岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

秋、白沢の橋の上から撮った岩木山 / 「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」(2)

2010-10-10 09:56:50 | Weblog
(今日の写真は、白沢の橋の上から撮った岩木山である。季節は秋である。ここ見る限りでは、「端正さ」はまったくない。「連山」であって単独峰を意識させない。)

◇◇「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」◇◇(2)
  
 「龍馬」は32歳で暗殺された。そこで彼の人生は終わったのである。プロセス途上で突然、「龍馬」は死んだのだ。
 それまでの彼の行動、言動からすれば、「死なずに、その後も生き続けていたならば、どのようなこをしてくれたのだろうか」ということは「人々に彼が生きておればとの期待を持たす魅力」であろうし、同時に「NHKドラマ」の主題にもなるものであろう。
だが「ドラマ」は、「期待を持たせる魅力」に力が入り過ぎている。それゆえに、歴史の流れから逸脱している場面も多々あるのである。世に言う「歴史物」にあって絶対的な必要要件は「史実に忠実である」ということだろう。
 大河ドラマ「龍馬伝」では、「このままでは日本は外国に食い物にされる」、「外国の植民地にならないよう、強い国家を作らねばならない」と「龍馬」に言わせ、「竜馬」は国の将来を案ずる「真の愛国者」として描かれる。海を見ながら浜辺に立っている姿は、海外の侵略者から国を守る頼もしい男とドラマを見る者には写る。
 この姿は、明治維新から1945年までの65年間の日本を率いてきた者たちの、あるいはその精神を引き継ごうとする反省のない「現代日本の思想集団」からすれば、願ったり叶ったりのものではないだろうか。
 そして、私は「国民の妙な愛国心を鼓舞し、軍事力強化という精神的土壌作りに利用される」のではないかと恐れているのである。

 朝日新聞オピニオン「異議あり」に、高知県出身・野田正彰さんの竜馬人気に疑問の意見が掲載されている。その大要を紹介しよう。

 「竜馬は長崎の英国人商人グラバーと親しくし、武器を大量に買い付けました。それなのに、ドラマの中で何度も登場する台詞に『列強は日本を植民地化しようとしている、だから幕府を倒さないといけない』というのがあります。これは変でしょう」

 「知り合いの歴史学の専門家に、竜馬が植民地化への危機感を持っていたという文書はありますかと聞いたら、無いと言うんですね。ならばうそということになる。うその語りをずっとさせている。番組を通じて、国民にある種のメッセージを発したいのでしょうか」

 「ドラマだからと言って、何をやってもいいはずがない。歴史学の知見や実証的にわかっていることと大きく違うことは、作ってはいけません。特に映像は、人の記憶に蓄積して感情を喚起する力が強いですから。地元紙の記者に聞いたら、高知では『史実と違いすぎる』と冷めているそうです。」

 「これは強調しておきたいのですが、軍国主義に利用されたことを忘れないでほしい。明治に入って、竜馬はいったん忘れられた。それが、日露戦争の際、皇后の夢枕に竜馬が現れて、『露国と海戦になれば、魂は我が海軍の将卒に宿って日本を守る』と言ったという話が新聞で広がった。土佐出身の宮内大臣、田中光顕から出た話です。」

 一方で、野田さんは精神科医として、竜馬好きの企業経営者を「成熟拒否です。本来、人は年齢を重ねるとそれなりに成熟していかないといけない。なのに青春像にしがみつくのは、申し訳ないのですが、人格的に未熟だからです。彼らが竜馬にあこがれるとしたら、それは竜馬という青春にこだわることであり、幼稚さの表れでしょう」このように批判している。

 いずれにしても、「坂本龍馬」が、後の軍国主義に利用されたことは忘れないで欲しい。大河ドラマ「龍馬伝」は、その手の「思想家集団」に与しているかに見えるが、その意志はNHKそのものにあるのか、デレクターなど製作担当サイドにあるのか…実に国民をなめた態度であることには変わりはない。

 (都合により、明日から数ヶ月間はブログを休載します。なお、本会あての問い合わせ、および事務局長宛のメールなども一切、受け付けることが出来ませんので、ご了承下さい。 三浦章男)

秋、西目屋からの岩木山 / 「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」

2010-10-09 06:41:13 | Weblog
 (今日の写真は、「青森県中津軽郡西目屋村」から見える岩木山である。西目屋村は「中津軽郡」という行政区割で唯一の「自治体」である。かつては、相馬村と岩木町が中津軽郡であった。岩木山と西目屋村は地縁的につながっている。岩木山の南西山麓が「境界線」となっている。私は、岩木山に出かけて、知らないままに「西目屋村」に入っていることがたびたびある。

 岳温泉から湯段にかけての山麓は緩やかな湿地が続く。だが、湿原ではない。最近は別荘地などが出来て「私有地」化しているので、どこでも歩けるという自由はなくなったが、それでも辿れないわけではない。
 湿地性の植物が特別多く人手が殆ど入っていない場所は「陸上自衛隊弘前駐屯地」の演習場である。日常的に「入ることは禁止」されていることが、「盗掘」を防いでいるようで「ミズチドリ」など「ラン科」の植物も多い。「侵入禁止」だが、踏み跡を辿っていると、知らないうちに入り込んでいることがある。また、演習地内の舗装されていない道を辿っていくと、西目屋村の大秋地区上部に出る。この辺りは岩木山の下端だ。「コアニチドリ」に出会ったのはそのような時だった。)

◇◇「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」◇◇

 私は9月8日のブログ「余録:『65年後』の昔と今」に思うの中で、NHK大河ドラマ「龍馬伝」について、つぎのように言及した。

 …そして、明治維新から歩んだ65年間の歴史を問い直す戦後の65年目にNHKは、その「龍馬」を美化するようなドラマを作った。「富国強兵」と「覇権を握るための国策」の先駆者である「龍馬」は1945年の日本を「零敗」に導いた先駆者でもある。歴史的に見ると「龍馬」の考え方は「間違い」だったのである。
 (龍馬はあの時代で消えた人物である。それを覇権主義者や軍国主義者たちの中には巧みに利用した者もいた。NHKが龍馬伝というドラマを描くにあたって、登場人物の「龍馬」に、「このままでは日本は外国に食い物にされる」、「外国の植民地にならないよう、強い国家を作らねばならない」というセリフを何回も何回も言わせる。
 明治維新から65間年の歴史は、将にこの路線を突っ走ってきた。そして、日本は「零敗」という辛酸を浴びて舐めた。1945年から2010年までの65年間は、いってみれば、この「65年間」に反省を加える歴史であり、2010年はその集大成、1つの帰結点を見いだす年であるはずだった。
 だが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」は、その逆なのであった。一足飛びに110年前に逆戻りをしているのである。
 「NHK」は民間の放送メデアとは「違う」役目や目的があるはずである。何よりも公正さが求められるはずだろう。とりわけ、歴史的な公正さは重要だ。これが、「龍馬伝」には欠けているし、歴史に対しての反省的な「謙虚さ」がない。
 作る側、つまり、デレクターだけの責任ではあるまい。「視聴率」という妖怪にすっかり「正気」を抜かれている「NHK」のピンからキリまでの姿勢がここに現れているのではないか。)()は補足した部分である。
 歴史の中の「1人の人物に焦点を当てる描き方」では、大きな過ちは国民に見えないものだ。戦後65年、反省すべき時なのにその姿勢に欠けるという点では、「龍馬」をCGと鳴り物入りで美化しているNHKには、重大な責任があると言えるのではないか。ただ、ドラマとしてだけ見ている国民が多い場合には、その責任を問われることはないだろうが…。と書いた。

 このようなことを、連れあいに話したら、「そんなことどうでもいいでしょう。みんな面白く観ているのだから…」と言われた。私は、黙りこくってしまった。このように捉えるのは私だけなのだろうかと考えたからである。

 ところで、朝日新聞10月5日の「オピニオン 異議あり」に登場したのは高知出身の精神科医・評論家 野田正彰さん(66)だった。
 表題は「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」であり、副題は「軍国主義に利用された過去も。勝手な使い方はもうやめよ」である。
 これを読んで、私は凄く嬉しかった。私と考え方を同じにする人がいたということ、さらに、私が知っていなかったこともあり、それを知ることで、私の考え方が間違いでなかったということを確認出来たからである。

 客観的にみると「竜馬」という人物は魅力的である。だが、それは、自己帰結のない、いわばプロセス途上にある人物の魅力である。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」は、そこにだけ注力すべきであった。そして、それらは「個人的な立身出世欲や金銭欲が無い人物」、「時代を読む先見性ある人物」、「行動力のある人物」、「相手の懐に単身飛び込んで、信頼を得る力ある人物」、「その力で人と人、組織と組織を結びつける調整力ある人物」として描かれてはいる。(明日に続く)

ヤチハンノキの果実 / 「生物多様性」の考える前に「生物多様文化性」を…(3)

2010-10-08 04:56:03 | Weblog
 (今日の写真は、カバノキ科ハンノキ属の落葉樹「ヤチハンノキ(谷地榛の木)」である。実は、「ヤチハンノキ」全体を写したくて撮ったものではなく、所々に見える「果実」の大きさに惹かれて写したものである。1ヶ月ほど前の写真である。
 「ヤチハンノキ」は原野の湿地にの多い落葉樹で、大きいものは高さが20mにもなるそうだが、これは7mほどであったから「若木」であろう。見て分かるとおり、葉は卵状長楕円形だ。長さは5~13cmで、鋸歯を持ち互生している。
 原野に雪が残る3月下旬から4月上旬に、枝先に花穂をつける。雄花は褐紫色の尻尾状で長さが4~8cm、枝先に下垂する。同じ枝の下側に、長さが約3~4mmで、紅紫色の雌花を控えめにつける。
 花は花粉を風に運んでもらう「風媒花」で、雄花の花穂は日を追って下に伸びて、黄色い花粉を飛ばし始める。
 この「ヤチハンノキ」の生えていたところは百沢・岳間の「環状線」途中から300mほど下った辺りである。上部が「スノーモービル」の走行用の敷地になっており、伐採されて更地同様の様相を呈し、ススキが繁茂している。
 どこからか、流れる水音が聞こえてきた。生い茂る草木によって遮られて「流れ」そのものは見えないが、近くに「沢」があるらしい。ひょっとすると「溜め池」状の「水溜まり」もあるかもしれない。
 「ハンノキ」類の学名は「水辺に栄える」というラテン語からきているそうだ。これは水に強く水辺に自生する樹木であることを示している。原野で「ハンノキ」の見られる場所は、水辺や湿原であることが多い。近くを探してみたが、「ミズナラ」は見つからなかった。水位の低い場所に育つ「ミズナラ」は「すみ分け」をしているのだろう。
 また、「ハンノキ」類は、根に根粒菌が共生していて、空気中の窒素を地中に固定することが出来る。そのため、「荒れ地や湿地を肥沃な大地に改良するパイオニア」と呼ばれている。後50年も経てば、この辺りも「ミズナラ」の林に変わるかも知れない。
 それにしても、何という大きさだろう。この「ヤチハンノキ」の果実たちは…。)

◇◇「マツタケ(松茸)」の持つ生物文化多様性(3)◇◇

(承前)…
 「生物文化多様性」から「マツタケ」をとらえると、次のようなことを挙げることが出来るだろう。
 …独特の香り、ずっしりとした歯ごたえ、「旬の一時しか味わえない」という希少価値などから「キノコの王様」、「秋の味覚の王様」と呼ばれることだろう。これは「食文化」の一側面である。「食文化」の事実としての「調理や調味法」には次ぎようなものがある。 香りと歯ごたえを最大限に生かした、炭火で焼く「奉書焼き」、エビやギンナンなどと一緒に煮出しダシ汁で加熱する「土瓶蒸し」、その他、「松茸ごはん」、「釜飯」などである。「マツタケ」が沢山あれば、「すき焼きに薄切りの松茸をたっぷりと入れる」という贅沢な食べ方もある。
 さて、会長から頂いた「我が家のマツタケ」はどのような「生物多様文化性」を辿ったであろうか。それは、「マツタケご飯」であった。家族3人が1回にたべる「」には1本で十分であった。残りの1本はどうなるか、「ベターハーフ」になることを期待したいものである。…

 林野庁の資料によると、「マツタケ」の国内生産量(採取出荷量)は、私が生まれた1941年には、12000トンと記録されているそうだ。これが、最盛期であったと記されている。 だが、その後減少し続け1998年には247トン、99年は147トン、2001年はわずか、79トンであったといわれている。
 そして、最近では市場流通量のほとんどが輸入品で占められ、中でも韓国や北朝鮮、中国(特に吉林省・雲南省・四川省)からの輸入が多い。加えて、北米からは別種の「マツタケ」までが輸入されているそうだ。
 だが、それらを含めて日本の「マツタケ」に似た「形ち・食味・香り」を持つキノコを、市場では一括して「マツタケ」として扱わうのだそうだ。
 人工栽培は出来ないが、「マツタケ」の香り成分である「マツタケオール」や「イソマツタケオール」の合成に成功している。永谷園という食品メーカーが「松茸のお吸い物」として発売している商品がある。これは、「香り合成物質」を使い、入っているキノコも「シイタケ」という、全く本物の「マツタケ」とは縁もゆかりもないものである。
 このように、「生物多様性」が変化すると「生物多様文化性」もまた変化するのである。

 最近「マツタケ」ではないが、モエギタケ科クリタケ属の「クリタケ」と「ニガクリタケ」のことが話題になっている。「クリタケ」は食用になる「ナメコ」に似た食感のあるキノコだ。食用になる野生のキノコとしては有名であるが、問題なのは「毒キノコ」の「」ニガクリタケ」なのである。
 「クリタケ」と「ニガクリタケ」を比べると、見た目には「ニガクリタケ」の方が全体的に黄色い感じがするし、口に含むと苦い味がするのである。ちょっとだけ「ニガクリタケ」を口に含んでも「中毒」するということはない。
 このように「苦みと色で見分ける」のだが、よく初心者が間違って採取して、知人に配って連鎖中毒を起こすキノコである。ところが、最近は自称「プロのキノコ採り」であるとする人たちが「ニガクリタケ」を「クリタケ」として、販売店に持ち込む例が増えているのである。
 これは「生物多様性」から「生物多様文化性」へという「プロセス」に異変が起こっている証拠ではないだろうか。つまり、文化の伝承がうまくいかなくなっているということである。
 それは、祖父や祖母と孫が、あるいは親と子が一緒になって「キノコ」採りをしなくなったことを意味するのだろう。

リフト索道上に落石 / 「生物多様性」を考える前に「生物多様文化性」を…

2010-10-07 04:12:34 | Weblog
(今日の写真は、「陸奥新報」に「落石でリフト運休/岩木山」という見出しで掲載されていたものである。
 その前に、テレビのニュースで知ったので直ぐにでも現場に出かけて、調査をしたかったのだが、何せ歩くこともままならない「身体事情」を抱えていたので、じりじりと痛む患部に耐えながら、気持ちも「じりじり」と焦っていた。

 「陸奥新報」の記事には次のようにあった。
 …岩木山の8合目と9合目を結ぶリフトが30日、落石のため運転を中止した。管理する岩木スカイラインの梅原寛部長は「けが人がなかったのが不幸中の幸い。早期復旧に努めたい」としている。
 同社によると、29日は強風のためリフトを運転しておらず、落石は30日午前8時ごろ、確認された。リフトは全長約500メートルで、落石現場はその中間付近。石は高さ約1・8メートル、幅約1・5メートル、奥行き約1・2メートル。
 岩木山は木々が色付き始め、好天となった同日も8合目の駐車場は県外ナンバーの車が多く見られたが、東京から訪れたグループ客は「何でリフトが動かないの」と残念そうにしていた。
 梅原部長は「紅葉シーズンを迎えて運転できないのは痛手だが、安全を最優先した。岩は砕いて除去したい」などと話した。…

 この問題について、「現場検証をしないで何だ」という誹りは免れないかも知れないが、これまで、40数年に渡って、観察調査してきた「体験」をもとに、少し書いてみたいと思うのである。
 スカイラインターミナルよりも上部は、主にダケカンバ、次いでミヤマハンノキやチシマザサに覆われている。だが、リフト索道を建設し維持するために、それらの樹木や竹は、幅5m以上、長さ500mに渡って、ほぼ直状に剥ぎ取られている。これだと、「落石や転石」が顔を出すのは当たり前のことだろう。
 リフトはターミナルから鳥海山南端の岩稜突端に鉄塔を数十基敷設し、それを策条で連結して「客」を運ぶ構造になっている。
 上部が岩稜帯であるということは「岩の落下や転石」は自然界の習わしとして、常時あることである。それが、人目につかないのは「落下や転石」が「ダケカンバやミヤマハンノキ」の樹林帯の中を移動するからであり、その多くはこれら樹木に阻まれて、途中で停止するからである。

 写真を見る限りでは、この岩は、リフト索道左岸尾根から転がってきて、途中の樹木等に遮られながら、スピードを落として、索道内で停止したものと推測される。
 「運がよかった」としか言いようがない。ここで停止せずに、索道に沿って落下、転石していたらどうなったのだろう。鉄塔自体も無傷ではすまなかっただろう。下部ある「リフト」の発着所も壊されたかも知れない。
 さいわい、人的な被害はなかったが、「上部に岩稜帯」を持つリフト運営主体は、「いつでも落石と転石」は起こりうるものとして、「ターミナル」から「索道」左岸上部の点検を日常的にするべきだろう。安全基準に満たされている「都市」ではない。標高1300m以上の高地であり、「低くなろうとする山岳」の自然な営為が息づいている「大自然」の中なのである。「都市感覚」で対応していては、必ずや「大事故」に遭遇するだろう。

 「リフト索道」から少しの下部には「登山道」がある。「索道」に沿う形で直進し、程なくして右折するのだが、丁度その場所に、数年前から、「仁王」のような岩が立っているようになった。それまではなかったのである。
 これも、そこより高い場所から落石、転石してきたものである。私は密かに、自分勝手に「仁王岩」と名付けている。そして、毎年、「その岩が下方に向かって動いていること」を、スケールを使って測っている。岩の動きはその年の積雪によって違う。数㎝のこともあれば、全く動いていない年もある。今年がそうであった。このように、少しずつ動いて、バランスが崩れると、転石となって移動するのである。この岩は、今後、「ターミナル駐車場」に転げ落ちていくことは十分に考えられるのである。) 

◇◇「マツタケ(松茸)」の持つ生物文化多様性(2)◇◇

(承前)…

 「生物多様性」から「マツタケ」をとらえると、次のようなことを挙げることが出来るだろう。
 …発生時期には地域差があり、高緯度の冷涼な地域での発生は、8月末頃から始まり九州などの比較的温暖な地域では、11月末頃まで発生する。
「マツタケ」は、普通の「キノコ」のように地表に顔を出して傘が開ききってしまうと、香りも味も落ちる。地表からわ1、2cm程度、顔を出したところを根本から押し上げるようにして採取するのがいい。「生えている」場所を知らない人が、いくら探しても採ることが出来ないのはそのためである。なお、地衣類の多い場所では「傘」が見えないこともある。
 主に赤松の根に共生する菌根菌のため人工栽培が難しく、完全な人工栽培には成功していない。…  

「COP10」の開催が近づいた…「生物多様性」の前に身近で「生物多様文化性」を探そう

2010-10-06 04:16:46 | Weblog
◇◇「マツタケ(松茸)」の持つ生物文化多様性(1)◇◇

 今日の写真はキシメジ科キシメジ属のキノコ「マツタケ(松茸)」である。「マツタケ(菌糸体)」の生育温度範囲は5℃から30℃、最適温度は22℃から25℃であり、菌糸の成長速度は遅いといわれている。「マツタケ」をして「生物多様性」を確固たるものにするためには、何よりもこの「生育温度範囲が5℃から30℃」ということが大切なのである。
 だが、今年は「地球温暖化」に加えて、偏西風の蛇行とラニーニャ現象によって「猛暑」が季節的な秋になっても続いた。「マツタケ」にとっての「生育温度」を遙かに越える暑さなのである。だから、9月になっても「マツタケ」はその姿を見せない。そして、ようやく9月の下旬から10月に入ると、日中の気温が、彼らの好む「22℃から25℃」と安定してきた。それまで、抑えられていた「マツタケ」の成長は急激に早まった。本来「マツタケ」の成長速度は遅いから、「適温」を待つという時間はいきおい、長くなった。そして、爆発的に、ニョキニョキと生えだしたのである。
 「マツタケ豊作」とばかり喜んではいられない。この異常発生は、ひょっとすると来年、再来年の「不作」の要因になることは十分考えられるからである。
 この「マツタケ」は本会の会長が採ってきたものを、お裾分けしてくれたものだ。「キノコ」には「当たり年」と「外れ年」があるようで、「採れた」年には必ず、お裾分けしてくれるのだが、今年は「あてに出来ない」と思っていた。だが、このように「大きな」ものを頂いたのである。これまで貰ったもので、これほど大きなものはなかった。大体が「小粒」で、食べても「どこに食べたのか分からない」ということが多かった。だが、それらの中で、今年のものは、とりわけ大きいものであった。
 傘がかなり開いているが、まだ、香りが十分しているから、あと、2、3日は香りが飛んでしまうことはないだろう。また、表面がまだ、湿っていて、柄の部分も固いので、「良品」の部類に入るはずである。会長には感謝である。
 「マツタケ」は、貧栄養で比較的乾燥した場所を好み、秋になると「アカマツ」や「コメツガ」、「ハイマツ」などの単相林、または針葉樹が優占種となっている混合林に生える。
 岩木山には少ないものの「アカマツ」も生えているし、「コメツガ」も「ハイマツ」も生えているが、岩木山で「マツタケ」に出会ったことがない。いくら、キノコ音痴の私でも「マツタケオール」が発散させる独特の強い香りを嗅ぎ取ることは出来るので、「出会える」と直ぐにそれと分かるはずなのだが、一度もその経験がないのである。
 それはそうだろう。「マツタケ」は痩せた土地を好むのだ。だから、松の枯葉が厚く積もって腐葉土になっているような場所では育たない。また、適当に陽光の射す場所の方がよく、深い山奥ではなく、枝を払ったり、落ち葉を拾い集めたりするなど、人手によって「攪乱」された場所によく生えるのである。
 だが、化石燃料やガス、それに電気が使われるようになると、「火付けに使うための松の枯葉」を集める事もなくなった。そして、松林が「富栄養化」し、雑菌が繁殖して 雑菌に弱い「マツタケ」の菌糸は「生えるための」土台を造ることが出来なくなり、生えないという状況になっていることが多いのである。

 …ところで、先日、連れあいが「生物多様性、生物多様性って、もう聞き飽きたわ、いい加減にしてくれないかしら」という意味のことを、私の前で言った。
 私は思わずむっとして「それでは、生物多様性についてどれほどのことを理解しているんだ」と言った。
 その言い分は「みんな知っているわ」であった。これはウソである。「生物多様性」とは奥が深く、幅も広い。1人の人間が「理解し尽くす」ことは土台、無理なことなのである。恐らく、その理解し尽くせないことを知っていたので、「知っているわ」と言ったのであろうが「生物多様性」を守ろうとしている私からすると、そのような「連れあい」の言葉は「ベターハーフ」ならぬ、「ビターハーフ」を意識させるに十分なものだった。(明日に続く)

今日の写真はキンポウゲ科カラマツソウ属の多年草「コカラマツ(小唐松)」

2010-10-05 04:19:17 | Weblog
 (今日の写真はキンポウゲ科カラマツソウ属の多年草「コカラマツ(小唐松)」だ。岩木山の標高700m、松代地区の上部の草原で出会ったものだ。
 8月のある日、バス終点の枯木平で下車して、鰺ヶ沢に続く県道を歩き、当時は岩木町と鰺ヶ沢の行政区界であった峠を登り切って、ほぼ平坦で直線的な道に入った。
 その県道を真っ直ぐ進むと、大きくジグザグを繰り返しながら「松代」に入って、「松代分校」の傍から「石倉集落」に進むことになるのだが、時間短縮のため平坦で直線的な道に入ってから間もなくのところで、右に曲がって「石倉集落」へと進んだ。
 その日の目的は、別に「コカラマツ」探しではなかった。開墾入植地である「松代地区」がかつては「ブナ林」帯であったことを確認すること、その残滓を探し出すことであったのだ。
 入植して切り開かれた土地の上部はすっかりと「カラマツ」の植林地に変わっている。その「カラマツの植林地」を抜けると「ブナ林」が出て来る。そして、また「カラマツの植林地」が出て来る。「松代地区」の上部の尾根は、その「様相」の繰り返しの果てに「ブナ」の純林となるのだ。
 「松代地区」自体は「ブナ林帯」の下端部に当たる。標高による林層からは確実のそうなのである。開墾されて畑になっている場所をワイドスコープ的に眺めると、ぽつりぽつりと「孤樹」が立っている。その1本1本に近づいて樹種を確認すると、それらはすべて、紛れもない「ブナ」なのである。
 開墾時には、伐採後に「抜根」をして、整地して耕地としたであろう。だが、根の残りから、「ひこばえ」が芽を出して成長したものであろう。明らかに「ここ」はかつて、「ブナ林」だったのである。
 「畑地」の周囲は見事な藪である。「草地」といってもいい。その中も、「ブナ」を探して「潜り」歩いた。やはり、抜きんでた樹木があり、それは「ブナ」だった。

 …陽光を浴びて、その藪、「草地」には多くの花が咲いていた。その色とりどりの花に混じって、小振りで質素でありながらも端正な花をつけているものがある。まるで、恥じらいを知る乙女のように控えめな花だ。最近目につく「山ガール」などには見られない趣には惹かれるものが十分ある。
 「うん、アキカラマツか。ちょっと待てよ。どうも違うらしい。」と呟きながら、カメラを構えるが、風に揺れてなかなか「停止」してくれない。この時点で私はこの花を何と呼べばいいのか分からなかったのである。
 これは、「コカラマツ」である。「コカラマツ」は「アキカラマツ」の変種であるとされている。同科同属の「カラマツソウ」や「ミヤマカラマツ」は、岩木山でも普通に見られるが、「コカラマツ」は同じ「カラマツソウ属」でもずいぶんと趣の異なる花である。
 この写真では、花は全体的に白だが、花1つ1つをよく見ると「黄色く目立つ」ものがあるのだが、これは「雄しべの葯」である。この特徴を持つのは「アキカラマツ」と「コカラマツ」だけのようである。
 「カラマツソウ」や「ミヤマカラマツ」の花糸は、線香花火のように丸くなっているが、「アキカラマツ」と「コカラマツ」は葯の重みの所為だろうか、花糸の垂れ下がることが特徴でもある。
 その他の特徴としては、「コカラマツ」は「アキカラマツ」よりも全体的に小形であること、「アキカラマツ」は上部でさかんに分枝し、小花を多数つけるが「コカラマツ」は疎らにつける点、花柄と果柄が「アキカラマツ」よりも長く1cmから1.5cmあるなどである。
しかし、「個体差」もあるので、実際の区別はかなり難しいのである。
 「コカラマツ」は北海道から本州、四国に分布し、亜高山帯の草地に生え、高さは30cmから100cmになる。葉は3出複葉だ。小葉は1cm~3cmの楕円形で、先が数個に浅く裂けている。
 花期は、7月から9月であり、円錐花序に淡い白に近い黄白色の花を疎らに咲かせる。花は直径1㎝ほどで花弁はなく、黄色の葯をぶら下げた花糸が目立つ。
 名前の由来であるが「アキカラマツ」に比べると小さいことによる。だが、別名を全く対照的な「オオカラマツ」と言ったりするから、ややっこしくなる。そのいわれは低地に生えるカラマツソウより小さく、高山植物のカラマツソウ類としては大きいからと言う。
 他に、「ウスバカラマツ」という別名も持っている。これは、「アキカラマツ」に比べると葉が薄いことによる。)

今日の写真はシソ科イヌゴマ属の多年草「イヌゴマ (犬胡麻)」 / チョロギの話し

2010-10-04 04:48:35 | Weblog
 (今日の写真はシソ科イヌゴマ属の多年草「イヌゴマ (犬胡麻)」だ。
先ずはこの名前のことから考えてみよう。「イヌツゲ」というモチノキ科モチノキ属の常緑低木がある。この名の由来は、葉が「櫛」を作る「柘植(つげ)」に似ていることによる。「イヌツゲ」の「イヌ」というのは「劣る・下等」という意味だ。つまり、「ツゲに似ているが材としては『柘植』に劣る、用を足さない」ということだ。
 「イヌゴマ」も同じ用法で、「イヌ」は犬ではなく「否」の「イヌ」ということで「役にたたない」という意味と「種子」が小さな胡麻に似ていることによっている。

 「イヌゴマ」は北海道、本州、四国、九州に分布する。かなり湿ったところが好きらしく、日当たりのいい湿った草地などに群生している。人々から極めて「雑草」扱いされる花で、「歩み」を止めて、眺めたり愛でたりする者は殆どいない。たまに、奇特な人がいて、茎に触れたりすると四角い茎に生えている「棘」に戦き、その場限りで遠のき、二度と顧みられることはない。

 そのような「人目に触れることの少ない」花であるから、少し詳しく説明しようと思う。
 花期は7月から8月にかけてであるが、9月に入っても咲いているものもある。
茎先の穂状花序に、長さ約1.5cmの淡紅色で6個~10個程度の花を数段輪生状につける。花冠は上唇と下唇からなる唇形で、上唇はかぶと状、下唇は3裂し、紅紫色の斑紋がある。
 雄しべの花糸は薄紫で先端側はかなり濃い。前に見える雄しべの方が先きに熟するようで傷むのも早いようだ。
 雌しべは雄しべより後ろにあるため、雄しべが寄り添って立っている頃にはあまり見えない。前側の雄しべが少し傷んできた頃に雌しべが前に少し倒れてきて柱頭が目立つようになっている。柱頭は白く、2つに小さく割れる。萼はきれいな星型で整っている。
 徐々に花序間が間延びするが、各花序内で同時に咲いているものは8割程度になっていることが多い。花の色は「赤紫」が基本だが「渋い赤紫」から「明るい赤紫」、「淡い赤紫」と変異が多種である。
 茎の高さは40cmから70cmだ。茎は四角で、稜状に棘状の下向きに伏した毛がまばらに生えている。節部分は濃い紫褐色に染まり、白い毛が多い。質は丈夫で、直立しているが、節間が8cm程度と結構長いので、全体的に「ひょろっ」とした感じがする。
 葉はかなり丈夫で、対生し細くほぼ等幅の硬い葉は横に突き出している。狭披針形から線状楕円形で、葉縁には鋸歯がある。基部は心形で中部までは短いもののはっきりした葉柄がある。裏面の主脈上は棘状になった硬めの毛が生える。
 「イヌゴマ」には変異が多いとされている。「茎、葉、萼、花冠の毛が少ないタイプ」、「茎、葉、萼、花冠に毛が目立つタイプ」、「葉の縁にも毛が目立つタイプ」、「茎、萼が赤くなるタイプ」などがそれである。
 また、「全体に粗い毛が目立つ種をエゾイヌゴマ」として区別しているのである。岩木山では、本種の他に「エゾイヌゴマ(蝦夷犬胡麻)」を確認しているが、「シラゲイヌゴマ(白毛犬胡麻)」の確認はまだである。)

◇◇ チョロギの話し ◇◇

 「イヌゴマ」の別名を「チョロギダマシ」という。これは、「役に立たないチョロギ」という意味である。「役に立たない胡麻」とか「役に立たない草石蚕(チョロギ)」などと、ここまで言われたら人間だった怒るに違いない。
詳しく言うと「花の姿かたちが正月のおせち料理に使われるチョロギに似ているが、塊根がチョロギのようには食べられないのでチョロギダマシとも呼ばれる」ということである。

「チョロギ(草石蚕)」とはシソ科カッコウソウ属の多年草である。中国原産で、茎長が約60cm。茎は四角で、全株に粗毛を生じ、夏から秋にかけて紅紫色の唇形花を総状に開く。 晩夏に地下に生ずる塊茎は食用で、正月のお節料理に用いるのだ。この「塊茎・根茎」
は、巻貝のような独特の形をしている。この塊茎を梅酢に漬けておくと美しい紅色を呈する。これを正月の重詰の彩りに用いるのである。もちろん食べられる。
 「チョロギ」は「チョロギダマシ」と違って、人々から結構親しまれているようで、俳句の世界にも、しばしば登場する。
・紅ちよろぎ箸にはさめば君美し (山口青邨)
・めでたさはちよろぎの紅の縒(よぢ)れかな (梅村すみを)
…などがそれである。
 漢字表記「草石蚕」は、その形がトビケラ類の幼虫の石蚕(いさご)の腹を思わせることからだと言われている。そう言われれば似ていないこともない。音読みで、「丁呂木」「丁梠木」などと書かれたりもする。
 祝い事の際に食べる場合には、縁起をかついで「長老木」「長老喜」「長老貴」「千代呂木」などと書かれることもあるらしい。だが、元来は中国語の「朝露葱」を日本語読みにしたものであろう。

今日の写真はタテハチョウ科の蝶、「メスグロヒョウモンチョウ(雌黒豹紋蝶)」

2010-10-03 04:46:06 | Weblog
 (今日の写真はタテハチョウ科の蝶、「メスグロヒョウモンチョウ(雌黒豹紋蝶)」である。これは、9月26日の毒蛇沢沿いの「自然観察会」途上で撮ったものである。
 これは「ヒョウモンチョウ」の雌である。「ヒョウモンチョウ」は別に珍しい「蝶」ではない。岩木山ならば沢沿いの繁みや山麓の草原など、どこにでもいる。
 赤褐色に黒い斑点をつけているのが「豹の紋」に見えるのでこう呼ぶのである。だが、このように呼ばれる、つまり「豹の紋様」に見えるのは、「雄」だけなのである。
 そして、今日の写真の蝶、この開いた羽のどこに、その「豹の紋様」があるというのか。蝶の名前は、たとえば「クジャクチョウ」のように、開いた羽の紋様からつけられることが多い。だが、ないではないか。それでも、「豹紋」という言葉を名前に負っている。  「メスグロ」までは何とか分かる。ある種の蝶で「黒い雌の個体」という意味だろう。だが、「豹紋蝶」となると、途端に不可解になる。どこにも「豹紋」が見当たらないからである。
 最初にこの「蝶」を見た人は、何の躊躇いもなく「豹紋蝶」とは別種と考えたのではないだろうか。「ヒョウモンチョウ」の雄はポピュラーな蝶だ。非常に目につきやすいし、色々と多くの花にやって来る。蝶に関心のある人の脳裏にはしっかりとその姿が焼き付けられていたはずである。その「脳裏にある姿」と比べた時、これが同じ種の「雌」だと思えたであろうか。
 門外漢の私を例に出して、申し訳ないが、私は時々この「メスグロヒョウモン」に出会っても、「何という蝶かなあ」というとらえ方程度で、全くの別種だと考えていた。
 「捕らえて顕微鏡的な世界」で把握しない限りは、つまり、飛翔したり、停まったり、吸蜜している姿からは「ヒョウモンチョウ」の雌であるということは理解出来ないのである。
 今だから、「これは『メスグロヒョウモン』といって『ヒョウモンチョウ』の雌である。学問的には『性的二形』というのだ」と、蝶の研究者や蝶マニアたちは「こともなげ」に言うけれども、この「違い」つまり「性的二形」の発見は、戸惑いであり、驚きだったのではないだろうか。私は本当に、単純に「戸惑い、驚いた」のである。
 だが、素人で門外漢の私のような人間には、雑木林の周辺や路傍などで活発に飛び回り、いろいろな花で吸蜜する黒地に白帯模様の羽のデザインが全く違う「雌」は「ヒョウモンチョウ」とは思えない。
 しかしだ、素人の私にとっての利点は「雄」と「雌」で、これだけ違うと、「雄」と「雌」を間違えることは決してないということである。

 「メスグロヒョウモンチョウ」の大きさは、前翅長が30mmから40mmで、翅開張が約7cmである。北海道、本州、四国、九州に分布しているが、種子島と屋久島以南には分布しないとされている。幼虫の食草は、どこにでも生えているスミレ類である。
 活動する時期は6月と9月から10月である。何故かしら、7月と8月は活動期ではないのだ。そして、9月、秋の野山には「ヒョウモンチョウ」が多い。だが、秋の「ヒョウモンチョウ」は羽が傷んでいる。今日の写真のものも、よく見ると「後翅の黒帯は中央が尖っている」のが普通なのだが、かなり欠けているのが分かるだろう。これは「7月と8月は活動」しない時に、何かの原因で「羽」を痛めたのである。この活動しない時期を「夏眠」という。秋になると、「夏眠」していた多くの「ヒョウモンチョウ」たちが眠りから覚めるのである。
 「冬眠」という言葉は一般的であり、誰もが知っているだろう。蝶も「冬眠」をする。冬眠をするのは蝶の種類によって、「卵」であったり、「幼虫」であったり、「成虫」であったりする。
 ところで、「夏眠」という言葉には馴染みのない人が多いはずである。
 蝶の中には、春に蛹から羽化して、しばらく行動した後で、夏の間眠ってしまう種類がいるのだ。このことを「夏眠」というのである。「夏眠」は、夏の暑さをしのぐためのものと考えられているそうである。
 今年の夏は猛暑であった。その上に、期間が長かった。「メスグロヒョウモン」たちも今夏は例年にないほどの「長い夏眠」をしたのではないだろうか。もしも、季節どおりに今後、冬に向かうならば、彼女たちの活動時期は狭められてしまうのだ。それが心配だ。

 その日、この蝶を見つけたのは私だった。写真を撮ってから、同行の会長に訊いた。捕虫網を持っている彼の習性が発揮される前にと考えたからだ。彼は、「蝶とみると」直ぐに捕虫網を振り回して捕ってしまうからである。その後で、彼の「講義」が始まった。今日のブログはその講義をかなり参考にして書いたものである。

 その後の道すがら、この黒い雌、「メスグロヒョウモン」の後ろを、オレンジ色に豹紋の影が追いかけているのを何回か見た。姿、形は全くの別ものであっても、「伴侶」とすべきものには、しっかりと分かるのである。)

今日の写真はキシメジ科シメジ属のキノコ「シャカシメジ(釈迦湿地)」だろう?

2010-10-02 04:22:13 | Weblog
 (今日の写真はキシメジ科シメジ属のキノコ「シャカシメジ(釈迦湿地)」だろう?
 9月26日に毒蛇沢のミズナラ林内で出会ったものだ。私には記憶があった。数年前のことである。小杉沢の奥に分け入った時に、「キノコ採り」の人と出会った。
 「何か採れましたか」と訊くと、その人は背負っている籠を降ろして、中のキノコを見せてくれながら「これが美味しいんだ。なかなか採れないんだが、今日は3株に出会ったよ。しゃかしめじだよ」と嬉しそうに誇らしげに語ってくれたのであった。
 目の前には5株ほどがまとまって生えている。全部採って「受講者」に分配しても十分な量である。だが、それが「シャカシメジ」だという確証が持てなかった。そこで、同行している「会長」に確認を求めたのだ。
 そうしたら、会長曰く「はっきりしないなあ。はっきりしないものは採らない。これがキノコ採りの原則です」。次いで、「いいじゃないあ、もうマイタケも採ったのだから、あとは要らないよ」と言うのだった。そういう訳で、私は「しぶしぶ」採取を止めたのである。

 「シャカシメジ(釈迦湿地)」は、秋に広葉樹林内に群生または単独に生える。松混じりの雑木林やミズナラ林に生える白色から灰褐色のキノコだ。菌塊から多数束生し、肉質は少しもろい。キノコ単体は小型で菌塊は中型から大型となる。
 写真からも分かるように、タマゴ状の塊から大きな小町針を刺したような形である。多数塊状をなし、茎が癒着していて一株となって生えるので、「カブシメジ(株湿地)」、「センボンシメジ(千本湿地)」、「ヒャッポンシメジ(百本湿地)」などと言うのである。
 傘の直径は5mm位の小さいものから大きいもので10cmで、灰白色。ひだは密で白又は淡灰色で、後にクリーム色を帯びることもある。担子菌類の食用になるキノコである。

 名前の由来は「太い塊状の根から、多数のきのこが発生して株状となり、その様子がお釈迦様の頭を思わせること」による。

 風味が豊かで「匂いマツタケ、味シメジ、食って美味いはイボコゴリ(シャカシメジ)」といわれるように絶品のキノコとして広く好まれているのだ。一本一本が小さいので、お吸い物、酢の物、炊き込みご飯などによく合うのだ。
 昔から人々に愛されてきた所為であろうか、「シャカシメジ」の方言名はセンボンシメジ、センボン、アヅキキノコ、イボククリ、アヅキモタセ、イボコゴリ、カブシメジ、コハギ、コマズ、カブモダシ、ウエッコ、ウスムラサキ、ヒャッポンシメジなどと多い。

 俳句にもよく詠まれている。

・わがこゑは占地の陰に入りにけり (鴇田智哉)

・しめぢなます吾が晩年の見えてをり (草間時彦)

 「シャカシメジ」は、最近は発生が少なく、数が非常に少なくなっているそうである。しかし、「生えるところ」には出るのだそうだ。一度見つけると、大体、毎年同じ場所に発生し、6株から多い時には10株ほども採取出来るという。
 私は「あの場所」を忘れはしない。きっと「来年」は確実に採取することを期待したい。)

今日の写真は「トウバナ」/ System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた!(7)

2010-10-01 04:01:44 | Weblog
 (今日の写真は、シソ科トウバナ属の多年草「トウバナ(塔花)」だ。岩木山で見られるシソ科トウバナ属の仲間には、「クルマバナ」、「イヌトウバナ」、「ミヤマトウバナ」等が自生していて、いずれもよく似た花をつける。この3種は拙著「岩木山・花の山旅」には収載されているが、「トウバナ」は載っていない。
 何故かというと、「トウバナ」は「里地」の花という考えがあったからである。だが、先日、毒蛇沢の中流部で出会ったのである。ということで、「岩木山の花」ということで紹介したい。今日の写真はその時に撮ったものである。
「トウバナ」は北海道から九州、沖縄に分布する。やや湿り気のある田の畔や道端、林縁、山裾などに生える。
 多数の茎が根ぎわからまとまって生える「叢生」で、茎は細く、下部は地面を這い、
茎長は10cmから30cmほどである。葉は対生し、卵形から広卵形で長さが 1cmから3cmで葉柄がある。縁には浅い鋸歯がある。
 枝先に、淡紅紫色か白色の唇形花を数段に輪生する。花冠は唇形で、下唇が長い。長さは5mmから6mm。萼の先は5裂し、長さが3mmほどでわずかに短毛が生える。
 一つ一つの花は小さくて拡大しないと見えないほどであるが、しばしば群生するので、比較的目立つ。果実は4個の分果となる。
 このシソ科トウバナ属の花は、先ず「トウバナ」が咲き出して、それから「イヌトウバナ」、「クルマバナ」、「ミヤマトウバナ」などの順に咲くのである。そして、いつの間にか秋を迎えているのだ。
 花期は5月ごろから9月ごろまでと非常に長い。そのため、「春に咲く花」と分類している図鑑もあるくらいだ。
 名前の由来は、「花穂が何段も重なって塔を連想させる形を塔にみたてた」ことによる。)

◇◇System Diskとして使っていた「SSD」が壊れた(7)◇◇

(承前)…壊れた原因は「熱暴走」なのだろうか。
 私は、自分がたてた仮説、「壊れた原因は、熱暴走なのだろうか」を検証したくなった。もし、私の仮説が正しくなければ、メーカーの「製品」に欠陥があるのである。仮説どおりであれば、「使用者の私」の扱い方に問題があるということである。

 私は、そこで、インターネットで検索した。「Google アラート」にも「RealSSD C300 256GB (CTFDDAC256MAG-1G1)」として「登録」した。だが、この「Google アラート」は数が少なくて、私が「知りたいこと、検証したいこと」についての記載はいまだにない。
 「インターネット検索」で「検証」に値することに出会ったは、「価格を比較する」Web内の「レビュー記事」であった。そこに次のような記載を見つけたのである。

…RealSSD C300 256GB (CTFDDAC256MAG-1G1)を購入後2日目、動作検証中にHDDではちょっと今まで見たこともないWindows7 からのとてつもないメッセージが出て仰天した。ノートPC用のクーラー台もつけているのに、何と「HDD系の温度が127度と表示が出て一度操作を中断して温度が下がってから再度操作を始めてください。」と出たのだ。
 確かにこの期間は北海道も30℃前後という状態だったが、「クーラー」は水冷機能がついたものだし、HDDでも安定して冷えていたので、本当にSSDの発熱量は少ないのかと思ってしまった。
 だが、大きなトラブルもなく、3日間使ってから、新規格の SATA 6GB/sだとどんなに早いだろうかと考え、メインPCのマザーをGA-P55A-UD5に換えた。
 GA-P55A-UD5用のドライバーも当然、新ドライバーを入れ替えし念のためレジストリもクリーナーで整理した。
 起動時間は大体平均で約55秒前後で、何と早いこと…。
ところが「CrystalDiskMark」で計測したところ、世間相場は50前後以上は示すはずなのに4kのライト転送速度がなんとHDD並みの速度なのである。
 そこで、Gigabyteの最新ドライバーに、Marvell Driver (SATA3)に変えた。だが、一向に4kの転送速度は変わらない。
 次の手は、OSの再インストールしかない。その後、Bios設定画面では認識するものの、AHCI設定やIDE設定でも全く「再インストール」が出来なくなってしまった。「バックアップの復元」でもシステムを認識なしない状態に陥ってしまったのだ。
 これでは、購入店に相談するしか方法がなかった。電話で、今までの状態を説明したが「ファームアップデータ後は、3年保証がついていますが取敢えず、修理負担になります」と言われた。それでも、今までの状況やどうしてこうなったのかを説明するために購入店に持っていった。
 店員が早速に、この製品検証のために、PCに接続したが、やはり、このPCでもマザー上のBIOS設定は認識はしているが、OS上では全く認識しない。この結果及び今までの結果を考慮して「クレーム交換」としてくれた。
 「交換」してくれた「新品」のSSDは大体一般的なSSDと言えるような速度になっている。SSDにも温度センサーを取付けてみたところ、室温が30.2℃でSSDの表面温度は30.7℃であった。SSDの上表面は耐熱プラスチックだから、そう高くはないようにみえるが、内部の温度はかなり高いのかも知れない。(2010/08/21)…
            注:文意を変えないで、かなり文章は表現を変えてある。

 私の仮説は、正しくなかったようだ。「製品」そのものに欠陥があるようである。
 昨日、代理店の「エステイトレード」から「新品のRealSSD C300 256GB (CTFDDAC256MAG-1G1)」が届いた。だが、こうなった理由や原因についての返答は何1つなかった。この代理店は「シャープ」の子会社であるそうだ。(この稿は今日で終わりとする)