岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

秋の雲、日本語には「雲」の名が多い。 / 天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。(5)

2009-10-31 05:20:46 | Weblog
(今日の写真は、今月の中旬、午前10時頃、岩木山弥生地区の上空に漂っていた雲である。
 私は「雲」が好きだ。岩木山に登っている時にも、このような「雲」を発見すると、立ち止まったり、時には腰を降ろして眺めてしまうことがある。
 このブログにも、これまで何回か「雲」のことを書いた記憶がある。特に、この「綿雲」が大好きだ。それは、「柔らかい綿」や「甘い綿飴」を思い起こさせるからではない。
 「綿雲」は何よりも優しい。それが、一番に惹きつけられるりゆうであり、「魅力」である。そして、必ず動いている。その姿や形を少しずつ変えながら動いているのだ。その動きも、軽快さに加え千差万別、自由自在、縦横無尽である。風のある時は速い動きだし、微風の時はゆっくりと移動していく。
 高い空にある「絹雲・巻雲」などは殆ど動かないのに比べると、この「綿雲」は自由奔放である。気ままである。これもやはり、魅力である。私は、この綿雲を眺めながら、これまで何度「おまえのようになりたいよ」と呟いたことだろう。

 「空」には必ず「雲」が存在しているのだそうだ。空を見上げると、「必ず雲が浮かんでいる」といわれても、俄には信じられない。だって、「雲一つない晴天」とか「雲のまったくない快晴」とよく言うではないか。
 だが、それは、私たちの目に見えないだけで、実はうすい雲が空を漂っているのである。
 秋の雲はメリハリがあって鮮やかである。これは「積雲」といわれるもので、高度も1000m以下だろう。ぽっかりと浮かんでゆっくりと動き、東の空に去っていった。雲はこれ以外は見られなかった。去っていった方をしばらく見ていたが、いつの間にかきれいに消えてしまった。まるで、今まであった雲が「ウソ」のようだったのである。
 絶対に、二度と同じ姿を見せることのない雲、それ故に、その種類と名前を覚えることが大切なような気がした。名を知ると、距離感が縮まり、親密感が湧くのは、何も人の世界だけではない。

因みに、この「雲」は、日本語では、綿のような感じで浮かぶ雲ということで「綿雲」と呼ばれる。他には「積み雲」や「断片雲」、「ちぎれ雲」など呼ばれている。ただし、「ちぎれ雲」は「高層雲」や「乱層雲」でも見られることがある。)

◇◇ 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その1) ◇◇

 気象観測では「巻雲、巻積雲、巻層雲、高積雲、高層雲、乱層雲、層積雲、層雲、積雲、積乱雲」の10類に分類している。これは1956年世界気象機関が刊行した「国際雲図表改訂版」によるものだ。
 だから、私たちが目にする「雲」は、このいずれかに入るのだ。あの広い空に湧いたり、流れたり、覆ったりする雲は10種類しかないのである。雲の名前を覚えるなんて簡単ではないか。たった「10個、10種類」なんだよ…といいたいところだが、そうはいかないのである。
 たとえば、今日の写真の雲は地表付近から2000mほどの高さに生ずる、つまり、地表から一番低いところに出来る「下層雲」に区分されるものの一つの「積雲」である。
 綿のようにふわふわと浮いている雲だ。いつの間にか消えるものもあれば、地表の熱を取り込んでどんどんんと発達するものもある。これが、積雲が乱れたもので、「積乱雲」と呼ばれるのである。
 「積乱雲」は「雷雲(カミナリグモ)」でもある。雲の中では最も危険な雲であり、雲の高さは10km以上に達する場合もあるそうだ。この雲の下では、雷や竜巻が発生したり、激しい雨が降ったりするのである。
 この積乱雲が発達して雄大積雲となり、雲の頂が坊主頭のように丸くなったものを「入道雲」というのだ。この頂は太陽を受けて輝くが、雲の底は真っ黒で、雨が降り、雷を伴うのである。
 この「入道雲」ほど名前が多いものはない。何と「26」もあるのだから驚いてしまう。(明日に続く)

◇◇天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。(5)◇◇

(承前)●寄生植物のこと●

 …岩木山でよく見られる「ミヤマママコナ」も、「半寄生」する「腐生植物」の一年草で、「イネ科やカヤツリグサ科の植物の根に寄生」する面白い繁殖の仕方をする植物である。
 「半寄生」であるから、「自立」も出来るのだ。自らも「葉緑素を持ち光合成を行う」が、他の植物からも栄養を摂り、「宿主(ホスト)」がない場合には草丈も小さくなるし、宿主がいる場合には大きくなる。だから、すべてが一様ではない。
 この違いが「大きさ」や「花の色の違い」、それに、「全体の風姿」に、微妙な「異相」をもたらしているのかも知れない。
 そう考えると、これらの花に出会って、一瞬「これは何だ」と訝しがることのあることは、別におかしいことではないように思える。
 「寄生植物」には、この「ミヤマママコナ」のように「半寄生」する植物があるが、「半寄生」が80%を占めるそうである。
 野山の道沿いで見られるのは、この「ママコナ」程度であるといわれている。「ママコナ」類は、その独特な風姿と形、色彩で人目を引く花である。
 そして、同時に、私たちに理解があれば、「他の植物の根」に寄生(腐生)するという「生き方」で興味を引く花でもあるのだ。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、6回・連続1000日達成まではあと、15日]

樹木の見分け方ということ / 天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。(4)

2009-10-30 05:26:24 | Weblog
 (今日の写真は、他の樹木が秋の色に染まっている中で、まだ「夏緑」の葉をつけている樹木である。これは一体何だろう。
 これは、カバノキ科ハンノキ属の落葉高木の「ヤマハンノキ(山榛の木)」だ。「ヤマハンノキ」は日本全国に分布している。「ヤマハンノキ」は崩壊地など土地の痩せた所にも先駆けて進出してくる樹木の一つでもある。
 「オオバヤシャブシ」や「ハリエンジュ」、それにハンノキ属は、空中の窒素を取り込んで地中に固定する能力があるため、「貧栄養の痩せた土地」でも、育つのである。そのため、「砂防や緑化」などにも利用されている樹木ではある。
 岩木山でも、山麓の雑木林の中でたまに見ることがあるが、これらは、その雑木林の土壌が痩せこけないために一役買っている可能性があると考えられる。
 また、ある程度海抜の高い場所に生育する傾向があり、尾根や崩壊地のほか、河原の河畔林の周辺などにも生育する。
 葉は「卵円形で濃い緑色」である。縁には不ぞろいの「深い鋸歯」がある。表面は無毛で裏面は粉白色であり、脈上に毛がある。
 雌雄同株であり、秋から長い雄花序と小さな雌花序を形成する。この「雄花序」はすでに大きくなり「ぶら下がって」いた。遠くから見た時は何だろうと訝しかったが、近くによって、この「雄花序」を見て「ヤマハンノキ」であることが分かったのである。 この「雄花序」は、秋の段階では緑色であるが、やがて黒紫色になる。
 花が開くのは早く、3月から4月。直径2cmほどの松かさ状の球状果をつけるのである。)

◇◇ 樹木の見分け方ということ ◇◇

私にとっては、まだ樹木の種類を見分けることが難しいのである。
 「緑」の林の中で、同じ緑の葉の樹木が何であるかを見分けるには、まず「葉」の違いである。違いは「葉身、葉柄、葉脈」の異同、葉身の形、葉縁の形、単葉か、複葉かで見ていく。
 「葉身」は主脈や側脈がどうなっているか、托葉がどうなっているか、小葉があるかどうかなどを見る。
 「葉身の形」は「楕円形か、長楕円形か、卵形か、倒卵形か、心臓形か、腎臓形か、ひ針形か、線形か、針形か」など区別して見ていく。
 「葉縁の形」は「全縁(つるりとしている)か、波縁(波打っている)か、歯縁(歯が並んでいるようなもの)か、鋸歯(のこの歯)縁か、重鋸歯縁(のこの歯がまたの木の歯になっている)か」で区分けしていく。「単葉か、複葉か」は、大きく羽状と掌状に分けて、単葉は、葉が「浅く裂けているか、深く裂けているか」に区分する。複葉は、葉の付き方が「1回」か「2回」かで区分しながら樹木名を探るのだ。
 だが、これだけで樹木の名前は分からない。そこで、次は「枝や幹」だ。「色具合、模様、触感」の違いであり、あとは生えている場所、たとえば水場か稜線近くか、乾燥している場所か、岩場かなどに注目する。
 「幹に注目して」よく分からないものもある。同じ樹種でも若い木と老木では、全く幹の肌と皺や裂け目が違うものがあるのだ。ミズナラがそうなのである。ミズナラの若木の幹は銀色がかった白で、つやつやと光沢があり、触るとなめらかな感触だが、老木になると、「黒っぽく」なり、縦に裂け目が出来て、ざらざらとした感触になる。とても、同じ樹種だとは思えない。
 そんな時は「葉」に頼るが、今度は、その葉が「コナラ」に非常に似ているから大変だ。ああ、もっと若い時から「樹」に親しんでいればよかったと、つくづく思うのである。

◇◇天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。(4)◇◇

(承前)●寄生植物のこと●

 植物の生活パターンは、「光合成」が中心で、他の生物体を捕食する動物や生物体とその死体を分解・吸収している菌類とは全く異なっている。
 ところが、きわめて少数、それでもその総数は3400種前後にもなるそうだが、光合成のための葉緑体を持っていない植物がある。世界中に、およそ23万種の被子植物があるそうだから、その約1.5%が寄生生活をしている「寄生植物」になるというわけだ。
 岩木山のブナ林の林床で、普通に見られる「真っ白で銀色に光る幽霊花」といわれるギンリョウソウなどがそうだ。ギンリョウソウには「緑の葉」はない。他の生物から栄養分を得ている植物、つまり「寄生植物」なのである。だが、ヤドリギなどとは違うので、「腐生(フセイ)植物」と呼ばれている。 

 もう一度お復習(さら)いをしておこう。他の緑色植物から栄養分を得て生活をしている植物を「寄生植物」と呼ぶ。だが、その養分の摂り方は様々だ。
 「光合成」をする能力を完全になくして、水や栄養塩類だけでなく、有機物まで他の植物の作り出したものに頼って生活している植物を「完全寄生植物」と呼ぶ。
 また、緑色の葉を持っていて「光合成」をしていながらも、水や栄養塩類を他の植物から吸収している植物がある。これらを「半寄生植物」と呼ぶ。私たちがよく目にするこの「半寄生植物」は、「ヤドリギ」である。
 
 これらの「完全寄生植物」や「半寄生植物」に対して、「有機物を分解して生活している菌類」との共生する植物がある。そのような植物は「菌根(キンコン)」を持っているのであるが、中には「光合成能力」をまったく欠くものがある。
 つまり、菌類から全部、養分を得ている植物である。森の幽霊花、「ギンリョウソウ」はその代表的なものだ。岩木山には他に、シャクジョウソウやギンリョウソウモドキ(アキノギンリョウソウ)などがある。
 そして、このような植物を「腐生(フセイ)植物」と呼ぶのである。「腐生植物」は栄養を「菌類に頼って生きている」ので、「菌類を食べて生きている」とも考えられることから「菌食植物」と呼ぶこともあるという。(明日に続く)

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すでに花芽を準備している水芭蕉 / 天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。(3)

2009-10-29 05:15:33 | Weblog
(今日の写真はミズバショウの若芽である。落ち葉に包まれて、ひっそりと茎や葉をのばしていた。背丈は20cmほどだろうか。雪が降る前に、もう少し伸びるかも知れない。
 やがて、降雪。この芽は、雪に圧され、閉じ込められて、じっと雪解けの春を待つのだ。降雪を見る10月の末から12月まで、時には霜の降りる氷点下という寒い朝もあるだろう。だが、日中は弱いながらも日射しがある。
 その陽を浴びて、「光合成」を行いながら、少しずつ「太り伸びて」春に一気に花を咲かせることが出来るように、この時季を生きているのである。
 健気である。人の世界で、成功することを「花を咲かせた」というが、人生にあって成功するには、その前に「健気で地道な生活」を経なければいけないのだろう。
 この「ミズバショウ」の秋の若芽はそれを教えてくれているようだ。)

◇◇すでに花芽を準備している水芭蕉 ◇◇

 春一番に咲き出す植物たちは今頃から芽を出している。特に、10月の末から11月にかけての晩秋は「常緑のままで冬を越す植物」の花芽や葉目を観察することが出来る。 そんな時には、厳しい冬を無事に乗り越えて、春一番に花を咲かせることを密かに願うのである。
 辺り一面、落ち葉に覆われ、褐色の世界が広がっている中に、とりわけ、濃緑に輝いているものが目につく。これは、山林の半日陰に自生するツル性の多年草、「ツルリンドウ(蔓竜胆)」である。
 中国ではこれを「セイギョタンソウ(青魚胆草)」と呼ぶ。じっと見るとまさに「濃い緑」の葉が、そして、その形が「青魚」に見えないことはない。その周りの落ち葉を丹念に捲ってみると、楕円形の赤い果実が出てきたりする。または、根曲り竹に絡みついているものもある。このようなものは、大体楕円形の赤い果実をつけている。
 果実は「赤い」色とは一概に言えない。明るい赤ではない。どちらかというと臙脂に近い赤である。
 秋遅くまで、しかも、積雪を見ても、「濃緑」のままで、低木の枝や竹に絡みついているので「常緑の多年草」だろうと思っていたが、そうではないらしい。
 花期が遅く、実をつけるのも遅いので、春までには枯れるのかも知れない。そして、夏近くに芽吹き花を咲かせるのかも知れない。
 「ミズバショウ」もすでに花芽を準備しているものの一つだ。降雪を見る前の野山には、春の息吹に満ちあふれている。ミズナラやコナラの落ち葉を踏みながら、ゆっくりと歩く。木々の梢は寂しいし、野鳥の鳴き声もあまり聞こえない。聞こえても、それはキツツキの仲間が「幹や枝」を啄く音程度である。
 静かで、何もない冬枯れ直前の森、だが、耳を澄ませ、目を凝らして、「観察する心」で自然を見ると、至る所に「春の息吹」があるのである。

◇◇天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。(3)◇◇
(承前)●寄生植物のこと●

 25日の観察会で数日前に紹介した「ブナの褐葉に混じって見える緑の葉群れ、緑の植え込み」を眺めながら、ある受講者が「宿られたブナ(宿主)は大丈夫なのだろうか」と訊いてきた。それに呼応して、他の数名も「私もそう思っている」というようなことを言った。
 「アカミノヤドリギ(赤実の宿り木)」を十数本「宿泊」させて泰然としているブナ(宿主)は屹立感はあるし、存在感もある。高さは20mを越えているだろう。巨木である。
 その高さと大きさを見て、ある人が言う。「大きい木だからいいんじゃない。少しばかり栄養分をヤドリギに取られても…」と。「そうかもね」などと思い思いのことを言う。これがいいのである。
 答えを「聞く」前に「自分で様々な仮説を立てる」ことが大事なのだ。それがないと決して「フィードバック」をしながらの学習にはならないし、その学習内容を蓄積していくことは出来ない。

 「ヤドリギ」は寄生植物と呼ばれている。目の前に見える「ヤドリギ」は、確かに「ブナ」に寄生している。
 「寄生植物」とは「他の植物(宿主・ホスト)」の根や茎から、水や養分を奪って生きている植物である。その特徴は「ホストから養分を奪うために根や茎が特殊化している」ことである。
 「寄生」には、全面的に養分を依存する「全寄生植物」と、自らも光合成をする「半寄生植物」がある。ヤドリギは「半寄生植物」である。
 そもそも、「光合成生物」である植物は、基本的には「独立自養の生活」をすることが出来るのだ。「光」と「水」と「二酸化炭素」、そして、土壌中から吸収する栄養塩類によって、栄養は足りるのである。
 ところが、しっかりとした「緑色の葉」を持っていて、「光合成」をしているから、外見上は寄生植物のようには見えないのだが、水や栄養塩類を他の植物から吸収している植物がある。これらが「半寄生植物」と呼ばれ、代表的なものが「ヤドリギ」なのである。ヤドリギは一番外見的には分かりやすい「寄生植物」なのである。
 しかし、このように「見える」他の植物の枝や幹に寄生していれば分かりやすいのだが、「ゴマノハグサ科」の「ミヤマママコナ」ように、土中の他の植物の根から水や養分を奪うタイプのものは「寄生植物」であると、なかなか判断が出来ないものだ。(明日に続く)

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志賀坊高原からの眺めは語る / 稲藁焼きの季節がやって来た

2009-10-28 05:13:01 | Weblog
 (今日の写真は平川市志賀坊高原から、岩木山とその北東に広がる稲田を写したものだ。10月26日のことだ。
 眼下には紅葉した桜などが「秋色」に輝き、その下には「広船」などの、人家が見える。その人家を取り囲んでいるくすんだ緑の「岡辺」はリンゴ畑である。もちろん、この「志賀坊高原」の中腹から山麓にかけても「リンゴ畑」は広がっている。写ってはいないが、写真の左側一帯も、当然くすんだみどりの山なみと岡辺が続いている。大げさに言うと、それは、「秋田の県境に迫る」ほどなのだ。)

◇◇ 志賀坊高原からの眺めは語る ◇◇ 

 …田んぼ以外の岡辺や山は、殆どが「リンゴ畑」になっていることが、この「志賀坊高原」に立ったり、岩木山の山頂に立つとよく分かるのである。
 さすがに、緑は多い。青森県は「緑」の王国である。だが、真に緑の象徴とされる「里山」は非常に少ない。
 平川市のお隣の黒石市だって、残されているのは浄仙寺(ジョウセンジ)のある黒森程度だろう。あとはすべて「リンゴ畑」の山である。弘前も同じだ。今や、里山と言えるものは「久渡寺山」と岩木山だけである。その岩木山も山麓上部まで「リンゴ畑」が広がっている。
 「津軽は緑が多くて、空気がきれいだ」という人がいる。だが、これは間違いだ。「緑」は自生している在来の森のものではない。つまり、ミズナラやコナラ、オオバクロモジなどが生える雑木林のそれではない。
 空気は見えない。だが、その空気が、この「写真」に見える稲田の上にたなびいている「稲藁焼き」の煙のように「見えた」とすれば、「津軽」の空気は、まさにこうなのだ。決して「きれいで新鮮」ではないのだ。
 青森県は農薬の使用量が「全国一」なのだ。青森県は「ワースト1」にはことを欠かない県である。だが、この「農薬の使用量が全国一」ということを知っている人は少ない。これが、この広大な「リンゴ畑」で、春から夏にかけて使用されるのである。農薬の主たるものは「殺虫剤」である。「虫という生きものを殺す物質」を散布するのだ。
 この「毒性の物質」が「人という生きもの」によく作用するとは思えない。この目には見えない「物質」が空気の中には「浮遊」している。津軽の空気は「きれい」ではないのだ。
 全国で「自殺者」が一番多いのは秋田県である。青森県も多い方だ。「農薬の使用量」と「自殺者の数」には相関関係があるという研究もあるそうだ。人体的、神経的に「農薬に含まれるリン酸系の物質」が関与しているのではないかと言われている。
 青森県では、真の緑は少なく、空気は汚染されている。毎年、稲藁焼きの時季になると、このことを考えてしまうのである。

◇◇ 稲藁焼きの季節がやって来た ◇◇

 今日の写真を写した時期とほぼ同じ時に、岩木山の山頂からこの「稲藁焼き」の煙に関する風景を見たことがある。日中ではなく、朝である。
 山岳部員を連れて、頂上小屋で一泊して、見た記憶が今でも鮮烈に残っている。

 …10月の下旬だった。すでに山頂にはうっすらと積雪があり、その朝は氷点下の寒さだ。時が時だから日の出の時間は遅い。6時はとうにまわっている。
 小屋から外に出て頭上を仰ぐ。白みがかった青空に茜色がかすかに射し込み、間もなく、日が昇ることを教えてくれる。
 全方位に眺望が開けているが、東の空には雲堤がどっかりと腰を降ろし、その峰々が高々と曙光(しょこう)を遮り、山頂の我々とお日様との直接対面の瞬間を遅らせていた。そこで、視点を山麓から低地に向けていびつな円周で移す。
「あっ、島だ。」と叫んでしまい、そして「入江だ。湾だ。岬だ。」という字句が、口を衝(つ)いて出そうになる。だが、ぐっとそれらを飲み込んで視ることに集中する。
 生徒たちは、私の沈黙をよそに「島だ」、「湾だ」、「入江だ」とその方向を指しながら言い合っていた。
 稲藁焼きの煙が山麓の谷やら平野部の低地へと入り込んでいる。まさに水墨画だ。白い煙は白い余白の水面。
 描かないでえがくという余白の重視、質素の美学、否定や貧しさの美学と言われる所以(ゆえん)のものの典型を、今我々は見ている。
 尾根は島をなし、岬をなし、平地の丘陵地もまた島嶼(とうしょ)を形づくる。黄金の恵みを刈り取られた水田や川に接する低地は白い海。
 大昔、岩木山のふもとまでが海だったそうだが、そのことを想起させるような、時を越えた人の生活と自然の織りなす風景の不思議に見いる。
 今、私たちは白と黒という色彩の二重構造的な世界を把握しながら、しかも空間性の頂点にいる。
 稲藁焼きの煙害が騒がれだして久しい。だが、煙の及ぼす身体的な害と苦痛から全く離れたところで、我々はそれを見ている。
 その意味からすれば、それらは虚像であるに違いない。しかし、煙の織りなす季節的、地形的な、しかも幻想的な風景を見るのは素晴らしい。
 その上、今この瞬時において、ここにいる者だけが味わえる景観であると思えば、感動もまた大きくなるはずだ。
 滅多に出会えない希少な機会であるがゆえに、この体験は特殊性を帯びてくる。そして、いつまでも生徒たちの脳裏に焼き付き、色褪(あ)せないものとなるだろう。…

 稲藁焼きとは、収穫の終わった稲藁を加工したり、堆肥にせず田圃で焼いてしまうことだ。その時に出る煙がその多さゆえに公害となっている。それが今年もまた始まったのである。

お詫び:「天気がいいとそれだけで『自然観察会』は成功だ(3)」は明日掲載する。
 観察会で話題になった「ブナについているヤドリギ」に関して、「植物の寄生」について書く予定である。毎回2300字程度の文章にまとめようと努力はしているのだが、気がつくとそれよりも原稿用紙が2枚近くオーバーしている。今回も、気がついたら2300字を越えていた…。

[連続1000回ブログ書き達成まであと、9回・連続1000日達成まではあと、18日]

これは果たして「ネジバナ」か / 天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。(2)

2009-10-27 05:16:46 | Weblog
 (今日の写真はラン科ネジバナ属の多年草の「捩花(ネジバナ)」だ。モジズリとも呼ばれる。何も特別今日の写真として紹介するほどの「奇異」な植物ではない。
 北海道から九州にかけて分布している。芝生などの草丈の低い、明るい草地に生育することが多いが、乾燥した場所から湿地にまで生育するという柔軟性も備えている。また、粘土分を多く含む場所にも生える。
 細長い葉を数枚つけて、地面から立ち上がるが、芝地のものは長さが5cm前後、湿地では10cmを越えることもあるという。やや厚めで、刈り取りや踏みつけにも結構、耐えるらしい。
 岩木山では、開花期は6月頃からで8月あたりまでだ。長平登山道では石神さま近くからブナ林内までの間に、ぽつりぽつりと咲いている。私は「登山者の案内花」と名づけて愛でている。茎の長さは20cm前後である。だが、中には30cmを越えるものもある。写真のものにも長いものがあるだろう。
 茎頂には螺旋状に小さな花が付くが、巻き方は右巻き、左巻きと正反対のものもある。名前の由来はここにある。巻き方が「捩れて」いることによる。秋田では「左巻き」と呼ぶそうだ。
 花の色は大体、淡紅色だが、濃いものから薄いものまであり、多様なのだ。)

◇◇ これは果たして「ネジバナ」か ◇◇

 …以上が一般的な「ネジバナ」の説明だ。だが、この写真は10月25日に写したものだ。開花期が6月から8月だというのに、つまり、晩秋の「10月25日」にこのように咲いていたということだ。これはおかしいことだろう。
 しかも、場所は標高600m近くのブナ林内である。すでに、ブナの葉は褐葉し、落ちている。そして、これら「ネジバナ」の周囲を覆い、敷き詰めを始めている。秋というよりは、「初冬」の装いだろう。時季的におかしいし、「芝生などの草丈の低い、明るい草地に生育することが多いが、乾燥した場所から湿地にまで生育する」ということからしても、場所が変である。これは、「ネジバナ」なのだろうか。右のものは「螺旋状」に、捩れても居ない。直状に近い。
 ブナ林の中である。ここは深山だ。そう考えた時に、「ブナ帯からシラビソ帯の林内や林縁に生える多年草」である「ミヤマモジズリ(深山文字摺)」という花名が一瞬、閃いたのである。
 ひょっとして、岩木山に「ミヤマモジズリ」が生育しているのかも知れない。そうであれば、これは大発見、いや新発見だ。

 「ミヤマモジズリ」は北海道と本州(中部以北)に分布していて、山地の落葉広葉樹の林床に生える「ラン」である。花期は7月から8月であり、茎長は10~20cmほどだ。その基部に長い楕円形をした葉が2枚ついている。
 頭の中で、「ミヤマモジズリ」の情報をそこまで復唱した時、私の「大発見」は急速に萎んでしまった。そのような「葉」がどこにもないではないか。
 細長い線形の葉だけである。「花は淡紅紫色で、唇弁は3裂、紫色の唇点があって先は尖っている」などという情報、知識も、もうどうでもよくなってしまった。

 「モジズリ」はネジバナの別名で、「ミヤマモジズリ」は「深山に生えるネジバナ」ということだ。
 しかし、「ラン科」ではあるが、ネジバナとは「遠縁で別属のテガタチドリ属」である。「ネジバナ」と似た紅紫色の花は一つ一つは小さい。「ミヤマモジズリ」はテガタチドリ属の中では花期は遅く、9月の上旬でも開花するといわれている。だが、何処でも見られるネジバナと違い、「ミヤマモジズリ」には、そう簡単には出会えない。岩木山に果たして生育しているのかどうか、それすらまだ確認出来ていないのである。
 ところで、ある情報によると「ネジバナ」は、秋にも開花するものがあるのだそうだ。これは正真正銘の「ネジバナ」である。
 植物の専門家であれば「わくわくするような悩み」にならないようなことでも、素人の私には「新種発見か」というような「悩み的な喜び」になるのだ。このことに私は「満足」している。
 この遅咲きの「ネジバナ」は、私にしばしの間、「夢を見させて」くれた。ありがとう。

◇◇天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。(2)◇◇
(承前)

 …今年の6月28日に、この講座では「夏緑のミズナラ林と踏み跡めぐり」というテーマで、岩木山南面のミズナラの純林帯を東から西に向かって「横歩き」をした。
 ミズナラを中心とした樹林の中の、「踏み跡道」を、林床の草花や「樹木の様子」に注意しながら、歩いたのである。
 だから、受講者の脳裏には「夏緑の樹林帯」のイメージが強烈に「残像」としてあるのだ。
 それ故に、乾いて清澄な空気みなぎる秋の森の「異質さ」には目を見張るのである。空間の多さ、透き通るような明るさ、サイケデリックな色彩に、観察する人は目を奪われて感嘆の声を上げる。そして、落葉の始まった、赤や黄色に色づいた「森」の激変を知るのである。
 その激変は何も、視覚的なものだけではない。「夏緑の森」の音は、風にそよぐ葉擦れの音であり、枝々で鳴く野鳥の声である。それはすべて頭上から聞こえるものだ。
 だが、秋の森は「足許」から「音」が聞こえる。虫の音ではない。特に乾いた日の林床では、その音は多い。だが、それらは決して「雑音や騒音」にはならない。
 耳に心地よく、足に優しく快い。ブナ林内のものは格別だ。それは、「褐葉した落ち葉」である。カサコソと、時にはカラカラと音を出す。軽快なリズムが足許で踊るのだ。
 時々、森の奥の方から「ガサリ」とか「ゴソリ」という音が聞こえる。全長が30cmもあろうかと思える「ホウノキ」の葉が舞い落ちて、林床に「着地」する時の音だ。
 そのような静かな音の中を、木々の梢伝いにヒガラやコカガラ、シジュウカラなどが地鳴きをしながら移動していく。
 頭を上げて見上げると、紅葉や黄葉した葉が「透明度」を増して、輝いているのだ。そんな時、「ああ、桃源郷とは秋にもあるのだな」と思ったりするのである。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、10回・連続1000日達成まではあと、19日]

天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。昨日はまさにそうだった。

2009-10-26 05:08:56 | Weblog
 (今日の写真はハウチワカエデの「お見事」という言葉が口をついてでそうになるほどに美しいの「黄葉」や「紅葉」である。この見事な赤と黄の染め分けは何だというのだろう。
 分け方は様々だが、一応「ハウチワカエデ」は、秋になると葉が「赤く色づく」樹木になっている。だが、今日の写真は黄葉が中心である。
 はて、さてどうしてこのような黄色の「1枚の葉」に「赤い」染め分け部分が出来るのだろう。 これは、すべての葉が赤く染まる、その一過程途上にある姿なのだ。周りの木々や枝葉に遮られない陽光を「受けている部分」だけが赤く染まっているのだ。周囲の樹木の葉が落ちて、満遍なく日を浴びることが出来るようになると、次第に「葉」全体が「紅葉」していく。
 やはり、秋の紅葉は一回限りの観察で終わるべきではない。数回訪れて、その変化していく過程をじっくり味わうものであろう。実は一週間前にもこの「ハウチワカエデ」を見ていたが、その時はすべての葉が黄色であった。
 自然は偉大な画家である。このような微妙なペインテングは人の手によっては出来ないだろう。
 そんな思いで眺めていたら、突然妙なことを思い出した。先の「侵略戦争」で「日本」が描いた地図である。アジアの各国を占領し、北は樺太、南はオーストラリアの北部海域、西は中国からインド近くまでを、「赤で塗りつぶして」いったあの地図である。それを国民に示して、戦意高揚を国は計ったのである。実は紛れもない「侵略」なのに、「大東亜共栄圏」などと、あたかも解放戦争のイメージで国民を欺いたのである。ああ、何と、嫌なことを思い出させる「ハウチワカエデ」であることか。

 「ハウチワカエデ」は、学名に「japonicum」という言葉を持っている。これは、本州に分布する日本の特産種、または固有種ということである。これは世界に誇れる日本を代表する「カエデ科カエデ属」の落葉高木ということになる。樹高は10m以上になることもある。
 岩木山では、標高300m辺りから900mの「亜高山」の下部に生育している。分布の中心は、夏緑広葉樹林の尾根筋などの明るいブナ林域ではないだろうか。この「ハウチワカエデ」は標高500m付近のものだ。そして、この周りにはブナが生えていた。
 見れば見るほど「見事な黄色と紅色」の葉であろう。他の「カエデ」と比べて、葉の切れ込み数の多いのが特色で、大体、葉は9から11ほどに切れ込んでいる。それに、10cm以上と大きな葉だ。それらが、「真紅や金色」に染まっていく様子はただただ美しい。 かつての日本のように「版図拡大」などという野望はない。ここに見えるものは、自然に従う従順で純粋な美しさだけである。
 しばしば、「ハウチハカエデ」は山地で見られる「紅葉(モミジ)」の王様だ」と言われることがある。確かに「大きな葉を真紅や金色に染めて紅葉」する、その風格は「王」を連想させるものであろう。しかし、美しさは「葉」に止まらない。
 花も美しいのだ。5月頃に咲く花は臙脂色でこの上なく上品な色彩を帯びている。しかも、カエデの中では大きく、房状に垂れ下がり、雄しべが、とりわけ長いので、目につきやすい。「雄花」と「両性花」を付けるが、房の先端が雄花になることが多いと言われている。
 美しいのは翼をつけた種「翼果」もである。大きく、斜めに開いた形をしていて、風に揺れている姿はえもいわれないほどに美しい。
 「ハウチワ」は羽根で作った団扇で、名前の由来は、その形から連想による。別名を「メイゲツカエデ」ともいうそうである。)

◇◇天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。昨日はまさにそうだった。◇◇

 昨日は、この秋一番の「いいお天気」ではなかっただろうか。まずは雲一つない快晴であった。その上、風も殆どなかった。しかも、気温が19℃ほどで、ゆっくりと山登りをするには最適温度でもあった。それに、湿度も低く、さわやかだった。まさに、自然観察日和だったのである。
 観察会の場所は「岩木山西麓松代登山道周辺」だった。テーマは「秋のブナ林内をたどり、樹木や紅葉を鑑賞する」であった。 
 この鰺ヶ沢松代地区は、70年ほど前に入植した開拓地である。かつて、この辺り一帯はブナ林であった。その殆どが伐採されて畑になっている。だが、所々にぽつりぽつりと「ブナ」が取り残されたように生えているのだ。それが、「かつてはブナ帯であった」ということの生き証人でもある。この開拓地は、今では寒冷地野菜の栽培で名を知られるようになっているという。
  登山口から入ると直ぐに両側に樹林帯が広がる。「ミズナラ」があり、「ウダイカンバ」や白い葉で「紅葉」している「コシアブラ」などが目につく。だが、圧倒的に多いのはブナだ。また、少し黄変した葉をまだつけている「カラマツ」も見える。これは植林されたものだ。
 白いブナの幹に巻き付いている浅黄色の葉っぱが目立つ。「ツルアジサイ(別名:ゴトウヅル)」の葉だ。
 その森には南東側から日が射し込んでいた。何だかものすごく明るいのである。
明るいのは、もちろん、落葉が始まって「葉」の密度が低くなって空間が広がって、日が射し込み易くなっているからだけではない。ある時季に比べると「暗色」という色合いから「明色」という色合いに変化しているからである。この森は、白、赤、褐色、明るい黄色、レモンイェロー、淡い緑、萌葱色という装飾が施されているのであった。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、11回・連続1000日達成まではあと、20日]

日本熊森協会のHPに私の「クマ岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」が、全文掲載

2009-10-25 05:10:56 | Weblog
(今日の写真は岩木山の「とある道路」である。人は殆ど歩かない。山菜採り程度か物好きな登山者が利用する程度である。
 だが、積雪期になると「無法者」たちが轟音を立てながら通行する。それだけではない。低木立木をなぎ倒したり、時には「通行」に邪魔になる立木を伐ったりして「通行」している。スノーモービルの連中である。
 だが、もっとおとなしくて「自然」を壊さない通行者もいる。それは、スキーヤーだ。この林道沿いの樹木には「岩木山春スキー協議会」という名称の入った標識が、ところどころにつけられている。しかし、現在は「壊れたり文字がかすれたり」していて標識の役割を果たしていないものが多い。そもそも、この「岩木山春スキー協議会」が存在するかどうかも疑わしい。
 ここは古い林道だ。だから道幅は広い。その上、この辺りはミズナラやイタヤカエデがかなりの樹高になっているので、下草やそのほかの木々の発育が抑えられていて、道路の面が顔を出している。だから、遠目に見るとこのようにしっかりした道に見えるのだ。実に歩きやすい道だ。足に優しい「落ち葉」の感触がいい。
 コンクリートやアスファルト道路の硬い反発力は足を疲れさせるだけでなく、魂までを「ギンギン」に疲弊させる。それに比べると、この道は、それらとは全く反対の「作用」を私たちに施してくれる。
 私たちが「踏み出す」力を落ち葉の道は、撥ね返すことはない。かさこそと受け止め、優しく吸収してくれるのだ。
 残雪期、この道は樹間を走っていることがよく分かる。これを辿っても、「林中」で迷うということはない。春、ミズナラの若葉が美しい。その前にはキクザキイチリンソウやカタクリが道脇や林中に咲く。夏、キバシリやゴジュウカラ、キビタキ、ヤマガラ、ヒガラ、コガラなどの野鳥も多い。ミズナラは硬い葉になって「夏緑」を迎える。
 この写真は10月19日に写した。22日にも同じところを歩いたが、かなり「褐葉」していた。秋の葉の色づきは「日」を待ってはくれない。
 ここより上は「林」から逸れるところもある。そのようなところはススキが生えて「藪こぎ」状態になっている。だが、それほど苦しい藪こぎではない。足下が「道路」であることを教えてくれるので、楽なものだ。この道は標高700m辺りまで続いていて、そこで突然「行き止まり」になってしまう。
 だが、四季を通して自然を「散策」するには格好の「道」だろう。百沢登山道の「七曲り」標識辺りから左に逸れて林中を30mほど歩くと、この場所に出る。散策好きな人は一度、行ってみてはいかがだろう。
 この道の正式な入り口は、国民宿舎岩木荘を通り過ぎて、一つ目の右カーブを曲がって直ぐの左側にある。そこから入るとなお一層の自然散策や観察が出来るのである。)

◇◇ 「日本熊森協会」のHP に、私の書いた「クマ『岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷』ということ」が、全文掲載されている ◇◇

 「日本熊森協会」とは、そのHPによると、「開発・拡大造林・地球温暖化・酸性雨などにより猛スピードで劣化していく我が国の奥山を、全生物と人間のために保全・復元しようと、森の最大獣であるクマをシンボルに活動を続けている完全民間の実践自然保護団体です。国を動かす100万人の会をめざしています」とあり、また、「クマと森をシンボルに、日本を全生物と共存する国にもどそうと、奥山保全・復元に取り組んでいる実践自然保護団体です。現在、会員2万名突破、兵庫県本部以外に18府県に支部があります」ともある。

 つまりは大きな自然保護団体であるらしい。その「日本熊森協会」の会長、森山まり子さんから「掲載」を依頼されて、私は快諾したのである。
 何と、表題には「岩木山を考える会 事務局長 三浦章男」という字面で登場しているのだ。「日本熊森協会」のHPにアクセスする人は、否応なしに、「岩木山を考える会」という名称を見ることになり、本会の存在が多くの人の「目に触れる」ことになるのである。
 私は、自分の「クマ」論が読まれるということよりも、「本会」の存在が多くの人に知られるほうが、ずっと嬉しい。 
日本熊森協会のURLは「http://homepage2.nifty.com/kumamori/」である。どうか、アクセスして見てほしい。
 なお、日本熊森協会のHPには「クマ『岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷』ということ」に対する見解が出ている。私は自分の論を書いている段階では、この「見解」のことは知らなかった。会長の森山まり子さんとのメールのやりとりの中で初めて知ったのである。その「見解」を次に掲げる。

熊森協会の見解

…・原因は人間
 乗鞍の山頂は、雷鳥の生息地。クマは、ブナ・ミズナラ地帯の動物で、どうしてそんな高いところまで上がって行ったのかと思うと、原因は人間だろう。お弁当の残りがあったのかもしれないし、土産物屋さんがおいしそうなにおいのするものを売っていたのかもしれない。現地を見ていないので、100%の断言はできないが。どちらにしても、クマはエサを 求めて出て来た。
・この時期のクマ 
 クマはこの時期、冬眠に備えて朝から晩まで食べ続ける。猛烈な飢餓状態になっている。
・地球のおきては棲み分け
 人間がこんなにところまで大量の食料を持って上がる戦後の観光というものについて警鐘を鳴らす事件だ。ここは自然の国。この場所に住むべき動物たちが住む所であり、多くの人間がバスを使って上がってよいところではない。人間は原則としてこのようなところに観光で行くべきではない。こんな所まで人間が来ていいのなら、動物たちは、どこにおればいいのか。
・クマへの対応がまちがっている
 棒を持って向かうなどとんでもない。クマは人間に殺されるという恐怖のあまり、パニックに陥ってしまう。ひたすら人間側がゆっくりバックして、下がっていくべきだった。こういう事態を想定して、土産物屋はお客の誘導法を勉強しておくべきだ。
・クマを殺す必要などまったくない
 なぜクマを殺したのか理解できない。クマは人を襲おうとしてこのようなことをしたわけではない。クマにとって人間はエサではない。人間が用意したエサにクマがおびき寄せられて出て行ったら、人間に襲われそうになってパニックに陥ってしまった。人間側がみんなさがってそっとしておけば、クマは安心して逃げていっただろう。人間がクマをおびきだしておいて、出てきたクマを殺して終わろうとするなら、クマとの共存などできないだろう。…

 もっと詳しく知りたい方は日本熊森協会「http://homepage2.nifty.com/kumamori/」にアクセスしてほしい。

[連続1000回ブログ書き達成まであと、12回・連続1000日達成まではあと、21日]

岩木山山麓に『風力発電所』設置の計画あり(4) /「トカゲ太郎のワンダーワールド」…?

2009-10-24 05:19:43 | Weblog
(今日の写真は1本抜き出て立つブナである。別に抜き出て立って「褐葉」しているから、美しいとか屹立感がすばらしいと思って撮ったものではない。
 高さは優に20mはあるだろう。結構な巨木である。この場所には、このようなブナが南から北、そして東へと馬蹄形をなして生えているのである。広角レンズを持っていると周囲を取り囲むような生え方の一端を見せることが出来たのだろうが、あいにく持っていなかったのだ。
 それはそれとして、注目してほしいのは「ブナの褐葉」に混じって見える「緑の葉群れ」である。まるで、「ブナ」に取りついた「緑の植え込み」である。
 これは「アカミノヤドリギ(赤実の宿り木)」なのである。かなりの数が「宿っている」。ここを明日の「NHK弘前文化センター講座」の野外観察で訪ねることになっている。岩木山にはもう1種のヤドリギ、「ホザキヤドリギ」も「自生(?)」している。)

◇◇ 岩木山山麓に『風力発電所』設置の計画あり ◇◇

 私たち「岩木山を考える会」は、この計画に基本的には賛成はしていない。
 巨大な建造物は空間を奪い、人々に圧迫感を与えるものだ。
「風力発電設備」は巨大なものだ。タワー部分と回転翼の先端が直線的に重なったときは優に100数十mを越える。この巨大な建造物は、否応なしに空間を占拠する。地上の空間というものは、人々の感性と精神的な所産に深く寄与するものである。
 人々、つまり私たちの祖先は大昔から、空を眺めて、その高さに畏敬し、雲を見ては自由な遊子に思いを馳せてきたのである。私たちはこれまで、仰ぐ天に、一点の異物のないことで、心を豊かにしてきたのである。
 故に、「空間」とは人々に等しく与えられた「開放感と心に浮かぶ様々な思いを共有出来るもの」なのである。
 「風力発電設備」は、このような「空間」を一方的に占拠するものである。「風力発電設備」の近くで生活する住民は、この「自由な空間」を奪われて失うことになるのである。
 だが、ただ、それだけではない。「奪われて失う」ということは「空疎感」を残すことになるものだが、「風力発電設備」の存在は、「空、空間」を覆い尽くすという異様さから「空(からっぽ」という「空疎」な意味とは全く別の「重々しい」圧力で迫ってくる。つまり、拭いきれない、はね除けきれない重圧を「上」から与えるのである。それは上から押さえつけられる圧迫感でもある。これは、その地域に暮らす住民にとっては日々の「心労」になるだろう。
 「日本原燃六ヶ所核燃再処理工場」の近くや周囲には「風力発電施設」が50基以上建てられている。詳しい数は分からないが数えたら70基ほどあったという人もいる。その数の「3枚羽の風車」が「建って」いるだけではないのだ。すべてが、「回って」いるのである。目まぐるしく回っているのである。あの傍で常住坐臥する暮らしを想像してみよう。どれだけの心労になるのか。
 「日本原燃六ヶ所核燃再処理工場」近くのあの様相、つまり、空間を覆いつくして林立する風景を、是非、1回は見てみるべきだ。
 見えないところに住む多くの人も「あの六ヶ所」の風景を「胸に焼き付けて」今回の計画を考えてみようではないか。
 最終的に50基、100基と増えていったら、岩木山山麓やその周辺に暮らす人たちの生活は一体どうなるというのだろう。
 その「発電施設」で造られた「電気」は「CO2を排出せず、地球温暖化を救う」という美名の元で、「東京電力」に譲渡され、大都市生活者の、無駄な「電気消費」に回るのである。青森県の「電気の需要と供給」はバランスがとれている。風力発電も「原子力発電」も「青森県」の「電気の需要と供給」には少しも寄与していないのが実情であろう。

「トカゲ太郎のワンダーワールド」…?

 表題に?マークがついているのは「トカゲ太郎のワンダーワールド」を主宰し編集長でもあるH氏から「訪問して貴会のことについてお聞きしたい」という電話を貰った時の、まず率直な印象からである。つまり、「これって一体何だろう」と思ったのである。
 「トカゲ太郎のワンダーワールド」についての解説はここではしない。知りたい人は「トカゲ太郎のワンダーワールド」のHP( http://www.tokagetarou.com)にアクセスしてほしい。
 H氏とは17日に、阿部会長と私の2人、事務所(三浦自宅)で応対した。何と、長時間の話し合いだっただろう。話し合いというよりは「団欒と談笑」に近かいものだった。それは、5時間にも及んだのである。楽しい語り合いは時間を忘れさせるものだ。

 翌日、私はH氏から依頼された写真をメールで送った。そのメール内容の全文とHさんからの返信を次に掲げよう。

『Hさんへ…先日はご苦労様でした。大変楽しい時間を過ごさせてもらい感激しております。これからも、よろしくお願いいたします。
 依頼された写真は、観察会のものは集合写真が多くて、「観察」に視点を置いたものは殆どありませんでした。写りが悪いのですが、「観察会」参加者が、解説、説明している私を写したものがありましたので、それを送ります。これは、沢筋で「トチ」の倒木と幼木の関係を説明している場面です。
 動物はカモシカ、ノウサギ、オコジョ、イタチ、テン、クマの写真を送ります。クマについては「足跡」と「クマ棚」も添付しました。野鳥はイヌワシ、甲殻類はニホンザリガニです。』

『先日は取材にご協力いただき誠にありがとうごさいました。また早速、貴重な写真をお送りいただきありがとうございます。
 慌ただしくお訪ねして申し訳ありませんでした。前日に秋田で取材しておりまして時間をゆっくりとることができませんでした。次回は岩木山で実際に動植物を観察したいと思います。
 当HP「トカゲ太郎のワンダーワールド」に掲載する記事ですがイラストや文章をまとめ上げるのに時間をとりますので4週間ぐらいはかかると考えています。丁寧に仕上げたいと思いますので時間はかかりますが、よろしくお願いします。記事が完成しましたらお知らせいたします。
 また、興味深いお話をしていただいた阿部先生によろしくお伝えください。今後ともよろしくお願いします。「トカゲ太郎のワンダーワールド」 代表 久永 雄大』

 本会の活動等が「トカゲ太郎のワンダーワールド」のホームページで紹介されるのである。どのような形や内容となるのか、今からまさに、「ワンダーワールド」なのだ。
  
[連続1000回ブログ書き達成まであと、13回・連続1000日達成まではあと、22日]

岩木山山麓に『風力発電所』設置の計画あり / ブナ紅葉(その4)

2009-10-23 05:12:32 | Weblog
 (今日の写真も赤沢右岸尾根のブナ林である。「褐葉」して、葉を落としているものもあれば、まだ、「褐葉」のものもある。そうかと思えば、いまだに「黄葉」のものもある。何回も言っているが決して「秋の紅葉」などと「一括りの言葉」では、この色彩は語れるものではない。
 写真の下部中央には「ハウチワカエデ」が見えるし、黄葉は「オオバクロモジ」、大きな緑の葉は「オオカメノキ」だ。

 「紅葉の仕方」は樹冠の内部から色づき始める木と梢の先端から紅葉するものに大別される。
 これは、開葉の仕方と関係するといわれている。順次開葉するタイプには、カンバ類、ヤナギ類、ニレ類があり、「カツラ」などでは「樹冠内部の老化した葉」から順次、「黄葉」して落葉するのだ。
 これに対して一斉に開葉するカエデ類、サクラ類、「ブナ」などは「樹冠先端部」から紅葉を始め、落葉するのである。「褐葉」して、葉を落としているものは、これに当たっているのだ。)

◇◇ 緊急のお知らせ 岩木山山麓に『風力発電所』設置の計画あり!!◇◇

 私たち「岩木山を考える会」は、この計画に基本的には賛成はしていない。

1.それは、この土地に住む人々の原風景とも言える「裾野を含めた岩木山という景観」に異物を建造することで、その「原風景的な景観」を損ねるものとなるからである。

 岩木山の景観は、津軽の民謡に「さてもみごとな津軽の岩木、冬は真白く、春青く、夏は墨染、秋錦、衣替えするあざやかさ」と唄われるほど周辺地域、および岩木山の見えるところに住む人々から、昔から愛されてきた。
 太宰治はは遠く金木から見える岩木山を「十二単衣の裾をぱらりとひらいて、透きとおるくらいに嬋娟(せんけん「艶やかで美しいの意」)たる美女」と褒め称えた。
 褒め称えたのは何も太宰一人ではない。長部日出雄も言う。
「…岩木山は崇拝と尊敬、憧憬と親愛、信頼と信仰の対象で、精神的な意味では生きる力の源泉だった。」(陸奥新報「岩木わが心の羅針盤」から)
 「岩木山の景観」には「津軽人」の魂がこもっている。崇めいとおしむという心情で眺めるのである。それは「祈り」でもある。事実、岩木山に向かって頭を下げたり、合掌する人も多い。
 それは、岩木山が、ご先祖様の霊が岩木山に居て、春になると水神様(田の神)として帰ってきて田仕事を手伝い、秋の収穫が終わると岩木山に戻るという「お居往来山」だからである。
 祈りと頭を下げられ、合掌の対象となる岩木山は悠久の岩木山なのだ。人々から見える岩木山は「混じりけのない、異物のない」昔からの、平安時代の爆発で出来た中央火口丘(現山頂)を持つ、変化のないそのままの岩木山なのである。
 だが、「開発」という人の手が、昔からの「景観」に異物を加えてきた。自動車道路「岩木スカイライン」もその一つである。これは、現代の「鬼っ子」と称されている。
 雪が消えてから雪が降り積もるまで、岩木山の南東面と北面の尾根には「巨大なバリカン跡」が見える。「ミズナラ」や「コナラ」の森、「ブナ」の森を皆伐した跡である。 そして、山腹から山麓の、その場所は積雪期になると、夜空を連日焦がさんばかりに照らしているきらびやかな明かりに彩られる。
 スキー場である。これは「異物」である。津軽の人たちの原風景に楔(くさび)として打ち込まれた「異物」である。それは魂を毀損し、岩木山に対する「敬愛と信仰」をも奪った。岩木山は津軽の人々にとって「西方浄土」なのだ。
 もういいだろう。スキー場だけでいいだろう。これ以上の「鬼門」をどうして造ろうとするのか。造ってはいけない。

 「『景観』上、好ましくない」という設置反対の論理は、しばしば、「見えないところに住んでいる」人たちにとって「軽視」されてきた。鰺ヶ沢スキー場開設にあたっても、そこが見えない「弘前や板柳、藤崎」の人たちにとっては、「見えない場所」ゆえにあまり問題にされなかった。
 鰺ヶ沢町はスキー場のために道路敷設など多額の費用支出をした。その挙げ句が「赤字再建自治体」一歩手前の状態だ。
 見えないからと言って「知らない振り」は出来ない。「風力発電機設備」の見えるところに住んでいる人の気持ちになって考えようではないか。
 「青森県環境計画」には「景観、緑や水辺、歴史的・文化的要素を環境資源として考慮しながら、快適環境づくりを推進します」とある。私たちは「青森県」の人間なのである。同じ県民であり、市民なのである。「市民」とはなにも当該市町村の住民だけを指すものではない。

◇◇ ブナ紅葉 (その4) ◇◇
(承前)

 …ところが、樹木は「葉を落とす前」に、葉の中の養分として再利用出来る物質(栄養素)を回収するのである。そして、落葉が始まり、回収した栄養素物質は、次の春に葉を出すためのエネルギーとして使われるのである。葉が「紅くなったり」「黄色になったり」するのは、この機能と深く関係がある。

 秋になり、日射しが弱くなると、「光合成」を行う葉緑体と葉緑体内の緑色の色素(クロロフィル)も分解される。
 「クロロフィル」の量は、「カロチノイド」の量に比べて、8倍も多くあると言われている。
 ところが、分解される過程で、植物にとって有害な物質とされる「活性酸素」を造り出して、植物の組織を破壊してしまうのである。
 「クロロフィル」は、青色の光を吸収して「活性酸素」を造り、「光酸化障害」といわれる植物の細胞組織を破壊していくのだ。この「青色の光」を遮断することさえ出来れば、「活性酸素」の生産を阻止することが出来る。葉たちは必死になって「青色の光」を遮断しようと頑張るのだ。
 そして、「青色の光」をよく吸収する「赤い色の色素(アントシアニン)」や「黄色の色素(カロチノイド)」を産み出すのである。
 つまり、赤とか黄色のベールで葉の中をすっかり覆いつくしてしまい、葉は紅や黄色の世界に変身する。
 これで、「青い光」を受けなくなり、「活性酸素」も造られず、次の春に葉を出すための養分を十分に取り込み、蓄えることが出来ることになるのである。(この稿は今回で終わりとなる。)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、14回・連続1000日達成まではあと、23日]

岩木山山麓に「風力発電所」設置の計画あり / ブナ紅葉(その3)

2009-10-22 05:06:09 | Weblog
 (今日の写真も赤沢右岸の尾根に広がるブナの紅葉である。秋の天は高い。そして、その色具合は紺青ではない。薄い青である。浮かぶ白い雲が直ぐにでも同化してしまいそうに「白っぽい青」でもある。
 この「白っぽい青」にはブナの褐葉は見事に映える。これが、正真正銘の「真紅」の「葉」であるとするならば、「紅葉」に空は飲み込まれてしまうだろう。自然の美というものは「バランス」ではないだろうか。その「色」だけという世界では単純に過ぎる。多くの生命体が、共存、共生している自然だから、そこには多くの色彩があるのだ。
 自然にとって一番大事なことはこの「バランス(均衡)」である。「褐葉」といっても濃いものあり、薄いものあり、赤みがかったものあり、まだ黄色いものや緑のものもある。
 樹下近くの葉の中には、別の木が生えて、その葉がまた別の彩りを添える。緑のままで夏の残滓を輝かせているものすらある。その中では、一段とブナの白い幹が映えるのである。)


緊急のお知らせ 岩木山山麓に「『風力発電所』設置の計画がある!!

 私たち「岩木山を考える会」は、この計画に基本的には賛成しておりません。その理由は…
1.それは、この土地に住む人々の原風景とも言える「裾野を含めた岩木山という景観」に異物を建造することで、その「原風景的な景観」を損ねるものとなるからです。
2.設置を計画している場所が「野鳥」の渡りの場所であり、100mを越える建造物が林立し、しかも「風車」が動くというようなものが「渡りをする鳥」にとって障害となると考えられるからです。
3.100mを越える建造物は、空間を占拠します。そもそも「空間」は住民に等しく与えられた開放感を共有出来るものです。このように「空間を占拠」しますと、その付近に生活する住民は「自由な空間」を失うことになり、「風力発電」の存在は、かなりの圧迫感を与えるものとなると考えられるからです。
4.この「発電機」は「動きのあるもの」です。「静止している」ものに比べると「動くもの」は人の視覚神経を刺激します。四六時中否応なしに、この「動き」と共存することになる地域住民の「心労」はかなりなものになるだろうと想像されるからです。
5.基本的に、自然保護の視点からすると、「風力発電所」はなじまないものであると考えるからです。


 この「風力発電」を計画している会社は、すでに静岡と秋田に「風力発電所」を設置している。
 これらの自治体との「設置」に関わるやりとりが議事録になっており、それがネットで公開されているので、それを読んだ人から次のような情報が寄せられている。

…「やり方としては、いい加減なモニタリング、環境評価をしているようである。実際に事業が進み始めればどうにもとめられなくなるというのが、やりとりで見て取れる。
 この会社は、結局は、日立がスムーズに資本を投下できるようにするために露払いをする会社で、実体はない。NPO法人が市民から出資金を集めて取り組んでいるのとは訳が違う。
 彼らの今回の目的は、反対が予想される団体の情報を得ることと、風力データがほしかった、ということであろう。事が動き始めれば、大きな荷物を抱え込みかねない。
 環状線から上部でのアセスメント『風向・風力等のデータ集約』のための設備設置の承諾は、上部での設置の可能性に道を開く結果となる可能性がある。これは相手を信用した甘い対応だったと思う。日立などの巨大企業がからむ大規模開発事業となる。蟻の穴から堤防がくずれるということもある。いったん動き出すととめるのは困難だ。それを危ぐしている。」
(お詫び:です・ます調をである調に、また一部語句を文意に支障のない範囲で換えています。)

 本会としては、この情報を真摯に受け止めて、「厳密な再考」を加えて対応を考えていくことにしたい。これらの情報は、昨日当該地区の住民に電話で伝えてある。何よりも真剣にこのことを捉えるべきは「地域の住民」であると考えるからである。

◇◇ ブナ紅葉 (その3) ◇◇
(承前)

 …卵やさなぎで越冬した虫は若葉をせっせと食べる。「夏緑の葉」になる前にとにかく食べて食べて、やがて成虫となる。
 葉にはおもしろい性質がある。夏緑の時季になると「虫」にとっては害になる物質を葉の内部に生成するというのだ。つまり、「虫たちに葉が食べられないための自己防衛」をするのである。これに従って「虫」たちも進化した。葉の食べられるうちに幼虫が「食べて成長する」ように進化したのである。野鳥はこの夥しい数の、しかも「捕らえやすい」幼虫を餌にして、雛を育てる。
 やがて、幼虫は成虫となり、雛は巣立ちをしていく。こうなる頃が、まさに「夏緑の時季」なのである。
 「夏緑の時季」は樹木にとっても成長の時なのである。樹木にとって「葉」は重要な器官だ。「光合成」をして、樹木に栄養を送り、育むための、まさに樹木にとっては「命」にあたる器官なのである。
 「夏緑の時季」はブナも一生懸命に「光合成」に励んでいる。その頃のブナ林内は暗い。葉すべてが陽光の一欠片も漏らすまいと受け止めるからである。だが、その陽光も、次第に、太陽高度の低まりと日射時間の減少から弱くなってくる。秋の到来だ。
 秋になると、「日射し」が弱くなる。そうなると、「光合成」がうまく機能しないで、得られる栄養分も少なくなる。「光合成」は葉の「葉緑体」で行われるが、「光合成」が造り出す栄養(主に糖分)「エネルギー」が葉を維持するためのエネルギーよりも少なくなると、「葉」は自分を支えることが出来なくなり、「落ち葉」となるのである。

[連続1000回ブログ書き達成まであと、15回・連続1000日達成まではあと、24日]

岩木山山麓に「風力発電所」を設置 / ブナ紅葉(その2)

2009-10-21 05:04:01 | Weblog
     緊急お知らせ 岩木山山麓に「『風力発電所』設置の計画!!

 岩木山山麓に「風力発電所」を設置しようという計画があります。昨日、この計画を推進しようとする組織から、「計画」について報告を受けました。

 私たち「岩木山を考える会」は、この計画に基本的には賛成しておりません。その理由は…
1.それは、この土地に住む人々の原風景とも言える「裾野を含めた岩木山という景観」に異物を建造することで、その「原風景的な景観」を損ねるものとなるからです。
2.設置を計画している場所が「野鳥」の渡りの場所であり、100mを越える建造物が林立し、しかも「風車」が動くというようなものが「渡りをする鳥」にとって障害となると考えられるからです。
3.100mを越える建造物は、空間を占拠します。そもそも「空間」は住民に等しく与えられた開放感を共有出来るものです。このように「空間を占拠」しますと、その付近に生活する住民は「自由な空間」を失うことになり、「風力発電」の存在は、かなりの圧迫感を与えるものとなると考えられるからです。
4.この「発電機」は「動きのあるもの」です。「静止している」ものに比べると「動くもの」は人の視覚神経を刺激します。四六時中否応なしに、この「動き」と共存することになる地域住民の「心労」はかなりなものになるだろうと想像されるからです。
5.基本的に、自然保護の視点からすると、「風力発電所」はなじまないものであると考えるからです。

 私たちは、「自然保護」のために、「岩木山環状線(県道30号線)」より上部には人工物を設置しないようにと「訴え続けて」います。計画によると「風力発電」の現況調査のために3年間に限り、「風量や風速」等の継続的な調査のための「設備」を「環状線」より数百m上部に設置するそうです。このデータから「本格的」な「風力発電所」の設置を考える、データ上だめであると中止するということ、併せて、その設備が現在、原野となっている場所に設置するということで、このことに限り、「容認」してもいいのではないかという見解を持ちました。
 なお、この「風力発電施設」計画についてはこれからも、本会との「話し合い」がもたれることになっています。

  
 (今日の写真は松代登山道尾根南面斜面に広がるブナ林である。太さはないが樹高が結構あり、極相林の様相をしっかり示している。写真では分からないが「樹冠」がきれいにそろっている。細いものも太いものに追いつこうと、または追いついて「樹高」をそろえるところが「このようなブナ林」の1つの特徴でもある。
 よく見ると、褐葉しているものもあれば、まだ「緑葉」のものもあるし、その中間プロセスで「黄葉」のものや「淡い緑」のものなど、非常に「多彩」だ。
 ブナ一本一本は同じ森を形成しているのだから、同じ「気象条件」のもとに生育していて、「すべて」同じ「紅葉」のプロセスを辿っていいはずなのに、そうではない。
 一年という時間的な経緯の中で、この時季という一瞬に見せる「生(せい)の個性」だろうか。)

◇◇ ブナ紅葉 (その2) ◇◇
(承前)

 …冬、ブナの森は白い。樹下の「積雪」が白いというのではない。幹の白さだけが、やたらに目立つのである。その意味で「冬のブナ林」は「白と灰色」の世界である。
 だが、冬遅くなると、梢部分に別の色彩を帯びてくる。そうなると、春の足音が直ぐそこまでやって来ている。
 梢の「赤」がどんどんと濃くなっていくと、「新葉」の芽がふくらみ出す。そうなると、梢の先端が淡く白っぽい褐色に変わっていく。「新芽」を包み込んでいる「鱗粉」(莢)である。
 間もなく、雪面に「変化」が現れる。雪面を褐色の「鱗粉」が覆うからだ。残雪の一面が褐色に変わり、ブナの幹周りの根元は大きく口を開く。幹に当たって暖められた輻射熱が周りの雪を溶かすことで出来るものだが、これを「ブナの根開き」という。
 陽光が日増しに強まると、森は淡い緑に染まっていく。「ブナ」の芽吹きが始まったのである。春だ。ようやく「白と灰色」という寒色の世界が、足下の褐色という世界を経て「緑」という「暖色」の世界に変わる。
 季節は進み、夏緑。ブナの森は一気に「明度」を失う。薄暗い。葉は厚みを増して「陽光」を一身に浴びて、「光合成」を行い、樹に養分を送り続ける。
 これは林内へ、樹下へ入り込もうとする「陽光」をきつく遮ることになる。
 また、葉は両側を上側に反らせて浅い溝状となり、降る雨を貯めて葉柄へと流して、その雨滴は枝を伝い、幹を伝い根元に流れ落ちる。その雨水は「腐葉土」に染みこまれて、さらに「腐葉土」を養う。だが、表面的には「ブナ」の林床は乾いている。だから歩くと、枯れ葉は、快い軽快な音を出す。
 その頃になると、樹下に咲いた春のはかない命といわれる草々は何処へか姿を消す。そして、それと入れ替わるように、若葉には「虫」が出現する。そして、「虫」を捕食し、子育てをする「野鳥」が現れるのだ。(明日に続く) 

[連続1000回ブログ書き達成まであと、16回・連続1000日達成まではあと、25日]

ブナ紅葉 / 陸奥新報記事

2009-10-20 05:12:14 | Weblog
 (今日の写真は、ブナの「紅葉」だ。場所は赤沢の右岸尾根である。といってもイメージとしては「岩木山のどの辺り」なのかは、はっきりしないだろう。黒森山の北側だというといくらか場所が具体化してくるはずだ。
 左端にブナとブナの空間があり、その奥にうっすらと山並みが見えるだろう。その稜線が鳥海尾根の南陵である。その下の尾根に斜めに「白い線」が走っている。それが、「リフト」を設置しているところである。リフト一台の幅は狭いものだが、「鉄柱」敷設とその土台設置のために、遠目でもこのくらいの幅に見えるくらいの「面積」を必要とする。ここも、結局は「表土」を剥いで、つまり、自然を人工的に「破壊」した場所である。
 標高は1250mから1400mほどに及び、植生の回復は非常に遅いし、いまだに、「剥げて」いる部分があるし、しかも、岩木山にはない「外来種」の「植物」が生える場所になっている。これも、岩木山の「自然破壊」の一つである。)

◇◇ ブナ紅葉 (その1) ◇◇

 昨日、NHK弘前文化センター講座「野外観察」の下調べに行ってきた。私としては、テーマを「秋の輝き、ブナ林の紅葉」として、「あまり登らなくてもブナ林に行ける場所」として、「松代登山道」を考えていた。
 この登山道のブナはかなり伐られて、カラマツ林に替わっているが、登山道入り口から直ぐ近くに「ブナ」が出てくる。岩木山のメイン登山道である「百沢登山道」では「まともなブナ」には出会えないし、「ブナ林」にも出会えない。焼止り小屋付近になってようやく「低木ブナ」が「林」を形成しているに過ぎない。
 観察と散策という場合は「往復同じルート」を通るよりは「ぐるりと回る巡回ルート」を通ったほうが、出会えるものがそれだけ多くなるし、見るものすべてが「初めて」ということになり、「新鮮な感動」を参加者は持てるのである。
 そのことを念頭において、これまで、その辺りのあちこちを歩いた経験から「ぐるりと回って帰って来る」ルートはあるという思いで、下見に出かけたのである。
 
 登山口からまずは「分岐点」まで登る。登山口からの道は林道である。分岐点からは林道を左に逸れて、そこが事実上の「登山口」だ。登山道に入らずにそのまま「林道」を進む。かなり急な登りになるが、その急な斜面の距離は短い。間もなく、勾配的には緩やかな道になる。しかし、「ススキ」ぼうぼう、草ボウボウ、両脇からは樹木の下枝が張り出して、道をふさいでいる。
 その下枝の中で、ひときわ、鮮やかな黄葉を輝かせているのが「オオバクロモジ」だ。
視点の高いところは、やたらに明るい。秋の明るさ、ブナ林の明るさである。この明るさには乾いた色彩がある。(明日に続く)

◇◇ 陸奥新報記事 ◇◇

 2009年10月19日、昨日、陸奥新報の第一面トップ記事として「弥生跡地」のことが掲載されていた。ブログでも3回シリーズで掲載したが、さいわい、「Web」版の「陸奥新報」にも載っていたので、「まとめ」ということで、それをコピーしたものを、この場で紹介したい。

「弥生リゾート跡地の植生回復の兆し 岩木山を考える会調査」

 …開発行為により一時破壊された岩木山弥生リゾート跡地の植生に回復の兆しが見られることが、市民団体「岩木山を考える会」(阿部東会長)の調査で明らかになった。スキー場建設計画の中止後、跡地はススキが一面に広がる草原となり、その後樹木の生育が確認され、復元には至っていないものの、森林へと回復している様子がうかがえる。市は現在、跡地利用策をめぐり弘前大学と共同研究を行っている。同会は「森林復元を含め、人工的な要素を極力省いた『里山としての自然の回復』を前提に利活用を考えるべき」と提言している。

 リゾート跡地は、解散、精算中の第三セクター「弘前リゾート開発」がかつて、スキー場を中心とするリゾート開発を計画。
 94年に県がスキー場建設に事実上のゴーサインを出したが、翌95年に県が保安林解除申請を取り下げたため工事は中断、事業は中止に追い込まれた。
 岩木山を考える会は95年の事業中止後、毎年リゾート跡地で動植物の生態などを調査。手を加えない状態で草木の状態がどう変化してきたかを調べてきた。今年は10月11日から13日まで、植生回復調査を行った。
 これまでの調査結果によると、一時、開発工事が行われていたリゾート跡地は赤土の見える状態だったが、開発中止後、徐々にススキが生えだし、一面に広がる「ススキ原」となった。
 ススキは7~8年前が最も旺盛だったが、その後少しずつ減り、これに変わって今年10月の調査ではハンノキ、ヤマナラシなど数種類の樹木の生育が確認された。ススキが広がる草原が森林へと変化し、植生が回復していることが分かった。
 同会の三浦章男事務局長は「弥生跡地周辺の森にはミズナラやコナラの林が見られるが、跡地にはまだ見られない。しかしハンノキなどの樹木が確認され明らかに回復の兆しが見えてきた」と解説。
 「一時、完ぺきに破壊したので、回復は反動のようなもの。完全な回復までには15年はかかる。長いスパンで見なければならない」と強調する。
 さらに、「跡地は回復する自然を観察できる場所であり、移り変わりが分かる場所。調査結果を今後の利活用方法を考える一つの指標にし、このまま回復させて人々が自然に触れて学べる場所にしてほしい」と提言している。…

【写真説明】リゾート跡地中央部には「ススキ原」が広がる(2006年10月19日撮影、写真=三浦さん提供)=上 跡地中央部に広がっていた「ススキ原」部分が狭まり、背の低い木々が確認できる(2009年10月13日撮影、写真=三浦さん提供)

 掲載されていた写真は、ブログの昨日とその前々日のものを参照されたい。

 ついでに、この記事のことで「コメント」が一つあったので、それも紹介しておこう。

『今朝(10/19)の陸奥新報一面でも報じられてましたね。
ヤナギやアカシアの木が繁茂する偏った植生になってなくて、ホッとしました。農地の耕作放棄の場合、こうなりやすいもので...。』(かさい)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、17回・連続1000日達成まではあと、26日]

「弥生跡地」自然植生回復の兆し(3)

2009-10-19 05:19:57 | Weblog
 (今日の写真は10月13日に写した「弥生跡地」である。一昨日、昨日の写真と比べてみてほしいものだ。注視することは「ススキ」の生え方、その分布、そして、その量である。
 特に、一昨日の写真と比べてみると、「ススキ」に関わる「違い」がよく分かるだろう。カメラの位置は大体同じだ。写真左の端にみえる「低い山」を基準にしてみると「少し左に寄ってはいる」が、大体同じ場所から写しているということがよく分かるはずだ。
 それでは「違い」だが、「ススキ」が、非常に少なくなっているということだ。中央部にベルトをなして生えているように見えるが、その中にも樹木が見える。「ハンノキ」だろう。ベルトはすべて「ススキ」というわけでもない。「ススキ」以外の緑も見える。この色具合からすると、低木の「コリヤナギ」かも知れない。
 左手前の場所からは「ススキ」は完全に消えている。それに替わって「カワヤナギ」がすでに2m近くに育っている。しかも数えてみると6本以上だ。この辺りも「陽樹」の森を形成し始めているのだ。
 以前まで、一面「ススキ原」であったところが、少しずつ「森」に変わっている。この場所は、3、4年前までは「ススキ原」のほぼ「最後の段階」に当たっていたのだ。)

◇◇「弥生跡地」自然植生回復の兆し(3)◇◇
(承前)

 この「跡地」を「遷移」という点で見ると、「ススキ原」は草原としての役目を終えて、「陽樹」たちに、その役目を委譲する時期になっているのだ。その時期が始まったのである。
 「完膚無きまで」に自然が破壊されつくされた「跡地」、そして、そこには再び、私たち人間の「手」を全く借りることなく、真の「自然」が「自力」で戻ってきたのだ。

 「人間」はひたすら、先に進もうとする。過去から学ぶことを忘れ、日々が常に明日の「進歩」につながることだけを考えて進んでいく。新しい商品は「古い商品」のマイナス面をあげつらうことで、そのための「宣伝」を構築する。
 「未来のために、将来のために、今よりももっとすばらしい世界のために、子供や孫のためによりよい世界を」と言って進んできた。
 しかし、その実は未来世代の幸せよりも、現代世代のエゴと我が儘の満足のためであったことが多かった。「戦争」にも、「未来や将来が語られ、国民の幸せが演出」された。「開発」や「合理化」、「科学の進歩」を謳う時にはかならず、「今よりは進歩する」「今よりはよくなる」と「前に進もう」としてきた。
 この「跡地」も「リゾート開発」という名目で進められたものの「残滓」なのである。 それに対して、「自然」は未来に向かって進もうとはしない。自然は常に「今ある状態」を保持しようとする。「変化」を望まないのである。
 「破壊された自然」は、「破壊される前」の「今ある状態」に戻ろうとするのだ。つまり、「自然」というものは「昔に常に戻ろう」とするものなのである。
 自然は「進歩」を望まない。変化をを望まない。今日のように明日があることを望む。
そして、その営為が「森羅万象」であり、「悠久不変」なのである。
 13日に、私が目にした「跡地」は「過去」戻ろうと「必死なって」いるのだ。それは、「躍動感」溢れるものだった。その波動は私を捉えて離さなかった。私は胸が熱くなった。「表土を引き剥がされた事実」を知っているが故に、ものすごく愛しくなって、目が涙で潤んだ。この写真は、「自然の自力回復」や「自己治癒」を語っているのである。
 すでに、「ヤナギ類」と同種のヤマナラシ、ハンノキ、アカマツ、イタヤカエデ、ウダイカンバ、オオカメノキ、オニグルミ、カラマツ、ウコギ、シラカバ、タニウツギ、タラノキ、ヌルデ、マルバマンサク、ミズキなどが「ススキ」を押しのけて、「ススキ原」に先駆的な樹木として侵入しているのだ。
 この健気な樹木たちの「森」づくりをそっと見守っていこうではないか。二度と「開発」などといって「土地の造成」や「建造物の構築」、または「人工的な植樹」などはするべきではない。今ある「樹木」が造り上げていく、その「プロセス」を優しい目で見つめ、見守っていこう。

 樹木のことを中心に書いてきたが、この場所には「草本」も多い。次にそれを掲げる。
                草  本: 
 これは被子植物双子葉合弁花類、離弁花類・単子葉類に限った。(アイウエオ順)
アオイスミレ・アカバナ・アキカラマツ・アキタブキ・アマドコロ・イカリソウ・イケマ・イタドリ・イチヤクソウ・イヌトウバナ・ウスバサイシン・ウド・ウメガサソウ・ウワバミソウ・エゾエンゴサク・エゾミソハギ・エゾニュウ・エゾリンドウ・エンレイソウ・オオウバユリ・オオギカズラ・オオダイコンソウ・オオハナウド・オオバキスミレ・オオバギボウシ・オオヤマボクチ・オオヤマフスマ・オトギリソウ・カタクリ・カラハナソウ・カラマツソウ・カラハナソウ・カワラナデシコ・ガンクビソウ・キクザキイチリンソウ・キケマン・キジムシロ・キツリフネ・キバナノアマナ・キンミズヒキ・ギンリョウソウ・クサレダマ・クララ・クルマバソウ・クルマユリ・コケイラン・コンロンソウ・ゴマナ・ササバギンラン・シシウド・シャクジョウソウ・シュンラン・ジャコウソウ・ススキ・スミレサイシン・タチツボスミレ・ダイモンジソウ・チゴユリ・ツボスミレ・ツリガネニンジン・ツリフネソウ・ツルアリドオシ・ツレサギソウ・トチバニンジン・ナガハシスミレ・ナガボノシロワレモコウ・ナンブアザミ・ニリンソウ・ヌマガヤ・ネコノメソウ・ネズミガヤ・ノアザミ・ノガリヤス・ノコギリソウ・ノコンギク・ノハナショウブ・ノブキ・ハンゴンソウ・ヒトリシズカ・ヒメシロネ・ヒヨドリバナ・ヒロハテンナンショウ・フタリシズカ・フデリンドウ・ホウチャクソウ・マイヅルソウ・ミズバショウ・ミツバ・ミヤマカタバミ・ミヤマニガウリ・ヤグルマソウ・ヤマオダマキ・ヤマキツネノボタン・ヤマサギソウ・ヤマニガナ・ヤマノイモ・ユキザサ・ユリワサビ・ヨツバヒヨドリ・ヨブスマソウ・ルイヨウショウマなど。

 なお、外来種および在来種でないものもある。
木本ではシラカバであり、草本ではメドハギ・ハルシャギク・オオキンケイギク・オオミツバハンゴンソウなどである。(この稿は本日で終了)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、18回・連続1000日達成まではあと、27日]

「弥生跡地」自然植生回復の兆し(2)

2009-10-18 05:11:17 | Weblog
 (今日の写真は今から10年ほど前の弥生跡地の写真だ。弥生いこいの広場に通じているアスファルト道路の左岸から写したものだ。
 写真中央の上にはコンクリートの構造物が見えるだろう。その左側には大きなコンクリートの塊がごろごろと置かれている。これらは、「スキー場」にした場合には「管理棟やリフトの発着施設」になろうはずの建造物の残骸である。
 手前の茶色の方形のものも、何かの構築物の土台部分であろう。写真に写っていないが、右手奥、つまり「跡地」の下部には「解体した構造物」から出た「鉄骨や鉄筋」が小山ほどの高さと大きさで、積まれていた。
 注目してほしいのは、「跡地」に生えている草や樹木である。季節は初夏である。昨年の「ススキ」が疎らに「枯れ姿」のまま残っている。だが、その数は少なく面積はもっと少なく狭い。
 この頃は「ススキ」をして「遷移」を考えると、まだ、この「跡地」は「森林回復」へ向かっての「遷移」の段階ではなかったのである。草丈や樹木の丈も低く、樹木の種類も少なく、まだ「十分」表土を剥ぎ取った部分を残している「跡地」なのである。
 中央部分には「水溜まり」が見える。このような水溜まりは「沢となって流れ込んだものが貯まった」ものではない。地下から染み出した水が貯まったものだ。
 この辺りは伏流水地帯なのだ。水脈の上に土石が堆積して地表を構成している。そのような地形や地質の構造地帯はしばしば、土石流に見舞われる。それを「体を張って」防いでくれているものが「林」なのだ。
 私たちは「弥生スキー場」、つまり、「跡地」造成は「土石流」を拡大させる装置になり得るという意味からも、反対したのだ。
 現に1975年の「百沢土石流」の時に、この「跡地」右岸の壁倉沢と、対岸の「ミズナラ林」で土石流が流れ込んで、そこで「止まった」という事実があったのだ。
 今日の写真は「弥生スキー場」が「県の指示」によって頓挫して、まだ日の浅い頃の「跡地」である。まだまだ、「地表が剥ぎとられ、植生の回復のない」ままの「跡地」なのである。)

◇◇「弥生跡地」自然植生回復の兆し(2)◇◇
(承前)

 ススキは、その株が大きくなるのには時間がかかるので、「初期のゲレンデや造成地」ではあまり姿が見られない。しかし、年を追うごとに背が高くなり、全体を覆うようになるのである。
 「跡地」のススキ原は今から、7、8年前がもっとも旺盛な生え方をしていた。もしも、ススキ原の状態を維持しようとするなら、草刈りや「野焼き(火入れ)」を定期的に行うことが必要である。奈良の三笠山(若草山)では毎春「野焼き」することで「ススキ草原」を維持している。
 ところが、「跡地」には何も手をかけないで、そのまま放置された。しかも、「跡地」に関わる事業は、市長選の公約通り凍結された。この「凍結」、つまり、「何も手をかけない」という意味に、私は「跡地」の破壊された植生の「自然回復」を図るという姿を見ていた。
 植物を遷移という点で見ると、ススキ(ススキ原)は草原としてはほぼ「最後の段階」に当たる。この時期が「跡地」にあっては7、8年前だったのである。
 今月の12日に、私たちが目にした「跡地」のススキも、次第に少なくなり、何年かするとなくなって、「跡地」そのものが林に、変わるのだ。ススキ原を放置すると、アカマツなどの先駆者的な樹木が侵入して、次第に森林へと変化していく。

 当該「跡地」の場合は、「ススキ」を駆逐して侵入している樹木は「ハンノキ」や「ヤマナラシ」、「オニグルミ」、「カワヤナギ」、「ヤマコリヤナギ」、「マツ」、「カラマツ」、「オオヤマザクラ」、それに、外来種である「シラカバ」などである。
 また、これら樹木が形成している林の縁には「ヌルデ」、「ミズキ」、「マンサク」、「タラノメ」、「ウダイカンバ」、などが雑多で密集して、見られるのだ。

 なお、これまでの調査で、「跡地」とその周辺部で確認している「樹木」は次の通りである。

 アカマツ・アカミノイヌツゲ・アカミノヤドリギ・アキグミ・アクシバ・アズキナシ・アブラチャン・イタヤカエデ・イワガラミ・ウスノキ・ウダイカンバ・ウルシ・ウワミズザクラ・エゾアジサイ・エゾノコリンゴ・エゾユズリハ・オオカメノキ・オオバクロモジ・オオヤマザクラ・オニグルミ・カスミザクラ・カラマツ・カワヤナギ・カンボク・ガマズミ・キブシ・クサギ・クサボタン・クズ・クマイチゴ・クマヤナギ・クリ・クロマツ・ケナシヤブデマリ・ウコギ・コシアブラ・コナラ・コマユミ・コリヤナギ・サルトリイバラ・サワグルミ・サワフタギ・サンショウ・シラカバ・スイカズラ・スギ・スノキ・ズミ・タニウツギ・タムシバ・タラノキ・ツノハシバミ・ツリバナ・ツルアジサイ・ツルウメモドキ・トチノキ・トネリコ・ナナカマド・ニワトコ・ヌルデ・ネコヤナギ・ノイバラ・ノリウツギ・ハウチワカエデ・ハナヘリノキ・ハリギリ・ヒメアオキ・ヒメヤシャブシ・フジ・ホオノキ・ホツツジ・マタタビ・マユミ・マルバマンサク・マルバアオダモ・ミズキ・ミズナラ・ミツバアケビ・ミツバウツギ・ムラサキシキブ・モミジイチゴ・ヤチハンノキ・ヤマツツジ・ヤマナラシ・ヤマナシ・ヤマネコヤナギ・ヤマハギ・ヤマブドウ・ヤマモミジ・リョウブなど(アイウエオ順)
(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、19回・連続1000日達成まではあと、28日]

弥生跡地自然植生回復の兆し(1)

2009-10-17 05:19:38 | Weblog
 (今日の写真は、3年前の2006年10月19日に撮影したものだ。さてどこだろう。岩木山弥生地区の上部である。いわゆる「弥生跡地」だ。そのほぼ中央部分に生えている「ススキ原」を撮ったものだ。
 この「ススキ原」の広さに注目してほしいのだ。「ススキ」が蔓延り、他の樹木の侵入(芽生え「萌芽」)を抑えているのである。この状態だと「森」が自然に回復したなどとは、到底言えない状態である。
 明後日には「2009年10月13日」に同じ場所を写した写真を掲示する。この「ススキ原」は現在、どうなっているのだろう。明日は今から、10年ほど前の「写真」を掲示するつもりでいる。

 ここは、有り体に言うと、弘前市が筆頭株主である「弘前リゾート株式会社」が「弥生スキー場」を設営・開設しようとして、ブルトーザーで表土を剥がして、整地した場所である。だから、「弥生スキー場」跡地と呼ぶのはおかしい。「スキー場」にはならなかったのだから、「スキー場跡地」ではない。正しくは「弥生スキー場建設予定地整地跡」である。
 結局は「立派なK知事」の判断で、スキー場計画は頓挫した。だが、投入した市の税金は無駄になった。そのことについては、未だに誰も責任をとってはいない。
 その後、この場所を「弥生自然体験型拠点施設」にしようとする計画が弘前市主導で提示されて、あれこれとあったが、結局それも、頓挫。あきらめない面々が「大型児童館」の誘致などと喚いて、市の児童家庭課主導で動き出したが、推進しようとする市長が選挙で敗れたため、これも「頓挫」。
 その後、この場所は「政治的」には「凍結」となり、「自然植生的」には「人の攪乱」から放置されて、自然の手による森造りへ向かって「遷移」のただ中にある。)

◇◇「弥生跡地」自然植生回復の兆し(1)◇◇

 毎年、この時季に、つまり「ススキ」が「尾花」になっている頃に観察に行っている。それは、「ススキ」が「遷移」を考える上では「指標的」な役割をしているからである。 なんと、今月は11、12、13日という3日間連続して「弥生跡地」の植生回復の調査を実施したのだ。
 12日には15名の参加で、いわゆる「跡地」の自然観察会を実施して、多数の目で「回復状態」を確認した。
 私は、特に集中して2005年9月と2006年10月に「跡地」の植生調査をした。その後も、個人的に、通年における植物の調査をして、弘前市と共同研究にあたっている弘前大学からの要請を受けて、その結果を文書で提供し、かつ、毎年10月に「植生の遷移と拡大」に関する調査を続けてきた。
 そして、今回の調査と05年と06年の調査時に撮影した写真を比較することで「植生」の回復と「遷移」途上である実態を詳しく確認することが出来た。

 その結果、はっきりと言えることはススキの減少と陽樹の拡大…確実に植生は回復しているということである。

 もともと、「弥生跡地」は「ミズナラ」や「コナラ」を中心とする、人々が自由に入って山菜やキノコ、薪などを採取していた薪炭共用林であり、「雑木林」であった。そこを「皆伐」して、地肌を剥ぎ起こし、均し整地したのである。森林にとってこれほど酷い「攪乱」はない。「跡地」の左岸には、昔からの「雑木林」が隣接していて、現在もその姿を保持している。

そもそも、「遷移」とはどのようなことなのだろうか。

 …その「ミズナラ」などの樹林が切られて、放置されていると雑草が生えてきて、4~5年もすると「ススキ原」になる。さらに、14~15年ぐらい経つと落葉広葉樹林や針葉樹林となる。これらの木は「陽樹」といって、成長のために日光を多く必要とするものだ。そのため、樹木が大きくなり、林に日光が多く入らなくなると地面に生えてきた次世代の芽は育たなくなる。
 そこに、雑草とともに「ミズナラ」などの幼木が育つのである。これらは「陰樹」と呼ばれ、「成長のため」に日光を多く必要としないのである。
 そして、数十年もすると「ミズナラ」に数種の樹木の混じる樹林帯となり、人の手が加わらない限りこの状態が続くのである。このような「植物群落」の時間的な変化を「遷移」といい、これ以上変化しない姿を極相林というのである。…

 確実に「弥生跡地」から「ススキ原」が減少しているのである。「放置されていたこと」が「自然を回復」させているのである。
 ゲレンデやスキー場の施設を造るからといっても、ここまで「きれい」に均し、削ぐことはない。少なくとも伐採後の「切り株」程度は残すものなのだが、ここは「バリカンで刈った頭に、カミソリを入れて、さらに頭皮を剝ぎとって頭骨をむき出し」にしたと比喩されるような状態にまでされた場所なのである。
 「弥生跡地」は10数年前に、一旦、表土を不完全な形で剥ぎ取った「赤土」の出ている場所であった。それから2、3年後にススキが生えだして一面が「ススキ原」となった。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、20回・連続1000日達成まではあと、29日]