているのは、「泥の中にある根の部分」、つまり、蓮根(れんこん)ぐらいのものだ。
 葉を食べた記憶はないが「食べ物を包んだ」ということはあったような気がする。それに、サトイモの葉と同じように、ハスの葉は、表面が蝋を塗布した状態になっているので、水を弾く。そのために、雨水の滴が集まって「水玉」になり、葉の表面を軽快に走るのである。葉っぱを動かして「水玉」転がしをして遊んだことの方が記憶でははっきりしている。
 「ハス」は日本の在来種ではなく、インド原産の植物である。「インド」は仏教では西方浄土である。その西方浄土にある「極楽は神聖なハスの池」なのだと考えられて、多くの仏教寺では、境内に「ハス池」を造って、植栽するようになったといわれている。
 一方で、仏典に「蓮華(れんげ)」の名で登場するし、仏像の台座にもその花の形がよく使われるようになったのである。
 ところで、古代エジプトで神聖視されたのは、同じスイレン科だが、「ハス」ではなく睡蓮(スイレン)の方である。
 
 「ハス」の花にまつわる不思議な話し…夏の朝、水面まで花茎を立てて花を開く。だが、朝早く開き、午後3時頃には閉じてしまう。そして、花は開く・閉じるを3回繰り返して、4日目にはもう散るのである。
 そして、「敗荷」を迎え、立派な実をつけるのである。 「与謝野鉄幹」に「敗荷」という詩がある。その一節だけ紹介しよう。

…夕(ゆふべ)不忍(しのばず)の池ゆく
涙おちざらむや
蓮折れて月うすき…

 「今日の写真」には赤い実も見えるだろう。これは「マユミ」の実である。この3種類とも、昨日弘前公園植物園で、拾ったものである。まさか、「盗った」とは言われないだろう。)

今日の写真は、「ジュンテイカンノン(准胝観音)」/「余録:『65年後』の昔と今」に思う(28)

2010-09-20 04:29:56 | Weblog
 (今日の写真は、赤倉登山道沿いに見られる第6石仏、「ジュンテイカンノン(准胝観音)」である。かなり秋の深まった明るい日射しの元で撮った1枚である。
 准胝(じゅんてい)観音は「六観音」の1つである。他に、基本形である聖(しょう)観音をはじめ、十一面観音・如意輪(にょいりん)観音・馬頭(ばとう)観音・千手観音の6つである。 だが、何故かしら、赤倉登山道沿いの石仏観音像には、「馬頭(ばとう)観音」が見られないのである。また、これに不空羂索(ふくうけんじゃく)観音を加えて「七観音」とする場合もある。なお、赤倉登山道沿いの石仏観音像には、この「不空羂索(ふくうけんじゃく)観音」は建立されている。
 もともと、「六観音」とは浄土信仰と共に中国で生まれたもので大悲観音・大慈観音など六尊を拝んで輪廻から抜け出す手段とされたものであり、「六観音信仰」は真言宗・天台宗と関連の深い寺院等で占められる。
 赤倉登山道沿いの石仏観音像には、「六観音」の他に「三十三観音」というものの中にある馬郎婦観音(めろうふ)、岩戸観音(いわど)、龍頭観音(りゅうづ)、葉衣観音(ようい)なども、建てられている。

 「観音」さまというのは日本では恐らく一番信仰を集めている仏であろう。この仏様は慈悲の心により、救いを求めている人があったらすぐにそこへ行って彼らを救済をすると言われており、「如来」様ほど畏れ多い存在でもないところから人気を集めたのではないかと思われる。「六観音」、「七観音」、「三十三観音」などと数え方も幾通りもあるので、「観音」さまの姿は全部で幾つくらいあるかは見当がつかないであろう。何故ならば、「観音」さまは衆生を救済に顕れる時、多くの姿をとると言われているからである。

 「今日の写真の准胝(じゅんてい)観音」は観音の女性神格の代表の1つだ。「准胝観音」は「水の女神」という性格も強く持っており、仏教的には「水の浄化の働きにより清浄をもたらす女神」ともいわれているものである。)

◇◇ 毎日新聞2010年8月15日付電子版 「余録:『65年後』の昔と今」に思う(28:最終回) ◇◇

(承前)…しかし、時々、いや頻繁に起きる戦闘機の墜落事故、それに伴う民間人の死亡事故や自衛隊員の訓練中の事故を知るにつけて、ここは「戦場」ではないのかと考えるようになっていた。憲法9条によって「戦争」を放棄したはずなのに、日本はしっかりと「戦場」を抱えているではないかと思ったのである。
 そのような時のある晩のことだ。深夜2時を回っていた。戸外で大きな音がした。それが自動車が突然何かにぶつかって「停止」した音であった。この強制的な「目覚め」は不愉快なものだった。4時起床の私にとって2時間も早い起床は「寝不足」のもとであり、苦痛に近いものだった。
 外で、人の話し声が聞こえる。数人いるらしい。日本語ではない。どうも英語らしい。そのうちに、玄関を「ドンドン」と叩く音が聞こえた。それと同時に何やら喚いている。 私は上着を羽織って出てみた。結果からいうとこうだ。
 千歳アメリカ空軍基地の兵士が3人、酔っ払って自動車を運転して、私が住み込んでいる家の前の農業用水堰に落ちたのである。
 彼らの言うことは、英語なのでよく分からないが「その落ちた自動車を引き揚げたいので、『馬』がいるならば、引っ張り上げてくれないか」ということだった。
 私は「馬ならいる」といいながら、農業用のチェ~ンをつなぐフックがその自動車のバンパー部にあるかどうかを確認した。そして答えた。「馬はいるが自動車につなぐ箇所がないので、引き上げは出来ない」と。
 そうしたら、ものすごい勢いで怒るのである。言葉の端はしに「これはアメリカ軍の命令である」とか「何で日本人がアメリカ人の言うことに従えないのか」というニュアンスを含んだ単語が聞こえたのである。
 私は「ベリーソリー、グッナイト」と言ってドアを閉めたのである。翌日の昼過ぎに、空軍の大型のレッカー車が来て、その自動車を引き揚げて帰っていた。
私はその時思ったのだ。日本は独立した国ではない。まだまだ、アメリカによって「占領」されている国なのだと。
北海道での、これらの体験から、私は「戦争反対」と真の「自主独立」を考えるようになったのである。その後私は、定時制の高校生になっていた。少ない給料から、歴史関係の本を買った。世界史的には「中央公論社」版の「世界の歴史」を読んだ。日本については明治維新から1945年までのものをよく読んだ。日本が歩んだ道は間違っている。アジアの民衆にしたことは間違いを越えて、悪行である。植民地政策は略奪の何ものでもない。私は、その植民地で育ったものである。
 ちょうど4年生の時が1960(昭和35)年であった。時はまさに、「安保反対闘争」の年だった。
 1960年5月20日に、衆議院で新「安保条約」案が強行採決されると、「民主主義の破壊である」として一般市民の間にも反対の運動が高まり、国会議事堂の周囲をデモ隊が連日取り囲み、闘争も次第に激化の一途をたどっていた。「安保反対」闘争は次第に、反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。
 だが、私は定時制高校の4年生だ。地方の定時制高校生で「安保反対闘争」に参加するすべはなかった。「安保反対闘争」そのものが話題にもならなかったというのが現実でもあった。
 この、「安保反対」闘争に対して当時の総理大臣、岸信介は、警察と右翼の支援団体だけでは、デモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の橋本登美三郎を「暗黒街の親分衆」の会合に派遣した。松葉会、錦政会、住吉会、関東尾津組ら全員が、「デモ隊を抑えるために手を貸すこと」に合意した。
 さらに、三つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請した。それは、新日本協議会、全日本愛国者団体会議、日本郷友会である。
 彼らの総数は38.000人、また、政府提供のヘリコプター、小型機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていたのである。
 「60年安保条約」は「暴力団や右翼集団に支えられて」衆議院を「通過」したのである。これでは、とうてい対等の関係における「安全保障条約」ではないだろう。これが、その後、50年も続いているのである。それにしても、時の政府権力は何でも、するものである。この民意の「封じ込め方」にはそれがよく現れている。社会の敵とされる「暴力団」とまで与するのだ。
 もしも、私が全日制高校に進んで、現役で「東京の大学」に進んでいたら、間違いなく「大学1年生」として「安保反対」闘争に参加していただろう。
 私にはそれがそれが出来なかった。このことが、「世の潮流から取り残されたという悔いとなって今もあるのである。
 私は1961(昭和36年)に弘前大学に入学した。しかし、「安保反対」闘争は、その影をすでに潜め、学生運動は分派し、セクト争いに終始していた。酔っ払って警察に保護されたことはあるが、警察の「警棒」を使う「デモ隊列」からのごぼう抜きを味わったことは、私にはない。

 私の願いは素朴である。だが真実だといつも思っていたし、69歳になった今もそう思っている。それは、「戦争反対」である。だから、すべての「戦争」につながるようなことには反対する。
 しかし、戦争に反対はしているけれど、世界中で戦争は絶えない。「安保条約」の手枷足枷で沖縄は雁字搦めである。「自主独立」のない半ば占領の状態が50年も続いたままだ。私はいったい何をしてきたのだろう。
 ただ、私のこの悔いを和らげてくれるものは、私が現在している自然保護運動である。戦争は「自然破壊」の何ものでもない。自然保護運動は根底に平和主義を内在している。(この稿は今日で終わりとなる)

今日の写真は、「ノコンギク」/「余録:『65年後』の昔と今」に思う(27)

2010-09-19 05:29:24 | Weblog
(今日の写真は、キク科シオン属の多年草「ノコンギク(野紺菊)」だ。  
 山野に普通に見られ、日当たりのよい路傍や畦、河川敷などに生育する。秋に咲く「里地、里山」を代表する野菊の1つであるとされている。
 だが、岩木山では標高1000mを越える場所でも生えている。そして、それらは「今日の写真」とは色合いも、全体の風姿もかなり違っている。私に言わせると「野に咲く」大勢の花々という印象は薄れて、孤高を保っている高貴な風情を醸し出している花ということになる。今日の写真は、もちろん、山麓部の林道沿いで撮ったものである。
 「ノコンギク」は本州、四国、九州に分布する。各地で見られ、地方や生育環境によって花色や形態は多種、多様であり、葉の広いもの、狭いもの、舌状花の色の変化など、多くの「変種」があるとされている。だが、「ノコンギク」は「日本固有種」なのである。
 草丈は、50cmから1mである。葉は互生し、葉身は卵状長楕円形だったり、長楕円形だったりする。長さは5~8cm、幅は2~4cmである。短毛が生え、ざらつき、縁にはまばらな鋸歯がある。
 花は、茎の先に多数が散房状につき、頭花は直径2~2.5cm、舌状花は1列である。花色は白色に近いものから、淡い青、赤みがかった青から青紫色のものまでと多彩である。
 名前の由来であるが、本来は「舌状花の色である紺色」に由来し、本種の栽培品種である「コンギク」に対して野生種である「野に咲く紺色の菊」という意味による。
 「ノコンギク」と「ヨメナ」の区別は難しい。中心の筒状花の周囲に毛の様な「冠毛がある」のが「ノコンギク」で、「冠毛のない」方が「ヨメナ」である。
 はっきりと区別出来るのは、花が終わった後である。毛が伸びて、風で舞い上がりそうなのが「ノコンギク」で、毛が伸びないで「キンミズヒキの種子」のような果実が見える方が「ヨメナ」である。
 岩木山では、「ノコンギク」は山麓部でも山際の方によく生えているし、「ヨメナ」はそれよりも低地部に多い。)

◇◇ 毎日新聞2010年8月15日付電子版 「余録:『65年後』の昔と今」に思う(27) ◇◇

(承前)…でつないでいくのは余りにも間が開きすぎた。だが、途中で止める訳にはいかない。何たって9月12日に(26)を書いて以来、書いていないのである。

 私が「引き揚げてきてから数年間のこと」は拙著「陸奥の屹立峰・岩木山」の中の「20 なぜ岩木山なのか・故郷の原風景(p371~p394)」に譲ることにしたい。

  …小学生から中学生へと、私の遊びの殆どは「外」であった。それも、一人のことが多かった。雪が消え始める頃は、田んぼに出て「凧揚げ」をした。この地方でいう「春風」を利用したものだ。やがて雪が消え、田んぼには水が貯まる。「馬耕」される前までの「貯水池」のような田んぼでは「帆掛け船」遊びをした。
 これは、自分で船を造るのである。もちろん自分が乗るためのものではない。平たい板をそのまま使う場合もあるが、垂木を削りだして船体を造る場合もあった。これは難しかった。帆を張る柱も難しかった。その位置と太さと長さが問題だった。上手く出来ると「帆掛け船」は春風を受けて自在に走った。
 夏は川遊びが中心で、春からか秋までは釣りをした。冬は近くに小学校のスロープがあったので、スキーをすること、それにたまには「凧揚げ」で過ごした。
 家の中では何をしていたか。買うことが出来なかったので、借りた漫画本や雑誌を見て過ごした。だがそれは、「見る・読む」というよりは、それを模写することの方が「主」であった。
 記憶にある絵は「小松崎茂」のものだ。貸本屋などのない田舎である。「水木しげる」のものには出会ったことはない。
 漫画も雑誌も「戦争を否定」するという内容よりも、戦争を「追想」し、「賛美」するというものが殆どだった。少なくとも私の周りでは、漫画や雑誌を含めて、大人にも社会にも、「戦争に深く反省を加え、戦争を否定する」という風潮は感じられなかった。
 「戦争放棄」という憲法を持ったことでの「安心感」に多くの国民は浸っていたのかも知れない。私はそのような生活の中で、「多くの国民にの一員としての中学3年生」になっていた。進路を考え、高校受験も思い描いたが、経済的に無理だった。
 貧しい者には進学が閉ざされていた時代である。金がかからないで勉強出来る方法はないのか、もしも、月給が貰えて、その上に勉強が出来る道はないだろうか。
 私は、「少年自衛隊」に受験した。衣食住つき月給つきという道である。しかし、「幸いにも」2次選考で不合格になった。その理由はよく分からない。運動神経が余りよくなかったからだろうか。それとも他の理由によるものなのかは、今になってもよく分からない。本当は「不幸にも」というべきだろうが、その後の自分の人生なり、ものの考え方からすると、実は「幸い」だったのである。
 母方の叔父は戦死していたが、父方の係累では戦死者はいなかった。先に述べた記憶以外に私には「直接的な戦争体験的な記憶」はなかったのである。
そのようなことから、私は15歳の春まで「戦争」を憎悪したことはなかった。また、取り立てて、「反対」したこともないのである。
 「受けるだけ」という気持ちで受験したら「全日制高校」に合格した。だが、2ヶ月半で退学した。その理由は授業料を払えなかったことだ。新規学卒者でもない中途半端なものにとって直ぐに「職」は見つからない。私は北海道に出稼ぎに行くことにした。それは「農業従事者」として働くことだった。「農業従事者」とはいうが、その実態は「津軽地方」の「借り子・かれご」同様であった。簡単に言うと「衣食住を与えられた奉公人」、「住み込みの農作業員」である。朝4時前に起床し、仕事が終わるのが晩の8時というのが毎日であった。
 私の出稼ぎ先は、北海道の千歳市近郊である。そこにはアメリカ軍の航空基地と自衛隊の駐屯地があった。
 そして、連日、頭上をアメリカの戦闘爆撃機が低空で飛び、自衛隊の射爆場からは機銃や重砲の音が聞こえた。最初は珍しさもあって作業の合間に腰を上げて見たり、聞いたりしたものである。(明日に続く)

今日の写真は「アキカラマツ」 / 「植木や花をとらないで下さい」という立て札

2010-09-18 05:22:03 | Weblog
 (今日の写真は、キンポウゲ科カラマツソウ属の多年草「アキカラマツ(秋落葉松)」である。この仲間には、比較的似ているものとして、「カラマツソウ」、「ミヤマカラマツ」、「モミジカラマツ」、「センニンソウ」、「ボタンヅル」などがある。
 「アキカラマツ」は北海道から九州まで分布している。原野や河川の堤防、草地などに生育する。岩木山では山麓の日当たりのいい原野に多く、標高も200mから600mまでとその生育範囲は相当広い。
 葉は2~4回3出複葉であり、小葉は円形から楕円形であるが、その色彩は「粉青白色」という珍しい色調を見せてくれる。
 茎は高さ70cmから150cmになり、上部でよく分枝する。8月から9月にかけて、その分枝した茎の先から大きな円錐花序を出し、淡黄白色の小さな花を多数つける。
 花は径が8mmほどで、花弁のように見えるのは萼である。萼は花びら状で3個から4個あり、長さは約4mmで早く落ちる。花弁がないので、多数の長い雄しべがよく目立つのである。
 名前の由来は、この雄しべの様子にある。長い雄しべが「カラマツ(マツ科カラマツ属)」の葉に似ていることと、秋に咲くことによって「アキカラマツ」と呼ばれるようになったのだ。 
 「キンポウゲ科」の植物には光沢のある萼片を持つものが多いという印象がある。しかし、「アキカラマツ」は結構地味である。それでも、「葯」が黄色いので、花序は遠くからでもよく目立つので、草原の中でも発見は容易だ。
 だが、「アキカラマツ」は毒草である。毒部位は全草、葉、根だと言われている。かつては、その苦味の強さから「センブリ」の代用にもされていたそうだ。だが、多量に用いると中毒症状を起こすそうである。「毒」は調合次第で「薬」にもなるのである。
 長野県高遠町では古くから健胃薬として用いられていて「高遠草(たかとうそう)」という名前で呼ばれている。
 別名は他に、牛嫌草(うしいやぐさ)、煙鍋草(えんかそう)であり、その毒成分は「タカトニン」や「マグノフロニン」で、神経麻痺や血圧降下という症状を起こすそうだ。
 葉っぱを1枚取って囓ってみたが、やはり、苦かった。)

◇◇「植木や花をとらないで下さい」という立て札 ◇◇

「植木や花をとらないで下さい」という立て札を見た。それは、ある建物の道路沿いに面した庭の前に掲げてあった。
 その立て札は、明らかにその筋の職人が造って描いたものではなかった。20cmに50cmほどの普通の板である。表面にはもちろん鉋はかけらてはいない。そして、書かれているのは「墨字」である。
 鉋のかけられていない、表面がざらざらした板に、筆で文字を書くということは、簡単ではない。だが、書かれた「植木や花をとらないで下さい」という一文はすごく丁寧であり、かつ明瞭で、よく目立つのである。
 それを見て、一瞬「書き手」の思いがにじみ出ているなあと、私は思ったものである。
 また、目立つ理由は、その立て札の存在に対する「違和感」である。ふつう、「庭」にこのようなものはない。このようなものを立てるからには、よほどのっぴきならない、止むにやまれぬ事情があるのだろうとも思ったのだ。
 次いで、「植木や花を…」と限定したところに、引っかかりを感じたのだ。それは、ここに生えている「木や草、植物をとらないで下さい」と何故、表記しなかったのかということであった。
 その傍を自転車で「上述」のような思いで通り過ぎて、家に帰ってから、その「植木や花をとらないで下さい」と書かれた小さい立て札のことがすごく気になり出したのだ。
 とにかく、一般家庭の「庭」、少し大きめの一般に解放している「花園」や「植物園」などでは、このような「とらないで下さい」という立て札を見ることは先ずない。自治体などが管理している街中の「小公園」や「空き地を利用した花壇」などでは、偶に見ることはある。それでも「植木や花」と限定したものは非常に少ない。

 とにかく、私は、その「建物の道路沿いに面した庭の前」をかなりの頻度で通る。そして、通るたびに、その庭の花や樹木に目を注いで、「ああ、サツキが咲き出したなあ」とか呟いていたのである。このような私にとっては、先ず、この「立て札」は異物であり、庭には相応しくない「違和感」溢れるものに見えたのだ。言い方を変えると「庭には不要なもの、邪魔なもの」でしかなかったのである。
 その「違和感」に溢れ、異物でしかない「立て札」を、造って立てた人も、私のような思いを持ったであろうとすると、「それでも立てざるを得なかった」よほどの事情があるはずである。
 ここで言う「とる」は「盗る」である。つまり、「盗っていくな、堀盗っていくな、折り盗っていくな、切り盗っていくな」ということなのだ。
 「立て札」を立てざるを得なかった、止むにやまれぬ事情とは、この「庭」が通行人やあるいは「盗掘」を目的にした人による「花泥棒」や「植木泥棒」の被害に遭っていたということなのである。
 確かに、数年前には見事なシャクナゲが生えていた。そこで咲き出したことを確認して、「岩木山」のシャクナゲもそろそろ咲くだろうと、見通しをつけて出かけたものである。だが、それは、年を追うごとに、見るたびに少なくなっていた。枯れているという気配もないが「木」そのものが少なくなっていた。そして、昨年は、とうとう1本も見かけなくなったのである。
 その建物は大きな事務所であり、夜間は無人となる。それをいいことに「花泥棒」や「植木泥棒」はせっせと花を盗り、植木を掘り盗り、自分の「庭」や「山野草店」に運んだのだろう。
 私は、これまでに、日中、事務職員が、植栽したり、植え替えたりして庭の手入れをしているのを数回見ている。植木や花を大事にして「庭」を管理して、育てているのだ。
 そのことを知っていながら、その植栽されたものを「略奪」していくとは、何という愚かしいことだろう。そして、この「庭」から「庭の構成要素」をなくして、挙げ句の果てには庭にそぐわない植木や花をとらないで下さいを掲げさせたのである。
 人の庭から「花」を掠め盗る人に、花を愛する資格はない。それは、泥棒でしかない。山野草や高山植物の盗掘も同じだ。
 「植木や花をとらないで下さい」という立て札には、まだ人の良心を信じたいという願望が滲んでいる。有り難くもあり、切ない思いに溢れている。

今日の写真はヤマノイモ科ヤマノイモ属の蔓性多年草「オニドコロ(鬼野老)」

2010-09-17 04:29:22 | Weblog
 (今日の写真は、ヤマノイモ科ヤマノイモ属の蔓性多年草「オニドコロ(鬼野老)」である。これは9月10日に撮ったものだ。
 この植物の開花は一応、8月頃とされているから、9月の10日頃にまだ咲いていても別に不思議ではないのだが、…今年の秋の花は、その開花が総じて遅いように思えてしようがないのだ。「夏の猛暑」が影響しているとすれば、この遅いということが植物たちの「猛暑」への対応なのかも知れない。
 極めて人間的に推量してみると「ああ、まだ暑いな、秋は始まっていないなあ、もう少し、朝晩の気温が下がり始めたら咲くことにしよう」などということではないだろうか。
 今年は偏西風の蛇行と東太平洋赤道上で海水の温度が低くなるラニーニャ現象により、西太平洋の海水温度が上昇したことによって猛暑の夏となった。
 この猛暑にさらに、異変を加えたのが「地球温暖化」である。
 私たちには前二者に猛暑の原因や理由を求め、「地球温暖化」から目を逸らそうとする傾向がある。それは、前二者は「私たちには責任のない異常気象」であるからだと主張できるからである。だが、「地球温暖化」の進行に対して人間は「すべてが」責任を負っているのである。その責任から逃れるために「地球温暖化」には触れたくないのだ。
 今年は夏という季節だけが「猛暑」だった訳ではない。「寒冷」であるべき「冬」も暖かかった。季節風の吹き出しも弱く、降雪量も極端に少なかった。だが、そのような「異常な冬」については誰も騒がなかった。「寒くあって当然な季節」が「暖かい日々」で経過しても人間の生活は困らない。むしろ歓迎である。極めて異常な「季節」になっていても、それを問題として捉えない。雪かきはしなくていい。雪上走行という難儀な運転はしなくていい。暖房費や光熱費は安上がりですむ。雪が普通に降り、毎朝氷点下という気温で経過するきわめて「普通の冬」ならば、そうはいかない。だから、「猛暖」な「冬」は、目を細めて歓迎するのだ。だが、「猛暖」な「冬」の原因こそが「人間が造りだした異常気象、つまり地球温暖化」なのである。多くの人々は暖かさに浮かれて、そのことに思いを致すことはしない。
 ところが、同じ異常気象であると「猛暑」となると、そうはいかないらしい。先ずマスコミが騒ぐ。日本全国暑いのである。報道しなくても「猛暑」であることは実感しているのに「連日」、この「猛暑」報道をこれでもか、これでもかと言わんばかりに続けて、「猛暑」を煽る。挙げ句の果ては、「熱中症」による死者のことだ。
 もし、冬が本物の寒さになり、さらに異常気象で「猛寒」となった時に、「暖房もなく、ストーブの灯油も買えない」で死ぬ人が出たら、そのようなことに対して「…症」と呼ぶのだろう。
 対意語でいうと「熱」の反対は「冷」であるから「冷中症」?、笑わせちゃいけないよ。「電気が止められてエアコンが使えない」、「お金がなくてエアコンが買えない」、「通風、通気の悪い住環境にしか住めない」、「電気が止められて暖房機が使えない」、「金がなくて灯油が買えない」などの理由から死んでいかねばならない世の中を、黙って見過ごす訳にはいかないだろう。ラニーニャ現象が見られる年の冬は、例年より気温が低くなる傾向なのだ。
 資本主義社会では、その理論から「貧富の格差」は生じるのは当然なのである。我が国、日本は、そのことをしっかり認識していた。だから、「生活保護法」なという優れた福祉制度を打ち立ててきたのである。だが、小泉の時代からその影は薄れてきた。
 民主党よ、自分の器だけでの争いよりも「国民」のことを何とかせよ…。これは、他のすべての政党に対しても言いたいことである。

 なかなか秋が始まらないということから、かなり脇道にそれたが、「オニドコロ(鬼野老)」について書こう。
 「オニドコロ」は、北海道から九州及び中国の中部以南に分布している。山野の藪に自生し、夏から秋にかけて藪は蔓性の植物がはびこるが、「オニドコロ」も、その中の1つである。だが、花も実もあまり目立たない。
8月頃に、葉のつけ根に淡黄緑色の小さな花を円錐状に垂れて咲かせる。雌雄異株なので、雌花序は下垂し、雄花序は直立するという違いがある。今日の写真は「雌花」である。
 葉だけ見ても「ヤマノイモ」と同じようなハート形の葉をつけているので「ヤマノイモ(自然薯)」と区別することは難しい。だが、「ヤマノイモ」の葉は対生しており、「オニドコロ」は互生しているので、よく見ると区別が出来るはずである。
 名前の由来であるが、先ず、「鬼」を押さえておこう。「オニドコロ」は葉が大きいので「オニ…」と呼ばれるのである。
 「トコロ」だが、根茎の髭根を「老人の髭」にたとえ、髭を持つ海の「海老」に対して、野原の「野老」と書くのだそうである。
 他には、根に塊ができる事から 「凝(とこり)」 がなまってトコロ(野老)になったとする説やまた、根茎を摺ると「とろりと凝った汁」ができることにより、「トロリ」が転訛して「トコロ」となったとする説などもあるが、「イモ状の根や根茎をインドネシア語でトンコロということ」からインドネシア語が語源だとする説まである。
 いずれにしても、日本人は「トコロ(野老)」のヒゲ根を野の老人に見立て、古来からヒゲ根を正月の床に飾って長寿を願う風習としてきた。同時に、同じ科の「ヤマノイモ」と一緒に、根を食料としてきたのである。
 「ヤマノイモ」は「自然薯(じねんじょ)」と呼ばれ、美味しい食物である。だが、「オニドコロ」は灰汁で煮て、水にさらして調理しないと食べられない。
 なにせ、この根を細かく砕いて、渓流に流し、魚を麻痺させて捕らえることさえ出来るのである。しかし、昔はよく掘られ、灰汁で煮て水にさらし調理して食べられていたのだ。
 「トコロ」は万葉集でも詠まれており「ところずら」という名前で「皇祖神(すめらき)の神の宮人ところずらいや常重(とこしえ)にわれかえり見む」という歌もある。

「トコロ」という名前を持つものに「アマドコロ(甘野老)」があるが、科も属も全く違う植物である。野原に多いが、開花時期は、4月から5月であり、白い花を2個ずつ、ぶら提げるようにして咲かせる。
根茎に多くの節があり、それが「野老(トコロ。ヤマイモの一種)」に似ていて、野老(トコロ)は苦いのに、こっちは甘いので「甘野老」になったのである。)

今日の写真は「マメ科アズキ属の1年草「ヤブツルアズキ(藪蔓小豆)」

2010-09-16 05:07:09 | Weblog
(今日の写真は、マメ科アズキ属の1年草(多年草とする説もある)「ヤブツルアズキ(藪蔓小豆)」である。
 本州、四国、九州に分布し、亜高山から人里、田畑、河原、渓流、原野や草原、海岸などに生える。特に日当たりのいい草地に多く見られる。
 蔓状で茎には、黄褐色の粗い毛がある。葉は互生し、3出複葉だ。小葉は卵形か狭卵形で長さ3cmから10cm、鋸歯のない全縁か、また浅く3裂している場合もある。葉の両面に黄褐色の長い毛が見られる。葉の付け根に粗毛を密生する耳状の托葉がある。
 草丈は1mから2mほどだろうか。結構大きいのである。
 8月から10月にかけて、葉の脇から総状花序を出して、「淡黄色」の花をつける。この花の色はまさに、「アズキ(小豆)」の花の色である。
 花に見られる中央の「竜骨弁」はねじれ、左の翼弁がかぶさっている。また、右の翼弁は「竜骨弁」を抱くように、突き出ている。可愛らしいが、見なれていなければ「奇妙な花」に見えなくもない。だが、この「黄色」の花は秋の野原では非常に目につきやすい。
 自然観察会を開く。春と秋、どちらの参加希望者が多いだろう。それは、圧倒的に「春の観察会」の方が多いのだ。冬の間、雪に閉ざされている雪国の人の「閉塞感」から、「解き放された」春への思がは強いのだろう。この気持ちは分からない訳ではない。
 「秋の観察会」への参加者は「春」に比べると激減する。「春」の参加者へ「秋」に参加しない理由を問うと「花が少ない」からという答えが返ってくる。
 だけれど、「花が少ない」というのは間違いである。秋という季節は夏の終わりから冬の初めまでで、特に降雪のない地域では、「秋という季節」はとりわけ、長くなるだろう。 秋の花は「多い」のである。だが、春の花と違って、「藪」を形成し、その中で他の植物と、しっかりと「共存・共生」していて、私たちの目に「見えない」ものも多いのである。見えないことが多いだけで花の数では「秋の花」の方が多いのである。
 冬を前にして、これら秋の花が「どのように変化」をしていくのかをテーマにすると、「秋の観察会」も深みと広がりのあるものになるはずなのである。
 たとえば、昨日の「ヤブマメ」の場合は「莢に入った豆」と「土中果」を比べてみるとかである。または、今日の花「ヤブツルアズキ」の種子どのようになるのだろうに主題をおいて、その時季に「観察」するのも面白いだろう。
 「ヤブツルアズキ」の莢に入った豆果は線形で、毛はない。細長い莢に6個から14個の種子が入っている。その「種子」というのがこれまた、「アズキ」よりも小さいものの「アズキ」そっくりなのである。
 そうなのだ。「ヤブツルアズキ」は栽培植物の「アズキ」の原植物なのである。これを品種改良を重ねた結果、今の「アズキ」にしたのである。そのことを考えると、非常に身近な植物ということにもなるだろう。
 名の由来も、「藪に生える蔓性のアズキの野生種」という意味による。

 「ヤブツルアズキ」によく似たものに「ノアズキ」がある。本州・四国・九州に分布し、原野や草原の日当たりのいい草地に生えて、蔓性であるということも「ヤブツルアズキ」にそっくりなのである。その上、花期も8月から9月であり、花の色も、草丈もほぼ同じである。だから、花の咲いている時季には、一見してどちらであるかを「同定」することは難しい。
 しかし、果実の時季になると、その違いがはっきりしてくるのだ。「ノアズキ」の種子がサヤマメ状なのに対し、「ヤブツルアズキ」の種子は棒状で垂れ下がるのだ。その辺が、属名によく現れている。
 「ヤブツルアズキ」は「アズキ属」であるが、「ノアズキ」は「ササゲ属」であることだ。ササゲ属であるから、「莢豆」となる。弘前市近郊の畑でもよく見られるマメ科ササゲ属の「ササゲ豆」と似ている格好となるのである。 
 「果実をつけていない時季」の「ノアズキ」はの葉は3出複葉で、3 つの小葉からなり、それぞれの小葉は「菱形」であるところから見分けるといいだろう。

 アズキ(小豆)との関連で面白いことは「アズキ」の原野生種である「ヤブツルアズキ」が北海道では自生していないということである。
 そして、その「ヤブツルアズキ」の自生していない北海道が、「アズキ」の日本における栽培面積の6割以上を占めるというのだ。 低温に弱く、霜害を受けやすいため、霜の降りなくなった時期に播種するなどの工夫、変種改良と開発によって、今では収穫量は大幅に増えた。
 国産の品種には「大納言、中納言、白小豆、黒小豆」などがある。言うまでもなく、和菓子や中華菓子の重要な原料の一つである。日本人として知らない人はいないだろう。それほど親しまれている「日本の味」でもある。
 餡にして、大福餅、饅頭、最中、どら焼き、あんパンなどの中に入れたり、牡丹餅(ボタモチ)の重要な材料でもある。
 「アズキ」は古くから親しまれ、縄文時代の遺跡から発掘されているし、「古事記」にも記述があるほどだ。
 また、「アズキ」の約20%はタンパク質で、栄養価が高い。また、「赤い品種の皮」には「アントシアニン」が含まれており、亜鉛などのミネラル分も豊富なのである。)