岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山に夏の使者、今年最初に出会ったミチノクコザクラ / 「事務局長退任」は承認ならず(2)

2010-05-31 04:41:56 | Weblog
(今日の写真は、今季、最初に出会ったミチノクコザクラ「サクラソウ科サクラソウ属」である。
 出会った場所は赤倉登山道の「赤倉御殿」近くの「風衝地」である。ここは年中、強い風が吹き付ける場所だ。その所為で特に冬場は殆ど雪が積もらない。だから、「雪消え」も早い。当然、ミチノクコザクラ「サクラソウ科サクラソウ属」の咲き出しも早く、これまで、何回も5月の上旬に咲き出したことを確認している。一番早かったのは10数年前の5月3日であった。
 だが、ここ数年は開花は遅くなっている。温暖化や暖冬ということが言われ出しているから、開花は早くなるのだろうと考えるのは人間だけのことであるらしい。
 このミチノクコザクラに混じって、純白の小さな花をつけるヒメイチゲ「姫一花:キンポウゲ科イチリンソウ属」も咲いていた。
 例年ならば、ミチノクコザクラと前後して咲き出す「ミヤマキンバイ」はまだ、殆どその花の姿を見せてはいない。これも異常の一つであろう。)

◇◇ 今年最初に出会ったミチノクコザクラ ◇◇

 昨日、岩木山の赤倉登山道を登り、山頂から百沢に降りた。8時に登り始めて、百沢のバス停に着いたのは15時少し前であった。7時間を僅かに切る「タイム」だった。登りには時間がかかったが、山頂から百沢「バス停」までは2時間30分ほどで降りた。
 登りに時間がかかったのは、大鳴沢源頭部からの雪渓を「アイゼン」を装着し、ピッケルを使い、慎重に登ったからだ。例年に比べるとここの雪渓は厚みと高さがないが、長さは例年のそれではない。上部ピークまでびっしりと張り付いている。
 雪渓はそこだけではない。そこを登り切ると雪渓は切れるが、頂上直下の北東斜面にも、まだびっしりと雪渓があり、「アイゼン」を外したり、着けたりという動作の繰り返しでも、時間がかったのだ。
 頂上は素通りである。外した「アイゼン」をザックにつけて、一気に鳳鳴小屋まで降りる。種蒔苗代上部の雪渓でまた「アイゼン」を着ける。
 そこまでは「花の影」はまったくない。山頂部を含んで標高1500m以上のところでは、まだすべての草本は花をつけていないのだ。
だが、積雪に覆われて、顔を出していない種蒔苗代の東面には、僅かに1、2個のミチノクコザクラの蕾が揺れていた。しかし、これはまだ、開花とはいえない。
 また、積雪が途絶えた。大沢を覗いたら、そこから20mほどのところに雪渓があった。火山灰と小石が続いているので「アイゼンの爪」が損傷することもそれほどはないだろうと「狡」を決め込んで、外さないで移動した。
 大沢の雪渓は、「種蒔苗代」直下から大沢が「蔵助沢」と名前を変える滝まで続いている。その長さは2km弱、直ぐ傍が「焼止り小屋」である。もちろん、この雪渓に沿っては「草本の花」の開花は何もない。
 今季の積雪は少ない。例年の半分もない。降雪が少なく、その上、季節風の吹き出しも弱かった。大鳴沢源頭付近には毎年、巨大な吹きだまりが出来る。厳冬期にはその高さは10mを越えることもあり、それが垂直の壁になっている。それが、この時季でも高さが4、5mの「雪壁」となって残っているのだが、今季はそれがない。昨年はしっかりとあった。
 私は、40数年「岩木山通い」をしているが、このようなことは初めのことである。
 積雪の量は異常にすくないのだが、解け方がまた、異常に遅いのだ。4月、5月と寒い日が続いているからだ。昨日は平地の気温が20℃だったそうだが、登っていて、汗はもちろんかいているが、「暑い」という感じはまったくなかった。岩木山はまだ、「寒い」のである。

 そのような雪解けが遅く、寒い岩木山で「赤倉御殿からの風衝地」に咲くミチノクコザクラは今が盛りだ。それ以外の「赤倉登山道沿いの花」について少し触れよう。
 石仏一番辺りの春の花はすでに終わった。イワナシはすでに果実になりかかっている。伯母石手前も雪が消えたばかりで、ミヤマスミレくらいしか花をつけていない。伯母石からの岩稜左岸には、木本のミネザクラ、タムシバ、ムシカリ、ハウチワカエデの花がまだ見られる。鬼の土俵手前までも、雪消えが終わったばかりで、多く見えたのはタケシマランであるが、シラネアオイも僅かだが咲いていた。
 鬼の土俵から大開までも雪が消えたばかりのところが多いがコヨウラクツツジが咲き、コメツガ林下にはツバメオモト(ユリ科ツバメオモト属)が白い蕾をつけ、ヒメモチが昨年の赤い実をつけている。
 大開から赤倉御殿までは所々に残雪があり、その脇には背丈の低いショウジョウバカマ(ユリ科ショウジョウバカマ属)が咲いているだけである。この辺りも例年はすでにミチノクコザクラが咲き出している場所なのである。

◇◇「事務局長退任」は承認ならず(2)◇◇

 (承前)…だが、こと「生徒」に対して「向上心を持って学び、目的を持って生活し、自立し、互いを思いやりながら生きる」ことを指導する場合は違っていた。この場合、私の「人の使い方」は、それは教育の専門家として当然のことだから「苦手」から「得意」に変わる。、「得意になるように努力していた」と言うべきだろう。
 そうでなければ、「3年間欠席なし」という学級経営は出来なかったであろう。しかしだ。私は「大人」や「社会人」をして、「人を使う」ことは心情的に出来ないのである。 それは、その人たちをうまく「まとめる」ことが出来ないこととなって現れる。「事務局長」という役柄でウエイトを占めるのは、この「まとめ役」である。会長を親父とすれば「事務局長」は「女房役」である。事務局長になった時から、私は会にあって、この「女房役」は務まらないと思っていた。また、本心なる気もなかった。
 そこには、「いい大人の集まりが、しかも、岩木山の自然を護ろうという意志を持っている人たちだけの集まり」に「まとめ役」や「女房役」は不要だ。
 「岩木山を考える会」は組織をただ、温存していくだけの「…である」会ではない。「…をする会」、目的を持った機能集団である。一人一人の会員が「護る」という実行動をしていくことで、会は機能するのだ。そのような人たちが、本会には「集まっているはずだ」と考えたのである。つまり、「同一目的でまとまっている」と考えたのである。(明日に続く)

カンボクの花開く / 2010年度総会終わる / 「事務局長退任」は承認ならず

2010-05-30 04:51:41 | Weblog
 (今日の写真は、スイカズラ科ガマズミ属の落葉低木~小高木の「カンボク(肝木)」の花だ。やはり、気象は異常だ。花の咲き出す「時」がそれを教えてくれる。
 例年だと6月に入らないと咲き出さないことが多いのだが、早い場所ではすでに咲いている。
 分布は全国だが、主に北日本(中部以北)~北海道の「山地」の、日当たりがよくやや湿った林縁などに生える高さが2~7mほどの「樹木」である。
 花序は直径10㎝ほどで、5裂の「装飾花」に囲まれて小さな花を多数つける。ムシカリやガマズミ、それにノリウツギなどに非常に似ているが、花の「咲く時季」が違うことで、何であるかの判定が出来る。だが、同じ時季に咲く「ケナシヤブデマリ」との区別は難しい。「遠目」での区別は無理である。
 そのような場合は、出来るだけ傍に寄って「葉」を見ることである。「葉」が3つに深く裂けていると「カンボク」である。
 9月から10月にかけて、8㎜ほどの赤い「液果」をつける。これは「透きとおって」いて鮮やかに輝く。「花」は似ていて区別がつかないが、秋の「果実」の時季になると「一際、鮮やかに瑞々しく赤く輝く」ものが「カンボク」であるから「同定」は非常に楽である。この「量が多く」艶やかな果実は、葉が落ちた後もそのまま残るのである。
 だが、「ガマズミ」ほどの「甘み(?)」はない。口にして「美味しい」とはいえない。それに、「液果」の所為か「果実酒」にも向いていないといわれている。
 名前の由来は一般的には「不明」とされている。だが、「枝葉が止血剤、果実は目薬りになり、人体に良い肝要な木」、つまり「肝要な木」、「肝木」ということ、それに「木を煎じて肝臓の薬に使用したので、肝木と名付けられた」ことによるとする説がないわけではない。)

◇◇ 2010年度の総会終わる ◇◇

 総会が終わった。幹事会として提案した案件は、建設的な発言を頂きながら、すべて承認された。次に、今年度の「活動方針」を掲げる。

2010年度の活動の方針

 今年度は、岩木山の「生物多様性」を守るという視点を活動の根幹に据えたい。新幹線の青森までの開通で「岩木山」は観光資源という扱いをますます受けることになるだろう。
 観光とは「自然破壊」という要素を多分に内在・包含しているものだ。その点から、「自然を破壊しない観光のあり方」も具体的に探っていく必要があるだろう。さらには「観光開発」のいき過ぎに注意しながら行政や業者の行動を見守っていく必要があるだろう。自然に対しての「一方的」な「無い物ねだり」に行政や観光業者は応えようとするが、これを許してはならない。
 そのためには、より正確な「現状」の調査と記録が必要になるだろう。

1、岩木山の自然破壊の監視、阻止、および山岳自然の保護と再生をめざし調査と情報の蒐集につとめる

2、観光行政と業者が岩木山の自然を破壊することがないように、関係機関との連携を密にする

3、シンポジウムを「生物多様性」を主題にして開催する

4、NHK講座『津軽富士・岩木山』は9月までは開講する
 すでに計画し、実施を発表しているので「自然観察」を中心にすえながら開講する。その後「会」としては担当出来なくなるかも知れない。個人として継続することもあり得る。

5、第18回写真展「私の岩木山」を市民参加型の写真展と位置づけて開催する

6、「東北自然保護の集い」への参加は個人資格として「旅費」等の補助はないこととする
ただし、会費の納入が順調になれば、その限りではない。

7、会員及び市民参加型の自然観察会または学習会、市民講座の開講も念頭に置きたい

8、市民運動と深く連携し、行政と向き合いながら自然保護運動を進めていく その中で、「地球温暖化防止」「生物多様性の保護」を訴え、砂防ダムや治山ダムの調査とそのあり方に検討を加え、「風力発電」に見られるマイナス要因を検証していく。

9、ホームページ「岩木山を考える会」の充実を図る
会員の閲覧数を増やす。理想はホームページが会報代わりになること。ホームページ作成に関わることの出来る事務局員を養成する。現在は1人だけ。

10、「幹事会と事務局の機能的な充実」をはかり、ゆるやかな会員拡大につとめる
出来るだけ、幹事会を月例で開く。色々なことに関心を持つ多くの幹事で幹事会を構成することが必要である。

◇◇「事務局長退任」は承認ならず(1)◇◇

 私は「岩木山を考える会」の事務局長を今年の4月で、8年間務めてきたことになる。事務局長になった経緯は、簡単に言うと「前事務局長の三上さんが私の在職中に入院して、不幸にも治ることなく亡くなってしまったのであった。そして、その『葬儀』の委員長のような形で関わっていたら、いつの間にか『事務局長』になっていた」ということである。
 丁度、定年退職の年だった。私は本会の創立の時からのメンバーである。本会は今年で発足から17年目に入る。
 事務局長になる前の8年間は、三上さんに協力して、「自然観察会の下見、自然観察会の実務、鰺ヶ沢スキー場拡張ゲレンデに関わる現況調査、拡張反対行動としてのデモや地域住民との話し合い、泊まり込みの『クマゲラ』調査、東奥日報『明鏡』欄への投稿、会報の原稿書き、時には会報の製作と印刷、鰺ヶ沢『スキー場拡張反対』の署名集めの毎戸訪問、街頭に立ってハンドスピーカーを持って訴えること、原告となって『拡張スキー場』に対する訴訟」などと色々なことをしてきた。恐らく、会の活動のすべてに関わって活動していたはずである。
 当時、私が教えていた生徒の父親がスキー場拡張を進める「支配人」であったりして、非常にやりずらいこともあったし、校長からやんわりと「反対運動はほどほどにしたほうがいいです…あれこれと文句を言ってくる人が結構いるんですよ…」と言われたこともあった。
 そのようなわけだから、いつの間にか「事務局長」にはなっていたものの、「事務局長」になることには大した抵抗が在ったわけではない。今までどおりの「活動」を続ければいいだけであったからだ。
 ただ、懸念が2つあった。三上さんは「人を使う」ことが上手だった。だから、みんなは喜んで「頼まれた」ことをしていた。私もその一人であったはずだ。
 しかし、私は「人を使う」ことは大の苦手である。人に頼んで何かをするということが苦痛なのである。その苦痛を味わうよりは自分でした方が遙かに楽であった。だから、登山も「単独行」が殆どだった。最近は相棒さんが出来て2人であることが多いが、基本は今でも「単独行」である。(明日に続く)

「今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(9)」は明日掲載します。

咲き出したニシキギのこと / 2009 年度、本会の活動を紹介

2010-05-29 04:51:46 | Weblog
☆★☆★☆★今日29日は本会の総会です。
 時  間 9時から12時まで
 会  場 弘前市参画センター(桜大通り交番隣り)
            多くの会員の参加をお願いいたします。★☆★☆★☆

 (今日の写真は、ニシキギ科ニシキギ属の落葉低木「ニシキギ(錦木)」の花だ。ニシキギ科のもので岩木山で会える花は、この他に「ツルウメモドキ、ツルマサキ、マユミ、コマユミ、ツリバナ」などがある。
 日本にはこれらの他に「5属27種」が自生しているそうで、それらは庭木や生け垣などに利用されているそうだ。
 これは、「コマユミ(小真弓)」の変種とされている。今日の写真からも、枝に「コルク質の翼」があることが分かるだろう。これが母種「コマユミ」と異なることである。
 丁度今頃、黄緑色を帯びた小花を多数開く。しかし、近くによってよく見ないと「葉」の緑に吸収されてしまい見過ごすことがある。
 拙著「岩木山・花の山旅」に「ツルウメモドキ」が載っていないのは「見過ごして」いたことが理由だ。仲間の花も同様に「目立たない」部類に入る。
 果実は、この種に共通して「サク果」であり、晩秋に熟し、「裂けて橙紅色の種子」を現す。これも美しいが、何といっても秋の「紅く色づいた葉」が美しい。しかも、他の「紅葉」する葉よりも幾分早い。だから、「花」と違って非常に目立つのである。紅葉とオレンジ色の実がすばらしい。
 漢字では「鬼箭木」や「五色木」をあてる場合もある。名前は「綾錦」のように美しい「紅葉」からつけられたらしい。
 別名は、枝にある翼の形状から「カミソリノキ(剃刀の木)」と呼ばれることもある。)

◇◇ 2009 年度、本会の活動紹介 ◇◇   

2009年度1年間の活動を日誌からたどって紹介する…
04/29 ・総会
05/01 ・残雪状況の調査「滝ノ沢・鳥海山」
05/05 ・残雪状況の調査「滝ノ沢右岸尾根」
05/10 ・残雪状況の調査「石切沢・毒蛇沢」
05/15 ・観察会「二子沼」下見
05/17 ・観察会「二子沼」17名参加
05/24 ・NHK講座野外「二子沼」
05/25 ・残雪状況の調査「平沢」
05/30 ・残雪状況の調査「赤倉登山道・大鳴沢源頭部」

06/19 ・NHK青森放送局岩木山赤倉登山道登山同行取材・カメラマン取材記者米山氏、他クルー1名・放映25日
06/24 ・ウオッチング青森「学習会」講師として参加
06/22 ・NHK講座野外「がんべ長根ミズナラの森」下見
06/28 ・NHK講座野外「がんべ長根ミズナラの森」

07/01・百沢登山道の調査「残雪・標識等の整備状況」
07/21・NHK講座野外「平沢左岸尾根から下り沢をまたぐ体験」下見
07/24・岩木山環境保全協議会総会「弘前市岩木庁舎」
07/26・NHK講座野外「平沢左岸尾根から下り沢をまたぐ体験」

08/01・岳登山道の調査「本年度の整備状況」
08/12・岩木文化協会会長から連絡・依頼「文化祭参加・出展」
08/15・NHK講座野外「ススキ原と植生回復を見る・百沢スキー場」下見
08/22・白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」伐採現場観察会
08/23・NHK講座野外「ススキ原と植生回復を見る・百沢スキー場」
08/28・白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」伐採問題について論点整理に協力:生物の多様性から・:森の歩道のあり方、道路文化論から)
08/29・岩木文化協会会長来訪、正式に「文化祭参加・出展」の依頼

09/02・岩木文化協会会長に展示内容等を郵送する「A4 8ページ」
09/19・弥生登山道の調査「本年度の整備状況」
09/25・NHK講座野外「開拓地小森山とその奥地」下見
09/27・NHK講座野外「開拓地小森山とその奥地」

10/03・「日本熊森協会」のHPに、本会HPブログの「クマ『岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷』」が全文掲載
10/11・「弥生いこいの広場隣接跡地」植生調査と観察会下見
10/12・弥生ネット主催「弥生いこいの広場隣接跡地」自然観察会
10/13・「弥生いこいの広場隣接跡地」植生調査
10/17・「トカゲ太郎のワンダーワールド」編集長「久永氏来訪取材」
10/19・NHK講座野外「松代登山道から標高750m付近」下見
     ・「弥生リゾート跡地・植生回復の兆し」一面トップで掲載(陸奥新報)
10/20・「新エネルギー技術研究所(風力発電)」代表取締役・開発部長、コンサルタント会社「アズテック」代表取締役来訪…長平地区に風力発電設置、(東奥日報記者)
    ・弥生いこいの広場隣接跡地利活用方策検討事業の報告書公開「弘前市」
10/23・「弘前市・弥生スキー場跡地報告」「植生回復」等の記事掲載(東奥日報)
     ・ 弥生ネット会議「弥生いこいの広場隣接跡地利活用方策検討事業の報告書」の検討と今後の方策 
10/25・NHK講座野外「松代登山道から標高750m付近」

11/01・「津軽森林管理署」「歩道等の保全管理と安全確保のため伐採」現地調査
11/02・「津軽森林管理署長」に「伐採」行為に対する意見書提出
11/04・幹事会
11/09・NHK講座野外「岩木山山麓」毒蛇沢左岸尾根下見
11/15・NHK講座野外「岩木山山麓」(中止)座講に変更
・岩木地区市民文化祭準備~20日
11 /18・岩木地区市民文化祭搬入・弥生いこいの広場隣接跡地利活用方策検討事業の報告会事前打ち合わせ
11/20・岩木地区市民文化祭「岩木山について」設定・設営
11/21~22・岩木地区市民文化祭「岩木山について」
11/26・弥生いこいの広場隣接跡地利活用方策検討事業の報告会(弘前市)岩木公民館
11/27・「新エネルギー技術研究所(風力発電)」開発部長笹尾氏の案内で、「観測用タワー建設地」と「建設」の様子を調査 
11/28~29・第30回東北自然保護の集い(福島県)

12/06・岩木山石切沢に建設が予定されている砂防ダムの現況調査
12/08・弥生ネット会議
12/12・会報発行
12/20・NHK講座室内座講
12/25・石切沢砂防堰堤工事に関わる開示請求
12/29・砂防ダム工事の現況調査  

2010年

01/04・弥生ネット会議「弥生いこいの広場隣接跡地利活用方策検討事業の報告書」の検討と今後の方策 
01/05・第17回写真展「私の岩木山」開催をマスコミにファックスで連絡
01/14・第17回写真展「私の岩木山」搬入、設営
01/15・第17回写真展「私の岩木山」NHKギャラリー17日まで
01/18・石切沢砂防堰堤工事開示請求文書、県から送付
01/19・弥生ネット会議「弘前市企画課への申し入れ」について
01/24・NHK講座室内座講
01/26・弘前市企画課「弥生いこいの広場隣接跡地利活用方策検討事業」について申し入れ      
・石切沢砂防堰堤工事開示請求について打ち合わせ

02/03・弥生ネット会議「弘前市企画課への申し入れ」回答について
02/04・「フォーラムデスカッション」開催案内FAX6社宛
02/07・環境省白山国立公園コマクサ対策事業に関連して「アルスコンサルタンツ株式会社」からコマクサ除去についての問い合わせ「メール4回」
02/08・「フォーラムデスカッション」についての打ち合わせ
02/09・県河川砂防課と津軽森林管理署に出向く
02/17・「フォーラムデスカッション」についての打ち合わせ
02/20・「フォーラムデスカッション」森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える(43名参加)
02/22・「弥生跡地」自然観察会要項作成・弥生ネット会議
02/27・日赤岩木山パトロール隊冬山訓練講師
02/27・会報51号作成(03/01まで)
02/28・NHK講座室内座講

03/01・会報51号封筒詰め・発送
03/06~07・西岩木山林道ー二子沼ー松代までの森林調査
03/14・追子森、西法寺森スノーモービル実態調査
03/16・弥生ネット会議・パトロール隊事務局長来訪
03/20・「弥生跡地」自然観察会(第43回雪上観察会を兼ねる)事前調査
03/21・「弥生跡地」自然観察会(第43回雪上観察会を兼ねる)
03/23・弥生ネット主催「弘前市企画課による」跡地報告書内容説明会
03/24・NHK講座野外事前調査
03/28・NHK講座野外「白狐沢中下流部、板柳町不燃ゴミ焼却施設上部」

04/03・日赤岩木山パトロール隊総会と祝賀会 
04/04・赤倉沢左岸尾根積雪状態調査
04/11・水無沢左岸尾根および右岸尾根の積雪調査
04/18・幹事会
04/20・総会案内作成
04/21・総会案内発送(ハガキ)
04/22~30・第44回「春の観察会」参加受付
04/23・第44回「春の観察会(ウオッチング青森との共催)」の打ち合わせ
04/24・NHK講座(野外・高長根)の事前調査
04/25・NHK講座(野外・高長根)
04/26・積雪状況の調査…百沢尾根・第44回「春の観察会(ウオッチング青森との共催)」石切沢事前調査1回目
04/28・工藤幹事から西法寺森の山頂部に出来ている「亀裂」情報と「コース」外滑走するスキーヤーのことを「ブログ」にアップ。パトロール隊にも連絡
04/30・第44回「春の観察会」パンフレット作成

05/01・第44回「春の観察会(ウオッチング青森との共催)」事前調査2回目
05/02・第44回「春の観察会(ウオッチング青森との共催)」石切沢・参加者本会関係17名
05/04・積雪状況の調査…百沢尾根鳥海山頂まで
05/08・2010年度総会に向けての幹事会「案件の検討・人事案」など(参画センターで)
05/13~20・「十和田奥入瀬遊歩道危険木1145本の伐採について」の記事をブログに書く
05/17・「弥生ネット」会議
05/18・NHK講座(野外・後長根沢)の事前調査
05/23・NHK講座(野外・後長根沢)
05/25・「岩木山弥生リゾート跡地調査正常な植生阻害か」として陸奥新報に掲載・「くろくまの滝」危険木の調査
05/27・「十和田奥入瀬遊歩道危険木1145本の伐採について」共同歩調を取りたい旨の要請が青森自然観察指導員の会からあった
05/26~・「総会準備」

「今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(9)」は明日掲載します。

2010年度総会の案内 / 岩木山と夕焼雲… 永遠に不変であるためのバランス

2010-05-28 05:11:03 | Weblog
☆★☆★☆★「2010年度総会開催」の案内をします★☆★☆★☆

 明日29日は本会の総会です。多くの会員の参加をお願いいたします。  

開催日時 5月29日(土) 9時から12時まで
会  場 弘前市参画センター(桜大通り交番隣り)

主な活動方針(案)

・岩木山の自然破壊の監視、自然の保護と再生をめざし調査と情報の蒐集につとめる 
・観光行政が岩木山の自然を破壊しないように、関係機関との連携を密にする 
・シンポジウムを「生物多様性」を主題にして開催する 
・第18回写真展「私の岩木山」を市民参加型の写真展と位置づけて開催する 
・会員及び市民参加型の自然観察会または学習会・市民講座などを開催する 
・市民運動と深く連携し、行政と向き合いながら自然保護運動を進め、「地球温暖化防止」「生物多様性の保護」を訴えていく 
・ホームページ「岩木山を考える会」の充実を図る。
 以上の他にも案件があります。なお、今総会は役員の改選期にあたっているので十分議論していただきたいと思います。

 (今日の写真は、5月20日の夕方19時過ぎに撮った岩木山である。取った場所は拙宅の前だ。高層雲を岩木山の左の肩に沈んだ太陽の光が赤く染めている。間もなく夕闇に包まれるほんの一瞬前という時間帯である。そのとおり5分後には暗くなってしまった。
 見事なくらい赤く染まった雲の下で「岩木山」はやはり、堂々としている。微動だにしない。)

◇◇ 岩木山と夕焼雲… 永遠に不変であるためのバランス ◇◇

 どのような空を戴こうとも、どのような気象に抱かれようとも「岩木山」は鳴動せず、動かない。それが、眺める人の心を癒す。そこにいつもあるということ、そして永遠に存在すること、朝起きても見ても、農作業中に眺めても、車を運転しながら眺めても、そして、家路につく夕方に仰いでも、いつも「岩木山」はそこにあるのだ。いつも決まった場所に、同じ姿であるということの「安心」と「安堵」、これこそ、「諸行無常」の世にあって人々が求めるものだろう。常にある山、「岩木山」だ。私たちは「常に変わらぬ心」で岩木山と対峙するべきだ。
 軽口を叩いたり、心変わりの人には岩木山は馴染まない。少なくとも現総理大臣には馴染まない山だ。さらに、岩木山に「何々ならば」という条件をつける人も馴染まない。たとえば、こういう人たちだ。
 「岩木山がせめて標高2500mの山だったらいいのに」とか「岩木山にもコマクサが生えていたら」とか「10km近い滑走面を持つ尾根があったら春スキーがもっと楽しいのに」とか「オオヤマザクラの並木があったら」とか言う人たちだ。
 これは「無い物ねだり」である。悠久の古来から「あるがまま」に在った岩木山には「存在」しないもの、あるいは存在したが、自然の摂理では非常に少ないものなどが「おねだり」の対象になる。
 岩木山は標高1625mの山だ。「コマクサ」は昔から生えていない。10kmに渡って滑降出来るような長い尾根は存在しない。「オオヤマザクラ」はミズナラ林などに点在して生えているもので、並木のように「行列」した生え方はしない。
 ところが、この「無い物ねだり」に応えようとする人たちがいる。応えようとする時の所業、それはいきおい、「あるがままの自然」に人工的な行為を加えることになる。別な言い方をすれば「自然破壊」だ。
 「無い物ねだり」は「観光」と結びつきやすい。人工的であり、閉鎖的な建造物空間に閉ざされている都市生活で疲れた心を「悠久の自然」を訪ねて「自然の懐に抱かれ」て癒したいと思う。
 「さあ、そこへ出かけよう。自然溢れる山林の中へ」ということになる。「自然がいっぱい、自然溢れる」ということは自然度が高いということになろう。
 自然度の高いところは「都市」とは対極に位置する。都市は様々な法的な決まり、たとえば耐震法、建築基準法、さらには交通法規などで、人々の安全性が保たれている。都市生活では多くの法整備で人々は保護されているのである。
 だが、「自然溢れる自然度の高い」場所ほど安全性は、薄くなる。「危険がいっぱい」ということである。だから、その「危険を取り除け」という。これも「無い物ねだり」であろう。「自然溢れる自然度の高い」場所ほど危険が多く高いのである。「自然溢れる自然度の高い」場所で心と体を癒したいのならば、そこで「遭う」であろう「危険」も含めて享受するという心構えが必要だ。
 このような「一方的」な「無い物ねだり」に行政や観光業者は応えようとする。これでは、リバティバランスに欠ける。人と自然との共生にはバランスが必要なのである。そのバランスこそが「あるがまま」ということなのだ。 「バランス」については、「ブランコ」と「ナイフの上のオレンジ」で喩えることがある。私がここで言う「バランス」とは「ブランコ」のそれではない。これは、均衡状態が変動しても必ず元の均衡状態に戻る「バランス」の喩えである。
 風が吹く、子供が乗って動かすと動くが風が止み、子供が去ると動きが止み、静止する。それを「均衡状態ととらえるバランス」のことだ。
「人と自然との共生」に必要な「バランス」は「人が手を加えない」ことで成り立っている。「ナイフの上にのせられたオレンジ」は、ブランコが静止している状態と同じく「バランスが取れた均衡状態」にある。
 だが、一度でも、外部から何らかの力が働き、「均衡状態」が崩れるとオレンジはナイフの上から落ちて、自らナイフの上に再び戻ることはない。ブランコのように次の「バランス状態」に戻ることのない「バランス」を意味している。
 「人と自然との共生」に必要な「バランス」はまさにこれだ。「バランス」が壊されると二度と「均衡状態」に戻ることはないのである。
 自然の中で「危険を排除して安全性」を確保するということは、この「バランス」の破壊である。「安全性の確保」にこそ危険性が含まれているのだ。
 「安全保障条約」の中には、常に攻撃に曝されるという危険性と戦争に巻き込まれ、荷担させられるという危険性が内在していることを忘れてはならない。

「今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(9)」は明日掲載します。

「オオキンケイギク」の抜き取り駆除作業… / 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(8)

2010-05-27 05:12:26 | Weblog
 (今日の写真は、岩木山「弥生跡地」の舗装道路沿いに生えている「オオキンケイギク」だ。2005年9月25日に撮ったものである。これは、「特定外来生物」(注)に指定されている。
 花期は初夏だから、そろそろ咲き出す頃だろう。これは、外国産の帰化植物で、北アメリカ原産のキク科の多年生草本だ。明治中期栽培されたものであるが、現在は広く野生化、河川敷や道路沿い、鉄道の線路わきに大群落を形成している。それが、岩木山の「弥生跡地」外縁の道路沿いや、驚くことに「岩木スカイライン」ターミナル付近にまで生えているのである。花も大きく、茎長は30~70cmなので、よく目立つ「花」である。
 「弥生跡地」外縁の道路沿いには同じく外来種である「ハルシャギク」(北アメリカ原産のキク科1年生草本・別名ジャノメギク・園芸種で広く全国に逸出、野生化して夏から秋に開花する。茎長は60~120cmだ)や「オオミツバハンゴンソウ」(北アメリカ原産のキク科2年生草本・別名ミツバオオハンゴンソウ・昭和の初めに渡来し、栽培され以後、山地に帰化している)なども生えている。

 毎日新聞電子版が「特定外来生物:オオキンケイギク増殖 木曽川流域 抜き取り作業は29日」として伝えている。
 …「岐阜県各務原市の国営木曽三川公園かさだ広場では、毎年5月ごろ、オオキンケイギクの黄色い花が広がる。同市などによると、かつては初夏の風物詩として親しまれ、旧川島町時代には『オオキンケイギク祭り』が開かれていた。04年の合併後は「かさだ広場フラワーフェスタ」として同市が祭りを継承。しかし、06年にオオキンケイギクが特定外来生物に指定され中止になった。
…「オオキンケイギク」を減らすと、在来種が回復するという効果を確認。10月に名古屋市で開かれる生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)に合わせ、住民参加型の駆除作業実施を決めた。

 国交省の90~95年度の「河川水辺の国勢調査」では、「調査対象78河川のうち19河川(24.4%)の河原で『オオキンケイギク』が自生。01~05年度の調査では121河川中86河川(71.1%)に拡大した」とされている。

(注)「特定外来生物」
 「国外から持ち込まれた動植物で、生態系や人の生命、農林水産業に被害を及ぼす生き物、その危険性のある生き物が、外来生物法に基づき指定される。2月現在の指定種は977種類。輸入や飼育、栽培は原則禁止。同法に違反すると、個人には3年以下の懲役か300万円以下の罰金、法人には1億円以下の罰金が科せられる。」

◇◇ 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(8)◇◇

(承前)…一般的に森を伐採すると、地表に光りが当たることにより、次のようなパターンで、そこの植生は「遷移」していく。

①「光発芽種子」である「タニウツギ」や先駆性の「タラノキ」などが芽を出す。
②土壌が少なく、荒れ地であれば、「コケ類」→「一年生草本」→「多年生草本→「灌木(ヤナギ、タニウツギ、オオバクロモジなど)」という順序で遷移が起こる。
③土壌があっても、植物に必要な栄養素である「窒素、リン酸、カリ」が不 足していると、「ハンノキ」、「マツ」、「マメ科の植物」などしか生えない。
④動物が種子を運ぶと、「オニグルミ」、「ナナカマド」、「アズキナシ」、「キイチゴ」、「ホオノキ」などは遅くはなるが林が生ずると発生する。

 時間はかかるが、上記のような植物たちが「生物多様性」を取り戻すために生えてきて「自生」していくのだ。「植樹」などする必要はどこにもないのである。
 その、あまりの「あほさ加減」に、ついつい私も、正しいことと「あほ」なことを綯い交ぜて言ってしまうのだ。
 「タラノキの若芽を採るな」、「クロマツやオオシマザクラ、ヤマモモ、オオヤマザクラなどを植えるよりはタラノキを植えろ」と。
 だが、社会もマスコミも、これら「植樹」には疑念を挟まない。「生物多様性の日」だから「植樹」するのだと得々としている。根本的に「生物多様性」と人手による「植樹」とは相反する概念なのである。全くの矛盾なのだ。

 一方、今日の写真の「オオキンケイギク」のように「生物多様性」年の「今年」だから「生物多様性」を保持するために抜き取り除去するというのである。
 「オオキンケイギク」は繁殖力が強い。しかも、背丈が高い。だから、「カワラナデシコ」など在来種を減少させてしまうのである。「弥生跡地」外縁の道路沿いには、この「カワラナデシコ」も咲いている。このまま「オオキンケイギク」が増えていくと「カワラナデシコ」も姿を消すかも知れない。
 繁殖力が強い「オオキンケイギク」には国土交通省は対応に苦慮しているそうだ。職員が駆除作業を進めてきたが、外来生物に対する住民理解を高めるため、今月初めて住民参加型の駆除活動に乗り出す。その日が「29日」なのである。

 ああ、頭がおかしくなりそうである。同じ「生物多様性」年を記念しながら、「植えること」と、まったく相矛盾する「抜き取り除去する」という行動をする日本人たちは、気にもしないで行っているのである。
 しかも、国や地方の行政機関や「サクラなどの愛護団体」が率先してやっているのである。
 それぞれに参加した人たちは「いいことをした」と満足しているのだから、これは罪深いことではないだろうか。(明日に続く)

山ブドウの新芽は… / 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(7)

2010-05-26 05:04:20 | Weblog
 (今日の写真は、ブドウ科ブドウ属の「蔓性木本」である「ヤマブドウ(山葡萄)」の新芽である。「雌雄異株」であり、葉と対生して巻きひげを出して、他の木に絡みついて成長する。「雌雄異株」なので、この新芽が雄花になるのか雌花になるのかはこの段階では、私には分からない。
 右に見える「直立して、まだ縮まっている」緑の葉は「マルバマンサク」である。

 …ある年の秋に、岩木山白狐沢下流上部の左岸尾根で野外観察会を開いた。
 橋のない白狐沢を渡渉して、旧い林道を少し登った。その少し手前で「藤の蔓」と「葡萄の蔓」の形態と伸び方、生育の違いを学習していた。
 ところが、その学習内容など、「もうどうでもいい」というような現実が待ち構えていたのである。
 …というよりは「あるもの」が私たちの行く手を遮って、それ以上先に進めなくさせ、「観察会」はすっかり変貌してしまったのである。
 目の前には、「山ブドウ」の森、「山ブドウ」の畑が広がっていたのだ。まさに、自然の果樹園だったのである。
 ブナが伐採されて、ジグザクに切り通されたその場所は明るい場所だった。その日も秋のさわやかな陽光が「そこ」を照らしていた。
 そして、その「法面」は山ブドウですっかり覆われていたのだった。しかも、その枝という枝には「はち切れるように熟れた」瑞々しい「山ブドウ」がたわわに実っていたのである。
 観察会は、一挙に豹変した。観察という客観的な行動が「ものを採る」「収穫する」という非常に主観的で「物欲」的な行為に変わってしまったのだ。私には、それを止めることは出来なかった。いや、止めるということをあえて「止めた」。
 「楽しい」ということを優先させたのであり、「学習」という行為からたまには離れてみるのもいいだろうと考えたからである。
 そうだ、「山ブドウ」狩りになってしまったのである。参加者10余名がそれぞれ、ビニール袋に入りきれないほどの「熟れた」山ブドウを採ったのである。
 今日の写真の「ヤマブドウ」の新芽には、23日後長根沢沿いで出会った。あの「ヤマブドウ狩り」に興じたメンバーも数人その場にいて、この「新芽」に出会った。だが、「ヤマブドウ狩り」に見せたあの感興を示す人はまったくいなかった。
 説明をしなければ、「目の前」にあるのに素通りしてしまったであろう。「これが、ヤマブドウの新芽です。優しい淡い色合いですね」という私の話しに、頷いてくれたことが救いであった。)

◇◇ 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(7)◇◇

(承前)…これは「生物多様性」を堅実に出し切って、「個性豊かに」生きている植物であることを意味することでもあるのだ。そして、これがまた、「タラノキ」の悲運を増幅させるのである。
 「栄養的にも価値が高く、香気と味覚」に優れていることは「生物多様性」の中での「タラノキ」の特性である。だが、これが人間たちの「生物多様文化性」を刺激する。つまり、「生物多様性」に支えられて成立する「多様な文化」を発展させることを鼓舞するのである。それは「食という文化」である。「山菜を食べるという食文化」である。
 それは、さらに「山菜を採るという文化」を生み出すのだ。「生物多様性」は人間の「多くの文化」を生み出しているのである。
 だが、その「文化」にだけ、人間が価値を置き始めて、「タラノキ」の芽を採り尽くしてしまうと、そこには「タラノキ」という植物が、自然界で担う「生物多様性」も、それに支えられる人間にとっての「生物多様文化性」も消滅してしまうのである。

 人間は、自然の「生物多様性」に対して、これほど惨いことをしているのだ。そして、その一方で、「生物多様性」を無視したような行為をしているのである。
 今年、2010年は「生物多様性」年だそうだ。何だか「とってつけた」無理強いの命名に聞こえる。そして、今月の22日、「世界をめぐれ『緑の波』」をスローガンに「国際生物多様性の日」と銘打って、「植樹」をしたというのである。

 電子版各紙は大体が次のようなことを伝えている…
「地球の東から西へ『緑の波』を起こそう――。「国際生物多様性の日」の22日、東京湾の人工島にある『海の森』(東京都江東区)で、親子300人がクロマツやオオシマザクラ、ヤマモモなど19種の苗木計1千本を植えた。」と。

 また、これとは別に、青森の地方紙、それにテレビは、「岩木山山麓の伐採地」で、ある組織が実施した「オオヤマザクラなどの植樹」の様子を伝えていた。

 私はこれらの「植樹」行為に違和感を抱くのである。まずは、「植樹」とは「伐採」という行為の結果論に立っている。「緑を護り、森を育てる」ことに腐心するならば、第一に「伐採」をしない、させないということに立つべきではないか、「植樹行動を続けながらも」一方では、少なくとも「伐採反対」との「声」はあげるべきではないか。
 樹木の人工的な伐採がなければ、極論で言うと「植樹」は必要がないのである。
 次は、「先駆的」樹木である「タラノキ」や「タニウツギ」などが、伐採地に生えてきて、自然の森復活の「遷移」の一歩を歩み出しているのに、その「パイオニアー」である「タラノキ」を採り尽くし、「遷移」の過程を破壊していることを黙認していることである。
 そして、その一方で先駆的樹木でない「クロマツやオオシマザクラ、ヤマモモ」や「オオヤマザクラ」を植えるという、これまた「遷移」の過程を無視した行為をしているのである。
 「生物多様性」、いったん失ったこれは、人工的には「取り戻せない」ものだ。「佐渡のトキ」がそれを教えてくれているではないか。だからこそ失わないようにしなければいけないのだ。
 森の「伐採」は避けなければいけないし、「伐採地」も長い年月をかけて「遷移」する力に任せるしかないのである。伐採地は50年もすると森に変わる。何故、そんなに急ぐ必要があるのだろう。どうして人の生命的なスパンに樹木を合わせる必要があるのだろう。(明日に続く)

 「弥生跡地」自然観察会のご案内 / 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(6)

2010-05-25 05:05:22 | Weblog
 (今日の写真「地図」は、弘前市企画課から配布された「弥生跡地」である。この場所には、市の許可がなければ入ることは出来ないが、観察会やその事前調査のために入ることは許可を得ている。
 「跡地」内を流れる沢には「清流」と「水温」が20℃を越えない場所にしか棲めないといわれている甲殻類の「日本ザリガニ」が奇跡的に生息していた。2006年9月23日に、私を含めた複数名でその生息を確認している。
 このことは、「陸奥新報」紙に発表したので記憶の方もあるだろう。)


                      ■□■□ お知らせ ■□■□

         「弥生スキー場跡地問題を考える市民ネットワーク」主催
   「弥生跡地」自然観察会のご案内 
                   2010年6月13日(日)実施

跡地内の沢(水系)をたどる

主題:
①「跡地内の沢に住むザリガニなどの生き物を探す」
②それら生き物が住んでいる生息環境を具体的に知る
③「弥生跡地」の地形的な特性を知る

・場  所: 弥生スキー場として計画された跡地内の沢とその周辺部
・参加募集人数: 上限として30名
・参 加 費:保険代、豚汁、集会所使用料など500円
・参加申し込み・問い合わせ:
 電話で6月10日までに「0172-35-6819(三浦).または080-5229-6076(竹浪)」まで

観察場所:観察ルートは地図上に提示してある青いラインに沿った沢すじ

注意事項:

※座る場合、「おしり」がぬれないための工夫も必要。※お弁当・飲み物を持つ。※観察のための道具(軍手.双眼鏡.ナイフ.ルーペ.透明なビニール袋など)を忘れない。※両手を常にあけておく。手にものを持たない。 

※ 日 程 ※
→10:00 生協(健生病院道路を挟んで筋向かい)前集合・オリエンテーション
→10:15 乗車・出発出発
→10:45 観察地到着
→11:00 観察・散策開始
→12:15 観察・散策終了
→12:20 集会所まで移動・昼食・参加者感想発表・意見交換会
→13:45 閉会・乗車出発
→14:15 生協前着・解散
(天気が極端に悪い場合は日程を変更したり、主題内容を変えて座講に切り替える場合もあります。)

  当「市民ネットワーク」では、「岩木山を考える会」と一緒に、これまで数回にわたって、当該地で自然観察会を実施する中で、おもに「植物」の調査をしてきました。直近では、今年3月21日の観察会です。今季は少ない降雪の影響で、積雪が少ないこともあって、積雪期であるにも拘わらず、次に提示するような「植生」観察の結果を得たのです。

①植物の遷移は見られるが、それは正常ではなく特異なものである。青森県には自生しない「シラカバ」が多く見られます。
②剥土部分には「光発芽種」である「タニウツギ」、「タラノキ」、「マンサク」などの生育は見られません。
③種子が、風で飛んで運ばれてきて増える「ヤマコリヤナギ」や「シラカバ」が全域にわたって見られます。
④重機によって土が剥された場所には、鳥が種子を運ぶ「ホウノキ」、「アズキナシ」などは見られません。
⑤重機によって土が剥された場所の上(剥がされなかった部分)には「ミズキ」、「オニグルミ」が密に見られます。
⑥上部斜面から流れ留まった土壌部分に「コバノハンノキ」や「バッコヤナギ」などがよく見られるます。
⑦植樹したわけでもないのに、「マツ」が目立ち、工事用道路沿いに植えられたものよりも大きくなっています。

 当該地はもともと草原でありました。採草地として使われていて、所々に「湿地」があった場所です。そこで、「湿地」や「水溜まり」の調査、および当該地内を流れる「沢」を調査する必要があると考えました。
 そして、6月13日に「沢の調査と観察会」を実施することにしました。
 どうか、市民のみなさん、この「跡地」を素晴らしい「市民の森」にするために、調査と観察会に参加してみませんか。

◇◇ 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(6)◇◇

(承前)…もう一度いう。タラノキ、ハンノキ、アカマツなどは先駆性の樹木である。伐採等によって攪乱されて荒れ果てた土地には、「人手」を借りることなく、いち早く芽を出す樹木なのである。
 その「タラノキ」が自力で生えた場所から、つまり、森林の回復の「パイオニアー」たる使命を持った「生命」を有無いわせず、人が「摘み採って」しまうのだから、これは「タラノキ」にとってはたまったものではない。
 「タラノキ」を人に擬えよう。「タラノキ」は「荒れ果てた土地」を森に戻すために一生懸命働いているのだ。その働き手を、春になると人間がすべてに近い数を「ギロチン」にかけて処刑しているのだ。中には春になる前の「冬芽」の段階で「ギロチン」にかけられて、その上で「ビニールハウス」という牢獄に運ばれる。
 だが、「タラノキ」は強い。死なないで春まで生き延びて、やがて、春に新鮮な「タランボの芽」として、スパーやデパートの「店頭」に「山菜の王様」などとして、並べられ売られる。
 確かに「タラノキ」の芽は、「山のバター」と呼ばれるくらい脂質があり、タンパク質も含んでいるという。だから、栄養的にも価値が高い。さらに、特有の「香気と味覚」は山菜の中でも、上位にランクされているそうだ。(明日に続く)

(続)ミズナラの新葉は… / 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(5)

2010-05-24 05:13:15 | Weblog
 (今日の写真も、ブナ科コナラ属の落葉高木である「ミズナラ」の若葉である。昨日の写真との違いは樹高が5m以上伸びている若木であることと、花穂を垂れ下げているところである。被写体が遠かったこともあり、余りはっきりしない。だが、私がこの写真を撮った理由が、「昨日の写真」との比較にあるので、許して戴きたい。
 その理由は、1つに「血潮のような褐色」が葉から消えていてまったくの淡い緑になっていること、その2つは「一枚一枚の若葉が透明感を持ちながら青空に映えて、そして全体的に陽光を遮断している」ことである。
 この2つの理由から捉えると、昨日の写真の若葉が同じ科属の樹木とは思えないだろう。もちろん、雄花の花穂を垂れ下げていることにも、違いはある。
ところで、右奥に見える樹木も同じ「ミズナラ」である。こちらはすでに「高木」となっている。早くから陽光を浴びることで、葉の展開と「雄の花芽」は早く、すでに「雄花」はその生命を終わっている。もはや見えない。左の雄花を下げている方は、遅れてようやく、最近咲き出したのである。
 それにしても、若い緑はいい。何よりも目に優しい。太陽の直射を和らげて、まろやかな生命の息吹を私たちの降り注いでくれる。このまろやかな息吹を浴びながら、「ミズナラ」の森を歩くことは、楽しいことを越えて「安息」である。まさにそこは「命の回廊」なのである。私は毎日でもこの森にやって来たい。常緑の森にない明るさが、新鮮で瑞々しい輝きが落葉樹の森にはあるのだ。 
 ミズナラの花は新葉の展開と同時に、5月上旬から咲き出す。「雄花序」は尾状で新枝から数本垂れ下がり、6~8cmだろうか。目立つのは「今日の写真」からも分かるとおり「雄花」だけである。「雌花」は新しい枝の上部の葉腋に出来る。近づいてよく見ると、葉の付け根に赤いものがついているのが、分かるのだが、近づいて見ることが出来ない。届かないのだ。大体の位置は想像するには、秋に「ドングリ」がどこについているかを参考にするといい。
 岩木山には、この「ミズナラ」によく似た「ブナ科コナラ属」の「コナラ」も生えている。秋になって「ドングリ」をつけるのが「コナラ」と「ミズナラ」だ。
 時々、直ぐ傍にこの「コナラ」と「ミズナラ」が並んで生えていることがある。そのような場所で、しかも新葉の時季には、「コナラ」と「ミズナラ」の比較が簡単に行えるのだ。「新葉」、「若葉」が、まだ白っぽく薄い色をしていて、葉が小さく、花序が短い方が「コナラ」だ。葉のサイズが大きく、「雄花」の「長い花序」をぶら下げているのが「ミズナラ」である。花も「ミズナラ」のほうが大きい。
 だが、夏緑の時季になると見分けがつかなくなってしまう。ところが、大きな違いは、葉のつき方と生育している場所にある。
 「コナラ」の葉は枝につく「葉柄が長くはっきりしている」が、「ミズナラ」は短い。まるで、ないように見えることもある。
 生育地の違いは、生えている場所の高度である。「コナラ」は低い高度の山野で見られる。伐採した跡に「アカマツ」などとよく生えている陽樹でもある。
 「ミズナラ」は「コナラ」よりも高度の高い、ブナ林の近くに生活するし、「ブナ」と混生していることもある。高度が高い場所に生えるということは、「乾燥に耐える」という特性を持つことになるのである。これも「コナラ」との大きな違いだが、「目には見えない」ことだ。「ミズナラ」は材に多量の水分を含んでいる。「燃えにくいこと」から「ミズナラ(水楢)」という名が付けられたというくらいなのである。
「ドングリ」も「コナラ」よりも「ミズナラ」の方が大きく、丸みがあって立派だ。)

◇◇ 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(5)◇◇

(承前)…「タラノキ」は日本全土の日当たりのいい山地、道端、がけ地、荒地など、まずどこにでも自生している樹木である。「どこにでも自生」ということが、この樹木の悲運を増幅させている。どこにでもあるから誰からも採られてしまうという構図である。
 もう1つ、どこにでもあるが「これほど、どこにでもある」につながり、「いくら採ってもなくなることはない」という身勝手な人間の解釈がいっそう「タラノキ」をなくさせることに荷担することになるわけだ。
 だが、誰もその「樹形や若芽の形」について知らなければ、その悲運は避けられたかも知らない。しかし、「芽出し」のころの「タラノキ」は、見分け方が簡単だ。細い幹に疎らに「針」をつけて、すくっと立っている「風姿」は独特で個性的だ。一度見たら、よほどでない限り「忘れることの出来ない」立ち姿として、人の記憶に残る。
 「タラノキ」の立ち姿を見て「あれはなあに…」という人は先ずいない。誰でも知っている。これが悲運をさらに広げる。
 「タラノキ」の悲運は、それらだけではない。他の1つに「自動車と道路」がある。ここ数十年の間に農道を含めて「自動車」の通行が可能な道路が至るところに敷設された。そこからさらに山地であれば「林道」が続いている。
 「歩くことが嫌いな人」にとってはこの「自動車と道路」はまさに神様、福の神である。それを利用して「楽に」タラノキの生えている場所にいくことが出来るようになった。
 私は断言する。「タラノキ」だけでなく、森の自然を護るにはまず、「自動車での進入」を厳禁することである、と。
 しかも、「タラノキ」は荒れ地などに真っ先に生える「先駆」植物である。造られた「道路」の道端にも真っ先に生えるのだ。だから、「自動車」で山地の道路を走っているだけで、簡単に「タラノキ」を見つけることが出来るというものだ。(明日に続く)

ミズナラの新葉は… / 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(4)

2010-05-23 04:06:32 | Weblog
(今日の写真は、ブナ科コナラ属の落葉高木である「ミズナラ」の若葉である。「ミズナラ」のことはこれまで何回も書いているので、重複を避けるために何だかんだと「知識的」なことは書かないことにする。
 それにしても、「ミズナラ」という樹木は山に入る人にとっては馴染みが深いものだ。山に入ると誰でも出会える樹木である。または、出会っている樹木である。ただし、岩木山の場合、「スカイライン」とリフトを使って頂上に行こうとする人は「直接」的には出会えない樹木である。
 「森を通らず山頂へ」ということは、何たる省略だろう、実にもったいない「過程」の割愛である。山は山頂のみで成り立っているものではない。
狭い山頂を山麓までの広い森が支えている。その森を構成しているのが「ミズナラ」であり、「ブナ」なのだ。
 岩木山の場合は森林限界が標高1300mほどだから、森と呼べる「森林」がないといわれる部分は標高にして「300m」の範囲だ。だが、事実は「ミヤマハンノキ」や「ミネカエデ」、「ダケカンバ」、「ハイマツ」、それにツツジ科の樹木などの小低木が生えていて「森」をなしているのである。
 だが、スカイライン経由でやって来る登山客は、それにも気がつかない。気がつかないということは会っていないということに等しい。
 山麓からの森を見ずに、山頂部に見られる「森」も見ないで、それでも、「岩木山に行ってきた」と言えるところに「不思議」がある。そして、その「不思議」をみんなが許してしまうという、これまた「不思議」なことが、この世ではまかり通る。山頂は岩木山の極めて一部分でしかないのだ。それは岩木山の1万分の1程度であろう。それほどに「狭い極小部分」なのだ。
 スカイラインとリフトを乗り継いで山頂に行った人は、「岩木山に行ってきた」と言うべきではない。そのような曖昧な物言いはよそう。「岩木山の山頂に行ってきた」と言ってほしいものだ。
 何だか、脇道に逸れてしまったが、この時季に岩木山にやって来て、この写真のような「ミズナラ」の若葉に出会えない人は気の毒に思えてならないのだ。
 この瑞々しさは一体何なのだろう。命が葉の一枚一枚に詰まっていて、それが鼓動して、息をしている。大きくなるぞと力強く宣言している。その力一杯の「エネルギー」が葉の内側から、まるで血潮のように染めているではないか。これは美しい。勢いもある。
 ミズナラの若葉は5月の初めに出る。幼い葉は、意外にしっかりしている。展開し始めの頃は、葉脈の凹凸が目立って、主脈の表側は白い長毛に覆われている。
 積雪のあるなしや標高の関係で、遅いものの「芽出し」は5月の下旬になるものもある。この血潮にまがう薄い褐色は次第に消えて、透き通るよう葉に変わり、次第に厚みを増して緑に変わっていくのだ。
 葉の付け根の部分から「糸状」のものが出ているが、これは若い若い「花柄」だろう。間もなく、これが花穂となって垂れ下がるはずだ。)

◇◇ 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(4)◇◇

(承前)…とにかく、「タラノキ」、目にするものは殆どが「頂部」がない。それに、目にする数が少なくなってしまったのだ。
 夏になると、小さな白い花を複総状につけるのである。しかも、花序を一つの枝先に複数つけるから、夏緑に映えてよく目立つのだが、それを見ることが殆どないのだ。花を見ることがないということは、秋になると「黒い実」になるその「実」がないということで、確実に子孫は残せない。
「タラノキ」は、所謂パイオニア的(先駆的)な樹木であり、「森林」が伐採や表土剥離などの攪乱を受けると、たとえば伐採跡地などに素早く出現する植物なのである。だから、とりわけ、伐採地や林道脇など日当たりのいい山地に生えるのである。
 本会では、いわゆる「弥生跡地」の植生回復の目安に、この「タラノキ」をあげて調査している。だが、「表土が剥離された部分」にはまだ、「タラノキ」は育っていない。あの「跡地」は十数年間、「攪乱」の初期段階がまだ続いている場所もあるのだ。「タラノキ」は僅かに、「表土剥離を免れた北側林縁部分」にのみ、数本が見られるだけである。

 「タラノキ」は漢字で「楤木」と書く。「楤」とは「小さな籠」という意味らしいが、何をもってこの字を使っているのかは私には分からない。
 名前の由来は、各地方で、「タロウノキ」、「タロノキ」、「タロウウド」、津軽では「タランボ」などと呼ばれている。これらは、人名の「太郎」を連想させるような呼び名である。日本人は「素晴らしくて誰からも好かれるもの」に「太郎」という呼び名を冠することが多い。恐らく、山菜の中でも、特別素晴らしいものということから「太郎の木」と呼んでいたのだろう。それが、転訛して、「タラノキ」や「タランボ」と呼ばれるようになったというものではないだろうか。
 別名には、「マンシュウダラ」とか「ウドモドキ」というものもある。(明日に続く)

ハリギリの若い芽 / 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(3)

2010-05-22 05:04:26 | Weblog
(今日の写真は、ウコギ科ハリギリ属の落葉高木である「ハリギリ(針桐)」の若い芽である。どこかで見たことがあるし、何かに似ているなあと思ったら、それは「楤木(タラノキ)」の芽である。似ているのも当然だろう。同じ「ウコギ科」だからだ。
 この可愛いらしい「若芽」が、順調に成長していくと、果たして何十年後のなるのかは定かではないが、樹高が20mを越える大木になるのだ。
 そう思って見ると、感慨もひとしおである。愛しくいじらしく、その健気さに脱帽してしまうのである。
 「ハリギリ」は北海道から九州にかけての山地に生える。樹皮は灰褐色だが、老木は縦に深い裂け目が入る。若い枝や幹に棘がある。
 もちろん、岩木山にも生えているが、成長した「樹」には若木や幼木の面影はない。それこそ、どっしりと落ち着いた感じで生えている。その余りの違いに、観察会などで、これが「ハリギリ」ですと説明しても、参加者は直ぐには納得してくれないことが多い。
 そのような時は、「葉」を示して、その形が「桐の葉」に似ていることで解説しようとするのだが、高木になっていると、その「葉」すら肉眼で確認することが出来ず、困ることがある。
 その「葉」だが、単葉で枝先について、葉身は半円形か円形である。長さは20~30cmと大きい。
 表面は緑色で無毛だが、裏面は灰緑色だ。5つから9つに裂けて、各裂片には細かい鋸歯がある。しかも、5本から7本の掌状脈が見られる。
 これは、18日に撮ったものだ。現在このような「若芽」をつけている状態だから、花の咲き出しは盛夏である。7月にならないと咲かない。だが、今年はもう少し早く「開花」するかも知れない。
 盛夏、夏緑に覆われる森の中や林縁で、当年出た枝の先に「淡黄緑色の花」を散状につけて咲いている姿はよく目立つし、見事である。だが、花姿を見かける人は多くはない。
 花期は比較的短いようだ。やがて、花は球状の果実となり、次第に黒みを増して熟していく。
 ウコギ科ハリギリ属「ハリギリ」という名前を知らなくても、別名の「センノキ(腺木)」を知っている人は多いのではないだろうか。
 「センノキ」は建築材として優れている。特に「家具」や「木製工芸」の「材」として利用される。市内町田に工房を構えている職人で知り合いのOさんは、とりわけこの「センノキ」に惚れ込んでいる人である。
 材の肌、その触感が柔らかく、滑らかである。だが、材質は硬く、経年変化でも狂いが生じない。木目が美しい上に、作業がしやすい。塗る漆との相性がいいなどと、そのメリットを一生懸命に話してくれたものである。
 今、我が家にはその「センノキ」でOさんが造った「衝立(ついたて)」と小物台数点がある。
 名前の由来は「材や葉がキリに似て、針のような刺がある」ことによる。)

◇◇ 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(3)◇◇

 私は、この「ハリギリ」の若芽を見ながら、「タラノキ」を思った。
 「タラノキ(楤木)」はウコギ科タラノキ属の落葉性の低木で、幹は余り枝分かれせず、真っ直ぐのびる「樹木」である。高さは2から4m程度であるが、生育環境にもよるが1年で20~60cmほど伸び、5年ほどで3mに達するものも珍しくはない。
 だが、最近は、樹木としての「タラノキ」を見ることが少ない。それは、樹木として成長する前に、その「成長点」である「芽」を毟り取られたり、あるいは成長点を含んで幹ごと「切り取られて」しまうからである。「ハリギリ」も「タラノキ」も本を辿ると、「芹(せり)」の仲間である。「タラノキ」と同じように「ハリギリ」の若い芽も食べることが出来る。茹でてお浸しにしたり、和え物もいい。だが、「天麩羅」にするのが一番いいだろう。

 ところで、「タラノキ」は、「山菜、薬草の王者」などと喧伝され始めてから、山野で余り見かけることがなくなってきている。
 「見かけるもの」は「若芽の部分」をもぎ取られた「もの」だけではない。それよりも、樹頂を含めた木質部の切り取られたものがすごく多いということである。
 これは、春早く、まだ「タラノキ」が若芽を出す前に、「若い芽」を「タラの芽」とか「タランボ」という山菜として、「付加価値」をつけて売り出す業者の仕業である。秋遅くか、冬場に「タラノキ」の冬芽を含んだ幹を切り取って、それを「ビニールハウス」の中で育てるのだ。それは「水耕栽培」に等しい。これだと、野山から「タラノキ」が消えていくのも頷けるだろう。そして、僅かに残った「タランボ」は山菜採りの触手にかかり、消えゆく運命に拍車をかけるという構図である。
 だから、最近は「タランボ」を見ると、「丈夫で長生きしてくれ」と心密かに願うことが多い。(明日に続く)

今、樹木の葉と花が可愛い(2)

2010-05-21 05:19:35 | Weblog
 (今日の写真は、カエデ科カエデ属の落葉高木「ハウチワカエデ(羽団扇楓)」の花である。出初めなので、まだ「雄花なのか雌花」なのかの区別は出来ない。だが、感じから言うと、垂れ下がった花柄の長さに注目すると雄花かも知れない。
 この樹木の学名には「japonicum」という一語が入っているので、その学名どおり、日本を代表する「カエデ」でり、本州に分布する日本固有種なのだ。
 これは、18日に岩木山後長根沢沿いに遡上した時に、延びていた下枝が垂れ下がって、丁度目の高さになってものに出会ったので撮ったものだ。
 高木であることが多い樹木なので、なかなか「目の高さ」で「水平にカメラを構えて」は写し辛い「花」でもある。まさに、「ラッキー」以外の何ものでもない。)

◇◇ 今、樹木の葉と花が可愛い(2)◇◇

 「ハウチワカエデ」は低山帯から亜高山の下部に生育する。分布の中心はブナ林域であるように思う。ブナ林などの夏緑広葉樹林の尾根筋など、明るい林に生育していることが多い。
 花も「モミジ類」の中では大きく、雄しべが長いので、よけい美しく見える。雄花と両性花とをつけるが、房の先端が雄花になることが多い。つまり、上部には翼果が出来る両性花が付き、先(下端)の方には雄しべの目立つ雄花がつくのだ。最初に「雄性花」が咲き、少し遅れて「雌性花(両性花)」が咲くようだ。
 
 この時季、花ももちろんいいのだが、瑞々(みずみず)しさの点では、出初めの「若葉」というか「幼葉」と言おうかに勝るものはないと思うのだ。出初めの葉は透明感が溢れている。真下から覗くと葉脈が透けて見える。その間から晴れている日には「太陽」までが見えるような感じになる。そして、すべてが明るい色彩だ。
 手を伸ばして触れることが出来るものには、「そっと触ってみる」。その柔らかさは、はっきり、いって「愛(いと)しい。優しく柔らかいのである。
 葉身は長さ4~9cm、幅は5~11cmである。葉柄は長さが2~4cmで葉の大きさに比べて短い。
 葉の縁には鋸歯があり、これは9から11ほどで浅かったり、中裂したりしている。今日の写真でも、その様子が分かるが、もっと完全に開ききるとよく分かるのだ。
 若葉では両面に白色の軟毛があるが、やがて脱落し、裏面の主脈上と脈腋にわずかに毛が残る。
 やがて秋、大きな葉を真紅や金色に染めて紅葉する。山地で見る「モミジ類」の王様である。
 名前の由来は、葉の形を「天狗が持っている団扇に例えたこと」による。「メイゲツカエデ」の別名もある

 これと花が「特に似ているもの」にカエデ科カエデ属の落葉高木「ヤマモミジ(山紅葉)」がある。これも、日本の固有種だ。「ヤマモミジ」の花は、散房花序に両性化と雄花が咲いて、花弁は淡紅色、ガク片は濃紅色である。花の色が特に鮮やかだ。
 日本海側の山地に生える落葉高木である。雪深い日本海側や雪が多い山に生える。もちろん岩木山にも生えている。
 太平洋側に生息している「イロハモミジ」の変種で、葉が大きく縁に粗重鋸歯(葉の切れ込みがぎざぎざ)がある。
 花は今が盛りだ。「イロハモミジ」の変種(亜種)なので「イロハモミジ」によく似ているが、葉はやや大きく、葉の基部は心形で分かれている。
 紅葉期の10~11月には美しく紅葉する。なお、「イロハモミジ」は川沿いや渓谷に生える。
 「イロハモミジ」と同じように紅葉が美しいので、庭木や公園樹、盆栽などに植えられる。「イロハモミジ」とよく似ているが、葉や翼果が「イロハモミジ」よやや大きい。7裂した葉のふぞろいの重鋸歯が特徴となっている。
 名前の由来は「園芸種でないところの、原種の山のモミジという意味」による。

 ところで、「モミジ」という名を持つ樹木は、全てカエデ科の植物で、植物分類上では、「モミジ」という植物はないのである。つまり、一般的には、「モミジ」と「カエデ」は、同じ植物ということである。「観楓会」という言葉があった。今でいう「紅葉狩り」のことだ。「黄葉」は「もみつ」と呼ばれていた。これは「モミジ」と転訛する前の語源である。

 次に掲げることが参考になるだろう。
 …楓(カエデ)という名前の由来は万葉集巻八の大伴田村大嬢の歌「わが屋戸に黄変(モミ)つかえるで見るごとに妹をかけつつ恋ひぬ日はなし」にある。
 「黄葉(もみつ)」する楓の葉の形が、カエルの手に似ていることから「かえるで」と歌に詠まれていたのだ。

 万葉時代はほとんど「黄葉」と記されていた。これは、秋の深まりとともに葉の色が変わっていくことを「黄変(もみ)つ」という動詞で表現したからである。何も「黄葉」だけでなく赤い葉、褐色の葉、すべてを「黄変つ」するとしていたのだ。
「モミジ」は、華麗な花をつけるわけではないのだが、秋山を美しく彩ることから、万葉集には多くの歌に詠み込まれている。(明日に続く)

今、樹木の葉と花が可愛い(1) /「安全」優先、「生物多様性」を無視した行政の愚行(8)

2010-05-20 05:16:57 | Weblog
 (今日の写真は、ある樹木の若葉である。樹木と言っても高木ではない。高木ならば、丁度目線の高さで、このように撮ることは出来ない。樹高は3~6mほどであろう。よく、林の縁や、あるいは林の縁近くの中ほどに生えている。
 だが、この「若葉」を見ていると、その「名前の由来」がにわかに信じられないものに思えてくる。この樹木は2つの名前を持っている。その由来の1つは「卵円形の葉の形を大きな亀の甲羅に見立てたこと」であり、もう1つは「葉によく虫がついて食べられるので『虫食われ』が転訛したこと」である。
 だが、今日の写真の「葉」は大きくはない。そして、「虫に食われて」もいない。だから、名前の由来には当てはまらない。このようなことを考えるのも、この時季の山歩きの「楽しみ」かも知れない。
 この葉は、スイカズラ科ガマズミ属の落葉小高木「オオカメノキ(大亀の木)」のものであり、別名を「ムシカリ(虫狩り)」というのである。) 

◇◇ 今、樹木の葉と花が可愛い(1)◇◇

 「オオカメノキ」は、そのような場所に生えているものだから、山歩きをする者にとっては、いつでも出会っている「馴染み」の樹木ということになる。しかも、これには、「春夏秋冬」四季をとおして出会えるのである。
 春は、先ずこの若葉だ。しわしわで小さい。ごわごわとして硬そうだが、触ってみるとすごく柔らかい。その触感がすごく愛らしく優しいのだ。思わず、「大きくなれ」と声をかけたくなる。
 そして、この若葉の傍では「花芽」も膨らんでいる。5月下旬、夏だ。初夏だ。白い花が咲く。枝先に直径6~14cmの散房花序をつける。これは、実に目立つ。山歩きをする者に「初夏」を教えてくれるものである。
 花序の中心には両性花が咲き、その周囲に直径2~3cmの装飾花をつけた見事な白い花だ。花序には柄がない。
 その頃になると、この写真に見られるような葉っぱの「皺」はすっかり浅くなって、表面が滑らかになっている。そして、大きく広くなっている。その大きく広い葉で陽光を十分に受けて「光合成」を盛んにする。
 花弁は枯れて、結実する。受粉して、果実を育てる時季に入ったのだ。盛夏だ。暑い毎日が続く。果実はどんどんと大きくなる。その頃になると、大きく広い立派な葉には、「虫食い」の穴が目立つようになる。輪郭は若葉の形状だが、穴がいたるところに開いて無残な状態の葉も出現する。葉ばかりが目立つ時季だ。
 やがて、谷すじや林縁に涼風が吹き始める。秋の始まりだ。果実に変化が現れる。少し楕円形をした実に色がついてくる。赤い果実へと変身する。果実がますます「赤く」なる頃には「葉」も緑から褐色に変わってくる。落葉の季節が始まったのだ。
 冬、葉が落ち、果実も野鳥に食べられて全く残っていない。だが、春に出る「葉と花の芽」を、硬い莢で包んで、「人が万歳」をしているような格好の「冬芽」を見せてくれるのだ。この葉は、四季をとおして私たちを森に、山に誘ってくれる優しい樹木の若葉である。(明日に続く)

◇◇「安全」はすべてに優先するのか、またまた、「生物多様性」を無視した行政の愚行・それではどうすればいいのか…(8 最終回)◇◇
(承前)

 この問題を根本から解決するには「反対行動の実績」を積み重ねて「自然に対する理解の薄い」罪深い「判決・判例」を変える機運を造るしかない。
 そのためには、「自然とは何か」、「生物多様性」や「多様な生態系」とは何かを世に問い、世人に訴え、世論を喚起するしかないであろう。
 そして、山林での「危険木除去」を公園や森林管理者に責任を負わせる「司法の判断」を覆すしかないのである。
 「自然保護」に関しては「司法」も「行政」も途上国に負けている。途上国の方が、自然体で「自然を保護している」面が多々あるのだ。

 この件に関して、ある人から次のような意見が寄せられている。

「危険木伐採に関して、津軽森林管理署は、事前にホームページに対象木の画像と場所を掲載し、一般の意見を聴取するというスタイルをとっている。県はこの手法を知っているはずだが、問題が広がるのがいやなのであろうか。そんな推測もしたくなる。
 新聞社が載せなければわからないまま伐採が始まってしまうところであった。この辺を足場にして「要請」をすればどうかと思っている。
 少なくとも対象木について情報を公開するように求めることは必要だろう。県も無視はできないと思う。
 こんなにバサバサ伐られたら、歩道沿いに木がなくなってしまうのではないか。生物多様性年の趣旨とも反する行為である。
危険木の判断については、行政のみの判断では過剰伐採になるということは、去年のくろくまの滝で実証済みである。
 まだ時間があるので、危険木の情報公開をさせ、こちらの意見なども入れさせるようにすべきと思う。」

「安全」優先、「生物多様性」を無視した行政の愚行(7)

2010-05-19 05:22:36 | Weblog
(今日の写真は、岩木山後長根沢上部右岸尾根である。後長根沢の右岸は広い。上部では百沢スキー場上端と接している。この写真で言うと、この稜線はスキー場尾根とつながっていることになる。
 だが、下部ではスキー場尾根と後長根沢右岸とは接していない。その間には、一昨年まで県土整備部河川砂防課が何基も敷設した砂防堰堤(ダム)のある「頭無沢」がある。
 この写真を提示した目的は、新緑の美しさ、その色合い、遠望出来る木々の花などを見てもらうことであった。だから、そのことについて最初は触れる。
 先ず、右上の淡い緑の森は「ブナ」である。今季「ブナ」は早く葉をつけた。その下の沢に生えているまっすぐ立って淡い緑の樹木は「カワヤナギ」とか「コリヤナギ」だ。手前の褐色がかった葉色の樹木は「花」の終わった「オオヤマザクラ」である。中に、黄色ぽく見えるのが、「イタヤカエデ」である。左下端に見えているのがそうだ。はっきりしないが当然、「ヤチハンノキ」も生えている。
 右上のブナから左にかけての斜面に見える白いものは「タムシバ」である。これは「陽樹」と呼ばれるものだ。遠くからでは確かめようがないが、恐らく、アカマツ、ウダイカンバ、タニウツギ、リョウブ、ヤマツツジ、ミズナラ、カエデなどが生えている。
 例年だと淡い緑を背景に「オオヤマザクラ」のピンク、「タムシバ」の純白が彩りを添えて「桃源郷」の雰囲気を醸し出してくれるのだが、今季はそれが見られない。年々、「春の自然」はおかしくなっている。
 もう1つ言いたいことがある。タムシバの咲いているこの斜面は、数十年前までは右上に見られるような「ブナの森」であったということだ。
 ここは、「ブナ」の伐採跡なのである。ここは、かつて「ブナの森」だったのだ。2、3枚写し終えてから、私は目を閉じた。
 …すると、瞼の奥で、右上の「ブナの森」がもくもくと雲のように動き出して、「タムシバ」を消して、伐採地を覆い尽くしたのである。静寂な、しかも悠久で緑溢れる命の森が出現したのである。…だが、それは夢の出来事だ。
 「岩木山」と長いこと関わりながら、私は「ブナ」などの伐採を食い止めることは出来なかった。「伐採反対」の行動はしてきたが、その対象の「ブナ」はすべて伐られてしまった。
 この写真は昨日、後長根沢上部まで行った時に、撮ったものである。)

◇◇「安全」はすべてに優先するのか、またまた、「生物多様性」を無視した行政の愚行・最高裁判決を吟味する・その他にも問題点は沢山ある(7)◇◇
(承前)

「最高裁の判決」を吟味してみたいと思う…(下)。

 …「遊歩道」は観光客だけ、「登山道」は登山者だけが歩くとは限らない。「遊歩道」、「登山道」を設置し、整備する側には、その「規定」が難しい。「観光客」と「登山者」と間には自ずから「力量的、体験的、意識的」な差異がある。その「差異」をどのように規定し、選別・区別するのかについての言及は判決にはない。
 また、「怪我と弁当は自分持ち」という俚諺が持つ意味合いを斟酌しながら判決を出したとは考えられない。
 こうなると、「登山道を整備し」ても、事故が起きると「整備の仕方が悪い」となるだろう。また、「放置した」としても「怠慢だ」となるはずである。もし、「訴訟を避けよう」とするならば、「遊歩道の廃止や登山道の閉鎖」しかないことになるであろう。
 白馬岳の大雪渓でも、「裁判」のことを考えたら、「ベンガラ」で赤いラインを引いている場合ではない。それに従って登っていたら「事故」にあったとしたら「引いた人」の責任になり、「1億数千万円」の賠償金が取られることになる。
 「判決」は「危険を避ける」注意を「観光客」に促していない。賠償金の支払いがいやな「遊歩道や登山道」の設置者は、「観光客が怪我をしたり死亡」することを避けるために「すべての登山道や遊歩道の入り口にその危険性について文章を書いた看板を立てる」必要があるだろう。
 ある人が苦々しい口調で、あきれ果てたように「『遊歩道に1歩入った時点で、この看板に同意したものと見なす』と付け加えておくしかない」と言っていた。
 この判決は「それ」を要求しているのである。だが、この「判決」は、逆に「遊歩道や登山道」の設置者、つまり、整備する側に対しての「法律による保護」をも要求しているものでもあるのだ。

 少し、穿った見方をしてみよう。これは再考に値する。国民はこの機会を生かしてしっかりと再考すべきだ。
 それでは何を…つまり、「バブル期に、リゾート法が出来て、スキー場やゴルフ場が山野を潰し、それが出来ない山村でも観光立村の下、危険な場所に「遊歩道」などを敷設した。…
 皮肉にも、そういう風潮に再考を加えることを促す判決だ。そう捉えよう。 

・その他にも問題点は沢山ある・

 危険判定基準が「森林生態系学者」や「森の生態を熟知した山歩きの人」などではなく、「植樹や植木」を主として扱う「樹木医の個人」判断に委ねられているが、これはおかしい。
 このままでいくと、「森林教室や観察会」等が開かれてきた「自然公園」が「弘前公園」など都市公園法による「公園」と同じように、管理された「遊歩道」から逸脱せず、整然と管理され、造られた「盆栽」のような樹間を利用することになるのである。
 そうなると、「生物多様性」に見られる自然の生態や食物連鎖などの観察は出来なくなってしまう。「生物多様性」を無視した自然公園に、一体誰が魅力を感じるというのだろう。
 「自然公園」は「国民の健康と福祉に寄与する」ことを、その「設立目的」に掲げている。人工的に改変された「自然公園」が「国民の健康と福祉に寄与する」癒しを醸成する場所になるとは到底考えられない。(明日に続く)

「弘前公園」は熊野神社とつながっている(2)/「生物多様性」を無視した行政の愚行(6)

2010-05-18 05:11:51 | Weblog
 (今日の写真は、スズメ目メジロ科の鳥「メジロ」である。私がこの「メジロ」と最初に出会ったのは、岩木山でもなければ、弘前公園でもない。さりとて、時々出かける「久渡寺山」でもない。
 それは、岩手山でのことだった。確か、柳沢登山道の山麓部であったと思う。5月中旬のことだった。自衛隊の演習地が道の両側に広がる辺りで、道端の低木に止まって、盛んに餌を採っているモスグリーンに近い色合いをした「野鳥」を発見したのだ。
 私が傍に寄っても、何を食べているのかは分からなかった、まるで私を無視しているかのように、飛び立つこともしないで、採餌に夢中なのである。時折、自衛隊の重火器が発射される轟音が響くが、全く気にする様子はない。
 そこで、歩くのを止めて、じっくりと観察した。とにかく、褐色がかった緑色をした鳥である。背面は黄緑色、喉は黄色。腹は白く、脇腹は赤褐色で、眼の周囲には白い輪がある。何だか、私の庭に時折、熊野神社の森から迷い込んで来る「ウグイス」に似ている。だが、それは色具合と「目の周りに白い輪」のあることで、ウグイスではなかった。私はもちろん、初めて見る鳥なので、この「鳥」の名前を知らなかったのだ。だが、その「姿」を忘れることはなかった。
 その後、「野鳥図鑑」で、調べてそれが「メジロ」であることを知ったが、それ以降長い間、何故かしら、岩木山でも久渡寺山でも「メジロ」との出会いはなかったのである。
 そして、それを理由に「メジロ」は岩木山等にはいないのだと勝手に思い込んでしまったのだった。
 だが、それは、大変な思い込みであり、間違いだった。実際「メジロ」の生息環境は広く、平地から山地の林に棲む。都会でも見られ、森林、市街地、農耕地、里山でも、庭木や街路樹などの花を巡って生活している留鳥なのである。
 また、「メジロ」は比較的警戒心が緩く、頻繁に鳴き交わしながら群れで行動するので、昔から人々に親しまれてきた鳥なのだ。鳴き声がいいので広く飼われていたが、現在は保護鳥となっている。)

・見えかくれ居て花こぼす目白かな (富安風生)
・目白鳴く磧(かわら)つづきの家の中 (飯田龍太)

◇◇「弘前公園」は熊野神社とつながっている…キビタキとメジロがやって来た(2) ◇◇
(承前)間が開きましたが、12日のブログに続けて読んで下さい。

 …キビタキが飛び去った後で、「虚ろな眼」をしていた私の視界に、なにやら動く「緑色」の2つの個体が飛び込んできた。忙しく動く。同型で同体の2羽の鳥である。
 窓から3、4m離れた藤の蔓に向き合うように止まりながら花芽をつついている。よく見える。オリーブがかった緑色。翼と尾は少し暗い色をしている。
 白い「アイリング」、これが「メジロ(目白)」という「名前の由来」ともなっているのだ。「メジロ」科に属する鳥は英名で、「White-eye」と呼ばれ、中国語名では「繡眼鳥」と呼ばれているそうで、それぞれ「名前の由来」となっている。洋の東西を問わず、この鳥は「同じように」見られて愛されてきたのだろう。
 喉は黄色味を帯びている。腹部は白く、尾は黄色い。脇は薄く褐色味を帯びている。雌雄同色、これは一夫一妻をとる「メジロ」の番いに違いない。
メジロは、樹上生活をして、甘い蜜を好み、花の蜜(みつ)や樹液などをなめるようにして飲む。もちろん、昆虫や柔らかい木の実を食べる。
 全長は12cm前後で、スズメよりも小さめだ。野鳥の中では小さい方に属する。鳴き声であるが、地鳴きは「チィー」と優しく、囀りは「チーチー チュルチュル チリツルツル」と長く鳴くと言われているが、その日は聴くことが出来なかった。
「メジロ」は、平地から山地までの林に生息する。よく茂った常緑広葉樹を最も好み、冬季には本州中部以北で繁殖する個体は暖地に移動するのである。
 「弘前公園」は「岩木山」や他の山々の森とつながっている。「公園」の森は「熊野神社」の森とつながっている。そして、私の「狭い庭」は、この「熊野神社」の森とつながっているのだ。それを断ち切ることは誰にも出来ない。また、してはいけないことである。 これも、「生物多様性」の一例であろう。まるで、その「お零れ(失礼かな?)」でもあるかのように「野鳥たちは私の庭に姿を見せる」のである。
 野鳥たちに「生息域」という境界線も「進入禁止」や「相互乗り入れ禁止」という規制はない。それは「生物多様性」を自由に、保守堅持しながら、護って生きているだけのことなのである。

◇◇「安全」はすべてに優先するのか、またまた、「生物多様性」を無視した行政の愚行・最高裁判決を吟味する(5)◇◇
(承前)

 今一度「最高裁の判決」を吟味してみたいと思う…(中)。

 「判決」は、「国の機関の森林管理署が毎年、県などと現場周辺の山林を点検し、遊歩道近くの樹木については実際に安全対策をとっていたこと」を踏まえ、国の責任も認めた。
この「実際に安全対策をとっていたことを踏まえ、国の責任も認めた」ということは「実際に安全対策をとっていたことから、国の責任も認めた」と読解することは可能だろう。
 それでは、「何も安全対策を取っていなかったら、国の責任はなかった」ということになるのではないだろうかという疑問が出て来るのは私だけだろうか。

 民法の第709、710条を次に掲げる。
(不法行為による損害賠償)
第709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
(財産以外の損害の賠償)
第710条 他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。

 国家賠償法には次のような条文がある。 
第1条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
2 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。
 
第2条 道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる。
2 前項の場合において、他に損害の原因について責に任ずべき者があるときは、国又は公共団体は、これに対して求償権を有する。

 この条文のどこにも「自然」に関する概念事項はない。これだと「自然公園」における「自然」の特性に腐心する判決は出されない。最高裁判所の判決は、この法律だけを根拠になされている。「生物多様性」や「多様な生態系」などの概念が取り入れられて、その上で出された「判決」ではない。
 「生物多様性」や「多様な生態系」を含む、いわゆる「環境権」というものに関する体系的な法的根拠は「政治と司法の怠慢」によって我が国では、議論にすら登らないのが現状である。
 この事故に対する判決には当然「生物多様性」等の概念が反映されてしかるべきものであった。「生物多様性」に対する世界的な潮流に目敏く反応する意識さえあれば、このような「偏在的な判決」にはならなかったであろう。(明日に続く)

「イヌガンソク」と「ガンソク」を想う / 「安全」優先、「生物多様性」を無視した行政の愚行(5)

2010-05-17 05:10:02 | Weblog
 (今日の写真は、イワデンダ科コウヤワラビ属の夏緑性シダ(羊歯)植物だ。これは、北海道から本州、四国、九州に分布し、山地の樹林の下や底部が広がっている谷や沢、それに、山道の傍などで生育している。これは、山道から、南側の沢を見下ろすような場所で撮ったものだ。
比較的大きくよく目立つ植物である。だが、ワラビでもないし、ゼンマイでもない。
 傍に見える褐色で黒みがかったものは、「胞子葉」といい、この植物を特徴づけるものであり、次の年の春まで残っていて非常に目立つのである。写真のものは、昨年のものである。
 これらの仲間は、「栄養葉」と「胞子葉」という2形の葉を持つ。別の名前が「オオクサソテツ(大草蘇鉄)」である。だから、「葉身」は80cmから1mと非常に大きく長い。特に、「栄養葉」は夏場、頭上の樹木の葉っぱに負けないくらい立派な「夏緑」色になる。
 「胞子葉」は生花素材のドライフラワーとしてよく利用され、「ガンソク(雁足)」と呼ばれている。だが、「ガンソク」と呼ばれるものが、他にもある。だから、ややこしくなるのだ。これは、「イヌガンソク(犬雁足)」である。) 

◇◇ 「イヌガンソク」から「ガンソク」を想う ◇◇

 雪解けから、この時季にかけて、山を歩いていると「イヌガンソク」はよく目立つ。特に、雪消え直後から黒っぽい枯れた「胞子葉」はよく目につく。
 これを「ガンソク」と呼ぶ由来も一見してよく理解出来たものである。その由来は、「雁足」の意味で、胞子葉(胞子をつくる葉)が、雁の足に似ていることによる。
 しかし、どのように見ても、この「ガンソク」には2つの種類があるように思えるのだ。端的に言うと「大きいもの」と「小さい」ものである。だが、非常に似ている。大小の違いだけで殆ど「相似形」に近い。
 そうだ、この「大きい」方がイワデンダ科コウヤワラビ属の夏緑性羊歯「イヌガンソク(犬雁足)」なのだ。別名は「オオクサソテツ(大草蘇鉄)」だ。
 「イヌ」という接頭語が付いているのは、「ガンソク」と呼ばれる「クサソテツ(草蘇鉄)」は食べられるのに、このシダは食べられないことを意味しており、山菜の世界で「コゴミ」と呼ばれ、食用にされる「ガンソク」に似ているが「非なるシダ植物」ということである。ここでの「イヌ」は「犬」ではなく「否ぬ」という意味である。
 「栄養葉」は厚味があり、幅も広い。これとは別に、秋に出る「胞子葉」は短く単羽状で、羽片の辺りは内に深く巻いて「ソーラス(胞子嚢群)」を包み込んでおり棒状である。生け花素材としてそのまま利用も可能であり、人々に好まれているという。
 
 さて、「小さい」方だが、これが、「コゴミ」と呼ばれ、山菜として食用に供されるものだ。「ガンソク」は本来、「コゴミ」の別名なのである。他に「コゴメ」ともいう。
 「コゴミ」とはオシダ科クサソテツ属の落葉性多年性羊歯「クサソテツ(草蘇鉄)」のことだ。名前の由来は「ガンソク(雁足)」は、葉柄の基部を雁の足に見立てたことによるし、「コゴミ」はその姿が「屈んでいる」ことによる。
 「クサソテツ(草蘇鉄)」は、草でありながら、ソテツに葉姿がよく似ていることによる。
 「コゴミ」というと山菜として食べるということに目がいくが、「学名」には、ギリシャ語のstruthio(=花束)とpteris(=シダ)が使われており、「花束のように葉が集まったシダ」という美しい意味があるのである。この美しさは、「日本の庭園」でも利用されており、庭園の植え込みには欠かせない存在となっているのである。
 また、これは貴重な山菜でもある。北海道~九州に分布し、やや湿った山地や山裾、薮の中に自生し、葉が巻いた状態の時に、若芽を根元から摘み採って食用にする。春先の山菜の代表でクセもアクもなく、おひたしや和え物などに最適なのだ。

◇◇「安全」はすべてに優先するのか、またまた、「生物多様性」を無視した行政の愚行・最高裁判決を吟味する(5)◇◇
(承前)
 ところで、今一度「最高裁の判決」を吟味してみたいと思う…(上)。

 最高裁は「奥入瀬遊歩道で起きた事故」に対して、近くに県設置の遊歩道や休憩所があり、事実上、「青森県が管理していた」と指摘。「枝の落下はよくある自然現象で事故は予想できた」として青森県の責任を認め、「国の機関の森林管理署が毎年、県などと現場周辺の山林を点検し、遊歩道近くの樹木については実際に安全対策をとっていたこと」を踏まえて、国の責任をも認めたのである。

 「奥入瀬渓流沿い」には、多数のブナがあり、その他の樹木沢山生えている。ということは、「一歩遊歩道に入ると、そこら中で枯れ枝の落下がよくあること」になるということだ。その周囲だけに限っても、一体何百本、何千本の落枝する樹木があるのか見当さえつかないのが現状ではないのか。
 この「判決」に従い、青森県は、それらの大量の樹木の全てについて、落下の可能性のある枯れ枝の有無を点検し、順次、枯れ木の撤去、枝打ちをすることになると考えたのだろう。だから、今回の「1145本」という樹木の伐採がなされるのである。だが、枯れ木、枯れ枝、落枝、倒木は常に生滅を繰り返して輪廻しているのである。長期的に見た場合は、どうしても人手が追いつくわけがないのである。また、その人手にかかる経費も相当な額になるのではないか。
 そのようなことよりも問題になるのは、私は特にこの点を問題にしたいのだが、「枯れ枝の落下の危険を完全に排除するほど人手が入った自然は、もはや自然とは言えない」ということである。
 「自然の美しさ」、「原生の自然」、「感性的な自然」、「自然の息吹」などと形容される「自然」には、安全性の上に立脚している都市生活と違い、そこには、必然的に内在する危険と裏腹の関係が存在するのである。
 「自然に触れ、それと親しもう」とする者は、必然的に「危険に接近し、危険に遭うということも受け入れなければならない」ということである。
 青森県の住民は奥入瀬渓流という「観光資源」によって収入を得ているのだから、それは「一定の範囲で観光客の危険を引き受け、安全を確保する」立場にないわけではない。 だが、それを、「自然に触れ、それと親しもう」とする者の主権にだけ目を向けて、民法709条「不法行為による損害賠償」や710条「財産以外の損害の賠償」、それに国家賠償法のような不法行為責任論で考えることは適切でないと思うのである。(明日に続く)