(今日の写真はチシマザクラである。樹高が1mから3m程度と低く、樹形は株立ちするため、花が咲いていなくてもある程度区別がつく。花の色は白色である。岩木山では中腹部に多い。赤倉登山道沿いでは今年は「今」が盛りで咲いている。これらの咲く上部の高山帯には、タカネザクラがあり、ピンク色の花をつけ始めている。チシマザクラは、タカネザクラ「ミネザクラ」の変種で、花柄や葉柄に毛がある。花の色は白く、比較的開花時期が長い。
昨日の写真は「高嶺桜(タカネザクラ)・別名峰桜(ミネザクラ)」である。
2mから5mくらいの樹高のものが多い。圧雪や強風に耐えて幹が斜め広がる樹形になる。ダケカンバなどと同じように多雪にも耐えることが出来るタカネザクラは、ダケカンバ帯を代表する樹種である。今年は早くも5月に一部咲き出したが、例年ならば雪解けに合わせて雪田や凹地、風背斜面で花をつける。岩木山では8月の初め頃にも見られることがある。タカネザクラは写真のように花柄や葉柄に毛がない。)
◆◆ところで、ミチノクコザクラの開花が3週間も遅れた理由は何なのだろう◆◆
問題にしている「ミチノクコザクラ」に関しては既定の条件が3つある。
1つは「標高1400m付近」であること、2つめは「風衝地であり、積雪が殆どなく例年4月に入ると地肌が露出している場所」であること、3つめは「これまでの観察から例年5月上旬に開花」していたということである。
この条件を踏まえながら、「開花が3週間も遅れた理由」を素人なりに考えてみると次の二項に行きつくのである。
その第一は、「平地では異常な暖かさで春は早く来たが、その気候的な異常さとは反比例的に標高1400m付近の風衝地では4月から5月中旬までは冷涼な気候・気温で推移した」のではないか、ということである。
残念ながら、その場所の継続的な「気温推移」の記録はない。ただ、気温は標高100m上がるにつれて1℃下がるといわれているので、山麓部の気温からその差分を引いた気温が「その場所」の気温ということになることはなるのだが、それを当てはめると「冷涼な気候・気温で推移した」という推理は成立しなくなってしまうのである。
だからここでは「平地における異常な暖かさ」とは関係なく、その「風衝地」だけが「冷涼」であったとするしかないのである。ただ、「風衝地」は常時、風が強いということがその特徴的な「気象・気候」である。
一般的に花の咲く時期は、天候や残雪の量により年によって異なったり、場所や標高によっても違うものだ。また、中には案外長期間咲いていて季節感を示さない花もある。
ミチノクコザクラは岩木山の標高1000m付近大沢沿いという低地(私は確認していないが長平登山道沿いの鰺ヶ沢スキー場ゴンドラ終着駅付近のゲレンデにも咲いていたという報告もある)から山頂直下の標高1600m付近という高山帯まで広く分布している。
これが岩木山全地域でミチノクコザクラの開花時期に「5月上旬から8月中旬」という幅を持たせているのである。
さらに、積雪や雪田、窪地、風背斜面などという「環境」によって開花の時期が大きく違う場合もあるのだ。
その第二は「温暖な気象に呼応・対応して開花することによって受けるダメージやリスクを回避した」ということである。
そもそも高山植物とは、北方寒地系植物のうち、「地球温暖化」に伴い、暖地の高山帯にわずかに生き残った遺存植物が中心である。ここでいう「地球温暖化」はここ数年問題になっている非常に「急激」に「拡大」し「進行」している化石燃料から排出されるCO2 増加による「温暖化」ではない。地球はこれまで極めて自然に、「人工」とは関係なく温暖化と寒冷化を繰り返してきた。
その中で「高山」という環境に封じ込められ、そこ以外に「生育地」がないという、いわば「背水の陣」で対応しながら進化してきたものである。だから、環境の変化に微妙に対応する術を「形質的」に受け継いでいるのではなかろうか。
低い標高に生えている植物は、より高い標高へ移動出来ると生存は可能だが、高山植物は「これ以上高い標高の場所」への移動は出来ないのである。地形・地質や環境の違いにより高山植物の種類も変化し、それぞれの場所の歴史を踏まえて、今の生活があるのだと私は理解している。
温暖化の影響は、極地や寒帯、それに「高山帯」で最も顕著に現れると予測されている。「低い温度」が植物の成長などを制限しているので、温暖化により、この「制限」が弱まれば、影響は大きく現れるのだ。
赤倉尾根、風衝地に毎年5月上旬に咲き出していたミチノクコザクラは「温暖化」と「寒冷化」への対処の仕方を身につけていたのではないのか。移動することで対処することが出来ない植物の「経験知(このような言葉があるかどうかは知らないが)」と言ってもいいだろう。
つまり、「温暖」に気を許し、浮かれて「開花」することのリスクを知っていた。花を咲かせるということは「種」をつけて、子孫を残すということである。これは植物にとってまさに命をかけた行為である。それゆえに「結実」ということに「確実性」を望めない時には「開花」を控える。そのことをミチノクコザクラたちは学んできたのだろう。人によって都合よく育てられている植物のように「ヤワ」ではないのである。
温暖化の中で見られた今季の平地の遅霜被害は、人手によって人に都合よく「改良」された園地植物だけではなかった。何と、野草山菜である「蕨(わらび)」までもが、寒冷な「霜」によって枯れたものがあるのだ。蕨や薇(ぜんまい)などは本来寒冷には強い形質を持つ植物である。それが霜にあって「枯れた」のだ。
高山の風衝地という特殊な場所で、長いこと巧みにその自然に適応し、生育してきたミチノクコザクラは「温暖ではあるが、もしも早く花を咲かせてから霜にあえば、子孫は残せない。今季の異常な気象に対してしばらく様子見をしよう」ということで「本物の暖かさを実感するまで待って」20日過ぎにようやく開花したのではないのだろうか。恐らく人間からすれば気が遠くなるような長い時間の中で、ミチノクコザクラたちはこのような歴史を繰り返してきたのではないだろうか。
私はここに氷河時代の遺存植物である高山植物としての偉大さと生命に対するすばらしい執着心を見るのである。
昨日の写真は「高嶺桜(タカネザクラ)・別名峰桜(ミネザクラ)」である。
2mから5mくらいの樹高のものが多い。圧雪や強風に耐えて幹が斜め広がる樹形になる。ダケカンバなどと同じように多雪にも耐えることが出来るタカネザクラは、ダケカンバ帯を代表する樹種である。今年は早くも5月に一部咲き出したが、例年ならば雪解けに合わせて雪田や凹地、風背斜面で花をつける。岩木山では8月の初め頃にも見られることがある。タカネザクラは写真のように花柄や葉柄に毛がない。)
◆◆ところで、ミチノクコザクラの開花が3週間も遅れた理由は何なのだろう◆◆
問題にしている「ミチノクコザクラ」に関しては既定の条件が3つある。
1つは「標高1400m付近」であること、2つめは「風衝地であり、積雪が殆どなく例年4月に入ると地肌が露出している場所」であること、3つめは「これまでの観察から例年5月上旬に開花」していたということである。
この条件を踏まえながら、「開花が3週間も遅れた理由」を素人なりに考えてみると次の二項に行きつくのである。
その第一は、「平地では異常な暖かさで春は早く来たが、その気候的な異常さとは反比例的に標高1400m付近の風衝地では4月から5月中旬までは冷涼な気候・気温で推移した」のではないか、ということである。
残念ながら、その場所の継続的な「気温推移」の記録はない。ただ、気温は標高100m上がるにつれて1℃下がるといわれているので、山麓部の気温からその差分を引いた気温が「その場所」の気温ということになることはなるのだが、それを当てはめると「冷涼な気候・気温で推移した」という推理は成立しなくなってしまうのである。
だからここでは「平地における異常な暖かさ」とは関係なく、その「風衝地」だけが「冷涼」であったとするしかないのである。ただ、「風衝地」は常時、風が強いということがその特徴的な「気象・気候」である。
一般的に花の咲く時期は、天候や残雪の量により年によって異なったり、場所や標高によっても違うものだ。また、中には案外長期間咲いていて季節感を示さない花もある。
ミチノクコザクラは岩木山の標高1000m付近大沢沿いという低地(私は確認していないが長平登山道沿いの鰺ヶ沢スキー場ゴンドラ終着駅付近のゲレンデにも咲いていたという報告もある)から山頂直下の標高1600m付近という高山帯まで広く分布している。
これが岩木山全地域でミチノクコザクラの開花時期に「5月上旬から8月中旬」という幅を持たせているのである。
さらに、積雪や雪田、窪地、風背斜面などという「環境」によって開花の時期が大きく違う場合もあるのだ。
その第二は「温暖な気象に呼応・対応して開花することによって受けるダメージやリスクを回避した」ということである。
そもそも高山植物とは、北方寒地系植物のうち、「地球温暖化」に伴い、暖地の高山帯にわずかに生き残った遺存植物が中心である。ここでいう「地球温暖化」はここ数年問題になっている非常に「急激」に「拡大」し「進行」している化石燃料から排出されるCO2 増加による「温暖化」ではない。地球はこれまで極めて自然に、「人工」とは関係なく温暖化と寒冷化を繰り返してきた。
その中で「高山」という環境に封じ込められ、そこ以外に「生育地」がないという、いわば「背水の陣」で対応しながら進化してきたものである。だから、環境の変化に微妙に対応する術を「形質的」に受け継いでいるのではなかろうか。
低い標高に生えている植物は、より高い標高へ移動出来ると生存は可能だが、高山植物は「これ以上高い標高の場所」への移動は出来ないのである。地形・地質や環境の違いにより高山植物の種類も変化し、それぞれの場所の歴史を踏まえて、今の生活があるのだと私は理解している。
温暖化の影響は、極地や寒帯、それに「高山帯」で最も顕著に現れると予測されている。「低い温度」が植物の成長などを制限しているので、温暖化により、この「制限」が弱まれば、影響は大きく現れるのだ。
赤倉尾根、風衝地に毎年5月上旬に咲き出していたミチノクコザクラは「温暖化」と「寒冷化」への対処の仕方を身につけていたのではないのか。移動することで対処することが出来ない植物の「経験知(このような言葉があるかどうかは知らないが)」と言ってもいいだろう。
つまり、「温暖」に気を許し、浮かれて「開花」することのリスクを知っていた。花を咲かせるということは「種」をつけて、子孫を残すということである。これは植物にとってまさに命をかけた行為である。それゆえに「結実」ということに「確実性」を望めない時には「開花」を控える。そのことをミチノクコザクラたちは学んできたのだろう。人によって都合よく育てられている植物のように「ヤワ」ではないのである。
温暖化の中で見られた今季の平地の遅霜被害は、人手によって人に都合よく「改良」された園地植物だけではなかった。何と、野草山菜である「蕨(わらび)」までもが、寒冷な「霜」によって枯れたものがあるのだ。蕨や薇(ぜんまい)などは本来寒冷には強い形質を持つ植物である。それが霜にあって「枯れた」のだ。
高山の風衝地という特殊な場所で、長いこと巧みにその自然に適応し、生育してきたミチノクコザクラは「温暖ではあるが、もしも早く花を咲かせてから霜にあえば、子孫は残せない。今季の異常な気象に対してしばらく様子見をしよう」ということで「本物の暖かさを実感するまで待って」20日過ぎにようやく開花したのではないのだろうか。恐らく人間からすれば気が遠くなるような長い時間の中で、ミチノクコザクラたちはこのような歴史を繰り返してきたのではないだろうか。
私はここに氷河時代の遺存植物である高山植物としての偉大さと生命に対するすばらしい執着心を見るのである。